2020-09-14
3人の総理候補にUFOについて聞いたら血液型まる出しだった!?
2020-09-07
国会議員で大いに目立つ、壊れちゃったA型女史たち
男女共同参画の現状
ああ、ニッポンの淑女たちはいずこへ?
A型とB型の思わぬ逆転現象
2020-08-29
やっと解放されたB型安倍総理にお疲れ様
大へんお疲れさまでした!
昨日(8月28日)、安倍首相が辞任を表明されました。
数日前からその噂はあったものの、ご本人の体調のこととなれば誰にも事実を推し測ることはできず、むしろ「それはあり得ない」と否定する見解が多かったのですが、見事にあっさりくつがえされ、多くの国民が衝撃を受けることになりました。
特に、安倍総理や安倍政権を支持してきた人たちにとっては、「それはあり得ない」というより「それはあってはならない」という、希望的観測だったのかもしれません。
現状をみれば、そう思いたいのは無理もないことで、任期満了を残り一年に控え、オリンピック開催、拉致問題、憲法改正などの重要課題を残しているのに加え、コロナ終息への筋道と経済復活、緊迫する米中関係、強まる尖閣諸島の懸念、朝鮮半島の迷走、などなど、今年に入って日本を取り巻く環境は、益々不安定になるばかりです。
安倍支持者たちにしてみれば、「あと一年、政治生命をかけて一気に頑張れ!」という気持ちだったろうし、中には「いっそのこと4期やっちゃってもいいんじゃないの?」という声さえ上がっていたのですから。
普段、右だ左だの政治思想的なことを深く考えない私ですが、そんな私でも、さすがに近頃の諸問題には目が離せないところがあり、ここは何とか安倍総理に乗り切ってもらいたいと思っていたわけで、このニュースにはやはり驚き、「するとこの先、日本は…?」と、一抹の不安さえ、かすかに頭をよぎりました。しかし、そのあと始まった総理の記者会見を拝見しているうちに、残念な思いの一方で、「ああこれで、やっと解放されるんですね。本当にお疲れ様でした」というエールを送りたいような、一種、清々しい気分を、その様子から感じたのでした。
解放されてこそB型の本領発揮
安倍首相はB型です。
総理大臣というものは、それこそ不自由極まりない職務。発言も行動も、人間関係も、慎重に慎重を重ねなければならず、本来が、自由をこよなく愛するB型としては、人一倍ストレスが大きかったに違いありません。持病の潰瘍性大腸炎は、ストレスが最も悪化させる要因になるだろうと想像できるし、それを7年間もの長期政権の中でこらえてきたわけですから、このタイミングで思い切って解放されてもいいのじゃないかと、そんな風に思ったのです。
安倍晋三という方は、B型には珍しいくらい、実直、真面目な政治家のように思います。誤解のないように補足すれば、B型が真面目でないということではありません。しかしやはりその本質からすれば、ルールや秩序、常識などの枠組みから逸脱した柔軟性が大きな特徴であり、だからこそB型の良さが発揮されるのであって、多少の脱線には目をつぶって、凝り固まったものに変化を与え、解放させる役目がB型にはあるのです。
そうであるなら、総理という縛りの大きい立場を離れ、今後は一議員として政治活動をする方が、安倍晋三の本領を発揮できる可能性が高くなるのではないかと思うのです。実際、安倍総理は国内よりも海外での評価の方が格段に高く、「Abeは、世界歴代政治家リーダーの中でも超一流だ」と言われているのです。国内のさまざまなしがらみや圧力に対応するより、外へ出向いた方が力を発揮できるということなのかもしれません。
ホントはみんな、安倍総理が大好き?
