2021-05-02

祝!松山英樹プロ、”初めて物語”にまたしても名を連ねたB型ヒーロー


ゴルフとB型と”初めて物語”


長引くコロナ騒動のおかげで、ど~んよりしている日本でありますが、先月は、久しぶりのわくわくニュースが飛び込んできましたね。

日本人初、アジア人初の、マスターズ優勝!松山英樹プロ、おめでとうございます。
(*マスターズ=米国ジョージア州、オーガスタナショナルクラブで開催されるゴルフのメジャー選手権)

私は、ゴルフをしないというのもあり、松山プロのプレーの内容などについては、まるで分っておりません。その上、この時期にマスターズが開催されていたことも、そして松山英樹さんが出場していたことさえ、知らなかったという始末。しかし、「松山プロ、日本人初のマスターズ優勝!」という情報を聞いた時は、咄嗟に、「おそらくB型ね」と、半ば、決めつけ的な血液型予測をしておりました。そうして、すぐにインターネットでプロフィール情報を検索し、「ああ、やっぱりB型ね」と、再び納得したというわけです。

何もこういう研究をしているからといって、血液型を当てるのを得意としているわけではないのです。むしろ普段は、考えすぎたり分析しすぎたりするせいか、はずれることの方が多いくらいで、「こういうのはクイズのように当てたりするものじゃなく、本人に聞くべきことです」などと、もっともらしい言い訳をしているのです。そうだというのに、"日本人初"というのを耳にしたとたん、そう思ってしまったのでした。

"日本初”とか、”世界で初めての日本人”とか、そういうことに挑戦したり、そしてみごとに勝ってしまう人々というのに、とにかくB型が多いのです。本来そうした固定観念を持つことは、研究者にあるまじきことなのですが、しかし今のところ、こうした現象に、B型がまるでセットのようにくっついている、というのも事実なのです。


B型プロたちの”初めて物語”は止まらない?


もしもこうした”初めて物語”を、語り始めようとすれば、各界、次から次へと、B型ヒーローたちの顔ぶれが並ぶことになるわけですが、ここではとりあえず、ゴルフ選手について、名を挙げてみましょう。

青木功 (1964年プロ入り)

  • 1975年/マスターズ前座試合「パー3コンテスト」で米国籍外選手として初の優勝。
  • 1983年/ハワイアン・オープンで、日本人初の米国PGAツアー優勝。
  • 2004年/日本人男性として初の世界ゴルフ殿堂入り。

岡本綾子 (1974年プロ入り)

  • 1981年/日本の女子選手で初めてアメリカLPGAツアーに本格参戦。
  • 1987年/アメリカ人以外で史上初のLPGAツアー賞金女王獲得。
  • 1987年/日本人選手として史上唯一、日米女子ツアー2戦連続優勝。

宮里藍 (2003年プロ入り)

  • 2010年/LPGAツアー史上5人目(日本人初)の開幕から2週連続優勝を達成。
  • 2010年/日本人初の世界ランキング1位獲得。
  • 2012年/「ウィリアム&モージー・パウエル賞」を日本人初受賞。

青木功プロをはじめ、みなさんB型です。当時はまだ、ゴルフといえばヨーロッパ社会の、しかも上流階級の愉しみのようなムードでいっぱいの頃で、参戦すること自体、日本人にとっては気が引けてしまう状況だったことでしょう。ところが青木プロは、そんなことは全く意に介せず、ワクワクして挑んでいったのでした。

それに青木プロ、英語もほとんど話せない。けれど、「言葉には困りませんでしたか?」という記者の質問にも、「いいや、別に困らんよ。そんなもん、何とかなるもんさ」と、むしろ通じない状況を楽しんでいた感じさえあったような回答をしていました。まさにこれを機に、青木功プロが、日本ゴルフ界の世界への道筋を創ったといえるでしょう。

しかし現実を見ると、青木プロの世界デビューから既に40年以上が経っているわけですが、その後も、"世界初"、"日本人初"、を果たしたのは、今回の松山英樹プロを含めて、結局全員が、B型だったということになります。


B型はそんなにゴルフに向いているのか?


これまでの話だと、「B型はゴルフに向いてるのか?」とも思いたくなりますね。ところが、コトはそう単純ではありません。実際、プロゴルファーの血液型分布を見ても、B型が特段多いということでもなさそうで、他のスポーツ界同様に、全体的にはO型がやや多めで、B型率は日本人平均か、むしろ少なめの傾向さえあるのです。

あえてB型とゴルフの相性を述べるなら、ゴルフがよく奥の深いスポーツだといわれますが、その奥深さが、B型の興味を飽きさせないだろうと予測できます。また、プロゴルフの場合は特に、全くの個人競技であるということも、マイペースなB型にとって取り組みやすいといえます。あるいは体質的な要素を付け加えるなら、ゴルフの理想的スイングは、できるだけ自然な円を描くことだと、どこかで聞きかじったことがあるのですが、そういう自然体な柔軟度となると、B型的体質は有利だろう、という仮説を立てることもできそうです。

参考までに、一昨年前の賞金ランキング上位10人の名前をあげてみます。
賞金ランキングにおいては、毎年入れ替わりも激しく、ゴルフというのが、精神的要素の強いスポーツといわれるだけあって、各々浮き沈みも大きいようです。その面でいうと、B型は、気分の揺れが激しい方で、賞金ランキングのように年間通して勝ち続けるのは、決して得意な性分ではないのです。

【2019年の日本における賞金ランキング】

(男子)
1   (AB)今平周吾/世界ランク34
2   (O)ショーン・ノリス/世界ランク80
3   (O)石川遼 世界ランク114
4   (B)チャン・キム /世界ランク77
5   (A)ハン・ジュンゴン/世界ランク102
6   (O)堀川未来夢/世界ランク139
7   (A)J・ジェーンワタナノンド/世界ランク59
8   (O)パク・サンヒョン/世界ランク127
9   (A)浅地洋佑/世界ランク211
10 (A)チェ・ホソン/世界ランク174

(女子)
1    (B)鈴木愛 世界ランク/14
2    (AB)渋野日向子 世界ランク/11
3    (A)申ジエ 世界ランク/25
4    (A)ペ・ソンウ 世界ランク/29
5    (B)イ・ミニョン  世界ランク/46
6    (O)河本結  世界ランク/60
7    (A)穴井詩  世界ランク/87
8    (A)小祝さくら 世界ランク/72
9    (A)上田桃子 世界ランク/62
10  (AB)勝みなみ 世界ランク/69


しかしなぜか、『世界大会』のような大舞台になると、俄然ヤル気が湧いてしまうのがB型です。松山プロはあるインタビューで、「観客が多い方が熱くなる」とも申しておりましたが、まさにそれこそが、世界舞台に強いB型の理由かもしれません。

かつて、元プロ野球スターの長嶋茂雄さんが、「プレッシャーはあるけれど、プレッシャーを楽しむことが大事」と、言っておりましたが、多くの人にとっては、”言うは易し…”のことです。ところがそれを、ケロリと出来てしまうのが、B型というわけです。

野球スターに触れたところで、ついでに書きますと、日本人初、アジア人初として、メジャーリーガーで活躍した投手といえば野茂秀雄(B型)さんです。(*日本人初大リーガーは、1963年村上雅則氏ですが、血液型は不明。村上氏の場合は本人の挑戦というよりチーム主導の野球留学という背景があった。)また、記憶に新しい、日本人初の打者として活躍したイチローさんもB型でした。


B型が世界舞台に強い理由


こうしてB型の名ばかりが並ぶと、「なぜ!?」と、羨ましさとジェラシーが相まって、声も大きくなるかもしれません。もちろん、今のところ私も、それに答えるだけの確かな証拠を持っているわけではありません。ですが、これがB型の初めて物語を後押ししているのではないか、と思える、いくつかの性質、体質を、あげておこうと思います。

  • 観客が多くて盛り上がっている方が気分が乗る。つまりB型は、大勢の観客に注目されることのプレッシャーよりも、観客の騒めきを自分の気分を盛り上げるツールとしている。
  • 緊張はするにはするが、そもそも体に柔軟性があり、硬直しない体質である。(副交感神経優位タイプ)
  • 周囲が期待しているからとか、どう思われるかとか、外国だからとか、言葉が分からないからとか、そうした外部要因は、自分が今熱中することに比べたら、二の次三の次となる。
  • 反骨精神旺盛、あるいはアマノジャク体質で、周囲に「無理だろう」と言われるほど、ヤル気が増す。
  • 良くも悪くもマイペース。


かつて能見正比古がよく言っていたのは、「B型は、どの分野においても、活躍する人数は決して多くはないが、時おりスーパースター級の逸材が出現する」ということでしたが、その考察は今も尚、証明され続けているようです。

ただここで、この現象を確認しているのは、今のところ日本においてだけだということも、付け加えておきます。血液型の特性は、世界中、どこの国、どの人種においてもほぼ共通だろうということを、ある程度確認しているものの、「日本人で初めて」というキーワードで盛り上がること自体、日本特有の現象かもしれませんし、そういう日本の中にいるB型ならでは、なのかもしれません。

また、では他の血液型には、そうした偉業は難しいのか?といえば、それも違うと思います。どの血液型も、どの人も、自分なりの、あるいは自分の血液型性を活かせる強み、というのがあります。それをどれだけ発揮させるかということですが、もしもB型に何かを倣うのだとすれば、”自分の興味にとことん熱中できるマイペースさ”というところではないかと、私は常々感じています。これはゴルフに限らず、全分野において、今後の重要な研究課題となりそうなのですが。


プロゴルファーたちは自分の血液型をどう見てる?


冒頭にも書いたように、私自身の知識の乏しさのせいで、プレーについてはあまり多くを語れないのですが、せっかくなので、『血液型とゴルフ』について、もう少し書き加えておこうと思います。ゴルフの血液型考察としては、能見親子が、『血液型ゴルファー学』というのを1982年に発表しております。

当時はちょうどバブル経済で、新しい娯楽が盛り上がる頃でもあり、ゴルフ人口も急増し、男性たちの多くが休日になると、「接待だ」と言い訳しながら、ゴルフに勤しんでいたのではないかと記憶します。とはいえ、データはまだそれほど多くはなく、この本も、プロゴルファーたちとの対談が主であり、プレーや、プロ人生への取り組み方などを知れる、読み物としての価値に焦点が置かれています。そしてさすがプロたちは、自分の弱点や強みをよく心得ており、それが血液型特性とよく一致しているのは興味深いことです。

「血液型ゴルファー学」1982年(サンケイ出版)
*絶版

「血液型ゴルファー学」1985年(青春出版社)
*上記の本を改定・データなど加筆したものです。絶版


能見親子のこうした活動の影響で、当時のゴルフ雑誌では毎週のように血液型記事が特集され、プロたちの中には、そのエッセンスをこっそり取り入れている方もいたのだと聞いています。残念なことに最近は、そうした報告をあまり聞かなくなり、ゴルフ界で、血液型の話がされることもめっきり少なくなってしまったようです。

それでもたまには、特集記事の監修を仰せつかうこともありましたので、ここ数年の記事の中から、プロたちのご意見などをピックアップしてみましょう。


O型プロたちの血液型インタビュー
■谷原秀人プロ「O型は考え過ぎちゃうとダメ」「意外と冷静に周りを見て分析してますよ」
■矢野東プロ「適当っぽいけど、メチャメチャ細かく考えるんですよ。でもO型は、難しく考えない方がいいよね。スイングが思い切りがいいのは強みだね」
■飯島茜プロ「常に前向き、失敗してもくよくよしません」
■谷口拓也プロ「普段は何とかなるさとのんびりしてるけど、ここぞという時は、ガッツリ勝ちにいきます」
■高山忠洋プロ「だいたいアバウト、でもこだわる部分はとことんこだわる」

A型プロたちの血液型インタビュー
■梶尾要プロ「ギャラリーがビニールガサガサしてるだけで気になる。いろんな事が気になり過ぎるよね」
■高橋竜彦プロ「几帳面なのでコースを熟知しておきたい。日頃から準備を大事にしてます」
■馬場ゆかりプロ「よくやさしいと言われますが、プロとしてもっと言いたいことをいうようにしたいな」
■立川光弘プロ「どうしても周りに気を遣っちゃうよな。エッ、だから勝てねえって?ウルセエ(笑)」
■細川和彦プロ「血液型はすごい関係あるよ!」

