2022-06-18

地球の未来の学校『SALAM』をご紹介します!

 


インドネシアで出逢った田んぼの中の、夢のような学校


”SALAM”(サラム)については、以前の記事で何度かお伝えしてきましたが、あらためてここに、この素晴らしい学校の魅力を特集しておきたいと思います。

SALAMは、インドネシアのジャワ島の中部にある、ジョクジャカルタにあります。ジョクジャカルタは、ポロブドゥール寺院遺跡で有名な都市ですが、その端っこの小さな村の田んぼの中に、SALAMはポツンと建っています。

SALAMは、フリースクールという形式をとっており、インドネシアの公式の学校ではありませんが、インドネシアの場合、フリースクールといっても各地域の市役所が監督する仕組みも整っており、それぞれの自由な取り組みを、国が認めています。インドネシアはイスラム教国ですが、他宗教も認めており、そうした少数派のための補完となる仕組みが必要になるという、日本とは異なる事情もあるからでしょう。そういうわけで、インドネシアには、さまざまなフリースクールが存在するのです。

SALAMは、Toto Rehardjo 氏と奥様(Sri Wahyaningsih)のお2人で、2000年にその活動を始めました。Toto氏は奥様と農業を営んでいましたが、若い頃には政治的改革活動に参加したこともあり、思想家、啓蒙家としてのお顔もあります。当初は、近所の人たちの”悩み相談所”、”憩いの場”のような形で、村の相談役として週末に人々と語り合ったりするような、そんな場をつくっていました。

Totoさんのお話は、村の人々の共感を呼びました。そして、周囲からの要望もあり、学校へと発展していったのでした。最初は、幼稚園から始まりました。すると、せっかく幼稚園でのびのびした子育てをしても、小学校に行ったら、試験や宿題でぎゅうぎゅうづめになってしまい、そんな既存の学校に子どもを通わせたくないという、親御さんのご要望が強くなり、今度は小学校を作ることになったのでした。そして、小学校から中学校へ、高等学校へと、SALAMで学んだ子たちが成長するとともに、SALAMもまた、中学校、高等学校と、次々とつくることになっていったのです。

インドネシアの小学校は、日本に比べて、非常に宿題が多いのだそうです。学校から帰っても3時間ぐらいかけないと、宿題を終わらすことができないほどの量なのだとか。なぜそんなことになっているのか…事情は深く知らないのですが、とにかく厳しいのだそうです。そういう訳で、親御さんたちの中には少なからず、インドネシアの教育方針についていけない人々がおり、SALAMのような学校が、各地で求められているのです。

また、それは日本も同じですが、子どもたちの中には、非常にユニークで、周りの子どもたちと協調するのが苦手な子もいます。あるいは、”自閉症”という西洋学者が勝手につけた名称を与えられてしまう子たちも最近は増えているようで、その受け入れ場所は現在のインドネシアにはないとのことで、SALAMは、そうした子たちの救済場所ともなっています。

このような背景の中で、SALAMは誕生しました。では、ここからは、SALAMという学校の具体的な特徴をあげていこうと思います。これらは、Totoさんの書かれた「SEKOLAH BIASA SAJA」(普通の学校)本と、わたしの取材、そしてワークショップの参加体験から、わたしが理解した内容となります。


(1)SALAMを運営しているのは父母たちです


フリースクールというと、もろもろの運営費は誰が負担するかといえば、それは親御さんたちです。親御さんたちには、経済的にゆとりのかる人も、ない人もいます。ある程度、基準となる学費はあるようですが、経済的ゆとりのない親御さんからは少なく、ある方からは多くと、ケースバイケースで話合いながら決めているといいます。

毎年、親御さんたちが集まって、年間のスケジュールと予算を立てます。それを人数で割り、それが基準となりますが、経済的事情により全額の支払いが難しい人が何名かいる場合、その分を負担できる方たちで更に配分して支払う、というような形にしているとのことでした。

