2019-11-02

【B型脳の考察】B型はワクワクと共に進化する!?



B型は右脳マインドで生きている?

■関連リンク:脳活動と血液型の関係


​​B型脳活動の、特異な現象をいうなら、それは現代人が左脳優位の合理社会に突き進む中で、彼らが何とか、右脳活動を保っているというと点だと思います。何とかと書いたのは、本来右脳優位のB型にしても、やはりいまの人間社会で生きている以上、左脳の活性化をどうしても強いられていると想像できるからです。

脳機能と血液型の実験では、1分間おきに「対象画像→休憩→対象画像…」というように画面を眺めてもらうのですが、これは「1分間」という短時間で測定することが重要になります。それ以上長くなれば、人間は左側も右側もいろいろに使い始めて、最終的にほとんどの成人は、血液型に関わらず左脳側が優位になるからです。ですからこの実験では、リラックス状態から最初の1分でどう動くか?というのがポイントになるのです。

被験者の具体的な傾向を23あげると、同じB型でも、中には左脳も結構活発な方がおりました。しかし後から職業などを聞いてみると納得できることがほとんどで、私が記憶しているケースでは、一人はIT関係の仕事をしている40代の男性で、もう一人は20代の大学院試験真っ最中の女性でした。

前者の場合は40代という年齢的な面(経験を積むごとに社会環境に合わせながら脳活動がパターン化する傾向にある)と、職業によるものだと思われます。後者の場合は、たまたま試験最中という状況下だったのもありそうだし、院生を志すくらいですから、論理性のようなものを訓練しているだろうとも思われます。それでも、こういうケースの2人においても、総合的に数値を平均化すれば、やはり右脳側の方が多めになっているのです。

あるいは、これぞ右脳型といえるようなB型もおりました。実験当初、私ども研究所スタッフのB型男性が被験者として参加しましたが、この男性は目を見張るような右脳優位性が見られたのです。実験中はPC上の動画でその活性の様子を見ることができますが、彼の右側の脳は、その一面が真っ赤に広がったかと思うと、すぅーっと消え入るように赤みが薄くなり、それがまるで呼吸のようなリズムで繰り返されています。

灰田先生とその助手や私は、画面に食い入るようにその様子を見ていました。
「おお、これはまさしく右脳型だ!」
助手のK氏は、驚きとも感動ともいえるような声をあげました。

このB型男性について少し触れておきます。
彼の家は商店を営んでいて、2人兄弟の末っ子です。
彼がいうには、母親が女の子が欲しかった上に、末っ子への甘やかしも加わって、まるで女の子を育てるように優しい可愛がり方をした…からだそうで、彼は何となく、どこか中性的な雰囲気を持っている男性でした。とにかく彼は、箱入り息子なわけで、社会の色にあまり染まっていないところが、多分にあったように思います。

さてここで、私たちが人間の脳活動をもっと進化させようとするには、何がベストかということに立ち戻りたいと思います。するとそれは、単に「右脳型が良い」というわけでもなさそうです。これまでも書いてきたように、2つの機能の統合…つまり、右脳と左脳の強みと弱みを含めた性質と、その役割をよく理解し、バランスよく機能させようというものです。更には、それを自分で(ある程度)コントロールできるようになればなお良い、ということになります。

また、この「バランス」というのも、何も11である必要はないかもしれません。その人の個性や職業や才能は、それぞれ様々なわけですから、その人固有のバランスというのがあるに違いないのです。ただし、その前段階としては、左脳にあまりに偏りすぎた現代人の脳においては、右脳の性質や大切さを見直す必要があるとも思うところがあります。

1)そこでジル・ボルト・テイラー博士が挙げた右脳マインドをもう一度振り返ってみることにします。
  • ”今ここ”の瞬間しか気にしていなくて楽天的。
  • 情報をイメージのコラージュで受け取る。
  • ありのままの物事を受け取り事実として観察する(あの人よりこの人は背が高い、昨日より今日は涼しいなど)けれど、(良い悪いなどの)判断はしない。
  • 境界についての知覚が無く、全ては一体化している。(私は全ての一部~宇宙と溶け合っている感じ。)
  • 言葉のないコミュニケーションに敏感で、感情を読み取り感情移入しやすい。
  • 直感的。
  • 時間を見失いやすい。
  • 古い情報を保存しないので、入る情報は常に新たな発見として受け取る。
  • 規制や枠組はなく、自発的で自由。
  • 触って体験して学習する。(細胞が直感的に受け取るという感じらしい。)
2)合わせて、能見正比古が挙げたB型の気質特性とその長短表の一部を紹介します。SML


上記の(1)と(2)の11つをここでは説明しませんが、これら2つの事柄のそれぞれが、実によくリンクしているのが見て取れるのではないかと思います。これを見たとき、B型というのは「何とまあ、右脳マインドを素直に生きている人たちなの?」と、改めて驚きました。また同時に、能見正比古の観察力の鋭さにも驚きです。

能見は左右脳について、まだ明らかでない当時から、その性質をB型性に置き換える形で、かなり正確に読み取っていたことがわかります。これは能見正比古独自の才覚であるのですが、能見正比古自身が、"あるがままを受信するB"でなければ、決して出来なかったのではないだろうか、とも思えるのです。

時々、このようにいう方がいます。
「能見正比古の分析というはB型の目からみた分析ですね?すると他の血液型から見れば、また違った分析もあるのではないですか?」
つまり、B型的な視点で見た偏りが生じているのではないか、ということなのですが、確かに、あくまでも能見正比古というひとりの観察者の視点でもありますし、そうした歪みは多少なりとも生じてくるに違いありません

しかし、では他の血液型(能見正比古がB型以外だった場合を考えても…)だったとしたら、果たしてどこまで事象を"あるがまま"に観察できるだろうか?とも思います。もちろん、客観的事実ではなく、詩情的、哲学的な読み取り方を求めるなら、話しは違ってくるのですが。

つまりここで言いたいことは、事象を出来るだけ客観的に観察しようとするとき、右脳マインドを働かせやすいB型は、より特性が高いだろうということです。

右脳をどこまでコントロールするか!

さて、脳をバランスよく活性させるという視点で見るなら、右脳の自由奔放さを制御する左脳に、いったいどれくらい介入させたらよいのか?というのがひとつにあると思います。その目安としては、能見正比古の挙げた気質表の「それが短所と見られるとき」という事柄にありそうな気がしています。

ただし、この長所短所というのは、現在の社会性の一般的な基準に照らして検証しているものです。すると、今の社会に今後修正が加えられていくとするなら、この長短表の中身も少々変わる可能性があります。今のところの、とりあえずの目安です。

どうやればいいのか、という具体的な方法については、各々のB型が、自分をよく見つめて工夫するのが良いわけですが、日本のスーパースターでもあり、B型代表選手でもある、イチロウ選手の例をあげておきたいと思います。

彼の公開されているエピソードは多くの人々に既に知られていますが、イチロー選手は、自分の調子を整えるのに毎日ルーティンワークを取り入れていたそうです。朝起きてから行うエクササイズや、食べ物に至るまで、かなり詳細な形と順序を決めていて、毎日それを繰り返すということです。これはまさに、左脳的な行動です。

B型は案外、気分の揺れが激しいというのがあります。上の表でいうなら「感情の振幅激しい」というところがそうですが、気分や感情が気ままに上下してしまう傾向にあるため、それが大事なプレーにも少なからず影響してしまうという悩みが、イチロー選手にもあったのかもしれません。しかも彼の目指しているのは、4割以上をコンスタントに打ち続けることです。イチローにとって、「今日はなんか調子悪いな」は、許されないのです。そこでルーティンワークを取り入れてみたら、それが功を奏したということなのでしょう。

ルーティンワークというのは、A型の人にとっては普通のことです。毎日の日常でなるべく面倒なことを考えたくないという理由で、朝の支度や仕事の片付け方など、効率の良い決まった動作と流れを随所に組み込んでいるA型は多いはずです。(※そのためA型の場合はB型とは逆に、「いつもと違ったやり方を日常に取り入れてみてはいかがでしょうか?」というアドバイスをすることになります。)B型の場合、そうした左脳的作業を意識的に取り入れていくことで、バランスが取れる可能性が高いのです。

それにしても、つくづく思うことがあります。社会はどうして、このB型的能力を、長い間押し込めてきたのだろうかと。「個性豊かに!」「自由にのびのび!」「創造的に!」などという文言は、教育者も口ではよく言うことだし、読んだことはありませんが、日本文科省の教育方針などにも、似たような事柄はおそらくあるだろうと予測できるのです。ところが、それが実現されているのを見たことは、ほとんどありません。

すると結局、日本社会でB型らしさを発揮して活躍する方たちというのは、どうやらスポーツの世界に多くなるようです。スポーツ界というのは、最終的には実力の世界なのでしょう。そこまでの道のりに多少の障害が生じても、結果さえ出せれば認められていく世界です。たとえ限られた世界でも、B型性が花開くのは、それだけでも素晴らしいことではありあますが、もっともっと、他の分野でも活躍できそうなB型たちが、日本社会にはウヨウヨと、眠っているような気がするのです。

ただし、これら社会におけるB型能力の不活性化には、B型本人たちにも責任がありそうで、そもそもB型たちというのは、気質表の短所の欄にもあるように、「野心」という観念が、良くも悪くも薄い傾向にあるのです。
「そんな事、考えるだけで面倒くさそう」という感じなのです。

また、もうひとつB型に顕著な特徴をあげれば、B型は何をするにおいても、それに興味を持つか持たないかで、その取り組み方に天と地ほどの差が出てしまうということです。ところがここにも難関があるのは、そのB型が、いつ何に興味を持つのかは誰にも、本人さえも分からないということなのです。

あるいは、B型の若い人たちから時折聞くのは、「興味のあることが見つけられないのです」という、諦めなのか、あるいは白けにも似た発言です。そこで私は、そんなB型たちを奮起(?)させるために、思いついたことがあります。簡単に結論を言うと、それは「ワクワクを追いかけろ!」ということです。

"ワクワク"というのはだいぶ抽象的な言葉ですが、理論的に説明するより、感覚的な「気分」に訴えかける方が、B型の人の耳に届くのではないか、と考えての提案です。何かエキサイティングなこと、気分が高揚するようなことを追いかけることが、結局はB型の興味を喚起させることに繋がるのではないでしょうか。

ただし大事なことは、そのワクワク感を維持し続けることです。ワクワクを維持し続けることで、たとえば最初は大したこともなかった興味が、次から次へと連鎖反応を起こし、大きなことをやり遂げたりすることも多いのです。(すぐに飽きてしまえば、大きなことに進化する前に終わってしまいます)

そういうわけで、B型へのメッセージはコレになるのです。

B型はワクワクを追いかけろ!」

こうした気分の高揚する感覚を持ちつづけるのは、右脳を刺激するのにも有効なので、他の血液型にもおすすめできるのですが、B型は特に、その感覚を大事にするのが良いと思うのです。そしてB型の場合、その右脳のワクワクに、左脳のコントロールを少々、意識的に取り入れることも大切です。


----------------------

【A型脳の考察】A型こそが右脳開発の達人かもしれない!?

