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2022-06-18

地球の未来の学校『SALAM』をご紹介します!

 


インドネシアで出逢った田んぼの中の、夢のような学校


”SALAM”(サラム)については、以前の記事で何度かお伝えしてきましたが、あらためてここに、この素晴らしい学校の魅力を特集しておきたいと思います。

SALAMは、インドネシアのジャワ島の中部にある、ジョクジャカルタにあります。ジョクジャカルタは、ポロブドゥール寺院遺跡で有名な都市ですが、その端っこの小さな村の田んぼの中に、SALAMはポツンと建っています。

SALAMは、フリースクールという形式をとっており、インドネシアの公式の学校ではありませんが、インドネシアの場合、フリースクールといっても各地域の市役所が監督する仕組みも整っており、それぞれの自由な取り組みを、国が認めています。インドネシアはイスラム教国ですが、他宗教も認めており、そうした少数派のための補完となる仕組みが必要になるという、日本とは異なる事情もあるからでしょう。そういうわけで、インドネシアには、さまざまなフリースクールが存在するのです。

SALAMは、Toto Rehardjo 氏と奥様(Sri Wahyaningsih)のお2人で、2000年にその活動を始めました。Toto氏は奥様と農業を営んでいましたが、若い頃には政治的改革活動に参加したこともあり、思想家、啓蒙家としてのお顔もあります。当初は、近所の人たちの”悩み相談所”、”憩いの場”のような形で、村の相談役として週末に人々と語り合ったりするような、そんな場をつくっていました。

Totoさんのお話は、村の人々の共感を呼びました。そして、周囲からの要望もあり、学校へと発展していったのでした。最初は、幼稚園から始まりました。すると、せっかく幼稚園でのびのびした子育てをしても、小学校に行ったら、試験や宿題でぎゅうぎゅうづめになってしまい、そんな既存の学校に子どもを通わせたくないという、親御さんのご要望が強くなり、今度は小学校を作ることになったのでした。そして、小学校から中学校へ、高等学校へと、SALAMで学んだ子たちが成長するとともに、SALAMもまた、中学校、高等学校と、次々とつくることになっていったのです。

インドネシアの小学校は、日本に比べて、非常に宿題が多いのだそうです。学校から帰っても3時間ぐらいかけないと、宿題を終わらすことができないほどの量なのだとか。なぜそんなことになっているのか…事情は深く知らないのですが、とにかく厳しいのだそうです。そういう訳で、親御さんたちの中には少なからず、インドネシアの教育方針についていけない人々がおり、SALAMのような学校が、各地で求められているのです。

また、それは日本も同じですが、子どもたちの中には、非常にユニークで、周りの子どもたちと協調するのが苦手な子もいます。あるいは、”自閉症”という西洋学者が勝手につけた名称を与えられてしまう子たちも最近は増えているようで、その受け入れ場所は現在のインドネシアにはないとのことで、SALAMは、そうした子たちの救済場所ともなっています。

このような背景の中で、SALAMは誕生しました。では、ここからは、SALAMという学校の具体的な特徴をあげていこうと思います。これらは、Totoさんの書かれた「SEKOLAH BIASA SAJA」(普通の学校)本と、わたしの取材、そしてワークショップの参加体験から、わたしが理解した内容となります。


(1)SALAMを運営しているのは父母たちです


フリースクールというと、もろもろの運営費は誰が負担するかといえば、それは親御さんたちです。親御さんたちには、経済的にゆとりのかる人も、ない人もいます。ある程度、基準となる学費はあるようですが、経済的ゆとりのない親御さんからは少なく、ある方からは多くと、ケースバイケースで話合いながら決めているといいます。

毎年、親御さんたちが集まって、年間のスケジュールと予算を立てます。それを人数で割り、それが基準となりますが、経済的事情により全額の支払いが難しい人が何名かいる場合、その分を負担できる方たちで更に配分して支払う、というような形にしているとのことでした。

また、小学校、中学校、高等学校と、次々と増える段階では、建物を増築したり駐車場が必要になったりと、その都度、お金が必要になりますが、それらも全て、親御さんたちが出し合っているそうです。もちろん写真の通り、けっして立派な建物ではありません。建築も、親御さんたちの友人の大工さんなどに助けてもらいながら、ほとんど木材で、手作りのお家のような感じです。しかし、そうしてどんどん増築していったので、Totoさんご夫婦が営んでいた農業をする田畑は、無くなってしまったのだそうです。






(2)SALAMに先生は要らない


SALAMには、”教師”はいません。代わりに、子どもたちの学びを支援する役割の”ファシリテーター”がたくさんいます。それは、時間にゆとりのある親御さんであったり、大学生のボランティアであったり、その他のボランティアの方たちです。

SALAMの考え方では、”教える先生”は必要ないのです。生徒は、自分たちで課題を見つけ、自分で学び方を考え、自分で答えを探しと、全て自分で行います。とはいえ、右も左も分からない中で、そのヒントを一緒に探してくれる大人の助けは必要なので、ファシリテーターという形で、大人たちが関与するのです。SALAMのファシリテーターは、「子どもたちに答えを教えてはいけない」というルールがあります。

これまで何人かの、教師の資格を持った人がファシリテーターとして参加したのですが、彼らはやはり、どこかに「教える」という概念と姿勢が身についてしまっているので、SALAMのやり方にはどうも馴染めず、あまりうまくいかなかったのだそうです。

「子どもに大人が教えることなど何もない」
と、Totoさんは考えています。

Totoさんの本の中にも、このような記述があります。

子どもたちに"教える"という考え方は、そもそも間違いを犯します。
いったい、どうやって教えるというのか?子どもは頼んでもいないのに?

Totoさんは、子どもたちは、大人が教えたり押し付けたりしなくても、自ら課題をみつける中で、自分で学んでいくのだといいます。そして、自分自身で学んで得たことは、一方的に教えられたことにことに比べて、遥かに高いレベルで身についていくのだともおっしゃっていました。

(3)SALAMに教科書は要らない(学びの進め方)


「教科書がなければ勉強ができないよ」というぐらい、日本の一般的な学校では教科書が必需品のはずです。多くの学校、多くの先生が、教科書の流れに沿って授業を行っているわけですから。ところがSALAMに通う子どもたちは、重たい教科書をカバンに入れて、くたくたになりながら登校する必要がありません。

先生もいない、教科書もない、そんな中で、子どもたちはいったいどうやって学んでいるの?と、誰もが不思議に思うことでしょう。

SALAMの子どもたちは、まずは、自分の課題を探します。田んぼに棲む虫のこと、今夢中になっているプラモデルのこと、好きな絵本のこと、おじいちゃんから聞いた昔話のこと…etc. 何でもいいのです。8歳なら8歳なりに、15歳なら15歳なりに、新学期になると、自分の課題を見つけることから始まります。その課題に取り組むなかで、資料をとりよせ、分からない言葉を調べたり、集計するために算数を学んだりします。更にそれらの課題を追求していくと、その事柄の周辺の歴史を調べたいと思うようになったり、地理を知る必要がでてきたりもします。はたまたそれに連動して、別の関心が高まり、次なる課題を見つけ出したりもします。

つまり、自分の課題にとりくんでいる中で、国語、算数、理解、社会など、一般的な教養が、自然と身についていくというしくみなのです。しかも、一般教育法の縦割り勉強法ではなく、横断的にすべてを同時に学んでいくことになります。この学び方は、何よりも、子どもたちが自分で考える力を身につけるのではないでしょうか。

学期の終わりには、生徒が順番に30分ぐらいの持ち時間をもらい、自分の研究課題について発表します。子どもたちは、発表会をひとつの節目の目標にして課題に取り組みます。発表会は、子どもたちを成長させる良いステップになるようで、他の子たちから受けた質問や感想などで自分の反省点を知ったり、次回への意欲につながったりするのだといいます。

