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2019-03-25

B型の可能性を見せてくれたイチローに感謝

「ありがとう」イチローさん!

3月21日、東京ドームで行われたアスレチック戦を最後に、イチロー選手が引退表明をしました。

イチローはB型です。そのB型特性を、これ以上ないというくらい活かし、体現しているアスリートであったので、コラムやエッセイなどでも、あるいは取材の打ち合わせでも、B型の代表選手として、度々ご紹介してきました。

イチローは、多くのB型たちが目指すことの可能な、「至上もっとも素晴らしいB型モデル」です。「いや、イチローは特別だよ」「誰もできないことをやったからヒーローなんじゃないか」という声が聞こえてきそうですが、ここでいうのは「血液型人間学」的な、自己開発、自己進化の視点に立ってのことだと前置きしておきます。

ご本人に許可も得ずに勝手に分析させていただくのは恐縮ですが、今回の引退表明を機に、記憶に留めておきたいB型アスリート、B型ヒーローとして、あらためて記録しておかなければならないと思いました。


イチローの才能は、B型が共鳴し、A型が押し上げた

イチローがプロ入りしたのは1992年。(Wikipediaより
小学生の頃から父親とキャッチボールを始め、少年野球時代にはじまり、中学、高校と、その才能を開花させ、「エースで4番」の活躍をし、スカウトたちの目にも留まるようになっていきます。ところが自動車事故で肩を痛め、その時点から投手としての道は諦めざるを得なくなり、打者としてのプロ入りを目指したのだということです。

イチローは名古屋出身でもあるせいで、中日ドラゴンズに入団することを希望していたそうです。しかし残念ながら指名が入らず、オリックス・ブルーウェーブ(現在のオリックス・バッファローズ)にドラフト4位で入団します。入団当初はコーチとの意見の相違もあり、思うような結果は出ませんでした。また当時の監督の上田利治氏(O型)も、イチローは「線が細すぎる」として、さほど大きな期待を持っていなかったようです。確かに、長く活躍する選手になるには、身長だけでなく、肩や尻がガッチリしているという身体的要素が大きなポイントになったのでしょう。

しかし、イチローの"光る才能"に、気が付く人物も現れました。
まずは、当時の2軍打撃コーチであった河村健一郎氏が、イチローの"振り子打法"の開発に二人三脚で取り組みました。河村コーチは同じB型です。B型同士なら、「おや」と関心さえ持てば、それまでのセオリーにあてはまらないことでも共鳴し、熱心になってくれたに違いありません。そしてその後、仰木彬氏が監督になります。仰木監督がイチローを高く評価し、よく使い、育てたという話は、既に人々に知られていますね。

注目したいのは仰木監督がA型だということです。A型とB型は、その対照性のせいで、お互いが認め合う工夫を意識してしないと、調子を合わせるのが難しいことが多くなります。そのため、上司部下の関係になったときなど、特にA型の方が上司になった場合には、A型的な一般常識、形式秩序の観点からはB型の言動がどうにも理解しづらいため、チグハグになりやすいのです。

ただしそうしたA型ですが、実はもうひとつの面があります。社会通念、秩序、ルール、セオリーなどを重視する一方で、その"カタチ"からの解放を内心願っているのもまた、A型なのです。つまりA型にとってみれば、その心の奥にある願望を、目の前で体現してくれているのがB型というわけです。ときに熟練したA型が、若きホープB型を、殊のほか高く評価し、殊のほか可愛がり、大きく育てていく例は、日本の過去にもよくあったことです。イチローと仰木監督は、まさにそんな関係にだったのではないでしょうか。


功績や見返りを意識しない「B型的純粋な意図」がイチローを飛躍させた

こうしてイチロー選手は、日本のプロ野球界において徐々に評価を高めていくことになります。たとえどんなに若くして才能や能力があったとしても、それが社会に評価されるよう適応させていくことができなければ、育つことも実になることもありません。多くのB型は、才能を持ちながら、ここでつまづくことがありそうです。

自分の力が相応に評価されない―。それをひがんで(あるいは諦めてか、シラケてか)、自分の楽しみのみに目を向けて過ごすB型たちは、数知れないはず…。

では、なぜイチローは、そのチャンスを手にすることが出来たのでしょうか。それは、ひとえに、イチローの、野球に対する純粋な想いだったのではないかと考えています。”野球に対する純粋な想い”と言ってしまうと、単なる"野球好き少年"とも受け取れますが、私はもう少し、彼の想いを、高みに上げて理解したいと思います。

イチローは、野球というプレーを通して、イチロー自身の全てをそこに投入し、表現し、体現しようとしたのでなかいか、と。

つまりイチローにとっての野球とは、ツールなのです。もし、野球以外の別のものに幼い頃触れていたら、その別のものが、「純粋な想いを体現するツール」になったかもしれません。イチローは、たまたま野球というツールを選択しました。自分自身を体現するツールが野球なら、そこに自分の意志や意図、自分のエッセンスを純粋に注ぎ込まなければなりません。周囲から、生意気だとか、変り者だとか、少々ケチをつけられたからといって、自分ではないものを作り上げたのでは、何の意味もなくなってしまうでしょう。イチローは、その核心のところを、絶対はずさずにいたに違いないのです。

B型のマイペースさ、自分の興味への純粋な意図は、それを可能にしてくれるはず。その、芯からぶれない純粋さは、必ずや共鳴、共振する人や出来事を、引き寄せていくだろうと思うのです。約束事の多い窮屈な社会において、そうしたことが少々苦手なイチローでしたが、彼の純粋さは、ひとつの壁を打ち破り、コーチや監督を味方にし、自分の土台作りに成功します。そして世界へ旅立つ切符を手にすることになるのでした。2000年の秋、マリナーズと契約を交わし、ここに日本人野手として、初のメジャーリーガーが誕生します。"日本人初めて物語"にB型がすこぶる多いことは、いろいろな場面で既に伝えてきましたね。

さて当時、私たち人間…特に日本人の性分からすると、どうしてもネガティブに傾きがちで、「大リーガーになれたことだけで充分で、活躍できるかとなるとどうかな」というムードが、大半を覆っていたのではないかと思います。私も、イチローがどんな選手でどんな人物かということについては、生前の師、能見俊賢から聞かされてやっと知った程度でしたが、野球好きでB型好き(?)の先生が、イチローのメジャー入りに大はしゃぎをしていたのを昨日のことのように思い出します。そして血液型人間学を通して人々を眺めてきた眼力で、世間の予測とは異なり、イチローが卓越したB型性を見せるであろう予感を、どこかで感じてもいたのでした。その後は、誰もがよく知るように、イチローは次々と記録を更新しながら、快進撃を続けていきました。

B型の「正直さ」が芯を歪ませない

B型の"不愛想"は、折に触れて伝えていますが、それがだいぶ彼らをソンな立場に追いやっていることは間違いありません。たかが、"愛想”ごとき、ではありますが。イチローも、そうした不愛想なB型たちの類にもれず、お世辞にもマスコミ受けが良かったとは言えませんでした。具体的にはこういうことで…。

スポーツ記者たちは、選手たちにいろいろな質問を投げかけるわけですが、そのほとんどは、ありきたりの、一般受けしやすそうな答えを期待しての質問なのです。そして選手としても、マスコミ対応はある意味ファンへのメッセージにもなるわけで、大概の選手は彼らの意図に合わせてあげて、中には非常に合わせるのが上手い人もいて、そうすると、「〇〇選手は礼儀正しくていいヤツ」なんてことになり、記事なんかもいい感じに書いてくれたりする、というカラクリなわけです。

ところがイチローは、いつだってカメラ向きの笑顔も、記者が期待する答えも、してはくれませんでした。彼は、本来のB型らしく、「正直な人」なのです。笑いたくないのに笑ったりしないし、本心ではないことを、口に出したりもできないのでしょう。そこには、無意味なことを期待する記者たちに対して、少々B型流のひねくれもあったかもしれませんし、B型的な照れ性もあったかもしれません。

ところが、その頃のイチローは、米国でその実力を確実に評価され始めていて、そこまで活躍するとは予測していなかった日本人記者たちは、やや困惑ぎみだったのです。そんな、イチローに対するメディアのジレンマが、見て取れるような時期でした。彼らは、イチロー選手を、どのように扱って良いか分からなかったのかもしれません。