それにしても、なぜ安倍総理は、野党やメディアから、そんなに批判を受けてきたのだろう…。ふと、考えてしまいます。そもそも彼らというのは、批判するのがその性質なのかもしれませんが、客観的に眺めると、「安倍おろし」が高じて「安倍イジメ」とも思えるくらいでした。長期政権になるにつれ、それは致し方ないことなのでしょうか。とにかく、野党勢力は何とか安倍を引きずり下ろしたいわけですが、安倍総理が案外、品行方正で、尻尾がなかなかつかめない。しかも思ったよりしぶとい。それで無理矢理いろんな案件を探し出してきたような感があります。
しかし、よくよく観察していると、もしかして、み~んな実は、安倍総理が大好きなんじゃないのかな?なんて、そんな気がしてくるのは私だけでしょうか。「好きだけど、やっぱり嫌い」みたいな、矛盾するけれど、それが人間の深層心理とも言えるのですから。
今、世界も日本も、大きく変わろうとしているのです。今回のコロナ騒動でも明らかになったように、こんなふうに世界が同時に騒めき動いたのは、第二次世界大戦以来ではないかと思います。変化の予兆は、既に数十年前から起こっていたわけですが、コロナ騒動は、その大変化を促すきっかけであるように感じます。そんなユニークな時代に立ったのが、安倍晋三であり、ドナルド・トランプであり、あるいは習近平であり、と、現在、世界各国のリーダーたちが、それぞれ修羅場をふんでいるのです。大変化は、決してすんなりとは進まないはず。人間も社会も、変わりたくない保守保身の不安感情と、変わって進化拡大したい期待感情との両方が、せめぎ合っているのです。
日本が変化する時には、おそらくB型的な、なにか起爆剤のようなものが必ず必要になると思われます。日本のようなA型的秩序正しい国民性においては、B型の変化を促進するパワーが不可欠になるからです。かと言って、明治維新の頃のように派手な改革はできないわけで、穏やかに収めつつ、時間をかけながら変化に対応するしかないのだとすれば、慎重さを身につけたB型安倍総理は、この時に適任だったといえそうです。政治家一族という環境と、そして第一次政権での失敗。それらの経験で政界の複雑さを知り尽くし、一方ではB型的な楽天性や柔軟性というその性質で、周囲の重圧を回避しながらも変化に対応していくという、なかなか尋常ではない役割を担ってきたのではと、今になれば、そう思えるのです。
時代の流れで出るべくして出たのが安倍総理だとするなら、誰もが、「変わりたくないけど変わりたい」という、期待と不安に揺れ動く矛先を、安倍総理に一心に向けてしまったのかもしれません。B型には、何かそんな、得体のしれぬ可能性のようなものを、人々に感じさせるオーラがあるのです。そんなふうに考えると、つまるところ、支持者も批判者も、みんな結局、いろんな意味で安倍総理が大好きなんじゃないのかな、と思ったのです。
なぜかお腹が弱いB型
とにもかくにも、重圧任務から解放された暁には、潰瘍性大腸炎というやっかいな病気から、少しでも早く回復されて、今後は総理大臣とは違う立場から、日本のためにやり残したことを思う存分やっていただければと思います。
ところで安倍総理、この難病と50年あまりも付き合ってきたとのことですが、悪化した時の症状を聞くと、とてもじゃないけど長時間の国会などの激務には耐えられないと想像できます。さすが「病気に強いB型、病気と共存できるB型」と、言わざるを得ません。
この病気に関するデータはありませんので安易なことはいえませんが、少しだけ言及しておきたいことがあります。これまでの我々の観察によるところでは、「どうもB型はお腹を壊しやすい…」という現象が、あるという事実です。感染免疫学の藤田絋一郎先生も、「B型はなぜかお腹が痛い…」という本の中で次のように触れていました。
B型血液型物質を持つ細菌には、サルモネラ菌や大腸菌がありますが、いずれも私たちの身近にいる細菌で、腹痛を引き起こすものですね。B型が他の血液型に比べてこれらの菌に感染しやすいということは、残念なことですが科学的に実証されています。(引用:「B型はなぜかお腹が痛い…」藤田絋一郎著/三五館)
ただし潰瘍性大腸炎の場合、一般の細菌感染とは区別されるものだとし、原因ははっきり分かっていないとのことですから、単純にB型と結びつけたいわけではありません。ですが、B型が、どこか腸内細菌と不調和を起こしやすい傾向が、少なからずあるやもしれない、ということは示唆しておいていいかと思います。病気と血液型の関係が、もっと研究されることで、より適切な薬の開発が可能になるかもしれないですよね。
「美しい国、日本」を夢見て
私のしごく個人的なことですが、私が安倍総理から影響を受けた言葉があります。それは最初の政権でかかげた「美しい国、日本」というスローガンです。彼は、日本は美しい国であり、その日本の美しさを取り戻したいのだと発言しました。それを聞いた時、もちろん言いたいことが分らなくはなかったけれど、では、「日本の美しさとは、いったい何だろうか?」四季の豊かなこの日本の景色や風土を言うのだろうか?それとも、日本人らしい心を言うのだろうか?ぼんやりとはイメージできても、これこそがという核になるものが今ひとつ見いだせず、私の中でモヤモヤとした気持ちだけが残ったのでした。