しかしやはり、受験勉強に明け暮れる競争社会にいる人々は、「果たして、このような生温い勉強法で、社会に出れるのか?」と疑問を持つかもしれません。ここでインドネシアのフリースクールの仕組みをいえば、中学校へ入学する年齢、高等学校へ入学する年齢では、共通試験のようなものがあり、進級するには受験しなくてはなりません。SALAMの生徒たちも、もちろんこれを受け、ほぼ全員合格して進級しているとのことです。

そのような実績と結果がでているからこそ、親御さんたちはSALAMを信頼しているのです。それにそもそも、子たちの中には、勉学の好きな子、嫌いな子、スポーツの方が得意な子、さまざまいます。つまり、子どもたち全員が、上級学校へ進学する必要はないし、勉学が優秀である必要はないと考えているのです。

ある子が、夢を叶えるために、もっと深く学ぶために、大学に進みたいと思うなら、やはりそれ相応の勉強量をこなさなければならないでしょう。ドリルと睨めっこしなければならない時期もあるでしょう。でもそれは、その子が決めることなのです。少なくても小学生ぐらいの段階では、自分の興味と関心が、いったい何であるのかを自分で探すのが、大きな目的となります。いってみれば、「自分探しの時間」だといえます。そばで寄り添うファシリテーターは、そのお手伝いをします。

子どもの頃から、自ら探究する方法や、幅広い物事の見方を身につけることは、非常に重要です。この経験は、子どもたちの将来に大いに役にたつと想像できます。

(4)SALAMでは、お金のことも学ぶ


SALAMの考え方、やり方が、子どもたちの将来を支えるにあたって、非常に実践的で現実に即しているのは、Totoさんが、O型であることも関係しているだろうと、ひそかに血液型的視点でわたしは感じています。どんなにすばらしい理想を掲げたところで、あまりに現実離れしていれば、人々の共感を得られないでしょう。

面白いことに、SALAMでは、SALAM通貨を発行しています。この通貨は、SALAM内でのみ使える通貨として、生徒たちが制作した作品を売買したりすることができるのです。何と、通貨を発行したり預けたりする「銀行」も存在し、それらは生徒たちが役割分担をして運営しているのだそうです。むろん目的は、子どもたちに、世の中のお金の仕組みを、身をもって体験してもらいたいからだといいます。Totoさんが言うには、「子どもたちに、お金に振り回される人生を送って欲しくないから」ということなのです。

したがって、SALAMの子どもたちの中には、小学生でありながら、すでに立派に商売をしている生徒もいました。夏には、生徒たちの作品を出展し、村の人々を招待する祭典も行うのだそうです。

ある生徒の記録写真集

自閉症の生徒の作品



(5)SALAMは地域と共にある


SALAMのようなフリースクールをつくりたいと考えている人たちのために、年に一度、ワークショップを開いています。わたしもSALAMの取材を兼ねて、我々の研究員である現地のスタッフとともに参加することができました。そこにはインドネシア中から、30名ほどの若い男女が集まっていました。

Totoさんが、何度もしつこいくらい話していたことは、自分たちの土地や文化にしっかり根を下ろし、そして地域の人々とともに学校づくりをしなければならない、ということでした。SALAMでは、音楽やアート、農業に関心を持つ子どもたちが多いのですが、それはなぜかというと、SALAMのある地域が、古くから民族音楽やアートの文化があり、そして農業を営む人々が暮らしているからなのです。

Totoさんが、子どもたちの学びの中で強く訴えているのは、子どもたちの関心は、まずは自分の身近なことから始まるのだと。つまり自分たちの生まれ育った土地や文化について、じっくり学び、理解していくのが、もっとも好奇心や創造性を育んでいくことになるのだということです。若い人たちは、すぐに都会へ行きたがるけれど、その風潮は、将来的にはけっして国にとっても良いことではないとTotoさんは考えています。そしてTotoさんは、このジョクジャカルタのこの土地に、しっかりと根を降ろし、インドネシア国に、そして世界に影響を与えるような人物が、SALAMから育っていくのを夢見ているといいます。

Totoさんのお話は、いちいちもっともなことばかりです。しかし、集まった若者たちは、頭では理解するものの、自分たちにその実体験がないゆえに、「では、はて、わたしの町では、どうしたらよいのだろうか?」と、少々困惑気味でした。みなさん、SALAMのそっくり真似をすれば、自分たちにもできるかもしれないという、ちょっぴり安易な期待があったようなのです。しかしTotoさん、そこはキッパリ、「SALAMの真似だけしても、成功しませんよ」と、厳しく諭しておりました。

Totoさんは、地域の人々の共感や協力が得られなければ、やはり学校運営は難しいとおっしゃいます。SALAMは、むしろ地域の人々に求められて大きくなっていったようなものであり、「実は今となっては、わたしは何もしていないのです。実際に運営しているのは、親御さんたちと、この地域の人たちですよ」というのです。

学校づくりは、やはりそう簡単ではないのですね。相当に腰を据えて、信念をもって取り組まなければならないのでしょう。


(6)SALAMのお手本は日本だった!


SALAMのモデルが、日本の黒柳徹子さんの書かれた『窓ぎわのトットちゃん』だった、ということについては、以前の記事でお伝えしました。

Totoさんに取材をして、更に詳しくお話を伺ったのですが、Totoさんが、いちばん最初に触発された本は『わら一本の革命』という、やはり日本人の福岡正信さんが書いた本だとおっしゃいます。














Totoさんと奥様は、農業を営んでおりました。そこで”自然農法”という福岡氏の考え方を知り、”自然”であることとはどういうことかと、深く考えるきっかけになったのだといいます。そして、本来の自然の在り方への理解が、子どもの教育に繋がっていったのです。

窓ぎわのトットにあるトモエ学園の小林宗作校長も、子どもたちの、より自然な成長を助けるための教育法を実践していました。小林宗作さんは、散歩をしながら立ち止まると、木々をじっと観察していたそうです。ときにそれは、1時間にも、2時間にもなることがあったと、息子さんが思い返していました。

それにしても、SALAMという素晴らしい学校を創設したTotoさんの基底部に、2冊の日本の本があったなんて、わたしにとっては小さな衝撃です。もちろん日本人のわたしにとって、それは嬉しいに違いないのですが、しかしそのいずれも、日本では、忘れ去られた偉人たちなのです。

わたしが福岡氏の『わら一本の革命』を知らなかったので、Totoさんは少し意外そうな顔をしていました。これについては、わたし自身の無知のせいでして、日本に戻って調べてみると、自然農法の世界では”神”のごとくよく知られている人物だと分かったのでした。

空襲で燃えてしまった小林宗作さんのトモエ学園は、戦後、なぜ再建できなかったのだろう。小林宗作さんは、「もう一度つくろう」と意欲をずっと持っていたといいます。ところが、誰からも支持を得られなかったのだと。考えてみれば無理もありません。戦後の日本の教育が、どのように一方向へと矯正されていったのか、それを見れば、無理もありません。

福岡氏の提唱する自然農法が、日本の高度成長期の中で量産化が一気に進み、農薬づけの野菜が全国一律に流通するなかで、ごくごく一部の人々にしか受け入れられなかったのも、無理もありません。あの時代に、無理もありません。

かつての日本には、素晴らしい智慧があり、そういう智慧を生み出す人たちがいた。そしてそういう人たちが育つ土壌があった。今はどうなんだろう。今の日本は、いったいどうなってしまったのだろう。インドネシアから帰国する飛行機の中で、それらのことが脳裏をいったりきたりしながら、わたしは悶々としていたのでした。

とはいえ、それらの智慧は今、海の向こうのインドネシアに蒔かれ、その種が芽をだしました。SALAMのキラキラした瞳の子どもたち。その美しい空間を思い出すだけで、わたしはうっとりするのです。