そんなある日、私としてはとてもラッキーな場面に、個人的に遭遇しました。彼が大リーガーとなって活躍を始めた数年後のオフシーズンのことです。深夜の都内の小さなレストランで、偶然彼を見かけました。時間はすでに夜中の1時頃。客は私たちのグループ3人と、イチローのグループ4~5人、他に一組ぐらいしかいませんでした。
「お、イチローだよ」
私の前に座った友人が目ざとく気づき、私の背後の方の席にイチローが居ることを教えてくれました。振り返ってみたいのはやまやまでしたが、せっかくのオフ団らんの席を邪魔してはいけないのだと思い、私たちは素知らぬフリをして食事を楽しんでいたのでした。

ところがありがたいことに、しばらくするとイチローは、トイレに席を立ち、私たちの横を通り抜けました。
トイレに行ったということは、帰ってくるわけだから、ここをまた通るよね。失礼のないように、素顔を少しだけ拝ませていただこうかな…一言、「応援してますよ」と声をかけようかな…。私はイチローの後ろ姿を見ながら、ミーハーなことを思い…いや、でもやっぱり失礼だろうか…う~ん、知らん顔したフリして横目で見ようか…。

そんなわけの分からないことを考えているうちに、向こうからイチローが、さわやかに歩いてきました。それは、とても自然で、自分が今やスーパースターになりつつあるという、特殊なムードを醸し出すものなどを、微塵も感じさせない、気さくな雰囲気で。本当にフツウに、しかしその爽やかさは、もはやフツウとはいえないのかもしれませんが、とにかく私はイチローと目が合い…というか、むしろ彼の方から、通りすがる人同士が自然に目くばせして笑顔を見せるような、そんな感じでこちらを見て笑顔を向けたのでした。私は、イチローと目と目があったその瞬間、咄嗟にこんなメッセージを送りました。
「あなたは必ずやり遂げる。あなたを信じているよ」
もちろんこれは、言葉に発したわけではなく、心で思っただけですが。

このときは、テレビで観る、ちょっとニヒルというかクールというか、まあ端的に言えば"不愛想"な印象を与えるイチローの姿でもないし、野球をプレーするときの彼でもありませんでした。親しい友人や家族と和やかに団らんしている、素面の彼と会う(見る?)ことができたのは、私が今後のイチロー選手を見つめる中で、たいへんありがたいことで、このときの、さわやかなイチローの方が、真の彼を表現しているのだと確信しました。(テレビカメラというのは、何か真実を別のものに変換する作用があるのではないだろうか?)

ああ、こんな彼なら大丈夫、あなたは大丈夫。私は清々しい空気でも吸ったような、とても良い気分になりました。

話が横道にズレましたが…とにかく、イチローに見られるように、一見ブアイソひねくれに感じるB型ですが、本質はハートに正直な人たちだと言えるのです。だからこそ、イチローは世界に出ても、やり抜けるのではないかと期待をしたのです。そしてようやく、マスコミや日本人ファンたちも、イチローへの目線を彼と同じ高さに合わせることができるようになり、誰もが認める新たなヒーロー誕生となっていったのでした。

『無限記録』に挑戦するのがB型の興味を長続きさせるコツ

イチローが、日本プロ野球時代の8年、そして大リーガーとして19年、合計27年の長きにわたり活躍できた理由には、『記録の更新』という、これも実にB型的な要素が挙げられます。
B型が、何か一つのことに興味関心とその集中力を、現代の社会構造の中で持ち続けるためには、"記録に挑戦する"ということが何より有効なのです。

人間とは、そこに何か限界を作ったとき、終わりを見てしまいます。けれど、『記録』というものを用いることによって、"限界を作らないルール”を設定することが可能になったのだと思います。それは他の誰かや、何かと競争するのではなく、あくまでも無限の領域に挑戦するようなものとなります。カタチに収めうようという力が働く社会の中で、それとの不調和に苦心するのがB型ですが、目標を、社会や周囲ではなく、『記録』というものに設定したとき、まわりの雑音に惑わされることが少なくなり、自分のやるべきことに熱意を傾けることができるのではないでしょうか。

そもそも、"永遠"や"無限"という概念に心が向きやすいB型にとって、記録を更新していくのは楽しくもあったのではと思います。どうぞ調べてみて下さい。これまで、さまざまな分野で、数々の記録を打ち出した人々には、B型がとても多いのです。

B型特有の柔軟性は大きな武器

また、イチローの柔軟な身体作りは、B型の資質をフルに活かしたものでもあります。B型体質の柔軟性については、フィギュアスケート選手についての記事でも書きましたが、それは身体だけに限らず、心や脳の働き方にも通じるところがあります。B型の人々は、この、他の血液型にはない、B型ならなではの柔軟性を、自分の生活や仕事に、大いに活かすことが武器になるのです。これこそが、B型の、体質に根差した能力といえます。

イチローは、それがB型的な自分の特性であることを、知ってか知らずか、徹底的に研究し、練習にも取り入れたと思われます。ある時、オバマ元大統領に、「記録を更新して活躍する秘訣」について尋ねられた際、「柔軟な筋肉です」とイチローは答えたのだそうです。彼がしっかりと、そこに意識を向けていたことがわかります。もちろん彼は、"血液型"ではなく、"筋肉"について学んだのだと思いますが。

イチローがイチローらしく、イチローとしてステキなのは、血液型だけが理由でないのはあたりまえのことで、イチローに関する資料を探したり、本を読んだりすれば、イチローの姿が、もっと詳しくわかるでしょうし、おそらくこれからも、イチローを知りたがる人々のために、たくさん記述されていくことでしょう。

けれど血液型的に眺めれば、もうこれだけで充分なくらいに、その血液型的な功績と要素を見せてくれています。イチローは、B型の性質…たとえそれを本人が知らなくても、彼は自分の体質的特性を、見つけ出し、引き出し、鍛錬し、実現させた人です。そしてそれを可能にしたのは、自分らしさや自分の人生を、野球を通して実現させるのだと、覚悟を決め、それに純粋に向かったからに違いありません。

すべてのB型はイチローになれるはず

イチローの姿は、全ての人々が倣うことができます。それは、「自分と真摯に向き合い、己の特性をいかに引き出し訓練するか」ということであるし、加えて「出来る限りそれに対しての心と意図の、純度を高めること」でもあります。そして更に、世のB型たちに対しては、B型が"成功"(自分を実現させる)するための模範を、イチローが身をもって示してくれたのだと受け取ることができます。

私は取材や仕事で出会うB型たちによくこう言います。
「どのB型も、イチローのようになれるんですよ」
するとほとんどのB型は、驚きの表情を見せ、そして、「ほんとですか?」と、キラキラと瞳を輝やかせます。私は、世の多くのB型たちが、自分の力をどこか出し切れずに、モヤモヤとし、かといってやり方も分からず、仕方なく目の前にあるわずかな楽しみに埋没しているのだと感じています。イチローの話をしたときの彼らの目の輝きが、それを物語っているのです。

ここで、日本のプロ野球を少しでも知る人なら、忘れてはならないB型ヒーローについて触れておこうと思います。そう、あの、長嶋茂雄さんです。彼ももちろん、まるでB型を、そのまま絵にかいたような人物です。ところが長嶋茂雄の場合、誰もが模範にすることは出来そうにありません。「野球に対する"純粋さ"」という核心のエッセンスは、イチローと同じく、誰もが真似したいところですが、彼は、ただそれのみで突き進み、周囲を顧みるスキもなく、どんどんスターに押し上げられていってしまった人でした。

しかしそんな、時代の勢いに乗せられたにもかかわらず、長嶋茂雄は最初から最後までずっと"長嶋茂雄"を貫き通したのですから、それはまさしくB型でなければ不可能だったのですが、それを彼はは、無意識にやれてしまった人なのです。だから、誰にも真似できない、永遠のスーパースターなのでしょう。でもイチローは、長嶋さんとは少し違います。イチローの言動や取り組みは、そのどれもが、もっと意識的に行われているのです。つまり、だからどのB型も、意識的になりさえすれば、「イチローのようになれる」と、私は考えているのです。

とにかく、あなたのおかげで、B型性についてより多くを理解しました。その上、B型の大いなる可能性を見せてくれたことは、私にとっても多くのB型にとっても、実に深い意味のあることです。

