2019-08-18

血液型でこれまでの政界をちょっと眺めてみました④

日本を2つに分かつ道


時代の大きな変化を迎えている今、21世紀に入ってからのおよそ20年の日本政治を3回にわけて振り返ってみました。果たして日本という船は、どこへ向かおうとしているのか?

今年2019年の7月に、参議院議員選挙が行われました。結果は自民・公民で過半数を上回り勝利。しかし改憲発議に必要な2/3議席はとれませんでした。投票率は過去2番目に低い48.8%です。予測通りの展開といえばそうでもありましたが、今回の選挙、新しい風が吹いてきていることを感じさせるものでもありました。新しい風の要になったのは、山本太郎率いる「れいわ新選組」の登場です。

山本太郎は、タレントとして芸能界入りをした後、俳優として活躍していました。彼の話によりますと、それまでは政治などにまったく関心がなかったそうで、しかし3.11東北大震災をきっかけに、「このままではあかん!」と、目覚めたのだと言います。

その後の彼の行動は実に精力的で、2011年4月には反原発運動を開始します。市民運動では何も変えられないと実感した彼は、翌年の2012年12月に行われた衆議院議員選挙に立候補します、しかし落選。それでも7万票を獲得しました。更に翌年の2013年、彼は諦めずに参議院議員選挙に出馬。そしてみごと666,684票を獲得して当選を果たします。

議員になってからの彼の行動も非常に積極的で、国会で各省の大臣や安倍首相を問い詰めるシーンが話題になっているのか、YouTubeには多くの動画が上がっています。山本太郎は、国会議員になる明確な目的を明言しています。
「自分の政党を作って政権を取りに行く!」そして「総理大臣なる!」そして「ひとりひとりを幸せにする日本にする!」

今回の選挙で、彼は非常にユニークな戦略を立てました。まず政党を立てるための選挙運動に必要な資金は、全て寄付によって賄われました。およそ4億円の寄付が集まったということです。山本太郎自身を入れて10名の候補者を立てましたが、それぞれが大へん個性的なだけでなく、共通するのはどの候補者も現場の当事者であるということです。

ふなごやすひこ(重度障害者)当選
木村英子(重度障害者)当選
やすとみ歩(女装することで自分らしさを発見したという東大教授)
はすいけ透(反原発を訴える元東京電力社員)
三井よしふみ(フランチャイズ規制法を訴える元コンビニオーナー)
大西つねき(お金の真のしくみを啓蒙する元外資系銀行為替ディーラー)
辻村ちひろ(環境保護職員)
渡辺てる子(シングルマザー・女性労働問題研究員)
野原ヨシマサ(公明党連立に反対し公明党候補に対立する創価学会員)

というように、現場を経験した人たち。血液型は山本太郎以外、残念ながら不明です。
れいわ新選組公式ホームページ
 
また、今回、政党要件を満たし国会に新風を吹かせるために立てたもうひとつの戦略は、特定枠を利用して重度障害者のお2人を国会に送り込むというもの。れいわ新選組のうわさは徐々に広まり、7月に入ると、東京の新橋や新宿の駅前ひろばは、山本太郎の演説を聞くために何百人もの人々が集まりました。また、この騒ぎ、若い人々が面白がっているだけかと思えばけしてそうではなく、ご年配の方々の支持も多く見られます。選挙後の分析結果では、投票者は40代、50代が一番多かったとのことでした。

最終的にフタを開けてみると、れいわ新選組としての比例区の得票数は2,280,252票。特定枠の2人が無事当選し、政党要件を満たすことになりました。しかし3番目に位置していた山本太郎は、比例区において991,756票という最大得票数を獲得しながら落選となってしまいます。ただ、落ちたことは残念なことではあったけれど、重度障害者の2人を国会に送り込めたことは大きな意味があり、自分は代表として活動もでき、次回の衆議院選挙に備えることもできるとし、それなりの手ごたえを実感しているようです。

さて、政界に永く君臨する与党議員たちは、この現象をどう見ているのでしょう。最初は山本太郎というタレントあがりの空気を読まない変わった議員、という程度の目線でしかなかったかもしれませんが、今回は、多くの市民を動員しているという事実を、明らかに垣間見せるものになったのは間違いないことです。これまでも、"政界の異端児"と呼ばれるような人物は時々現れたでしょうが、しかしそれも、同じ箱の中での異端だったろうと思うのです。ところが山本太郎の場合は、これまでの政界セオリーの箱には入らない、全く異質な方法で国会に挑んでいるのです。
 
この山本太郎現象を、「ポピュリズム」だとする学者もいるようです。ただし「ポピュリズム」については間違った解釈をしている人も多いとのこと。今回の選挙について日本記者クラブがフォーラムを行った中、中島岳志大学教授が現在の政治動向について分かりやすい分析を披露し、そのあたりの説明をしているので次にリンクを紹介します。

中島岳志教授は、山本太郎現象は日本だけで起こっているものではなく、米国で近年一定の支持を集め続けているバーニー・サンダース大統領候補の名をあげ、山本太郎は彼と同じ立ち位置にいるとも指摘。今後の新しい政治スタイルとして、欧米諸国では注目されつつあるのだと言っています。

山本太郎について、中島岳志教授は別のサイトでも特集しているようです。
(中島岳志教授は、山本太郎に興味シンシンのようですね。)

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山本太郎はA型です。
彼の猛進ぶりは「石橋を叩いても渡らない」イメージのA型からは、だいぶ遠い存在にも見えますが、A型は覚悟を決めて一度思い切れば、誰よりも、猪突猛進にも変人にもなれるところがあります。

また、通常の血液型的セオリーで考えるなら、古い体制をぶち壊し(ぶち壊すを提唱したのはN国で山本太郎ではありませんが)、改革を唱えようとするのは、どちらかというとB型的ではないだろうか?とも思えます。しかしB型は、同じ壊すのでも案外、山本太郎のような熱のある戦法は取らないことが多いのです。それは"壊しや"と呼ばれている小沢一郎(B型)を見ても分かります。

さて、この山本太郎旋風は、ホンモノになるのでしょうか。血液型的に分析したとき、彼がA型であることが、実現する可能性を高めるかもしれません。日本がA型社会であり、社会システムもがっちり固められています。そういう中では、どんなに新しい良いアイディアを持ったB型が現れたとしても、いつの間にか弾かれてしまうのです。そしてそのB型は、どうして弾かれたのかさえ分からないことが多いことも。

実際、A型日本社会で成功したB型の方々というのは、100%と言ってもいいくらい、A型の支援者やフォローがあって初めて成し遂げているのです。けれど、A型的感性を理解している同じA型がそれに対峙しようとするなら、どうすればその隙間に食い込むことができるのか、どうすると弾かれるのか弾かれないのか、分かることができるということです。

そしてまた、スポーツと違ってヒーローになるだけでは人々を動員することは出来ません。山本太郎が人々と同じ目線で「力かしてくれよ」と訴え、兄貴的なリーダーシップを取ろうとするスタイルは、シャイな日本の人々を動かすのに向いているような気がしています。これもまた、A型が成功しやすいリーダーシップの取り方といえます。

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今回の、選挙の成り行きを眺めながら、日本に今、2つの道が見えているように感じています。

安倍首相率いる現、政界も、日本を思い、変化に対応しようと舵取りをしています。しかしそれは、これまで乗ってきた船を新しく塗り替え、装備を整えようとしている感じです。一方では、その船には、あまり乗る気にならない人々がいます。だからといって、別の船も今までは見当たらなかったのですが、そこに「こっちに乗ろうよ」と、新しい船を用意したのが山本太郎率いる、れいわ新選組なのかもしれません。どちらの船も、今のところまだ行き先が見えてきません。あるいは、もっと別の、第三の船が必要になるかもしれません。政治の混迷は、今しばらく続きそうな気配がいたします。


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2019-08-17

血液型でこれまでの政界をちょっと眺めてみました③

安倍総理は『美しい日本」を実現できるのか?