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SALAM特集は以上になります。今後ふたたび、SALAMを訪れたときには、追ってレポートをご報告いたします。

SALAMの紹介動画もぜひごらんください。

未来の学校~SALAM



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愛を込めて。



2019-11-15

インドネシア報告2019

サッカー・ナショナルチームで血液型レクチャー


今回のインドネシアの旅でサッカー・インターナショナルチームのコーチたちに血液型のお話をさせていただきました。
「なぜまた、そういう方々に?」といいますと、現地研究活動員のエヴァさんが、あるご縁でチームのコーチに出会い、血液型の話をしたところ、もっと話を聞いてみたいということになったのだそうです。

以前私が、誰かと雑談しているときにサッカーのポジションと血液型の関係について少しだけ話をしたことがあったのですが、エヴァさんはそれを聞き逃さなかったようです。その方がサッカーのコーチだと知ると、つかさず血液型の話をしたのだとか。いやはや~、相変わらず機動力抜群ですね。
そんな折、私が今回タイミングよくジャカルタへ行ったので、それに合わせて席を用意して下さったということのようです。

コーチのお名前はインドラ・シャフリ( Indra Sjafri)さん。現役時代のポジションはミッドフィルダーで引退後はインターナショナルチームの監督やコーチを歴任されてきたそうです。血液型はA型です。そして写真のように、トレーナーなど管理チームの皆さま十数名ほどがお集まりくださいました。

お集まりの方々の血液型はO型が半分ぐらいで、A型とB型が同じぐらい。AB型はいませんでした。各タイプの体質、気質、そしてチームワークについてお話しましたが、大へん熱心に聞いてくださいました。

チームワークの話をするときには、どうしても、「B型はどうもそれが苦手です」と言わざるを得ないわけです。すると、苦笑いしながらも、B型さんはやっぱり少々意気消沈していく様子…。ですから最後には必ず、「しかしB型は、周囲に左右されず、個々の能力をのびのび発揮することができるのです」と、フォローいたします。(事実、ホントのことですからね!)

まあすると、インドネシアの方は明るくてノリがイイですから、「イエ~イ!!」と、B型さんたちからの歓声・歓喜があがり、私もフォローの甲斐があったとホッとします。

インドネシア・サッカーチームは、まだワールドカップやアジアカップに出られる実力には至っていないようですが、東南アジア大会ではそれなりの成績をあげているようです。もしも今後、インドネシア・チームが強くなっていったとしたら、血液型の知識がちょっとは貢献しているのかもしれませんね~。
ぜひ頑張って欲しいと思います。





2019-06-08

O型の人間愛が人類を救う

"愛の人"O型の真の姿、インドネシアにあり



◎田んぼの中の学校~SALAM

昨年の秋のこと。
インドネシアを訪問した際に発見した素敵な学校については、このブログにも紹介しました。
そして学校のオーナー夫妻のご主人が書かれた本を頂戴したので、帰国すると私は、Google翻訳の力を借りて、頭が爆発しそうになりながらも何とか読み終えました。

本には、オーナー(TOTO氏)の学校に対する熱い思いと、洗練された理念、それから親御さんたち(ファシリテーターと呼びます)の素晴らしい体験談がつづられています。
オーナーの思想や学校理念は、子どもたちへの愛情だけではなく、それが未来の地域社会、未来の国家、未来の地球をも見据えているかのように、真理を貫いています。
本を読みながら、何度も何度も、天を仰いではため息をもらし、感激に浸る私でしたが、中で思わず唸り、拍手をしたくなった箇所があります。

子どもたちに"教える"という考え方は、そもそも間違いを犯す。
どうやって教えるというのか?子どもが頼んでもいないのに?

いや、ほんとうに、仰るとおりです。
"教える"という行為こそが、人間の最も傲慢なエゴかもしれません。

世の中には、高い理想を掲げた良い学校は、きっとたくさんあるのでしょう。
しかし、"教える"という行為を外した学校など、そうそう見当たらないのではないでしょうか。それはもはや、"教"育ではなくなってしまいますし。(笑)
ですので、このSALAMという学校には、教える"先生"は存在しないのです。
先生の代わりに、ファシリテーター(支援者)と呼ばれる親御さんたちが中心のボランティアで運営されています。

それにしても、理想を掲げるだけではなく、それを実現できたとは、驚愕です。
TOTOさんに会わなければ!会って話を聞き、この目でしかと確かめなければ!

本を読み終えた私は、そんな衝動にかられ、インドネシア・ジョグジャカルタへ再び行ってまいりました。


写真左の男性がTOTO氏です。

学校を訪ねて「TOTOさんには何時ごろにお会いできますか?」
と学長さんに聞くと
「いつでも会えますよ。だって、此処に住んでるんですから!笑」

そうでした。
オーナー夫妻は、ご自宅の敷地を少しずつ学校にしていったのです。元々は、農業もされていたわけですが、幼稚園、次は小学校、次は中学校…高校と、各教室が増設されていき、今ではご夫婦の田んぼはすべて学校となってしまいました。

奥様との再会、そしてTOTOさんに会えて、私は大感激です。まる2日間、じっくりお話を伺うことができました。

教えることを外したSALAMの考え方は、とてもシンプルです。学校は、子どもが自らの自分らしさを発見するためにあるのです。そしてその自己発見を進めながら、子どもたちはさまざまなこと(必須科目)を自主的に学んでゆくのです。
 ―SALAMの学校内容については、何らかの形で別途詳しく紹介しようと考えております。

それにしても、TOTOさんの温かさがステキでした。何も話さなくても、ずっと傍に居たいような、まるで暖炉の傍に居るような、そんな気分なのです。学生たちは、学校の時間が終わっても、いつまでも帰りたくないそうで、私も同じ気分です。

「私もずっと此処に居たい。帰りたくありません。笑」

そして、前回のブログでお伝えした内容を訂正しなければなりません。
私の聞き間違いだったようで、オーナー夫妻はお二人ともA型だと記憶したのですが、TOTOさんご本人に伺ったところ、彼はO型でした。
つまりこのユニークな学校は、O型TOTO氏とA型奥様が、血液型「おもり関係」に即してタックを組み、夫唱婦随でおこなわれていたのです。そしてA型の学長がお二人の意思に深く共鳴し、忠実に運営を管理しているという感じのようです。

そうだったのか。この学校全体に広がる何ともいえない温かい空気感には、やはりO型が関わっていたのか!私は理屈ではなく、納得してしまいました。

教室の壁には自由自在の落書き。子どもは描きたいんです!

研究発表をしていますが、ゴロゴロ寝転がって聞いている子も。それもOKです。「そんなんでいいの?」と思われるかもしれませんが、実はそれでいいのです。

以前、韓国のテレビ局と行動実験を行ったことがありますが、子どもたちの好きなスタイルで学んだ方が理解が増したという結果が出たのを思い出します。

SALAMに恋している子どもたちです。


◎母の愛でできた自閉症の学校

「イチカワさん、とても成功している自閉症の子どものための学校があると聞きましたよ。行きたいですか?」
私がインドネシア行を伝えると、ホリィさんがそう提案してくれました。
「もちろんです!ぜひ連れて行ってください!」

数年前にエヴァさんが、幼稚園づくりの夢を語りだした時、それは私にとっても長年の夢であり、しかしそんな大きな夢が叶えられるだろうかと、半ば諦めの気持ちも拭えなかったのですが、こうして学校を訪ねる機会が次々に訪れてくると、私たちは既に、そこへ向かっているのだという気がします。
それはまだ、陽炎のように輪郭もぼやけて見えるだけですが、私とエヴァさんとホリィさんのトライアングルは徐々に形成され、焦点が合ってくるのを感じています。

自閉症の子たちのための学校というのは、ジャカルタから車で2時間ほどの、セランという街にありました。外観は、何だかとってもアーティスティックでステキです。



学長さんが学園について説明してくれていると、オーナーさんもやってきました。

インドネシアの私学校は、いずれもオーナーと学長という仕組みで運営されているようです。

学園オーナーはO型の女性で、学長はAB型の女性でした。
どちらも、ご自分のお子さんが自閉症で、「この子を何とか立派に育てたい」という母の強い思いから、お互いが共鳴し合って始まったのだそうです。

この学校には、87名もの、自閉症や聴覚障害、視覚障害の子どもたちがいると言います。
オーナーはおっしゃいます。
「この子たちは、他の子と何ら変わりはありません。ただ、彼らのリズムやペースが、普通の子とは少し違うだけなのです」

全くその通りだと、私も思います。
私が名刺代わりに血液型の本をお渡しすると、オーナーは大変興味を持ってくれたようです。
「血液型と自閉症の研究はしないのですか?」
と、熱心に質問して下さいました。

ぜひとも、ご一緒にやりたいです!