ずいぶん前に何かの記事で読んだのですが、プロ野球選手として登録(申請?)するための手続きの中に、アンケートの記入があるそうで、そこには、「将来の夢は?」という質問があったのだとか。そこでイチロー選手は回答らんに何を書いたかというと、「森の管理人」だったのだそうです。将来のプロ野球選手へのアンケートなわけですから、普通に考えるなら「王さんのようなレジェンドになりたい」とか、「野球監督になりたい」とか、そんな回答が多くなりそうですよね。それなのに、突如として「森の管理人」って?(笑)

しかし私はこれを読んだとき、イチローが、ヒーローになることに憧れた野球少年ではなかったことを理解しました。彼は自分の挑戦すべき人生や自分の可能性に、野球という舞台を選択したのでしょう。それは夢というより、彼の成すべき役目、あるいは課題、あるいは使命であったのかもしれません。最後のファイナーレでも、記者会見でも、イチローは始終さわやかな笑顔だけで、涙は見せませんでした。それは"イチロー気質"であるのかもしれませんが、人が真に意識的に生き、真にやり抜くと、感慨にふけったりはしないものかもしれないなと、ふと思います。

そして、ほんとうの夢は、"森の管理人"なんですよね。あの日、地下室の小さなレストランで、私たちの横を森の中のそよ風のように通り抜けていったイチローを、今思い出します。
イチローさん、あらためて、ありがとう。


2019-01-06

From SERBIA to Blood Type with Love

ABO system of blood types and positions in soccer team 



ABO system of blood types and positions in soccer team (English Edition)

2018/10/31
Kindle本
著者/Slobodan Petrovski、 Chieko Ichikawa
Amazon kindleストアで購入→

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セルビアから血液型の本が出版されました。
著者のSlobodan Petrovski氏はスポーツトレーナーですが、この本はサッカーと血液型の関係について書いてあります。

昨年のある日、Slobodanさんからメールが届きました。
「サッカーと血液型について本を書いているので、ぜひアドバイスを下さい…」

セルビア、セルビア・・・えっと、はい、もちろん聞いたことはありますよ。
けれど最近まではコソボ紛争なんていう、少々物騒なニュースを耳にしたぐらいの記憶しかない私は、慌てて調べることに。

セルビアとは、かつてユーゴスラビアに属し現在はセルビア共和国。首都はベオグラード。
"ベオグラード"は、聞いたことがあります。その耳心地の良い、美しい響き…。
Wikipediaには、ベオグラードとは、ドナウ川沿いにあるヨーロッパ最古の都市のひとつであり、ヨーロッパ最大の前史文明発祥の地、と記述されています。

セルビアと聞いて、コソボ紛争しか思い浮かばなかったとは、何とも申し訳ない。失礼いたしました。しかしベオグラードと思い出せば、それはたしか若い頃、「一度は行ってみたい憧れの都市」のひとつでありました。


美しい都市ですね!(Wikimedia Commons)

それにしても、そんな遠い遠い国から、こんな嬉しいお知らせが届くとは思ってもいませんでした。これぞインターネット時代の賜物。誰もが地球の隅々までつながることが出来るんですね。
Slobodanさんは、血液型の話をお父上から聞いていたとのことですが、彼のお父様がどういう経緯で血液型に興味を持っていたのかは、まだ詳しくは伺っていません。
しかし、ABO血液型が発見されたのが1900年。日本の古川竹二氏が血液型と人間の関係に気づいたのが1920年頃。能見正比古が血液型に関心を持ち始めたのが1940年頃。
そもそも血液型の発見はオーストリアで起こったことですし、ヨーロッパ近辺の方が日本よりも早く情報が広がったに違いありません。すると、日本のように深い研究は為されなかったとしても、輸血だけに留まらず人間の重要な情報として関心を抱いた人は、あちこちにいたのかもしれません。

世界中のいろんなところで、気づいている人々の声が、この先も少しずつ大きくなっていくのだとしたら、何て素晴らしいことでしょう。
私はこうして、時々海の向こうから届く、「私も、あなた方の研究に賛同していますよ~!」というお知らせに、何度励まされてきたことか。(日本で励まされることが少ないのは、ちょっぴり悲しいことだけれどね…)

さて、この本。主にサッカーのポジションと血液型の関係について、データを示しながら書かれてあります。
世界のプロサッカーチームや国際試合をモデルにしていますが、やはり血液型のデータがしっかり揃っているのは日本選手たちだけ、というところがあり、日本チームについて多く触れている本にもなっています。
そんなことで、私が日本のデータや内容を少しだけお手伝いしたものだから、私の名前も著者として並べて下さったというわけです。しかしほとんどはSlobodan Petrovski氏の仕事です。

サッカーについては、私自身があまりに勉強不足でその内容まで言及することは出来ないのですが、ポジションとの関係は確かにあり、チーム編成において血液型を考慮することは重要だというのは、昨年のW杯などを観ながら確信しております。

そうそう、書くのを忘れていましたが、著者のSlobodanさんの血液型はB型です。
またしてもB型!
外国で血液型に対する行動を起こすのは、なぜかB型ばかりです。もちろん問い合わせやコンタクトは、どの血液型もそれぞれいらっしゃいます。ところが、本を書いて出すとか、翻訳したいとか、ゼミをやりたいとか、そういう実際の行動を起こすのは、今のところ、私に連絡して下さった方、全てがB型なのです。

2019年がスタートしましたが、今年も海の向こうから朗報が届く予感…。
血液型で世界人類がつながる夢を、これからもずっと見続けていきます。

せっかくなのでセルビアの血液型分布を紹介しようと思いましたが、私がデータ元にしているOxfordのBlood Group Distribution は調査が古いためユーゴスラビアとしてのデータしかありませんでした。

旧ユーゴスラビア(YUGOSLAVIA)の血液型分布
(*現在はスロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアにそれぞれ独立している。)
O型37%/A型42%/B型14%/AB型7%

ヨーロッパ西側に比較すれば、東側に位置する国々はB型がだいぶ多くなります。旧ユーゴスラビアはスラブ系民族が多いといわれ、古くには遊牧民も多く流入しているとのことです。遊牧の民となればB型族を象徴するようなところもありますね。



2018-07-03

【2018 FIFA World Cup】決勝トーナメントの先に見えるもの

無念!ベルギーチームの迫力に抑え込まれた決勝トーナメント

日本時間、7月3日午前3時にキックオフ!
試合は後半、日本チームが立て続けに2点を先制します。
しかし、ベルギーチームがこのまま黙っているわけがありませんでした。その後は3点を返され、敗戦となってしまいました。
選手たち、どんなに悔しいことでしょう。しかしこの大会で、日本チームが確実に進化していることを、日本の人々に見せてくれたのは確かです。
日本選手たち、西野監督、ありがとうございました。そして心からお疲れ様です。

【2018 FIFA World Cup in Russia】観戦記録リンク
第一節 A型西野監督率いる"SAMURAI BLUE"
第二節 第2戦、血液型目線で選手を観察してみた
第三節 第3戦、親日国ポーランドの血液型分布は?


