2022-06-19

血液型分布をみればわかる~この40年、日本の政治は激変した!

 

派閥政治からの脱却は、日本の政治に何をもたらしたのか?


はじめに、ヘンな言いわけをさせていただきますと、社会性に乏しいうえに、政治オンチのわたしが、最近、政治についてときどき触れて、生意気なことを書いていることについて、わたし自身、ほんとうに申し訳ない気持ちでいるのです。「そうなら書くなよ!」ということなのですが、「血液型人間学」という研究をしていると、どうしても、データや社会動向を見なければならない状況が生じ、それらについて、オンチなりにも理解しておかなければならない、という事情があるのです。

ですので、ここに書かれていることは、あるひとつの見方、あるいは珍しい考え、というぐらいに思ってくださればと思います。ただもちろん、そうした珍しい考えが、数十年後には、「なるほど」ということになっていることもあるので、そのへんは、寛大にみていてくだされば、幸いに思います。

本題に入りますと、日本の政治が大きく変化した時期があります。といっても、日本の歴史は長いので、ここでは戦後の政治ということになりますが、よく言われることは、それまで日本独特の政治体制であった派閥政治からの脱却というものでしょう。

その予兆は、高度成長期を終える頃から、徐々に見え始めていましたが、2000年代に入ると、ますます”派閥”の悪影響に対する批判が強まるようになり、小泉内閣の頃には、「派閥をぶっ潰す!」と小泉首相が旗を振ったことをきっかけに、それは拍車をかけたといえそうです。

当時の小泉首相が、具体的に何を目指していたかといえば、主には「○○民営化」。そうしたしくみの大改革をするにあたって、日本の”派閥政治”が、大きな壁になっていたのでしょう。そして世論の多くも、果たして小泉内閣の政策がどういう結果をもたらすか、まではわからずとも、それに賛同したのだと記憶します。

では、こうした流れの中で、国会議員(ここでは衆議院議員のみ)の血液型分布は変化したのでしょうか。

(日本人の血液型分布 O=30.7%|A=38.1%|B=21.8%|AB=9.4%)

■1978年に調査した衆議院議員の血液型分布
O型(36.0% )A型(30.9%)|B型(18.3%)|AB型(14.8%)
■2003年に調査した衆議院議員の血液型分布
O型(29.6% )|A型(34.4%)|B型(23.1%)|AB型(12.9%)
■2017年に調査した衆議院議員の血液型分布
O型(25.5% )|A型(38.5%)|B型(24.8%)|AB型(11.2%)    

なんと見事に、その移り変わりがわかります。戦後の派閥政治が盛んな時代は、日本人平均に比較すると、O型とAB型が多く、A型とB型が少なかったのですが、現在は、その勢力図が、逆転している形になっています。

この40年あまりの衆議院議員血液型分布の推移については、研究会メンバーの著書、『デジタル時代の「血液型と性格」(金澤正由樹)』に、その鮮やかな推移が詳しく書いてあります。金澤氏によると、石油ショックやリーマンショックなどの大きな世界的経済状況の変動が影響し、この逆転現象に拍車をかけていると推測しています。


なぜ血液型分布が激変したのか?


では、血液型分布のこの推移は、何を意味するのでしょう?わたしは国会内部に精通しているわけでもありませんし、そもそも政治オンチ。分析がどこまで正しいかは分からないのですが、研究会などで談義した内容などもふまえれば、”政策”を掲げる選挙活動が活発化した結果だろうというものです。2000年代には、”マニフェスト”というカタカナ言葉も頻繁にきくようになりました。

時代の流れと共に、派閥政治のマイナス面が浮上しはじめ、同時に、マニフェストが論点となってきたのは間違いないでしょう。現在の選挙活動の内容をみていても、「政策は何か?」と問うのが、当たり前のようになっています。

