2022-06-26

【考察】神道『四魂』とABO血液型を重ねて神話のミステリーに迫る!?


ABO視点で深読みしたくなる神道の教え

神道を知る人なら、『一霊四魂』というのを聞いたことがあるでしょう。

わたしは神道に通じているわけでもなく、何年か前に本で知ったばかりなので、理解があまりに表面的で、記事にするのはためらっていたのですが、たまにこの言葉を見かけると、やはり気になる。そんなわけで、忘備録としてまとめておこうと思いました。


『一霊四魂』とは、端的にいえば字のごとく、「人には一つの霊と四つの魂がある」というもので、一つの霊とは図の円にある「直霊」という天と真っすぐつながる御霊。それは四つの魂を携えており、それらをバランスよく磨くことでよき人格を形成し、大義を成せるという教えです。江戸時代の国学者、本田親徳(ほんだちかあつ)が、提唱したといわれています。


そもそも、日本古来から伝わる概念に、相似四相というのがあります。この世のさまざまなことは四つの相で成り立っていて、四相で解釈することが重要だとして、代表的なのは東西南北、右左上下、などです。その考えのもとに、神道でいう四魂も生まれたのではないかと想像します。


ネットで四魂と検索すると、上記の画像に似たものがたくさんでてきます。それぞれ、魂についての解釈やその活用法などに多少の違いがあるようで、コレという定められた完成形があるわけではないようです。というのも、四魂の由来は、古事記や日本書紀に書かれている神々の物語りを読み解いて構築したものなので、基本概念以外は、様々な解釈ができるということなのでしょう。

各魂の基本的なところは次のようになります。

荒魂(あらみたま)
荒魂「アラミタマ」という神様の名前。
行動力、達成する力、努力、奮起、克服する力、など。
「勇」という文字で表すことができる。

和魂(にぎみたま)
和魂「ミギミタマ」という神様の名前。
調和、平和、安定、統治する力、など。
「親」という文字で表すことができる。

幸魂(さちみたま)
幸魂「サチミタマ」という神様の名前。
育成、進化、相互理解、受容、など。
「愛」という文字で表すことができる。

奇魂(くしみたま)
奇魂「クシミタマ」という神様の名前。
探究、観察、真理、叡智、など。
「智」という文字で表すことができる。


それで、なぜここに血液型を関連づけたいかといえば、まずはABO血液型も、相似四相に違いないからです。そしてまた、四つの魂の特徴が、ピッタリ同じとはいわないまでも、どこか各血液型の気質に重なるところがあるからです。

各タイプの基本気質を以下に示します。

O型の基本気質
生命力(バイタリティ)がある。目的達成力がある。理想を掲げ、目的を達成するための努力は惜しまない。

A型の基本気質
調和を大事に考え協調性がある。安定を好み守りに強い。秩序を重視し、組織力が高い。

B型基本気質
興味を持ったことに対する探究心が非常に強い。物事や事象の観察力に長けている。科学的客観性を重視する。

AB型基本気質
平和主義。物事の公平性を重視する。バランス感覚に優れ、相互理解、調和をはかることに長ける。

これを四魂に重ねてみると、O型は「荒魂」、A型は「和魂」、B型は「奇魂」、AB型は「幸魂」と、おおよそ合致させることができるのです。

また、ABO血液型の場合、各タイプによって、その役割が分担されていることになりますが、しかしだからといって、他のタイプの特性を持ち合わせていないというわけではありません。どの血液型の人も、上記にあげたすべての特性を内在させており、表出させることはできるのであって、ただその度合い、他と比較して抜きんでて目立つところを、4タイプの特徴として分類しているのです。

一方の「四魂」の考えで説明すると、一人の中には、そもそもこの四つの魂の特性があるが、そのどれを強く発揮するかによって、その人の全体的な性格を見ることができるというものです。

なんだか結局、観方が異なるだけで、同じことを言っているように思います。四魂の方は、それを「御霊」「魂」、あるいは「神」と捉えて語り、ABO血液型は、それを「遺伝子」「糖鎖物質」と、サイエンス的に捉えて語っているのです。


それってABO血液型の発生のこと?

この、不思議な関連性をみると、ついつい深追いしたくなるのは人情かもしれません。ではそもそも、その四魂を表す”神”が、どこからやってきたものなのか、古代文書の解説から、わたしなりに読み解いてみようと思います。

その由来は、日本国を創ったとされている「大国主命(オオクニヌシノミコト)」が始まりといいます。

大国主命は最初、天の主から、少彦名命(すくなひこなのみこと)の二人で、地上建設を命じられました。2人は、国づくりの仕事に励みます。この2神が、「荒魂」と「和魂」だと考えられます。ところが途中、少彦名命がお亡くなりになり、「黄泉の国」へ帰ってしまいます。大国主命が落胆していると、光の玉が現れて、「幸魂」と「奇魂」を与えられます。その2つの魂の光は、大国主命の中に入ったと記述されています。

これをABO血液型に当てはめてみると、「最初に「荒魂」(O型)と「和魂」(A型)がありましたとさ。そして「奇魂」(B型)と「幸魂」(AB型)が生まれましたとさ」となります。

面白いことに、血液型の発生順序にもうまく合致しています。ABO血液型も、最初はO型、A型です。O型が先かA型が先か、という点については多少の論争があり、いまだに遺伝子学的には判明していません。(わたしの考えでは、その性質、あるいは世界の血液型分布などからみて、O型が先であったと予測していますが。)次に発生したのはB型です。そしてB型があって、はじめてA型とB型の交流によりAB型が生まれることになります。

「一霊四魂」の考え方とは、まず生きるに必要なのが「荒魂」であり、それとともに「和魂」という和の精神が大事であり、次には「奇魂」によって探究し智を磨くことが必要であるとし、最後はそれら相互理解によって統合させるべく、「幸魂」によって愛をもたらすべきである、というものです。

この概念もまた、ABO血液型に通じるところが大いにあるわけです。血液型人間学の視点でいうなら、各血液型は社会や人類が成熟する過程において、それぞれに重要な役割があるのです。

お断りしておくと、ABO血液型物質それ自体は、地球上に生物が発生したずいぶん初期の段階から、動植物に既に存在していたと考えられています。しかしその遺伝物質が、人間の体内にも入り込み、そしてそれが、人間の体質や気質に影響を及ぼすような現在の形に進化したのは、ずいぶん後になってのことだと予測します。すると、日本神話にある神代の時代、つまり数十万年~数万年前が、「人間におけるABO血液型の発生」と見ることもできるわけです。

ここで考えたいのは、古事記や日本書紀に書かれている日本の神話というのは、単なる神々の物語りではなく、そこには地球創生、人類誕生、あるいは物理法則の真実が、随所に盛り込まれている可能性があるということです。

また、こうした古代文献には、さまざまな神が登場しますが、その”〇〇神”というのは、”ひとりの神”ではなく、言ってみれば、役職名のようなものである、と指摘する研究者もいます。たとえば「大国主命」という役職があり、それを仰せつかった存在が、世代交代しながら数名ないし数十名いたのでは?ということです。日本の各地に、似たような名で、似たような活躍をした神々がたくさん散らばっているのも、そう考えるなら納得できます。

そうだと仮定すると、「四魂」とは、一つの霊に与えられた四つの魂というより、4種類の特性を持った神々(人々)が、この世界創造を完成させるため、必要に応じて、順次現れたと考えることもできます。それが、ABO血液型遺伝子物質のことであったとしたら、それは非常に興味深いわけです。

ついでに加えると、なぜ当初、少彦名命は黄泉の国へ帰ってしまった(死んでしまった)のか、ちょっと気になります。その理由が書かれていないので何ともいえませんが、つくり話なら、ここで突然、少彦彦名命を死なせてしまうのは、かえって話を不自然にしてしまうだけなので、やはり何らかの事実を示しているのだろうと思われます。

それをABO血液型に関連付けるのは、少々深読みしすぎかもしれませんが、ABO血液型には、遺伝子学者も説明できないなぞがあるのです。それはO型の塩基配列ですが、O型の塩基配列は、あるところで突然フレームシフトを起こしている箇所があり、それによって、その先が不活性となり、よってO型は、H型という、全血液型の土台の部分しか活性していない形になっています。

O型遺伝子に、いったい何が起こったのか?もともとは活性していたかもしれないその部分を、何かの理由で、その活性を失わせなければならなくなったのだろうか?しかも、その失われた部分というのは、A型の塩基配列に非常によく似ているというのも、興味深いところです。しかしそれらは、いまだになぞのままです。このO型遺伝子のなぞの部分が、少彦名命の突然の死と関係あるのでは?と想像してしまうのは、だいぶ飛躍しすぎかもしれませんが…。


以上が、わたしの妄想からはじまった、日本神話とABO血液型のミステリーでありました!最後までお読みくださったあなたに、感謝を申し上げます。



2022-06-19

血液型分布をみればわかる~この40年、日本の政治は激変した!