B型プロたちの血液型インタビュー
■白戸由香プロ「B型でしょう?って言われます。普段はアバウトですが、ゴルフには細かいです」
■川原由維プロ「気分の浮き沈みが激しい。周りのことは気にならない。典型的なB型ですね」
■今井克宗プロ「血液型なんて、ゴルフにはまったく関係なし!」
■久保谷健一プロ「B型はイケイケのタイプ。僕も調子がよければ何も考えずにうまくいくことが多い」
■星野英正プロ「ラウンドで音とか聞こえても仕切り直しはしない、自分の世界に入り込んでプレーしてる」

AB型プロたちの血液型インタビュー
■甲斐慎太郎プロ「強気になったり弱気になったり。乗ってれば難しいホールでもガンガンいける。だめなときは全ホールだめ」
■井上信プロ「どちらかというと気分屋」
■芹澤信雄プロ「バーディもボギーも出始めると止まらない。スコアの波が激しいのはAB型の特徴なの?」
■横峯さくらプロ「血液型はあまり気にしません。AB型は器用なんですか?私はそうでもありません」
■中道かおりプロ「AB型は二面性があると言われるけど、引き出しが多いと思うようにしてます」
■真坂潔プロ「血液型なんて関係ない!でも待てよ、オレが守りに入りやすいのはAが強いからか?」


いかがでしょう。インタビューしてみると、やはり多かれ少なかれ、血液型の特性が現れた回答をされているのではないかと思います。そしてそれら血液型的特性を、ご自分のプレーに応用しようとしている方も、O型やA型プロの中に、チラホラいらっしゃる気配もありそうです。

プロともなれば、ご自分の弱点も強みも熟知されているはず。そしてそれに血液型的攻略法を加えたら、きっと役に立つだろうと思います。研究者のワタクシとしては、全ての血液型の方たちに、ご自分の能力を100%出していただきたいと願っていますし、そうなったらどんなスゴイことになるだろうかと、興味シンシンでいるのです。万一、このブログを読まれて(その確率は限りなく0%に近いと思いますが…。)血液型の秘訣を聞いてみたいと思われたら、どうぞ遠慮なく、お問合せ下さいね。



◎最近の記事







2021-01-30

「自由」について"血液型"的に考えてみたら

日本はそもそも自由で平等の国


昨年の11月3日の大統領選を境に、今米国が大きく揺さぶられています。その振動は、世界中に広がっていくに違いないでしょう。日本では、他国のこととして関心を示さなかった人も多いかもしれないし、何よりも全てのメディアが、あるがままの事実を報道しなかったのは、貴重な経験を失ったようでとても残念なことでした。

それはそうとしても、ここでは米国大統領選の話をしたいのではなく、この出来事を眺めながら、改めて自由や平等、あるいは民主主義、共産主義などについて考える機会をもらえたので、4つのタイプの関わりを振り返ってみようと思います。

「自由は戦って勝ち取るものである」と言うのを、しばしば聞いたことがあります。ただ正直にいうと、日本人にとっては、あまりピンとこないところもあるのではないでしょうか。それは主に、支配者たちへの民衆による革命の歴史がある、西洋社会における概念だからです。

日本には、そうした歴史が見あたりません。なぜかしら?
私が思うに、日本はそもそも昔々から、当たり前のように、人々は自由で平等だったのではないでしょうか。それは違うと考える人もいるかもしれませんが、たとえば江戸時代の士農工商制度などについても、あくまでも社会秩序を保つための制度であり、差別による階級分けではなかったのです。武士たちが決して裕福でなかったことは、ひとつの証拠でもあります。お百姓さんが虐められている時代劇は作り話…(おすすめ著書「逝きし世の面影」

「万物に神が宿る」という古来からの価値観は、あらゆるものへの敬意を表しています。昭和天皇は独裁者のような言われ方をすることがあるけれど、「日本はそもそも民が主体の国である」と昭和天皇は仰っていて、終戦後、真新しい考えのように欧米式の民主主義が持ち込まれ、本来の日本の在り方を人々が忘れてしまうのではなかろうかと、心配していたのだそうです。

あるいは、聖徳太子の「十七条憲法」を読んでもそのように感じます。
この、我が国最初の、由緒ある憲法とは、そこでは人々が自由であることや平等であることには(当たり前なので)触れておらず、下の者は上の者によく従うこと、そうでなければ秩序と和が乱れるといい、「和」と「秩序」をことさら強調しています。一見、下の者が虐げられていると受け取ることもできますが、しかしよくよく読んでみれば、各々が、自分の役割を真心を込めて果たしなさいと、寛容に諭しているのです。

もちろん、長い年月の中では、幾らかの歪みを生じたであろうことも想像できます。現代の日本にも言えることですが、秩序やルールに厳しすぎるあまり、それが独り歩きすれば不自由さも生まれてくるでしょう。それでもやはり、日本人社会の底流には、自由と平等、民主の概念が、自然とあったと思うのです。

なので日本では、「自由と平等」を叫ぶ素地が薄いわけで、そういう日本人の私が、米国で再燃している「自由と平等」についての問題を、果たしてどこまで理解できてるか分かりません。とはいえ、ABO血液型の社会的影響を一考しておくため、整理してみようと試みます。


「自由は戦って勝ち取る」O・A社会


毎度、伝えているように、西洋社会はA型とO型の社会です。この2つのタイプの共通性は、集団性、社会性が強いことです。そして遺伝子的にもよく似たところがあるので、ある部分、親和性も高く、社会を形成するには、互いに同調し合いまとまり易いということがあります。(「O型になりたいA型が多い…」

それを踏まえた上で、O型の特徴的な性質をいえば、「個性主張を強く持つ」というのがあります。O型は、「自分・我」の存在を、常に確認していたいのです。もしもそれが抑圧され続けるなら、彼らは生きる価値を見出せないか、あるいは怒りに燃えるでしょう。

またA型は、表面は穏やかに見えても、本質的には気性の激しい性質を持ち、特に権力など力によってねじ伏せられることを嫌い、反発心を強めることがあります。

つまり両者は、人は一人では生きられない、仲間外れになるまい、とする、社会性の強さを持ち合わせ、通常レベルの圧政なら容認するのです。しかしそれが一定レベルを超える状況になるなら、きっかけさえあれば、いつでもそれに立ち向かう可能性を秘めているのです。

そういう人々の集合体の中で、逆に支配者側に立ってみるならどうでしょう。獅子たちを何とか眠らせておく、あらゆる方法を、あれこれ企むのではないでしょうか。もちろん、支配層にしたって、O型とA型が占めるわけで、その民衆心理も分かるというものなのです。

そうした支配層と民衆の切迫した関係は常にあり、そして革命が起こり、あるいはアメリカ大陸への開拓精神を呼び起こした、と言えそうです。


B型の多い国はなぜか締め付けが強い


では、B型族の多い、アジアの国々ではどうでしょう。
面白いことに、アジアの国には、社会主義や共産主義など、全体主義的な国家が意外に多いのです。またB型が非常に多いインドにおいては、社会主義ではないにしろ、カーストという厳格な階級制度をずいぶん永い間保持し、人々はそれを受け入れてきたのです。

B型が、4つのタイプの中で、最もマイペースで、最も自由を愛する人々という印象があるにも関わらず…。

何年か前、研究会でそれについて話し合ったとき、ひとりのB型が言いました。
「そうやって強く締め付けをしないと、B型はてんでバラバラになるから仕方ないんだよ」
そして彼は、こうも言いました。
「B型は、あまり穏やかすぎるとだらけるから。多少プレッシャーを与えた方がヤル気が出るの」

なるほど。B型ご本人が言うのだから、それは一理も二理もありそうだし、言われてみれば、極度のプレッシャーの中で俄然、力を発揮するB型アスリートたちを、数多く見てきたのも間違いないのです。

とはいえ、やはりO、A型社会から見れば、なぜ人々がそのような抑圧的なシステムに甘んじているのか、理解不能であるに違いありません。そして「独裁者が全て悪いのだ」という結論にも至るのでしょう。

ここで、もう少しB型性について深読みしてみようと思います。
B型は、確かにマイペースな性質で、O型やA型と比較すると、社会性があるとは言えないのが客観的事実です。しかし注目するのは、B型自身が、それについて強い意識を持っていないということなのです。B型は、社会のシステムがどうであれ、O型やA型ほどには関心がないのです。


B型流の自由のあり方って?


B型が自由を愛するという言い方は間違いではありませんが、より正確な表現をするなら、自由を追い求めるというより、縛られることへの嫌悪感のような感じで、そんな環境ではどうにも居心地が悪いらしいのです。また、別の側面から見ると、彼らは自分の好きなことさえやらせてもらえるなら、多少の抑圧は気にならないところもあるのです。

つまり、システムだとか、主義だとか、少し言い過ぎかもしれませんが…人権だとかも、ある程度、好きなことをさせてもらえる範囲であるなら、"知ったこっちゃない"というところがあるのです。(もちろん災難が自分に降りかからなければでしょうが。)要するに、社会とか組織とか、そういう概念を、鼻から持ち合わせていない種族、といえるかもしれません。

現在、「中国共産党 VS 米国」という対立構造があり、それはコロナウィルスをきっかけに「中国共産党 VS 世界各国」という風にも拡大してゆく気配があります。なぜ中国において共産主義がここまで根付いてしまったのでしょう。共産革命の主導的立場にあったソ連邦は、とうに崩壊してしまったというのに。

それには、いろいろ要因があるのでしょうが、一つには、天安門事件の酷い記憶を葬ると同時に、改革開放を急速に進めたからでもあるのではと思えます。たとえ一部分であろうが、経済的開放が行われたことによって、まあそれがB型であるなら、命と引き換えに政府に対抗するより、上手くやり抜ける工夫をして適当な自由を得る方が、B型はよほど得意なのです。中共政府はこれによって、実際はマイペースな人々が多い国内を、上手くなだめることに成功したのでしょう。彼らはとても賢かったと言えます。

余談となりますが、日本が中国との国交正常化を成立させたのは田中角栄でした。角栄さんもB型です。複雑な政治的背景は分かりませんが、田中角栄もまた、○○主義などの、そうしたことに対するこだわりが薄かったのかもしれません。少なくも当時は、何かと決めごとや契約を押し付けて来る米国より、実質的に利便性のあるお隣さんと関わる方が、国益になると考えたとしても不思議ではありません。

とはいえ、現在における中共の人権弾圧や言論弾圧の不自由さは、もはや国内事情を超えたレベルに達していて、人道的に許してはおけないところまで悪化しています。そうなれば、中国には、O型やA型の人々だって存在するわけですし、これから先はどうなっていくのか分からないことではあります。

ただとにかく、B型の多い社会では、全体主義や軍事政権など、多少強制力のあるシステムの方が、人々をまとめやすい面があったのだろう、と想像できるのです。そしてB型は、どんな環境の中でも、何とか工夫して、共生共存していくことができるという、他のタイプには見られない柔軟性も持ち合わせています。だとすると、社会制度に不備や不満があっても、命の危険を冒してまで頑張る必要がなくなるのです。

もちろんB型も、革命的なことに没頭することはあるかもしれません。おそらくそれは、そのB型が、何かとてつもなく大きなアイディアを思いついたときです。たとえば田中角栄の「日本列島改造論」のようなものとか…。しかし欧米社会に見られるような「自由を勝ち取る!」というようなスローガンには、案外、腰が重いのです。


そして新しい価値観が生まれるとしたら?