戦後の教育によって、日本の誇りや日本人らしさは失われたと言われていますが、まさに戦後生まれの私にとっては、"日本の美しさ"などは過去のおとぎ話にも似た感があったのかもしれません。しかしそれからというもの、私の頭の片隅からその言葉が離れることはなかったように思います。安倍総理の言葉は、私が日本という国や日本人というものを、改めて見つめ直すきっかけとなったのでした。
それから14年あまりの月日が過ぎ、私もいい歳になり、そのせいも多分にあるでしょうが、「美しい国、日本」とは何ぞや?というところが、少しは分かってきたように思います。そもそも子どもの頃から変わり者の私は、あまり人々の中に溶け込むことができず、まして日本のような集団性の強い国では、暮らしにくいところがままあったわけで、日本を無条件で愛することが少々難しかったのも事実でした。しかし今は、日本に生まれた意味とか、世界における日本という国の役割とか、日本が大切にするべきこととか、日本の美しさとか、日本を慈しむことの諸々を、ようやく感じられるようになりました。これについて、安倍総理には、深く感謝の念を抱いております。
そう書きながら思い出したので、ついでに少々の悪態を申し上げます。昨日の記者会見を観ていて気になった、記者の方たちの質問や対応です。目の前で話されたのは、日本の総理大臣であり、現在、病と闘わなければならず、志半ばで辞任することは痛恨の極みであると国民に頭を下げています。前回の辞任の件もあり、批判を浴びるのは当然の覚悟で、しかし日本国の将来をよくよく考えたら、このタイミングしかないと決断されたのは、ある意味、非常に勇気がいることだったと想像できます。
ところが記者たちは、感謝や思いやりの言葉を添える人はほとんどおらず、相変わらずこの場に相応しくない質問ばかり繰り返していたのでした。それを聞いていて、これが美しい国の人たちなのだろうかと、心底がっかりしたのでした。もっと心のある質問や、日本の将来を本気で案じるような質問を投げかけたなら、安倍総理から、もっと意義のある話が聞けただろうに。多くの国民が、固唾をのんで観ているだろうこの会見で、国民の気持ちを代表して「長い間お疲れさまでした」と労ってくれたら、観ている人々はどんなに心が温まっただろうか…。
ああ、安倍総理の「美しい国、日本」が蘇るのは、果たしていつになることでしょうか。
2020-06-20
安倍内閣8年間の血液型パワー
A型とB型が拮抗すると、どうしても足並みがそろわない
第2次~第4次 安倍内閣の血液型分布
O | A | B | AB | |
第2次安倍内閣 | 6 | 7 | 5 | 2 |
第2次安倍内閣(1次改造) | 4 | 12 | 3 | 2 |
第3次安倍内閣 | 3 | 11 | 5 | 2 |
第3次安倍内閣(1次改造) | 4 | 8 | 8 | 1 |
第3次安倍内閣(2次改造) | 3 | 9 | 7 | 3 |
第3次安倍内閣(3次改造) | 5 | 6 | 7 | 2 |
第4次安倍内閣 | 5 | 7 | 7 | 2 |
第4次安倍内閣(1次改造) | 9 | 7 | 5 | 0 |
第4次安倍内閣(2次改造) | 4 | 7 | 7 | 2 |
累 計 | 43 | 74 | 54 | 16 |
(延187人) | 23.1% | 39.6% | 28.9% | 8.6% |
※上記は任期内に免職になった議員と新たに任命された議員の両者とも含む人数
-第4次発足 | -第1改造 | -第2改造 | ||||
職名 | xxxxxxxxxxx | xxxxxxxxxxx | ||||
内閣総理大臣 | 安倍晋三 | B | 安倍晋三 | B | 安倍晋三 | B |
副総理・財務大臣 | 麻生太郎 | A | 麻生太郎 | A | 麻生太郎 | A |
総務大臣 | 野田聖子 | A | 石田真敏 | B | 高市早苗 | A |
法務大臣 | 川上陽子 | AB | 山下貴司 | A | 河合克行(免) 森まさこ | A O |
外務大臣 | 河野太郎 | O | 河野太郎 | O | 茂木敏充 | O |
文部科学大臣 | 林芳正 | B | 柴山昌彦 | A | 萩生田公一 | AB |
厚生労働大臣 | 加藤勝信 | B | 根本匠 | A | 加藤勝信 | B |
農林水産大臣 | 齋藤健 | A | 吉川貴盛 | O | 江藤拓 | A |
経済産業大臣 | 世耕弘成 | B | 世耕弘成 | B | 菅原一秀(免) 梶山弘志 | A A |
国土交通大臣 | 石井啓一 | B | 石井啓一 | B | 赤羽一嘉 | B |
環境大臣 | 中川雅治 | O | 原田義昭 | O | 小泉進次郎 | AB |
防衛大臣 | 小野寺五典 | O | 岩屋毅 | A | 河野太郎 | O |
内閣官房長官 | 菅義偉 | O | 菅義偉 | O | 菅義偉 | O |
特命担当大臣 復興大臣 | 吉野正芳 | B | 渡辺博道 | O | 田中和徳 | B |
特命担当大臣 国家公安委員長 | 小此木八郎 | A | 山本順三 | A | 武田良太 | B |
特命担当大臣 沖縄及び北方対策 | 江崎鉄磨(免) 福井照 | AB A | 宮腰光寛 | O | 衛藤晟一 | A |
特命担当大臣 科学技術・宇宙政策等 | 松山政司 | A | 平井卓也 | A | 武本直一 | A |