 

派閥政治からの脱却は、日本の政治に何をもたらしたのか?


はじめに、ヘンな言いわけをさせていただきますと、社会性に乏しいうえに、政治オンチのわたしが、最近、政治についてときどき触れて、生意気なことを書いていることについて、わたし自身、ほんとうに申し訳ない気持ちでいるのです。「そうなら書くなよ!」ということなのですが、「血液型人間学」という研究をしていると、どうしても、データや社会動向を見なければならない状況が生じ、それらについて、オンチなりにも理解しておかなければならない、という事情があるのです。

ですので、ここに書かれていることは、あるひとつの見方、あるいは珍しい考え、というぐらいに思ってくださればと思います。ただもちろん、そうした珍しい考えが、数十年後には、「なるほど」ということになっていることもあるので、そのへんは、寛大にみていてくだされば、幸いに思います。

本題に入りますと、日本の政治が大きく変化した時期があります。といっても、日本の歴史は長いので、ここでは戦後の政治ということになりますが、よく言われることは、それまで日本独特の政治体制であった派閥政治からの脱却というものでしょう。

その予兆は、高度成長期を終える頃から、徐々に見え始めていましたが、2000年代に入ると、ますます”派閥”の悪影響に対する批判が強まるようになり、小泉内閣の頃には、「派閥をぶっ潰す!」と小泉首相が旗を振ったことをきっかけに、それは拍車をかけたといえそうです。

当時の小泉首相が、具体的に何を目指していたかといえば、主には「○○民営化」。そうしたしくみの大改革をするにあたって、日本の”派閥政治”が、大きな壁になっていたのでしょう。そして世論の多くも、果たして小泉内閣の政策がどういう結果をもたらすか、まではわからずとも、それに賛同したのだと記憶します。

では、こうした流れの中で、国会議員(ここでは衆議院議員のみ)の血液型分布は変化したのでしょうか。

(日本人の血液型分布 O=30.7%|A=38.1%|B=21.8%|AB=9.4%)

■1978年に調査した衆議院議員の血液型分布
O型(36.0% )A型(30.9%)|B型(18.3%)|AB型(14.8%)
■2003年に調査した衆議院議員の血液型分布
O型(29.6% )|A型(34.4%)|B型(23.1%)|AB型(12.9%)
■2017年に調査した衆議院議員の血液型分布
O型(25.5% )|A型(38.5%)|B型(24.8%)|AB型(11.2%)    

なんと見事に、その移り変わりがわかります。戦後の派閥政治が盛んな時代は、日本人平均に比較すると、O型とAB型が多く、A型とB型が少なかったのですが、現在は、その勢力図が、逆転している形になっています。

この40年あまりの衆議院議員血液型分布の推移については、研究会メンバーの著書、『デジタル時代の「血液型と性格」(金澤正由樹)』に、その鮮やかな推移が詳しく書いてあります。金澤氏によると、石油ショックやリーマンショックなどの大きな世界的経済状況の変動が影響し、この逆転現象に拍車をかけていると推測しています。


なぜ血液型分布が激変したのか?


では、血液型分布のこの推移は、何を意味するのでしょう?わたしは国会内部に精通しているわけでもありませんし、そもそも政治オンチ。分析がどこまで正しいかは分からないのですが、研究会などで談義した内容などもふまえれば、”政策”を掲げる選挙活動が活発化した結果だろうというものです。2000年代には、”マニフェスト”というカタカナ言葉も頻繁にきくようになりました。

時代の流れと共に、派閥政治のマイナス面が浮上しはじめ、同時に、マニフェストが論点となってきたのは間違いないでしょう。現在の選挙活動の内容をみていても、「政策は何か?」と問うのが、当たり前のようになっています。

マニフェスト(公約の政策)を掲げなければならない、となると、やはりA型の強みが生かされます。A型の理路整然とした思考性や説得力のある説明が、人々に理解しやすい形で伝わります。また派閥というのは、国民に見えないところでヒソヒソと行われる、何やら怪しいイメージがつきまとっていたわけで、A型の清々し誠実な雰囲気もまた、評価されやすくなったのではないでしょうか。

B型が増えているのも、やはり政策重視の流れに乗っていると考えます。B型は、常にアイディアを持っている人たちなのです。政治に関心のあるB型であるなら、こんな政策、あんな政策を、いくらでも掲げることができるでしょう。それにB型は、なかなかの人情派。B型のその気さくさで、地域の人々と親しくなるのは、どの血液型より秀でているのです。

前回の衆院選では落選してしまったようですが、立憲民主党の顔でもあった辻元清美さん。辻元さんはB型ですが、こんな話を聞いたことがあります。
「いろいろ批判されていても、地元のオジチャン、オバチャンたちからは、とても愛されているキャラなんだよ」
なるほど。そのへんは、かつての田中角栄さんや、小沢一郎さん、二階俊博さんなども、似たようなB型ではないでしょうか。

一方、O型が、見事な下降線を描いているのはどういうことでしょう。O型はそもそも、自分の生活利益に直接関わる政治に対して、関心の高い人が多いのです。過去には、そうした政治意識の高さが、シンプルに議員の血液型分布に反映されていたのだと思います。ところが、「政策が~」「清廉潔白さが~」などと、やたらにスマートさが歓迎されるようになってくると、どうもやりにくくなってきたのかもしれません。そういうと、O型がスマートでないような物言いになってしまい申し訳ないのですが、A型の絵にかいたような”誠実さぶり”と比較すれば、やはりその点、A型に分があるかなと思います。

そしてまた、O型は、まずは派閥のような小さなグループで、仲間との信頼関係を育み、師弟関係を結び、そうした集団の力を上手に使いながら上り詰めていくことを得意とするのです。派閥の力が弱まるにつれ、O型の拠り所は危ういものとなり、結局、生き残れなくなるO型が多くなったのかもしれません。

AB型については、減ってきているとはいえ、まだ日本人平均以上はいるわけです。周囲の状況が変化しても、それなりに立ちまわれるAB型の器用さが、O型のような極端な減り方をしないのかもしれません。それにそもそも、集団密着度の薄いAB型の場合、派閥政治が向いていたわけではないのでしょう。能見正比古の分析のとおり、派閥の端っこにいることで、調整役としての役割を果たしてきたのだと思います。


派閥の弱体化は、日本国民の要望だったのだろうか?それとも外圧だったのだろうか?


派閥政治に、政策がなかったということではありません。しかし派閥が重視された時代は、自民党という巨大政党の中で、更にあるリーダーの人間力や理念に共鳴し、仲間意識と強い結束力のもとで、いくつかのグループが形成されていたのです。自民党という党内の政策としては、ある程度の統一性があるのであって、その中で力を持った派閥が全体を仕切ることで、政策の進め方がやや異なってくる、というものではなかったでしょうか。しかしそれは徐々に、”古めかしいもの”という印象を、国民に与えていくようになりました。

ふりかえって、「日本の政治は日本人のためにあるもの」というのは、ふつうの感覚では当然のことのようですが、現実には、日本の政治や経済が、世界の動向と無関係でいられるはずはありません。金澤氏の分析のとおり、石油ショック以降、世界はグローバル社会へ徐々に進みながら、2000年代のIT革命時代に突入し、グローバル化の勢いは強まり続けたのでした。

経済的には先進国でも、米国に従わざるを得ない日本の微妙な立場を考えれば、なおのこと、(欧米主導の)世界の流れに、逆らうことなど不可能というものでしょう。だとすれば結局、日本の派閥政治解体の流れというのは、国民の要望というより、外圧だった可能性の方が高くなってきます。

だとすれば、もし日本国民が、最近までの政治体制の変革を、真に熱望したのではなかったのだとすれば、わたしたち国民は、日本にとってのより良い政治の在り方とはどんなものか?ということを、再考しなければならない時期にきているのかもしれません。


日本の政治のゆくえ


個人が自分の主張を強く持たない日本の風土においては、派閥政治は案外、うまく働いていたしくみかもしれないという気もします。個人の主張が強くないとはいっても、やはりいろいろな考え方、いろいろな信念があります。それこそ日本は、血液型にしても欧米諸国と違って4タイプがせめぎ合っているのですから、”イロイロ”というなら、欧米諸国よりバラエティーに富んでいるともいえるのです。