【試合結果】🏆ベルギー(3) × ジャパン(2) JFA,JP公式サイト参照
GK 川島 永嗣(O)
DF 昌子 源(AB)
DF 長友 佑都(O)
DF 酒井 宏樹(A)
DF 吉田 麻也(O)
MF 柴崎 岳(B)
MF 原口 元気(O)  48分1点
MF 香川 真司(A)
MF 乾 貴士(A)   52分1点
MF 長谷部 誠(O) 
FW 大迫 勇也(O)

柴崎(B)➡山口蛍(A)/原口(O)➡本田圭佑(AB)

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W杯を観戦しながら見えてきたのは日本全体の課題だった

試合後の西野監督のインタビューは、なかなか言葉が見つからない様子でした。そして、「何かまだ足りないのかな…」と、ポツンと言いました。

試合は、前回のポーランドとのゆるやかな流れとは打って変わって、スピードと勢いのある展開になりました。しかし日本が先制したことで、ベルギーの本気度は増大し、その後は誰のミスだとかそういうものではなく、迫力負けという感じだったという印象です。

選手たちのインタビューなどを聞いていると、日本チームのひとつの課題は、"受け身にならずに攻撃する"というようなところにあったらしいのですが、これについては観戦している私たち日本人の多くも、常に、少なからず思っていることかもしれません。
これはサッカーに限らないのです。「コンビネーションやチームプレイには優れているが、受け身と守りになりやすく、攻撃力に弱い」というのが、日本チームの常なる特徴となっているのです。

実際、私は4試合を映像で観戦しましたが、日本チームは、自分たちのペースで試合を作っていくというより、相手チームのリズムやペースに合わせながら試合を展開させているというのを強く感じました。周囲の空気を読むこと、相手に合わせて自分の出方を臨機応変に選択することが、日本人は非常に得意な人々なのです。

これを血液型的に分析した場合、この能力は、一見、A型的な要素なのだろうか?とも思うのですが、確かにA型は得意ではありますが、A的要素を持つAB型はもちろん、そしてO型も、それと同じような機能を持ち合わせています。なかでB型だけは、本来その要素をあまり持っていないはずなのですが、そのB型さえも、日本社会で成長する中で、B型なりの空気の読み方を会得してしまうので、集団行動をするときには、やはり同調する人々の中に埋没してしまう傾向にあるのです。

つまり日本人とは、その根源にあるものは未だ分からないのですが、とにかく、どの血液型も一丸となって、同調したり協調したりするのが非常に得意な、というか、ポジティブな言い方をすれば、世界の中で稀にみるほどそれに優れた人々なのです。これは、誇りにすべき日本人の特徴であり、決して失ってはいけないものです。しかしこうした勝負の場面では、それが足枷となり、大きな矛盾を抱えることになります。

ですから、「日本らしい試合とは何ですか?」と問われたら、「チーム力だ!」と答えたいところでしょうが、チームワークを保持しながら、尚且つ自らのリズムで試合を進めていくという本当の意味でのチーム力とは、かなり高度な、ある意味矛盾する要素を同時に扱わなければならないという難しさがあるのです。私は今回、こんなにも頑張って前へ進んでいる代表選手たちを見させてもらいながら、日本人全体が抱える、ひとつの大きな課題を確認したような気がしています。

サッカーでは、自分のプレーをすることを「パフォーマンスを見せる」という言い方をするようです。
それは自分の役割を熟知し、鍛錬し、演出するということであり、自分の個性をどう表現するかということでもあります。日本のサッカー選手たちは、世界へ出ていく中で、どうやらそれが不得意なことだと思い知らされ、そのことを強く意識してきたのだと思います。選手たちはそこのところを、日々一生懸命努力しているに違いありません。

しかしそれというのは、後から取り繕って身に付けられる性質ではないことを理解する必要があるのではないでしょうか。彼らがサッカー選手として成功するため,試合に勝つために、どんなに自分色を演出しようと頑張っても、日本社会が、日本人の集合的な意識が、そういうものを受け入れなければ、それは決して磨かれないのだということを、私たちは認識しなければなりません。

そもそも"個性(キャラクター)"というものに対しての理解が、日本社会にあまり根付いていないことは、最初の大きな問題です。ここでそれについて深く追求しませんが、簡単にいうと、個性を発揮するには自分のことを熟知しなければできません。そして自分の能力、自分らしさ、そういうものを自分自身が理解するようになっていくと、"自信"というものがごく自然と生まれてきます。自信があるないをよく言いますが、本当の自信というのは、信念や脳で植え付けるものではなく、自分の真実が分かってくれば、おのずと持ち合わせていくものなのです。するとその人は、揺るぎない、ブレない、その人なりのマンパワーを自然に発揮できるようになります。

西野監督の「何かがまだ足りいない…何だろう?」という問いに、私がもし答えるのだとしたら、こうしたマンパワーが、今一つ足りないのではなかろうか、と思った次第です。そしてこれは、サッカー選手だけに課せられた課題ではないはず。日本社会として日本人全体が、今後取り組まなければならない、大きなテーマではないだろうかと、今大会で選手たちに、まざまざと見せられたのだと、私は受け取りました。

とはいえ、2点を先制してからのベルギーチームの反撃の迫力は見ごたえがありました。
ふと思ったのは、後半10分の選手交代で、O型やB型のパワーを投入していたら、どうだったのかな?と、血液型考察的には、時間を戻して試してみたい衝動にかられます。BとOが抜けてAとABに交代したわけですから、チーム全体としては守りの態勢になってしまった感があります。もちろん血液型を知らないとできないことかもしれませんが、「こうなったらイチかバチかだ!」ぐらいの勢いでOとBの攻撃態勢を作れたとしたら、ひょっとするとひょっとする奇跡が起きたかもしれません…よね。しかし、そんな無謀なことをA型監督はあまりやりませんよね。O型の監督だったらやったかもしれないな…。などと、独り言をつぶやいておりました。

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【2018 FIFA World Cup in Russia】観戦記録
第一節 A型西野監督率いる"SAMURAI BLUE"
第二節 第2戦、血液型目線で選手を観察してみた
第三節 第3戦、親日国ポーランドの血液型分布は?


2018-07-01

【2018 FIFA World Cup】第3戦、親日国ポーランドの血液型分布は?

試合よりお互いの国民気質が気になってしまった第3戦

第3戦は6月28日に行われました。
スタメン選手の顔ぶれは大幅に変更された模様です。
【スタートメンバー】
GK_川島 永嗣 (O)
DF_酒井 高徳 (A)
DF_長友 佑都 (O)
DF_槙野 智章(O)DF_吉田 麻也 (O)
DF_酒井 宏樹 (A)
MF_柴崎 岳 (B)
MF_宇佐美 貴史 (B)
MF_山口 蛍 (A) 
FW_岡崎 慎司 (O) 
FW_武藤 嘉紀 (A) 

岡崎➡大迫/宇佐美➡乾/武藤➡長谷部



【試合結果】🏆ポーランド(1) × ジャパン(0) JFA,JP公式サイト参照

日本チームはポーランドに負けたのですが、一方のコロンビアと対戦したセネガルと日本が2位で並び同得点になったため、唯一フェアプレイポイントで上回る日本が決勝進出になったという経緯です。

3戦目のこの試合は、勝つかあるいは引き分けならば決勝進出。しかし日本がポーランドに負けた場合は…
①セネガルが勝つ➡日本は2位で出場決定
②コロンビアが勝っ➡日本はセネガルと同得点➡フェアプレイポイントの差で出場決定
③セネガル×コロンビアが引分け➡日本はコロンビアと並ぶが得失点で下回るので3位敗退
ということだったようです。

両試合は同時に行われていました。試合開始の時点ではどういう展開になるかは分からなかったことではありますが、サッカーの場合、こうした数々のパターンを想定しながら試合を進めるのでしょうか?「とてもデリケートな試合になるだろう」と、西野監督が試合前のインタビューで言っていたのはこういうことだったのですね。
とにかく、試合はなんだかゆる~く、スローペースで進んでいたような気がします。なにせ、2戦目のセネガルチームとのスピード感溢れる試合を、たった数日前に見たばかりだったので、「選手を大きく入れ替えたせい?」「ポーランドが動きが鈍くて、それに日本も合わせてるの?」「日本はひたすら守りを決めこんでるの?」などと、素人的憶測でブツブツ思いながら、動きの少ない両チームを眺めていたのでした。
前半は、何度もポーランドにゴールを攻められながら、川島GKはよく頑張って守ったのですが、後半、10分そこそこを経過したところで、とうとう1点を許してしまうことになります。
そして、ここからの試合の運びが、それがサッカー文化なんだと、サッカー通の人は言うようですが、なかなか意味深なものになったのでした。日本はとにかく、点を取らせないという守りの姿勢を更に強めたわけですが、「まだ残り30分もあるんだから、とにかくがむしゃらに1点頑張って入れようよ!」というのは、どうやらド素人な考え…? その上、ポーランドチームの方も積極的に2点目をとりに行くという雰囲気があまりない…?この時点では③のパターンです。
そうこうするうちに、残り15分ほどとなり、すると一方の「コロンビア×セネガル」の戦況に動きがありました。コロンビアが1点を得点したので、②のパターンに入ったわけです。すると日本選手たちは、もうボールを送るだけで試合を進める気がありません。ポーランドチームもそれを了解済みの様子で、自分たちの勝ちは決まり、3敗退場という最悪は逃れたわけだし、あとは日本チーム決勝進出のためにむしろ暗黙の協力をしようというような、紳士的な振る舞い?だったということのようです。