また、小学校、中学校、高等学校と、次々と増える段階では、建物を増築したり駐車場が必要になったりと、その都度、お金が必要になりますが、それらも全て、親御さんたちが出し合っているそうです。もちろん写真の通り、けっして立派な建物ではありません。建築も、親御さんたちの友人の大工さんなどに助けてもらいながら、ほとんど木材で、手作りのお家のような感じです。しかし、そうしてどんどん増築していったので、Totoさんご夫婦が営んでいた農業をする田畑は、無くなってしまったのだそうです。






(2)SALAMに先生は要らない


SALAMには、”教師”はいません。代わりに、子どもたちの学びを支援する役割の”ファシリテーター”がたくさんいます。それは、時間にゆとりのある親御さんであったり、大学生のボランティアであったり、その他のボランティアの方たちです。

SALAMの考え方では、”教える先生”は必要ないのです。生徒は、自分たちで課題を見つけ、自分で学び方を考え、自分で答えを探しと、全て自分で行います。とはいえ、右も左も分からない中で、そのヒントを一緒に探してくれる大人の助けは必要なので、ファシリテーターという形で、大人たちが関与するのです。SALAMのファシリテーターは、「子どもたちに答えを教えてはいけない」というルールがあります。

これまで何人かの、教師の資格を持った人がファシリテーターとして参加したのですが、彼らはやはり、どこかに「教える」という概念と姿勢が身についてしまっているので、SALAMのやり方にはどうも馴染めず、あまりうまくいかなかったのだそうです。

「子どもに大人が教えることなど何もない」
と、Totoさんは考えています。

Totoさんの本の中にも、このような記述があります。

子どもたちに"教える"という考え方は、そもそも間違いを犯します。
いったい、どうやって教えるというのか?子どもは頼んでもいないのに?

Totoさんは、子どもたちは、大人が教えたり押し付けたりしなくても、自ら課題をみつける中で、自分で学んでいくのだといいます。そして、自分自身で学んで得たことは、一方的に教えられたことにことに比べて、遥かに高いレベルで身についていくのだともおっしゃっていました。

(3)SALAMに教科書は要らない(学びの進め方)


「教科書がなければ勉強ができないよ」というぐらい、日本の一般的な学校では教科書が必需品のはずです。多くの学校、多くの先生が、教科書の流れに沿って授業を行っているわけですから。ところがSALAMに通う子どもたちは、重たい教科書をカバンに入れて、くたくたになりながら登校する必要がありません。

先生もいない、教科書もない、そんな中で、子どもたちはいったいどうやって学んでいるの?と、誰もが不思議に思うことでしょう。

SALAMの子どもたちは、まずは、自分の課題を探します。田んぼに棲む虫のこと、今夢中になっているプラモデルのこと、好きな絵本のこと、おじいちゃんから聞いた昔話のこと…etc. 何でもいいのです。8歳なら8歳なりに、15歳なら15歳なりに、新学期になると、自分の課題を見つけることから始まります。その課題に取り組むなかで、資料をとりよせ、分からない言葉を調べたり、集計するために算数を学んだりします。更にそれらの課題を追求していくと、その事柄の周辺の歴史を調べたいと思うようになったり、地理を知る必要がでてきたりもします。はたまたそれに連動して、別の関心が高まり、次なる課題を見つけ出したりもします。

つまり、自分の課題にとりくんでいる中で、国語、算数、理解、社会など、一般的な教養が、自然と身についていくというしくみなのです。しかも、一般教育法の縦割り勉強法ではなく、横断的にすべてを同時に学んでいくことになります。この学び方は、何よりも、子どもたちが自分で考える力を身につけるのではないでしょうか。

学期の終わりには、生徒が順番に30分ぐらいの持ち時間をもらい、自分の研究課題について発表します。子どもたちは、発表会をひとつの節目の目標にして課題に取り組みます。発表会は、子どもたちを成長させる良いステップになるようで、他の子たちから受けた質問や感想などで自分の反省点を知ったり、次回への意欲につながったりするのだといいます。