マニフェスト(公約の政策)を掲げなければならない、となると、やはりA型の強みが生かされます。A型の理路整然とした思考性や説得力のある説明が、人々に理解しやすい形で伝わります。また派閥というのは、国民に見えないところでヒソヒソと行われる、何やら怪しいイメージがつきまとっていたわけで、A型の清々し誠実な雰囲気もまた、評価されやすくなったのではないでしょうか。

B型が増えているのも、やはり政策重視の流れに乗っていると考えます。B型は、常にアイディアを持っている人たちなのです。政治に関心のあるB型であるなら、こんな政策、あんな政策を、いくらでも掲げることができるでしょう。それにB型は、なかなかの人情派。B型のその気さくさで、地域の人々と親しくなるのは、どの血液型より秀でているのです。

前回の衆院選では落選してしまったようですが、立憲民主党の顔でもあった辻元清美さん。辻元さんはB型ですが、こんな話を聞いたことがあります。
「いろいろ批判されていても、地元のオジチャン、オバチャンたちからは、とても愛されているキャラなんだよ」
なるほど。そのへんは、かつての田中角栄さんや、小沢一郎さん、二階俊博さんなども、似たようなB型ではないでしょうか。

一方、O型が、見事な下降線を描いているのはどういうことでしょう。O型はそもそも、自分の生活利益に直接関わる政治に対して、関心の高い人が多いのです。過去には、そうした政治意識の高さが、シンプルに議員の血液型分布に反映されていたのだと思います。ところが、「政策が~」「清廉潔白さが~」などと、やたらにスマートさが歓迎されるようになってくると、どうもやりにくくなってきたのかもしれません。そういうと、O型がスマートでないような物言いになってしまい申し訳ないのですが、A型の絵にかいたような”誠実さぶり”と比較すれば、やはりその点、A型に分があるかなと思います。

そしてまた、O型は、まずは派閥のような小さなグループで、仲間との信頼関係を育み、師弟関係を結び、そうした集団の力を上手に使いながら上り詰めていくことを得意とするのです。派閥の力が弱まるにつれ、O型の拠り所は危ういものとなり、結局、生き残れなくなるO型が多くなったのかもしれません。

AB型については、減ってきているとはいえ、まだ日本人平均以上はいるわけです。周囲の状況が変化しても、それなりに立ちまわれるAB型の器用さが、O型のような極端な減り方をしないのかもしれません。それにそもそも、集団密着度の薄いAB型の場合、派閥政治が向いていたわけではないのでしょう。能見正比古の分析のとおり、派閥の端っこにいることで、調整役としての役割を果たしてきたのだと思います。


派閥の弱体化は、日本国民の要望だったのだろうか?それとも外圧だったのだろうか?


派閥政治に、政策がなかったということではありません。しかし派閥が重視された時代は、自民党という巨大政党の中で、更にあるリーダーの人間力や理念に共鳴し、仲間意識と強い結束力のもとで、いくつかのグループが形成されていたのです。自民党という党内の政策としては、ある程度の統一性があるのであって、その中で力を持った派閥が全体を仕切ることで、政策の進め方がやや異なってくる、というものではなかったでしょうか。しかしそれは徐々に、”古めかしいもの”という印象を、国民に与えていくようになりました。

ふりかえって、「日本の政治は日本人のためにあるもの」というのは、ふつうの感覚では当然のことのようですが、現実には、日本の政治や経済が、世界の動向と無関係でいられるはずはありません。金澤氏の分析のとおり、石油ショック以降、世界はグローバル社会へ徐々に進みながら、2000年代のIT革命時代に突入し、グローバル化の勢いは強まり続けたのでした。

経済的には先進国でも、米国に従わざるを得ない日本の微妙な立場を考えれば、なおのこと、(欧米主導の)世界の流れに、逆らうことなど不可能というものでしょう。だとすれば結局、日本の派閥政治解体の流れというのは、国民の要望というより、外圧だった可能性の方が高くなってきます。

だとすれば、もし日本国民が、最近までの政治体制の変革を、真に熱望したのではなかったのだとすれば、わたしたち国民は、日本にとってのより良い政治の在り方とはどんなものか?ということを、再考しなければならない時期にきているのかもしれません。


