2019-10-02

日本と韓国を想う(2)

(1700年韓国古地図/Wikipedia)

韓国と日本のすれ違い


韓国の学校で使われている歴史教科書で、日本語に訳されているものがあるので、それを一度読んだことがあります。そこには、「強奪」や「略奪」という文字が羅列され、日本人の感覚からすれば、史実を客観的に示した文章とはほどとおく、可笑しくなってしまうほど、感情的な表現です。いや、もしかしたら、日本の教科書の方があまりに味気ないのかもしれません。読み物としてなら、韓国の教科書の方がはるかに面白いとも思ったくらいです。

例えば弥生時代の青銅器について、その教科書に書いてあった内容を正確には覚えていませんが、だいたいこんな感じです。
「我が朝鮮人のご先祖様たちが、野蛮な倭人は技術がないから親切に教えてあげたのに、倭人はそれをまるで自分たちが造ったものだと言いふらしている…このように彼らは略奪を繰り返すのだ…」

私たち日本人がこれを読んだら、ポカンとしてしまうに違いありません。
私たちの歴史の教科書では、「弥生時代に朝鮮半島から青銅器が入ってきた」というような、平坦でつまらない箇条書きでしか読んだことがないのだから。日本の教科書は、繊細な思春期の子どもたちの感情を奮い起こすような記述は皆無といってよく、逆に、何らかの感情を呼び覚ました方が人間性を養うのにいいのではないかという内容でさえ、左から右へと、空虚に読み進めてしまえるようなものばかりなのです。

この違いとは、いったい何だろうか?
教科書については日本でもよく言及されますが、青少年たちが、感受性の敏感なときにそこで何を知るかは、その後の思考形成に大きな影響があるのはたしかなことです。私たちが、国家を先導する政府発行の教科書を利用する限り、多かれ少なかれ必ず、そこには政府の意図が織り込まれると考えられます。それが例えば日本と韓国では、上記のように正反対の教科書を生み出しているのかもしれません。

そして私が思ったことは、今回、あらためて朝鮮の歴史と日本との関係を冷静に眺めてみたとき、それぞれの国には、やはりそれぞれの成り立ちと、そこで暮らす人々のそれぞれの進み方があるのだということです。
それらに無用に干渉し合うと、歪が起こるのかもしれない。それは人と人との関係でも、似たようなものかもしれませんが。


「日本人はどこからやってきたのか?」の記事に紹介したように、最近の科学的調査をもとにした研究によると、これまで遺跡や資料などで特定してきた史実に、DNA解析を考え合わせることで、より明らかな史実が見えてくるようになってきました。今後は、歴史認識を180度転換するような事実も明かされていく可能性があります。

その新しい見解を加えて朝鮮半島の歴史を追っていくと、BC.10000年以前には、それよりもっと過去に原始人がいた可能性を除くと、朝鮮半島に人が住んでいた形跡は今のところ見つかっていないとのことです。その後、BC.5000年頃、朝鮮半島の地に、最初に渡ったのはどうやら日本の縄文人だったわけで、そしてその後、南下してきた北方の漢民族がそれら縄文人と混血したか、あるいは漢民族と馴染めなかった縄文人たちは南方に追われていったのではと思われます。

日本はその後、日本国として国を統一していくわけですが、その過程では、朝鮮半島南部に形成されていた百済、新羅などとは親密に交流していた時期もあります。しかし新羅の造反によって朝鮮半島と日本は断交することになり、以後、朝鮮半島は、モンゴル帝国に攻められ、その支配下に置かれた80年を加えると140年あまりの間、朝鮮ではモンゴル帝国との戦いが続きました。おそらくこの時期ぐらいには、朝鮮における縄文の、特に男子の血統は途絶えてしまったかもしれません。そしてモンゴル帝国の衰退により解放された後、李王朝を築きます。

一方の日本は戦国期を経て江戸時代に入っていき、鎖国をすると外部との交流を遮断しました。朝鮮と日本はごく限られた交流となり、朝鮮の人々は、いつの日からか日本を野蛮な獣のような人々が住む島だと思うようになっていったようです。

時が流れ、世界の状況は変容していきました。東南アジア諸国のほとんどは、欧米諸国の国々に侵攻されて植民地化されるようになっていきます。最後に残った極東の日本にも、その脅威は迫ってきて、およそ300年続いた江戸時代の鎖国を終わらせるよう圧力がかけられるようになります。そしてやがて、第一次世界大戦、第二次世界大戦へと、世界中が巻き込まれる戦争時代へと突入していくことになります。

反日感情の発端はなんだったのだろうか?