◇自民党の政権復活

2012年12月、野田内閣解散に伴い、衆議院議員総選挙が行われました。
結果は野党に甘んじていた自民党が294議席、公明党連立では2/3議席を確保し、大勝して与党に返り咲きました。
一方、民主党は前回衆議院選挙の230議席から57議席に激減してしまいます。この選挙では民主党から分裂した議員たちやその他の参入者によって12もの政党が立候補していたというのですから、自民党以外はいかに混迷していたかがよく分かります。

そして安倍晋三が、内閣総理大臣に再選されました。
前回の辞任劇があったために、安倍首相が再び立つに至るには、それなりの経緯があったようです。

2012年9月、自民党内で任期満了による総裁選が行われました。
それは秋に行われるであろう衆議院選挙を見据え、次期総理大臣となる人物を選ぶ重要な選任でもありました。

そのとき、裏方で動いていた人物の1人が、菅義偉でした。

菅義偉=O型

※現内閣の官房長官

菅義偉は今年5月、「令和」元号の発表を行い、"令和おじさん"としても知られることになりました。
以下の動画はテレビ東京でおこなわれたインタビューですが、ご自分のことと安倍首相との関係についてよく語られています。
「菅官房長官語る①~③」


動画(③)の中で菅義偉は、安倍晋三に出逢った時から、「いつかこの人を総理にしたい」と思ったと語っています。
それを受けたインタビューアが「なぜか?」と訪ねると、彼はこう言います。

「育ちもいいですし」
「経験も豊富」
「懐が深くて柔軟性もありますし」
「他の人とは一味違っていた」
「確固たる自分を持っている」

菅義偉は、一見穏やかで口調も静かな、控え目な人物にも見えますが、インタビューの中でも言っているとおり、「勝負するときはしなくちゃだめだ」という、なかなかの勝負師だというのが分かります。あるいは、「これはいける」「今だ」という直感もよく働かせているようで、このインタビューからも、そのO型らしさがよく表れています。

安倍晋三は、2007年の辞任の後、体調を回復させると11月には政務に戻りました。
その後は勉強会などを積極的に開き、人々の声なども聞きながら現在に至る構想をより固めていったのだと思われます。
インタビューの中で菅義偉が言うには、安倍首相は前回の辞め方を気にして最初は総裁選立候補を渋っていたようです。
しかし、今がまたとないチャンスだと直感している菅義偉は、安倍首相を何時間もかけて説得しました。

菅義偉の根気勝ちともいえますが、「O型とB型のおもり関係」が上手く働いていたのだとすれば、B型の安倍晋三を説得するにO型の菅義偉は最適任だったとも思えます。
O型の率直な言葉は、B型の気分をよりポジティブな方向に上昇させる効果があるからです。またO型は、他の人にはないB型特有の感性を高く評価することがよくあります。もちろんそれは、そのB型が有能な場合においての話ですが、菅義偉が、安倍晋三の「他の人とは一味違っていた」ところや、「柔軟性や懐の深さ」に好感を持ったのも、O型の食指が動いたからなのでしょう。

こうして菅義偉の直感どおり、安倍晋三は総裁に選ばれました。そして衆議院議員選挙に自民党が勝利すると、第二次安倍内閣が発足したのでした。
するとこの報道を聞いた一部の人々からは、(こう言っては失礼ですが…)「あの軟弱な安倍が…?」という声が、聞こえてきたのも事実です。
一般市民から見れば、菅義偉が言うような「懐の深さ」や「柔軟性」などの安倍晋三の人柄は、伝わってはこないのですから致し方ないことかもしれません。
安倍首相に対する市民の期待は、当初はそれほど大きくなかった気がします。しかしその後、意外に健闘しているというムードが広がり、支持率も上昇し始め、安定政権へと向かっていきました。

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安倍首相は、「美しい国日本をつくる」というスローガンを掲げ、「"戦後レジーム"からの船出」を目指すとしました。
また、経済政策としてはアベノミクスと名付け、三本の矢を柱にする政策を打ち出しています。

しかし、"美しい国日本"と言われても、具体的なイメージがなかなか浮かんできません。
それを説明する定義は、「活力とチャンスとやさしさに満ちあふれ、自律の精神を大事にする世界に開かれた"美しい国、日本"」とされています。

また、安倍首相の著書「美しい国へ」の概要を見ると、「日本国家が変わろうとしている現在、日本を自信と誇りのもてる国家へとすることを理想とし、そのために保守、外交、社会保障、教育はどうあるべきかを説いている」とあります。

もう少し安倍首相の談話などからメッセージを拾ってみます。

安倍内閣総理大臣談話より
これは戦後70年を迎えるにあたっての声明文ですが、過去の戦争に対する経緯、追悼、お詫び、反省などを伝えると、今後の日本については次のように述べています。

「あの戦争には何ら関りのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」

では、安倍首相のいう戦後レジームとは?
日本で戦後レジームという場合は、第二次世界大戦後の日本において、GHQによって出来上がったとされる日本国憲法や、その他さまざまなシステムについてのことを指します。
つまり安倍首相は、これらの体制からの脱却を望んでいると思われます。

明確に要領をつかみきれないところはありますが、安倍首相の思いをイデオロギー的な視点を抜きにして、私なりに要約してみるなら
「敗戦からの自虐的な思いから脱却し、次の世代の子どもたちのためにも、国民が自信と誇りのもてる国にしたい。そのためには、ただしい歴史認識をした上で、自分たちの手で法を見直し、自分たちの手で国を守らなければならない。負の遺産を次世代に持ち越さないよう、今の我々の代でそれを行わなければならない」
ということであり、それは安倍首相の愛国心、そして使命感でもあるのでしょう。

一方の経済政策「アベノミクス」においては3つの矢として以下をあげています。
1.大胆な金融政策
2.機動的な財政政策
3.民間投資を喚起する成長戦略

そしてこれらは、小泉内閣の政策であった"小さな政府"を基本的に継承しながら行うものとしています。
また、具体的な最初の目標としては、20年来続くデフレからの脱却でした。
一方で、その他に取り上げられる重要課題としては、消費税増税、TPPなどの問題もあります。

まだまだいくつもの政策や課題が山積みになっている気がしますが、長期政権といわれるこの6年間で、どういう成果があったのか、国民の私たちにはよく分かっていないというのが正直なところでもあります。
また、安倍首相の描く「美しい日本」を、どれくらいの国民が共有、あるいは共感しているのかも、見えてこないように思えます。
そしていずれの政策も、日本国内だけではなく、他国との関係性を考慮せずには行えないという難問が横たわります。

