2019-09-21

日本人はどこからやってきたのか?

DNA解析と遺跡から薄っすらと見えてきた新事実


以前、日本人のゲノム解析で分かったことについて記事を書いたことがありますが、最近、それらの事実やこれまで発見されている遺跡などを整理して情報発信している、ひとりの研究者が注目を集めています。

◎以下の情報の多くは、長浜浩明(作家、古代史研究家)さんによるものです。


↓これまでの見解
日本人のルーツということでこれまでいわれてきたことは、紀元前14,000年頃に縄文時代があり、紀元前400年ごろに朝鮮半島から渡来人がやってきて、弥生文化を築いたというものでした。朝鮮半島からの渡来人とは、主にモンゴル経由、朝鮮半島を経てやってきた漢民族系(支那人=日本の呼び方)の人々です。そして弥生時代以前の縄文時代に住んでいた人々は、北方の大陸からと東南アジア方面からやってきた人々ではないかと予測されていました。

↓新しい見解
これまでは、朝鮮半島から渡来人がやってきたといってきたわけですが、実は民族の流れは朝鮮半島から渡って来たのではなく、逆に日本から朝鮮半島に渡っていたのだということが、明らかになってきたのです。

これについては、最初に朝鮮半島の歴史を眺める方がより理解しやすいようです。
まずは言葉では分かりにくいので、単純な表にしてみました。
(※資料元は韓国国立博物館)

さて、朝鮮史を眺めてみたところ、人が住んでいた証拠となる土器類が発見されているのは、紀元前5000年以降です。これらは日本でいえば縄文土器のことだそうです。それ以前は、旧石器時代以来、文化があった証拠となるものが何も見つかっておらず、おそらく旧石器時代にいたと思われる原始民族は、何らかの理由で絶滅したのではないかという見解なのです。

ある日本の学者はこの資料を調べたとき、なぜ韓国に日本の縄文土器があるのだろうかと不思議に思ったそうなのですが、その後、長浜浩明氏の考えを知って納得したということです。一方、日本の縄文時代は、紀元前14000年以上前から始まっていたことが分っています。つまり、朝鮮から民族が渡ってきたと考えるより、日本から朝鮮に民族が渡っていたと考える方が、この表を説明することができるのです。

その他にもそれを裏付ける事実はあるそうで、たとえば縄文人の人骨も、朝鮮半島南方で発見されているのだとか。(ほとんど発表されたことはないそうですが。)また、朝鮮史は14世紀頃に始まり、その頃は南方に少しの倭人(日本縄文民族のこと?)が住んでいたことも書かれています。これは、日本から朝鮮に渡った縄文人たちが、北方からの漢民族たちに徐々に追いやられて南へ集まったと思われ、最終的には半島から追い払われてしまっただろうとのことです。

またそこに至る間には、朝鮮半島全土で漢民族とのゆるやかな混血が行われていたと予測されるわけで、そういう中で朝鮮半島は国の形成をしていくことになります。しかしその矢先に元王朝に攻められます。そして大陸で起きたあらゆる戦争にはつきものだった悲劇が起こります。敗者の男子は皆殺し、女子は戦利品として強姦、女子の場合は妊娠して生き延びることが多くなります。

↓新たな証拠
こうした史実を裏付ける生物学的な事実も分かりました。まず、女性によって遺伝するとされるミトコンドリアDNAを現在の韓国人で調べると、日本人と共通のものが存在するといいます。ところが、男性によって遺伝するとされるy染色体については、日本人と共通するそれがないのだそうです。現在の韓国人女性は日本人(縄文人)の因子を持つ人がいるのに、韓国人男性は日本人の因子を持つ人がいない。なぜそのような不自然な現象になっているかを想像するなら、前述のような歴史上の出来事があったからだと考えられるのです。

上記にあげたことを日本史の視点で整理するなら、日本には紀元前14000年以上前から縄文文化を残した人々が暮らしており、紀元前5000年ごろに日本のその一部の人々が朝鮮半島に渡って民族文化を形成しようとしていた。しかし北方漢民族の人々によって追いやられてしまった。ということになるのでしょうか。

更には、沖縄で興味深い古代の遺跡が次々と発見されています。それによると、旧石器時代といわれる27,000年前の人骨が発見され、また、約7000年前とされる縄文土器も発見されています。この縄文土器は、本島の群馬県で発見されたものと同じ形質のものであり、つまり、その頃すでに、沖縄を含む日本列島では、広くひとつの文化が形成されていたであろうと推測できるのです。