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ポーランドの血液型分布!
まあとにかく、次のステージに行けたことをヨシとしましょう。
それよりも、この試合を観ながら、ポーランドのことが気になったので血液型分布を確認してみました。

O型=35% A型=38% B型=19% AB型=8%

欧州国にしてはB型とAB型がちゃんといますし、日本(31%,38%,22%,9%)の分布と比べても、O型が少々多い分B型が少ないという感じで、血液型バランスの、よい国だったのですね。
そういえば、ポーランドとはどんな国だったか?聞いたことはあっても具体的なことは何も知らなかったのだと思い、ポーランドについて検索をしてみました。

※ポーランドについての概要➡Wikipedia
※ポーランドの人々は日本に感謝しているほどの親日国なのだそうです。➡MAG2NEWS「なぜポーランドの人々は日本に感謝し続けるのか」
戦争当時の混乱や悲惨さがどれほどか、今世代の私たちには想像できませんが、それにしてもそんな以前のことを、義理堅く今も感謝し続けて下さっているなんて、今となっては我々日本人の方こそ、お礼を言いたいぐらいですよね。こうした日本人の武勇伝は世界中のいろいろな国で耳にするのですが、当の日本人はあまり知らないことが多いものです。今の日本人にも、当時の日本人の心意気が残っていることを切に願います。
今回のサッカーの試合での、ポーランドチームの紳士的協力?は、こうした親日感情の良さも加わっているのかもしれません。それに私の知る限りですが、日本と血液型分布が似ている国は、なぜか友好的なことが多いようです。友好的というより、何となく相手国のことがわかるから気が合う…というような感じかもしれません。
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西野監督のA型らしさ全開!

西野監督については、以前の記事で少し触れました。
試合やイインタビューで西野監督の姿を拝見しながら、「A型らしい人だなあ」というのはずっと思っていました。振る舞いも、とてもダンディです。今回のポーランド戦で見せたリスクをできるだけ避ける慎重さも、A型的な決断のような気がします。その上更に、A型らしさを物語る記事を発見しました。


ダンディー西野監督の素顔「選手たちとのきめ細かすぎるつきあい方」(文春オンライン)

西野監督の情報収集は非常に細かい。とりわけ選手の情報については、コーチやトレーナーからこと細かく聞いている。選手の中には試合に出たいがゆえに、ちょっとした怪我や病気を隠そうとするケースがある。試合に影響しなければいいが、多くの場合は問題が起こり、選手の交代時間が早まったり、怪我が重症化したり、チームに影響が出てしまう。そのために選手を観察し、情報を仕入れ、ちょっとした変化すら見逃さない。

興味のある方は、全文を読んで下さるのがいいのですが、西野監督は、選手たちの挙動や会話によく耳を傾け、情報を集め、選手たちの状況を常に事細かに把握しているのだそうです。
監督や上司に立ったときのA型というのは、まさにこうしたやり方をするのです。優秀なA型上司は、それとない、気さくで穏やかな上司という印象を与えながら、部下の細かい情報を驚くほど細かく収集し、部下を把握しようとします。だから『人事のA』と我々は呼んでいるのです。

さて、次のステージは、ベルギーとの戦い。ベルギーの血液型分布は(O型=46%, A型=43%, B型=8%, AB型=3%)と、イギリスに近い血液型分布でO型色がやや強いようです。
試合は7月2日(日本時間は3日午前3時)となります。



2018-06-26

【2018 FIFA World Cup】第2戦、血液型目線で選手を観察してみた

W杯!日本代表のサムライっぷりを応援しよう♪(第2節)


W杯、2戦目に対するのはセネガルでした。

(※セネガル=西アフリカ、サハラ砂漠西南端に位置する。共和制国家)

試合が日本時間で深夜0時からだったので、リアルタイムでTV観戦できる人は少なかったかもしれません。

実は、サッカー観戦をするのはずいぶん久しぶりで、前回観たのはいつだったのか、対戦相手はどこだったのか、思い出せないぐらいなのです。しかし久しぶりに腰を据えて観てみると、日本チームのプレーは格段に上達して洗練されているというのが、素人目にもよく分かります。久しぶりに観たからこそ、その歴然たる差を感じたのかもしれませんが、何というか、その進化ぶりを観れただけでも感無量という気分。

さて、スタートメンバーは第1戦目と同じ構成でした。

セネガル(2) × ジャパン(2) JFA,JP公式サイト参照
【スタートメンバー】
GK_川島 永嗣 (O)
DF_昌子 源 (AB)
DF_長友 佑都 (O)
DF_吉田 麻也 (O)
DF_酒井 宏樹 (A)
MF_柴崎 岳 (B)
MF_原口 元気 (O)
MF_香川 真司 (A) 
MF_乾 貴士 (A)  ※得点1(34分)
MF_長谷部 誠 (O)
FW_大迫 勇也 (O) 

【選手交代】
香川真司(A)➡本田圭佑(AB) ※得点1(78分)
原口元気(O)➡岡崎真司(O)
乾 貴士 (A)➡宇佐美貴史(B)

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試合経過
・試合開始後11分、ゴールぎわで川島がボールをガード、しかしそのボールを相手選手に跳ね返されて得点されてしまいます。川島選手、悔しそうです。
・日本チーム、長友が乾に渡して、乾が少し態勢を整えてシュートを決めます。前半34分で同点にしました。
・日本はこの勢いに乗って前半にあと1点入れられたら最高です。原口→柴崎→大迫とシュートの流れができましたが、大迫選手の足が間に合いませんでした。大迫選手、チャンスを逃して無念!
・同点のまま後半戦へ進みます。
・そして後半、71分でセネガルのムッサ・ヴァゲ選手に得点されました。セネガルチームがシュートの流れを形成しようとする中で日本チームも即座に防御を固めますが、こういうシチュエーションになった場合、彼らの手足の長さや足の速さを抑えきるのは少々難しそうです。残り時間20分というところで2対1に追い込まれました。
・ここで香川から本田に選手交代です。
・本田が入ってチームのちょっとガッカリなムードが変わるでしょうか…と、数分後、日本チームがゴールに迫り、揉み合いはじかれたボールを乾がゴール前のいいところへ送り込み、本田はそれに絶妙なタイミングを合わせてシュートを決めました。
・これで同点。残りおよそ10分、可能であるならあと1点追加して勝ちたいところでしたが、試合終了となりました。
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セネガルチームはやはりスピードが違います。風のようにササッと走ってきてボールを持っていかれる感じです。しかしセネガルチームは後半少々疲れが出ていた気配もありました。日本選手たちはしがみついてよく防御していたと思います。得点のチャンスを作りながら何度か逃しているので少し残念ですが、しかし全体的にはチームワークを常に乱さず攻撃モードで攻めていた印象でした。

長友選手がいつも的確な位置にいて良い態勢づくりをしているというのがシロウトの私にも分かります。彼のブレない落ち着きはチームのムードづくりに重要な役割を果たしているのではないでしょうか。経験値の高いO型の人というのは、その人がそこに居るだけで周囲に大きな安心感を与えます。

にわかサポーターなので上手く説明できませんが、B型の柴崎選手の動きは他の選手たちとちょっと違う、ある種の天才性を感じます。せめぎ合いで誰もが一瞬、ボールの行方が分からなくなっているような状況でも、柴崎選手は冷静にボールを把握して捉えているという場面が何度かありました。

本田選手はスタメンからは外れていますが、交代選手として1戦目も、今回の2戦目も、得点に貢しました。ボールのタイミングをつかむのが的確でとにかく巧いんですね。本田選手の場合スタミナが足りないところがあると聞いているので、スタメンでの起用よりこういう形の方がいいのかもしれません。AB型がある分野で高い技術を身に着けるとき、AB型的なセンスでそれがより高い精度で洗練され、そしてサラッと結果を出してしまったりするのですが、本田選手のシュートはまさにそんな感じです。

それにしても、スタミナが足りない…というのは、いかにもAB型らしいです。しかしこれは仕方のない面があります。たとえばO型の長友選手のようなタフさやスタミナを、AB型の本田選手に求めるのは無理があるのです。それぞれの機能と特性に合った鍛え方、使い方をするのが一番良いことで、今のところ西野監督の采配は成功しているようです。