脳内整理が得意なA型

■関連リンク:脳活動と血液型の関係

A型の脳が左脳優位ということが、脳機能の実験でも示唆されました。左脳が得意な仕事というのは、右脳が受け取ったものを言語化したり、分類して整理したり、それを理論化したりするようなことです。

A型の人の脳の中を覗くことはできませんが、A型の人をみていると、整理整頓が得意な人が多いと思うことがよくあります。もちろんそうではない人もおりますし、最近はむしろ苦手なA型が増えているとも聞くので、異論のある方もいるかもしれませんが、少なくも今のように生活空間に物が溢れる以前までは、総合的に観察した場合、やはりA型の多くは整理整頓が得意だと考えられるのです。

この整理整頓というのは、これはここ、あれはこのカテゴリー、これはあそこにと、適切に分類しなければなりません。ところが、雑多なものがいろいろあると、「さてこれは、どのカテゴリーに入れようか?」と曖昧なモノも次々出てくるわけです。そういうものも、スパッと、思い切ってどこかの引き出しに入れなければならないのですが、A型の人は、それが出来るのです。ケジメをつけるのが上手なのです。逆につけないとスッキリしないのです。

脳内整理も、これとよく似たようなとろこがあると考えています。ですからA型のそうした傾向を見ていると、左脳が優位なのはしごく納得できるわけです。(その反対にいるB型の人などは、こうした面が不得手のようです。何につけ、どうもケジメをつけられないというのが、良くも悪くもB型の大きな特徴傾向でもあるのです。)

友人同士の集まりなど、そのグループにA型が1人もいないと、「どうする?」「どこへ行く?」といい合っている間に、時間はどんどん過ぎていく…という感じで、しかも誰も仕切ろうとしないので、皆でフラフラしてしまうことなどがままあるのですが、そこにA型が1人でもいると、皆の方向が決まるのが不思議と早くなります。だからチームで動くときは、A型の役割というのは非常に大きく、周りも自然とその能力を頼りにしていくようになります。

現代社会というのは組織化がどんどん進んだ社会ですが、それに合わせて学校で学ぶ内容というのも、試験システムというのも、仕事の仕方というのも、とにかく全てにおいて、論理性とか合理性とか、そういうもので埋め尽くされています。

これらは要するに、左脳活動が主となるわけですが、そうであるとすれば、A型たちの左脳活動というのは、ずっと全開状態になっているのではなかろうか?と、私は想像するのです。すると、その疲労や負担は、かなり大きくなっているのかもしれない、とも思えてきます。

A型の場合、他の血液型のように、「面倒くさいから、適当に!」というようには、なかなかできない性質があるので、彼らは社会に合わせて、左脳を酷使せざるを得ないのかもしれません。A型への同情は一旦さておき、そういう現代社会のシステムの中で、私はA型脳についての、ちょっとした発見をしました。

右脳開発者にA型が多いのはなぜ?

A型の脳について考えてみるのに、私の体験談をご紹介しようと思います。

若い頃、私は会社を経営していたことがあり、その関係でいくつかのセミナーに参加する機会がありました。これは、一般的に行われているような企業セミナーではなく、起業家向けのプレミアワークショップのようなもので、最近まで流行っていた、"成功哲学"や、"潜在意識開発"のようなものです。特別な目的がない限り、こうしたセミナーに参加する機会はないと思うので、「いったい(そんな高い料金払って)何をやるのか?」と思われる方も多いかもしれません。

しかしやることは難しいことではないのです。知識も要りませんし、難解なテストなどもありません。むしろ逆に、決して頭を使ってはいけないのが、この類のセミナーの特徴です。どちらかというと体力の方を使います。そのほとんどは、「潜在意識に働きかける」というのがテーマになっていますので、ある見方からすれば「洗脳」と言えるような面もあるかもしれません。

ところが、こういうセミナーには、「成功したい」、「会社の利益を上げたい」などの、顕在意識全開の人たちが集まっているので、多くは最初に「ガツン!」と、プライドを叩きのめすことから始まります。穏やかなやり方もありますが、いきなりアッパーパンチを食らわす手法が取られることが多いようです。その方が効果があるからで、その意図は、「顕在意識を機能不全にして、潜在意識に働きかける」ためなのです。そして更に、参加者が面食らっているところへ、考える隙も与えず、今度は次から次へと課題を与え、一見意味のなさそうなゲームなどを行わせたりします。

たとえば、参加者を次のような状態に追い込みます。
  • 眠らせない!(睡眠時間約2時間)
  • 大声を出させる!(声が枯れるまで)
  • 泣かせる!(イジメるのではなく感動させる)
これらはいずれも、顕在意識を機能不全にするのです。ここで気付いたのですが、これらはA型の人に最も効果がありそうなのです。あるA型の男性などは、一泊二日のセミナーに参加する前と後では、すっかり人が変わってしまったようでした。彼は最初、小声でうつむきながら喋っているような大人しい人だったのですが、終わるころには舞台に堂々と立ち、大きく身振り手振りをし、吉本喜劇さながらの大爆笑プレゼンをやってのけました。

また、気功のワークショップに参加したこともあるのですが、そこでもやはり、潜在意識の開発を行います。そして最も素直に効果があったように見えたのは、やはりA型の男性でした。

一応付け加えておくと、こうした意識変革は数日もすると元に戻ってしまいます。もちろん記憶には残りますので、「自分もやれば出来るんだ」という、自信にはなっていくかもしれません。

その頃私は、脳と血液型を直接的につなげて考えてはいなかったので、「何かありそうだ」と思うぐらいのことでしたが、その後更に、「右脳開発」や「速読法」などについても知る機会がありました。すると、その開発者というのに、なぜかA型が多いのです。

七田教育という右脳開発の幼児教育を確立されたことで功績のある七田眞さんという方もA型でしたし、速読法を開発している方に会ったときも、やはりA型男性でした。とにかくこうした研究者に、やたらA型が目に付くのです。

後に、脳の実験を行ったところ、A型は左脳優位ということが分かりました。すると、「左脳優位のA型が、潜在意識ワークで力を発揮しやすいというのはどういうことだろ?」という疑問が湧きます。潜在意識といえば、どちらかというと右脳側が受け持っていることなのです。そして、右脳開発にA型が積極的なのもまた、興味深いことです。

左脳が仕事を放棄する時

実は左脳には、ある特徴があります。左脳は、疲れすぎるとパタリと働くのをやめてしまうのです。あるいは左脳は、あまりにも矛盾を見せられたときにも仕事を放棄します。理屈に合わない現象を何度も見ると、「バカバカしい!付き合っていられない!」という感じになるのでしょうか。とにかく考えることをやめてしまうらしいのです。
するとその時、右脳が「待ってました!」とばかりに活性するのだというのです。そしてこういう瞬間には、閃きが起こったり、直感が流れ込んできたりするともいいます。そうだとすれば、こんなふうに考えることはできないでしょうか。

普段、左脳を優先的に使っているA型は、左脳使いの達人ということにもなります。そして、だからこそ、A型は左脳を疲れ果てるまで使うことができるのです。他の血液型だと、そうはいかないかもしれないのです。途中まで左脳で一生懸命考えてはみるけれど、「ああ、もう面倒くさい!」となってしまう気がするのです。たとえばAB型の私などは、左脳が疲れ果てるよりも前に、まず間違いなく、眠くなってしまうでしょう。

能見正比古が「火事場の馬鹿力はA型に多い」、「開き直った時のA型は非常に冷静大胆で強い」、ということを本にもよく書いていましたが、これもまた、左脳の働きを止めて、右脳的に行動したときのA型なのだ、と考えられます。

A型は、そのやり方を習得したなら、左脳をコントロールすることが可能になるのではないでしょうか。もしもA型が、左脳を自在に、自分の意志で働かせたり休ませたりすることが出来るようになったら、右脳の力も存分に引き出すことができるかもしれません。

右脳はそもそも、素直にあるがままを見て、素直に感じ、素直に受け取る、ということが本来の能力なのですが、私たちの現代的な日常生活では、ほとんどは左脳に邪魔をされてしまいがちです。左脳をシャットアウトしたとき、やっと右脳は(自動的に)力を取り戻す、ということなのです。

人間の脳は、現在1015%、多くても20%ぐらいしか使われていないとも言われているのですが、人間がもう少し脳の使い方を理解して、それに意識的に取り組めば、もっと使えるようになるはずだと、私は考えています。

また最終的には、右脳と左脳を統合させた、全脳型になることが理想ではないかとも思います。我々の行った実験結果から、たとえば、「O型とAB型などは両方の脳を使う」とは言えても、だからといって上手く使いこなしているO型やAB型は少ないように思います。

脳の統合化を果たすためには、まずは、現代人の偏りすぎた左脳をコントロールすることが、大きなポイントになるような気がしています。それにいち早く取り組めるは、左脳の使い方を心得ている、A型なのかもしれません。


【O型脳の考察】映像記憶ならO型にかなうものはいない!?


O型の目はカメラなの?