特命担当大臣 経済財政政策 | 茂木敏充 | O | 茂木敏充 | O | 西村康稔 | B |
特命担当大臣 地方創生 | 梶山弘志 | A | 片山さつき | O | 北村誠吾 | A |
特命担当大臣 国務大臣 | 鈴木俊一 | B | 桜田義孝(免) 鈴木俊一 | O B | 橋本聖子 | B |
第3次発足 | -1次改造 | -2次改造 | -3次改造 | |||||
職名 | xxxxxxx | xxxxxxxx | xxxxxxxxx | xxxxxxxx | ||||
内閣総理大臣 | 安倍晋三 | B | 安倍晋三 | B | 安倍晋三 | B | 安倍晋三 | B |
副総理・財務大臣 | 麻生太郎 | A | 麻生太郎 | A | 麻生太郎 | A | 麻生太郎 | A |
総務大臣 | 高市早苗 | A | 高市早苗 | A | 高市早苗 | A | 野田聖子 | A |
法務大臣 | 川上陽子 | AB | 岩城光英 | B | 金田勝年 | A | 川上陽子 | AB |
外務大臣 | 岸田文雄 | AB | 岸田文雄 | AB | 岸田文雄 | AB | 河野太郎 | O |
文部科学大臣 | 下村文雄 | A | 馳浩 | A | 松野博一 | A | 林芳正 | B |
厚生労働大臣 | 塩崎恭久 | B | 塩崎恭久 | B | 塩崎恭久 | B | 加藤勝信 | B |
農林水産大臣 | 西川公也 林芳正 | A B | 森山裕 | O | 山本有二 | A | 齋藤健 | A |
経済産業大臣 | 宮澤洋一 | A | 林幹雄 | A | 世耕弘成 | B | 世耕弘成 | B |
国土交通大臣 | 太田昭宏 | A | 石井啓一 | B | 石井啓一 | B | 石井啓一 | B |
環境大臣 | 望月義夫 | O | 丸川珠代 | B | 山本公一 | O | 中川雅治 | O |
防衛大臣 | 中谷元 | A | 中谷元 | A | 稲田朋美(免) 岸田文雄 | AB AB | 小野寺五典 | O |
内閣官房長官 | 菅義偉 | O | 菅義偉 | O | 菅義偉 | O | 菅義偉 | O |
特命担当大臣 復興大臣 | 竹下亘 | O | 高木毅 | A | 今村雅弘(免) 吉野正芳 | A B | 吉野正芳 | B |
特命担当大臣 国家公安委員長 | 山谷えり子 | A | 河野太郎 | O | 松本純 | A | 小此木八郎 | A |
特命担当大臣 沖縄及び北方対策 | 山口俊一 | A | 鳥尻安伊子 | O | 鶴保庸介 | A | 江崎鉄磨 | AB |
特命担当大臣 科学技術・宇宙政策等 | ||||||||
特命担当大臣 経済財政政策 | 甘利明 | A | 茂木敏充 | O | ||||
特命担当大臣 経済再生担当 | 甘利明(免) 石原伸晃 | A A | 石原伸晃 | A | ||||
特命担当大臣 地方創生担当 | 石破茂 | B | 石破茂 | B | 山本耕三 | O | 梶山弘志 | A |
特命担当大臣 男女共同・少子化 | 有村治子 | A | 加藤勝信 | B | 加藤勝信 | B | 松山政司 | A |
特命担当大臣 国務大臣 | 遠藤利明 | B | 遠藤利明 | B | 丸川珠代 | B | 鈴木俊一 | B |
第2次発足 | -1次改造 | |||
職名 | xxxxxxxx | xxxxxxxxxxx | ||
内閣総理大臣 | 安倍晋三 | B | 安倍晋三 | B |
副総理・財務大臣 | 麻生太郎 | A | 麻生太郎 | A |
総務大臣 | 新藤義孝 | B | 高市早苗 | A |
法務大臣 | 谷垣禎一 | O | 松島みどり(免) 川上陽子 (山谷えり子) | A AB |
外務大臣 | 岸田文雄 | AB | 岸田文雄 | AB |
文部科学大臣 | 下村文雄 | A | 下村文雄 | A |
厚生労働大臣 | 田村憲久 | B | 塩崎恭久 | B |
農林水産大臣 | 林芳正 | B | 西川公也 | A |
経済産業大臣 | 茂木敏充 | O | 小渕優子(免) 宮澤洋一 (高市早苗) | A A |
国土交通大臣 | 太田昭宏 | A | 太田昭宏 | A |
環境大臣 | 石原伸晃 | A | 望月義夫 | O |
防衛大臣 | 小野寺五典 | O | 江渡聡徳 | O |
内閣官房長官 | 菅義偉 | O | 菅義偉 | O |
特命担当大臣 復興大臣 | 根元匠 | A | 竹下亘 | O |
特命担当大臣 国家公安委員長 | 古屋圭司 | B | 山谷えり子 | A |
特命担当大臣 沖縄及び北方対策 | 山本一太 | O | 山口俊一 | A |
特命担当大臣 経済財政政策 | 有村浩子 | A | 甘利明 | A |
特命担当大臣 経済再生担当 | 甘利明 | A | ||
特命担当大臣 地方創生担当 | 石破茂 | B | ||
特命担当大臣 男女共同・少子化 | 森まさこ | O | 有村治子 | A |
特命担当大臣 規制改革 | 稲田朋美 | AB |
2019-09-20
血液型でこれまでの政界をちょっと眺めてみました(おまけ)
A型小泉純一郎とB型安倍晋三がとった対照的な選挙手法?