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以下に、現在の代4次安倍改造内閣の顔ぶれと血液型を記載しておきます。
  • 総理大臣  安倍晋三
  • 副総理兼財務大臣 麻生太郎
  • 総務大臣  石田真敏
  • 法務大臣  山下貴司
  • 外務大臣  河野太郎
  • 文部科学大臣  柴山昌彦
  • 厚生労働大臣  根本匠
  • 農林水産大臣  吉川貴盛
  • 経済産業大臣  世耕弘成
  • 国土交通大臣  石井啓一
  • 環境大臣  原田義昭
  • 防衛大臣  岩屋毅
  • 官房長官  菅義偉
  • 復興担当大臣  渡辺博道
  • 国家公安委員長  山本順三
  • 経済再生担当大臣 茂木敏充
  • 沖縄・北方…大臣 宮腰光寛
  • 地方創生担当大臣 片山さつきO
  • 科学技術担当大臣 平井卓也
  • 五輪担当相大臣  桜田義孝
(O型=9名/A型=7名/B型=4名/AB型=0名)

第2次~第3次内閣までの顔ぶれではA型とB型が多く、O型が少なかったのですが、現内閣では、逆にO型が増え、その分他の血液型が減ったことになります。
血液型をリストアップしても、実際のところ、政治の場合はスポーツのようにチームワークを発揮するという単純なことではないので、血液型構成に何か意味を見出そうとするものではありません。
それでもO型が増えたことをB型安倍総理との関係性だけでいうなら、今の勢いを促進させるムードにはなりそうです。しかしO型とB型の関係で気をつけたい点は、トップに立つB型が力を失ったとき、O型は投げ出すのも早いということです。B型がO型に裏切られないためには、安易に弱みを見せないことも大切なのです。

また、安倍首相の同志としては麻生太郎副総理もいます。
麻生氏はA型ですが、A型が心強いのは、一度親交を深めたときには裏切る可能性が最も少ないことです。
麻生氏の声掛けで結成した議員グループ『NASAの会』には安倍首相も参加していますが、このメンバーが安倍内閣の骨組みを形成してきたようです。
故)中川昭一(A)
麻生太郎(A)
菅義偉(O)
甘利明(A)
安倍晋三(B)

安倍首相の周辺は案外A型が多いようです。
つまり、安倍首相はA型と協調していけるタイプのB型のようです。その点ではB型の脇の甘さをA型がフォローする形となり、今の安定政権も納得するところがあります。

補足として、政治家の行動に関する血液型的特徴は
「理念はあっても実際には現実的な行動をとるO型」
「理念と政策を柱に筋を通して行動するA型」
「理念というより談話や話し合い、根回しで解決しようとするB型」
などのことが言えます。



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(関連記事)

2019-08-15

血液型でこれまでの政界をちょっと眺めてみました①

21世紀、グローバルリズムの流れ


「人間を研究観察する仕事をしています」などと言っておきながら、叱られそうですが
政治のことなど、一生書くことはないだろう…と思っていました。
そもそも苦手で関心も薄く、幸い私がこの研究の代表を受け継いでからというもの、政治に関するコメントを求められたことはなく(以前はたまにありました。)、万一求められても、「断ってしまおう」なんて、思っていたくらいなのです。

しかし、今回行われた参議院選挙の際、誰に投票すべきかと調べているうちに、これまでとは、何か異なる、大きな変化の兆しを感じました。
もしかしたら日本国の政治は、今、重要な局面にきているのかもしれない。
だとすれば、記録に残しておかなければならないと、重い腰を上げたというわけなのです。

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さて、現在の安倍内閣、7年目という長期政権に突入していますが、少し過去にさかのぼりながら、近年の政治動向と同時に主要な政治家の血液型を挙げていきたいと思います。

経済の視点で眺めるなら、日本は高度成長期から1980年代のバブル期を経て、1991年頃にはバブル崩壊。その後は期待されるような景気回復には至らず、多少の上下を繰り返してはいても、この20年ほどはデフレから脱却できずに下降し続けているとのこと。
また同時に、21世紀に入った頃には世界中でグローバリズムが唱えられ、良い悪いは別にして、金融商品取引への外国人参入なども含め、国内経済の質自体が変化していったようです。

それは時代の流れだったのかもしれませんが、そうした変化の中で、象徴的な存在になったのは、郵政民営化を推し進めた小泉純一郎元首相です。

■小泉内閣(2001年4月~2006年9月)

小泉純一郎=A型

彼は異色ともいわれた総理大臣で、多くの政治家がとるような慣例的な行動をあまりせず、一匹オオカミ、あるいは”変人”などとも呼ばれていました。しかし一方で、総理になる以前まで従事していた福田赳夫(O型)、そして福田派に対する忠誠心の強さは周囲にもよく知られていたということですから、党内でも「変わり者だが筋のあるやつ」ぐらいの一定の評価は得ていたのでしょう。
血液型的見方をするなら、ヤルと決めたら断行してしまう、ある意味"破滅型タイプ"のA型なわけですが、一本筋が通っているだけに、周囲も一目置くようなところがあるのです。

その頃、バブル崩壊から10年経つというのに、派閥などに縛られてぐずぐずしている日本の政治に閉塞感を感じていた一般大衆にとって、小泉純一郎の清々しさや潔さは大へん好感を持たれ、日本中に「小泉旋風」を起こしました。何と、当時は最高値で、87%もの支持率があったとのことです。
「彼なら何かを変えてくれるかも?」と、人々は大きな期待を寄せたのです。

実際、小泉内閣は、「聖域なき構造改革」を掲げ、郵政民営化や労働者派遣法の規制緩和などを始めとする官から民への"小さな政府"、あるいは銀行の不良債権処理などを、急速に実現させていったのでした。
また、それらの立役者ともなった人物は、政府のシンクタンク的存在として活動していた竹中平蔵でした。

竹中平蔵=O型

(2001年~2006年/経済財政政策大臣、総務大臣などを務める)

学者ならではのロジックや、(O型らしい)一言多い発言などもあり、時おり周囲からひんしゅくを買ったりしていましたが、盤石内閣のA型小泉首相の下にあったことで、5年にわたって手腕を振るうことになりました。

これはA型上司とO型部下のおもり関係が上手く働いた例になると思います。
鳴り物入りで入ったはいいけれど、政界の内情もよく知らず、周囲からやや冷やかな空気を感じていたことでしょう。
O型はハツモノには弱いところがあり、場慣れするまではだいぶ余分な力が入りがちになります。しかしボスがA型だと、O型はフォローしてもらえる安心感を持ちます。小泉首相は"思い切りの良いA型"です。首相に「頼むよ!」と言われれば、「よ~し、やっていいんですね!」という気持ちになったのではないかと思います。
学者が自分のロジックを頭で考えるだけでなく、実際の行動で実現できるというのは、冒険でもあり、大きな喜びでもあったはずです。まして目的志向性の強いO型なら、尚のこと燃えたに違いなく、しかもそれが国政舞台です。野心家の(たぶん)竹中平蔵にとっては、またとないチャンスだったに違いありません。

ただしこの「小泉・竹中改革」は、当初から賛否両論があり、最近では否定論の方が目立っているようにも感じます。
日本は改革、改革と言いながら、なかなか物事が動かない、という現象が実際よく見受けられます。そして「誰か思い切ってやってくれないのかねえ」というジレンマが蔓延するわけですが、そんなときに現れたヒーロー(?)が小泉純一郎だったのです。
それに答えるには、少々強引でもスピード感をもって推し進める必要があったのでしょう。

もちろん現在問われている問題は、そこではなく、"小さな政府"(緊縮財政)や”グローバルリズム”に向かう政策が、果たして良かったのかどうかというところにあるようです。
竹中平蔵は、当時の米国的理論(※現在のトランプ政権は反グローバリズムで異なる政策である。)を日本の財政政策に持ち込んだわけですが、それを日本の体質に合うように精査したかどうかは問われるところです。

いずれにしても、小泉首相が総理辞任と共に政界引退を表明したことで、「小泉・竹中改革」も一旦区切りをつけ、次の安倍晋三にバトンタッチされることになったのです。

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(関連リンク)
血液型でこれまでの政界をちょっと眺めてみました②




2019-07-19

右脳が開くとハートも開く!?