■関連リンク:脳活動と血液型の関係

以前、TV の特集番組に協力した際、次のようなテストが行われました。

・ごく一般的な家庭のリビング(テレビ、テーブル、本棚など)をスタジオにセッティングし、各タイプの被験者(タレント)にしばらくそれを眺めてもらいます。
・後でテストすることを被験者には伝えません。(被験者 の皆さんは、「なぜそんな事するのだろう?」という不思議な様子で、それでも言われたとおり、漠然と眺めていました。)
・そして数日後、部屋にあった物をどれくらい覚えているかテストしました。
・結果は、7問中、6 問正解したのが O型男性。彼が1位でした。(2位が AB型で 4問正解、A型とB型は 1~2 問正解となりました。)

O型が映像記憶(写真記憶)に優れるというのは、能見正比古の報告でも頻繁に言われてきたことです。このテストでは、被験者にリビングのセットを見せる目的は伝えませんでした。ほんの数分間、目的もなく眺めていた場面であり、しかも回答したのは数日後です。ところがO型の人は実によく記憶していました。おそらく”写真のように記憶していた”と考えて良いのではないでしょうか。(残念ながら本人にヒアリングはできませんでした。)

以前、元サッカー選手の中田英寿氏について掲載されていた記事を読んだことがありますが、彼は、視野が非常に広いらしく、視界を180度、完全な映像として捉えることが出来るのだそうです。(それであの動きなのか!と納得しますが)

以下は通常の人の視野範囲を示してある図ですが、左右35°ぐらいまでが色識別ができる範囲となります。中田さんの場合、人の視野限界ライン左右100°のあたりまで、色も形も見えてしまうということのようです。

(画像はhttp//daikai.netdrive0501.htmlを参考にさせていただきました。)

類似の話しは、O型の知人友人の数々からも聞いているので、O型は視野範囲が広く、同時に写真記憶にも優れる人が多いというのは、それが全てのO型ではないにしても、特性として挙げられると言って良いかもしれません。

写真記憶というと、右脳の働きだろうか?と一瞬思ったのですが、右脳優位であるB型たちへのこれまでの取材では、彼らはそれについて得意だという認識は少ないようでした。このTVの実験でも B 型の結果は良くありません。

そこで写真記憶について調べてみましたが、これといったデータは今のところ見当たりません。わずかにあった情報によると、写真記憶というのは「古い脳」が関わっているようです。その為、人の場合も幼児期には、よく発揮される能力のようです。

私の予測では、古い脳と、新しい脳(大脳新皮質)の右脳側が連動することで上手く成立するのではないかと考えています。 また、O型遺伝子は余分な糖鎖を持たない土台遺伝子です。そのせいで、必要に応じて古い脳の力を発揮できるのかもしれません。幼児期もまた、新皮質が未完成なため、古い脳の発揮される場面が多いと考えられるのです。

O型は右と左を本能的に使い分ける? 

また、我々の行った左右脳実験の結果では、O型は、左右に関する有意性は見られず、しいていえばやや右脳に傾くのですが、むしろ両脳タイプといえそうでした。 そして興味深いのは、O型の場合、右と左を同時ではなく、片方ずつ使う傾向があるらしいことが、活性状態(血流状態)を見る画像観測において確認できたことです。(あるいは、片方ずつしか使えないのかもしれません。)

更に、次の実験結果を加味すると、O型は、左右脳を使い分けているのかもしれないということも示唆されました。これは灰田宗孝博士が行ってくれた別の実験です。

各タイプの男性に、初対面の女性と会話をしてもらい、男性の脳の活性状態を観察したのです。 するとO型男性は、相手によって活性場所を変えたのです。具体的には、A型の女性に対しては左脳を活性させました。そしてB型女性に対しては、右脳を活性させたのです。 O型の脳が、血液型の特性について知っているかのような的確な判断で会話を行うという、実にユニークな現象を見ることができました。もちろん、女性の血液型は男性に知らせていません。

O型脳のエクササイズ

O型が脳機能をより活性させたいとするなら、写真記憶、映像記憶という素晴らしい特性を生かし、より向上させることは良いことかもしれません。具体的なエクササイズは工夫次第でいろいろありそうです。O型の人は試してみる価値があるのではないでしょうか。

またO型は、必要に応じて左右脳を使い分ける器用さを持っているようですが、時として、一方に極端に偏り過ぎてしまう傾向もあるようです。 あるO型プロゴルファーがこんなことを言っておりました。 「O型は考えすぎたらだめだね、身体が動かなくなっちゃう」
つまり、考えることで左脳に偏り過ぎ、感覚や感性で動かす右脳的な動きが鈍くなってしまうのだと思われます。

脳の活動バランスが偏ることに連動して、ホルモンの働きにも影響を及ぼしますが、それは自律神経のバランスを崩すことにもなっていきます。この辺りはO型の弱点になりますので、こちらも意識して注意する必要があるかもしれません。

----------------------


2019-10-02

日本と韓国を想う(2)

(1700年韓国古地図/Wikipedia)

韓国と日本のすれ違い


韓国の学校で使われている歴史教科書で、日本語に訳されているものがあるので、それを一度読んだことがあります。そこには、「強奪」や「略奪」という文字が羅列され、日本人の感覚からすれば、史実を客観的に示した文章とはほどとおく、可笑しくなってしまうほど、感情的な表現です。いや、もしかしたら、日本の教科書の方があまりに味気ないのかもしれません。読み物としてなら、韓国の教科書の方がはるかに面白いとも思ったくらいです。

例えば弥生時代の青銅器について、その教科書に書いてあった内容を正確には覚えていませんが、だいたいこんな感じです。
「我が朝鮮人のご先祖様たちが、野蛮な倭人は技術がないから親切に教えてあげたのに、倭人はそれをまるで自分たちが造ったものだと言いふらしている…このように彼らは略奪を繰り返すのだ…」

私たち日本人がこれを読んだら、ポカンとしてしまうに違いありません。
私たちの歴史の教科書では、「弥生時代に朝鮮半島から青銅器が入ってきた」というような、平坦でつまらない箇条書きでしか読んだことがないのだから。日本の教科書は、繊細な思春期の子どもたちの感情を奮い起こすような記述は皆無といってよく、逆に、何らかの感情を呼び覚ました方が人間性を養うのにいいのではないかという内容でさえ、左から右へと、空虚に読み進めてしまえるようなものばかりなのです。

この違いとは、いったい何だろうか?
教科書については日本でもよく言及されますが、青少年たちが、感受性の敏感なときにそこで何を知るかは、その後の思考形成に大きな影響があるのはたしかなことです。私たちが、国家を先導する政府発行の教科書を利用する限り、多かれ少なかれ必ず、そこには政府の意図が織り込まれると考えられます。それが例えば日本と韓国では、上記のように正反対の教科書を生み出しているのかもしれません。

そして私が思ったことは、今回、あらためて朝鮮の歴史と日本との関係を冷静に眺めてみたとき、それぞれの国には、やはりそれぞれの成り立ちと、そこで暮らす人々のそれぞれの進み方があるのだということです。
それらに無用に干渉し合うと、歪が起こるのかもしれない。それは人と人との関係でも、似たようなものかもしれませんが。


「日本人はどこからやってきたのか?」の記事に紹介したように、最近の科学的調査をもとにした研究によると、これまで遺跡や資料などで特定してきた史実に、DNA解析を考え合わせることで、より明らかな史実が見えてくるようになってきました。今後は、歴史認識を180度転換するような事実も明かされていく可能性があります。

その新しい見解を加えて朝鮮半島の歴史を追っていくと、BC.10000年以前には、それよりもっと過去に原始人がいた可能性を除くと、朝鮮半島に人が住んでいた形跡は今のところ見つかっていないとのことです。その後、BC.5000年頃、朝鮮半島の地に、最初に渡ったのはどうやら日本の縄文人だったわけで、そしてその後、南下してきた北方の漢民族がそれら縄文人と混血したか、あるいは漢民族と馴染めなかった縄文人たちは南方に追われていったのではと思われます。

日本はその後、日本国として国を統一していくわけですが、その過程では、朝鮮半島南部に形成されていた百済、新羅などとは親密に交流していた時期もあります。しかし新羅の造反によって朝鮮半島と日本は断交することになり、以後、朝鮮半島は、モンゴル帝国に攻められ、その支配下に置かれた80年を加えると140年あまりの間、朝鮮ではモンゴル帝国との戦いが続きました。おそらくこの時期ぐらいには、朝鮮における縄文の、特に男子の血統は途絶えてしまったかもしれません。そしてモンゴル帝国の衰退により解放された後、李王朝を築きます。

一方の日本は戦国期を経て江戸時代に入っていき、鎖国をすると外部との交流を遮断しました。朝鮮と日本はごく限られた交流となり、朝鮮の人々は、いつの日からか日本を野蛮な獣のような人々が住む島だと思うようになっていったようです。

時が流れ、世界の状況は変容していきました。東南アジア諸国のほとんどは、欧米諸国の国々に侵攻されて植民地化されるようになっていきます。最後に残った極東の日本にも、その脅威は迫ってきて、およそ300年続いた江戸時代の鎖国を終わらせるよう圧力がかけられるようになります。そしてやがて、第一次世界大戦、第二次世界大戦へと、世界中が巻き込まれる戦争時代へと突入していくことになります。

反日感情の発端はなんだったのだろうか?