次回、第3戦目に対するのはポーランドです。
(6月28日、日本時間23時キックオフ)


2018-06-25

【2018 FIFA World Cup】A型西野監督率いる"SAMURAI BLUE"

W杯!日本代表のサムライっぷりを応援しよう♪(第1節)


2018,FIFA(Federation Internationale de Football Association)サッカーワールドカップが開催中です。血液型を通してサムライ・ジャパンの活躍を追っていきたいと思います。

コロンビアとの初戦が行われたのは6月19日(火曜日)PM9時~。その日の夕方、私はいくつかの会合のために都内をウロウロしていたのですが、「この店、今日はめずらしく空いてるねえ」「今日はサッカー観るから早く帰っちゃったよ」などという会話が、行く先々で交わされておりました。

日頃サッカー好き人口が、日本にそんなに多いという実感はあまりないのですが、しかし21世紀以降の高視聴率歴代上位のそのほとんどが、FIFAワールドカップ観戦時だということなので、その日、東京の夜の街がガランとしても(渋谷以外!)、不思議ではないのかもしれませんね。今回のコロンビア戦も、瞬間最高視聴率は55.4%に達したのだそうです。
(過去W杯の視聴率)
・1998年W杯 クロアチア×日本(63.7%)
・2002年W杯 ロシア×日本(66.1%)
・2010年W杯 パラグアイ×日本(57.3%)

それにしても今大会、直前になって突然の監督解任劇なんかがあり、なにかと波乱含みで始まったわけで、選手たちも、決して完璧な状態で初戦に挑んだわけではなかったろうにと想像します。ところがそんな、誰もが「どうなることやら」と気がかりになったことで、勝利の女神が同情したのかしら?と思いたくなるくらい、試合開始後たった3分でコロンビア側のMFが退場、それが日本チームの得点につながり、しかもその後は10人対11人で試合を進めるという、日本側にしてみればなんともラッキーな展開となったのでした。
とにもかくにも、すったもんだの騒ぎの状況で初戦に勝ったことで、「え?勝ったの!?」と、サッカーにあまり興味のない人までも注目することとなり、今大会、なかなかの盛り上がりを見せてくれそうな気配。

以下は、日本代表の血液型リストです。

※選手のコメントはJFA,JPに紹介されている内容の一部を転載させていただきました。

チーム全体の血液型分布は、世界大会のような短期戦の場合、チームのムードを左右するので案外意味を持ちます。今大会は「O=10,A=7,B=3,AB=3」ですが、O型が少し多めにいることでチームの活力が強まりますから、なかなか良いバランスではないかと分析しています。

※対コロンビア戦は以下のメンバーで試合が展開しました。

コロンビア(1) × ジャパン(2)🏆 JFA,JP公式サイト参照
【スタートメンバー】
GK_川島 永嗣 (O)
DF_昌子 源 (AB)
DF_長友 佑都 (O)
DF_吉田 麻也 (O)
DF_酒井 宏樹 (A)
MF_柴崎 岳 (B)
MF_原口 元気 (O)
MF_香川 真司 (A) ※得点1(6分)
MF_乾 貴士 (A)
MF_長谷部 誠 (O)
FW_大迫 勇也 (O) ※得点1(73分)
【選手交代】
香川真司(A)➡本田圭佑(AB) ※アシスト(大迫の得点)
柴崎岳(B)➡山口蛍(A)
大迫勇也(O)➡岡崎真司(O)


2戦目のセネガル戦は次回の記事で更新します。
以下は今大会にまつわる追記のコラムです。
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日本サッカーのジレンマ
サッカーというゲームが日本に伝わったのはだいぶ昔のことでしょう。しかしサッカーというものが、日本の子どもたちの間に広く定着したのは1990年代で、まだ最近のことです。
学校の体育の授業や放課後なんかには、誰でも遊んだことのあるような馴染みやすいスポーツでもあったのですが、多くの学校は校庭のスペースを野球部やらテニス部やらが既に占めていて、サッカーまでの余裕はないのです。だから少年たちがサッカーに深く触れる機会が少なかったわけですが、そんなジレンマを打開するため、日本サッカー協会がプロリーグを設立したことで、一気に人気スポーツとなっていったという経緯があります。(日本サッカー協会/沿革)

とはいえ、日本のプロチームが、順風満帆にその道を突き進んできたというわけではないかもしれません。どんなことであれ、新しいことを始めるとなると、必要以上に世間の目は厳しいし、冷ややかだし、批判的なものなのです。馬鹿だ、チョンだ、弱っちいだとか、いろいろ言われながら頑張ってきたのではないかと思います。そういう紆余曲折を繰り返しながら、少しずつ層が厚くなり、技術レベルも上達し、FIFAの決定する世界ランクも、何と一度は9位に昇ったことさえあるのだとか。(日本代表FIFAランキング)

ところが最近、海外チームで活躍できるような選手も育っている一方で、サムライ日本としての成績は今一つのようです。まあ、このFIFAランキングというのは、ポイントのつけ方も複雑らしく、あくまで目安と考えればいいそうなのですが、それでも現在61位という位置づけは、選手もファンも、決して納得のいくレベルではないはずです。

そしてまた、サッカー後進国だった日本が世界レベルに進化するには、やはり欧州の指導者を呼ばねばダメだということで、これまでもサムライチームを率いてきた監督は、ほとんどが日本人ではなかったわけです。たしかに、試合の展開やサッカーセンスに関して言えばその通りなのですが、やはりそこには言葉の壁があり、しかも日本人特有の性質を理解する難しさなど、監督も選手も、そして協会も、双方にあったのではなかろうかと思います。

それでも過去歴代の、トルシエ氏も、ジーコ氏も、ザッケローニ氏も、そして今回の騒動のハリルホジッチ氏も、どの指導者たちも、日本と日本チームをとても愛してくれていたのだと、サッカーに精通していない私でさえ感じます。そして彼ら指導者が口を揃えて言っていたのは、「日本の選手とチームは着実に上達して優秀になっている。それなのに実力に応じた結果が出ていない」というものでした。だから彼らは尚更、指導者としてのプライドにかけて日本チームを何とか勝たせたいと思い、一生懸命になってきたのではないかとも思えるのです。

こうして、海の向こうからやってきた監督たちは、純粋にそのように思っているわけですが、"日本サッカー協会"っていうのは、全くもってニッポン的な組織でありますし、いろいろと事情も複雑になり、道理も、仕事の進め方も、監督たちとはさぞすれ違うことだろうと予測できるわけです。

"日本的A型気質"を再確認した監督解任劇
そんな背景の中でおこったのが、今回のワールドカップ出場権を勝ち取ったハリルホジッチ監督の、あまりに意表を突くような解任劇でした。これはもう、ハリルホジッチ本人だけではなく、誰の目にも「?」マークがいっぱいで、未だに不可解なくらいですが、マスコミや人々の勝手なウワサや憶測が飛び交うのを尻目に、コトは淡々と進められていたようです。後任に西野朗氏が就任することがすぐに発表され、協会はまるで何事もなかったかのごとくに、この件をさっさとリセットしてしまったというのが、私の正直な印象です。

さて、後任の西野朗監督の血液型はA型です。
こうした不可解な騒動の後始末を、シラっと収めるには、A型は最適任といえます。
A型はこんな時、余計なことは一切言わず、ひたすら寡黙にコトを進めていきます。ときとして周囲はその沈黙を、逆に不審がったり、恐れたり、独裁的だと捉えたりすることもあるのですが、A型的な感覚では、あちこちのほころびを取り繕っているうちに他のほころびが出てきて収拾がつかなくなるくらいなら、どう誤解されようがどう批判されようが、黙って行動するのが最もスピーディーだと考えるのです。実際その通りでもあります。