この、「個々の自己主張は強くないけど、実はイロイロいる」という、日本独特の状況を、上手くとりまとめていたのが派閥だったようにも思えます。親分がまとめてくれるなら、オヤジがそういうなら、アニキにならどこまでもついていくよ、という、義理と人情の任侠的仲間意識は、派閥のような小さな集団でなければ生まれないでしょう。そしてそうした信頼関係に裏付けられたなかにいるとき、人は自我や我欲を薄めることができるのではないでしょうか。

まあしかし、今更、派閥政治に戻した方がいいというわけではありませんし、そうしようにも、今の時代には不可能でしょう。これはわたしが女性だから遠慮なくいえるのですが、女性議員がどんどん参加するようになった時点で、派閥政治は崩壊する運命にあったと言っていいかもしれないのです。女性はその資質上、任侠的な仲間意識には不向きなのですから。

とにかく、血液型パワーバランスが、この40年で激変しているのは間違いないことで、それが日本の政治にどう影響しているのかは、考察する必要がありそうです。政策重視の政治に変わることで、たとえ外圧があったにせよ、結果的に政治がうまく機能しているなら、それはそれでいいのでしょう。ところが、「政策」「政策が大事」と、叫んできたわりに、その結果はいかに。どうみても、少なくもこの30年間、日本の経済や暮らしが良くなったと思えることなど何ひとつもないのです。

結局のところ、政策を掲げたところで、果たしてそれは、国会で実現してきたのでしょうか。振り返ってみれば、前述したように、派閥解体の旗を挙げてその先陣をきったともいえる小泉首相のときには、それがたとえ強引すぎたとはいえ、政策を実現させたといえるかもしれません。そういう意味では、さすが小泉さんは「実行力のA」ともいえます。もちろん、小泉内閣の政策が、良かったのか悪かったのかは、ここでは論じないことにしますが。

しかしその後の日本の政治は、ほとんど機能不全に陥っているのではないでしょうか。A型が多くなると、既に定められた指針のある、安定した状況下では、非常に協調的で統一性のとれた組織運営になると考えられます。ところが、現在のような大変化の状況下では、逆に分裂することの方が多くなりそうです。A型どうしの強い信念や理念が衝突するからです。そういうときのA型がやっかいなのは、そうした反目が水面下で行われるため、表に出にくく、とにかく、はたから見ていると、グダグダと、無意味に時間がかかってしまうのです。

しかし、わたしがもっと憂慮するのは、やはりO型が少なすぎることです。O型が少ないということは、その組織に活気が失われていくことに直結します。A型と対照的な性質のB型の存在があることで、議論は活発になったとしても、何かを押し進めるのに必要になってくるエネルギーが、どうしても不足気味になるのです。今日の日本において、O型が元気がないのは、もしかしたら政治の世界だけではないかもしれません。それについては、ここでは深ぼりしませんが、とにもかくにも、今の日本の政界が不健全なのは、血液型分布をみても、よ~くわかるということなのです。

では、どんな政治なら良いのだろう。わたしには、その答えはわかりません。けれど、どのように社会を批判しようとも、それらを創っているのは、わたしたちひとりひとりであり、そしてその集合意識の結果が、目の前のカタチになって現れているのだと、わたしは考えています。

そろそろ参議院選挙も近づいてきました。ひとりひとりが、これからどのような意識で動いていくのか、それぞれが自分の舵取りをする、良い節目なのかもしれません。


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愛を込めて。




2022-06-18

地球の未来の学校『SALAM』をご紹介します!

 


インドネシアで出逢った田んぼの中の、夢のような学校


”SALAM”(サラム)については、以前の記事で何度かお伝えしてきましたが、あらためてここに、この素晴らしい学校の魅力を特集しておきたいと思います。

SALAMは、インドネシアのジャワ島の中部にある、ジョクジャカルタにあります。ジョクジャカルタは、ポロブドゥール寺院遺跡で有名な都市ですが、その端っこの小さな村の田んぼの中に、SALAMはポツンと建っています。

SALAMは、フリースクールという形式をとっており、インドネシアの公式の学校ではありませんが、インドネシアの場合、フリースクールといっても各地域の市役所が監督する仕組みも整っており、それぞれの自由な取り組みを、国が認めています。インドネシアはイスラム教国ですが、他宗教も認めており、そうした少数派のための補完となる仕組みが必要になるという、日本とは異なる事情もあるからでしょう。そういうわけで、インドネシアには、さまざまなフリースクールが存在するのです。

SALAMは、Toto Rehardjo 氏と奥様(Sri Wahyaningsih)のお2人で、2000年にその活動を始めました。Toto氏は奥様と農業を営んでいましたが、若い頃には政治的改革活動に参加したこともあり、思想家、啓蒙家としてのお顔もあります。当初は、近所の人たちの”悩み相談所”、”憩いの場”のような形で、村の相談役として週末に人々と語り合ったりするような、そんな場をつくっていました。

Totoさんのお話は、村の人々の共感を呼びました。そして、周囲からの要望もあり、学校へと発展していったのでした。最初は、幼稚園から始まりました。すると、せっかく幼稚園でのびのびした子育てをしても、小学校に行ったら、試験や宿題でぎゅうぎゅうづめになってしまい、そんな既存の学校に子どもを通わせたくないという、親御さんのご要望が強くなり、今度は小学校を作ることになったのでした。そして、小学校から中学校へ、高等学校へと、SALAMで学んだ子たちが成長するとともに、SALAMもまた、中学校、高等学校と、次々とつくることになっていったのです。

インドネシアの小学校は、日本に比べて、非常に宿題が多いのだそうです。学校から帰っても3時間ぐらいかけないと、宿題を終わらすことができないほどの量なのだとか。なぜそんなことになっているのか…事情は深く知らないのですが、とにかく厳しいのだそうです。そういう訳で、親御さんたちの中には少なからず、インドネシアの教育方針についていけない人々がおり、SALAMのような学校が、各地で求められているのです。

また、それは日本も同じですが、子どもたちの中には、非常にユニークで、周りの子どもたちと協調するのが苦手な子もいます。あるいは、”自閉症”という西洋学者が勝手につけた名称を与えられてしまう子たちも最近は増えているようで、その受け入れ場所は現在のインドネシアにはないとのことで、SALAMは、そうした子たちの救済場所ともなっています。

このような背景の中で、SALAMは誕生しました。では、ここからは、SALAMという学校の具体的な特徴をあげていこうと思います。これらは、Totoさんの書かれた「SEKOLAH BIASA SAJA」(普通の学校)本と、わたしの取材、そしてワークショップの参加体験から、わたしが理解した内容となります。


(1)SALAMを運営しているのは父母たちです


フリースクールというと、もろもろの運営費は誰が負担するかといえば、それは親御さんたちです。親御さんたちには、経済的にゆとりのかる人も、ない人もいます。ある程度、基準となる学費はあるようですが、経済的ゆとりのない親御さんからは少なく、ある方からは多くと、ケースバイケースで話合いながら決めているといいます。

毎年、親御さんたちが集まって、年間のスケジュールと予算を立てます。それを人数で割り、それが基準となりますが、経済的事情により全額の支払いが難しい人が何名かいる場合、その分を負担できる方たちで更に配分して支払う、というような形にしているとのことでした。

また、小学校、中学校、高等学校と、次々と増える段階では、建物を増築したり駐車場が必要になったりと、その都度、お金が必要になりますが、それらも全て、親御さんたちが出し合っているそうです。もちろん写真の通り、けっして立派な建物ではありません。建築も、親御さんたちの友人の大工さんなどに助けてもらいながら、ほとんど木材で、手作りのお家のような感じです。しかし、そうしてどんどん増築していったので、Totoさんご夫婦が営んでいた農業をする田畑は、無くなってしまったのだそうです。






(2)SALAMに先生は要らない


SALAMには、”教師”はいません。代わりに、子どもたちの学びを支援する役割の”ファシリテーター”がたくさんいます。それは、時間にゆとりのある親御さんであったり、大学生のボランティアであったり、その他のボランティアの方たちです。

SALAMの考え方では、”教える先生”は必要ないのです。生徒は、自分たちで課題を見つけ、自分で学び方を考え、自分で答えを探しと、全て自分で行います。とはいえ、右も左も分からない中で、そのヒントを一緒に探してくれる大人の助けは必要なので、ファシリテーターという形で、大人たちが関与するのです。SALAMのファシリテーターは、「子どもたちに答えを教えてはいけない」というルールがあります。

これまで何人かの、教師の資格を持った人がファシリテーターとして参加したのですが、彼らはやはり、どこかに「教える」という概念と姿勢が身についてしまっているので、SALAMのやり方にはどうも馴染めず、あまりうまくいかなかったのだそうです。

「子どもに大人が教えることなど何もない」
と、Totoさんは考えています。

Totoさんの本の中にも、このような記述があります。

子どもたちに"教える"という考え方は、そもそも間違いを犯します。
いったい、どうやって教えるというのか?子どもは頼んでもいないのに?