沖縄については、日本本土とは異なる民族と思われてきたところがあるのですが、これについても生物学的見地から調べたところ、それが台湾などの南方とも、大陸からの科民族とも異なり、日本本土の人々と同じであることが分っています。そして沖縄と対比してよく言われるのがアイヌ民族ですが、こちらは日本人とも沖縄人とも、あるいは大陸や南方とも異なるようです。(※ただし、縄文人特有の遺伝子においてはアイヌ民族が最も強く、次に沖縄、次に日本本土となるようです。この辺りは、アイヌや沖縄より、日本本土の方が混血が多いということかもしれません。)

ここで興味深いのは、日本本土の人々は、沖縄の人々のゲノムに比べると中国人や朝鮮民族にやや寄っていることろがあります。これは、日本本土では後に他国から渡ってきた人々をそれなりに受け入れてきており、ゆるやかな混血が行われたからだろうとのことです。そう考えると、沖縄の人々こそが、日本古来の縄文人の血統を強く残しているのかもしれないということになります。

これについては言語からもそうであって、沖縄の言語は日本古来の言語に、より近いのだそうです。一方の現在に至る日本語は、中国の漢字を取り入れたことで随分様変わりしてしまったのです。

しかし、それでは日本人の文明が大陸や朝鮮半島からではないとすると?現在の日本を日本たらしめ、日本人たらしめるものとは、どこからやってきたのでしょう?

以前の記事【科学ニュース】日本人のゲノムを解析したらどこにもない日本人特有の特徴が見 つかった!でも紹介しましたが、この日本人特有の特徴を持つ遺伝子というのは、おそらく縄文人の遺伝子に違いありません。しかし人類はアフリカを起点に拡散しながら渡ってきたと考えられているわけですよね?それなのに日本人は、地球上のどの国の人々とも異なる遺伝子を持っているというのです。(アメリカインディアンと少し近いのだそうですが)
謎は深まるばかりで、結局「日本人はどこからやってきたのか?」という命題に答えることは、まだできないようですね。


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ここで日本の血液型分布について再度紹介します。


この図があらわすところは、日本は関東を中心に東北へいくほどB型が多くなり、西南へいくほどA型が多くなるというものです。オレンジ色で囲ってあるところはXゾーンといって、どのタイプのゾーンでもない平均ラインの範囲内に位置するゾーンということになります。
沖縄はXゾーンですが、前に記述したように、沖縄は日本古代人の形質を純粋に残している可能性があります。西日本などは朝鮮半島と近かったため、その分大陸から渡ってきた人々との混血が進行したのではないかと想像できます。

だとすると、日本古来の元の血液型分布というのは、沖縄や東北に見られるようなXゾーン分布であった可能性が高くなります。つまりは基本分布ですね。また、日本人とは異なるゲノム(縄文人特有の遺伝子以外は異なるという意味だろうか?)を持つというアイヌの血液型分はこちらです。
           アイヌ民族 O型28% A型36% B型26% AB型10%

アイヌはAゾーンに入ります。B型もそれなりに多そうに見えるのですが、O型が少ないことで統計的なバランスではA型ゾーンになるのです。アイヌ民族は狩猟民族ですが、北方から何らかの理由で逃れて北海道にたどり着いたのかもしれないとのことです。

一方縄文文化というのは狩猟文化だと思われてきたところがありますが、土器の分析から稲作の証拠が見つかっているので、純粋な狩猟民族ではなかった可能性が高くなっています。

他に加えるとすれば北海道のO型の多さです。あるいはシベリアなどの北方から渡ってきた人々の影響があるのかもしれません。シベリア地域の血液型分布はO型が非常に多いです。また北海道でも縄文土器が多数発掘されていることから、北海道は日本民族、アイヌ民族、その他の北方民族が入り混じっているのでしょう。


さて、以上が日本人のルーツに関する新しい情報のまとめです。朝鮮半島との関係性において、これまで認識されてきたことと真逆のことが明らかになりました。また沖縄についても、これまで沖縄民族は言語も随分異なることもあって、日本人とは少し違う民族だと思われてきました。

実はこれらは、全く寝耳に水というわけではなく、遺跡や資料などはずいぶん前から存在していて分かっていたわけですから、よく調べればある程度の推測はできたはずなのです。ところが、それが学者たちの怠慢だったのか、あるいは他に政治的な理由があったのか。誰もそこに触れようとはしなかったといいます。そして今に至るまで、NHKのドキュメンタリー番組などにおいても、定説にしてきた「朝鮮半島からの渡来人が日本の弥生文明を築いた」と紹介しているようです。

しかしそろそろ、私たちは、真実を知る必要があるのではないでしょうか。こうして今、DNA解析の成果によっても、ごまかしようのない事実が次々と明らかになってきました。
そろそろ、潮時じゃないのかな。(←意味不明??)