ただ、今回ふと思ったのは、それは確かにA型的な性質ではありますが、日本人のA型に、特に見受けられる特徴かもしれない、ということです。
なぜそういう思いに至ったかというと、今回の解任騒動の当事者ハリルホジッチ氏の血液型は解っていないのですが、彼の指導ぶりなどを聞いた限りでは、彼も高い確率でA型のような気がしています。そしてハリルホジッチさんは、最後の記者会見で次のように正直な気持ちを伝えました。
--------------
「西野とのコミュニケーションは少なかったかもしれない。彼に意見を求めたが、あまり多くを語らない人だった。いつも『良かった』と言ってくれた。会長には解雇権があるので、解雇は問題ない。私がショックを受けたのは、前もって情報をくれなかったことだ。何の相談もなかった。西野にしても田嶋にしても、『ハリル、問題があるぞ』となぜ言ってくれなかったのか。一度も言われたことはなかった。私の得意分野である『最後の詰め』という仕事をさせてもらえなかった」(Wikipediaより
--------------
これを読んで、ハリルホジッチさんに、私は同情したい気持ちになります。
ハリルホジッチさんが、多少頑固者で融通のきかないところはあっても、誠実に責任感と忠誠心で仕事を完遂させたいA型だったとしたら、それはほんとうに悔しかったに違いないのです。しかも彼には、今回のような、いかにも日本的な体質のやり方は全く理解できません。だから純朴に、まるでキツネにつままれたかのようなショックを受けたのでしょう。

ABO血液型は人類共通なので、どの国どの人種においてもABO遺伝子としての性質は同じなのですが、そこから派生する二次的性質には、その土地の文化歴史による特有のものが少なからずあるのも事実。今回の一連の出来事を眺めながら、それを日本の特異的な性質といったらよいのか、日本的A型の性質といったらよいのか、あるいはそういうのを総じてサムライ的な性質というべきなのか、正直、何とも判断がつかないところではあるのです。
とにもかくにも、A型西野監督は、その全てを背負っての出陣なんだろうと思います。A型が使命感のもとに崖っぷちに立たされたとき、開き直って本来の度胸と負けん気が顔を出します。西野監督は、なかなかの強さを見せてくれるのかもしれません。


2018-02-22

平昌オリンピックを血液型であれこれ~スピードスケート

A型のホントの強さを見せてくれた小平選手に拍手

オリンピックなどの世界大会で日本人が表彰台に上るとき、いつも思うことがあります。
たぶん、同じ日本人は、みんな感じていると思うのです。
「小さいんだな」

1992年、オリンピックの申し子と呼ばれた橋本聖子(B型)さんが、スピードスケートで、冬季オリンピック日本人女子初の銅メダルを獲得しました。彼女は東京オリンピック開催の数日前に産まれたことで聖子と名付けられたそうですが、その期待どおりにメダルを手にしたのです。娘が表彰台に上る姿に、それは感極まったであろう名付け親のお父上ですが、その時ふと漏らした言葉も、「小さいんだな」だったそうなのです。

日本人が海外勢の、特にスポーツ大国である米国や欧州の選手たちと共にメダルを掲げるとき、まさまざと、その体の大きさの違いを見せつけられます。
「この人たちに勝てたんだ!」
そして改めて思うのです。ここに立った選手たちは、本当に凄い選手たちだと。

今大会の平昌オリンピックでも、同じようなシーンを幾度となく見ることが出来ました。いや、今回は、あの時からとてつもなくパワーアップして、スピードスケートだけでも500mの金、1500mの銅、1000mでは2人並んで銀と銅。その上、団体パシュートの金!
表彰台を日本勢が占領してしまいまいた。
「小さいのに凄いよ、まったく!」

今回はそのヒロインのひとり、小平奈緒選手に注目したいと思います。
小平選手は、試合前のどのインタビューを見ても、何にも動じない平静さが常にありました。リキんでもいないし、気負ってもいない。高揚もしていない。
「この選手はやり遂げるかも」
実は私、普段テレビを観ないし、話題のニュースを取得するのも苦手なので、今回のオリンピックについてもあまり知らなかったのです。しかし、たまたまつけたTVでインタビューを受けている小平選手を見た瞬間、思わず見入ってしまい、私の直感がそうつぶやきしました。そしてこの落ち着き、この平静さ、この、芯が一本通ったようなこの感じ…。A型に違いない…と。そして急いで調べてみると、やはりA型とありました。A型と知って、私は益々、興味深々になったのです。

彼女の最初の種目は1500m、6位入賞。そして1000mでは銀メダルを獲得。2つの競技を終えたインタビューでも、小平選手は始終落ち着いています。実に平静で、平常心なのです。むしろ、ややテンション高めにマイクを向ける記者たちを、彼女が落ち着かせているかのようです。どうやらこの2種のレースについては、本命の500mに向けたステップで良し、とも考えていたようでした。

そして、いい形で心身を整えながら迎えたいざ500m。何と、オリンピックレコードを更新しての見事な金メダルを、しかと手にしてしまいました。余裕の勝利です。
「やった!すごい、小平選手!」
私は、そう声に出したのと同時に、「そうよ、これが本来のA型よ!」と、心の中で強く思ったのです。
感無量ー。
私は今まで、これほどオリンピック選手を称え、感謝したいと思ったことはないかもしれません。

血液型については、多くの誤解があります。
誤解、というより、知識不足、理解不足といった方が正しいかもしれません。世の中に知られている情報が、決してウソとかインチキばかりというわけでもありませんが、そのほとんどは、表面的な、つまり上っ面をすくっているようなものが多いのです。仕方がないと言えば仕方のないことです。それは血液型に限らず、どんな事も、深く知るにはそれなりの時間も意欲も必要なのですから。けれど、その誤解の中で、私が一番気になっていたのはプレッシャーに関することです。

時として、プレッシャーということが安易に扱われることがあります。
たとえばB型はプレッシャーに強い、A型はプレッシャーに弱い…云々。困ったことに、A型自身が、そう思い込んでいることさえあるのです。

プレッシャーとはつまり、外部からの圧力により物理的、精神的に負荷が大きくなることなのですが、能見正比古は、これについて情緒的な側面から分析し、その揺れ動きを「情緒の波」として、各血液型の特徴を示してきました。(血液型とエモーション)
結論を言えば、「それぞれに情緒の揺れ動き方には特徴的な傾向があるが、決してどのタイプが強くてどのタイプが弱いというような、単純なものではない」というものです。ところがどう説明しても、なかなかその真意を理解するのは難しいようです。それに実際のところ、この波を上手く扱える人は、どのタイプにもそういないのです。なぜかというと、このプレッシャーというものが、体質的なことに深く根差しているからなのです。つまり、気力や気概というような、脳で処理するだけではコントロールが難しいものだからです。

外部からかかる負荷の大小は、私たち人間の自律神経を左右します。体を緊張させる交感神経と、リラックスさせる副交感神経のバランスがシーソーのように揺れ動くのです。それは考える脳で処理するというよりも、体が自然に反応する生体制御です。これが血液型と深い関係がありそうなのですが、自律神経の研究をしていた医学博士の安保徹さん(2016年死去)が、その一端を示してくれています。彼の研究によると、A型とAB型は交感神経に傾きやすく、O型とB型は副交感神経に傾きやすいというのです。

それはこれまで行ってきた我々の観察とも大いに一致します。たとえばスポーツをする上で、対照的な性質を持つA型とB型をみた場合も、自律神経による体質差は顕著に表れるのです。世界舞台で競い合うアスリートたちは、極限状態まで力を出し切ろうとするわけですが、その状態は要するに、交感神経側に一気に傾くときで、筋肉や骨格筋、血管などは収縮、緊張をして、硬くなります。そしてA型とB型が同じ極限状態に置かれたとすれば、A型の方がB型より、より強力に交感神経側に傾く傾向にあると考えられるのです。

もちろんB型も、その状況では交感神経が最大に優位になっているはずですが、本来が副交感神経優位タイプのB型の場合、その硬くなった緊張状態からリラックスモードへ戻していくのも容易いのです。ところが一方のA型の方は、交感神経側に傾き過ぎたバランスを戻すのに、時間がかかってしまうのです。
するとどういうことがおこるでしょうか。そんな大舞台では、当然気持ちも緊張しています。A型の体は更に硬くなる方向へ向かい、緊張とリラックスのバランスは完全に崩れて、結局思い通りのプレーが出来ないという結果になりやすくなってしまいます。