Totoさんは、子どもたちは、大人が教えたり押し付けたりしなくても、自ら課題をみつける中で、自分で学んでいくのだといいます。そして、自分自身で学んで得たことは、一方的に教えられたことにことに比べて、遥かに高いレベルで身についていくのだともおっしゃっていました。

(3)SALAMに教科書は要らない(学びの進め方)


「教科書がなければ勉強ができないよ」というぐらい、日本の一般的な学校では教科書が必需品のはずです。多くの学校、多くの先生が、教科書の流れに沿って授業を行っているわけですから。ところがSALAMに通う子どもたちは、重たい教科書をカバンに入れて、くたくたになりながら登校する必要がありません。

先生もいない、教科書もない、そんな中で、子どもたちはいったいどうやって学んでいるの?と、誰もが不思議に思うことでしょう。

SALAMの子どもたちは、まずは、自分の課題を探します。田んぼに棲む虫のこと、今夢中になっているプラモデルのこと、好きな絵本のこと、おじいちゃんから聞いた昔話のこと…etc. 何でもいいのです。8歳なら8歳なりに、15歳なら15歳なりに、新学期になると、自分の課題を見つけることから始まります。その課題に取り組むなかで、資料をとりよせ、分からない言葉を調べたり、集計するために算数を学んだりします。更にそれらの課題を追求していくと、その事柄の周辺の歴史を調べたいと思うようになったり、地理を知る必要がでてきたりもします。はたまたそれに連動して、別の関心が高まり、次なる課題を見つけ出したりもします。

つまり、自分の課題にとりくんでいる中で、国語、算数、理解、社会など、一般的な教養が、自然と身についていくというしくみなのです。しかも、一般教育法の縦割り勉強法ではなく、横断的にすべてを同時に学んでいくことになります。この学び方は、何よりも、子どもたちが自分で考える力を身につけるのではないでしょうか。

学期の終わりには、生徒が順番に30分ぐらいの持ち時間をもらい、自分の研究課題について発表します。子どもたちは、発表会をひとつの節目の目標にして課題に取り組みます。発表会は、子どもたちを成長させる良いステップになるようで、他の子たちから受けた質問や感想などで自分の反省点を知ったり、次回への意欲につながったりするのだといいます。

しかしやはり、受験勉強に明け暮れる競争社会にいる人々は、「果たして、このような生温い勉強法で、社会に出れるのか?」と疑問を持つかもしれません。ここでインドネシアのフリースクールの仕組みをいえば、中学校へ入学する年齢、高等学校へ入学する年齢では、共通試験のようなものがあり、進級するには受験しなくてはなりません。SALAMの生徒たちも、もちろんこれを受け、ほぼ全員合格して進級しているとのことです。

そのような実績と結果がでているからこそ、親御さんたちはSALAMを信頼しているのです。それにそもそも、子たちの中には、勉学の好きな子、嫌いな子、スポーツの方が得意な子、さまざまいます。つまり、子どもたち全員が、上級学校へ進学する必要はないし、勉学が優秀である必要はないと考えているのです。

ある子が、夢を叶えるために、もっと深く学ぶために、大学に進みたいと思うなら、やはりそれ相応の勉強量をこなさなければならないでしょう。ドリルと睨めっこしなければならない時期もあるでしょう。でもそれは、その子が決めることなのです。少なくても小学生ぐらいの段階では、自分の興味と関心が、いったい何であるのかを自分で探すのが、大きな目的となります。いってみれば、「自分探しの時間」だといえます。そばで寄り添うファシリテーターは、そのお手伝いをします。

子どもの頃から、自ら探究する方法や、幅広い物事の見方を身につけることは、非常に重要です。この経験は、子どもたちの将来に大いに役にたつと想像できます。

(4)SALAMでは、お金のことも学ぶ


SALAMの考え方、やり方が、子どもたちの将来を支えるにあたって、非常に実践的で現実に即しているのは、Totoさんが、O型であることも関係しているだろうと、ひそかに血液型的視点でわたしは感じています。どんなにすばらしい理想を掲げたところで、あまりに現実離れしていれば、人々の共感を得られないでしょう。

面白いことに、SALAMでは、SALAM通貨を発行しています。この通貨は、SALAM内でのみ使える通貨として、生徒たちが制作した作品を売買したりすることができるのです。何と、通貨を発行したり預けたりする「銀行」も存在し、それらは生徒たちが役割分担をして運営しているのだそうです。むろん目的は、子どもたちに、世の中のお金の仕組みを、身をもって体験してもらいたいからだといいます。Totoさんが言うには、「子どもたちに、お金に振り回される人生を送って欲しくないから」ということなのです。

したがって、SALAMの子どもたちの中には、小学生でありながら、すでに立派に商売をしている生徒もいました。夏には、生徒たちの作品を出展し、村の人々を招待する祭典も行うのだそうです。

ある生徒の記録写真集

自閉症の生徒の作品



(5)SALAMは地域と共にある


SALAMのようなフリースクールをつくりたいと考えている人たちのために、年に一度、ワークショップを開いています。わたしもSALAMの取材を兼ねて、我々の研究員である現地のスタッフとともに参加することができました。そこにはインドネシア中から、30名ほどの若い男女が集まっていました。

Totoさんが、何度もしつこいくらい話していたことは、自分たちの土地や文化にしっかり根を下ろし、そして地域の人々とともに学校づくりをしなければならない、ということでした。SALAMでは、音楽やアート、農業に関心を持つ子どもたちが多いのですが、それはなぜかというと、SALAMのある地域が、古くから民族音楽やアートの文化があり、そして農業を営む人々が暮らしているからなのです。

Totoさんが、子どもたちの学びの中で強く訴えているのは、子どもたちの関心は、まずは自分の身近なことから始まるのだと。つまり自分たちの生まれ育った土地や文化について、じっくり学び、理解していくのが、もっとも好奇心や創造性を育んでいくことになるのだということです。若い人たちは、すぐに都会へ行きたがるけれど、その風潮は、将来的にはけっして国にとっても良いことではないとTotoさんは考えています。そしてTotoさんは、このジョクジャカルタのこの土地に、しっかりと根を降ろし、インドネシア国に、そして世界に影響を与えるような人物が、SALAMから育っていくのを夢見ているといいます。

Totoさんのお話は、いちいちもっともなことばかりです。しかし、集まった若者たちは、頭では理解するものの、自分たちにその実体験がないゆえに、「では、はて、わたしの町では、どうしたらよいのだろうか?」と、少々困惑気味でした。みなさん、SALAMのそっくり真似をすれば、自分たちにもできるかもしれないという、ちょっぴり安易な期待があったようなのです。しかしTotoさん、そこはキッパリ、「SALAMの真似だけしても、成功しませんよ」と、厳しく諭しておりました。

Totoさんは、地域の人々の共感や協力が得られなければ、やはり学校運営は難しいとおっしゃいます。SALAMは、むしろ地域の人々に求められて大きくなっていったようなものであり、「実は今となっては、わたしは何もしていないのです。実際に運営しているのは、親御さんたちと、この地域の人たちですよ」というのです。

学校づくりは、やはりそう簡単ではないのですね。相当に腰を据えて、信念をもって取り組まなければならないのでしょう。


(6)SALAMのお手本は日本だった!