簡単に言ってしまえば、日本の朝鮮に対する強い干渉、おせっかいということかもしれません。もちろん日本側にとっては、単なるおせっかいではなく、朝鮮王国独立の大義名分を掲げた軍事的戦略もあっての干渉です。そして、日本はそれら全てが、正義の名のもとで戦いを進めていったに違いないけれど、当時の朝鮮にしてみれば、王朝をどう守るかという概念しかなかったはずで、日本の正義など理解するゆとりがあったとは思えないのです。

それは、朝鮮半島という地理的位置づけを見ても一目瞭然で、中国大陸の端っこに位置する小さな半島は、大陸側から攻められれば逃げ場は海しかなく、海洋側から攻められれば、大陸側の中国に頼るしかないのです。それ故に、朝鮮は中国とだけ正式な交易をし、日本とは違った意味で鎖国体制を長くとり続けていたのでした。ある意味朝鮮は、中国の属国という状態でいても、良いとさえ思っていたくらいなのです。

それが突如、あれよあれよという間に周囲の状況が動き出したかと思えば、日本に開国や独立を促され、清に日本が勝利して大韓帝国となったかと思えば、今度は日韓併合へと向かってゆくのです。(朝鮮側から頼まれたとも言われていますが)日本は不条理なことはしなかったとはいえ、結局全てを日本流の基準にしてしまったわけですから、実質的には民族消滅という気分だったのかもしれません。

もちろん日本のこれらのやり方は、西欧諸国がアジア諸国を植民地化したのとは大きく違っており、明らかに一方的な搾取や支配ではありませんでした。そして日清戦争、大韓帝国成立、日韓併合、日露戦争へと進む中で、朝鮮には当時から、常に親日派と反日派が存在していたということでもあります。その両者の意図が複雑に絡み合いながら、日本と朝鮮の関係をつくっていったのだろうと予測できます。その構造が、今も脈々と受け継がれているということなのかもしれません。

当時の朝鮮は、けして国としてまとまっていたわけではありませんでした。
人々の暮らしは非常に貧しく、住まいや道路の整備もほとんど行われていないような貧相な状態だったのです。それでも彼らは朝鮮人という民族の誇りを形成してきたに違いなく、日韓併合によって国が様変わりしていくことは、少なからず人々のプライドを傷つけたのかもしれません。おそらく反日派の集団は、そうした人民たちの感情を取り込みながら民族主義を喚起させていったと想像します。そしてある面では、これら急速に起こる変化に、朝鮮の人々はついていくことができなかったのかもしれません。

日韓併合をすると日本は、すぐさま道路や建物の整備、教育の導入など、実に日本らしく、規律にのっとり、粛々と近代化を進めていきます。田畑とはげ山しかなかった村の様子は、十数年で見違えるようになってしまったのです。日本は、自分の本国と同じぐらいに、インフラから制度に至るまで、みごとに韓国の街を整えてしまいました。日本人の気質からして、現在韓国が叫ぶような略奪や搾取、暴力などは、行われなかったにちがいないのですが、戦時中のことでもあり、厳しい態度や厳しい規律はあっただろうと想像できます。何しろ、日本への古くからのイメージは「獣の住む野蛮な国」だったわけです。日本的な厳しさを、一種の暴力的なイメージに捉えていた可能性もあります。

カン太「なんだよ~オレたちの世界は変わり果てたよ」
ニホ太郎「いいじゃん、結果的にきれいになったんだから」
カン太「頼んだわけじゃないよ」
ニホ太郎「あのときは助けてくれって、頼んできたじゃん!」
カン太「いやそうは言ったかもしれないけど、ここまでやってとは言ってないのよ」
ニホ太郎「やるなら完璧にやらなきゃ意味ないでしょ!」
カン太「やりすぎなんだよ!」

日本は知っての通りA型国です。一方の韓国は各血液型分布が拮抗している珍しい国でもあるのですが、パワーバランスでいうなら、「B型+O型」パワーが優勢になる感じです。私はAB型ではありますが、B型弟との会話を思い出しました。弟の部屋があんまり乱れているので、見兼ねて片付けたときのことですが、ちょうど上のような会話が繰り広げられたのでした。最後に弟は言いました。

弟「オレの居場所が無くなった気分だ」
私「え~?こんなに座れるスペース作ってあげたのに~?」

まあこんな、くだらないことではないでしょうが、日本がやり過ぎてしまったというところも、少なからずあったのかもしれません。そして日本が負けて終戦となると、日韓併合によって日本の一部という位置づけになっていた朝鮮半島は、兼ねてから朝鮮半島を狙っていたソ連と、それを阻止したい米国によって2分されてしまうという、悲しい結果になってしまったのです。

カン太「日本が干渉しすぎなかったらこんなことにならなかったんじゃないの?」
ニホ太郎「いや、そしたらソ連に占領されて民族は崩壊されてただろ?」

ニホ太郎「ん?おいキミ、もしかして中国の属国のままいれば良かったってわけ?」
カン太「・・・♪」
ニホ太郎「・・・」(ガックリ)
カン太「っていうか、日本が負けなけりゃ良かったのさ!何で負けたのさ!」
ニホ太郎「・・・」(真っ青)

そういうわけで、韓国の反日感情の根っこを探っていけば、日本とは異なる韓国なりの歴史感や価値観、心情的な行き違いにたどり着くような気がします。いずれにしろ、これらの大戦の傷跡が、反日感情として潜伏しており、それが政治的に利用されながら、今のいまに至るということなのかもしれません。


日本人の特異性というのは、世界の人々がよく理解できないかもしれない。

終戦後、日本は敗戦国として"悪"のレッテルを貼られることになりました。実際、日本が軍備を整え世界に出ていかなければ、世界中を戦火に巻き込むことはなかったかもしれません。しかし、そのまま座していれば、日本はソ連やアメリカ、ヨーロッパ諸国に、いいように侵略されてしまったのも間違いのないこと。周囲の近隣諸国を見渡せば、全ては植民地化され、そこにいる国の人々は、労働者でしかなく、あらゆるものを奪われ続けていたのです。日本は開国を迫られ、その事実を突きつけられ、日本は、日本の地と日本人を、何としても守らなければならなかったのです。当時の日本に、選択の余地はなかった。日本の宣戦布告は、日本からすれば聖戦だった。中枢部の思惑はどうであれ、少なくも、日本の兵隊さんはそう信じていたのでした。

当時の日本の人々は、「天皇を中心とした古代から続くこの和の国を、絶対に死守しなければならない」という使命があることを、意識はしていなくても潜在的に理解していたのかもしれません。それは、「日本人のゲノムを解析したらどこにもない日本人特有の特徴が見つかった!」という報告を聞いた時、まさに明らかになりました。それは日本古代の縄文人が持つ特有の遺伝子であったということも示しています。

実際に、日本軍の戦い方やその姿勢というのは、他のどの国とも、全く違っていたのです。
日本と、日本以外の国々とでは、まるで次元が異なるかのようでもありました。当時、日本は中国をのぞく大半のアジアの国々を、占領下に置くことになっていきます。ところが不思議なことに、戦後、朝鮮の国以外では、日本を深く憎もうとするところは無いといって良いほどです。それどころか、感謝されたり尊敬されたりするくらいなのです。インド、インドネシア、マレーシア、タイ、台湾、フィリピン…。
「日本が一緒に戦ってくれたおかげで、長く続いたヨーロッパ支配から解放することができた!」

共に日本軍に加わって戦った、東南アジアの国のある兵士は、あまりに厳しい訓練に自殺したいほどだったといいます。「けれど自分たちが戦って国を取り戻すことができたことを誇りに思う。日本のおかげだ。感謝している」と振り返っています。日本軍の規律は非常に厳しく、民家の襲撃や強姦、搾取などは、あり得ないことでした。もちろん問題を起こした隊員が皆無ではなかったようですが、それが発覚すれば厳しく罰せられたのでした。そもそも、聖戦だと信じて疑わなかった日本兵士たちにとって、そういう恥をさらすことの方が難しかったのです。

ところが、他の国々ではそうではなかったのです。戦争においては勝ったものが略奪も強姦も、好きにして良いというのが普通で、そしてまた、それが戦争の常識でもあったのです。
長い間、そのようにして世界の争いは繰り広げられていたのでした。そういう常識をあたりまえに持っている人々に、果たして日本軍の行動が、どこまで理解できていたのでしょうか。欧米諸国の中にも、日本は侵略して世界を支配したかったのだと、今も思い込んでいる人たちが多くいます。朝鮮の人々もまた、日本人も略奪者だと考える人がいても不思議ではありません。彼らは過去に、モンゴル王国による侵略で無残な目に合い、戦争の残虐さを味わったことがありました。しかも獣の者たちが住むと信じ込んでいた国である日本の軍が、略奪も強姦も、強制連行もするに違いないと思っても不思議ではないかもしれません。

現在の韓国において、反日感情を持つ人々が言うこと、あるいは学校の教科書に書いてある「略奪」「強姦」などの言葉を聞いても、日本人にとってはポカ~ンとするだけです。ところが、略奪や強姦などあたりまえだと、戦とはそういうものだと信じている人々にとってみれば、そんな話があるのは当たり前で、むしろ無かったことの方がおかしい、ということになるのです。つまり…

世界基準で見れば、おかしいのは日本人の方なのです!

そうだとすれば、これまでの反日運動派のあり得ない言動も納得できます。韓国の人々を反日に向かわせるプロバカンダは、それほど難しくないのです。そして私が思うには、私たちは日本人のこの特異性を、充分理解しておいた方がいいかもしれないということです。

一方、アジアの中で朝鮮半島を除いた他の国々が日本に好意的なのは、日本との関係がそれとは異なったからでもあります。他の国々は、実際にヨーロッパの支配を受けている最中であり、日本軍が一緒に戦って彼らを撃退してくれたという図式になります。しかし朝鮮半島は、植民地化はされておらず、清(中国)の一部とう形になっていました。日本は、清の背後には欧米諸国がいること、そしてソ連が狙っているという情勢を知っていて、それを攻防したいための韓国への干渉とも言えました。韓国に対する日本の取り組み方は、他のアジア諸国に対するそれとはずいぶん異なるものだったのです。


今の韓国は北朝鮮と統一したいというその1点しか見ていないのだろうか?