七田式教育って?

 ※画像はSichida Indonesia のサイトよりお借りしました。

5月のインドネシア啓蒙活動の旅において、日本の七田式教育がインドネシアにもあると聞いたので訪ねてみました。

『七田式教育』については、聞いたことがある方も多いと思います。
七田教育とは、故・七田眞氏が開発した右脳教育なのですが、主に幼児向けの教育として、現在は日本全国に教室を展開しています。

七田眞先生が、まだご活躍していらした2004年頃、あるご縁から当センターとも接点がありました。
当時は能見俊賢も生きており、ちょうど、東海大学の灰田宗孝博士と血液型と脳活動の実験研究を始めた頃でもあります。
つまり、七田眞先生の右脳教育と、血液型脳活動の関係は、情報交換し合うことで、互いの研究の助けになるのではないかと考えていたのです。

けれど残念なことに、能見俊賢も七田先生も、それから数年後にこの世を去ってしまい、コラボレーションは実現しませんでした。
ただ、そんなわけで、私も少なからず七田先生への親しみや七田式教育への興味を抱いていたので、七田式教育法についてあれこれと学んだことがあったのです。

実際、どんなことをするのかというと、"フラッシュカード"といって、言葉を書いてあるカードを早いスピードで次々と見せたり、歴史や地理などを歌にして覚えたり、英語やクラシック音楽を何倍速で聞いたり、あるいは言葉当てゲームや速読法など、いろいろな技法を使って楽しみながら右脳を活性させるというものです。

こうしたテクニック的な面だけ見ると、ちょっと変わってるけど単なる"英才教育"だろう、と思う人もいるかもしれませんが、七田式教育の場合、「うちの子は3歳の頃から英語や算数を習わせた」、というような、知識優先の一般的な英才教育とは少々異なります。

それは七田先生の書かれたご本を何冊か読めば分かるのですが、七田先生が何より大切にしていたのは、"心を育てる"ことにあったからです。
それにはさすがに、教える側の先生方の器量というところに、多少なりとも左右されそうでもありますから、島根で七田先生に直接学ぶことができた子どもたちは、とてもラッキーだったには違いありません。

とはいえ、こうした"右脳開発"ということ自体が、実は子どもの"心を育てる"ことに、大いに役立つだろうと私は考えています。
さて、右脳を開発することで、どうして心が育つのでしょう。
その辺りは、七田先生が本の中でも書かれていると思うのですが、私の解釈では、右脳と左脳のバランスが整うからだと理解しています。
また、それについては…ジル・ボルト・テイラー博士の体験にも裏付けされているので、興味があれば別のサイトで書いた記事をご覧ください。

現代人が、左脳に偏りすぎていることは、誰もが認めるところではないでしょうか。
ここで強調したいのは、右脳を優勢にすることばかりを推奨しているわけではなく、両脳の役割を理解してバランスをとる…違う表現をするなら、両脳の統合を図るということなのです。
一言では説明が不足かもしれませんが、簡単に言うとすれば
「ありのままを観て(右脳の観察)、正しく整理する(左脳)」
ということだと思います。
この右脳の大きな働きである"ありのままを観察する”ことを、今の教育は外してしまっているのです。ありのままの観察が為されないまま知識だけ詰め込んだら、偏った信念体系が構築されてしまう可能性が高くなります。
しかしありのままの観察ができたとしたら、子どもは大人が教えなくても、正しい判断や考察が自然にできるようになるのです。

七田式教育は、現在息子さんの七田厚氏が引き継がれておりますが、七田先生の念願でもあったという、海外への啓蒙も順調に行われているようです。
そんなことで、インドネシアの"ステキな学校"を見学する今回の旅で、インドネシアの七田式スクールにも取材に伺ったというわけなのです。

七田式教育 in INDONESIA

インドネシアの七田スクールは、首都ジャカルタ、日本人も多く住んでいるという高級住宅地域のモールにありました。
受講料の問題もありますし、特別な教育でもありますし、今のところは富裕層の家庭でないと入れないようですね。
優しそうな男性の学長さんから、スクールに通った実際の効果という点で、いくつか興味深いお話を聞きました。

ひとつには、幼い時期(2歳から受けられる)から始めた方がより効果が高いらしいということです。
2、3歳から始めた子たちは、4、5歳から始めた子たちと比較すると、とても落ち着いて授業を受けていて、自分が今何をやっているのかということを、非常に良く理解しているのだそうです。

また七田教育は、2~3歳の頃は特にそうなりますが、お母さん(お父さん)と一緒に受けるというのが基本にあります。
ところがインドネシアスクールは富裕層ばかりなので、そうした家庭ではメイドさんが連れてくることも多いらしく、すると、習得効果が少し下がるというのです。
お母さんと学ぶ方が格段に効果的なのだそうで、「そこのところはインドネシアスクールの問題点でもあります」と、学長さん。

そしてもうひとつは、子どもによって習得や理解の仕方、それにかかる時間など、当然ではありますが、個人差がありさまざまだということです。
「たとえば、直ぐに出来てしまう子もいますが、とても時間がかかる子も居ます。ところが、時間がとてもかかったその子が、ある時、全てを理解してしまうということもあるのです」とのこと。
(後者のタイプの子どもは、A型の可能性が高いですね。)

七田インドネシアスクールは、モールの一角のそれほど広くないスペースにありましたが、中に入ると、七田眞先生の笑顔のお写真と、直筆?の文字が書かれた額が飾ってあり、それを見て、何だかほのぼのとした気持ちになりました。
「七田先生、良かったですね。こうして世界中で、七田先生の心が浸透しているんですね」

七田教育もまた、未来の学校モデルにきっとなるだろうと思っています。
また、ABO血液型との関連については、まだ明確に言えることはありませんが、脳機能との関係から、いくらかの可能性は見えています。
個々の子どもに合わせた右脳教育法というのが可能になれば、更に進化するのではないかと予測しているのです。



(関連記事)
右脳左脳とABO血液型の関係について考察したレポート
ジル・ボルト・テイラー博士について書いた記事

2019-06-08

O型の人間愛が人類を救う

"愛の人"O型の真の姿、インドネシアにあり



◎田んぼの中の学校~SALAM

昨年の秋のこと。
インドネシアを訪問した際に発見した素敵な学校については、このブログにも紹介しました。
そして学校のオーナー夫妻のご主人が書かれた本を頂戴したので、帰国すると私は、Google翻訳の力を借りて、頭が爆発しそうになりながらも何とか読み終えました。

本には、オーナー(TOTO氏)の学校に対する熱い思いと、洗練された理念、それから親御さんたち(ファシリテーターと呼びます)の素晴らしい体験談がつづられています。
オーナーの思想や学校理念は、子どもたちへの愛情だけではなく、それが未来の地域社会、未来の国家、未来の地球をも見据えているかのように、真理を貫いています。
本を読みながら、何度も何度も、天を仰いではため息をもらし、感激に浸る私でしたが、中で思わず唸り、拍手をしたくなった箇所があります。

子どもたちに"教える"という考え方は、そもそも間違いを犯す。
どうやって教えるというのか?子どもが頼んでもいないのに?