SALAMのモデルが、日本の黒柳徹子さんの書かれた『窓ぎわのトットちゃん』だった、ということについては、以前の記事でお伝えしました。

Totoさんに取材をして、更に詳しくお話を伺ったのですが、Totoさんが、いちばん最初に触発された本は『わら一本の革命』という、やはり日本人の福岡正信さんが書いた本だとおっしゃいます。














Totoさんと奥様は、農業を営んでおりました。そこで”自然農法”という福岡氏の考え方を知り、”自然”であることとはどういうことかと、深く考えるきっかけになったのだといいます。そして、本来の自然の在り方への理解が、子どもの教育に繋がっていったのです。

窓ぎわのトットにあるトモエ学園の小林宗作校長も、子どもたちの、より自然な成長を助けるための教育法を実践していました。小林宗作さんは、散歩をしながら立ち止まると、木々をじっと観察していたそうです。ときにそれは、1時間にも、2時間にもなることがあったと、息子さんが思い返していました。

それにしても、SALAMという素晴らしい学校を創設したTotoさんの基底部に、2冊の日本の本があったなんて、わたしにとっては小さな衝撃です。もちろん日本人のわたしにとって、それは嬉しいに違いないのですが、しかしそのいずれも、日本では、忘れ去られた偉人たちなのです。

わたしが福岡氏の『わら一本の革命』を知らなかったので、Totoさんは少し意外そうな顔をしていました。これについては、わたし自身の無知のせいでして、日本に戻って調べてみると、自然農法の世界では”神”のごとくよく知られている人物だと分かったのでした。

空襲で燃えてしまった小林宗作さんのトモエ学園は、戦後、なぜ再建できなかったのだろう。小林宗作さんは、「もう一度つくろう」と意欲をずっと持っていたといいます。ところが、誰からも支持を得られなかったのだと。考えてみれば無理もありません。戦後の日本の教育が、どのように一方向へと矯正されていったのか、それを見れば、無理もありません。

福岡氏の提唱する自然農法が、日本の高度成長期の中で量産化が一気に進み、農薬づけの野菜が全国一律に流通するなかで、ごくごく一部の人々にしか受け入れられなかったのも、無理もありません。あの時代に、無理もありません。

かつての日本には、素晴らしい智慧があり、そういう智慧を生み出す人たちがいた。そしてそういう人たちが育つ土壌があった。今はどうなんだろう。今の日本は、いったいどうなってしまったのだろう。インドネシアから帰国する飛行機の中で、それらのことが脳裏をいったりきたりしながら、わたしは悶々としていたのでした。

とはいえ、それらの智慧は今、海の向こうのインドネシアに蒔かれ、その種が芽をだしました。SALAMのキラキラした瞳の子どもたち。その美しい空間を思い出すだけで、わたしはうっとりするのです。

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SALAM特集は以上になります。今後ふたたび、SALAMを訪れたときには、追ってレポートをご報告いたします。

SALAMの紹介動画もぜひごらんください。

未来の学校~SALAM



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愛を込めて。



2022-06-13

血液型を活用する3つのポイント



能見正比古は、1971年に記念すべき「血液型でわかる相性」を出版した後、1973年に「血液型人間学」という2冊目の著書を出版しました。そしてこのタイトルの通り「血液型人間学」を新しい学問として世に提唱したのでした。その後は、「血液型活用学」「血液型愛情学」「血液型政治学」・・・など、各テーマに沿って主要な書籍を全部で12冊ほど世に送り出しました。

これらの書籍を熟読すれば、人生のさまざまな側面に応じた血液型活用法が、およそのところは理解できます。そしてもちろん、どう活用するかはその人の工夫次第なので、中には素晴らしい活用法を実践してきた方もいると思うのですが、多くは、その中身の濃さ程には、活用できていないという事実もあります。

あるいはこれは血液型人間学だけでなく、世にあるノウハウ本の全てに共通するかもしれないですが、頭で理解したのと同じようには、自分のリアルな生活に活かせないというのがあるようなのです。
そんなことで、ではどうしたら本当の意味で活用できるのだろうか?というのを私自身の経験も踏まえながら考えてみました。それには大きく3つのポイントがあります。

●ポイント1

人間を理解する姿勢

これは最も重要だけど最も難しいともいえます。そもそも血液型ありきではなく、人間ありきでの血液型なのですから、たとえ血液型の特徴だけ知り尽くしたところで、人間そのもに寄り添う気持ちがなければ使い道を誤る可能性もあります。

ただしここでの問題は、そもそも私たち人類が、どこまで自分たち人間のことを理解できているのか?というところもあります。
まあ、ですから、今の私たちに出来ることは、「理解しよう」「理解したい」という、人間に対する興味と関心を真摯に、純粋に向ける姿勢が大切なのだと思います。

●ポイント2

ディスカッションする

人間の行動や思考、あるいは心の動きについては、デリケートな面があり、なかなか自由な発言が出来ないという現状があります。
血液型についても、下手に口走ると誰かを傷つけるかも?うさんくさい(と信じている人も居るので)事に関心がある人だと思われるかも?というように、躊躇してしまうこともしばしばあります。

実は私はこれまで、「自分の中で静かに活用するのが賢い使い方です」と言ってきたのですが、むろん、それはひとつの側面では正しいのです。けれど、自分の中だけで納得してしまうと、間違った認識かどうかを確認することが出来なくなります。それが血液型特有の特徴なのか、その人固有の特徴なのか(また別の働きなのか)を見分ける微妙なラインも多く存在するからです。

するとやはり、意見を交換する場がどうしても必要になります。それは当然、血液型人間学を学びたいという同じ気持ちを持った人たちと交流するのが良いでしょう。そして血液型人間学の場合、他の人たちとディスカッションする中で、「あ、そうか!」と気づくことが実に多いのです。

●ポイント3

気長にじっくり学ぶ

ある程度、血液型で人間を観察し始めると、ちょっと分かったような気分になります。
「B型ってこうなのよ」「あ~、A型だと思ったわ、やっぱり」みたいな感じで。
おしていつの間にか、自分独自の枠組み(カテゴリー)を構築してしまうのです。人間の脳って、そういう風にできているんでしょうね。

ところが、8割がたはその枠に収まるかもしれませんが、収まらないこともままあります。
何年経っても、「あ、こういうA型さんもいるんだなあ…」というような場面に出くわすのです。

固定観念をつくらない為に、こうした人間に関する学びは永遠に終わらない、ということを悟る必要があります。それに「人間」という、流動的で変化に富んだ存在を対象にする場合、正解は無いようなものでもあります。気長に、柔軟に、学ぶ姿勢がとても大切なのです。



「血液型人間学」が、人類の連帯と、人間愛を育むための学びになりますよう、心から願います。

2022-03-13

ゲノム解析はABO血液型の真実に迫れるか?~『交雑する人類』より(Part2)


ABO血液型の地域差はなぜ起こったのか?


デイヴィット・ライク氏の著書、「交雑する人類」を紹介した記事の続きです。前回の記事では、5万年前までの超古代についてゲノム解析で分かったことを、書籍の前半を読みながらまとめました。

180万年前に「出アフリカ」をしたホモ・エレクトスや同類の旧人類たちは、地球全土に散らばっていき、そして各地で各々進化した形跡があり、そして5万年前、再度「出アフリカ」をしたホモ・サピエンス(現生人類)たち。更にはアフリカとユーラシアを行きつ戻りつしながら、各地の古代人たちと複雑に交雑し、現代人へと進化してきたらしいというものでした。

書籍の後半では、世界各地における人類の移動の形跡を追いながら、現代人へつながる進化の道のりを探る試みが紹介されています。しかしこの、世界中を網羅する壮大なプロジェクトは、始まったばかりです。新しい事実が発見されれば、次々と内容が塗り替えられていくでしょうともいっています。

ここでのわたしの関心は、「では、ABO血液型は、どのような経緯で現在のような構成に至ったのだろうか?」ということです。以下からは、わたしの考察になります。

ABO血液型の比率は、世界の各地域によってずいぶん異なります。



分かり易くするために色分けしていますが、もちろん実際はこれほど明確なわけではありません。とはいえ、南半球にO型が多く、ヨーロッパと北米にA型が多く、東アジア全域と東南アジアにB型が多い、というふうに明らかな地域差があることは確かです。

それには、ウィルスや細菌による自然選択があっただろうというのが、原因のひとつとして考えられます。しかし、古代人の移動経路からも何か分からないだろうか?と思います。

以下は『人類は交雑する』で述べられている主要な移動ルートをひとつの地図にまとめたものです。



ABO血液型発生のシナリオ


予測できる範囲では、②の出アフリカ、そして③、④までのルートを見ると、その時点ではO型とA型だけだった可能性もあります。(ヨーロッパとオーストラリア、アメリカ大陸にはB型が非常に少ないため。)

いちばんの問いは、「B型が、どの時点で、どの地域で発生したのだろうか?」ということですが、最初は単純に、B型率の非常に多いインドやモンゴルなどが発生場所ではないかと考えていました。ところが、アフリカの、特に西アフリカの地域では、B型が結構多く見られます。アフリカ以外でB型が発生したとすれば、逆ルートでアフリカに流れていったことになります。果たしてそういうことはあるのだろうか?一旦出たものたちがまた戻るだろうか?と、そこで思考が停止していました。

ところが『交雑する人類』によれば、ユーラシアとアフリカを、古代人は何度か出たり入ったりしている可能性があるというのです。ならば、B型が、アフリカ外で発生した可能性もあるということになります。