以上のことはあくまでも、今までの人間社会を観察した中での解説となります。しかし私は、今、米国で起きている揺さぶりは、何かもっと、大きな変革をもたらすものではなかろうかと予測しているのです。それがもし、単なる社会制度に対するものではなく、人間そのものの価値を見直すようなことにでもなれば、また違った側面から「自由」や「平等」を考えることができるかもしれません。


たとえば、これまでは、制度やシステムが先にあり、人々はそれに合わせて暮らしてきたようなものですが、仮にそれが、人間の自由な活動の方が先にある、という考え方になったとしたら、○○主義とか、○○党というようなものを、わざわざ組織する必要がなくなるかもしれません。

すると結局…
B型の生き方というのは、本来のあるべき姿なのかもしれないなとも、思えてしまいます。彼らのように、「自分の好きなことを自由にやらせてくれるなら、そんなの知ったこっちゃない」ということなのです。

そうなると、これまで「自由」を求めて懸命に戦っていたはずのO型やA型たちは、面食らうのかもしれません。どうやら、この先の未来は、B型に習うことがいろいろありそうです。

とにもかくにも、今年も混沌の中で始まっており、未来は見えにくいかもしれませんが、変わってゆかなければならないことは確かなようです。取り留めのない内容になりましたが、このテーマはまずはこの辺で、一旦終わりにしておきましょう。


2021-01-03

血液型視点でリーダーシップを考えてみる(3)


人類の解放運動を指揮した指導者たち


人類史上のリーダーたちを考えるにあたって覚えておきたいのは、過去の植民地政策や、奴隷労働からの解放運動を行った英雄たちのことでしょう。残念ながら血液型は判明していないのですが、記憶に留めるためにも簡単な紹介をしておきたいと思います。


マハトラ・ガンディー

(1869~1948年)インド生まれ。弁護士、宗教家、哲学者。
イギリスによる植民地統治時代、ガンディーはアフリカで弁護士として働く中、人種差別問題に目覚めて運動に参加しました。インドに戻ったガンディーは、インド独立運動に加わり、不服従運動を推進します。ガンディーはまた、徹底した「非暴力運動」を行い、その後の活動指導者たちに多大な影響を与えました。その当時、日本は西洋社会による植民地からのアジア解放と銘打って大戦に参加していましたが、ガンディーは、日本軍による支援を評価しながらも、それが暴力によるものであることについては強く批判していました。またガンディーは、幾度となくノーベル平和賞候補にあがっていましたが、断ったとのことです。

ガンディーの強い正義感や非暴力へのこだわり、あらゆる宗教間の融和的思考性などを考えると、AB型の印象を与えますが…。

ネルソン・マンデラ

(1918~2013年)南アフリカ生まれ。弁護士、政治家、南アフリカ共和国第8代大統領。
部族の首長の子として生まれたネルソン・マンデラは、幼い頃からリーダーシップ精神を授けられて育っていました。南アフリカのアパルトヘイト体制反対運動を先導したことで国家反逆罪、終身刑を言い渡され、ロベン島に投獄されます。しかし彼は決して諦めず、看守と親しくなることで獄中から運動を指揮し続けました。そうする中で、世界情勢と共に南アフリカの状況も徐々に変わり、アパルトヘイトは廃止されます。同時にマンデラ釈放を求める声が世界中から沸き起こり、計29年間の投獄生活からようやく解放されました。そして1994年、初の全人種参加選挙が実施されるとマンデラは大統領に就任します。マンデラは、南アフリカ共和国における人種や民族の融和政策に力を注ぎ、アフリカでは数少ない民主国家実現に大きく貢献した人物として世界中から評価されています。

投獄中に看守と親しくなって上手に抱き込んでしまった点や、人種や民族の垣根を取り払った柔軟な思考などは、B型的な印象が残ります。


マーティン・ルーサー・キング牧師

(1929~1968年)アメリカ合衆国生まれ。牧師、公民権運動指導者。
牧師の子として生まれました。神学校在学中にガンディーの思想と出会ったことが、その後の彼の活動に大きな影響を与えました。1900年代、リンカーン大統領によって奴隷制はとっくに廃止されていたとはいえ、黒人や非白人への差別意識は厳然と残っていたのが現実でした。そんな中、ある差別事件をきっかけに抗議運動を主導するようになります。キング牧師の活動はガンディーに啓蒙された「非暴力主義」です。こうしたアフリカ系アメリカ人が人種差別撤廃や公民権を求める「公民権運動」は、アメリカ全土に広がっていきます。キング牧師は大行進を企画したり抗議集会を開くなど、地味ながら精力的に活動し、最終的には1964年に公民権法が制定されたことで勝利を収めることになります。この法案は、ケネディ大統領の時に提出され、ジョンソン大統領によって実施されました。

しかし法が定められた後も全てが解決されたとはいえず、引き続きの活動は展開されました。中にはキング牧師の徹底した「非暴力主義」に反抗する黒人運動家も現れ、一部では暴力化する運動にも発展ししました。そんな中でキング牧師は暗殺されてしまいました。

キング牧師の血液型は、ネット上ではB型、あるいはAB型などと書かれているものを見かけますが、どちらとも判断がつきません。


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アフリカやインドは欧米諸国と異なり、B型族(B型・AB型)が多くなります。その分、B型的な柔軟性が発揮されやすい土壌があり、紹介した3名の運動家のように、非暴力や融合的な思想や行動を生み出すのではないかと思います。

以上、血液型から見たリーダーシップということで数回にわたって紹介してみました。
ある人物について分析すること自体が僭越なことでもありますし、ましてや事実が判明していない上で紹介していますので、いろいろご意見ご批判あろうかと思いますが、あくまでも筆者個人の見解としてお読みくださるようお願いいたします。

総論としていうなら、結局は、どの血液型もリーダーに相応しい要素を持っているということになります。そして過去のリーダーの失敗と成功に学びながら、未来の在り方を考える参考になれば何よりです。


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(関連ページ)

2020-12-27

血液型視点でリーダーシップを考えてみる(2)

 

世界各国のトップリーダー

世界各国のトップリーダーについて考えようと思ったはいいけれど、血液型が判明している人があまりいません。しかも国家に関わることとなると、真実がどこまで公表されているかも定かでなく、果たして考察などできるのやらと、書く前から気落ち気味。結局のところ、憶測や主観、疑問符が多くなりそうですが、それでも、"血液型とリーダー"という視点で、わずかでも参考になればと思います。

またもうひとつ重要なことを前置きさせていただくと、歴史の流れの中でその重荷を背負ったリーダーたちの中には、悪政を敷いたとか、悪者であったなど、強く批判される人物もおります。しかし血液型視点で見るときには、同じ人、あるいは同じ血液型特性でも、状況や場面によってプラスにもマイナスにも働くものであると捉えますので、そうした善悪の評価はなるべく行わないようにしています。

戦後の米国大統領の顔ぶれ

情報が少ない中で、米国の大統領についてはそれなりに予測できるデータがありますので、まずは、今まさに世界が注目している米国大統領について考えます。できれば建国の父とも呼ばれるジョージ・ワシントンや奴隷解放を行ったリンカーンに触れたいところですが、全く情報がないので残念です。以下は戦後の大統領となります。

(1950年以降)

  • 34代▶D・D・アイゼンハワー(O)※米国媒体による2次情報
  • 35代▶J・F・ケネディ(AB)※米国媒体による2次情報
  • 36代▶L・B・ジョンソン(A)※米国媒体による2次情報
  • 37代▶R・M・ニクソン(A?) ※米国媒体による2次情報。B型という情報もある。
  • 38代▶G・R・フォード(O)※ホワイトハウス確認済
  • 39代▶J・R・カーター(A Rh-)※ホワイトハウス確認済
  • 40代▶R・W・レーガン(O)※米国媒体による2次情報
  • 41代▶G・W・ブッシュ(A)※ネットによる2次情報
  • 42代▶W・J・クリントン(AB?)※ネットによる2次情報
  • 43代▶G・W・ブッシュ Jr(O?)※ネットによる2次情報
  • 44代▶B・H・オバマ(AB Rh-)※米国媒体による2次情報
  • 45代▶D・J・トランプ(A?)※ネットによる2次情報

米国大統領というのは、家族や経歴などを含めてあらゆる情報が収集拡散されるらしく、どこからともなく血液型情報も流出するようです。ただし、レーガン大統領までは能見正比古と研究員らが本国で情報入手したものですが、それ以後はほとんどがネット情報です。(※情報ソースを確認できなものについては"?"マークをつけてあります。)


AB型が少ない米国に、なぜAB型大統領が多いのか?

興味深いのは、米国はAB型が3~4%ほどしか居なというのに、3人もAB型の名前があがっていることです。O型が多い米国ゆえの現象だと予測しますが、米国人にとってAB型は、よほどスマートに見えるようです。O型からみるAB型というのは、その神秘性もあいまって知性溢れる人物に映ることがあり、その人の実態以上に評価されることが少なくありません。米国ではスピーチが巧いこともトップリーダーにおいて重要のようですが、そういう面でも、AB型のスマートな物腰が点を稼ぐのでしょう。

中でも、J・F・ケネディは、若くして衝撃的に暗殺された大統領なので、特別に印象深くなっているのかもしれません。黒人初の米大統領になったオバマもまた、世界的にも話題を呼び、長く人気と注目を集めてきました。もう一人、AB型(?)とされるのがクリントンですが、当初はやはり彼のイメージの良さが人気の高さだったと思われます。ただしクリントンは、女性問題でその評価をだいぶ下げてしまいました。

女性問題といえば、J・F・ケネディの女グセが悪かったのもよく知られていることです。AB型男性には真面目派とプレイボーイ派の2つのタイプがいると言ってきましたが、米国男性にもそれは当てはまるようです。しかし、ケネディにしてもクリントンにしても、女性問題が多少のイメージダウンにはなっても、それほど国民から嫌われなかったのは、O型国ならではの大らかさなのか、それともAB型の、それにも勝るイメージの良さなのか…その人気ぶりはやはり不思議なところです。


戦後の米国は、操りやすい大統領が安定政権を維持した?

そんなことを思案しつつ、思い至ったところがあります。AB型大統領というのは、もしかして最も利用されやすいかもしれないなと。

いくら大統領の権限が強いとはいえ、米国は法治国家であり民主国家です。その政権のあらゆる政策を大統領が独裁的に決定できるわけではありません。そうであるなら、もしその政権を動かしたいさまざまな”力”が存在するとしたら、国民に対して好感度の高いAB型は、好都合です。そしてAB型の性質とは、理性を優先し、それほど権力を行使したがらず、揺るぎない信念や力強いリーダーシップなどを、好んで発揮するタイプでもありません。そのAB型の合理性を納得させることさえできれば、AB型の決断をある方向に向かわせることはそれほど難しくないのです。

もしも米国の政権を、違う側面から動かそうとする"勢力”がいるとするなら、AB型大統領ほど都合の良いリーダーは居ないかもしれず、彼らにとって掘り出し物でも見つけたようなものかもしれません。オバマ大統領が、どのような決定においても周囲の意見を取り入れる合議制を好んでいたことはよく知られていました。一方でその彼の8年間を振り返り、「スピーチ以外に彼自身は何もやらなかった」とも評されています。

ただしケネディについて振り返ってみると、おなじAB型でも子どもの頃から随分マイペースな性分だったようで、平均的なAB型とは異なる性質を発揮していたように感じます。若くてスピーチが巧く、国民に絶大な人気がある点ではオバマと同じでしたが、周囲の意見の取り入れ方はオバマとは違っていたかもしれません。つまり、"彼ら"の意図を受け入れなかったために暗殺されてしまったのでは?と憶測してしまうのです。

陰謀論的な話になってしまいますが、しかし現在の大統領選を見ても明確になってきたように、第二次世界大戦以後、世界の覇権国となった米国のその権力中枢には、深い深い闇が存在していたのは間違いないようです。

Wikipediaには歴代米国大統領の顔ぶれがあります。初代大統領のジョージワシントンに始まって、第二次世界大戦時の1945年辺りまでの大統領たちと、それ以降の大統領たちを比較して眺めていると、血液型によらず、柔和でスマートなムードを与える人物たちが増えていると感じるのは、私の気のせいでしょうか。もちろん、時代の流れで国民がそれを求めたからという面もあるでしょうが。とはいえ結局のところ、大統領といっても、国民向けの、表面的な飾り物だったのでは…?少なくも、"背後に存在する勢力"にとってみれば、「そうあるべきだ」と考えていたのではないかと思えてきます。


アメリカを取り戻そうとする大統領は狙われる?

次にO型大統領に注目してみると、上記の中で最も人気が高かったのはレーガンでした。彼は元俳優だったこともあり、立ち居振る舞いには申し分がなく、やはりスピーチが得意でした。体が大きかったこともありますが、O型らしい大らかさや温かさを感じさせる人物でした。しかしレーガンもまた、運よく一命はとりとめたものの、暗殺の危機に合いました。レーガンはアメリカの伝統的な価値観を取り戻そうとする保守派として支持されましたが、彼が自分の考えに従って、アメリカ国民のための行動をとろうとしたために実行された暗殺計画だったと想像できます。


予測不能で大胆な行動をとる大統領は失脚する運命にある?