2019-08-18
血液型でこれまでの政界をちょっと眺めてみました④
日本を2つに分かつ道
木村英子(重度障害者)当選
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(関連記事)
2019-08-17
血液型でこれまでの政界をちょっと眺めてみました③
安倍総理は『美しい日本」を実現できるのか?
◇自民党の政権復活
2012年12月、野田内閣解散に伴い、衆議院議員総選挙が行われました。結果は野党に甘んじていた自民党が294議席、公明党連立では2/3議席を確保し、大勝して与党に返り咲きました。
一方、民主党は前回衆議院選挙の230議席から57議席に激減してしまいます。この選挙では民主党から分裂した議員たちやその他の参入者によって12もの政党が立候補していたというのですから、自民党以外はいかに混迷していたかがよく分かります。
そして安倍晋三が、内閣総理大臣に再選されました。
前回の辞任劇があったために、安倍首相が再び立つに至るには、それなりの経緯があったようです。
2012年9月、自民党内で任期満了による総裁選が行われました。
それは秋に行われるであろう衆議院選挙を見据え、次期総理大臣となる人物を選ぶ重要な選任でもありました。
そのとき、裏方で動いていた人物の1人が、菅義偉でした。
菅義偉=O型
※現内閣の官房長官菅義偉は今年5月、「令和」元号の発表を行い、"令和おじさん"としても知られることになりました。
以下の動画はテレビ東京でおこなわれたインタビューですが、ご自分のことと安倍首相との関係についてよく語られています。
「菅官房長官語る①~③」
動画(③)の中で菅義偉は、安倍晋三に出逢った時から、「いつかこの人を総理にしたい」と思ったと語っています。
それを受けたインタビューアが「なぜか?」と訪ねると、彼はこう言います。
「育ちもいいですし」
「経験も豊富」
「懐が深くて柔軟性もありますし」
「他の人とは一味違っていた」
「確固たる自分を持っている」
菅義偉は、一見穏やかで口調も静かな、控え目な人物にも見えますが、インタビューの中でも言っているとおり、「勝負するときはしなくちゃだめだ」という、なかなかの勝負師だというのが分かります。あるいは、「これはいける」「今だ」という直感もよく働かせているようで、このインタビューからも、そのO型らしさがよく表れています。
安倍晋三は、2007年の辞任の後、体調を回復させると11月には政務に戻りました。
その後は勉強会などを積極的に開き、人々の声なども聞きながら現在に至る構想をより固めていったのだと思われます。
インタビューの中で菅義偉が言うには、安倍首相は前回の辞め方を気にして最初は総裁選立候補を渋っていたようです。
しかし、今がまたとないチャンスだと直感している菅義偉は、安倍首相を何時間もかけて説得しました。
菅義偉の根気勝ちともいえますが、「O型とB型のおもり関係」が上手く働いていたのだとすれば、B型の安倍晋三を説得するにO型の菅義偉は最適任だったとも思えます。
O型の率直な言葉は、B型の気分をよりポジティブな方向に上昇させる効果があるからです。またO型は、他の人にはないB型特有の感性を高く評価することがよくあります。もちろんそれは、そのB型が有能な場合においての話ですが、菅義偉が、安倍晋三の「他の人とは一味違っていた」ところや、「柔軟性や懐の深さ」に好感を持ったのも、O型の食指が動いたからなのでしょう。
こうして菅義偉の直感どおり、安倍晋三は総裁に選ばれました。そして衆議院議員選挙に自民党が勝利すると、第二次安倍内閣が発足したのでした。
するとこの報道を聞いた一部の人々からは、(こう言っては失礼ですが…)「あの軟弱な安倍が…?」という声が、聞こえてきたのも事実です。
一般市民から見れば、菅義偉が言うような「懐の深さ」や「柔軟性」などの安倍晋三の人柄は、伝わってはこないのですから致し方ないことかもしれません。
安倍首相に対する市民の期待は、当初はそれほど大きくなかった気がします。しかしその後、意外に健闘しているというムードが広がり、支持率も上昇し始め、安定政権へと向かっていきました。