いや、ほんとうに、仰るとおりです。
"教える"という行為こそが、人間の最も傲慢なエゴかもしれません。

世の中には、高い理想を掲げた良い学校は、きっとたくさんあるのでしょう。
しかし、"教える"という行為を外した学校など、そうそう見当たらないのではないでしょうか。それはもはや、"教"育ではなくなってしまいますし。(笑)
ですので、このSALAMという学校には、教える"先生"は存在しないのです。
先生の代わりに、ファシリテーター(支援者)と呼ばれる親御さんたちが中心のボランティアで運営されています。

それにしても、理想を掲げるだけではなく、それを実現できたとは、驚愕です。
TOTOさんに会わなければ!会って話を聞き、この目でしかと確かめなければ!

本を読み終えた私は、そんな衝動にかられ、インドネシア・ジョグジャカルタへ再び行ってまいりました。


写真左の男性がTOTO氏です。

学校を訪ねて「TOTOさんには何時ごろにお会いできますか?」
と学長さんに聞くと
「いつでも会えますよ。だって、此処に住んでるんですから!笑」

そうでした。
オーナー夫妻は、ご自宅の敷地を少しずつ学校にしていったのです。元々は、農業もされていたわけですが、幼稚園、次は小学校、次は中学校…高校と、各教室が増設されていき、今ではご夫婦の田んぼはすべて学校となってしまいました。

奥様との再会、そしてTOTOさんに会えて、私は大感激です。まる2日間、じっくりお話を伺うことができました。

教えることを外したSALAMの考え方は、とてもシンプルです。学校は、子どもが自らの自分らしさを発見するためにあるのです。そしてその自己発見を進めながら、子どもたちはさまざまなこと(必須科目)を自主的に学んでゆくのです。
 ―SALAMの学校内容については、何らかの形で別途詳しく紹介しようと考えております。

それにしても、TOTOさんの温かさがステキでした。何も話さなくても、ずっと傍に居たいような、まるで暖炉の傍に居るような、そんな気分なのです。学生たちは、学校の時間が終わっても、いつまでも帰りたくないそうで、私も同じ気分です。

「私もずっと此処に居たい。帰りたくありません。笑」

そして、前回のブログでお伝えした内容を訂正しなければなりません。
私の聞き間違いだったようで、オーナー夫妻はお二人ともA型だと記憶したのですが、TOTOさんご本人に伺ったところ、彼はO型でした。
つまりこのユニークな学校は、O型TOTO氏とA型奥様が、血液型「おもり関係」に即してタックを組み、夫唱婦随でおこなわれていたのです。そしてA型の学長がお二人の意思に深く共鳴し、忠実に運営を管理しているという感じのようです。

そうだったのか。この学校全体に広がる何ともいえない温かい空気感には、やはりO型が関わっていたのか!私は理屈ではなく、納得してしまいました。

教室の壁には自由自在の落書き。子どもは描きたいんです!

研究発表をしていますが、ゴロゴロ寝転がって聞いている子も。それもOKです。「そんなんでいいの?」と思われるかもしれませんが、実はそれでいいのです。

以前、韓国のテレビ局と行動実験を行ったことがありますが、子どもたちの好きなスタイルで学んだ方が理解が増したという結果が出たのを思い出します。

SALAMに恋している子どもたちです。


◎母の愛でできた自閉症の学校

「イチカワさん、とても成功している自閉症の子どものための学校があると聞きましたよ。行きたいですか?」
私がインドネシア行を伝えると、ホリィさんがそう提案してくれました。
「もちろんです!ぜひ連れて行ってください!」

数年前にエヴァさんが、幼稚園づくりの夢を語りだした時、それは私にとっても長年の夢であり、しかしそんな大きな夢が叶えられるだろうかと、半ば諦めの気持ちも拭えなかったのですが、こうして学校を訪ねる機会が次々に訪れてくると、私たちは既に、そこへ向かっているのだという気がします。
それはまだ、陽炎のように輪郭もぼやけて見えるだけですが、私とエヴァさんとホリィさんのトライアングルは徐々に形成され、焦点が合ってくるのを感じています。

自閉症の子たちのための学校というのは、ジャカルタから車で2時間ほどの、セランという街にありました。外観は、何だかとってもアーティスティックでステキです。



学長さんが学園について説明してくれていると、オーナーさんもやってきました。

インドネシアの私学校は、いずれもオーナーと学長という仕組みで運営されているようです。

学園オーナーはO型の女性で、学長はAB型の女性でした。
どちらも、ご自分のお子さんが自閉症で、「この子を何とか立派に育てたい」という母の強い思いから、お互いが共鳴し合って始まったのだそうです。

この学校には、87名もの、自閉症や聴覚障害、視覚障害の子どもたちがいると言います。
オーナーはおっしゃいます。
「この子たちは、他の子と何ら変わりはありません。ただ、彼らのリズムやペースが、普通の子とは少し違うだけなのです」

全くその通りだと、私も思います。
私が名刺代わりに血液型の本をお渡しすると、オーナーは大変興味を持ってくれたようです。
「血液型と自閉症の研究はしないのですか?」
と、熱心に質問して下さいました。

ぜひとも、ご一緒にやりたいです!

そして学園内を案内してくれたのですが、壁にはたくさんのカラフルでステキな絵が飾ってあります。
もちろん全て子どもたちが描いたものですが、多くはオーナーの息子さんの作品のようで、どうやらご子息は、山下清さながらの画伯のようですね。

そういえば…
日本の「ねむの木学園」を思い出します。

2階、3階へと進みながら、ホールがあるという最上階へ案内してくれ、中に入っていくと…。

何と、そこには子どもたち皆が、私たちを待っていてくれました。
これから、私たちのために、演奏や歌を披露して下さるのだそうです。


(写真最左の女性がオーナーです。)

写真の子どもたちが持つ楽器は、アンクルという竹でできたインドネシアの伝統的な楽器です。舞台の前方にいる先生の合図に合わせて、子どもたちが音を奏でていきます。
演奏が始まると、自分の番を食い入るように待ち構え、ひとつひとつの音を丁寧に奏でる子どもたちの真剣な姿と、その音のあまりの美しさに、私は息が止まりました。そして目からは、涙が次から次へと溢れ出てきます。

「おいおい、いきなりこんなに泣いちゃったらさ~」
などと思いながらも、涙は勝手に溢れて止まりません。笑
しかしこの涙、自分で言うのも変ですが、すごくサラサラしていて水のような涙なんです。
人間って、本当に美しいものに触れると、清らかな涙が自然と出るものなのですね。心が洗われるとは、まさにこういう感じを言うのかと、生まれて50年にして味わった、初体験です。

とにかくこの子たち、スゴイんです。演奏や合唱という、数十名全員で協力し合って行うようなことを、自閉症の子たちがちゃんと出来るなんて思えないかもしれませんが、この子たちは出来るんです。(もちろん、練習に人一倍時間はかかるそうですが。)
でもスゴイと思ったのは、そういうことだけではなく、彼らの素直さとハートの優しさです。

私がご挨拶をさせていただくためにマイクを持つと、みなさん、とても静かに座っていて、私の言葉に集中しているのがひしひしと伝わってきます。
そして私が、
「あなたたちの音楽が本当に美しいので感動して涙が溢れました」
と伝えたら、彼らは一斉に「イエーイ」と言って喜び、拍手喝采してくれました。
反応がとても早くて感度がイイのです。
私が訪れたことをみんなで歓迎してくれていることを、肌で感じさせてくれています。
何でしょう!この一体感は!