B型大統領がいないのは残念ですが、ニクソンがB型である可能性も捨てきれません。40年前の調査当時、B型とA型という2つの情報がありましたが、いずれも不確実な情報でした。ニクソンも国民に大へん人気のある大統領で、実績も評価されていたのですが、「ウォーターゲート事件」という謎の事件で退任に追い込まれました。彼が不正を行ったのは事実かもしれませんが、内容を見るとずいぶん無防備で脇の甘さがあったように感じます。彼がA型だとしたら、もう少し慎重に用心するのではないかという気がするのです。

ニクソンは、大胆な外交手腕が高く評価されていますが、そうした我流の大胆さはB型のリーダーの共通点でもあります。ことの是非は別として、ロッキード事件で糾弾された田中角栄とニクソンにはどこか重なる部分があり、B型の可能性を否めない気がしています。もしもニクソンがB型だとしたら、背後にいる勢力にとっては、その予測不能な行動を危険視するようになるのは想像に容易いことなのです。


そして「破滅型A」がアメリカを救うのか?

2016年、グローバリズムが拡大するそれまでの流れが変わるような事態がおこりました。多くの人たちが予想だにしなかった、ドナルド・トランプが大統領に選ばれたのでした。トランプ大統領は当初から、それまでに構築されてきたシステムに疑問を投げかけ、多くのことに挑戦的でした。そしてメディアのプロパガンダによって、既に周囲の流れに同調するのみになっていた米国の人々も、最初は「トランプは攻撃的で狂ってるのか?」と思っていたわけですが、トランプが真実を語り、有言実行の人であることに少しずつ気づいていくことになります。

血液型が予測されている12名の大統領のうち、ニクソンも一応数に入れるとA型は5名となり、米国全体のA型率と同程度になり、比率としても妥当な人数です。ただ面白いことに、ニクソンを除くA型大統領は、全員が1期のみで終わっているのです。米国におけるA型大統領というのは、地味すぎるせいで人気がないのか?つなぎのような役割りが多いのか?なぜか短命で終わることが多いようです。

ところが現在のトランプ大統領だけは、これまでのA型大統領の中でも異色な存在だといえます。いまのところトランプの血液型がA型であると確定することはできないのですが、以前書いたように分析していくと、A型の可能性が高いと考えています。

A型にもさまざまなタイプがいるとはいえ、平常時におけるA型の言動は、やはり協調性や秩序、習慣などを優先させることが多くなります。ところが平時ではない状態にあるとき、激しいまでの強い信念や大胆な行動で、物事を実現させてしまうA型が出現します。能見正比古はそんなA型を「破滅型のA」と、ユーモアを含めて表現しましたが、A型気質には、そのように開き直って最強なるパワーが潜んでおり、それを前面に押し出すタイプのA型が、少ないながらも存在するのです。

日本人を例にだすと極端に異色になってしまいますが、三島由紀夫の行動が分かりやすいのかもしれません。ただ三島由紀夫にしても、彼が作家や思想家でなく、政治家であったなら、もっと現実的な方法で、自分の目的を遂げようとしたのではないでしょうか。

トランプ大統領は、米国が危機的状況にあることを知ると、権力者たちの目に余る横暴や腐敗を一掃したいと立ち上がり、大統領を目指したのは間違いがないようです。普段は入手しづらい米国情報ですが、この選挙騒動のおかげで日本語翻訳された資料が増え、ドナルド・トランプについて多くを知る機会にもなりました。

彼は、今回の二期目の選挙戦も視野に入れながら、大統領として彼の大義や目的を成し遂げるために、長期的で且つ緻密な計画を持っていたということ。またそれは、鉄の信念であるということ。また彼は、人種や職業の差別をせず、全ての人間に思いやりがあり、非常に義理堅い人だということなど。マスメディアで報道されるそれとは真逆の、A型的ポジティブな要素が益々見えてきたのでした。

今日の時点でも、トランプ大統領は、まだ戦いの最中にいます。彼は今後、どのように大義を成していくのでしょうか。真実はいずれ表に出てくるとは思いますが、今後もじっくり見守っていきたいと思います。


ソ連崩壊~ロシア復興に至る指導者の顔ぶれ

一方、米国以外の国のトップリーダーについては、情報が少なすぎて予測すら難しいのが残念です。 その中で、わずかな情報ではありますが、旧ソ連崩壊に関わったゴルバチョフとエリツィンの血液型が判明しているので、旧ソ~ロシアについても少し触れておきたいです。

ソビエト連邦を成立させた指導者といえば、レーニンとスターリン。なぜ2人が共産革命に傾倒していったのか?それはその時代背景や彼らの置かれていた境遇などを考え合わせ、歴史の流れの中での、彼らの運命であったのかもしれないとも思えます。2人の血液型は分かっていません。

スターリンによる大粛清の後、ソ連の共産化はより進み、ますます閉鎖的、独裁的な秘密国家となっていきました。そして同時に軍備を強大化し、第二次世界大戦後は、アメリカ合衆国に対抗する超大国として世界に影響を与えるようになります。

今になって振り返ると、米ソ冷戦時代の世界が最も安定していたと考える学者たちも多いようです。しかし社会主義体制下のソ連経済は、理想のようには上手く循環せず、だんだん切迫してゆきます。そしてチェルノブイル原発事故をきっかけに、ソ連邦終焉への道を加速させることになるのでした。


ソビエト連邦最後の最高指導者はO型だった

その時、最高指導者となったのがミハイル・ゴルバチョフでした。ゴルバチョフの血液型はO型(※海外媒体による二次的情報)です。ゴルバチョフはペレストロイカを推進しながら、ゆっくりとソビエト体制の改革を進めようと考えていました。ゴルバチョフはレーガン(米国大統領)との核軍縮交渉など、世界に向けての融和的言動によってそれまでの恐怖政治によるソ連のネガティブなイメージを緩和させることに成功し、”ゴルビー”と呼ばれながら西側諸国からも親しまれるようになります。

O型は、個人的な関りでは個性重視で自己主張の強さが目立つことも多いのですが、社会的立場にある場合は案外融和的で集団の流れに乗っていこうとするきらいがあります。集団の力を本能的に理解しているO型は、その方が安全であると知っているからです。


変化を一気に進めた"壊し屋B"

しかし変化の流れは思ったよりも速かったようで、ゴルバチョフが権力者としての求心力を徐々に弱めていく中、クーデターを起こしたのがボリス・エリツィンでした。エリツィンの血液型はB型(※海外媒体による二次的情報)といわれています。

B型はその柔軟な思考で、新たな発想力や行動力ゆえに、既存のものを打ち破る力があると伝えてきましたが、もう少し乱暴な言い方をすれば、つまりそれは「壊し屋」でもあります。日本の政治家、小沢一郎(B型)もまた、政界の中でそのように呼ばれていることは知られていることでしょう。

O型のゴルバチョフが、まあまあと周囲と内部をなだめながら改革の道筋を模索する中、そのまどろこしさをぶち壊したのがB型のエリツィンだったということになります。血液型的にいうなら、エリツィンは見事にその性分に見合った役割を果たしたことになります。日本の幕末、一種のクーデターともいわれる王政復古の大号令は、大久保利通(O型)と西郷隆盛(B型)が中心に起こしたものでした。時代の大変化が起きるとき、B型の活躍の場は増えるのかもしれません。

しかし、そのように一気に転換させた体制の崩壊後は、決してスムーズとはいえず、70年に及ぶ社会主義体制下で衰退しきっていた経済状況を改善し、新たにロシア連邦として民主的国家体制を整えるのは、容易いことではありませんでした。血液型的視点でいわせてもらうなら、こうした状況下での立て直しにB型指導者が指揮をとるのは、少し難しいかもしれません。組織づくりやシステムづくりは、B型の仕事ではないのです。


壊した後の後始末はA型の役目?

その後、混迷するロシアの状況を改善に向かわせたのはウラジーミル・プーチンでした。プーチンの血液型は分かっていませんが、ここまでの流れの中で血液型セオリーを当てはめるなら、A型の可能性が高いと予測しています。プーチンが最初に行ったのは、行政システムを整え、国の基盤を安定させることでした。それはA型が最も得意とする仕事でもあります。また財閥解体の際には徹底した取締りを行うなど、強い姿勢で解決を図りました。こうした、決定したことに妥協を許さない言動などを見ても、プーチンの手腕には、しばしばA型色が垣間見えるのです。

プーチンA型説は、今のところ私の予測ですが、もしもそうであるとすれば、ソ連崩壊からロシア復興に向かう激動の時代というのは、血液型セオリーどおりに国のリーダーが引き継がれていったことになるのです。

・民意の集結・まとめ役→O型ゴルバチョフ

・クーデター(壊し屋役)→B型エリツィン

・新たな組織づくり・立て直し役→A型?プーチン


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補足(その他の国々のトップリーダー)

いずれも過去の人物になりますが、血液型情報がある国のトップリーダーたちを参考までに記載しておきます。(情報元を確認できない場合"?"マークをつけています。)

(フランス)
第18代大統領 シャルル・ド・ゴール(O型)※フランス人読者による情報
第21代大統領 フランソワ・ミッテラン(B型)※フランス人読者による情報

(イギリス)
第71代首相 マーガレット・サッチャー(A型?)※ネット上の情報

(ドイツ)
独裁政権時・総督 アドルフ・ヒトラー(A型)※歴史的文献による情報

(中華人民共和国)
第1代国家主席 毛沢東(O型?)※ネット上の情報
第7代国家主席 習近平(B型?)※ネット上の情報

(北朝鮮)
第2代最高指導者 金正日(A型)※韓国人記者のインタビューで本人が回答

(韓国)
※韓国の大統領については判明している人が多いのですが、現在資料が手元にないので後日入手すれば加筆します。現在の文在寅大統領についてはB型という情報があります。

ネット上には他の人物の情報もあると思われますが、以上に留めておきます。

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(関連ページ)

2020-12-21

血液型視点でリーダーシップを考えてみる(1)


リーダーの資質とは


前回の記事で米国大統領選挙のゆくえを追いながらトランプ大統領について紹介したのですが、世界が今、大変動のただ中に突入していることは間違いありません。過去の歴史を見ても、時代が大きく変化する時には必ずや人々を牽引する人物が現れました。すると今のような時期には、どのようなリーダーシップが求められるのでしょうか。一度考察しておこうと思います。

よく取材などで、「何型がリーダーに向いているのですか?」と聞かれます。
けれどABO血液型は、あくまでも素材的な要素です。その性格はもとよりリーダー性を発揮するかどうかも、いかようにも料理されることを覚えておいてください。ですからどの血液型にも、リーダー性を発揮する人はいるということになります。

一旦整理するために、各タイプの基本気質を考慮しながら、それぞれのリーダー資質となり得る特徴をまとめてみます。

■各タイプの基本気質(主に社会的言動に関係ある部分をあげています。) 

Oタイプ  

生存意欲が旺盛でパワーに溢れる。目的を達成する意欲が強い。シンプルで明確な考え方を好む。|家族や仲間を大切にする。自己主張が強く、自己表現が上手。現実的な行動をする。重点主義。 

Aタイプ

規律正しいことを好む。|ルールを守る。|感情は控え目に表現する。|耐久力があり、コツコツ努力する。|常に完全であることを目指す。|行動と思考は慎重。|チームワークが得意。|信念や筋を通す。

 Bタイプ 

自分のリズムで自由に行動する。|行動や思考に柔軟性がある。|他人や物事に対して、差別(区別)する意識が少ない。|興味のあることのみに集中する。|アイディアに溢れる。|創造することを好む。|思考が楽観的。

ABタイプ 

合理的な行動と思考。|多面的、多角的な思考性。|執着心、野心が薄い。|分析力に優れる。|社会に奉仕する精神が強い。|調和性、デザインが得意。|正義感が強い。


次にこれまでの観察や調査などから、各タイプのリーダー的特徴を以下のようにまとめました。

■各タイプのリーダーシップに関連する特徴傾向

 

1.組織力

2.人事

3.決断力・判断基準

4.社会への適応性

O型

自分を頂点(ボス)に、ピラミッド式の命令系統を好む。派閥づくり。

家族的な団結力。好ましい部下、あるいは能力のある部下を重用する。

現実に即した判断。直感的な判断。利益と損失を計算することが得意。

勝負することを好む。野心がある。常に一番を目指す。

A型

緻密な組織編成が得意。ルールや秩序を重視する。

部下を細かく観察する。最適な場所に最適な人材を使う。

周囲の総意を得る。慎重に判断。決断したことを確実に実行する。

チームワークを重視する。防衛する力が強い。

B型

自由で機動性があることを好む。

上下関係や階級にこだわらない。部下とのフリートークを好む。

自分のアイディアに自信。理想よりも客観性、科学性、実用性を重視する。

チームワークより独創性を重視する。

AB

民主的。合議制を好む。

常に公平、公正、平等の姿勢。

多様に意見や情報を集めて合理的な分析をする。

社会奉仕の意欲が高い。

これらを眺めて、自分の周囲のリーダーたちと合致するイメージはあるでしょうか。参考のため日本における著名なトップリーダーも幾人かあげてみます。(ここでは各人の実績評価というよりトップに立った人の一例です。過去の人物が多いことをご了承ください。)