そして学園内を案内してくれたのですが、壁にはたくさんのカラフルでステキな絵が飾ってあります。
もちろん全て子どもたちが描いたものですが、多くはオーナーの息子さんの作品のようで、どうやらご子息は、山下清さながらの画伯のようですね。

そういえば…
日本の「ねむの木学園」を思い出します。

2階、3階へと進みながら、ホールがあるという最上階へ案内してくれ、中に入っていくと…。

何と、そこには子どもたち皆が、私たちを待っていてくれました。
これから、私たちのために、演奏や歌を披露して下さるのだそうです。


(写真最左の女性がオーナーです。)

写真の子どもたちが持つ楽器は、アンクルという竹でできたインドネシアの伝統的な楽器です。舞台の前方にいる先生の合図に合わせて、子どもたちが音を奏でていきます。
演奏が始まると、自分の番を食い入るように待ち構え、ひとつひとつの音を丁寧に奏でる子どもたちの真剣な姿と、その音のあまりの美しさに、私は息が止まりました。そして目からは、涙が次から次へと溢れ出てきます。

「おいおい、いきなりこんなに泣いちゃったらさ~」
などと思いながらも、涙は勝手に溢れて止まりません。笑
しかしこの涙、自分で言うのも変ですが、すごくサラサラしていて水のような涙なんです。
人間って、本当に美しいものに触れると、清らかな涙が自然と出るものなのですね。心が洗われるとは、まさにこういう感じを言うのかと、生まれて50年にして味わった、初体験です。

とにかくこの子たち、スゴイんです。演奏や合唱という、数十名全員で協力し合って行うようなことを、自閉症の子たちがちゃんと出来るなんて思えないかもしれませんが、この子たちは出来るんです。(もちろん、練習に人一倍時間はかかるそうですが。)
でもスゴイと思ったのは、そういうことだけではなく、彼らの素直さとハートの優しさです。

私がご挨拶をさせていただくためにマイクを持つと、みなさん、とても静かに座っていて、私の言葉に集中しているのがひしひしと伝わってきます。
そして私が、
「あなたたちの音楽が本当に美しいので感動して涙が溢れました」
と伝えたら、彼らは一斉に「イエーイ」と言って喜び、拍手喝采してくれました。
反応がとても早くて感度がイイのです。
私が訪れたことをみんなで歓迎してくれていることを、肌で感じさせてくれています。
何でしょう!この一体感は!

学園の隣のスペースではカフェも運営していて、料理から接客サービスまで、全て学生たちがやっています。
とても美味しいお料理でした。

「彼らが全部やります。ただ、彼らはどうしてもお金のことが分らないので、お金のやりとりを教えるのに少し苦労しました。
それで彼らに分かるようなシステムを作ったので、今は大丈夫になりました」
と、AB型の学長さん。

なるほど、「"お金"について理解するのが困難なのは、私と同じだわ!」などと、またもや共感してしまう私です。

「本当に素晴らしいです。驚きで言葉がないくらいで、私はまた、必ず訪れたいと思います」
そう、オーナーと学長に言い残してきました。

2つの"奇跡の学校"の共通点とは!?

今回の旅、私は2つの、素晴らしい学校を訪れました。どちらも、子どもたちが生き生きと通い、見事に成果もあげています。もちろん、いずれの学校も公式の学校ではありませんが、インドネシアは日本に比べるとその点では柔軟性があり、自由なスタイルの学校も認めていて寛容でもあります。

そして面白いことに、この2つの学校の運営方針には、いくつかの共通点があるのです。

①教員免許を持った先生は居ない。
教員免許を持ったいわば"教師"と呼ばれる人だと、この2つの学校ではどうしても上手く適合できないのだそうです。
②教師の代わりに子どもたちを支援している大人たちはいるが、子どもが本当にやりたいことを自身で見つけるのをお手伝いするのが主な役目である。
③子どものタレント性や個性を何より第一優先にしている。
④授業料は親の収入によるなど、それぞれ事情に合わせて相談にも乗り、非常にフレキシブル。

そして更には、血液型的な共通点がありました。
いずれの学校も、O型オーナーです。

能見正比古は、O型について2つの大きな特徴を掲げました。
それは、O型の人間味溢れる愛の深さと、そのもう一方にある現実性です。そしてO型は、そのどちらをも長所として生かすことができるが、どちらを強く出すかによって、そのO型への評価は分かれることになるだろうとも言っていました。もちろん能見正比古は、"愛の人"の部分を強く出すことをお勧めしていたのです。

この2つの学校のそれぞれのオーナーは、"愛の人"を体現しています。しかし"愛"だけでは、この世知辛い現代社会の中で、親御さんたちを納得させて理想の学校を運営することなど到底難しいに違いありません。そこには、O型の現実性が、大いに生かされているに違いないのでしょう。

今こうして日本に戻っても、私は2つの学校で感じた心地よさと温もりを忘れることができません。O型の多いインドネシアという南国の地だからこそ、O型の真の姿である人間愛が、素直に生かされているのかもしれません。しかし私は、これらの学校に、人間の目指すべき未来の姿を見たようにさえ思っています。そしてO型の生きる活力と、温かく素朴な人間愛、それなくして人間の明るい未来は、無いような気がしたのでした。

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愛を込めて


2018-11-20

2018インドネシアPartⅢ/O・B社会の中でA型チームが作ったステキな学校

ジョクジャカルタで見つけた"本当の学校"


今回のインドネシアの旅のもう一つの目的は、学校のリサーチでした。それは半年前のある日、「バリ島に"世界で一番素晴らしい学校"と言われているところがあるよ」と、知人から聞いたことに始まります。

早速インドネシアのホリィさんに聞いてみると、彼女もその学校については知っていると言います。
「そんなに有名になるほどいい学校なら、やはり見学しなくては…」

私は早速、ホリィさんに手配してもらうことに。すると、エヴァさんからも、一緒に見学したいとの申し出がありました。エヴァさんは、インドネシアの小さな町に血液型保育を取り入れた幼稚園を作りたい!という大きな夢を持っています。もちろん、それが実現したら私にとってもこんな素晴らしいことはありません。
そんな事で、私たちはバリ島のGreen Schoolを訪ねたのでした。


世界的に有名になっているだけに、各国からたくさんの人々が見学に訪れているようです。写真のように、校舎はすべて竹でできていて、別名「竹の学校」とも呼ばれています。学校は幼稚園から大学まですべて揃っており、少人数で授業が行われています。教室という閉ざされた部屋は無く、どの部屋も開放的で、黒板もありません。生徒たちは先生を囲んで輪になって、あぐらをかいたり、チョコレートをかじったり、寝そべったりもOKの、まったく自由な姿勢とスタイルで授業に参加しているのです。