実際、その方が説明しやすいのは、もし「全てはアフリカから始まった」としてしまうと、「なぜB型は、ヨーロッパとオーストラリアへ向かわなかったのだろうか?」という問いに上手く答えられないのです。ただし、この何万~何十万年という長い年月の間に、いったいどんな天変地異が起こったのか、あるいは絶滅に瀕するようなどんな疫病が流行ったのか、その間の空白が多すぎて、確かなことは何も言えません。とはいえ、ここで一旦整理してみます。

とりあえず、O型とA型はチンパンジーにも存在していて、現生人類はチンパンジーと共通祖先を持つとされていることを考えるなら、A型とO型は、初期の古代人も既に持っていたと考えられます。その後のシナリオとして考えられるのは以下のようなものでしょうか。

①最初にO型が、続いてA型が、古代アフリカに存在し、出アフリカからヨーロッパへ、オーストラリアへと散らばっていった。(時期は不明だが)ある時点で、インド、モンゴル、中近東のあたりでB型が発生した。そこで交雑が起こり、一部の古代人はアフリカへ帰還した。その際、西アフリカを中心にB型が広がっていった。また、最初のアメリカ人のルートは、ユーラシア人から分岐した古代人(2万年前ぐらい)であったが、そのときB型は、まだ存在しなかった可能性がある。

②最初にO型が、続いてA型が、古代アフリカに存在し、出アフリカからヨーロッパへ、オーストラリアへと散らばっていった。それからしばらくした後、やはりアフリカ(西アフリカ)でB型が発生した。そして再び出アフリカをしたが、その群れはユーラシアと東アジアルートへ進んだ。(ヨーロッパとオーストラリア、アメリカへは行かなかった。)※西アフリカ周辺のB型率はやや高く、西アフリカはB型の多いゴリラの生息地でもあります。あるいはゴリラとの共通祖先がB型を持っていて、現生人類とは別種の旧人類として進化していた可能性も考えられます。


話を書籍に戻すと、他にもいくつか興味深いことが、ゲノム解析によって分かったといいます。たとえば、上記の移動ルートを考えると、南米とユーラシアの間の方が共通性が高いはずの遺伝子が、なぜかオーストラリアとの方が共通性が高くなっているものがあるというのです。つまり、オーストラリアと南米を行き来するルートが存在したかもしれないというのです。するとこんなシナリオも考えられます。

→最初の出アフリカではO型を獲得している旧人類のみが全世界へ散らばった。(ユーラシア、ヨーロッパ、オーストラリア、東アジア、南アメリカ/オーストラリア経由)
→次の出アフリカで、A型を獲得している存在が加わり、ユーラシア、ヨーロッパ、オーストラリア、東アジア、北アメリカ/東アジア経由)※オーストラリア経由は何らかの状況変化で利用できなくなっていた。
→更に時間をおいて次の出アフリカで、B型を獲得した旧人類がユーラシア、東アジアへ向かった。


1万年前~5000年前ぐらいになると、各地域に散らばった人類祖先たちは、それぞれの場所に定住するようになり、古代文明の開化となっていきます。ABO血液型もそのあたりまでは、もっぱら病原菌や食物に対する免疫作用が主な働きだったのかもしれません。そして社会のしくみが構築されていく中で、体質、脳やホルモン、情緒など、行動や性格にまで影響するような働きに、その機能を拡大させていったのかもしれません。

しかし、深く考えるほど、更に迷路に入っていくような感じもあり、やはりまだ重要なピースがハマっていないのだとも感じてしまいます。全ゲノム解析プロジェクトは、まだ始まったばかりのうえ、今のところ、解析はできても、その遺伝子がどのように人間に作用するかまでは、ほとんど読み解くことができていないのだとも言っています。答えにたどりつくには、いましばらく待つしかないのでしょう。

最後のほうでライク教授は、ゲノム研究の問題点についても言及していました。現在もやはり、ゲノム解析に対する人々の抵抗感が、少なからずあるのだと。ある人たちは、ナチス時代のような非人道的な形で使われることを懸念し、ある人たちは、先祖のルーツが明かされることで民族や宗教の崩壊になるのではと懸念する…。

しかしライク教授は、それには充分な配慮と注意を払うべきだが、だからといって研究しないとなってしまったら、この研究によってもたらされるであろう、人類にとって有益な情報や恩恵を放棄することになってしまう。それでいいのだろうかと。まさに、ABO血液型について研究しているわたしたちも、ライク教授と同じことを思っているのです。

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2022-03-07

全ゲノム解析が古代史の謎を解く~『交雑する人類より』



古代DNA解析で何が解ったのか?


この数年、日本人のゲノム解析に関する新情報をよく耳にするようになりました。このブログでも何度か取り上げたことがありますが、閲覧数が割と多いのをみると、関心のある人もそれなりにいらっしゃるのだと思います。 ヨーロッパ各地では、既に2012年あたりから古代史大ブームが到来しているそうで、こうした最新研究の報告もまた、それを後押ししてきたのかもしれません。

ただ実際のところ、わたし自身も断片的な情報しか知らず、全体像を把握していませんでした。そうかといって膨大にある論文を読みこなすなど、ハナから諦めていたわけで、結局、後回しにしていたのです。そんな矢先、不精者のわたしには打ってつけの書籍が出ていたことを知りました。

手にした本は、この分野では最先端の研究として評価されているという、デイヴィッド・ライク(David Reich)教授の書籍、『交雑する人類』(2018年/NHK出版)。専門知識がないと理解しにくい研究を、こうして一般書で著してくれるのは大へんありがたいことです。また、論文には決して書かれないような、研究の背景を垣間見ることができるのも魅力です。

そういうわけで、最近のゲノム解析が、人類の古代史の謎をどこまで解明できたのか、ライク教授の著書を参考に紹介してみようと思います。またライク教授は、今後、新事実が解ってくれば、ここにある説も書き換えなくてはならないだろうと言います。「常に柔軟に、新しい事実を受け入れなければならない」という、ライク教授の研究姿勢にも共感できます。

(※書籍は2018年発行のため、2022年の現在では既に書き換えられていたり、新しい事実が加わっていると思われます。全ての最新情報をフォローできないことをご承知願います。また、なるべく難しい言い回しを避けたいため、引用以外ではわたしの言葉で噛み砕いて表現していますので、正しく理解するには本書を読まれることをお勧めします。)

アフリカで誕生したアダムとイヴの真実


「人類(現生人類)誕生にはひとりの”イブ”がいた」(ミトコンドリア・イヴ)というニュースが世界中を巡ったのは、1987年のこと。それは天地創造の物語りを人々に思い起こさせるものであり、瞬く間に人々に伝わったのですが、一方で誤解を生んでしまったともいいます。それというのは、母系をたどれるのがミトコンドリアDNAなら、父系をたどれるのはY染色体ですが、これらをたどりさえすれば、ひとりのアダムとひとりのイヴに繋がるという、誤った印象を与えてしまったからだというのです。

実際にはそのような単純なものではなく、そのアダムとイヴにしても、子孫を上手く残せなければどこかで途切れてしまうのであり、こうした発表は、運よく繋がりを保ったアダムとイヴを発見できたということになります。とはいえ、その運の良い、最も古いミトコンドリアDNAとY染色体は、いずれもアフリカで多く発見されていることから、現生人類のアダムとイヴは、アフリカで誕生した(アフリカ起源説)と考えられているのです。

その後、2001年にヒトゲノムの塩基配列が決定されます。するとゲノム解析装置が開発され、その性能は徐々に高まり、今ではゲノム全体の配列比較が可能になったことで、それまでミトコンドリアDNAとY染色体だけで語られてきた人類史研究に、新たな革命をもたらしました。

最新の解析技術を駆使した、全ゲノム解析を試みるライク教授ら研究チームの視点で見るなら、古代から受け継がれてきた全ゲノムとは、さまざまな先祖DNAのモザイクのようなものであり、いくつもの組み替えを生じさせながら伝えられてきたものあり、たった”ひとりのアダムとイヴ”を印象付けるのは、少々乱暴すぎるだろうということなのです。

現在、人類のゲノム解読については世界中のさまざまな研究チームが取り組でいます。そしてそれぞれの目的、それぞれの異なる視点や見解で解析がなされていますが、ライク教授らのチームは、”古代DNA”という大きな括りの中で、そうした異なる見解や局所的な発見を取り込みながら、必要に応じて協働し、世界中を網羅するネットワークを構築しようとしています。現在の地球上に散らばる多様な人類の過去を、解き明かしていこうとする、壮大なプロジェクトが始まっていると言えるでしょう。


現生人類の進化はいかにして起ったのか?