O型    吉田茂(首相)|池田隼人(首相)|中曽根康弘(首相)
※派閥政治が盛んだった頃の政界は、「派閥のボス」ということでO型が非常に目立ちました。

A型    佐藤栄作(首相)|小泉純一郎(首相)|松下幸之助(財界)|本田宗一郎(財界)
※経営者として尊敬されるトップリーダーが目立ちます。

B型    西郷隆盛(軍人、政界)|田中角栄(首相)|安倍晋三(首相)
西郷さんは半ば神格化されていますが、どの顔ぶれも気さくな雰囲気をかもし出しています。政治家としての評価とは別に皆人気者です。

AB型    橋本龍太郎(首相)|稲盛和夫(財界)|石原慎太郎(都知事)
※一見、共通点が見えてこないですね。掘り下げれば合理性などの共通性があると思われます。

日本ではプロ野球監督がリーダーのお手本にされることが多いですが、スポーツ界は性格気質が率直に表れて分かりやすいのです。過去の人気・名監督を紹介してみましょう。

O型    王貞治|落合博満|森晶|星野仙一
※"太っ腹"といった安心感のある人が多いです。そしてやはり勝負師ですね。

A型    川上哲司|原辰徳|仰木彬|広岡達朗
※”厳しい”イメージの人(川上、広岡)と兄貴タイプ(原、仰木)に分かれますね。

B型    野村克也|長嶋茂雄|山本浩二
※野村さんは誰もが認める知将ですね。長嶋さん山本さんは、とにかく人気がありました。

AB型    大沢啓二|鶴岡一人
※AB型名監督は少ないです。鶴岡さんは1940年代の人物ですが、プロ野球史上最多勝監督であり、野球界の元祖ドンのような存在なので列記しました。2人とも”スマートなAB”の一般的イメージではなく、豪快な親分肌イメージを前面に出したタイプです。

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要はやはり、実績と信頼


これまでも、一般的なリーダーシップ論については様々な方が分析しているでしょうから、深いところは著名なそれらを参考にしていただきたいところです。ただ血液型に関係なく、リーダー資質=「実績+信頼」というキーワードは、基本的条件になると思われます。

そして血液型視点で見たときには、その実績段階においては、各タイプが特徴的に持っている能力を充分効果的に発揮していること。それぞれのタイプの持ち味を、より色濃く出している人が多いという気がします。それは自然に醸し出されるものでもありますが、ある程度、長所短所も含めて自己表現を素直にできる人の方が、人々が信頼するというところがあるのではないでしょうか。

O型リーダーの特徴とは

人々を惹きつけるリーダーとして、人間味や温かさを最も感じさせるのがO型です。また、自分の感情や考えを率直に表現できるO型は、それがたとえ短所であれ、周囲の人に分かりやすく、好感を与えます。O型リーダーは、仲間として一旦認めれば、多少の失敗は大目に見て、よく面倒を見ます。O型リーダーの強さは、その集団の結集力を高めることにあるともいえます。またO型は、人の能力を引き出すことも上手です。逆にいえば、O型リーダーに対しては実質的な能力(役に立つということ)を示していくことが大切です。ただしO型は、「力」に対して敏感過ぎるところがあり、自己主張が強いように見えて、自分よりもっと強い「力」を感じた時には、その「力」に屈服したり、簡単になびいたりする面も持っており、それはリーダーになったO型でもあり得ることです。勝負師的な直感の鋭さはO型の大いなる強みです。それはスポーツなどの分野でより活かされることでしょう。

A型リーダーの特徴とは

A型の強みは、何といってもその緻密さといえます。そのリーダーの突出した能力というよりも、人事や組織力などの緻密な戦略が際立っていることが多くなります。また、己の信念や理念に対して一貫して筋を通す言動が、リーダーとしての頼もしさを感じさせます。通常A型は、組織での秩序を優先に考え、周囲に合わせて行動や判断を決めることが多くなりますが、それはつまり、より多くの人々の総意を得ることが重要であることを認識しているからでもあるのです。またA型は、物事を具体的に実現させる能力も、どの血液型より高いのです。石橋を叩いて渡らない慎重さがあるので、行動力がないと思われがちですが、「これでいける」と思い切れば、即座に実行していきます。A型が動いた時には、既に道筋が整っているともいえます。A型によく見られる難点は、筋を通すあまり頑固になり過ぎるところです。この部分を克服したA型リーダーは、非常に大きなことを成し遂げる力が備わります。

B型リーダーの特徴とは

B型リーダーは、まずその人物の持つ抜きんでた能力があります。能力といってもさまざまで、それは技術であったり、知識であったり、話術であったり…。いずれにしてもそのB型が、その分野において、尋常ではないほどの強い(オタク的な)関心を持っていることが重要かもしれません。それが周囲によって評価され始めると、スター級の人気的存在となっていきます。人気の秘密は、その抜きんでた能力に加え、人を差別しない気さくさ、飾り気のない振る舞いなど、B型の特徴的な人柄にあります。またB型は、その柔軟な思考と行動力をいかんなく発揮するのが強みですが、一方で、複雑な現代社会では隙が多くなり、簡単に陥れられる可能性もあります。周囲に緻密なA型や信頼できるO型を配置することは、B型リーダーが成功するための必須条件になるでしょう。

AB型リーダーの特徴とは

AB型はその性質からして、リーダーとしての力強さにはやや不足するところがあります。そもそも、リーダーになろうとする野心が薄いのです。ただ、その素直に生じる社会的正義感や、分析的知力によって、リーダーに押し上げられることがよくあります。またAB型のスマートでクールなイメージが、人々の人気を予想以上に集めることもしばしばあります。AB型リーダーが注意しなければならないことは、自分のより身近な組織力を堅固にすることです。AB型は公平すぎるあまり、側近に対しても容赦ない対応で離反を招くことがあるからです。いずれにしてもAB型が、優れたバランス感覚を持ち、民主的合議制や公平さを求める点では一番で、それはある意味、未来の社会において、理想的リーダー像になる可能性を秘めているともいえます。


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(関連ページ)

2020-10-18

世界の血液型分布を地政学的に眺めてみる


 血液型世界分布を色分けすると東と西が明らかになる


ABO血液型分布が世界の各地域で異なるということをいうと、「へ~え」と驚く人も多いので、いまだに知る人ぞ知ることなのかもしれません。

当センターでは度々情報を発信してきましたが、この情報の大元は「The Distribution of the Human  Blood Groups and Other Polymrphisms/ London, Oxford  University」によるもので、こちらのデータを基に必要な部分を算出し直して伝えてまいりました。

しかし●●は●%といわれたところで、あまりピンとくるものでもないので、今回は、もっと大局的に見えるように、世界地図に色付けしてみました。


色分けの説明が小さくて見えづらいので以下に補足します。

【O群】…O型の多い地域

【O型+A型群】…O型のやや多い地域…A型の多い地域…A型のやや多い地域

【O型+B型群】…B型の多い地域…B型のやや多い地域

【4タイプ群】…平均的な血液型分布の地域/…各タイプと民族が混在する地域

それほど単純にバサバサ分けられないのですが、グラデーションをつけながら8パターンに色分けしています。グリーン系はO型多し、ブルー系はA型多し、レッド系はB型多し、イエロー系は平均的分布となっています。平均的分布とは、「O型38%前後:A型35%前後:B型20%前後:AB型7%前後」といった分布で、世界の血液型分布のおよその平均値となります。エジプトとロシアの中心部の白人系ロシア人がそのようになっています。


こうして俯瞰的に見渡すと、あくまでも血液型的にいうならですが…世界は案外、くっきり分類されているもんだと分ります。

東のアジアはB型多しの国々、西のヨーロッパはA型多しの国々そして南方はO型が仕切っております。O・A族の東側とO・B族の西側、双方接する地域が中近東。AとBが交流することでAB型が生まれるので、中近東からロシアにかけてはAB型もようやく一定数出現しています。


色分けしてしまうと逆に見えにくくなる面もあるのですが、たとえばO型は全世界にまんべんなく、ある一定以上の割合で存在しています。以前、チンパンジーの遺伝子研究からA型が最初だったと発表されていたのですが、どうも解せない…。(後に、この研究グループ内部では、もしかしたらそう結論するのは早かったかもしれないとなった、とも聞いています。)とにかく、こうして眺めてみると、やはりO型が最初の土台を造ったのではないかと、素直に思えてしまうんですよね。

遺伝子研究についてはまだまだ塗り替えられる研究が多いので、起源については今のところ保留にしておくのが良さそうです。


地図をみていて、上手く分割(分配?)されているのに感心しながら、地政学的なこともつい考えてしまいます。

西洋も中世頃までは領主同士の争いに明け暮れていて、東に目を向けることもあまりなかったわけですが、東のモンゴル、チンギス・ハーンが、結果的にはその突破口を開いたことになるのでしょう。チンギス・ハーンの血液型は分かりませんが、モンゴルにB型が非常に多いことを考えると、B型的な風土があったと見ることができます。そしてB型というのは、いつも何かをブチ破る役目があるのです。

しかしそのおかげで、西の貴族たちは、東でお金儲けをする悪知恵を働かせることになります。A型とO型の組織力に対したとき、B型的まとまりのなさでは、どうにも太刀打ちできなかったかもしれません。

ただし、A・O族の支配階級たちは、O型族のアフリカやオーストラリア、アメリカ大陸などをまんまと自分たちのモノにしてしまいましたが、B型族のアジア地域の混沌さには理解不能なところがあったようで、人々を働かせて自分たちの利益を得られればいいやと考え、植民地政策を敷いたのでした。



世界の中で果たすべき日本の役割とは


このまま東の果てまで侵攻すれば、世界の全てを制覇できる――。そして日本にたどり着きました。ところが、「あれ?この国は他のアジアの国々とはちょっと違う」。見た目はへんちくりんな人種だ…しかし国として既に完成されているし、貧しいながらも人々は文化的な暮らしをしている。彼らは不思議に思ったことでしょう。それもそのはず、日本は水色の国なのです。

もちろん、A型族の方が優秀だということではないのです。そもそもB型社会は、A・O社会のようにやたら便利なものを追求したり、無用に飾り立てたりすることに興味が薄いし、部族単位ぐらいで自由に暮らしている方が好きなのです。替わりに彼らは、アイディアや、科学や数学など、まったく新しいことを発見する能力を秘めているのです。

しかし日本は、東の果ての小さな島で、アジア諸国では珍しいA・O社会が成立している国でした。その上、B型やAB型もバランスよく揃っているという、『血液型黄金比率』の国なのです。

日本は、他のアジア諸国のように西洋社会に支配されまいと必死になりました。そしてあれよあれよと、西洋のあらゆることを学び、立派に対抗できるまでになってしまったのです。これには西側陣営も驚きを隠せません。いやそれよりむしろ、理解に苦しむ分だけ恐れる気持ちが大きくなったに違いありません。

日本が、先の大東亜戦争に負けて大戦が終了したあと、日本は悪者のレッテルを貼られましたが、アジアの国々の多くは独立することができました。日本が身を挺して戦ったことで自分たちは独立できたのだと、今でも恩義に感じてくれているアジアの国は多いのです。本当に、当時の日本人はがんばってくれました。

いずれにしても、過ぎ去ったことはヨシとして、未来の世界を考えたとき、日本の役割が見えてきます。『血液型黄金比率』の日本は、B・O社会のアジア諸国にも、A・O社会の欧米諸国にも、いずれにもシンパシーを感じることができるのです。つまり両者の間を取り持つ役目を果たすのに、こんなに最適な国はないのです。そういう意味で、地図には水色に塗った日本の周りを黄色く囲ってあります。


ロシアに秘められたポテンシャル


もうひとつ、気になる国があります。

それはロシアです。ロシアは他と違うパターンで色づけしているのですが、さまざまな民族が広大な土地に点在していて、O型の多い民族がいたり、A型の多い民族がいたり、B型の多い民族がいたり、4タイプがバランスよく揃った民族がいたりと、実にバラエティーにとんでいて、色分けすることが難しかったのです。大ざっぱにいえば、アジア側にはB型族が多く、ヨーロッパ側にはA型族が多くなります。

