2019-08-17

血液型でこれまでの政界をちょっと眺めてみました②

混迷する政界~短命政権の6年間



小泉内閣の長期政権の後は、落ち着かない状態が続きました。2006年から2012年の6年間に6人の首相が誕生し、毎年のように内閣が入れ替わっているという状態です。その間、政党政権交代も起こっています。その流れを首相の血液型とともに追ってみようと思います。

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■安倍内閣(自民党/2006年9月~2007年8月)

2006年9月26日、第一次安倍政権が発足。小泉内閣の構造改革を引き継ぎ、また安倍晋三のスローガンでもある「美しい日本」を掲げました。

安倍晋三=B型


父は安倍晋太郎(A型)、祖父は岸伸介(O型)、大叔父は佐藤栄作(A型)という、生粋の大物政治家一族であることは誰もが知るところです。
遺伝的に見ると…安倍晋三がB型で父親がA型ということは、母親の安倍洋子はB型かAB型の可能性となりますが、安倍洋子の父親(安倍晋三にとっては祖父)、岸伸介がO型であるということはAB型が生まれることはなく、つまり安倍洋子はB型と考えてよいのでしょう。
するとA型とB型の両親から生まれた安倍晋三はBO型です。

就任後、安倍首相が直ぐに取り組んだのは、選挙の公約にもなっていた教育法の改正でした。教育法に関する問題は重要だと言われつつ、長年後回しにされ、半世紀もの間、歴代首相は誰も着手しなかったとのこと。教育問題は選挙の票が取れないからという斜めな見方は置いておいても、マスコミや教育界からの反発が予測される微妙な問題が絡みます。当然、国会やマスメディアでは猛攻撃に合うわけですが、それでも就任後3カ月で実現させてしまったのですから、相当強い姿勢で取り組んだのでしょう。

しかしその後は、党内のさまざまなスキャンダルがリークされたり、農水大臣の自殺があったりなど、面倒なことが続出し始めます。そして翌年2007年の参議院選挙では議席過半数をとれずに敗北。"安倍おろし"が起こり、退陣を求められるようになっていきました。

それでも安倍首相は、所信表明演説で「職責を全うする」決意表明を示しました。ところが、その2日後には急遽記者会見を開き、結局退陣を発表します。あまりの反転ぶりに国民やマスコミはどよめき、無責任だと批判しました。この成り行きは、不思議でもあり、違和感もあります。前出にも書いたように、歴代首相の誰もが手を付けたがらなかった非常にやりにくい教育改正を3か月で断行した安倍首相。その事実を見るなら、彼がそれほど意志薄弱だとも、無能だとも思えないところがあるのです。その人がたった2日で考えを変えてしまうものでしょうか。

安倍晋三はB型です。B型の性質である柔軟性や散文性は、ある時は意見や気分をコロコロ変えたりする面が確かにあります。しかし国政の最高責任者であり、また大物政治家一族の中で小さいころから政治姿勢については自然に教育されてきたに違いありません。

B型は、大きく分ければ2つのタイプがあり、ひとつは気さくでざっくばらん、あるいは破天荒で騒がしいタイプ。政治家でいうなら田中角栄(B型)のようなタイプです。もうひとつは、どちらかというと"ブアイソウ"とも見えるタイプで、普段は大人しく静か、男性なら紳士タイプという感じになりますが、安倍晋三の場合は後者に近いところがあり、それには育ち方や環境の違いも大きく影響していると思われますが、田中角栄とは異なるタイプのB型だといえそうです。もちろん、芯にはB型としての共通性が多々あるはずですが。

安倍晋三は最初の退陣発表では、その理由を「テロとの戦いを継続する上では自ら辞任するべきと判断した」としています。また内閣府から発信していたメールマガジンでは「国家・国民のためには、今身を引くことが最善と判断した」とメッセージを残しました。そしてその直後、緊急入院をし、潰瘍性大腸炎という疾患を医師が発表しています。そして更に、病院で行われた記者会見では、「意志を貫くための基礎体力に限界を感じた」と発言しました。

たしかに体調は8月頃から既に悪くなっていたようですが、本人は当初、それによって退陣する気はなかったと思われます。ただ、体調がそれほど悪かったのだとすれば、その状態を無視していた安倍晋三は、むしろ自身の政策への執着が強すぎて、退陣の判断を見送ってしまったのだ、とも考えられます。B型は”仕事の虫”になり過ぎて己の健康状態をおざなりにすることがしばしばあるのです。すると、それを懸念した周囲が、その体調では無理だと説得したのかもしれません。あるいはその2日の間に、意志を変えなければならないほどの、何か他の理由が生じたのかもしれません。いずれにしても真実は、本人以外には分かりませんが。(←後日談では、潰瘍性大腸炎が相当悪化していたとのことでした。)


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■福田内閣(自民党/2007年8月~2008年9月)