学者だけでなく、私たちの人類研究に対するもうひとつの問いは、「人類が他の動物とは異なる独特の存在になったのは何故か?」「人類の進化はどのように起きたのか?」というものでしょう。

当初、遺伝学者たちは、ある遺伝子に一つの変異が起こり、その頻度が増加することで飛躍的進化を促すのではないか、という説を唱えました。(遺伝子スイッチ説)そういう特別な遺伝子として注目されたのはスバンテ・ペーボ博士の報告した「FOXP2遺伝子」で、これは発話や言語に関わる遺伝子とされています。2010年、スバンテン・ペーボ氏は、ネアンデルタール人の全ゲノム配列を解読し、現代人と変異の異なる10万か所をリストにあげました。

しかしライク教授が古代DNA解析を進める中で得たことは、FOXP2遺伝子のような数個の遺伝子が変異しただけで進化が促進したのではないというものです。それにはもっと多くの変異した遺伝子が関わっており、それらが外部からの圧力によって自然選択され、一斉に増加した可能性があると言います。そしてまた、そのせいでライフスタイルのさらなる変化が起こるという、自己促進サイクルによるものではないかとしています。

事実、今の段階では、ゲノム革命によってヒトの生物学的特性を説明するには、あまりに複雑すぎるというのです。
わたしたちはまだそれが何なのかを突き止める入り口にたったばかりだ。ゲノムを読むことに関して、わたしたちには幼稚園児なみの能力しかないからだ。一つひとつの言葉の意味はわかる。つまりDNAの文字の連なりがどのようにしてタンパク質に翻訳されるかは知っている。だが、まだ構文解析はできない。

ライク教授は、今のところ最も成功を収めているのは、ヒトの移住を明らかにする分野であるとし、そこから見える物語というのは、多様な集団の大規模な混じり合いという驚きの物語りであり、今日の人類の集団間にある差異とは、まったく違うものだと言います。


アフリカ単一起源説は真実か?~ネアンデルタール人との交配


人類の祖先とされるホモ・エレクトゥスなどの類人猿から分岐したのち、現生人類はさらにネアンデルタール人と分岐したとされていますが、ネアンデルタール人のミトコンドリアDNAが現代人とは遠く隔たりがあるせいで、この両者は交流しなかったと考えられてきました。しかし、ペーボ博士の研究に参加したライク教授は、ネアンデルタール人と現生人類が交配した証拠が、ゲノムの至る所、そして至る地域にあることを突き止めました。

そうなると、現生人類の進化や拡散は、そう単純なものではないかもしれないと予測されます。現生人類が出アフリカであることには違いないとしても、ネアンデルタール人と現生人類の間には密接な交流があった可能性があり、その交雑集団の一部は生き残り、今日の多くの人々の祖先となっているのです。

ネアンデルタール人は、彼らが生息していたユーラシアを覆った氷河期の影響に加え、ゲノムの多様性が少なかったことで、次第に自然選択されながら絶滅することになりますが、現生人類に、ユーラシアの環境に適応するための遺伝子を伝えるという遺産も残していったようです。

そして、「ネアンデルタール人が唯一現生人類と交配した旧人類なのか?」という新たな展望が見えてきます。研究チームは、世界各地で発見されている古代の骨についても、同様の解析を精力的に行っていきました。すると、デニソワ人などの幾種かの旧人類と、未知の旧人類と、さらには既に痕跡は無いものの、想定せざるを得ないゴーストの集団が、各地に存在していたであろうことが見えてきました。

生物の系統樹を作る場合、普通は枝分かれした樹木の枝が再び一緒になることがないのと同じで、種と種の交雑はめったに起こらないことを前提にしているのですが、ヒトの集団に関しては、それが誤りの元になるといいます。ヒトの集団では、極めて多様な集団が、分れては融合し、大規模な混じり合いを繰り返し起こしていることを、ゲノムが教えてくれるているです。

ライク教授らの解析によると、各地域に出現する旧人類のそれは、あらゆる地域に及んでいて、もはや系統立てて説明するのは困難に思えるほどです。以下に古代の現生人類交雑の概略を簡単な図に表しました。現生人類、つまりわたしたちの直系となる古代祖先たちは、各地域の環境に適応していた旧人類たちとの交雑によって、遺伝子の自然選択を行いながら現在に至っている、ということになります。



【現生人類がいた時代の分岐と時系列】

 ┃700-500万年前
 ┣┯┯┯┯※チンパンジーと分岐
 ┃
 ┃320万年前
 ┣┯※アウストラロピテクスの化石
 ┃
 ┃180万年前
 ┣┯※ホモ属の出アフリカ(ホモ・エレクトゥスなど)
 ┃
 ┃  ┏┯●デニソワ人
 ┃  ┣┯●その他の旧人類
 ┣┯┯┻┳┯●ネアンデルタール人
 ┃   ┃
 ┃77万~55万年前(推定される分岐)
 ┃   ┗┯●現生人類(ホモ・サピエンス)
 ┃
 ┃30万~25万年前
 ┣※1~22番染色体の全てを現代人と共有する最新の共通先祖がいたと推定。
 ┃
 ┣┯┯┯┯┯┯┯●西アフリカ人・サン族
 ┃
 ┃16万年前
 ┣※ミトコンドリアDNAによる最新の共通先祖がいたと推定。
 ┃
 ┣┯┯┯┯┯┯┯┯┯●東アフリカ人
 ┃
 ┣┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯●西ユーラシア人
 ┃
 ┃7万~5万年前
 ┣※現生人類が再び出アフリカ
 ┣┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯●東アジア人
 ┃
 ┃
 は古代人
 ●は現代人の最新の共通先祖


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分かり易い図にまとめたいと試みましたが、どうやら複雑すぎて難しいようです。また、この研究は引き続き調査中ですので、いずれも推定ということになるのでしょう。また、これらの見解については、一部議論が続いているものもあるようです。

現在のところ、この研究がヨーロッパを中心に行われ始めたため、ヨーロッパ地域については多くのことが分っているといいます。たとえば、ネアンデルタール人との交雑についていうなら、ユーラシア地域が生息地だったネアンデルタール人のDNA痕跡を、ヨーロッパ人が多く持っていてもいいはずなのに、アジア地域に比べて少ないといいます。その理由は、ヨーロッパ人が、他の旧人類も含めてより多くの交雑が行われてきたからであろうと推測しています。

アジア地域については、今後たくさんのことが分ってくるだろうとのことです。ここに紹介したのは本書の前半ぐらいまでの内容です。後半では各地域についての交雑や人の流れが、より詳しく書かれています。現生人類が最後の出アフリカを果たしたとされる5万年前以降は、各地の試料も多く集まっているようで、それらを整理するのに時間が必要で発表の方が追いつかないとのことです。

古代の人類の進化には、多くの種が関わっていたということが明らかになったことで、わたしの頭も幾分スッキリしました。ライク教授のいうように、トピック的な情報しか取らない人や、わたしのようなウッカリ者は、「最後の純粋な現生人類だけが生き残り進化した」という印象を持ってしまうのです。しかし、現代人の多様さは全てが自然選択の結果だ、とすると違和感が拭えないのです。そこのピースがピッタリはまったことは大きな進展だと思います。

いずれにしても、およそ1万数千年前頃までが現生人類がいた時代となり、それ以降が、現代人に直接つながっていく歴史となっていると考えられます。わたし自身は、自分の研究であるABO血液型の観点から古代史について理解しておきたいわけですが、おそらくABO血液型が、今のような形での生物学的行動に関わる深いつながりを持ち始めたのも、その頃からではないかと考えています。もちろんABO遺伝子は、もっとずっと以前から、自然進化の中で既に存在していたのですが、人間の行動に影響を及ぼすような機能を発揮し始めたのは、現代人としての意識がめばえ始めた1万年ぐらい前からではないだろうかと、今のところ予測しているのです。


このつづきは、本書の後半を紹介するとともに、ABO血液型についてもあわせて考えていきたいと思っています。(期日は未定ですが…。)



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2022-02-09

2022冬季オリンピック~氷の祭典を血液型で観察してみる



冬のオリンピックが開催されています。

まずは日本代表選手たちの血液型データを、一部ですがご紹介します。

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◆フィギュアスケート

(男子)
羽生結弦(B型)
宇野昌磨(B型)
鍵山優真(O型)
補欠:三浦佳生A/友野一希B/三宅星南A

(女子)
坂本花織(B型)
樋口新葉(A型)
河辺愛菜(O型)
補欠:三原舞依A/宮原知子B/松生理乃B

(ペア)
三浦璃来(O型)
木原龍一(A型)

(アイスダンス)
小松原美里(B型)
小松原尊(O型)

◆スピードスケート
(男子)
新濱立也(A型)
森重航(?)
村上右磨(B型)
小島良太(?)
一戸誠太郎(B)
小田卓朗(A )
土屋良輔(AB)

(女子)
小平奈緒(A型)
高木美帆(O型)
郷亜里砂(A型)
佐藤綾乃(A型)
高木菜那(A 型)
押切美沙紀(O型)
小坂凛(O型)
堀川桃香(B型)

◆カーリング女子
(ロコ・ソラーレチーム)
藤澤五月(A型?)→(O型?)
吉田夕梨花(A型)
鈴木夕湖(O型)
吉田知那美(A型)
石崎琴美(B型)

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※今後の競技を観察しながら、コメントを書き加えていきたいと思います。


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◎その後のご報告が遅くなってしまいましたが、選手たちの活躍をピックアップして以下にまとめます。


▶アイスホッケー女子

B型美女はアイスホッケーがお好き?