学園の隣のスペースではカフェも運営していて、料理から接客サービスまで、全て学生たちがやっています。
とても美味しいお料理でした。

「彼らが全部やります。ただ、彼らはどうしてもお金のことが分らないので、お金のやりとりを教えるのに少し苦労しました。
それで彼らに分かるようなシステムを作ったので、今は大丈夫になりました」
と、AB型の学長さん。

なるほど、「"お金"について理解するのが困難なのは、私と同じだわ!」などと、またもや共感してしまう私です。

「本当に素晴らしいです。驚きで言葉がないくらいで、私はまた、必ず訪れたいと思います」
そう、オーナーと学長に言い残してきました。

2つの"奇跡の学校"の共通点とは!?

今回の旅、私は2つの、素晴らしい学校を訪れました。どちらも、子どもたちが生き生きと通い、見事に成果もあげています。もちろん、いずれの学校も公式の学校ではありませんが、インドネシアは日本に比べるとその点では柔軟性があり、自由なスタイルの学校も認めていて寛容でもあります。

そして面白いことに、この2つの学校の運営方針には、いくつかの共通点があるのです。

①教員免許を持った先生は居ない。
教員免許を持ったいわば"教師"と呼ばれる人だと、この2つの学校ではどうしても上手く適合できないのだそうです。
②教師の代わりに子どもたちを支援している大人たちはいるが、子どもが本当にやりたいことを自身で見つけるのをお手伝いするのが主な役目である。
③子どものタレント性や個性を何より第一優先にしている。
④授業料は親の収入によるなど、それぞれ事情に合わせて相談にも乗り、非常にフレキシブル。

そして更には、血液型的な共通点がありました。
いずれの学校も、O型オーナーです。

能見正比古は、O型について2つの大きな特徴を掲げました。
それは、O型の人間味溢れる愛の深さと、そのもう一方にある現実性です。そしてO型は、そのどちらをも長所として生かすことができるが、どちらを強く出すかによって、そのO型への評価は分かれることになるだろうとも言っていました。もちろん能見正比古は、"愛の人"の部分を強く出すことをお勧めしていたのです。

この2つの学校のそれぞれのオーナーは、"愛の人"を体現しています。しかし"愛"だけでは、この世知辛い現代社会の中で、親御さんたちを納得させて理想の学校を運営することなど到底難しいに違いありません。そこには、O型の現実性が、大いに生かされているに違いないのでしょう。

今こうして日本に戻っても、私は2つの学校で感じた心地よさと温もりを忘れることができません。O型の多いインドネシアという南国の地だからこそ、O型の真の姿である人間愛が、素直に生かされているのかもしれません。しかし私は、これらの学校に、人間の目指すべき未来の姿を見たようにさえ思っています。そしてO型の生きる活力と、温かく素朴な人間愛、それなくして人間の明るい未来は、無いような気がしたのでした。

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愛を込めて


2019-05-05

【本の紹介】消えるB型


B型著者のとてもB型的なエッセイ


著者:山上 一
公式ホームページがあります。

研究会メンバーと、著者にお会いしてまいりました。

お話を伺って、さすがB型の行動力だと、仰天することばかりでした。
その仰天の内容については、私がここに書くことはできないのですが、とにかくB型さんが行動するとなったら、「え?そこまでやるんですか!?」というところまで、やってしまうのだということを、あらためて知らされました。

私は一言
「いや、感動しました」
…としか、言いようがありませんでした。

こうして血液型について、熱心に活動していらっしゃる方にお会いすると、本当に嬉しいです。
「いつの日か、この血液型について、正しい評価をされる日が来ますよ」と私たちが言うと
「そうですかね。できれば私の目の黒いうちに、そんな日が来ることを願っています」と山上氏。

はい、きっとそうしなくてはね。
私も頑張りますね。


2019-03-25

B型の可能性を見せてくれたイチローに感謝

「ありがとう」イチローさん!

3月21日、東京ドームで行われたアスレチック戦を最後に、イチロー選手が引退表明をしました。

イチローはB型です。そのB型特性を、これ以上ないというくらい活かし、体現しているアスリートであったので、コラムやエッセイなどでも、あるいは取材の打ち合わせでも、B型の代表選手として、度々ご紹介してきました。

イチローは、多くのB型たちが目指すことの可能な、「至上もっとも素晴らしいB型モデル」です。「いや、イチローは特別だよ」「誰もできないことをやったからヒーローなんじゃないか」という声が聞こえてきそうですが、ここでいうのは「血液型人間学」的な、自己開発、自己進化の視点に立ってのことだと前置きしておきます。

ご本人に許可も得ずに勝手に分析させていただくのは恐縮ですが、今回の引退表明を機に、記憶に留めておきたいB型アスリート、B型ヒーローとして、あらためて記録しておかなければならないと思いました。


イチローの才能は、B型が共鳴し、A型が押し上げた

イチローがプロ入りしたのは1992年。(Wikipediaより
小学生の頃から父親とキャッチボールを始め、少年野球時代にはじまり、中学、高校と、その才能を開花させ、「エースで4番」の活躍をし、スカウトたちの目にも留まるようになっていきます。ところが自動車事故で肩を痛め、その時点から投手としての道は諦めざるを得なくなり、打者としてのプロ入りを目指したのだということです。

イチローは名古屋出身でもあるせいで、中日ドラゴンズに入団することを希望していたそうです。しかし残念ながら指名が入らず、オリックス・ブルーウェーブ(現在のオリックス・バッファローズ)にドラフト4位で入団します。入団当初はコーチとの意見の相違もあり、思うような結果は出ませんでした。また当時の監督の上田利治氏(O型)も、イチローは「線が細すぎる」として、さほど大きな期待を持っていなかったようです。確かに、長く活躍する選手になるには、身長だけでなく、肩や尻がガッチリしているという身体的要素が大きなポイントになったのでしょう。

しかし、イチローの"光る才能"に、気が付く人物も現れました。
まずは、当時の2軍打撃コーチであった河村健一郎氏が、イチローの"振り子打法"の開発に二人三脚で取り組みました。河村コーチは同じB型です。B型同士なら、「おや」と関心さえ持てば、それまでのセオリーにあてはまらないことでも共鳴し、熱心になってくれたに違いありません。そしてその後、仰木彬氏が監督になります。仰木監督がイチローを高く評価し、よく使い、育てたという話は、既に人々に知られていますね。

注目したいのは仰木監督がA型だということです。A型とB型は、その対照性のせいで、お互いが認め合う工夫を意識してしないと、調子を合わせるのが難しいことが多くなります。そのため、上司部下の関係になったときなど、特にA型の方が上司になった場合には、A型的な一般常識、形式秩序の観点からはB型の言動がどうにも理解しづらいため、チグハグになりやすいのです。