しかしこれだけ多様な民族が暮らしているなかで、現在のプーチン大統領は、何とか上手くまとめているのだと思います。対外的には"独裁者プーチン"というような悪者イメージがあるようで、日本は特に領土問題を抱えていることで好意的になれない面があるかもしれません。ただ、ロシアについては、日本にほとんど何も伝わってこないのが現状で、理解し合う機会がないことは残念です。

血液型的に見たときに、日本とロシアは案外親和性があるように思うのです。

あるときプーチン大統領は「ロシア人は全体行動の方が好きなんだ」というような発言をしたことがあります。また、「ロシアは日本と似ているところがある」というのも聞いたことがあります。確かに血液型分布をみてもそれは納得するところ。特に中心部に至っては、「O型34%、A型37%、B型21%、AB型8%」と、日本とよく似た『血液型黄金比率』を示しているのです。

するとロシアもまた、東西の要になれる可能性を秘めているのかもしれません。将来、東を守る日本と西を守るロシア…なんて妄想で、SFファンタジックな夢を抱いてしまうワタシです。


世界の紛争は、何も血液型が起こしているわけではないでしょう。しかし、もしも互いの基質の違いが理解されたとしたら、もう少し交渉はスムーズになるかもしれません。A型族とB型族の融合は、多様性を受け入れる大きな要素となるのです。


そういうわけで、血液型人間学は人類愛のためにあると信じている私としては、願わくば…それぞれの国が、人々が、自立していながらお互いを認め合う、そんな地球社会を目指してゆきたいものであります。

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【関連ページ】

世界の血液型分布(表)



2020-09-30

血液型視点で日本の集団意識を考えてみる

 コロナ禍で改めて見えた日本人の集団性


今年(2020年)早々に起こった新型コロナウィルスによる世界的パンデミック。まさかウィルスひとつがこれだけ世界中を騒がせ、あらゆる活動を停止させてしまうとは、想像もしなかったことです。

およそ6カ月が過ぎて、ようやくこのウィルスについて理解し始め、各国がだいぶ落ち着きを見せてきたこの頃ですが、冷静に振り返ってみると、日本国の感染状況というのは、世界の中ではずいぶんマシだったようです。

その理由は諸説あり、未だに議論は決着していないようですが、とにかく欧米諸国は多いところでは100万人あたり5~600人の死亡者が出ているというのに、日本は100万人あたり10人程度という少なさなのです。(アジア地域は日本と同じように死亡者数が少ないようです。)

そうした疑問はさておき、とにかく日本に限って言えば、実は大量の感染者を受け入れるなどの医療体制や、防疫に対する対応が、あまりにも整っておらず、医療崩壊の危険は常にあったそうです。そのためむやみにPCR検査を増やすことも避けてきましたし、また、一定期間の非常事態宣言を行ったとはいえ、他国のような強制力はほとんどなく、一貫して国民への自粛要請のみでした。

日本政府の対応は、遅すぎる、甘すぎるなど、批判も多くありましたが、にもかかわらず、この結果に抑えられていることに、欧米諸国などからはむしろ賞賛されているのです。それは、さまざまな災害時の時に見られた、日本人の民度の高さだとも言われています。まあ、褒められるのは喜ばしいことですが、この間の日本の状態を改めて振り返ってみようと思います。

確かに、政府の「要請」だけで日本国民は、充分に外出を避けて自粛していたように思います。そして、どこへ行っても外でも中でも、特に街なかは100%に近い人がマスクを着用していました。これにはさすがに呆れるほど驚きますが、実際のところ、そうするより仕方ないムードが国中に漂っているのです。

たとえばワタシなどは、人の少ない地域に住んでいるのもありますが、「外を歩くときまでマスクは不要」という考えで、マスクを常にしているわけではありません。しかし店などに入ろうというときには、入り口に「マスク着用」と書かれていれば尚更だし、周囲を見渡して小さな子どもたちまで健気にマスクをしている姿なんかを見ると、仕方ないなと、やおらポケットからマスクを取り出し、内心「ホントに必要?」なんて思いながらも、やはり協調する気持ちの方を優先させてしまいます。

普段「オレの勝手だろ」なんて感じで生きてる人でも、「自分がうつらないためでなく、人にうつさないためだ」なんて言われてしまうと、結構日本人は納得してしまうんですね。そういう利他的なところは、やはり日本人の良さなんだろうなと思ったりします。

しかし一方で、自粛警察とか、マスク警察とか、過激な行為もありました。また、都会から離れた地方の地域においては、他県ナンバーの車を見つけると傷をつけたり、東京から家族が里帰りしているのが近所に知れると「帰れ!」と叫ばれたりして、万一、その地域で感染者にでもなったら、もうそこには住めないぐらいの雰囲気になるらしく、中には本当に引っ越してしまった家族もあったそうです。

これにはちょっと行き過ぎの感じがします。米国のようにデモや騒ぎが起こったり、中国武漢やイタリアのような医療崩壊の危機に陥ったりの騒動はほとんどありませんでしたし、メディアが不安を煽り続ける中でも、政府に対する不満がありながらも、全体的にはいたって静かに、みんなでマスクをつけて、手洗いをして…、淡々と、自粛が行われていたのでした。そういう中で、陰湿な面も、見え隠れしていたということです。

こうしたことの、プラス・マイナスを含めて、全て日本的な集団性というものかもしれません。それは良しにつけ悪しきにつけ、日本古くからの集団意識の特性といえるのだと思います。

日本は少し前まで、「村社会」とも言われていました。更に昔に遡れば、「村八分」というのが「制度」としてちゃんと存在した村々も結構あったのです。それは、変り者を仲間外れにして村中で"いじめる"という感情的で低俗なものではなく、村人たちが争いことをなくし、暮らしを安定させるに必要なルールとして、皆が合意の上で制度化させたものでした。

ですから、村のルールを破ったら、その者自身も、そこでは生きられなくなることを充分承知していたのです。それはかなり厳格なところがあって、どんな同情的な事情があろうとも、「これは村の決まりだから仕方ないんだ。気の毒だが出て行ってくれ」というふうに、追い出される他なかったとのことです。

それは、日本の自然環境下では必要だったからでしょう。そもそも日本には、「和」の思想があったからでもあるでしょう。そんないろんな要素が重なって、日本の集団的特性が、形成されたのだと思います。

日本の「血液型黄金比率」が凄いわけ

そういうなかで、ひとつの見方として持ち出したいのが、「血液型黄金比率」です。
日本の血液型分布は、【A型…38% O型…31% B型…22% AB型…9%】となっています。この数値を調査したのは80年ほど前の事ですし、小数点以下は変化している可能性があるので1~2%ぐらいの曖昧さがあるでしょう。とはいえ、A、O、B、ABの割合が、およそ【4:3:2:1】で構成されているのだと大ざっぱに言うことができます。そして実はこれ、世界でも他に無いのです。

能見俊賢(故)は、各血液型の特性や表現力などを「血液型パワー」として換算すると、最も多いA型を1とすれば、O型はその1.5倍、B型は2倍と見える。従って、実際の力の配分は、いずれも拮抗している、またAB型においても少ないとはいえ1割いることで充分AB型の特質を社会に表現できているのだとし、日本は非常にバランスのとれた血液型分布であると考えました。

また一方で、国家という大きな共同社会を構成する際、異なる特性を持つ各タイプが、整然と一定の割合ずつ存在し、しかもそれが社会性の強い順位(A、O、B…)に並んでいるというのも、これまたよくできたもので、日本の血液型分布は、まさに「黄金比率」といえるのです。

これは偶然か?それとも神の采配か?
しかし、この比率が、いったいいつから続いているのか、古代からのものなのか、歴史のどこかで大きな変動があったのか…。全く分かっておりません。そもそも、人類のABO血液型が、どのような経路と経緯で発生したのか、それさえ未だ謎に包まれたままなのです。

その議論はともかくとして、現在までの日本人という国民性が、世界の中でも特徴的な集団性を持っているというのは世界に知られていることで、そしてそれは、「血液型黄金比率」に関係しているかもしれないと考えているのです。

ABO血液型は、それぞれお互いが影響し合っているので単純には語れませんが、それでも数の多さがある程度、その集団性を特徴づけられるところがあります。

各タイプの集団性をまとめると
  • O型の集団性…敵に対する団結、力の結集。仲間意識。各自の自己主張が強くボス争い、派閥争いは起こりやすい。
  • A型の集団性…ルール、秩序を軸にした協調性、調和性。完全性、安定性を追求した組織づくり。堅固になる一方で型にはまりやすい。
  • B型の集団性…個の力が優先。よほど大きな目的がないと集団的な結束はおこりにくい。
  • AB型の集団性…集団性というよりバランス。集団における力のバランスを調整する存在として機能することが多い。

O型の集団は、明確な敵が存在するときに最も結束します。集団の意思やカラーが明確で主張も強くなります。現実的で実利を重用視する傾向もあります。また、A型の集団は、秩序正しくまとまりやすくなります。O型に比べると理想主義的な面が多くなります。

欧米諸国の多くは、これらO型とA型が8~9割を占めるので、OA社会と言ってよいでしょう。O型とA型は、数の多さからいっても、共に社会性や集団性を強く意識した行動になります。まとまり易さはありますが、思想や文化がある一方向に偏っていく傾向もあります。ヨーロッパ諸国の文明や文化が、わりと統一的で整然としているのは、その理由があると思います。

そして欧米諸国の中でも、O型がやや優勢のイギリスやアメリカは、O型色が強くにじみ出ており、ドイツや北欧などは、A型色が強くなっているのが見てとれます。

ではB型の多い集団はどうかというと、世界の中で、B型が数の上で最多を占める国というのはそう多くありません。世界のB型のほとんどは、ユーラシア大陸の遊牧民がルーツだとも考えられそうで、モンゴルやインド北部、中近東などの多民族国家に集まっています。それらの国ではB型率が3割前後と多くなり、次いでアジア諸国にB型は広がっています。

B型の集団性で考えるなら、彼らは本来、個の力を自由に発揮する方がよほど性に合っていて、国家や組織より遊牧生活を愛する人々なのです。集団性といっても部族単位ぐらいが最もまとまり易いというのが本当のところではないかと思います。

日本はどうでしょうか。
日本は数でいえばA型、O型の順で、この2タイプで7割になります。上の例でいうなら、ドイツや北欧型に近いのですが、日本の場合は、残りの3割にB型、AB型が存在します。AB型は、その性質から調整役で、集団では中立的存在になりそうですが、B型の2割は、多くはないけど少なくもない、意味のある存在になります。

たとえば、10人の会議が行われていて、意見が2つに割れてまとまらないとします。そこへどちらの意見に忖度するでもなく、全く異なる視点で新しいアイディアを提案する人が存在するとしたら、その行き詰った会議は新たな展開に進むことが可能になるでしょう。日本の2割のB型の存在というのは、そんな重要な役割を果たしているのだと思います。

そういう場面でのAB型の役割は、B型の斬新なアイディアをA型やO型が理解できるように翻訳するようなものです。そしてAB型は、それぞれの異なる意見のエッセンスを上手く調合し、よりバランスのとれた形に仕上げるのを得意とします。

これはある意味、4タイプの完璧な合議性であり、完璧な共同創生でもあるのです。各血液型は、その特性が集団において最も機能的に働くように配分されていて、それぞれが、それぞれの役割をあたかも知っているかのように、自然に循環し、完成された形に仕上がっていくのです。

この循環においては、誰も阻害されてはおらず、役割を果たせれば対立は起きにくくなります。いえ現実には、その過程においてはむしろ対立は起こるのですが、4つの血液型の循環性が、それを徐々に融合させてゆくのでしょう。


上の図は、血液型の相関図ですが、ある集団を見るとき、4つのタイプが適度に存在することではじめて循環します。各タイプの役割が上手く機能するためには、上図の矢印が示す相互作用も重要になるでしょう。(リード=おもり関係

こうして、日本の絶妙な血液型バランスは、日本の集団意識を形成する上で非常に大きな意味を持っているのです。これが、O型A型社会の欧米諸国とも、B型の多いアジア諸国とも異なる、日本特有の集団性を形成していると考えます。

これまで、日本は島国で、単一民族で、排他的だという識者たちが多かったように思います。しかし近年のさまざまな研究からは、日本は古代から、外からやってくる移民たちも、文化や宗教も、寛容なくらい受け入れてきたことが分ってきました。ところがそれらは、いつのまにか、日本流にアレンジされるなどして同化し、日本化されてしまったのだといいます。

もし日本に、陰の権力者がいるとするなら!?

