知識と引き換えに失うもの

数年前の事、学校の課題のために血液型をテーマにしたいと、ひとりの女子中学生が訪ねてきました。
とても可愛いA型の女の子。
そして、しっかりと自分と向き合っている、という印象があります。
だって、たったひとりでここへ来るには勇気が必要だったろうから。

その子が、非常に興味深いアンケートをとってくれました。

質問は、「幽霊を信じますか?」
過去に同じ質問を、能見正比古が行ったのですが、その時と結果はほぼ同じ。

(回答)
あるはずがない、くだらない!・・・多い順に⇒O、A、B、AB
(逆に「ある」と思うのは、AB型、B型の順で多いということ)

補足には、以下のような事柄もあるけれど、いずれも血液型の気質をよく現しているのです。

O型・・・「自分が見れば信じる」
(O型の現実性の強さ・・・見たもの触れたものを信じたいという感覚)

B型・・・「無いとはいえない」
(B型のケジメをつけたくない・・・可能性を残しておこうとする純粋な科学的志向性)


中学生女子が行ってくれたアンケート結果もほぼ同じ結果となり、加えて彼女は小学生にも同じ質問をしてくれました。
その結果が興味深いです。
小学生低学年では、O型が、「信じる!」というのが一番多くなっていたからです。

さて、これはどういうこと?

O型はとても素直。
だから、素直に社会の中に染まりやすいといえます。
そうすることが、生存のためには最も優位だからでもあります。

すると、これまでの科学信仰社会の中では、O型が、幽霊を否定するのは無理も無いかもしれない。
でもそのO型も、子供の頃は、一番信じていて、一番怖がってもいたのです。
知識がまだ無い頃のO型の子は、見えないもの、触れないものも、感じ取ることができたのかもしれない。
幽霊を信じることが良い悪いということを言いたいのでは、もちろんないのです。

知識を得ると、その無防備な感性は遠のく。
そして、いつか失う(忘れ去る)
その失った・・・忘れ去られた部分に、何か大切なものがあるのでは?
と、度々思う事があるからです。


子どもたちを観察するのは興味深いことばかり。
それは、私たちに何かを教えてくれているに違いないからです。