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安倍首相は、「美しい国日本をつくる」というスローガンを掲げ、「"戦後レジーム"からの船出」を目指すとしました。
また、経済政策としてはアベノミクスと名付け、三本の矢を柱にする政策を打ち出しています。
しかし、"美しい国日本"と言われても、具体的なイメージがなかなか浮かんできません。
それを説明する定義は、「活力とチャンスとやさしさに満ちあふれ、自律の精神を大事にする世界に開かれた"美しい国、日本"」とされています。
また、安倍首相の著書「美しい国へ」の概要を見ると、「日本国家が変わろうとしている現在、日本を自信と誇りのもてる国家へとすることを理想とし、そのために保守、外交、社会保障、教育はどうあるべきかを説いている」とあります。
もう少し安倍首相の談話などからメッセージを拾ってみます。
安倍内閣総理大臣談話より
これは戦後70年を迎えるにあたっての声明文ですが、過去の戦争に対する経緯、追悼、お詫び、反省などを伝えると、今後の日本については次のように述べています。
- 総理大臣 安倍晋三 B
- 副総理兼財務大臣 麻生太郎 A
- 総務大臣 石田真敏 B
- 法務大臣 山下貴司 A
- 外務大臣 河野太郎 O
- 文部科学大臣 柴山昌彦 A
- 厚生労働大臣 根本匠 A
- 農林水産大臣 吉川貴盛 O
- 経済産業大臣 世耕弘成 B
- 国土交通大臣 石井啓一 B
- 環境大臣 原田義昭 O
- 防衛大臣 岩屋毅 A
- 官房長官 菅義偉 O
- 復興担当大臣 渡辺博道 O
- 国家公安委員長 山本順三 A
- 経済再生担当大臣 茂木敏充 O
- 沖縄・北方…大臣 宮腰光寛 O
- 地方創生担当大臣 片山さつきO
- 科学技術担当大臣 平井卓也 A
- 五輪担当相大臣 桜田義孝 O
また、安倍首相の同志としては麻生太郎副総理もいます。
麻生氏はA型ですが、A型が心強いのは、一度親交を深めたときには裏切る可能性が最も少ないことです。
麻生氏の声掛けで結成した議員グループ『NASAの会』には安倍首相も参加していますが、このメンバーが安倍内閣の骨組みを形成してきたようです。
故)中川昭一(A)
麻生太郎(A)
菅義偉(O)
甘利明(A)
安倍晋三(B)
安倍首相の周辺は案外A型が多いようです。
つまり、安倍首相はA型と協調していけるタイプのB型のようです。その点ではB型の脇の甘さをA型がフォローする形となり、今の安定政権も納得するところがあります。
2019-08-15
血液型でこれまでの政界をちょっと眺めてみました①
21世紀、グローバルリズムの流れ
「人間を研究観察する仕事をしています」などと言っておきながら、叱られそうですが
政治のことなど、一生書くことはないだろう…と思っていました。
そもそも苦手で関心も薄く、幸い私がこの研究の代表を受け継いでからというもの、政治に関するコメントを求められたことはなく(以前はたまにありました。)、万一求められても、「断ってしまおう」なんて、思っていたくらいなのです。
しかし、今回行われた参議院選挙の際、誰に投票すべきかと調べているうちに、これまでとは、何か異なる、大きな変化の兆しを感じました。
もしかしたら日本国の政治は、今、重要な局面にきているのかもしれない。
だとすれば、記録に残しておかなければならないと、重い腰を上げたというわけなのです。
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さて、現在の安倍内閣、7年目という長期政権に突入していますが、少し過去にさかのぼりながら、近年の政治動向と同時に主要な政治家の血液型を挙げていきたいと思います。
経済の視点で眺めるなら、日本は高度成長期から1980年代のバブル期を経て、1991年頃にはバブル崩壊。その後は期待されるような景気回復には至らず、多少の上下を繰り返してはいても、この20年ほどはデフレから脱却できずに下降し続けているとのこと。
また同時に、21世紀に入った頃には世界中でグローバリズムが唱えられ、良い悪いは別にして、金融商品取引への外国人参入なども含め、国内経済の質自体が変化していったようです。
それは時代の流れだったのかもしれませんが、そうした変化の中で、象徴的な存在になったのは、郵政民営化を推し進めた小泉純一郎元首相です。