それにしても、現在の成り行きには、摩訶不思議なことが多すぎます。どう考えても、日本と米国と仲たがいしても別にいいよ、という方向に突き進んでいるようなのです。文大統領は、どうしたいのか?彼は「北朝鮮と統一したい」との一念しかないのかもしれません。しかし、北朝鮮側は、どのように考えているのでしょう?
疑問が深まるばかりなのです。

そもそも反日派の考えの根本にあるのは、大韓民国になることを望んでいたわけでなく、北朝鮮と統一して社会主義国家を築くことだったのだとも聞いています。いつの日かそれを実現させるために、ことあるごとに反日運動をおこし、あからさまなまでのプロバカンダを継続させてきたというのが真相なのかもしれません。しかし、それよりも何よりも、韓国民のどのくらいの人々が、文政権の考えに同意しているのでしょうか?本当にそれが韓国の選ぶ道なら、それを止める理由は誰にもどこにもありません。


双方が真実を知ることが大事

今は、インターネットが普及したことで、各々の主張や意見を個人が発信することができます。韓国にはものすごくたくさんのユーチューバーがいるのだそうですが、日本を好きになったという韓国人の若者たちが、彼らなりのユニークなやり方で、日本人に向けて情報を発信しているのをしばしば見かけます。
「私も子どもの頃は反日の教育を受けたから、日本には良いイメージを持っていなかったけど、日本に来てみたら日本がとても好きになった。そして韓国には、そういう若い人たちがたくさんいる。それをなんとか伝えたい」

彼らの思いは、そのようなものです。私は、韓国の若者たちの純粋さや素朴さを知っています。だからこそ彼らは、プロバガンダにも簡単に染まってしまうのです。「真実を知る」ということは、少し勇気のいることでもあります。またそれは、他人が押し付けるものではないということも、分かっております。あなたが信じることが真実であり、それでいいのです。

そうはいっても…あの純粋な若者たちを騙し続けるのは心が痛んで仕方がありません。彼らには、本当のことを知る権利があるし、その上で選ぶ権利があるのです。

もちろん私たち日本人にしても、多かれ少なかれ、教育やメディアに洗脳をされつづけてきているのも事実です。それは韓国のように、あからさまではないかもしれませんが、それとなく、知らぬ間に…。また、それは日本と韓国だけでなく、世界中のほとんどの国々で、あたりまえのように行われてきていることです。主要メディアの情報だけを受け入れて知らぬ間に流されないよう、気をつけた方が良さそうです。

最近の韓国では、学者たち中心の親日派といわれる人々が、若者たちに客観的な事実を伝えようと、書籍を出したり講義をしたり、さまざまな活動をしているようです。そのひとりが、日本の雑誌のインタビューに答えていた記事を読んだことがあるのですが、その方はこんなことをいっていました。

「反日派の考え方は、悪に対して善は何でもしてよいというものなんです。だから日本を悪に仕立てたら、理不尽なことをしても全く問題ないと思っているのです」
そしてこうもいっていました。
「日本の朝日新聞やNHKテレビなどでは、ときどき反日派に温情をかけるような発言をしていますが、それは温かい気持ちからだとしても、やめてほしいのです」

いや、全くその通り。実際のところ、これまでも韓国の反日感情を呼び起こすようなきっかけをつくるのは、なぜか日本が発信元であることが多いのです。

これは韓国の問題なのです。彼らが自分たちのより良い道を進み、つくることを、そっと見守るしかありません。思うに、現在さまざまな国において、日本と韓国のようなお隣同士、似たような問題が浮上しているようです。私たちは今、国家においても自分自身においても、アイディンティティを見つめ直す必要に迫られているのかもしれません。自分たちの国である日本という国を、私たちがどのようにしたいのか、よくよく考えてみる、良い機会を与えられているようにも思います。
今は韓国議論よりも、日本の未来を議論するほうが、よほど重要ですよね!



2019-09-25

日本と韓国を想う(1)

韓国との素晴らしい思い出を胸にして



現在、韓国と日本の関係が非常に悪化しています。
これまでは国同士の政治的な問題の範疇だったので、日本の人々も一部の関心を持つ人以外は、あまり気にすることもありませんでした。ですから経済的交流は変わらず盛んに行われていましたし、人々は韓国旅行や韓国ドラマを、心から楽しんでいたのです。

ところがここへ来て、徐々に雲行きが怪しくなってきました。この流れがいったい何の意味を持たせていくのだろうかと、普段は政治に関心の薄い私も、理解しておこうかと思ったわけです。話題じたいは、このブログテーマ「血液型人間学」とはあまり関係ないのですが、韓国は、ABOセンターとして、また個人的にも、深い深い思い出があるのです。


韓国においては、血液型人間学の啓蒙活動を1997年頃から10年ほど行いました。きっかけは、あるひとりの韓国人女性(AB型)の手紙に始まります。

「私は、日本で"血液型結婚学"という本に出会い、とても感激しました。この本をぜひ韓国語にして出版したいと思います」

そんな便りを送ってきた彼女は、本を出してくれるソウルの出版社を探しました。その出版社は女性社長、女性スタッフの小さな出版社でした。実は当初、能見俊賢と私は、それほど多くを期待していませんでした。ところが「血液型人間学」にすっかり惚れ込んでしまった彼女たちは、驚くべき情熱で次々と翻訳出版を成し遂げていったのです。

彼女たちの精力的なPRのおかげで、TVの特集番組や幼稚園での講演会など、さまざまな企画が行われ、私と能見俊賢は、度々韓国へ訪れることになったのでした。私は能見俊賢の秘書として、やり取りの全てを行っていたし、女同士ということもあり、社長(B型)とも室長(A型)とも、他のスタッフとも、心友と思えるほどの深い友情関係を築くことになりました。
私たちは、「人類平和のための血液型人間学」という、同じ目的を持った同志として、心を一つにしていったのでした。

しかしその後、残念なことが重なりました。
2006年、それはほとんど半年ぐらいの間に起こったことでしたが、最初に韓国出版社のA型室長のお母上が倒れ、親孝行の室長は仕事を辞めざるを得なくなりました。そして室長が抜けた痛手は大きく、その上、「血液型啓蒙」にあまりに力を注ぎ過ぎたことで経営が悪化し始め(申し訳ない)、活動を継続することがだんだん困難になってきたのです。そんな矢先、日本側では能見俊賢が急死してしまいました。
私たちの"日韓共同啓蒙活動"は、この年を機に、一旦終了することになってしまったのです。

私は今、その当時のことを懐かしく、そして彼女たちへの深い感謝を思いながら、なぜ韓国と日本の関係が、上手くいかないのかを、冷静な心で見つめたいと思うのです。10年もの間、韓国の心友たちとともに、仕事の上でもハートの上でも、親密に交流した私は、韓国にも韓国民に対しても、何一つ悪い感情を持ってはいません。だから私は、上辺だけの分析ではなく、韓国の人々の思いも理解しながら、そして私が思うことを正直に書いておきたいのです。

思い返せば、私たちが韓国で啓蒙活動に励んでいた頃というのは、金大中氏(A型)が大統領でした。彼が親日派であることは、金大中事件とともによく人々に知られていることです。(※ただし一方で、教科書問題など、後に批判も多いようだが。)あの当時、比較的に私たちは仕事がしやすかったのでしょう。その後の2003年、大統領選挙が行われたのですが、出版社の友たちは、誰が大統領になるかと非常にハラハラしていました。誰が総理になっても人々の暮らしに大して変わりがない日本人の私にとっては、そこまで神経質になることを不思議に感じます。

「そんなに重要なことなのですか?」
そう聞くと、室長が言いました。
「韓国は、大統領が誰になるかで政策が大きく変わってしまいます。もし、親日派の大統領が選ばれなかったら、私たちはこのプロジェクトを続けることが出来なくなるかもしれないのです」
「なんとまあ!そういうことなのですね」

私は驚くとともに納得し、また、彼女たちの真摯な思いに、改めて感謝したのでした。
運よく、とりあえずそれほど強硬政策をとらないだろうと思われていた盧武鉉(O型)が大統領となり、皆でほっとしたのを覚えています。そんな彼女たちと接する中で、韓国人たちの政治動向に対する敏感さを、それとなく知ったのでした。

実は、私がいちばん最初に韓国を訪れた日、少々問題が起こりました。
手紙をくれた翻訳者の女性とレストランで食事をしていると、どこからか女が現れ、私にすごい形相で走り寄り、私を襲おうとしたのです。そして何か罵倒するよう言葉を言って去っていきました。翻訳者の彼女はビックリして慌て、ホテルの人を呼ぼうとしたのですが、私が「ケガも何もないから大丈夫。話を続けましょう」と止めたので、周囲の人々にもほとんど気づかれずに事が済みました。

私は翻訳者の彼女にききました。
「今の女性は、何と言ったのですか?」
しかし彼女は、答えたがりません。
「あの人は、少し頭がおかしいのです。本当にすみませんでした」
そう言って、謝るばかりでした。

私はそのことを、旅の期間中はすっかり忘れていたのですが、日本に戻って思い返し、少し考えてみました。これから活動するにあたっては、さまざまな事に心して対応しなければならないと思ったからです。
「あの出来事はなぜ起こったのだろうか?」「私に非は無かっただろうか?」

そうして考えてみるうちに、だんだん頭の整理ができてきました。
私が泊まったホテルはソウルでも観光客の訪れる地域ではなかったし、高級ホテルでもなかったので、日本人はひとりも見かけませんでした。そういう中にいて、私は彼女と日本語で、ペラペラとしゃべりまくっていたのです。ホテルのレストランなので静かでもあるし、聞く人によっては耳障りな違和感があったかもしれません。女は少し頭がいかれているとはいえ、その違和感に刺激されて暴走したのかも。

実際、振り返ってみれば、そのときの私の状態というのは、韓国で翻訳本が出るという喜びと、1年近くやりとりをしていた手紙の主と会える喜びで、多少興奮気味でもあり、また、研究の啓蒙という大義名分のもとで、少なからず傲慢さがあったに違いないのです。私は、浅はかな己を深く反省し、他国へ仕事をしにいく時の態度と心持ちを、ただしく改めなければならないことを理解したのでした。そして、韓国の人々の感受性の強さを、わずかに垣間見た気もしたのです。

そういうわけで、私は10年間の間に、さまざまな状況で、さまざまな立場、さまざまな年代の韓国人たちと出会い、交流しました。その間、日本では韓国ドラマの「冬ソナ」が大ヒットし、日本全体も一種の韓国ブームとなっていったのでした。しかしその頃も、すでに学校での反日教育は、韓国人若者たちの日常の一部として行われていたはずです。それにもかかわらず日韓の人々の交流は盛んになりつつありました。そして私は、最初の小さな事件以来、一度も不愉快な思いや反日の声を耳にすることはありませんでした。



(つづく)


2019-09-21

日本人はどこからやってきたのか?