しかしやはり、受験勉強に明け暮れる競争社会にいる人々は、「果たして、このような生温い勉強法で、社会に出れるのか?」と疑問を持つかもしれません。ここでインドネシアのフリースクールの仕組みをいえば、中学校へ入学する年齢、高等学校へ入学する年齢では、共通試験のようなものがあり、進級するには受験しなくてはなりません。SALAMの生徒たちも、もちろんこれを受け、ほぼ全員合格して進級しているとのことです。

そのような実績と結果がでているからこそ、親御さんたちはSALAMを信頼しているのです。それにそもそも、子たちの中には、勉学の好きな子、嫌いな子、スポーツの方が得意な子、さまざまいます。つまり、子どもたち全員が、上級学校へ進学する必要はないし、勉学が優秀である必要はないと考えているのです。

ある子が、夢を叶えるために、もっと深く学ぶために、大学に進みたいと思うなら、やはりそれ相応の勉強量をこなさなければならないでしょう。ドリルと睨めっこしなければならない時期もあるでしょう。でもそれは、その子が決めることなのです。少なくても小学生ぐらいの段階では、自分の興味と関心が、いったい何であるのかを自分で探すのが、大きな目的となります。いってみれば、「自分探しの時間」だといえます。そばで寄り添うファシリテーターは、そのお手伝いをします。

子どもの頃から、自ら探究する方法や、幅広い物事の見方を身につけることは、非常に重要です。この経験は、子どもたちの将来に大いに役にたつと想像できます。

(4)SALAMでは、お金のことも学ぶ


SALAMの考え方、やり方が、子どもたちの将来を支えるにあたって、非常に実践的で現実に即しているのは、Totoさんが、O型であることも関係しているだろうと、ひそかに血液型的視点でわたしは感じています。どんなにすばらしい理想を掲げたところで、あまりに現実離れしていれば、人々の共感を得られないでしょう。

面白いことに、SALAMでは、SALAM通貨を発行しています。この通貨は、SALAM内でのみ使える通貨として、生徒たちが制作した作品を売買したりすることができるのです。何と、通貨を発行したり預けたりする「銀行」も存在し、それらは生徒たちが役割分担をして運営しているのだそうです。むろん目的は、子どもたちに、世の中のお金の仕組みを、身をもって体験してもらいたいからだといいます。Totoさんが言うには、「子どもたちに、お金に振り回される人生を送って欲しくないから」ということなのです。

したがって、SALAMの子どもたちの中には、小学生でありながら、すでに立派に商売をしている生徒もいました。夏には、生徒たちの作品を出展し、村の人々を招待する祭典も行うのだそうです。

ある生徒の記録写真集

自閉症の生徒の作品



(5)SALAMは地域と共にある


SALAMのようなフリースクールをつくりたいと考えている人たちのために、年に一度、ワークショップを開いています。わたしもSALAMの取材を兼ねて、我々の研究員である現地のスタッフとともに参加することができました。そこにはインドネシア中から、30名ほどの若い男女が集まっていました。

Totoさんが、何度もしつこいくらい話していたことは、自分たちの土地や文化にしっかり根を下ろし、そして地域の人々とともに学校づくりをしなければならない、ということでした。SALAMでは、音楽やアート、農業に関心を持つ子どもたちが多いのですが、それはなぜかというと、SALAMのある地域が、古くから民族音楽やアートの文化があり、そして農業を営む人々が暮らしているからなのです。

Totoさんが、子どもたちの学びの中で強く訴えているのは、子どもたちの関心は、まずは自分の身近なことから始まるのだと。つまり自分たちの生まれ育った土地や文化について、じっくり学び、理解していくのが、もっとも好奇心や創造性を育んでいくことになるのだということです。若い人たちは、すぐに都会へ行きたがるけれど、その風潮は、将来的にはけっして国にとっても良いことではないとTotoさんは考えています。そしてTotoさんは、このジョクジャカルタのこの土地に、しっかりと根を降ろし、インドネシア国に、そして世界に影響を与えるような人物が、SALAMから育っていくのを夢見ているといいます。