福田康夫=A型


福田康夫は第67代総理大臣であった福田赳夫(O型)の長男。本人自らは政界入りを望んでいなかったようですが、父親の後継者であった次男が病になったことで、やむなく政治家の道を決断したとのことです。秘書官を経て衆議院議員当選(1990年)後は、外交関係で実績を積み、小泉政権では官房長官。「影の外務大臣」とも呼ばれ、当時田中真紀子騒動でこじれた外務省との修復に手腕を発揮したことでも知られています。 安倍晋三の退陣を受け、兼ねてから候補に挙がっていた福田康夫が指名されました。親子で総理大臣に就任というのは、初めてのことです。

しかし翌年の9月には緊急記者会見を開き、突然として退陣表明を行いました。前回参議院選挙の大敗によって生じたねじれ国会の影響もあり、思うように政策を進められない状況が続きましたが、それほどのスキャンダルや不祥事が発覚したというわけでもなく、そうした予兆もなかったために、やはりこれも人々を驚かせました。福田康夫の退陣記者会見は、「国民のために、新しい布陣で政策実現を行ってもらいたい」という、実にあっさりとした内容でした。

おそらくこの辺りから、国民は政治や国会に対して、どこか解せないもの、以前までにあったような派閥の功罪や裏金の不透明さとは、質の異なる不可解さを感じるようになっていったような気がします。後日、リークされた情報によれば、次のような事実があったともいわれています。
(以下は右書籍の内容を要約/浜田和幸「大恐慌以後の世界」)

時は、リーマンショックが起きた真っただ中。米国(ブッシュ政権)は、この危機を乗り切るために日本に100兆円の提供を要求してきていたとのことです。福田首相は「ノー」と断り続けました。しかし何度も執拗な要求が行われ、金融庁はその圧力に屈し「100兆円提供」を決定しようと準備したのだそうです。しかし福田首相は、自分が辞任することで、それを阻止したのだということです。

福田康夫は「頑固」だということは、よく言われていたことでしたが、これが事実であるならば、この退陣劇は、いかにも、"頑固で思い切りのよい"A型らしい行動という気がします。福田康夫は、その後2012年には、政界を引退しました。

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■麻生内閣(自民党/2008年9月~2009年9月)

麻生太郎=A型


祖父には吉田茂(O型)、高祖父に大久保利通(O型)などの超大物政治家たちが先祖。父親は実業家であり、家業を継いだ自身も実業家として成功。政界入りは1979年、39歳の時でした。そうした経営手腕や幅広い人脈などが買われて、経済や外務関係のポストに就くことが多かったようです。
福田康夫の退陣を受けての指名となりましたが、当初から解散、総選挙を前提とした内閣だったというところがあったようです。また、リーマンショックの影響が日本にも及び始め、経済界が混迷し始めるなか、就任すると間もなく野党から、あるいは自民党内部からも「麻生おろし」が始まったようです。そして2009年7月に解散、8月の衆議院議員選挙において自民党は記録的な大敗となり、政権を交代することになりました。

家庭環境の要因もあると思いますが、ヤンチャ坊主のまま大人になったA型、という印象があります。そういうA型の場合、外界との殻を作ることも少なくなり、本来の勝気な性質のまま振舞うことが多くなります。そうした性質に加えて経済的な豊かさからくるゆとりや、事業で成功してきた自信もあるのでしょう。彼には、転んでも少々のことではめげない前向きさが強く表れていることが印象に残ります。A型の「陰」の部分がほとんど隠れていて「陽」の部分がより表に出ているタイプのA型のようです。

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◇政権交代

■鳩山内閣(民主党/2009年9月~2010年6月)

鳩山由紀夫=O型

(※現在は友紀夫と改名)



祖父の鳩山一郎 (A型)は第52~54代内閣総理大臣、そして曾祖父と父も政治家。政界のプリンスなどと揶揄?されることもありましたが、家庭環境が穏やかで教育が行き届いている場合、O型はその影響を最も強く受けるので、鳩山由紀夫のようなおっとりタイプのO型もうなずけます
祖父の鳩山一郎はクリスチャンでフリーメンソン会員であったことが知られていますが、「友愛」という言葉を好んでいるところなどをみても、祖父の思想的な影響を強く受けているのかもしれません。

さて、実際の内閣ですが、小泉内閣終了以来、政局は落ち着かず、大衆は自民党の力が衰えたことを感じ始めます。そして具体的な政策目標(マニフェスト)を掲げた民主党が圧勝し、政権交代を果たしたのでした。当初の支持率は70%と高いものでしたが、鳩山首相は沖縄の普天間基地移設問題でつまづくことになります。また、子ども手当や高速道路の無料化などもマニフェストに掲げていましたが、完全な実施とはならず、また政策決定の力を握っていた小沢一郎の金銭問題なども起こり、一気に支持率が低下する中で内閣総辞職を決定します。

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■菅内閣(民主党/2010年6月~2011年9月)