ただしそうしたA型ですが、実はもうひとつの面があります。社会通念、秩序、ルール、セオリーなどを重視する一方で、その"カタチ"からの解放を内心願っているのもまた、A型なのです。つまりA型にとってみれば、その心の奥にある願望を、目の前で体現してくれているのがB型というわけです。ときに熟練したA型が、若きホープB型を、殊のほか高く評価し、殊のほか可愛がり、大きく育てていく例は、日本の過去にもよくあったことです。イチローと仰木監督は、まさにそんな関係にだったのではないでしょうか。


功績や見返りを意識しない「B型的純粋な意図」がイチローを飛躍させた

こうしてイチロー選手は、日本のプロ野球界において徐々に評価を高めていくことになります。たとえどんなに若くして才能や能力があったとしても、それが社会に評価されるよう適応させていくことができなければ、育つことも実になることもありません。多くのB型は、才能を持ちながら、ここでつまづくことがありそうです。

自分の力が相応に評価されない―。それをひがんで(あるいは諦めてか、シラケてか)、自分の楽しみのみに目を向けて過ごすB型たちは、数知れないはず…。

では、なぜイチローは、そのチャンスを手にすることが出来たのでしょうか。それは、ひとえに、イチローの、野球に対する純粋な想いだったのではないかと考えています。”野球に対する純粋な想い”と言ってしまうと、単なる"野球好き少年"とも受け取れますが、私はもう少し、彼の想いを、高みに上げて理解したいと思います。

イチローは、野球というプレーを通して、イチロー自身の全てをそこに投入し、表現し、体現しようとしたのでなかいか、と。

つまりイチローにとっての野球とは、ツールなのです。もし、野球以外の別のものに幼い頃触れていたら、その別のものが、「純粋な想いを体現するツール」になったかもしれません。イチローは、たまたま野球というツールを選択しました。自分自身を体現するツールが野球なら、そこに自分の意志や意図、自分のエッセンスを純粋に注ぎ込まなければなりません。周囲から、生意気だとか、変り者だとか、少々ケチをつけられたからといって、自分ではないものを作り上げたのでは、何の意味もなくなってしまうでしょう。イチローは、その核心のところを、絶対はずさずにいたに違いないのです。

B型のマイペースさ、自分の興味への純粋な意図は、それを可能にしてくれるはず。その、芯からぶれない純粋さは、必ずや共鳴、共振する人や出来事を、引き寄せていくだろうと思うのです。約束事の多い窮屈な社会において、そうしたことが少々苦手なイチローでしたが、彼の純粋さは、ひとつの壁を打ち破り、コーチや監督を味方にし、自分の土台作りに成功します。そして世界へ旅立つ切符を手にすることになるのでした。2000年の秋、マリナーズと契約を交わし、ここに日本人野手として、初のメジャーリーガーが誕生します。"日本人初めて物語"にB型がすこぶる多いことは、いろいろな場面で既に伝えてきましたね。

さて当時、私たち人間…特に日本人の性分からすると、どうしてもネガティブに傾きがちで、「大リーガーになれたことだけで充分で、活躍できるかとなるとどうかな」というムードが、大半を覆っていたのではないかと思います。私も、イチローがどんな選手でどんな人物かということについては、生前の師、能見俊賢から聞かされてやっと知った程度でしたが、野球好きでB型好き(?)の先生が、イチローのメジャー入りに大はしゃぎをしていたのを昨日のことのように思い出します。そして血液型人間学を通して人々を眺めてきた眼力で、世間の予測とは異なり、イチローが卓越したB型性を見せるであろう予感を、どこかで感じてもいたのでした。その後は、誰もがよく知るように、イチローは次々と記録を更新しながら、快進撃を続けていきました。

B型の「正直さ」が芯を歪ませない

B型の"不愛想"は、折に触れて伝えていますが、それがだいぶ彼らをソンな立場に追いやっていることは間違いありません。たかが、"愛想”ごとき、ではありますが。イチローも、そうした不愛想なB型たちの類にもれず、お世辞にもマスコミ受けが良かったとは言えませんでした。具体的にはこういうことで…。

スポーツ記者たちは、選手たちにいろいろな質問を投げかけるわけですが、そのほとんどは、ありきたりの、一般受けしやすそうな答えを期待しての質問なのです。そして選手としても、マスコミ対応はある意味ファンへのメッセージにもなるわけで、大概の選手は彼らの意図に合わせてあげて、中には非常に合わせるのが上手い人もいて、そうすると、「〇〇選手は礼儀正しくていいヤツ」なんてことになり、記事なんかもいい感じに書いてくれたりする、というカラクリなわけです。

ところがイチローは、いつだってカメラ向きの笑顔も、記者が期待する答えも、してはくれませんでした。彼は、本来のB型らしく、「正直な人」なのです。笑いたくないのに笑ったりしないし、本心ではないことを、口に出したりもできないのでしょう。そこには、無意味なことを期待する記者たちに対して、少々B型流のひねくれもあったかもしれませんし、B型的な照れ性もあったかもしれません。

ところが、その頃のイチローは、米国でその実力を確実に評価され始めていて、そこまで活躍するとは予測していなかった日本人記者たちは、やや困惑ぎみだったのです。そんな、イチローに対するメディアのジレンマが、見て取れるような時期でした。彼らは、イチロー選手を、どのように扱って良いか分からなかったのかもしれません。

そんなある日、私としてはとてもラッキーな場面に、個人的に遭遇しました。彼が大リーガーとなって活躍を始めた数年後のオフシーズンのことです。深夜の都内の小さなレストランで、偶然彼を見かけました。時間はすでに夜中の1時頃。客は私たちのグループ3人と、イチローのグループ4~5人、他に一組ぐらいしかいませんでした。
「お、イチローだよ」
私の前に座った友人が目ざとく気づき、私の背後の方の席にイチローが居ることを教えてくれました。振り返ってみたいのはやまやまでしたが、せっかくのオフ団らんの席を邪魔してはいけないのだと思い、私たちは素知らぬフリをして食事を楽しんでいたのでした。

ところがありがたいことに、しばらくするとイチローは、トイレに席を立ち、私たちの横を通り抜けました。
トイレに行ったということは、帰ってくるわけだから、ここをまた通るよね。失礼のないように、素顔を少しだけ拝ませていただこうかな…一言、「応援してますよ」と声をかけようかな…。私はイチローの後ろ姿を見ながら、ミーハーなことを思い…いや、でもやっぱり失礼だろうか…う~ん、知らん顔したフリして横目で見ようか…。

そんなわけの分からないことを考えているうちに、向こうからイチローが、さわやかに歩いてきました。それは、とても自然で、自分が今やスーパースターになりつつあるという、特殊なムードを醸し出すものなどを、微塵も感じさせない、気さくな雰囲気で。本当にフツウに、しかしその爽やかさは、もはやフツウとはいえないのかもしれませんが、とにかく私はイチローと目が合い…というか、むしろ彼の方から、通りすがる人同士が自然に目くばせして笑顔を見せるような、そんな感じでこちらを見て笑顔を向けたのでした。私は、イチローと目と目があったその瞬間、咄嗟にこんなメッセージを送りました。
「あなたは必ずやり遂げる。あなたを信じているよ」
もちろんこれは、言葉に発したわけではなく、心で思っただけですが。

このときは、テレビで観る、ちょっとニヒルというかクールというか、まあ端的に言えば"不愛想"な印象を与えるイチローの姿でもないし、野球をプレーするときの彼でもありませんでした。親しい友人や家族と和やかに団らんしている、素面の彼と会う(見る?)ことができたのは、私が今後のイチロー選手を見つめる中で、たいへんありがたいことで、このときの、さわやかなイチローの方が、真の彼を表現しているのだと確信しました。(テレビカメラというのは、何か真実を別のものに変換する作用があるのではないだろうか?)