日本のアイスホッケーチームは不利な環境条件がありますし、まだまだ強くなれないというイメージがありましたが、今回の女子チームは想像以上に活躍してくれました。

興味深かったのは、B型率が異常に多かったことです。

血液型人数分布
O627.27%
A731.82%
B940.91%
AB00.00%
合計22100%
血液型不明の人数1

なんと、日本人平均から想定される倍の人数です。アイスホッケーは消耗が激しいために選手が次々と入れ替るのだそうですが、先行メンバーにはやはり強豪選手がスタンバイすることが多いらしく、すると、GK以外は100%B型という試合もありました。

さて、これはいったい…?それで、研究メンバーの意見などを聞きながらいろいろ考察してみました。

Q.B型はアイスホッケーを好むのか?あるいは得意なのか?

確かにB型は、一般的には少々珍しいような、マイナーなことに関心を持つことは多いのです。ただし、全国のアイスホッケーチームの構成をざっと見たところ、中にはO型が半数以上のチームなどもありましたので、全体象は見えませんでした。つまり今の段階では、アイスホッケー女子チームにB型が多いとは言い切れません。

Q.B型がアイスホッケー競技と同調する特性があるとすればどんなところが考えられるか?

スピード感が…でしょうか。B型は、音楽などでもリズムカルで速いスピードを好む傾向があります。ノリが良いのが好きなんですね。アイスホッケーのように目まぐるしく展開が速いのは、好みかもしれません。また、B型の物おじしない積極性なども、こうした激しいスポーツでは生かされそうです。

結論は、今大会の選抜チームにおいて、監督・コーチ陣が、積極的に得点できる選手を抜擢していったら、結果的にB型がこんなに多くなった、ということだと思います。チームワークより得点することを重視したんですね。(そもそもアイスホッケーとはそういう競技なのかもしれませんが。) ちなみに、GK3名の血液型はA型2名とO型1名した。この大会では特にA型GKが活躍したようです。これもまたA型らしい配置です。監督・コーチの選抜が、功を奏したということで、それが結果的に血液型の偏りとして現れていたということでしょう。

それにしても、アイスホッケー女子チーム、美人さんが多いのです。ヘルメットを被っているので競技中は一切お顔が見えないのですが、実は…!という感じであります。


▶カーリング女子

AOチームの明るい結束力で銀メダルを手にしたロコ・ソワーレ


チームのリストは前出してありますが、藤澤五月選手の血液型が公式にないのではっきりしません。しかしおそらく、A型とO型のチームであることは間違いないでしょう。

度々ご紹介しているように、目的が明確であるときのチームワークということに関しては、A型とO型はすばらしい結束力を発揮できます。そもそも”集団性”に対する観念に共通点があるので、合わせやすいのです。それに加えてロコ・ソワーレの場合、ミスがあっても、たとえ追い込まれていても、常に笑顔でポジティブにいようとする姿勢が、目に見えるカタチでも見えないカタチでも、非常に良く働いていると感じます。

A型スポーツ選手が、自分の弱点を克服しようとするとき、まず取り組むことはミスしたときの回復力でしょう。それが独りスポーツの場合、A型にとってそれなりの試練になりますが、こうしたチームの場合は、お互いの痛いところが分かり合えるので、「いいよ~」「大丈夫だよ~」と、上手くフォローし合うことができます。ロコ・ソワーレチームは、その術を身につけているんですね。


▶スピードスケート

O型エネルギーが全開だった高木美保選手のパワー

今大会の高木美保選手の活躍には驚きでした。
500m-銀メダル、1000m-金メダル、1500m-銀メダル、そしてパシュートにも出場して銀メダルを獲得しています。その他にも、6位入賞でしたが3000mにも出場したんですね。ひとりが5種目も出場したのは男女共に高木選手だけ。もしかすると日本史上初めてかもしれません。(過去に橋本聖子さん(B型)が4種目出場しました。)

なぜにこんなにパワフルなのか。O型だからと言ってしまったら、大へんにヒンシュクを買いそうですし、もちろんそう単純なことではありません。とはいえ、O型でなければ成し遂げられなかったもしれないな、というのは正直あります。

実際に、O型が他よりエネルギー代謝が旺盛であることは、生物学的にもある程度の割合でわかっています。つまり、その分ハードな運動にも対応できるということです。そしてまた、O型の筋肉の質にも関係していると考えています。O型の筋肉なら、耐えられるということを証明したのではないでしょうか。

おそらくA型やAB型の硬くなりやすい筋肉では、何種目も出場するのは不可能でしょう。今回は残念ながら良い結果を出せなかった小平奈緒選手(A型)ですが、しかし小平選手はものすごい頑張り屋さんで、現在のスピードスケート女子界を引っ張ってきたともいえる存在です。そんな小平選手でさえ出場種目は最小限にしています。


▶スノーボード

宙を舞うのは怖いもの知らずのO型とB型?


スノーボードというと、わたしぐらいの世代にとっては、”若者の好む遊び”というイメージが離れません。観ていてもとにかく楽しそうで、「若かったらなあ、やってみたかったなあ」なんて思ってしまうのは、わたしだけでしょうか。かといって、AB型のわたしにとって体質的に耐えられるかどうかは、分からないところでもあります。

今大会に出場した選手たちのリストを見ると、血液型が判らない選手も2割ほどいるので正確なところはいえませんが、A型が案外多くいます。ところが成績の良かった選手は、O型とB型でした。

村瀬 心椛 B型 銅メダル(ビッグエア)
富田せな O型 銅メダル(ハーフパイプ)
平野歩夢 O型 金メダル(ハーフパイプ)

技術的に益々高度になっている現在、空中で体を回転させる動作が多くなっています。すると体のバネ(この表現は正しくないかもしれませんが)が良く効く必要性を感じます。あるいは柔軟度もあった方が良さそうです。するとやはり、O型やB型の体質の方が力を発揮しやすい気がします。

定められた距離の中で得点をとれるパフォーマンスを見せていかなければならないので、どのようなパフォーマンス構成にするかも大事になってくるようです。O型の平野歩夢選手は、その場の競技の成り行きをみながら構成を組み立てることが出来るのだそうで、そこはO型の勝負師性を発揮できるところだと思います。今大会の平野選手の挑戦は、とても素晴らしかったです。


▶スキージャンプ

”形”の美しさを競うなら、A型に敵うものはいない!

ヨーロッパ諸国に比べたら温暖な気候の日本において、冬のスポーツが活性するのは少々不利というもの。しかしそれに風穴をあけてくれたのがスキージャンプでした。時は1972年の札幌オリンピック。笠谷幸生選手を始めとする日本選手たちが、金、銀、銅をみごとに獲得し、日本中が大喜びをしたのを覚えています。(残念ながら、選手たちの血液型が不明です。)

そのせいで、日本が積雪に不利な条件は変わらないにも関わらず、やけに期待してしまうことろがありました。しかし以後はあまり活躍できずにいたわけですが、1998年の船木和喜選手が久しぶりに金メダルを獲得し、今回は24年ぶりの金メダルを手にしたことになります。

小林 陵侑(A型)ノーマヒル(金メダル)、ラージヒル(銀メダル)

スキージャンプは、飛距離と形の美しさ、2点で競うことになります。とてもシンプルな競技なので、練習には本当に、根気が必要だと思います。そして形の美しさを追求するとしたら、A型に適う者はいないのではないでしょうか。日常生活の中の普通の人々の中でも、A型の動作や振る舞いの美しさは際立っているように思います。




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【関連動画】

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