簡単に言ってしまえば、日本の朝鮮に対する強い干渉、おせっかいということかもしれません。もちろん日本側にとっては、単なるおせっかいではなく、朝鮮王国独立の大義名分を掲げた軍事的戦略もあっての干渉です。そして、日本はそれら全てが、正義の名のもとで戦いを進めていったに違いないけれど、当時の朝鮮にしてみれば、王朝をどう守るかという概念しかなかったはずで、日本の正義など理解するゆとりがあったとは思えないのです。

それは、朝鮮半島という地理的位置づけを見ても一目瞭然で、中国大陸の端っこに位置する小さな半島は、大陸側から攻められれば逃げ場は海しかなく、海洋側から攻められれば、大陸側の中国に頼るしかないのです。それ故に、朝鮮は中国とだけ正式な交易をし、日本とは違った意味で鎖国体制を長くとり続けていたのでした。ある意味朝鮮は、中国の属国という状態でいても、良いとさえ思っていたくらいなのです。

それが突如、あれよあれよという間に周囲の状況が動き出したかと思えば、日本に開国や独立を促され、清に日本が勝利して大韓帝国となったかと思えば、今度は日韓併合へと向かってゆくのです。(朝鮮側から頼まれたとも言われていますが)日本は不条理なことはしなかったとはいえ、結局全てを日本流の基準にしてしまったわけですから、実質的には民族消滅という気分だったのかもしれません。

もちろん日本のこれらのやり方は、西欧諸国がアジア諸国を植民地化したのとは大きく違っており、明らかに一方的な搾取や支配ではありませんでした。そして日清戦争、大韓帝国成立、日韓併合、日露戦争へと進む中で、朝鮮には当時から、常に親日派と反日派が存在していたということでもあります。その両者の意図が複雑に絡み合いながら、日本と朝鮮の関係をつくっていったのだろうと予測できます。その構造が、今も脈々と受け継がれているということなのかもしれません。

当時の朝鮮は、けして国としてまとまっていたわけではありませんでした。
人々の暮らしは非常に貧しく、住まいや道路の整備もほとんど行われていないような貧相な状態だったのです。それでも彼らは朝鮮人という民族の誇りを形成してきたに違いなく、日韓併合によって国が様変わりしていくことは、少なからず人々のプライドを傷つけたのかもしれません。おそらく反日派の集団は、そうした人民たちの感情を取り込みながら民族主義を喚起させていったと想像します。そしてある面では、これら急速に起こる変化に、朝鮮の人々はついていくことができなかったのかもしれません。

日韓併合をすると日本は、すぐさま道路や建物の整備、教育の導入など、実に日本らしく、規律にのっとり、粛々と近代化を進めていきます。田畑とはげ山しかなかった村の様子は、十数年で見違えるようになってしまったのです。日本は、自分の本国と同じぐらいに、インフラから制度に至るまで、みごとに韓国の街を整えてしまいました。日本人の気質からして、現在韓国が叫ぶような略奪や搾取、暴力などは、行われなかったにちがいないのですが、戦時中のことでもあり、厳しい態度や厳しい規律はあっただろうと想像できます。何しろ、日本への古くからのイメージは「獣の住む野蛮な国」だったわけです。日本的な厳しさを、一種の暴力的なイメージに捉えていた可能性もあります。

カン太「なんだよ~オレたちの世界は変わり果てたよ」
ニホ太郎「いいじゃん、結果的にきれいになったんだから」
カン太「頼んだわけじゃないよ」
ニホ太郎「あのときは助けてくれって、頼んできたじゃん!」
カン太「いやそうは言ったかもしれないけど、ここまでやってとは言ってないのよ」
ニホ太郎「やるなら完璧にやらなきゃ意味ないでしょ!」
カン太「やりすぎなんだよ!」

日本は知っての通りA型国です。一方の韓国は各血液型分布が拮抗している珍しい国でもあるのですが、パワーバランスでいうなら、「B型+O型」パワーが優勢になる感じです。私はAB型ではありますが、B型弟との会話を思い出しました。弟の部屋があんまり乱れているので、見兼ねて片付けたときのことですが、ちょうど上のような会話が繰り広げられたのでした。最後に弟は言いました。

弟「オレの居場所が無くなった気分だ」
私「え~?こんなに座れるスペース作ってあげたのに~?」

まあこんな、くだらないことではないでしょうが、日本がやり過ぎてしまったというところも、少なからずあったのかもしれません。そして日本が負けて終戦となると、日韓併合によって日本の一部という位置づけになっていた朝鮮半島は、兼ねてから朝鮮半島を狙っていたソ連と、それを阻止したい米国によって2分されてしまうという、悲しい結果になってしまったのです。