そしてこの学校のもうひとつの理念はECO。自然に触れ、自然から学び、地球環境を大切にする心を育てていこうという試みです。温暖な陽気と、穏やかな人々が暮らす楽園バリ島の地にあって、とても美しい、まさに理想的な学校モデルと言えそうです。

ところが、難点があります。授業料が高すぎるのです。生徒たちは、恵まれている一部の家庭のお子さんたちばかり。インドネシアのバリ島にありながら、ヨーロッパやオーストラリアからの移住者らが半数以上を占めているようでした。これでは、現地の人々にとっては夢のまた夢となってしまいます。

エヴァさんと私は、少々テンションが下がり気味…。
「うわぁ~あんなステキなお家に住めたらいいな~~えー?10億円?そんなのハナから無理じゃん!」という時の気分と、同じかな…。

するとしばらくして、エヴァさんが言い出します。
「ジョクジャカルタに、貧乏の人が行く同じような学校があるよ」

何と、彼女はその学校のことを以前から知っていたというのです。
「見学できるかどうか、すぐに連絡をとって下さい!」
私は即座にそう言いました。

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そして、やってきました。
ジョクジャカルタにある、貧乏な人のための学校へ。そこは田んぼの真ん中にある、小さな小さな学園(ホームスクール)でした。
そんな小さな学園に、幼稚園から高校生までの生徒さんが通っています。授業が始まる前の子どもたちは、みんなそれぞれに遊んだり、本を読んだり、木登りしたり…。その一人一人の瞳はキラキラ輝いて、どの子もハニカミながらも優しい笑顔で私たちを迎えてくれています。

しばらくすると、学長さんがきました。A型の男性です。そして学長さんは、私たちに学校の説明をしてくれました。その理念や方針の内容は、まさに、私が思い描いている通りのもの!詳しい内容について、今回ここでは書ききれません(こちらの学校については、改めてご紹介すると思いますので…)が、何よりも私が共感したのは、『観察』を非常に大切にしているというところでした。

"自由に育てよ" ”個性を伸ばせよ”と、ずっと昔から言われてきてはいますが、だからと言って、自由奔放、野放しにして良いというわけではないはずです。子ども自身が自らの"個性"や"能力"に目覚めることができたら、子どもは自ら学んだり自制したり、理解したりすることができるのでは?そして、そのためには何が必要なのか、と考えたとき、『観察』すること…その力を身に着けることが、まず大切なのではないだろうか?『観察』する力が、物事の理解につながるのでは?そんなふうに、私は考えていたのです。そしてこの『観察』する力は、血液型人間学においても、非常に重要になってくるのです。

私はこの学園について、もっと詳しく知りたくなりました。エヴァさんの幼稚園作りの夢も、この学園をモデルにしてみることで、より実現の可能性が見えてきそうです。

学長さんのお話が終わるころ、この学園のオーナーだという女性が部屋に入ってきました。小柄のとても穏やかそうな女性です。血液型は学長と同じA型でした。O型とB型パワー全開のインドネシアの中で、子どもたちの教育を一生懸命考え、静かにひっそりと、小さな学園を運営していたのは、A型チームだったようです。

最後にオーナーが、この学園について書かれているという本をくださいました。
そして一言。
「この学園の基になっているのは、"窓ぎわのトットちゃん"なんですよ」

「え?そうなんですか?」
私はオーナーから出た意外な言葉に、驚きを隠せませんでした。窓ぎわのトットちゃんとは、黒柳徹子さんが通われた学校について書いた、有名なベストセラー本です。はるばるインドネシアの地で訪れた学校に、いたく感激していたら、何と、その原型は日本にあったというわけなのです。

私は日本に戻ると、早速、窓ぎわのとっとちゃんを取り寄せました。当時、あまりにも話題になった本なので、読んだ気もするのですが、何せ私はまだ二十歳前後。教育にそう関心があったわけではなく、一応手に取ってみた、というぐらいの記憶しかありません。

この本に出てくるのは、トモエ学園という小林宗作氏が創設した小学校。非常に自由な教育方針でリトミック教育法を実践したことでも知られているそうです。そして小林氏の教育もまた、『観察』を何より大事にしていたということが、本を読むとよく分かります。

それにしても、こんなにも子どものことを考えた方がおり、それを実現させた学校が、日本にあったという事実。それを、海を越えたインドネシアの地で、改めて知らされた私は、嬉しいのか?寂しいのか?もどかしいのか?何やら言いようのない複雑な気持ちです。

トモエ学園は、東京大空襲で焼失し、わずか8年しか運営することができず、その後も再校することは叶わなかったそうです。日本で、トモエ学園の教育を受け継ぐような学校は、以後、表れていないのでしょう。
ところが、海の向こうのインドネシアで、このトモエ学園の教育法を研究し、実に素晴らしい形で実現させている学園があるのです。

そうしてみると、日本には、世界のモデルになるような原型が、実はいろいろあったりすることが、多いような気がします。ところが、それが実際に活用され、花開くのは、海の向こうの地であったりするのです。インドネシアでエヴァさんの幼稚園が実現するなら、『血液型人間学』もまた、あるいはそうなるのかもしれません。

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愛を込めて。



2018インドネシアPartⅡ/先生たちの行動観察しました!

血液型的行動は先生方にもバッチリ表れました!


主催者プラノヲさんの計らいで、今回のイベントは全て血液型グループに別れて行って下さるという、本当にありがたい観察のチャンスをいただきました。

写真の奥から、O型(緑リボン)、AB型(黄色リボン)、B型(赤リボン)、A型(青リボン)の順で並んでいます。スタッフを兼ねている先生もいてメンバーが入れ替わるため人数は正確ではありませんが、各血液型のおよその分布は、O型14名、B型9名、A型8名、AB型4名ほどとなります。O型が一番多く、B型とA型は同じくらい、そしてAB型の順です。

さて、今回のイベントはペットボトルが主役。このペットボトルを利用して工作を作ろうということで、グループごとに2種類の課題で自由制作にとりかかりました。

O型グループは一致団結!ハートで埋め尽くした作品に!

こちらの写真はO型グループ。O型は人数が多いので2つのグループに分かれました。
こちらのグループはハートの形をたくさん作ってボトルにどんどん貼り付けています。どのグループより作業の取り掛かりが早いです。一人が直感的に行動を起こすと他のO型もすぐにそれに同調して一致団結します。もうひとつのO型グループも同じようなスピードでした。
普段は個性豊かで独自性を追求したがるO型ですが、グループでの作業や競争となると即座に団結できるのがO型チームなのです。




あれ?作業半ば頃になってきたら、なぜか輪の中にお菓子が出現~
私が半分冗談で「これは作品に使うのですか?」と聞きましたところ、「食べるんですよ~ハハハ~」と全員で大笑い。
とまあ、こんなところも、とってもO型さんらしいところです。




少し全体が見えにくいですが、ハートのボディーに羽をつけて蝶々になりました。
このO型グループ、最初は丁寧に作っていたのですが、だんだん他のグループが仕上がってきて時間が無いと感じたあたりから、一気に仕上げようとするあまり、少々最後が雑な感じでもったいない気が…。これはO型さんによくあることなのです。



見よ、A型ならではの作業の美しさ~

こちらはA型グループです。
2つ目のテーマでの作品ですが、何と、設計図が書かれています。他のグループはどこも試行錯誤で作品を仕上げている中、こんな段取りをしたのはA型さんたちだけでした。
しかも、作業場がいつもきれいに整っています。

ひとりがチョキチョキと折り紙を切ると、他の誰かがそのすりから片付けているという感じ。


他のグループは切り刻んだ折り紙が散らばっているのに、A型さんグループは作業が終わったとたんにゴミひとつ無い状態に!A型の仕事の美しさには脱帽ですね~

ただ、終了までに一番時間がかかっているのもA型でした。O型のように一番に仕上げようとして慌てるようなことはありません。こういう時のA型はマイペースにすら見えるほど自分の納得のいく手順で丁寧に進めます。これもA型グループの特徴ですね。