日本の政治のゆくえ


個人が自分の主張を強く持たない日本の風土においては、派閥政治は案外、うまく働いていたしくみかもしれないという気もします。個人の主張が強くないとはいっても、やはりいろいろな考え方、いろいろな信念があります。それこそ日本は、血液型にしても欧米諸国と違って4タイプがせめぎ合っているのですから、”イロイロ”というなら、欧米諸国よりバラエティーに富んでいるともいえるのです。

この、「個々の自己主張は強くないけど、実はイロイロいる」という、日本独特の状況を、上手くとりまとめていたのが派閥だったようにも思えます。親分がまとめてくれるなら、オヤジがそういうなら、アニキにならどこまでもついていくよ、という、義理と人情の任侠的仲間意識は、派閥のような小さな集団でなければ生まれないでしょう。そしてそうした信頼関係に裏付けられたなかにいるとき、人は自我や我欲を薄めることができるのではないでしょうか。

まあしかし、今更、派閥政治に戻した方がいいというわけではありませんし、そうしようにも、今の時代には不可能でしょう。これはわたしが女性だから遠慮なくいえるのですが、女性議員がどんどん参加するようになった時点で、派閥政治は崩壊する運命にあったと言っていいかもしれないのです。女性はその資質上、任侠的な仲間意識には不向きなのですから。

とにかく、血液型パワーバランスが、この40年で激変しているのは間違いないことで、それが日本の政治にどう影響しているのかは、考察する必要がありそうです。政策重視の政治に変わることで、たとえ外圧があったにせよ、結果的に政治がうまく機能しているなら、それはそれでいいのでしょう。ところが、「政策」「政策が大事」と、叫んできたわりに、その結果はいかに。どうみても、少なくもこの30年間、日本の経済や暮らしが良くなったと思えることなど何ひとつもないのです。

結局のところ、政策を掲げたところで、果たしてそれは、国会で実現してきたのでしょうか。振り返ってみれば、前述したように、派閥解体の旗を挙げてその先陣をきったともいえる小泉首相のときには、それがたとえ強引すぎたとはいえ、政策を実現させたといえるかもしれません。そういう意味では、さすが小泉さんは「実行力のA」ともいえます。もちろん、小泉内閣の政策が、良かったのか悪かったのかは、ここでは論じないことにしますが。

しかしその後の日本の政治は、ほとんど機能不全に陥っているのではないでしょうか。A型が多くなると、既に定められた指針のある、安定した状況下では、非常に協調的で統一性のとれた組織運営になると考えられます。ところが、現在のような大変化の状況下では、逆に分裂することの方が多くなりそうです。A型どうしの強い信念や理念が衝突するからです。そういうときのA型がやっかいなのは、そうした反目が水面下で行われるため、表に出にくく、とにかく、はたから見ていると、グダグダと、無意味に時間がかかってしまうのです。

しかし、わたしがもっと憂慮するのは、やはりO型が少なすぎることです。O型が少ないということは、その組織に活気が失われていくことに直結します。A型と対照的な性質のB型の存在があることで、議論は活発になったとしても、何かを押し進めるのに必要になってくるエネルギーが、どうしても不足気味になるのです。今日の日本において、O型が元気がないのは、もしかしたら政治の世界だけではないかもしれません。それについては、ここでは深ぼりしませんが、とにもかくにも、今の日本の政界が不健全なのは、血液型分布をみても、よ~くわかるということなのです。

では、どんな政治なら良いのだろう。わたしには、その答えはわかりません。けれど、どのように社会を批判しようとも、それらを創っているのは、わたしたちひとりひとりであり、そしてその集合意識の結果が、目の前のカタチになって現れているのだと、わたしは考えています。

そろそろ参議院選挙も近づいてきました。ひとりひとりが、これからどのような意識で動いていくのか、それぞれが自分の舵取りをする、良い節目なのかもしれません。


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愛を込めて。