カン太「日本が干渉しすぎなかったらこんなことにならなかったんじゃないの?」
ニホ太郎「いや、そしたらソ連に占領されて民族は崩壊されてただろ?」

ニホ太郎「ん?おいキミ、もしかして中国の属国のままいれば良かったってわけ?」
カン太「・・・♪」
ニホ太郎「・・・」(ガックリ)
カン太「っていうか、日本が負けなけりゃ良かったのさ!何で負けたのさ!」
ニホ太郎「・・・」(真っ青)

そういうわけで、韓国の反日感情の根っこを探っていけば、日本とは異なる韓国なりの歴史感や価値観、心情的な行き違いにたどり着くような気がします。いずれにしろ、これらの大戦の傷跡が、反日感情として潜伏しており、それが政治的に利用されながら、今のいまに至るということなのかもしれません。


日本人の特異性というのは、世界の人々がよく理解できないかもしれない。

終戦後、日本は敗戦国として"悪"のレッテルを貼られることになりました。実際、日本が軍備を整え世界に出ていかなければ、世界中を戦火に巻き込むことはなかったかもしれません。しかし、そのまま座していれば、日本はソ連やアメリカ、ヨーロッパ諸国に、いいように侵略されてしまったのも間違いのないこと。周囲の近隣諸国を見渡せば、全ては植民地化され、そこにいる国の人々は、労働者でしかなく、あらゆるものを奪われ続けていたのです。日本は開国を迫られ、その事実を突きつけられ、日本は、日本の地と日本人を、何としても守らなければならなかったのです。当時の日本に、選択の余地はなかった。日本の宣戦布告は、日本からすれば聖戦だった。中枢部の思惑はどうであれ、少なくも、日本の兵隊さんはそう信じていたのでした。

当時の日本の人々は、「天皇を中心とした古代から続くこの和の国を、絶対に死守しなければならない」という使命があることを、意識はしていなくても潜在的に理解していたのかもしれません。それは、「日本人のゲノムを解析したらどこにもない日本人特有の特徴が見つかった!」という報告を聞いた時、まさに明らかになりました。それは日本古代の縄文人が持つ特有の遺伝子であったということも示しています。

実際に、日本軍の戦い方やその姿勢というのは、他のどの国とも、全く違っていたのです。
日本と、日本以外の国々とでは、まるで次元が異なるかのようでもありました。当時、日本は中国をのぞく大半のアジアの国々を、占領下に置くことになっていきます。ところが不思議なことに、戦後、朝鮮の国以外では、日本を深く憎もうとするところは無いといって良いほどです。それどころか、感謝されたり尊敬されたりするくらいなのです。インド、インドネシア、マレーシア、タイ、台湾、フィリピン…。
「日本が一緒に戦ってくれたおかげで、長く続いたヨーロッパ支配から解放することができた!」

共に日本軍に加わって戦った、東南アジアの国のある兵士は、あまりに厳しい訓練に自殺したいほどだったといいます。「けれど自分たちが戦って国を取り戻すことができたことを誇りに思う。日本のおかげだ。感謝している」と振り返っています。日本軍の規律は非常に厳しく、民家の襲撃や強姦、搾取などは、あり得ないことでした。もちろん問題を起こした隊員が皆無ではなかったようですが、それが発覚すれば厳しく罰せられたのでした。そもそも、聖戦だと信じて疑わなかった日本兵士たちにとって、そういう恥をさらすことの方が難しかったのです。

ところが、他の国々ではそうではなかったのです。戦争においては勝ったものが略奪も強姦も、好きにして良いというのが普通で、そしてまた、それが戦争の常識でもあったのです。
長い間、そのようにして世界の争いは繰り広げられていたのでした。そういう常識をあたりまえに持っている人々に、果たして日本軍の行動が、どこまで理解できていたのでしょうか。欧米諸国の中にも、日本は侵略して世界を支配したかったのだと、今も思い込んでいる人たちが多くいます。朝鮮の人々もまた、日本人も略奪者だと考える人がいても不思議ではありません。彼らは過去に、モンゴル王国による侵略で無残な目に合い、戦争の残虐さを味わったことがありました。しかも獣の者たちが住むと信じ込んでいた国である日本の軍が、略奪も強姦も、強制連行もするに違いないと思っても不思議ではないかもしれません。

現在の韓国において、反日感情を持つ人々が言うこと、あるいは学校の教科書に書いてある「略奪」「強姦」などの言葉を聞いても、日本人にとってはポカ~ンとするだけです。ところが、略奪や強姦などあたりまえだと、戦とはそういうものだと信じている人々にとってみれば、そんな話があるのは当たり前で、むしろ無かったことの方がおかしい、ということになるのです。つまり…

世界基準で見れば、おかしいのは日本人の方なのです!