(写真は左がA型、右はB型の作業場です。)

打合せを全くしないでクリエイティブ度の高いモノが出来上がっちゃうB型



この観察が始まる前に、ホリィさん(B型)がこんな話をしてくれました。
ホ「B型は市川さんの言う通りホントに打合せしないですね~。私は従妹と妹の3人1組でバティックを作るコンテストに出ました。3人ともB型です。スタートして誰も何も言わずに自分の描きたい絵を布に3方から描き始めました。しばらくして私は言いました。"私たちは何を描こうとしてるんでしょう?"しかし、3人とも分かりません。だんだん時間が無くなりました。あと5分というところで、3人がそれぞれ勝手に描いた絵柄を見て、じゃあ、コレにしましょう。と、私がその中の一つに決めて、何とか一つの絵になるように工夫して完成させました。」
私「何を描こうか?という相談をまったくしなかったの?」
ホ「はい、まったくありませんでした」
それでも出来上がったものは、それらしくなったのだそうですから、何とも不思議。

そんな会話の後でのB型グループ観察です。
するとどうでしょう。ホリィさんの報告と同じ状況がここでも起こっています。
B型先生たちは、ひとりはボトルを四方八方から切り刻んでみたり、ひとりはボトルを潰してみたり…。それぞれが無言の中で勝手に試行錯誤を繰り返している様子です。「何作ろうか?」などという相談は一切行われておりません。他のグループはだんだん形になり始めていて、A型などは既に設計図が描かれているわけですから、何を作ろうとしているのかは一目瞭然。ところがB型グループだけは、上の写真のような状態で、何にも進んでおりません。さて、いったいどうなるのかしら?

と思いきや…。
いつの間にかこんな可愛いお魚さんが完成してしまいました。
グループのそれぞれが勝手にいろいろ作ってみる中で、その一人の作品がなかなか良く出来ている…そして最後の方で「あなたのそれにしよう!」ということになり、みんなで仕上げを手伝ったという経緯のようです。つまり、ホリィさんの経験と、まったく同じことが進行したというわけなのです。




そして面白いことに、作品としては一番クリエイティブ度が高いユニークな作品に仕上がっている気がするではありませんか!?

やはりAB型は中道を行く?

写真はAB型の創作作品です。
さてAB型は、どんな手順で作業を進めるのでしょうか?

これが実に面白いことに、A型とB型の各エッセンスを取り出したような作業手順だったのです。
まず、B型と違って全く話し合いがないということではなかったようです。
「何作る?」
「ちょっと作ってみるね」
「あ、そう。じゃあ、僕もアイディアあるからちょっと作ってみるね」
「ふんふん、なら、2つ作ってみて、よく出来た方を選んで出品しよう」
というような感じです。
AB型は4人いましたが、そのうちの2人がそれぞれ自分の作品を懸命に作り始めました。この時の2人は、すっかり自分の世界に入り込んで子どものように夢中~♪他の2人は「君たちに任せた!」とばかり、さっさと他のお手伝いに…。
そして結果、写真の彼の作品を出品することにしたというわけです。

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また、この作品作りで、プラノヲさんが1つの課題を出しました。それは、「ペットボトルを観察して思いついたワードを全て書き出して下さい!」というものです。
それにおいてもそれぞれの傾向が表れたのですが、まず、最もたくさんのワードを抽出したのはB型グループでした。「軽い」「透明」「音がする」「円柱」…etc。この、観たまんまを観察する能力というのはB型が得意とすることろで、これは右脳的思考によるものだと認識しています。またB型とは逆にAB型は、最もこれらワードの抽出が少なかったようです。こうした課題ではボギャブラリーが少なくなりがちなのはAB型にある傾向なのですが、おそらく複雑に考えすぎてしまうのではないかと予測します。分析が得意なAB型の一方にある弱点だとも言えます。
O型が面白かったのは、ボトルの観察とは関係のないワードが続出していたことです。「ハート」「愛」「可愛い」など、感情に付随するワードが多かったのもO型さんらしいです。


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いかがでしょうか?
それぞれの特徴が如実に表れていることが分るのではないでしょうか。これらの傾向は、子どもの観察でも、日本の数々の過去の観察においても、ほとんど同じ形で表れている内容です。
子どもも大人も同じ~♪国が違っても同じ~♪

そしてこうした現象を目のあたりにするたびに、「血液型体質、侮るなかれ!」と、私は心の中で呟いているのでした。
そして私は、考えざるを得ません。

例えばB型。そもそも「相談」とか「話し合い」とか、そうした集団行動では当たり前のことと考えられてきたことが、指導側の大人のB型先生でさえ、その感性を、実は持ち合わせていないというのが、この観察でも実証されているのです。だとすれば、現社会の多くのB型たちは、表面的にそのやり方に合わせているだけなのかもしれません。"合わせているだけ"の人生なんて、その本来の能力など、出せるはずもありません。
あるいは、このケースではたまたまB型が例にあがりましたが、他のタイプも、それぞれに仕方なく"合わせているだけ"の部分があるに違いないのです。

人間たちが、何れかの社会で、その枠に子どもを収めてしまおうとするならば、その子の本来の力はどれだけ削がれてしまうことか…。社会や集団としてまとまる必要があることも分かる。しかしだからといって、もしも真の能力の、その半分も出さずに生涯を終えていく人生が大多数となっているとしたら、それは個人の生命にとっても、社会にとっても、正しいことなのだろうか?

今回の旅には、実はもう一つの目的がありました。それは、エヴァさんの「インドネシアに幼稚園を作りたい!」という夢を実現させるための調査です。
私たちは、このイベントの後、ジョクジャカルタである学校を訪ねることになりました。そこで見た子どもたちの笑顔。その素晴らしい学校の原型とは!?
その報告は、後日掲載いたします。


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愛を込めて。

2018-11-07

2018インドネシアPartⅠ/O&Bパワー全開!

今年も行ってきました!INDONESIA


インドネシアの人々は写真を撮るのが大好きなのです!始めは数人で撮ろうとしていても、私も~私も~と、どんどん集まってきて、いつも結局こんな大人数で撮ることになってしまいます。

インドネシアでの啓蒙活動は、今回で5回目となります。
毎回行くたびに彼らのパワーに圧倒されているのですが、今回は、私自身がイベントに参加するという新たな挑戦をしてまいりました。

このイベントは写真の中央に写っている男性、プラノヲ(Pranowo)さんが主催しています。彼の血液型はB型。
プラノヲさんは幼稚園の先生方をトレーニングするため、数々のイベントを開催しています。幼稚園の先生方は、こうしたイベントでさまざまなゲームや歌や踊りを学び、自分の園に戻って子どもたちにそれらを教えることになります。

今回は、プラスチック削減活動を推進するイベントでもありました。
インドネシアは熱帯の国ですが、生水が飲めない上に2億人の人口を抱えているわけですから、ペットボトルの消費はものすごい量になります。ところがプラスチック再生処理やその意識がまだ追いついておらず、大きな環境問題にもなっているのです。そして小さな子どもたちにそうした意識を啓蒙するために、ペットボトルを利用した工作やゲームを提案しているのだということです。

とにかく、イベント大~好きなインドネシアの人々です。
先生方が、まるで幼稚園児のようにはしゃぎまくる楽しい輪の中に、私もすっかり巻き込まれてしまいました。
「イチカワさんは日本人なのに、みんなとイベントの全てに参加してパワフルですね~」
と褒められたのですが、私が写真を撮るために彼らに近づいていくと、「こっちへ来い~!」「あなたもやれ~」と引っ張り込まれ、結局すべて参加してしまったというのがホントのところ。
つまり、単にムードに流されたAB型のワタシだったというわけです。

O型とB型が集まると、誠に、にぎやかになるわけです。O型さんなどは、ピョンピョンとウサギさんが飛び跳ねてるような感じ!(オーバーじゃないよ)そういうムードが普通になると、A型さんのタガもはずれて素直にそれに同調します。すると、A型のサービス精神も加わって、一番騒いでいるのはA型さんだったりすることもあるのです。そしてクールなAB型でさえ、この流れに抗うことはできないのでしょう。
集団のムードというのは、血液型構成でも変わってきます。

とにかく楽しそう~♪
 

このペットボトルは椅子になります。
(最左からエヴァさん、ホリィさん…)
※今回、先生方の血液型観察も記録しましたので、後日の記事でご報告いたします。

2017-11-23

O型はやっぱりスキンシップが大好きな人たちだった!