DNA解析と遺跡から薄っすらと見えてきた新事実


以前、日本人のゲノム解析で分かったことについて記事を書いたことがありますが、最近、それらの事実やこれまで発見されている遺跡などを整理して情報発信している、ひとりの研究者が注目を集めています。

◎以下の情報の多くは、長浜浩明(作家、古代史研究家)さんによるものです。


↓これまでの見解
日本人のルーツということでこれまでいわれてきたことは、紀元前14,000年頃に縄文時代があり、紀元前400年ごろに朝鮮半島から渡来人がやってきて、弥生文化を築いたというものでした。朝鮮半島からの渡来人とは、主にモンゴル経由、朝鮮半島を経てやってきた漢民族系(支那人=日本の呼び方)の人々です。そして弥生時代以前の縄文時代に住んでいた人々は、北方の大陸からと東南アジア方面からやってきた人々ではないかと予測されていました。

↓新しい見解
これまでは、朝鮮半島から渡来人がやってきたといってきたわけですが、実は民族の流れは朝鮮半島から渡って来たのではなく、逆に日本から朝鮮半島に渡っていたのだということが、明らかになってきたのです。

これについては、最初に朝鮮半島の歴史を眺める方がより理解しやすいようです。
まずは言葉では分かりにくいので、単純な表にしてみました。
(※資料元は韓国国立博物館)

さて、朝鮮史を眺めてみたところ、人が住んでいた証拠となる土器類が発見されているのは、紀元前5000年以降です。これらは日本でいえば縄文土器のことだそうです。それ以前は、旧石器時代以来、文化があった証拠となるものが何も見つかっておらず、おそらく旧石器時代にいたと思われる原始民族は、何らかの理由で絶滅したのではないかという見解なのです。

ある日本の学者はこの資料を調べたとき、なぜ韓国に日本の縄文土器があるのだろうかと不思議に思ったそうなのですが、その後、長浜浩明氏の考えを知って納得したということです。一方、日本の縄文時代は、紀元前14000年以上前から始まっていたことが分っています。つまり、朝鮮から民族が渡ってきたと考えるより、日本から朝鮮に民族が渡っていたと考える方が、この表を説明することができるのです。

その他にもそれを裏付ける事実はあるそうで、たとえば縄文人の人骨も、朝鮮半島南方で発見されているのだとか。(ほとんど発表されたことはないそうですが。)また、朝鮮史は14世紀頃に始まり、その頃は南方に少しの倭人(日本縄文民族のこと?)が住んでいたことも書かれています。これは、日本から朝鮮に渡った縄文人たちが、北方からの漢民族たちに徐々に追いやられて南へ集まったと思われ、最終的には半島から追い払われてしまっただろうとのことです。

またそこに至る間には、朝鮮半島全土で漢民族とのゆるやかな混血が行われていたと予測されるわけで、そういう中で朝鮮半島は国の形成をしていくことになります。しかしその矢先に元王朝に攻められます。そして大陸で起きたあらゆる戦争にはつきものだった悲劇が起こります。敗者の男子は皆殺し、女子は戦利品として強姦、女子の場合は妊娠して生き延びることが多くなります。

↓新たな証拠
こうした史実を裏付ける生物学的な事実も分かりました。まず、女性によって遺伝するとされるミトコンドリアDNAを現在の韓国人で調べると、日本人と共通のものが存在するといいます。ところが、男性によって遺伝するとされるy染色体については、日本人と共通するそれがないのだそうです。現在の韓国人女性は日本人(縄文人)の因子を持つ人がいるのに、韓国人男性は日本人の因子を持つ人がいない。なぜそのような不自然な現象になっているかを想像するなら、前述のような歴史上の出来事があったからだと考えられるのです。

上記にあげたことを日本史の視点で整理するなら、日本には紀元前14000年以上前から縄文文化を残した人々が暮らしており、紀元前5000年ごろに日本のその一部の人々が朝鮮半島に渡って民族文化を形成しようとしていた。しかし北方漢民族の人々によって追いやられてしまった。ということになるのでしょうか。

更には、沖縄で興味深い古代の遺跡が次々と発見されています。それによると、旧石器時代といわれる27,000年前の人骨が発見され、また、約7000年前とされる縄文土器も発見されています。この縄文土器は、本島の群馬県で発見されたものと同じ形質のものであり、つまり、その頃すでに、沖縄を含む日本列島では、広くひとつの文化が形成されていたであろうと推測できるのです。

沖縄については、日本本土とは異なる民族と思われてきたところがあるのですが、これについても生物学的見地から調べたところ、それが台湾などの南方とも、大陸からの科民族とも異なり、日本本土の人々と同じであることが分っています。そして沖縄と対比してよく言われるのがアイヌ民族ですが、こちらは日本人とも沖縄人とも、あるいは大陸や南方とも異なるようです。(※ただし、縄文人特有の遺伝子においてはアイヌ民族が最も強く、次に沖縄、次に日本本土となるようです。この辺りは、アイヌや沖縄より、日本本土の方が混血が多いということかもしれません。)

ここで興味深いのは、日本本土の人々は、沖縄の人々のゲノムに比べると中国人や朝鮮民族にやや寄っていることろがあります。これは、日本本土では後に他国から渡ってきた人々をそれなりに受け入れてきており、ゆるやかな混血が行われたからだろうとのことです。そう考えると、沖縄の人々こそが、日本古来の縄文人の血統を強く残しているのかもしれないということになります。

これについては言語からもそうであって、沖縄の言語は日本古来の言語に、より近いのだそうです。一方の現在に至る日本語は、中国の漢字を取り入れたことで随分様変わりしてしまったのです。

しかし、それでは日本人の文明が大陸や朝鮮半島からではないとすると?現在の日本を日本たらしめ、日本人たらしめるものとは、どこからやってきたのでしょう?

以前の記事【科学ニュース】日本人のゲノムを解析したらどこにもない日本人特有の特徴が見 つかった!でも紹介しましたが、この日本人特有の特徴を持つ遺伝子というのは、おそらく縄文人の遺伝子に違いありません。しかし人類はアフリカを起点に拡散しながら渡ってきたと考えられているわけですよね?それなのに日本人は、地球上のどの国の人々とも異なる遺伝子を持っているというのです。(アメリカインディアンと少し近いのだそうですが)
謎は深まるばかりで、結局「日本人はどこからやってきたのか?」という命題に答えることは、まだできないようですね。


-------------------------------------
ここで日本の血液型分布について再度紹介します。


この図があらわすところは、日本は関東を中心に東北へいくほどB型が多くなり、西南へいくほどA型が多くなるというものです。オレンジ色で囲ってあるところはXゾーンといって、どのタイプのゾーンでもない平均ラインの範囲内に位置するゾーンということになります。
沖縄はXゾーンですが、前に記述したように、沖縄は日本古代人の形質を純粋に残している可能性があります。西日本などは朝鮮半島と近かったため、その分大陸から渡ってきた人々との混血が進行したのではないかと想像できます。

だとすると、日本古来の元の血液型分布というのは、沖縄や東北に見られるようなXゾーン分布であった可能性が高くなります。つまりは基本分布ですね。また、日本人とは異なるゲノム(縄文人特有の遺伝子以外は異なるという意味だろうか?)を持つというアイヌの血液型分はこちらです。
           アイヌ民族 O型28% A型36% B型26% AB型10%

アイヌはAゾーンに入ります。B型もそれなりに多そうに見えるのですが、O型が少ないことで統計的なバランスではA型ゾーンになるのです。アイヌ民族は狩猟民族ですが、北方から何らかの理由で逃れて北海道にたどり着いたのかもしれないとのことです。

一方縄文文化というのは狩猟文化だと思われてきたところがありますが、土器の分析から稲作の証拠が見つかっているので、純粋な狩猟民族ではなかった可能性が高くなっています。

他に加えるとすれば北海道のO型の多さです。あるいはシベリアなどの北方から渡ってきた人々の影響があるのかもしれません。シベリア地域の血液型分布はO型が非常に多いです。また北海道でも縄文土器が多数発掘されていることから、北海道は日本民族、アイヌ民族、その他の北方民族が入り混じっているのでしょう。


さて、以上が日本人のルーツに関する新しい情報のまとめです。朝鮮半島との関係性において、これまで認識されてきたことと真逆のことが明らかになりました。また沖縄についても、これまで沖縄民族は言語も随分異なることもあって、日本人とは少し違う民族だと思われてきました。

実はこれらは、全く寝耳に水というわけではなく、遺跡や資料などはずいぶん前から存在していて分かっていたわけですから、よく調べればある程度の推測はできたはずなのです。ところが、それが学者たちの怠慢だったのか、あるいは他に政治的な理由があったのか。誰もそこに触れようとはしなかったといいます。そして今に至るまで、NHKのドキュメンタリー番組などにおいても、定説にしてきた「朝鮮半島からの渡来人が日本の弥生文明を築いた」と紹介しているようです。

しかしそろそろ、私たちは、真実を知る必要があるのではないでしょうか。こうして今、DNA解析の成果によっても、ごまかしようのない事実が次々と明らかになってきました。
そろそろ、潮時じゃないのかな。(←意味不明??)




2019-09-20

血液型でこれまでの政界をちょっと眺めてみました(おまけ)

A型小泉純一郎とB型安倍晋三がとった対照的な選挙手法?

21世紀に入る頃、『世紀末論』のようなものが世界中で噂されていましたが、預言者たちのいうような"終わり"には実際はならず、がっかりしたような、ほっとしたような。けれど、21世紀に入ってしばらくした今、あらためて振り返ってみれば、やはり次の時代に入ったのは、間違いなさそうです。

例えば日本の政界を眺めれば、戦後から20世紀終わり頃までは、"派閥政治"というのを中心に政治は行われ、良くも悪くも、それはそれで日本の政界を安定させていました。ところが21世紀に入ると、小泉純一郎先頭に、あらゆる構造改革や派閥の解体が始まったのでした。
その時人々は、単に、積み重なった目の前の問題を解決するための、少々大胆な政策というぐらいにしか捉えることはできませんでしたが、今考えれば、それは日本丸が大きく舵を切る、方向転換だったといって良いのかもしれません。そしてそれは恐らく、世界各国の流れと共に起こったものでもあるのでしょう。

インターネットによる情報の拡大、株式市場などに見られる金融取引、グローバリズム。世界は(といっても欧米主導の先進国が中心ではありますが…)、あるひとつの方向に向かい始めました。そういう大きな変化の中で、さまざまな不安や懸念材料が沸き上がりましたが、それでも大きな川の流れが止められないのと同じように、行くところへ行くしかないのだろうと、人々は流されてきたように思います。

ところが今、その流れを遮るかのような出来事が次々に起こり、世界中のどこもかしこもが足踏みしている状態になっています。遮っているのは、多くは自然災害です。あるいは米国の9.11事件も、そのひとつだったのかもしれません。まるで、「そっちに行ってはいけない!」と、天が少々荒々しいやり方で警告しているかのように思えてならないのです。