■小泉内閣(2001年4月~2006年9月)
小泉純一郎=A型
彼は異色ともいわれた総理大臣で、多くの政治家がとるような慣例的な行動をあまりせず、一匹オオカミ、あるいは”変人”などとも呼ばれていました。しかし一方で、総理になる以前まで従事していた福田赳夫(O型)、そして福田派に対する忠誠心の強さは周囲にもよく知られていたということですから、党内でも「変わり者だが筋のあるやつ」ぐらいの一定の評価は得ていたのでしょう。血液型的見方をするなら、ヤルと決めたら断行してしまう、ある意味"破滅型タイプ"のA型なわけですが、一本筋が通っているだけに、周囲も一目置くようなところがあるのです。
その頃、バブル崩壊から10年経つというのに、派閥などに縛られてぐずぐずしている日本の政治に閉塞感を感じていた一般大衆にとって、小泉純一郎の清々しさや潔さは大へん好感を持たれ、日本中に「小泉旋風」を起こしました。何と、当時は最高値で、87%もの支持率があったとのことです。
「彼なら何かを変えてくれるかも?」と、人々は大きな期待を寄せたのです。
実際、小泉内閣は、「聖域なき構造改革」を掲げ、郵政民営化や労働者派遣法の規制緩和などを始めとする官から民への"小さな政府"、あるいは銀行の不良債権処理などを、急速に実現させていったのでした。
また、それらの立役者ともなった人物は、政府のシンクタンク的存在として活動していた竹中平蔵でした。
竹中平蔵=O型
(2001年~2006年/経済財政政策大臣、総務大臣などを務める)学者ならではのロジックや、(O型らしい)一言多い発言などもあり、時おり周囲からひんしゅくを買ったりしていましたが、盤石内閣のA型小泉首相の下にあったことで、5年にわたって手腕を振るうことになりました。
これはA型上司とO型部下のおもり関係が上手く働いた例になると思います。
鳴り物入りで入ったはいいけれど、政界の内情もよく知らず、周囲からやや冷やかな空気を感じていたことでしょう。
O型はハツモノには弱いところがあり、場慣れするまではだいぶ余分な力が入りがちになります。しかしボスがA型だと、O型はフォローしてもらえる安心感を持ちます。小泉首相は"思い切りの良いA型"です。首相に「頼むよ!」と言われれば、「よ~し、やっていいんですね!」という気持ちになったのではないかと思います。
学者が自分のロジックを頭で考えるだけでなく、実際の行動で実現できるというのは、冒険でもあり、大きな喜びでもあったはずです。まして目的志向性の強いO型なら、尚のこと燃えたに違いなく、しかもそれが国政舞台です。野心家の(たぶん)竹中平蔵にとっては、またとないチャンスだったに違いありません。
ただしこの「小泉・竹中改革」は、当初から賛否両論があり、最近では否定論の方が目立っているようにも感じます。
日本は改革、改革と言いながら、なかなか物事が動かない、という現象が実際よく見受けられます。そして「誰か思い切ってやってくれないのかねえ」というジレンマが蔓延するわけですが、そんなときに現れたヒーロー(?)が小泉純一郎だったのです。
それに答えるには、少々強引でもスピード感をもって推し進める必要があったのでしょう。
もちろん現在問われている問題は、そこではなく、"小さな政府"(緊縮財政)や”グローバルリズム”に向かう政策が、果たして良かったのかどうかというところにあるようです。
竹中平蔵は、当時の米国的理論(※現在のトランプ政権は反グローバリズムで異なる政策である。)を日本の財政政策に持ち込んだわけですが、それを日本の体質に合うように精査したかどうかは問われるところです。
いずれにしても、小泉首相が総理辞任と共に政界引退を表明したことで、「小泉・竹中改革」も一旦区切りをつけ、次の安倍晋三にバトンタッチされることになったのです。
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血液型でこれまでの政界をちょっと眺めてみました②
2017-05-15
ある日魅力が再燃した 田中角栄さん
それで、田中角栄について、書こう書こうと思っていながら、結局失念していたのを今頃思い出しました。(だから今書きます)
それにしても、再燃したきっかけは何だったのだろう?
石原慎太郎氏が小説を書いたから?
没後20年だったから?