O型と会うとなぜかハグしたくなる不思議!?

インドネシアの人々は写真撮影が大好きです。た~くさんの人たちと”フォト”を撮りましたwww

O型がスキンシップが好きだということは、能見正比古の研究以来、長年伝えてきたことです。
日本の子どもたちを観察していても、O型の子どもはホントに先生やお母さんにベタベタくっついている子が多いのです。
でも日本の場合、他国のようにスキンシップ的な挨拶の習慣がないせいか、大人になると表面はそれほど目立って感じないのですが、それでも聞いてみると、みなさん「はい、そうですよ」と肯定する人が多いのです。

インドネシアはO型の多い国。
そして南国ということもあって、人々は実に陽気でまんまる笑顔。
大人も子どもも、O型パワー中心に、誰もがスキンシップな友好関係を築いているように感じました。
行く先々で役所や会社なども訪問したのですが、それはそれはリラックスして仕事をしている雰囲気です。

写真は、突然の豪雨のため、仕事中の男性たちが雨宿りをしているところです。
皆が座っている細長い椅子らしきものは、スペースがたっぷりあるのですが、なぜか皆、一カ所にひっついて座っているんです。(いや、もっとこっちに座れば?みたいな…)
そして背中をくっつけて押し合ったりしながら、冗談を言い合って、ひたすら笑い転げています。
見ているだけで楽しそうでした。
人間観察目線で歩いていると、こんな風景が、あちこちに見受けられるんです。

今回、カリマンタン島へは、二度目の訪問です。
昨年会った方たちとの再会も、幾人かありました。
それで、改めてしみじみ思ったのですが、相手がO型だと、なぜか自然~とハグしたくなるんですね。
お互いに、目が合ったとたんに、ごく自然に、肩を抱き合うという、そういう挨拶になるのです。
ところが、同じこの地の人との再会でも、これが他の血液型だと、そういうわけでもないのです。

私はAB型です。AB型は本来、スキンシップがそれほど好きというわけでもありません。
私はたまたま他国の人々との交流が多かったせいもあり、割と気軽にする方かもしれませんが、それでも自ら進んで…というほどではなく、だいたいは、相手次第で相手のムードに合わせているところが多分にあります。すると、もうこれは、はっきりと、O型とO型以外では違う、というのが分かるのです。
相手がO型だと、なぜかしら…。お互い遠くから両手を広げ(自然とアクションまでオーバーになります)、まるで磁石にでも吸い寄せられるように抱き合い…感動の再会、となるわけです。

これはまったくのところ、O型魔法にかかったかのようです。(私が魔法にかかりやすいのかもしれませんが)
まあ、つまり、O型たちが、とても自然にスキンシップな人々なので、相手側も抵抗なく、それに馴染むことが出来るということなんでしょうね。

血液型特性の表れ方というのは、血液型の分布バランスと、その土地の気候風土などによって多少異なるところがあるだろうな、と思えます。
インドネシアの場合、O型多数にプラスして、この温暖で開放的な空気が、O型の大らかさを助長させているのかもしれないですね。

注)だからといって、O型が全員、ハグ好き、スキンシップ好きというわけではないのですよ。もちろん嫌がるO型さんだっているに違いないで、むやみに抱きつかないようにしてください。…www

2017-11-05

Terima Kashi ! インドネシア2017年 Vol.7

美しい島アンボン(Ambon)島にて


インドネシアは広いです。
世界最多の島々を抱え、人口は2億4千万で世界第4位。
その広域の東方にあるマルク諸島の端っこに、アンボン島という小さな島があります。
小さいけれど、インドネシア東部の最大の都市でもあるということです。

カリマンタン島でのゼミの旅が一段落しそうだったので、私はひとりで数日間、オラウータンのいるジャングルでリフレッシュ。そしてジャカルタに戻ることにしました。
当初、エヴァさんの故郷、トラジャなど、他に2カ所程の開催を予定していたようですが、準備が間に合わずにやむなくキャンセルになったといいます。
ところが、ホリさんが言います。
ホリ「イチカワさん、もしかしたらまだゼミがあるかもしれませんよ」
私「今から他を準備してるんですか?」
ホリ「はい、エヴァさん、さっき一生懸命に、電話で相談していましたから」

ということで決まったのが、アンボン市のゼミでした。
エヴァさんは、以前に一度、アンボン市でゼミをやったことがあるとのこと。そしてアンボン市の市長さんに交渉したらしく、市長さんが賛同して下さったので、話は一気に、トントン拍子に進んだようです。
そういうわけで、ゼミはアンボン市の主催で開催して下さいました。

左が市長さん。当日は出張でおりませんでしたがO型と聞きました。隣に映っているのが市長夫人(O型)で、彼女が仕切って下さいました。

およそ1週間前に決定し、数日前に日にちが確定したわけですが、日本では決してあり得ないスピードですよね。(笑)
アンボン島へは、ジャカルタから飛行機でおよそ3時間半。
市のスタッフらが迎えに来て下さり、夕食をしながらミーティング。

写真はアンボン島の名物料理だそうです。
葛湯みたいな感じですが触感がなかなかいいです。お皿に盛って魚介スープをかけて食べます。とても美味しかったですよ。


市が主催で呼びかけたとあって、1000人もの、幼稚園や小学校の先生方が集まりました。

この島は、昔は香辛料の島と呼ばれたそうで、オランダや中国など、他国の介入が多かったとのこと。そのせいでしょうか?他のインドネシア諸島に比べるとクリスチャンが多めですね。

今回の旅で、最後のゼミです。
少々疲れ気味の私でしたが、市長夫人やスタッフの温かい歓迎に心も和んだので、気合を入れなおしてテンションを上げることにしました。

ゼミでは、私が話すだけではありません。主催者の挨拶やエヴァさんの話など、いろいろな流れがあります。
ところが、インドネシア語の解らない私には、当然ですが、その流れがつかみづらいのです。
それで私は、ホリさんに聞きます。
「今、何を話してますか?」
するとホリさん
「ただの挨拶だけですよ」
と、実に…エヴァさんに負けず劣らずのB型っぷり。

私も、何もかもホリさんひとりに通訳させるのは申し訳ないという遠慮があったので、「まあ仕方ないか」と、これまでは諦めていたのですが、最後のゼミぐらいはしっかり締めたいところ。
「ただの挨拶でも、全部通訳して下さいね」
と念を押し、いちいちしつこく聞くことにしました。
AB型の私としては、やはり前後の流れがよく理解できた方が、その空気に入っていけるのです。
そういう感覚があまり無いB型ホリさん。
渋々顔で、やっとこさっとこ通訳してくれました。(笑)


O型の市長夫人。
颯爽として、とてもカッコイイ女性でした。
たった数日間の少ない会話の中でも、ポイントを外さないので人の気持ちをつかむのが実に上手いです。
さすが、O型姉御肌。

「血液型のことをよく知って子どもの教育にしっかり役立てて下さい」と、話してくれているそうです。



インドネシアの大きなイベントでは、最初に必ず、祈りの時間があります。
クリスチャンも多くいるアンボンでは、イスラム教と、キリスト教、両方の祈りがありました。(普通はイスラム教の祈りだけのようです)


エヴァさん。
彼女のスピーチは素晴らしいです。
何を話しているのかは分かりませんが、会場の盛り上げ方といい、話のリズムといい、なかなかのエンターティナーです。
皆さんいつも、エヴァさんの話に大爆笑!