日本の政治をみても、今までのやり方がもう機能しなくなったのは分かっても、じゃあどうすれば良いのかは、政治家たちにも分からないのでしょう。小手先の政策をいろいろこねくり回そうとしているのですが、どれも大した成果が得られたとは思えないし、逆に政策を断行すると、その効用より歪の方が大きくなっている気がします。もっと根本的何か…政治家がよく言う"抜本的な"というような構造的なものとも違う、日本人の生き方そのものを見直さなければならないような、そんな気さえしてきます。

言葉で表現するなら、今必要なのは、「変化」ではなく「変容」ではないかということです。(話題が血液型とは遠く離れて、何やら違う方向にいってしまいそう…)
…前回の記事で、中島岳志大学教授の政治見解に触れましたが、彼が面白いことを言っていたのでちょっと紹介します。

選挙にはいくつかの戦略的な手法があるのだそうです。
ひとつは小泉純一郎の行った方法で、政治や選挙に無関心な人々を引き込み、投票率を上げることで票を集めようとするものです。そのため、郵政改革を推し進めたい小泉純一郎は「自民党をぶっ壊す!」と言い放ち、古い体制の派閥政治を解体するといい、天下りを無くすといい、「郵政改革」を明確に掲げて関心を集め、多くの人々を選挙に向かわせたのだといいます。

そしてもうひとつは、投票率を上げないようにする手法で、それには、できるだけ政策や他党との論点を曖昧にして、人々を無関心のままにしておくのが良いのだそうです。この手法が功を奏するのは、今のように一党が数の上で圧勝していて野党はバラバラという状態で、すると組織票を集めれば十分だということになり、今回の参議院選挙は、まさにその典型だったのだといいます。

小泉元首相の時代というのは、バブルは崩壊し国民は意気消沈。派閥政治による問題や汚職問題も次々と表面化し、うんざりしていた国民は、小泉純一郎の改革が何かいい方向に変えてくれるのではないかと大きな期待を持ったのです。小泉純一郎は、大方は「なるようになれ」というA型的な開き直りで、一か八かの戦法に出たのではないかと思います。ところが、A型が開き直ったときというのは案外成功することが多いのです。A型の場合、めちゃくちゃなように見えても、やはり土台の部分は慎重に積み重ねているものがあるわけで、この時も、ある程度は国民の総意を得ていると感じとったからこそ大胆になれたのだという気がします。

一方、今回の参議院選挙の安倍政権の場合、現在行おうとしている消費税増税は国民が歓迎しているわけではなく、憲法改正にしても微妙すぎる問題なわけで、できれば曖昧にして、野党とも積極的に論争を戦わせず、国民の投票意欲を失わせるよう煙に巻いてしまう方がよかったということでしょうか。なるほど、そういう戦略もあるわけですね。B型は、策を弄するところが多分にありますが、今回その策略が成功したということなのでしょうか…。

それぞれのお2人、血液型に対してのみなさんのイメージとは少し違うように見えるかもしれません。しかし「血液型人間学」的には、まさに血液型どおりに行動しているお2人です。その時の政治情勢によって戦術は変わるとはいえ、おそらく、安倍晋三は小泉純一郎がおこなった時のようなやり方はしないだろうし、小泉純一郎も安倍晋三がとった戦法はとらないだろうなと、思うのであります。

それにしても、その状況に合わせて、それに適した役者がちゃんと居るとも思えるこの現象、つくづく、世の中は不思議なものだと感じます。



2019-08-18

血液型でこれまでの政界をちょっと眺めてみました④

日本を2つに分かつ道


時代の大きな変化を迎えている今、21世紀に入ってからのおよそ20年の日本政治を3回にわけて振り返ってみました。果たして日本という船は、どこへ向かおうとしているのか?

今年2019年の7月に、参議院議員選挙が行われました。結果は自民・公民で過半数を上回り勝利。しかし改憲発議に必要な2/3議席はとれませんでした。投票率は過去2番目に低い48.8%です。予測通りの展開といえばそうでもありましたが、今回の選挙、新しい風が吹いてきていることを感じさせるものでもありました。新しい風の要になったのは、山本太郎率いる「れいわ新選組」の登場です。

山本太郎は、タレントとして芸能界入りをした後、俳優として活躍していました。彼の話によりますと、それまでは政治などにまったく関心がなかったそうで、しかし3.11東北大震災をきっかけに、「このままではあかん!」と、目覚めたのだと言います。

その後の彼の行動は実に精力的で、2011年4月には反原発運動を開始します。市民運動では何も変えられないと実感した彼は、翌年の2012年12月に行われた衆議院議員選挙に立候補します、しかし落選。それでも7万票を獲得しました。更に翌年の2013年、彼は諦めずに参議院議員選挙に出馬。そしてみごと666,684票を獲得して当選を果たします。

議員になってからの彼の行動も非常に積極的で、国会で各省の大臣や安倍首相を問い詰めるシーンが話題になっているのか、YouTubeには多くの動画が上がっています。山本太郎は、国会議員になる明確な目的を明言しています。
「自分の政党を作って政権を取りに行く!」そして「総理大臣なる!」そして「ひとりひとりを幸せにする日本にする!」

今回の選挙で、彼は非常にユニークな戦略を立てました。まず政党を立てるための選挙運動に必要な資金は、全て寄付によって賄われました。およそ4億円の寄付が集まったということです。山本太郎自身を入れて10名の候補者を立てましたが、それぞれが大へん個性的なだけでなく、共通するのはどの候補者も現場の当事者であるということです。

ふなごやすひこ(重度障害者)当選
木村英子(重度障害者)当選
やすとみ歩(女装することで自分らしさを発見したという東大教授)
はすいけ透(反原発を訴える元東京電力社員)
三井よしふみ(フランチャイズ規制法を訴える元コンビニオーナー)
大西つねき(お金の真のしくみを啓蒙する元外資系銀行為替ディーラー)
辻村ちひろ(環境保護職員)
渡辺てる子(シングルマザー・女性労働問題研究員)
野原ヨシマサ(公明党連立に反対し公明党候補に対立する創価学会員)

というように、現場を経験した人たち。血液型は山本太郎以外、残念ながら不明です。
れいわ新選組公式ホームページ
 
また、今回、政党要件を満たし国会に新風を吹かせるために立てたもうひとつの戦略は、特定枠を利用して重度障害者のお2人を国会に送り込むというもの。れいわ新選組のうわさは徐々に広まり、7月に入ると、東京の新橋や新宿の駅前ひろばは、山本太郎の演説を聞くために何百人もの人々が集まりました。また、この騒ぎ、若い人々が面白がっているだけかと思えばけしてそうではなく、ご年配の方々の支持も多く見られます。選挙後の分析結果では、投票者は40代、50代が一番多かったとのことでした。

最終的にフタを開けてみると、れいわ新選組としての比例区の得票数は2,280,252票。特定枠の2人が無事当選し、政党要件を満たすことになりました。しかし3番目に位置していた山本太郎は、比例区において991,756票という最大得票数を獲得しながら落選となってしまいます。ただ、落ちたことは残念なことではあったけれど、重度障害者の2人を国会に送り込めたことは大きな意味があり、自分は代表として活動もでき、次回の衆議院選挙に備えることもできるとし、それなりの手ごたえを実感しているようです。

さて、政界に永く君臨する与党議員たちは、この現象をどう見ているのでしょう。最初は山本太郎というタレントあがりの空気を読まない変わった議員、という程度の目線でしかなかったかもしれませんが、今回は、多くの市民を動員しているという事実を、明らかに垣間見せるものになったのは間違いないことです。これまでも、"政界の異端児"と呼ばれるような人物は時々現れたでしょうが、しかしそれも、同じ箱の中での異端だったろうと思うのです。ところが山本太郎の場合は、これまでの政界セオリーの箱には入らない、全く異質な方法で国会に挑んでいるのです。
 
この山本太郎現象を、「ポピュリズム」だとする学者もいるようです。ただし「ポピュリズム」については間違った解釈をしている人も多いとのこと。今回の選挙について日本記者クラブがフォーラムを行った中、中島岳志大学教授が現在の政治動向について分かりやすい分析を披露し、そのあたりの説明をしているので次にリンクを紹介します。

中島岳志教授は、山本太郎現象は日本だけで起こっているものではなく、米国で近年一定の支持を集め続けているバーニー・サンダース大統領候補の名をあげ、山本太郎は彼と同じ立ち位置にいるとも指摘。今後の新しい政治スタイルとして、欧米諸国では注目されつつあるのだと言っています。

山本太郎について、中島岳志教授は別のサイトでも特集しているようです。
(中島岳志教授は、山本太郎に興味シンシンのようですね。)

-------------------------
山本太郎はA型です。
彼の猛進ぶりは「石橋を叩いても渡らない」イメージのA型からは、だいぶ遠い存在にも見えますが、A型は覚悟を決めて一度思い切れば、誰よりも、猪突猛進にも変人にもなれるところがあります。

また、通常の血液型的セオリーで考えるなら、古い体制をぶち壊し(ぶち壊すを提唱したのはN国で山本太郎ではありませんが)、改革を唱えようとするのは、どちらかというとB型的ではないだろうか?とも思えます。しかしB型は、同じ壊すのでも案外、山本太郎のような熱のある戦法は取らないことが多いのです。それは"壊しや"と呼ばれている小沢一郎(B型)を見ても分かります。

さて、この山本太郎旋風は、ホンモノになるのでしょうか。血液型的に分析したとき、彼がA型であることが、実現する可能性を高めるかもしれません。日本がA型社会であり、社会システムもがっちり固められています。そういう中では、どんなに新しい良いアイディアを持ったB型が現れたとしても、いつの間にか弾かれてしまうのです。そしてそのB型は、どうして弾かれたのかさえ分からないことが多いことも。

実際、A型日本社会で成功したB型の方々というのは、100%と言ってもいいくらい、A型の支援者やフォローがあって初めて成し遂げているのです。けれど、A型的感性を理解している同じA型がそれに対峙しようとするなら、どうすればその隙間に食い込むことができるのか、どうすると弾かれるのか弾かれないのか、分かることができるということです。

そしてまた、スポーツと違ってヒーローになるだけでは人々を動員することは出来ません。山本太郎が人々と同じ目線で「力かしてくれよ」と訴え、兄貴的なリーダーシップを取ろうとするスタイルは、シャイな日本の人々を動かすのに向いているような気がしています。これもまた、A型が成功しやすいリーダーシップの取り方といえます。

-----------------
今回の、選挙の成り行きを眺めながら、日本に今、2つの道が見えているように感じています。

安倍首相率いる現、政界も、日本を思い、変化に対応しようと舵取りをしています。しかしそれは、これまで乗ってきた船を新しく塗り替え、装備を整えようとしている感じです。一方では、その船には、あまり乗る気にならない人々がいます。だからといって、別の船も今までは見当たらなかったのですが、そこに「こっちに乗ろうよ」と、新しい船を用意したのが山本太郎率いる、れいわ新選組なのかもしれません。どちらの船も、今のところまだ行き先が見えてきません。あるいは、もっと別の、第三の船が必要になるかもしれません。政治の混迷は、今しばらく続きそうな気配がいたします。


------------
(関連記事)


2019-08-17

血液型でこれまでの政界をちょっと眺めてみました③

安倍総理は『美しい日本」を実現できるのか?