ドイツのマルクス・ガブリエルという哲学者は、「日本はソフトな独裁国家のようだ」と分析しています。彼が何を言いたいかをまとめると、「日本という国は、秩序が完璧なほど保たれていて、何もかもが非常になめらかに機能している。その秩序を乱す者がいれば、それを正す役割やあるいは誰というでもなく、それを整える力が自然に働いている。それがソフトな独裁国家なのだ」とのことです。

また彼は、「日本文化は美意識が高くとても発達している。しかし悪い面もある。問題を起こしてはいけないなどの抑圧の力が、人々の精神性までも抑え込んでいる」というようなことも言っています。

確かに、見た目には、彼のいう通りなのです。しかし、ソフトであれ独裁国家というからには、何らかの権力者がそこにはいるはずです。ところが日本には、そんな存在はどこにもありません。そこが日本の摩訶不思議なところ。そのひとつの答えが、日本特有の「血液型黄金比率」による循環システムでは?ということなのです。

たとえば、欧米社会のようなOとAの社会では、集団は一方向へ向かいやすくなります。しかしそれが行きすぎると、あるところで流れをせき止める力が強く働きます。デモや革命はこうした働きによるものです。

あるいはB型の多い社会では、そもそも気ままに暮らしたい人々の、その奔放さを制御するために、全体主義を敷くことがあります。あるいは宗教による統一性を試みたり、あるいは民族同士の争いに始終することも多くなります。

ところが日本は、国民全体が、それこそ円(和)を描くような循環性を形成しているので、いろいろな事象は環の中に徐々に呑み込まれていきます。そして一旦、その循環に乗ると、そこから抜け出すのは案外難しいかもしれません。その環は、完成度が高く、神聖にさえ思えてしまうのです。

ドイツの哲学者がいうように、日本が一見、独裁国家に見えてしまうほど、どこかに陰の権力者がいるとしたら、その正体は、おそらくこの循環の環(日本流にいうなら調和です。)でしょう。あるいは、まるで全体主義国家のような強い集団性が見えるとしたら、それもまた、この循環の環が作用しているからです。

日本はよく、諸外国に比べて何事も決定されるのが非常に遅いと言われています。それは、この循環の環に上手く呑み込まれるまでに時間がかかるからではないでしょうか。さまざまな機関を調整するのに時間がかかり、ある程度の民意を得るのにも時間がかかるのです。ところが調整が終了すると、何もかもが迅速に動き出し、循環の環に完全に取り込まれてゆきます。

または、社会状況の変化によって、すぐに不必要になるものもあるし、いずれ古くなるものもあります。その場合、流れに乗って回転している環の中から、それを取り除くことも容易でなくなってしまうのです。近年、IT化の流れで世界の動きはどんどん速くなっていますが、日本がこの数十年の流れにすっかり乗り遅れているように感じるのは、そんな理由があるのかもしれません。

つまり、その"循環の環"というのは、結局のところ、日本人の"総意"ということではないでしょうか。国民は、政府や行政の批判をしたり、権力者が好き勝手にやっていると思いがちですが、日本の場合、他国に比べると、そうした権力の集中は思ったより強くないのです。それよりも循環の環(=総意)の方が、よほど強力なのです。権力者も含めて、全てがこの循環の環の中にいるからです。

このように、「血液型黄金比率」を考えながら日本の特殊な集団意識を見ていくと、以上のようなことが言えるのです。

それに、たとえ血液型のことを考えなくても、日本人の集団意識の特殊性は、多くの人が感じていることでしょう。そしてこれは、ある面では良く働き、ある面では悪く働いています。そのプラスとマイナスの両方を、我々日本人自身が、嫌というほど感じているかもしれません。

しかし私は、ひとつの希望を持っています。今まで私たちは、これらがあまりにも無意識に行われていたので、そうとは知らずに、成り行き任せに、循環の環(=総意)を形成していました。けれどこの事実を理解して、私たち日本人が、もっと意識的に循環の環を形成し、賢く利用したとしたらどうでしょう。間違いなく、プラスの作用を増大させることになるでしょう。それは、日本が次のステップへ飛躍する道ではないかと思います。


2020-09-20

神秘的な「Y染色体」が持つ意味と可能性

 Y染色体は何万年たっても薄まらない?


日本の皇室は、初代天皇とされる神武天皇御即位の皇紀2680年前から万世一系を維持してきました。ところが近年、皇位継承資格者が少なくなってきたことで女系天皇容認論がいわれるようになり、2004年には有識者会議が開かれ、皇位継承問題として今も論争が続いています。

この問題、ABO血液型とは関係ありませんが、万世一系とは生物学的にいうならY染色体のことでもあり、”DNA”を考える上では全く無縁なことでもない気がしたので、一旦整理しておこうと思ったのです。

今や、いろいろな方が語られているので、『Y染色体』の特殊性について知る人も多くなってきたと思います。これはヒトの23対46本の染色体のうち、男子を決定する遺伝子が座している染色体です。図にあるようにY染色体(対の短い方)は、対になるX染色体とはほとんど交わらないため、何世代たっても同じY染色体として受け継がれてゆくのです。一方のX染色体は、世代が代わる度に少しずつ交わりながら変化していくので元の染色体はどんどん薄まっていくのです。そのため、女性の時系列を調べるときにはミトコンドリアが使われます。

何でも最近のゲノム時系列の研究によると、現在のサラブレッドの95%が、1700年に生まれたダーレーアラビアンという一頭の種馬であることが判明したそうです。ただしサラブレッドの場合は、皇室の万世一系のように誇れることというより、遺伝子の多様性が低くなることへの懸念の方が取りざたされているようなのですが。

(上図は、Willで発信した竹内久美子さんの解説動画からお借りしました)



最終的には国民がどうありたいのかが問われる

話を皇位継承に戻すと、2680年もの間、このY染色体が受け継がれてきたと考えると、やはり万世一系によって日本の皇室が保たれ、それが国体を担う要となってきた意味は大きいのだと思います。

もちろん、神武天皇のDNAを調べることが出来ない今、100%正当性を証明することはもはや不可能です。研究者の中には、2度ほど皇位奪取された可能性があるという説を唱える人もいるようです。しかし知り得ようがないとはいえ、万一、百歩譲って、そういう史実があったとしても、それで万世一系を崩壊させて良いと考えるのはあまりに短絡的でしょう。

それに、そうはいってもまさかその時代、そこいらへんで畑仕事をしている農夫の子どもを連れてきたわけではなかろうし、その時の朝廷と全く縁もゆかりもない人物が天皇になったとは考えにくいわけです。

女系天皇を容認するということは、まさに、そういうことが起こってしまう恐れがあるということです。例えば、ワタシに息子がいたとして、仮に突然変異的に優秀な子だったとしてもいいですが、何らかのご縁で皇位継承者のどなたかと恋愛関係になり、結婚したとします。すると、ワタシの息子のY遺伝子が受け継がれてゆくようになるわけです。そして同時に、ワタシの父の系譜が以後、皇室となってしまうわけです。例えがあまりに酷くて申し訳ありませんが、極端にいえばそういうことで、それはいかがなものかと、誰もが思うことでしょう。

また、ゲノムだのY染色体だの、当時は知りようもなかったではないか。それなのに後からこじつけた論理で正当性を訴えるのはおかしいという方もいるようですが、そこはやはり、人間の歴史や知恵というものをあまり低く見てはいけないのであって、例えば薬草などの効用なんかも、その組成など科学的には知り得なかった時代でも、現代人以上に古代の人は解っていたという事実など、溢れるほど存在するのです。

実際に私たちは、近年代々の天皇陛下をご拝見していて、国民が尊敬するご人格と品格を、かくも期待する以上にお持ちになられていらっしゃることを充分承知しているのです。そこに真実が存在するのであって、そうだとすれば、あとは私たち国民が、天皇と国民という信頼関係の長い歴史をふまえて、何を基軸にしたいかということになるだろうと思います。

最終的には、国民がどうありたいのかであり、私たちひとりひとりの意思が問われることになのではないでしょうか。

遺伝子をあなどるなかれ

ここでまた遺伝子に話を戻すと、このY染色体について、ゲノムが解析された当初は、性別を決める遺伝子以外の意味は他に何もなくて、ガラクタ遺伝子の集まりのように考えられていました。ところがこれも最近、他にも重要な働きがあるかもしれないことが分ってきたというのです。

こうやって、何度も何度もガラクタ説をくつがえされると、結局私たちの身体には、必要のないものなどひとつもないのだと考える方が、ずっと真実に近いのではないかと確信してきます。それに、ある遺伝子はひとつの働きだけでなく、必要に応じて多様な働きをしている可能性もあるのです。

そして更に重要なことは、遺伝子は、あらゆることを記憶しているということです。単なる機械のパーツのように機能しているだけではないのです。何千年、何万年、それ以上にもっと古来の人類誕生のときから、移り変わる地球環境の中で、その土地で、その地域の文明と文化の中で、その民族で、その一族で、経験してきたあらゆることを、情報として蓄積しながら受け継がれているという考え方です。

遺伝子には、それぞれいろいろな役割があるわけで、たとえばABO遺伝子の場合は、外部とのコミュニケーションや免疫のしくみを担っている可能性があると考えられます。そしてY染色体に関する遺伝子を考えるなら、それはやはり、何かを継承するものを担っている可能性があります。Y染色体が薄まらないのには、人類の進化にとって何か重要な理由があると考えてみた方がいいとも思えます。

そうだと仮定するなら、皇室においてY遺伝子が永遠と受け継がれるということは、天皇とは何たるかを、歪みなく継承するために必須であるということになるでしょう。

今年春、大嘗祭が執り行われました。この神秘的な儀式は、ご即位される新天皇が、神武天皇以来代々の天皇らと、天照大御神らの神々と、お食事を共にし、その叡智を降ろしていただくというものです。そしてここに生きる天皇陛下も含めた我々は、肉体を持っています。それはつまり、天と地のさまざまな情報を入れ込む器のようなもの。器なら何でもいいということではないでしょう。天皇として脈々と受け継がれてきたY染色体には、神々の壮大な叡智を受け取るだけの秘められた何かがあるのだと信じる方が、ずっと自然ではないかと思います。

いずれも私の都合のよい解釈かもしれません。けれど、ABO血液型遺伝子について長年眺めてきた私としては、人間のいまだ解明されない可能性は、想像するよりはるかに大きいのではなかろうかと、常々感じているのです。

いつか…それが100年後か、千年後かは分かりませんが、日本や世界のしくみは少しずつ変わってゆくのでしょう。日本の国体も、永遠に続くものではないかもしれません。けれどそれは、一歩一歩確実に、その歩みを私たちの遺伝子に、しっかりと刻みながら進みたいと願うのです。その歩み方は、何万年後の人類の遺伝子に、受け継がれてゆくのですから。


2020-09-17

血液型相関図で菅陣営を解析してみる

 菅内閣誕生!