テレビも見ない新聞も見ないという、愚か者の私は、もはや世の中のブームには、ついていけないどころか知ろうとさえしないという、始末に負えない状態なわけですが、それでも街なかで、"田中角栄"という文字を見たり耳にしたりすると、ピクンと食指が動いてしまうのです。
田中角栄が総理として在籍していたのは1972年-1974年(政治活動は1947年~)。
現在の若い人たちは、彼が表舞台に立っていた姿をほとんど知らないのでしょう。
じゃあ、私は良く知っているぐらいの年齢なのか?といいますと…いや、そうでもないです。
小学校3年生か、4年生か…。
政治のことなんて、まるきり分からないし、興味の欠けらもありませんでした。
しかしそんな私でも、田中角栄の、甲高いけど、親しみ深い…あの声とか。漫才みたいなしゃべり方をする、あの口調とか。ヤアヤアと手をあげて現れる、あの姿とか。思い出すだけで、今にも目の前に現れそうなくらい、懐かしく感じるのです。
あの頃日本人は、みんな田中角栄が好きだった…というか、まあ、それはもちろん、全員が好きだったわけでもないのでしょうが、嫌いな人でさえ、興味深々だったには違いないのです。
日本中が、田中角栄のエネルギーに包まれていたような感じだったのです。
「ああ、この人なら日本も大丈夫だ」と、多くの人々に思わせていたような気がします。
だから、"親父"とか"父"というふうに、周囲から呼ばれていたのでしょう。
日本の政界において、100年に1人現れるかどうかという、スーパーヒーロー的な人気を博した、実に稀な政治家であり、総理大臣であったわけです。
さて、ここまで書いてきましたが、田中角栄の血液型は何型だと思うでしょうか。
はい、そう、「B型」でした。
親分タイプ(B型の場合"親方”というニュアンスになるのですが)のB型ってどんな感じだろう?と思ったら、田中角栄を想像するのが良いかもしれないのです。
ところが、総理就任2年目には金脈問題で総辞職。そして間もなく、ロッキード事件(汚職事件)が明るみになります。
問題が起こった当時は、毎日がそのニュースばかりでした。
「まったく、何でそんな事に…?」
子どもながらに、釈然としない不可解さが残りました。
そして不思議なことに、田中角栄を『罪人』という風には捉えなかったのも覚えています。
何というか、大人の社会の複雑な事情があるんだろうなと…。
「金まみれは悪」「賄賂は悪」と正論が叫ばれても、それがもちろん、良く無いというのは理解するけれど、もっと違う、裏の裏のカラクリがあるように、子どもながらに感じていたのです。
実際のところ、更に釈然としなかったのは、そんなに"悪い"ことをしたというのに、その後、脳梗塞で倒れても尚、"闇将軍"と呼ばれながら、長く政界に君臨していたのです。
私には政治の世界が、何が何だかさっぱり分かりませんでした。
結局、日本中、田中角栄を囲んでのお祭り気分は、ほんの一時で終わってしまいました。
今思い出しても、あの事件の騒ぎが収まっていくと、本当にそれは、まるで祭りが終わった後のように、みんなシュンとして、口数も少なく寂しげにそれぞれの家に帰っていくかのように、静かになってしまったようでした。
日本はその後、急速にバブル経済に向かって行くのですが、それは決して明るい道とは言えない、見せかけの上昇気流だったのは言うまでもありません。
そしてこの事件をきっかけに、私は、社会の"闇"のようなものを、肌で感じ始めていた気がします。
世の中で、でいろいろな事件や問題が起こっても、その報道されるニュースを鵜呑みにすることは、もはや出来なくなりました。
その陰にある真実は何だろう?
もう一人の私が、そう問いかけているのです。
こうした分析的な思考性は、AB型ならではのものかもしれないのですが…。
とにもかくにも、田中角栄という人は、表舞台で国民を喜ばせたのはほんの束の間であり、その後は陰の世界へ(?)、お隠れになったというわけなのです。
でもやはり、親方タイプ、オマツリタイプのB型は、表舞台に立った方がお似合いです。
陰に隠れてからというもの、田中角栄の良いところは、ちーっとも見えなくなってしまったのですから。
それにしても、なぜ今、田中角栄なのでしょう。
あれから40年。今思えば、ある意味、田中角栄にまつわる一連の出来事は、日本のひとつの節目だったのかもしれません。
そして今、新たな節目を迎えているのだとすれば、田中角栄のような親方が、今の日本に必要なのかもしれません。
しかし万一、今度そういう人物が出現したのなら、B型的な”脇の甘さ”を、周りはしっかりカバーしてあげなきゃならないですね。(血液型人間学の本を議員に送らなければ!)
補足するなら、血液型が判明しているB型歴代総理は、田中角栄、竹下登、野田佳彦、安倍晋三です。
こうして見ても、田中角栄ほどにB型カラーの強い人物は見当たらない気がします。
その”色”が濃い、ということは、その特性をいかんなく発揮している、ということでもあるのです。