ああ、こんな彼なら大丈夫、あなたは大丈夫。私は清々しい空気でも吸ったような、とても良い気分になりました。

話が横道にズレましたが…とにかく、イチローに見られるように、一見ブアイソひねくれに感じるB型ですが、本質はハートに正直な人たちだと言えるのです。だからこそ、イチローは世界に出ても、やり抜けるのではないかと期待をしたのです。そしてようやく、マスコミや日本人ファンたちも、イチローへの目線を彼と同じ高さに合わせることができるようになり、誰もが認める新たなヒーロー誕生となっていったのでした。

『無限記録』に挑戦するのがB型の興味を長続きさせるコツ

イチローが、日本プロ野球時代の8年、そして大リーガーとして19年、合計27年の長きにわたり活躍できた理由には、『記録の更新』という、これも実にB型的な要素が挙げられます。
B型が、何か一つのことに興味関心とその集中力を、現代の社会構造の中で持ち続けるためには、"記録に挑戦する"ということが何より有効なのです。

人間とは、そこに何か限界を作ったとき、終わりを見てしまいます。けれど、『記録』というものを用いることによって、"限界を作らないルール”を設定することが可能になったのだと思います。それは他の誰かや、何かと競争するのではなく、あくまでも無限の領域に挑戦するようなものとなります。カタチに収めうようという力が働く社会の中で、それとの不調和に苦心するのがB型ですが、目標を、社会や周囲ではなく、『記録』というものに設定したとき、まわりの雑音に惑わされることが少なくなり、自分のやるべきことに熱意を傾けることができるのではないでしょうか。

そもそも、"永遠"や"無限"という概念に心が向きやすいB型にとって、記録を更新していくのは楽しくもあったのではと思います。どうぞ調べてみて下さい。これまで、さまざまな分野で、数々の記録を打ち出した人々には、B型がとても多いのです。

B型特有の柔軟性は大きな武器

また、イチローの柔軟な身体作りは、B型の資質をフルに活かしたものでもあります。B型体質の柔軟性については、フィギュアスケート選手についての記事でも書きましたが、それは身体だけに限らず、心や脳の働き方にも通じるところがあります。B型の人々は、この、他の血液型にはない、B型ならなではの柔軟性を、自分の生活や仕事に、大いに活かすことが武器になるのです。これこそが、B型の、体質に根差した能力といえます。

イチローは、それがB型的な自分の特性であることを、知ってか知らずか、徹底的に研究し、練習にも取り入れたと思われます。ある時、オバマ元大統領に、「記録を更新して活躍する秘訣」について尋ねられた際、「柔軟な筋肉です」とイチローは答えたのだそうです。彼がしっかりと、そこに意識を向けていたことがわかります。もちろん彼は、"血液型"ではなく、"筋肉"について学んだのだと思いますが。

イチローがイチローらしく、イチローとしてステキなのは、血液型だけが理由でないのはあたりまえのことで、イチローに関する資料を探したり、本を読んだりすれば、イチローの姿が、もっと詳しくわかるでしょうし、おそらくこれからも、イチローを知りたがる人々のために、たくさん記述されていくことでしょう。

けれど血液型的に眺めれば、もうこれだけで充分なくらいに、その血液型的な功績と要素を見せてくれています。イチローは、B型の性質…たとえそれを本人が知らなくても、彼は自分の体質的特性を、見つけ出し、引き出し、鍛錬し、実現させた人です。そしてそれを可能にしたのは、自分らしさや自分の人生を、野球を通して実現させるのだと、覚悟を決め、それに純粋に向かったからに違いありません。

すべてのB型はイチローになれるはず

イチローの姿は、全ての人々が倣うことができます。それは、「自分と真摯に向き合い、己の特性をいかに引き出し訓練するか」ということであるし、加えて「出来る限りそれに対しての心と意図の、純度を高めること」でもあります。そして更に、世のB型たちに対しては、B型が"成功"(自分を実現させる)するための模範を、イチローが身をもって示してくれたのだと受け取ることができます。

私は取材や仕事で出会うB型たちによくこう言います。
「どのB型も、イチローのようになれるんですよ」
するとほとんどのB型は、驚きの表情を見せ、そして、「ほんとですか?」と、キラキラと瞳を輝やかせます。私は、世の多くのB型たちが、自分の力をどこか出し切れずに、モヤモヤとし、かといってやり方も分からず、仕方なく目の前にあるわずかな楽しみに埋没しているのだと感じています。イチローの話をしたときの彼らの目の輝きが、それを物語っているのです。

ここで、日本のプロ野球を少しでも知る人なら、忘れてはならないB型ヒーローについて触れておこうと思います。そう、あの、長嶋茂雄さんです。彼ももちろん、まるでB型を、そのまま絵にかいたような人物です。ところが長嶋茂雄の場合、誰もが模範にすることは出来そうにありません。「野球に対する"純粋さ"」という核心のエッセンスは、イチローと同じく、誰もが真似したいところですが、彼は、ただそれのみで突き進み、周囲を顧みるスキもなく、どんどんスターに押し上げられていってしまった人でした。

しかしそんな、時代の勢いに乗せられたにもかかわらず、長嶋茂雄は最初から最後までずっと"長嶋茂雄"を貫き通したのですから、それはまさしくB型でなければ不可能だったのですが、それを彼はは、無意識にやれてしまった人なのです。だから、誰にも真似できない、永遠のスーパースターなのでしょう。でもイチローは、長嶋さんとは少し違います。イチローの言動や取り組みは、そのどれもが、もっと意識的に行われているのです。つまり、だからどのB型も、意識的になりさえすれば、「イチローのようになれる」と、私は考えているのです。

とにかく、あなたのおかげで、B型性についてより多くを理解しました。その上、B型の大いなる可能性を見せてくれたことは、私にとっても多くのB型にとっても、実に深い意味のあることです。

ずいぶん前に何かの記事で読んだのですが、プロ野球選手として登録(申請?)するための手続きの中に、アンケートの記入があるそうで、そこには、「将来の夢は?」という質問があったのだとか。そこでイチロー選手は回答らんに何を書いたかというと、「森の管理人」だったのだそうです。将来のプロ野球選手へのアンケートなわけですから、普通に考えるなら「王さんのようなレジェンドになりたい」とか、「野球監督になりたい」とか、そんな回答が多くなりそうですよね。それなのに、突如として「森の管理人」って?(笑)

しかし私はこれを読んだとき、イチローが、ヒーローになることに憧れた野球少年ではなかったことを理解しました。彼は自分の挑戦すべき人生や自分の可能性に、野球という舞台を選択したのでしょう。それは夢というより、彼の成すべき役目、あるいは課題、あるいは使命であったのかもしれません。最後のファイナーレでも、記者会見でも、イチローは始終さわやかな笑顔だけで、涙は見せませんでした。それは"イチロー気質"であるのかもしれませんが、人が真に意識的に生き、真にやり抜くと、感慨にふけったりはしないものかもしれないなと、ふと思います。

そして、ほんとうの夢は、"森の管理人"なんですよね。あの日、地下室の小さなレストランで、私たちの横を森の中のそよ風のように通り抜けていったイチローを、今思い出します。
イチローさん、あらためて、ありがとう。