安倍さん総理辞任後の総裁選は、長く官房長官として女房役を務めてきた菅さんが、圧勝で総理大臣に決まりました。

菅総理はO型です。
これまでどんなインタビューにおいても、次期総理を狙う意思はないと否定してきた菅さんでしたが、おそらくそれは本心だったと想像します。しかし、この場においてはやるしかないと決意を固めたようですね。

「勝負するときはしなくちゃだめなんだ!」とおっしゃっていた菅総理。O型らしい勝負師です。"令和おじさん"で皆に知られた菅さんですが、一見、温和でアクの強さも感じられず、総理としての力量は?と思われてしまう向きもありましたが、官房長時代の官僚への厳しい態度など、なかなかの強者で、有言実行の人物だという声がきこえています。


血液型相関図で見る菅陣営

菅内閣は上記のように決定しました。
発足したばかりなので人間関係もそれぞれの動き方もよく見えていませんが、とりあえず閣僚たちと自民党役員の顔ぶれを「血液型相関図」にしてみます。

【自民党役員】 
幹事長 二階俊博(二階派)…B型
総務会長 佐藤勉(麻生派)…B型
政務調査会長 下村博文(細田派)…A型
選挙対策委員長 山口泰明(竹下派)…A型
国会対策委員長 森山裕(石原派)…O型


【図の解説】
  • O型にとってのA型はフォローしてくれる存在となります。A型がO型をフォローするポイントは、O型の不足の部分を補う形が多くなります。政調会長と選対委員長をA型に起用したのは意味があるかもしれません。
  • B型は、O型にとって扱いやすい存在となります。上手に舵取りできれば力を発揮してくれるはず。女房役と言われる官房長官にB型の加藤さんです。安倍さんが総理の時は菅さんが官房長官でした。菅さんは、ある時は安倍さんを励ましある時は実行力で政策を進め、安倍さんは安心して任せていたという関係性が見えました。しかし今度の関係性で官房長官を見ると、菅総理が加藤さんを上手く乗せて、自分の言う通りに動かすという感じになります。二階さんにおいても菅総理の対応次第というところがありそうです。
  • O型同士は、プラスに働くなら結束の強い仲間。マイナスに働くなら頭の押え合いや闘争です。現時点で目立っているのは河野さんと茂木さんです。河野さんは菅総理が力を入れている規制緩和と改革、茂木さんは外務大臣と、いずれも需要なポストです。個性の強い2人の大ボスになれるかどうかというところです。
  • 対照にいるAB型は、親密な関係になるとお互いの違いが明らかになりますが、仕事で協同する上では以外にも息が合うことが多いのです。ポイントはO型がそのAB型を気に入るか、評価できるかです。O型にとっては、何を考えているか分からない人というのは最も遠ざけたい存在となります。(恋愛関係ではそれが魅力になりますが。)

大臣と自民党役員の両方を合わせ、それが菅総理をとりまく幹部たちと考えるなら、【O型6名、A型7名、B型9名、AB型3名】ということになります。菅総理の記者会見を見ると、決めたことは必ず実行するという、ヤル気満々な様子を感じ取ることもできました。組閣には菅総理の意向がどこまで反映しているのかは分かりませんが、O型が動かしやすいB型が多く、元気一杯のO型もいます。ということは、物事が勢いよく進む可能性がありますね。少々強引さもありそうですが。

とにかく国民としては、日本国を良い方向に舵取りして欲しいということだけが、唯一の願いです。そうなるには我々自身も、無関心ではなく、より意識的にいるよう、心掛けたいところです。


続「B型天国モンゴル」~モンゴル帝国よりB型たちに捧ぐ

(写真はPikistからお借りしました)

 モンゴル草原で息づくB型遺伝子


少し前に「モンゴル力士とB型」について書いたのですが、ここではその続編としてモンゴルの歴史をおさらいしながら内容を付け加えます。

最近、中国共産党がモンゴル自治区(通称内モンゴル)においてモンゴル語を学校の教科書から排除する行動に出たと聞きました。次々と周辺地域の弾圧を強める中共、さすがにこれ以上は黙っていられないと、内モンゴルだけではなく、世界中に広がるモンゴル人たちがみな結束して立ち上がっているのだそうです。

そんなこともあって、モンゴルについて気に留めることが多くなったのですが、それで改めて思ったことは、モンゴル民族の人々の思考やスタイルというのは、何から何までホントに、B型的だということです。

日本はモンゴルとは環境がまるで異なります。モンゴルは広々とした草原で暮らす遊牧の民。日本は山と海に囲まれ農村と漁業で暮らす民。にもかかわらず、日本に住むB型の人々を観察していると、彼らのふるまいとは、モンゴルの民と、さほど変わらないところがあるです。

もちろん、モンゴルには他の血液型も存在しますが、B型率は30~35%にもなり、世界の中でB型のすこぶる多い地域となります。だとすれば、モンゴルの環境にB型遺伝子は適応しやすく、またその能力も発揮しやすかったと考えて、間違いなさそうです。

世界史はチンギス・ハーンから始まった!

「世界史はチンギス・ハーンから始まった」と言われるくらいですから、おそらく歴史好きの人は、必ずといっていいほどチンギス・ハーンについての本を読んだ学んだりしているのでしょう。私の師であった能見俊賢が歴史好きだったため、事務所の本棚には案の定、チンギス・ハーンについて書かれた本がズラリと並んでいました。

ところがワタシは歴史に無頓着なものだから、今になってやっと本をパラパラめくり、さっさと頭にいれちゃおうかと、YouTubeなんかを頼りにサラッと知りかじりしているところです。

そんな訳で詳しいことなど、とうてい語れませんが、それでもモンゴル民族に言及するには、チンギス・ハーンを知らないことには始まらないようなので、話はそこに遡りたいと思います。


モンゴル民族は、騎馬民族とも言われていました。内モンゴル側は分断されて近代化されてしまいましたが、モンゴル国では今でも馬を乗り物にしている人が多いといいます。なんでも、海外に行く時には空港まで馬に乗っていき、そのまま飛行機に乗るのだとか。モンゴルの民にとって、馬はなくてはならないものなのでしょう。

その昔、チンギス・ハーン率いるモンゴル軍団が、どこよりも強かったのも、彼らが馬を自在に操る人たちだったからだと言われているのです。

チンギス・ハーンがモンゴル草原に出現したのは1200年頃のこと。それまではところどころに小さな部族集団がいて、古代トルコのチュルクや北部にいたキタイ(契丹)などと関りを持ちながら遊牧生活をしていたのだそうです。

そこへ、北東の方からモンゴルという部族の長、チンギス・ハーンが現れます。彼は戦が得意なのはもちろんで、たくさんの戦利品を持ち帰っては、みんなに公平に分配したのだそうです。すると人々は大へん喜び、次の戦には更に多くの人が参加するようになり、次第に周辺の部族を結集していきました。

そして、部族長同士の娘や息子たちが互いに結婚するようになります。それまで国という形はなかったのですが、部族長たちが親戚関係でどんどん繋がっていくことで、あれよあれよという間に草原一帯を網羅し、「モンゴル帝国」という大きな集団となっていったのでした。

また、チンギス・ハーンが民の信頼を集めたのは、部族間の争いごとを上手く調整したとことにもあるそうです。ピラミッド型の組織ではなく部族の集合体と考えれば、そうしたことに長けていることが君主として重要だったのでしょう。

モンゴル軍隊は、とてもシンプルで効率のよいシステムで編成されていました。戦の際には、各部族に「お前のところは何人出せるか?」と人を集め、隊は10人隊、100人隊と、十進法で組織されたということです。何しろそれの方が、戦利品を分配するのに面倒な計算が要らなくて良かったのだとか。

ところで、チンギス・ハーンの血液型は何だったのでしょうか?

歴史好きだった能見俊賢は、部族長らの人心をこれだけガッチリ掴んでいたのを考えると、”人たらし”のO型だったのではないか?と言っていました。私も、B型の多い部族を上手くまとめられるのはO型しかいないのでは?と予測します。もしもタイムスリップして過去に戻れるなら、「織田信長、シーザー、チンギス・ハーンの血液型を調べてきたいね」とも言ってましたっけ。


モンゴル軍の強さの理由はB型的強み?


モンゴル史の専門家である宮脇淳子さんと岡田英弘氏によると、モンゴル軍の強さの理由を次のようにあげています。
  • 情報収集力
  • 綿密な作戦計画
  • 目がいい(視力)
広大な草原を転々と移動するモンゴルの民は、そもそも馬を駆け巡らせて周辺のさまざまな情報を得て来ることが得意でもあり、この上ない楽しみでもあったようです。今でもモンゴル人同士が出会うと真っ先に口にするのは「何かオモシロイ情報ある?」だそうです。

情報にやけに俊敏なのは日本のB型たちも同じです。多くの日本人の開口一番といえば「寒いね~」「いい天気だね~」と、天気の話題を無難にすることが多いですが、B型はそんなの内心どうでもいいのです。彼らには、「ねえねえ面白いこと聞いたよ」とか「最近変わったことあった?」と声をかけた方が、がぜん興味シンシンに食いついてくるはずです。

第二の理由の”綿密な作戦計画”というのも、実はB型性に見られる特徴的な傾向なのです。B型は、ごく日常の生活では行き当たりばったりのことが多いのに、大きな目的を持ったときには非常に綿密な大計画を立てるようです。ワタシ世代より上の方ならよく知っていますが、元総理大臣の田中角栄(B型)は日本列島改造論を打ち立てて、日本地図を広げては構想を練り、こと細かな計画を思案していたのでした。

こうしてモンゴル軍は、その情報収集力によって敵地の状況を把握し、最新の武器を入手して攻め込みます。彼らの戦法の特徴は、相手の陣営を周囲から囲って中心に追い詰めていく「巻狩」という狩りの手法を採用したものだそうです。

そうして西の端から東の端まで、ユーラシア大陸のほぼ全域を制覇していったのでした。そして彼らは、初めて貿易という国際商業取引を持ち込み、史上初の不換紙幣を発行したといいます。モンゴル人たちは、領土を拡大して支配するというより、商業取引に関心があったのかもしれません。

これによって、それまで近隣の領土争いに明け暮れていたヨーロッパに、世界を認識させることになり、大航海時代の幕開けに繋がったわけです。だから『世界史はチンギス・ハーンから始まった』というのだそうです。

その後、チンギス・ハーンの血統によって引き継がれていった帝国もやがて終わりをつげるわけですが、この世界史上最高の英雄となったチンギス・ハーンとモンゴル帝国大繁栄時代の伝説は、今も永遠とモンゴル人に語り継がれ、彼らの誇りとなっているのだそうです。

眠れるB型獅子たちが目覚めるとき

近代史のモンゴルを見ると、そんな大帝国の影はみじんも感じられず、150年余りの短い帝国時代はまるでおとぎ話のようです。モンゴル人たちは皇帝の死によって帝国の終わりを知ると、さっさと軍隊を引き揚げ、元の気ままな遊牧生活に戻っていったのでした。

本来が自由気ままな暮らしを好み、あえて好戦的でもなく、支配欲や権力欲などに執着する性質ではないのです。ではなぜ、そんなモンゴル人がそれほどに結束できたのかといえば、それはやはりチンギス・ハーンの存在が非常に大きかったのでしょう。

つまり、モンゴル人たちは、よほどの事がなければ結束しないということです。日本のB型たちに尋ねたら、おそらく共感し、この感覚を理解するのではないでしょうか。

すると現在の、中国共産党による内モンゴルへの弾圧は、彼らにとって結束するべきよほどの事が起こったということなのです。

第二次世界大戦後、モンゴルは旧ソ連と中国に勝手に分断され、北側はモンゴル国、南側はモンゴル自治区となりました。北側は旧ソの解体によって解放されましたが、南側は中共に騙され続け、生活様式まで変更させられてきたといいます。

南の内モンゴルは近代化され豊かになった、それに比べてモンゴル国の方は未だに原始的な遊牧生活をしているじゃないかと中共は言うのですが、モンゴル人にとって、土地を開墾して定住する農耕生活を強いられることは、決して幸せとはいえないのです。

一方で、北側のモンゴル国はというと、都市部は近代化されたものの、ゲルを張って遊牧生活を続ける人々も多くいます。彼らは馬に乗り、遊牧しながらスマホを持ち、天空にはドローンが飛びかうのだとか。自然の暮らしの中に居ながらテクノロジーを取り入れているのは、何ともユニークな光景です。(実にB型らしい光景)

とにかく彼らは、広い草原に牛や羊の群れがいるのを眺めていると、「オレは世界一幸せだ」と思えるのだそうで、それがモンゴル意識なのだそうです。

モンゴル国の人々からしてみれば、内モンゴルの人たちは人質に取られているようなもので、気の毒に思っていました。それでも元来のん気なモンゴル人たち。どちらの側の人たちも、それも時代の流れで仕方がないと許容してきたのが事実です。

しかし、さすがに言葉まで奪われるとなったら、黙ってるわけにはいきません。それを知った北側のモンゴル国の人々、そして世界中に散らばっているモンゴル人たちが、内モンゴルを助けるために結束し始めているのです。「中共の度を越した弾圧が、逆にモンゴル意識に火をつけたのだ。今、民族の目覚めが始まっ」と、モンゴル人たちは言っています。

そもそもB型は、土壇場にならないと動き出さない性質があります。追い詰められるほどに集中力が高まり力が出せるというB型のアスリートたちを、今までもたくさん見てきました。

世界は今、大変化の只中にあります。モンゴルの眠れる獅子たちが目を覚ますとき、それはB型のお尻に火をつけるようなものかもしれません。モンゴルが、かつてのモンゴル帝国のように結束する姿を、私たちは目撃することになるかもしれません。

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●署名運動を呼びかけるサイト
(※現在10万署名が達成されたので議会に提出されたとのことです。)