Totoさんのお話は、いちいちもっともなことばかりです。しかし、集まった若者たちは、頭では理解するものの、自分たちにその実体験がないゆえに、「では、はて、わたしの町では、どうしたらよいのだろうか?」と、少々困惑気味でした。みなさん、SALAMのそっくり真似をすれば、自分たちにもできるかもしれないという、ちょっぴり安易な期待があったようなのです。しかしTotoさん、そこはキッパリ、「SALAMの真似だけしても、成功しませんよ」と、厳しく諭しておりました。

Totoさんは、地域の人々の共感や協力が得られなければ、やはり学校運営は難しいとおっしゃいます。SALAMは、むしろ地域の人々に求められて大きくなっていったようなものであり、「実は今となっては、わたしは何もしていないのです。実際に運営しているのは、親御さんたちと、この地域の人たちですよ」というのです。

学校づくりは、やはりそう簡単ではないのですね。相当に腰を据えて、信念をもって取り組まなければならないのでしょう。


(6)SALAMのお手本は日本だった!


SALAMのモデルが、日本の黒柳徹子さんの書かれた『窓ぎわのトットちゃん』だった、ということについては、以前の記事でお伝えしました。

Totoさんに取材をして、更に詳しくお話を伺ったのですが、Totoさんが、いちばん最初に触発された本は『わら一本の革命』という、やはり日本人の福岡正信さんが書いた本だとおっしゃいます。














Totoさんと奥様は、農業を営んでおりました。そこで”自然農法”という福岡氏の考え方を知り、”自然”であることとはどういうことかと、深く考えるきっかけになったのだといいます。そして、本来の自然の在り方への理解が、子どもの教育に繋がっていったのです。

窓ぎわのトットにあるトモエ学園の小林宗作校長も、子どもたちの、より自然な成長を助けるための教育法を実践していました。小林宗作さんは、散歩をしながら立ち止まると、木々をじっと観察していたそうです。ときにそれは、1時間にも、2時間にもなることがあったと、息子さんが思い返していました。

それにしても、SALAMという素晴らしい学校を創設したTotoさんの基底部に、2冊の日本の本があったなんて、わたしにとっては小さな衝撃です。もちろん日本人のわたしにとって、それは嬉しいに違いないのですが、しかしそのいずれも、日本では、忘れ去られた偉人たちなのです。

わたしが福岡氏の『わら一本の革命』を知らなかったので、Totoさんは少し意外そうな顔をしていました。これについては、わたし自身の無知のせいでして、日本に戻って調べてみると、自然農法の世界では”神”のごとくよく知られている人物だと分かったのでした。

空襲で燃えてしまった小林宗作さんのトモエ学園は、戦後、なぜ再建できなかったのだろう。小林宗作さんは、「もう一度つくろう」と意欲をずっと持っていたといいます。ところが、誰からも支持を得られなかったのだと。考えてみれば無理もありません。戦後の日本の教育が、どのように一方向へと矯正されていったのか、それを見れば、無理もありません。

福岡氏の提唱する自然農法が、日本の高度成長期の中で量産化が一気に進み、農薬づけの野菜が全国一律に流通するなかで、ごくごく一部の人々にしか受け入れられなかったのも、無理もありません。あの時代に、無理もありません。

かつての日本には、素晴らしい智慧があり、そういう智慧を生み出す人たちがいた。そしてそういう人たちが育つ土壌があった。今はどうなんだろう。今の日本は、いったいどうなってしまったのだろう。インドネシアから帰国する飛行機の中で、それらのことが脳裏をいったりきたりしながら、わたしは悶々としていたのでした。

とはいえ、それらの智慧は今、海の向こうのインドネシアに蒔かれ、その種が芽をだしました。SALAMのキラキラした瞳の子どもたち。その美しい空間を思い出すだけで、わたしはうっとりするのです。

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SALAM特集は以上になります。今後ふたたび、SALAMを訪れたときには、追ってレポートをご報告いたします。

SALAMの紹介動画もぜひごらんください。

未来の学校~SALAM



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愛を込めて。