そうだとすれば、これまでの反日運動派のあり得ない言動も納得できます。韓国の人々を反日に向かわせるプロバカンダは、それほど難しくないのです。そして私が思うには、私たちは日本人のこの特異性を、充分理解しておいた方がいいかもしれないということです。

一方、アジアの中で朝鮮半島を除いた他の国々が日本に好意的なのは、日本との関係がそれとは異なったからでもあります。他の国々は、実際にヨーロッパの支配を受けている最中であり、日本軍が一緒に戦って彼らを撃退してくれたという図式になります。しかし朝鮮半島は、植民地化はされておらず、清(中国)の一部とう形になっていました。日本は、清の背後には欧米諸国がいること、そしてソ連が狙っているという情勢を知っていて、それを攻防したいための韓国への干渉とも言えました。韓国に対する日本の取り組み方は、他のアジア諸国に対するそれとはずいぶん異なるものだったのです。


今の韓国は北朝鮮と統一したいというその1点しか見ていないのだろうか?

それにしても、現在の成り行きには、摩訶不思議なことが多すぎます。どう考えても、日本と米国と仲たがいしても別にいいよ、という方向に突き進んでいるようなのです。文大統領は、どうしたいのか?彼は「北朝鮮と統一したい」との一念しかないのかもしれません。しかし、北朝鮮側は、どのように考えているのでしょう?
疑問が深まるばかりなのです。

そもそも反日派の考えの根本にあるのは、大韓民国になることを望んでいたわけでなく、北朝鮮と統一して社会主義国家を築くことだったのだとも聞いています。いつの日かそれを実現させるために、ことあるごとに反日運動をおこし、あからさまなまでのプロバカンダを継続させてきたというのが真相なのかもしれません。しかし、それよりも何よりも、韓国民のどのくらいの人々が、文政権の考えに同意しているのでしょうか?本当にそれが韓国の選ぶ道なら、それを止める理由は誰にもどこにもありません。


双方が真実を知ることが大事

今は、インターネットが普及したことで、各々の主張や意見を個人が発信することができます。韓国にはものすごくたくさんのユーチューバーがいるのだそうですが、日本を好きになったという韓国人の若者たちが、彼らなりのユニークなやり方で、日本人に向けて情報を発信しているのをしばしば見かけます。
「私も子どもの頃は反日の教育を受けたから、日本には良いイメージを持っていなかったけど、日本に来てみたら日本がとても好きになった。そして韓国には、そういう若い人たちがたくさんいる。それをなんとか伝えたい」

彼らの思いは、そのようなものです。私は、韓国の若者たちの純粋さや素朴さを知っています。だからこそ彼らは、プロバガンダにも簡単に染まってしまうのです。「真実を知る」ということは、少し勇気のいることでもあります。またそれは、他人が押し付けるものではないということも、分かっております。あなたが信じることが真実であり、それでいいのです。

そうはいっても…あの純粋な若者たちを騙し続けるのは心が痛んで仕方がありません。彼らには、本当のことを知る権利があるし、その上で選ぶ権利があるのです。

もちろん私たち日本人にしても、多かれ少なかれ、教育やメディアに洗脳をされつづけてきているのも事実です。それは韓国のように、あからさまではないかもしれませんが、それとなく、知らぬ間に…。また、それは日本と韓国だけでなく、世界中のほとんどの国々で、あたりまえのように行われてきていることです。主要メディアの情報だけを受け入れて知らぬ間に流されないよう、気をつけた方が良さそうです。

最近の韓国では、学者たち中心の親日派といわれる人々が、若者たちに客観的な事実を伝えようと、書籍を出したり講義をしたり、さまざまな活動をしているようです。そのひとりが、日本の雑誌のインタビューに答えていた記事を読んだことがあるのですが、その方はこんなことをいっていました。

「反日派の考え方は、悪に対して善は何でもしてよいというものなんです。だから日本を悪に仕立てたら、理不尽なことをしても全く問題ないと思っているのです」
そしてこうもいっていました。
「日本の朝日新聞やNHKテレビなどでは、ときどき反日派に温情をかけるような発言をしていますが、それは温かい気持ちからだとしても、やめてほしいのです」

いや、全くその通り。実際のところ、これまでも韓国の反日感情を呼び起こすようなきっかけをつくるのは、なぜか日本が発信元であることが多いのです。

これは韓国の問題なのです。彼らが自分たちのより良い道を進み、つくることを、そっと見守るしかありません。思うに、現在さまざまな国において、日本と韓国のようなお隣同士、似たような問題が浮上しているようです。私たちは今、国家においても自分自身においても、アイディンティティを見つめ直す必要に迫られているのかもしれません。自分たちの国である日本という国を、私たちがどのようにしたいのか、よくよく考えてみる、良い機会を与えられているようにも思います。
今は韓国議論よりも、日本の未来を議論するほうが、よほど重要ですよね!