ホリさんいわく
「エヴァさんの話はインドネシアの冗談が多いから通訳するのが難しいんです」
残念だけど、それは仕方ないですね。

後日、エヴァさんと笑いました。
「コメディアンになってテレビに出て、それで血液型の話をすれば、一気にインドネシア中に広がるね~」

アンボン島のゼミは、とてもいい感じで終わりました。
私としても、前後の流れをよ~く分かることができたので、安心して話すことができました。

やはり相手(B型)に、合わせてばかりではいけない、ということが、よく分かりました。(分かるのが遅い?)
その血液型なりの、自分なりの、最も適切で楽な"やり方"というのがあるものですよね。
相手とリズムを合わせながらも、自分のやり方で進む…。
これって、かなり難しいですね。
誰もが悩んでいるところだと思いますが、その最適なバランスを、見つけていきいたいところです。
今回の、私自身の反省と課題となりました。

アンボン市の皆様、本当にありがとうございました!

ジャカルタから日本へ帰国する日、ここアンボン市で大きな地震があったと知らされました。私たちがゼミを行った6日後の出来事です。会場はシティーモールで行われましたが、その天井が剥がれ落ちたと聞きました。日本ではニュースが伝わりにくいですが、おそらく今現在、大変な作業に追われていることと思います。市の皆さんのご無事を祈っております。


Terima Kashi ! インドネシア2017年 Vol.6

不思議!?わずか10分で血液型は人々に伝わる


バリクパパン(Barikpapan)は空港のあるシティ。
つまりカリマンタン島の玄関口です。
そのせいで外国人も多く滞在し、ムスリムムードもやや薄れるようです。
腕出し足出しファッションも、許される雰囲気があります。
洋食風のレストランもたくさんあり、カリマンタン島はどの店もアルコール類は一切置いていませんが、ここでは久しぶりにビールを飲むことができました。

ここでもゼミを行いました。
ゼミの前日に、市の文部省にご挨拶に連れて行かれました。
なぜか、エヴァさんは、いつも文部省へ行きたがります。(笑)
日本の感覚からすると文部省なんてオーバーな、と思ってしまうのですが、どうやらインドネシアはジャワ島などの中心地以外の離島では、政府と市民の密着度が強いようです。
すると、文部省から推薦してもらえば、先生方も「了解!」という感じで集まってくれるのだそうです。(文部省といっても、日本で言うなら市の教育課みたいな感じでしょうかね。)
そしてインドネシアは、日本に対して非常に友好的な国です。
建国記念日の国の儀式の際には、日本の国旗も掲げてくれるんですよ!
インドネシアの独立を日本が支援してくれたという歴史的認識があり、今でも義理堅く思ってくれているのです。
日本はイイ国、先進的でスマートで見習いたい国、というイメージが今でも根強くあるようです。(日本人は、こうした事情も少し知った方がいいですよね)
そういうわけで、”日本人が来るよ”というのは、結構アピールになるみたい。(私でいいのか?笑)

さて、文部省室の席に着いたとたん、いきなり話し始めるエヴァさん。

私: 「エヴァさんは何を話してるんですか?」
ホリ:「 明日のゼミに先生方を呼んでくださいと言ってます」
私: 「もしかして、彼女は今日初めて彼に会うの?」
ホリ:「 はい、そうですよ。だから彼は、"え?ゼミは明日?そんなに急に無理でしょう?"と言ってます」
私: 「そりゃそうでしょ、今日の明日は、さすがに無理なお願いでしょう~笑」

でもエヴァさん、「そこを何とかお願い〜!」という感じで、お願いポーズで省長に懇願している様子…。
そして突如、私からも何か話せとふってきました。
(オイオイ。何て言えばいいんだ?)
仕方ないので、研究について説明しました。(お願いはしないよ)


とまあ、いつものごとく、状況をあまり理解しないまま、事は進んでいきました。
しかし、省長さんもB型のせいでしょうか?
私たちの突然の訪問に、珍しさもあったからかもしれませんが、嫌な顔は少しも見せずに、エヴァさんの話も興味津々で聞いてくれています。

他にも省長の側近ら、A型男性とO型男性、A型女性が同席していましたが、エヴァさんの血液型の話をしばらく聞くうちに、話がだんだん盛り上がり始めます。

エヴァ「 だって、こうして座ってるのを見るだけでも分かるでしょ?A型の2人はきちんと座ってるけど、私なんかB型だから、ほら、全然違うでしょ?」

A型男性: (O型男性を指して…)「そうだね、私は彼のようにはたくさん発言しないよ。いつも静かだよ」

エヴァ:「私はO型の旦那と離婚しようと思っていたのよ。でも血液型の事を知って、O型の事が分かったから離婚しなくて済んだの。私の旦那、食べる事ばっかり考えてるの。それがO型の特徴だって分かって大笑いよ」

A型男性:「私の妻もそうだよ、毎日食べることばっかり考えてるよ(笑)私もO型の妻と問題あるよ(笑)イスラムは4人まで妻をもらえるから他の血液型とも結婚してみようかな」

私: 「4人なら丁度いいですね、全部の血液型の女性と結婚できますね」

A型男性「私の妻は毎日文句ばっかり言ってるよ」

私: 「O型の人は脳と口が直結してるから、思考に上ったことは口にしないと気が済まないのです」

A型男性:「そうでしょ。一度、黙ってろ!って怒ったことがあるよ。彼女は喋らないように我慢してたけど、すぐにストレスがたまって爆発しちゃったよ」

ホリ: 「省長さんはサッカープレイヤーだそうです」

私 :「ポジションはどこですか?」

省長:「 真ん中です」

私: 「ミドルプレイヤーはB型に合ってるんですよ」

O型男性: 「私はストライカーだよ!O型はそうでしょ?」

私:「 そうですね、O型はストライカーが得意です。そしてA型はゴールキーパーなどの守りのポジションで活躍しますよ」

A型男性:( ガッツポーズ!)

省長: 「さあ、皆んなで食事に行きましょう!カニの美味しいレストランにご案内しますよ」

そして、A型男性がスマホをいつまでもいじってるのを見て言います。

省長:「いつまでそれいじってるの?みんな待ってるんだよ」

A型: 「きちんと最後までやるから時間がかかるんですよ。私はA型ですよ」

手前から、A型女性、B型省長さん、O型男性。左からA型男性、エヴァさん、ホリさん。
皆、笑い転げてとっても楽しそうですね。


彼らは今初めて、血液型の話を聞いたんです。
エヴァさんが、血液型の説明をし始めてわずか十数分!
それでこの盛り上がりようです!

血液型は民族や国の違いに、あまり関係ありません。
人間共通の、ヒトの素材要素として、行動特徴に表れているからです。

とはいえ、特にカリマンタンの人々には、血液型の話がすぐにピンとくるようで、反応がものすごく早い気がします。
なぜでしょうか…。
ここの人々は、あるがままを受け止める素直な目が、失われていないのかもしれないですね。
それにやはり、4つの血液型が揃っていることは大切なことです。
彼らは既に、日々の暮らしの中で、人々の行動の違いを肌で感じています。
血液型は単にそれを確認するだけのことなのです。


美味しい蟹をご馳走になりました。
突然の訪問、誠に失礼いたしました。
そして、ありがとうございました。