菅直人=O型


菅直人の学生時代はちょうど学生運動が盛んだった頃です。そうした環境の中で、彼も学生運動、市民運動や社会活動に積極的だったようです。ただ彼は、その流行に乗ったわけではなく、学生運動に参加する際も「イデオロギーばかり掲げるのではなく現実的な対応が必用」と独自の主張でグループを結成したということです。あるいは、有名企業に就職するより弁理士を目指して技能を身に着ける方が良いと考えるなど、O型らしい現実的思考性を若い頃から発揮していたようです。しかしとにかく、菅直人は若い頃から社会運動に関わりたいという強い思いを持っていたのです。

当時、参議院選挙では常にトップ当選を果たし、庶民に大へん人気のあった市川房江(AB型)という人物がいましたが、市民運動のイベントで市川房江を招いたことがありました。その際に彼女の存在の大きさに感銘を受けた菅直人は、既に政界引退を宣言していた市川房江を再び選挙に立たせるため、市川房江を根負けするまで説得し、菅直人は選挙事務長として、彼女を2位当選させたという経緯がありました。そうして徐々に本格的に政界入りを目指すことになりますが、衆議院選に3回挑戦するも落選。4回目でようやく当選を果たします。

官僚でもなく二世でもない。政治秘書でもない。労働組合や宗教団体の支援もなく、ただひとりの何も持たない市民が東京激戦区で勝利したことは、異例のことです。政治活動への関心の強さ、独立心の強さ、現実性、目的志向性と達成力の強さ、そのための忍耐強さなど、どれをとってもO型そのものという菅直人像が、見事に浮かび上がってきます。

2010年6月、鳩山内閣総辞職を受けて、菅直人が総理大臣に任命されます。ところが翌月の7月には参議院選挙が行われ、民主党連立は敗北。またもや、ねじれ国会という状態に陥りました。政策が思うように進まない中、支持率は下がる一方となり、そこで立て直しを図るべく2011年の1月、第二次改造内閣を行いました。

そのような中で起こったのが、2011年3月11日の東北大震災でした。この時の菅直人の言動やリーダーシップに対しては賛否両論…どちらかというと否の方が多いかもしれませんが、「これまでに経験したことのない国家緊急事態において、誰であれば適切な行動ができたのかは、誰も何も言うことなどできない」という声もありました。

必要なことは、この経験を生かして、政界や国会が緊急事態にも適切に対応できる状態とは、どうあれば良いかをしっかり反省し、組織づくりと体制を再考することだという気がします。ことあるごとに相手の批判をし、政権から引きずり降ろそうとするばかりの現在の政界。国の緊急時にもそうしたことしか行われないのだとしたら、あまりにも恥ずかしくて子どもたちには見せられません…。

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■野田内閣(民主党/2011年9月~2012年12月)

野田佳彦=B型


富山と千葉の農家出身という両親のもとに生まれる。民主党には、やはり庶民派出身の方が多く存在するようです。野田佳彦の生い立ちに関する記事を見て、非常に興味深く思いました。彼は3歳の時に浅沼稲次郎暗殺事件を知り、6歳の時にジョン・F・ケネディ暗殺を知って、どちらも強い印象を持ったというのです。

B型の人に時々いるのですが、かなり幼い頃に、非常に鋭い感性で社会や身の回りに起こっている出来事に対して、大人並みの興味を抱いていることがあるのです。野田佳彦のこのコメントにしても、3歳の時にそうしたニュースに関心を持ったり耳を傾けるということなど、多くの子どもにはあまり無いことです。よくAB型について、小さい頃から物事の理解が早いと言ってきていますが、B型の場合、AB型のそれとは少々異なるような気がします。いずれにしてもB型の"興味関心"は、かなり幼いころから芽生えることがあるようです。

2011年9月、菅直人の退陣表明を受けて民主党代表に選ばれ、野田内閣が発足します。まずやらなければならないことは、福島原発事故の収束でした。政策への批判は別として、地味だけれど実直で信頼できるという評価もあり、震災と原発事故の処理を任せるには適任だったという印象を一般大衆に与えました。

その後、消費税を5%から10%へ段階的に引き上げる法案を提出し衆議院議員解散を条件に可決させます。野田首相は、当初は消費税増税に反対を唱えていたわけですが、震災の後に増税の必要性を感じ、意見が変わったとのことです。しかしそれは公約違反であるとし党内は分裂。その後も与野党の駆け引きが続き、最終的には内閣総辞職となりました。

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政権交代をしてから後は、東北大震災が起こったことで、人々の関心は政策よりもまずは災害の収束と復興に向かっていました。そして一定の見通しが立ってくると、自粛ムードも和らぎ、停滞していた経済活動を再起動させようとする機運が高まります。すると、「やはり日本経済は自民党じゃなきゃだめだ」という声が、大きくなっていったのでしょう。

実に日本国政、混迷・迷走の6年間と言わざるを得ません。さてさて、この先どうなることやら。

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