◇自民党の政権復活

2012年12月、野田内閣解散に伴い、衆議院議員総選挙が行われました。
結果は野党に甘んじていた自民党が294議席、公明党連立では2/3議席を確保し、大勝して与党に返り咲きました。
一方、民主党は前回衆議院選挙の230議席から57議席に激減してしまいます。この選挙では民主党から分裂した議員たちやその他の参入者によって12もの政党が立候補していたというのですから、自民党以外はいかに混迷していたかがよく分かります。

そして安倍晋三が、内閣総理大臣に再選されました。
前回の辞任劇があったために、安倍首相が再び立つに至るには、それなりの経緯があったようです。

2012年9月、自民党内で任期満了による総裁選が行われました。
それは秋に行われるであろう衆議院選挙を見据え、次期総理大臣となる人物を選ぶ重要な選任でもありました。

そのとき、裏方で動いていた人物の1人が、菅義偉でした。

菅義偉=O型

※現内閣の官房長官

菅義偉は今年5月、「令和」元号の発表を行い、"令和おじさん"としても知られることになりました。
以下の動画はテレビ東京でおこなわれたインタビューですが、ご自分のことと安倍首相との関係についてよく語られています。
「菅官房長官語る①~③」


動画(③)の中で菅義偉は、安倍晋三に出逢った時から、「いつかこの人を総理にしたい」と思ったと語っています。
それを受けたインタビューアが「なぜか?」と訪ねると、彼はこう言います。

「育ちもいいですし」
「経験も豊富」
「懐が深くて柔軟性もありますし」
「他の人とは一味違っていた」
「確固たる自分を持っている」

菅義偉は、一見穏やかで口調も静かな、控え目な人物にも見えますが、インタビューの中でも言っているとおり、「勝負するときはしなくちゃだめだ」という、なかなかの勝負師だというのが分かります。あるいは、「これはいける」「今だ」という直感もよく働かせているようで、このインタビューからも、そのO型らしさがよく表れています。

安倍晋三は、2007年の辞任の後、体調を回復させると11月には政務に戻りました。
その後は勉強会などを積極的に開き、人々の声なども聞きながら現在に至る構想をより固めていったのだと思われます。
インタビューの中で菅義偉が言うには、安倍首相は前回の辞め方を気にして最初は総裁選立候補を渋っていたようです。
しかし、今がまたとないチャンスだと直感している菅義偉は、安倍首相を何時間もかけて説得しました。

菅義偉の根気勝ちともいえますが、「O型とB型のおもり関係」が上手く働いていたのだとすれば、B型の安倍晋三を説得するにO型の菅義偉は最適任だったとも思えます。
O型の率直な言葉は、B型の気分をよりポジティブな方向に上昇させる効果があるからです。またO型は、他の人にはないB型特有の感性を高く評価することがよくあります。もちろんそれは、そのB型が有能な場合においての話ですが、菅義偉が、安倍晋三の「他の人とは一味違っていた」ところや、「柔軟性や懐の深さ」に好感を持ったのも、O型の食指が動いたからなのでしょう。

こうして菅義偉の直感どおり、安倍晋三は総裁に選ばれました。そして衆議院議員選挙に自民党が勝利すると、第二次安倍内閣が発足したのでした。
するとこの報道を聞いた一部の人々からは、(こう言っては失礼ですが…)「あの軟弱な安倍が…?」という声が、聞こえてきたのも事実です。
一般市民から見れば、菅義偉が言うような「懐の深さ」や「柔軟性」などの安倍晋三の人柄は、伝わってはこないのですから致し方ないことかもしれません。
安倍首相に対する市民の期待は、当初はそれほど大きくなかった気がします。しかしその後、意外に健闘しているというムードが広がり、支持率も上昇し始め、安定政権へと向かっていきました。

--------------------
安倍首相は、「美しい国日本をつくる」というスローガンを掲げ、「"戦後レジーム"からの船出」を目指すとしました。
また、経済政策としてはアベノミクスと名付け、三本の矢を柱にする政策を打ち出しています。

しかし、"美しい国日本"と言われても、具体的なイメージがなかなか浮かんできません。
それを説明する定義は、「活力とチャンスとやさしさに満ちあふれ、自律の精神を大事にする世界に開かれた"美しい国、日本"」とされています。

また、安倍首相の著書「美しい国へ」の概要を見ると、「日本国家が変わろうとしている現在、日本を自信と誇りのもてる国家へとすることを理想とし、そのために保守、外交、社会保障、教育はどうあるべきかを説いている」とあります。

もう少し安倍首相の談話などからメッセージを拾ってみます。

安倍内閣総理大臣談話より
これは戦後70年を迎えるにあたっての声明文ですが、過去の戦争に対する経緯、追悼、お詫び、反省などを伝えると、今後の日本については次のように述べています。

「あの戦争には何ら関りのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」

では、安倍首相のいう戦後レジームとは?
日本で戦後レジームという場合は、第二次世界大戦後の日本において、GHQによって出来上がったとされる日本国憲法や、その他さまざまなシステムについてのことを指します。
つまり安倍首相は、これらの体制からの脱却を望んでいると思われます。

明確に要領をつかみきれないところはありますが、安倍首相の思いをイデオロギー的な視点を抜きにして、私なりに要約してみるなら
「敗戦からの自虐的な思いから脱却し、次の世代の子どもたちのためにも、国民が自信と誇りのもてる国にしたい。そのためには、ただしい歴史認識をした上で、自分たちの手で法を見直し、自分たちの手で国を守らなければならない。負の遺産を次世代に持ち越さないよう、今の我々の代でそれを行わなければならない」
ということであり、それは安倍首相の愛国心、そして使命感でもあるのでしょう。

一方の経済政策「アベノミクス」においては3つの矢として以下をあげています。
1.大胆な金融政策
2.機動的な財政政策
3.民間投資を喚起する成長戦略

そしてこれらは、小泉内閣の政策であった"小さな政府"を基本的に継承しながら行うものとしています。
また、具体的な最初の目標としては、20年来続くデフレからの脱却でした。
一方で、その他に取り上げられる重要課題としては、消費税増税、TPPなどの問題もあります。

まだまだいくつもの政策や課題が山積みになっている気がしますが、長期政権といわれるこの6年間で、どういう成果があったのか、国民の私たちにはよく分かっていないというのが正直なところでもあります。
また、安倍首相の描く「美しい日本」を、どれくらいの国民が共有、あるいは共感しているのかも、見えてこないように思えます。
そしていずれの政策も、日本国内だけではなく、他国との関係性を考慮せずには行えないという難問が横たわります。

------------------------
以下に、現在の代4次安倍改造内閣の顔ぶれと血液型を記載しておきます。
  • 総理大臣  安倍晋三
  • 副総理兼財務大臣 麻生太郎
  • 総務大臣  石田真敏
  • 法務大臣  山下貴司
  • 外務大臣  河野太郎
  • 文部科学大臣  柴山昌彦
  • 厚生労働大臣  根本匠
  • 農林水産大臣  吉川貴盛
  • 経済産業大臣  世耕弘成
  • 国土交通大臣  石井啓一
  • 環境大臣  原田義昭
  • 防衛大臣  岩屋毅
  • 官房長官  菅義偉
  • 復興担当大臣  渡辺博道
  • 国家公安委員長  山本順三
  • 経済再生担当大臣 茂木敏充
  • 沖縄・北方…大臣 宮腰光寛
  • 地方創生担当大臣 片山さつきO
  • 科学技術担当大臣 平井卓也
  • 五輪担当相大臣  桜田義孝
(O型=9名/A型=7名/B型=4名/AB型=0名)

第2次~第3次内閣までの顔ぶれではA型とB型が多く、O型が少なかったのですが、現内閣では、逆にO型が増え、その分他の血液型が減ったことになります。
血液型をリストアップしても、実際のところ、政治の場合はスポーツのようにチームワークを発揮するという単純なことではないので、血液型構成に何か意味を見出そうとするものではありません。
それでもO型が増えたことをB型安倍総理との関係性だけでいうなら、今の勢いを促進させるムードにはなりそうです。しかしO型とB型の関係で気をつけたい点は、トップに立つB型が力を失ったとき、O型は投げ出すのも早いということです。B型がO型に裏切られないためには、安易に弱みを見せないことも大切なのです。

また、安倍首相の同志としては麻生太郎副総理もいます。
麻生氏はA型ですが、A型が心強いのは、一度親交を深めたときには裏切る可能性が最も少ないことです。
麻生氏の声掛けで結成した議員グループ『NASAの会』には安倍首相も参加していますが、このメンバーが安倍内閣の骨組みを形成してきたようです。
故)中川昭一(A)
麻生太郎(A)
菅義偉(O)
甘利明(A)
安倍晋三(B)

安倍首相の周辺は案外A型が多いようです。
つまり、安倍首相はA型と協調していけるタイプのB型のようです。その点ではB型の脇の甘さをA型がフォローする形となり、今の安定政権も納得するところがあります。

補足として、政治家の行動に関する血液型的特徴は
「理念はあっても実際には現実的な行動をとるO型」
「理念と政策を柱に筋を通して行動するA型」
「理念というより談話や話し合い、根回しで解決しようとするB型」
などのことが言えます。



---------------------
(関連記事)