これはどんな分野のスポーツでもよく聞くことですが、A型の選手は、練習では非常によく仕上がっていても、本番になると上手くいかないという悩みを抱えていることが多いのです。そして、「自分はプレッシャーに弱いんだ」「気持ちが弱いのだろうか」と、精神的な弱さと捉えてしまうこともままあるのです。しかしA型性のしくみを理解せずに、単に精神論で解決しようとすると、むしろ逆効果になってしまう可能性があります。気持ちを強くして力めば力むほど、交感神経は強力に働き始めるからです。

それらの多くはA型的な体質によるものであり、単に”プレッシャーに弱い”というような、一言で片づける類のものではないということを知ってほしいのです。そして私は、そういうA型的な体質をよく理解したなら、そんな悪循環に陥らないで済むのはもちろんだし、その体質に上手く対処する方法があるのだと、どこかで証明したかったのです。
今その願いが、叶ったような気分です。小平選手が、それをやってのけてくれたのです。彼女の強さはどこにあり、どうやってここまでの進化を遂げたのでしょうか。

小平選手が13年間指導を受けてきたのは、結城コーチです。結城コーチは最初、「何でこの子はスケートがこんなに下手なんだろう」と思ったといいます。もちろん小平選手は、その時すでに全日本ジュニアで優勝を果たしており、その才能は開花し始めていたのですが、結城コーチのその言葉を素直に受け止めたと言います。
「どうしたら速くなれるか知りたかったから、そう言われてむしろスッキリした」のだそうです。小平選手のこの、「どうして?」「知りたい!」という、純粋で素直な問いかけが、成功の扉を開けたように思います。
A型は、子どもの頃、質問少年質問少女が実に多いのです。
お母さんや先生に「なぜ?」「どうして?」を連発しては、辟易させたりもします。ところが大抵、大人たちは忙しいものだから、「後にして」とか「そんなこと分からない」とか、適当に答えてしまうことが多くなり、それが結局、A型の子の純粋な「なぜ」を封じ込めることになってしまうのです。だから小平選手が、そのA型的な純粋さを持ち続けていたことは、とても意味のあることなのです。

その後彼女は、結城コーチの指導を素直に実行し、着実に力をつけていきます。そしてバンクーバーオリンピック初出場では入賞を果たし、団体パシュートで銀メダルも手にします。
さて、その4年後のソチオリンピック。今度は個人種目でのメダルを狙っていました。練習はきっちりやってきた。自分のスタイルも完成してきたし、日々力もついてきている。彼女は自分の成長に実感があったはずです。ところが蓋をあけてみたら500mは5位入賞どまりで、1000mでは13位。
「なぜだろう?」
「どうしたら速くなるのだろう?」
納得がいかなかったのだと思います。それは彼女が、これ以上ないというくらいの練習をしてきたからこその疑問です。出来ること、やるべきことは全てやってきた。ならこれ以上速くなるにはどうしたらよいのか?そして答えを見つけるために、単身でオランダに渡ることになります。

オランダの2年間が、彼女をバージョンアップしたのは間違いないのでしょう。日本とはまるで違う性質を持つ国です。日本の人にとって…特に協調性があり過ぎるくらいのA型にとっては、オランダの人たちが、自分の意見をあまりにはっきり述べることに、最初は戸惑うだろうと思います。オランダの人々は、本当に小さい頃から、自分の考えと自分の責任で、何でも発言し、何でもするのです。彼女はたった2年間で、ほとんど完璧なオランダ語を身に着けたといいます。
「知りたい」「学ぶために来たのだ」という意識を生真面目に持っていた彼女は、オランダ流のその感覚も、しっかりと身に着けたに違いありません。周囲に流されることのない「自分は自分」という、個を保持する考え方は、同調しやすい日本的な、あるいはA型的でもある思考特性からの脱皮となり、一流のアスリートとして大きな精神的成長にもなったことでしょう。

とにかく「なぜ?」を追及する小平選手は、ひとつひとつ納得するまで、そして新たに学んだことが自分のものとして自分自身に同化するまで、根気よくコツコツと、取り込んでいったのだろうと思います。それは本当にA型らしい学び方なのです。

オランダから戻った小平選手をみて、結城コーチは、「違う考え方を身に着けてきた」と思ったそうです。
結城コーチとの二人三脚の訓練が再会しました。コーチ独特のアイディアで行われる練習プログラムは、微妙な筋肉を鍛えるものや、コーナーをいかに速く回るかというような、0.1秒でも早く滑るために組まれた地道な訓練です。小平選手は、それを決して飽きることなく、積み重ねていったのでした。そしてその成果は確実に結果に現れ始め、世界最速記録を次々と更新していったのです。結果が出れば、また練習に精を出すことができます。
A型の人は、我慢強い反面、実は飽きっぽいところもあり、頑張り続けるためには日々成長している実感を求めたがります。それだけ、人の何倍も精魂込めて取り組んでいるわけだから、A型にしてみれば、当然の得るべき報酬なのですが。

結城コーチと小平選手の息は、ピッタリと合っていて、非常に上手くいったのでしょう。むろんそれは、小平選手がコーチの指導を忠実に、素直に実行したからですが、2人の信頼関係は揺るぎのないものになったに違いありません。練習も順調。結果も出てきた。コーチとのコミュニケーションも問題ない。盤石な土台がどんどん敷かれていきます。

A型の人は、目標を掲げて何かを成し遂げるとき、1%の不安も残したくないと考えます。
「この部分はまだちょっと不安が残るけど、まあ行っちゃえ」というようなことは、したくないのです。
出来る限り準備は万全を期して、それに臨もうとします。それが日々の日常的なことなら、少々心配症過ぎるんじゃないかということにもなるのですが、オリンピックの大舞台で一発勝負の勝利を目指すとなれば、万全であればあるほどいいに決まっています。
そしてそれが、練習の積み重ねによって可能なんだということを、彼女は身をもって実感してきたのです。小平選手がこのオリンピックに臨んだとき、「やれることは全部やった」という、万全の気持ちだったというのは、インタビューの答えを聞いていてもよく分かります。

さあ、そしていざ本番。あとは、気持ちを平常心に保つだけです。
「平常心」というのは、A型にとっての最適な座右の銘となるかもしれません。以前、九重親方(元横綱千代の富士、2016年死去)の部屋に行ってお話を伺ったことがあるのですが、幕内優勝31回を果たしたA型横綱が常に掲げていた言葉は「平常心」だったといいます。当時の相撲界の力士たちは寝ても覚めても練習の鬼だったそうで、練習は、やればやっただけ身になっているものなんだ。しかしその力を本番で出さなければならない。それには平常心で臨むことが一番重要なんだと。

ここで話を、A型的体質の交感神経優位に戻します。交感神経に傾きやすいA型は、格闘技や筋肉を使う競技スポーツでは、強い筋肉を必要とするので、その点では、決して不利ではないのです。むしろその硬さは、身体能力の高さにも繋がっています。ところが、それが必要以上に硬くなってしまった時には、体中がガチガチになり、身動きがとれなくなってしまいます。本番の気持ちの緊張は、それを助長して悪循環に陥りやすいのです。だから気合を入れすぎるのは、A型にとっては致命傷になりかねないということです。

充分な練習を重ねた体は、既に最適な動きを記憶しているのだから自然に動いてくれるはず。後は、それ以上の負荷を体にかけないようにすることが大事になってくるのです。それには周囲の動向に動かされることなく、平常心で臨むこと。それが一番だということです。

小平選手が、そのA型的体質を充分過ぎるほどに鍛え抜き、スピードだけではなく、細かな動きに至るまでのテクニックを磨き上げ、万全を期したのはいうまでもなく、そしてその上で、「平常心」を手に入れたことが、勝利の全てだったのだと確信します。それがA型の、最もA型らしい勝利への道になるのです。

時々A型の人は、O型のように大胆になりたいとか、B型のように気楽になりたいと考え、そうなれたらもっと凄いことが出来るんじゃないかと思ったりします。けれど、A型の緻密さ、正確さ、完成度の高さ、積み重ねた訓練の賜物、そういう盤石さを備えて尚、おごるでも高ぶるでもなく、平らな気持ちでいられたのだとしたら、向かうところ敵なし。パーフェクトです。おそらくそれは、他の血液型には、どう努力してもなることが難しい、A型だけが味わえる境地です。

私は、ABO血液型というような遺伝子的な性質を、人間は乗り越えられると信じています。それは、自分と違う血液型のようになるということではなく、自分の性質を100%使いきるというところから始まります。小平選手も、そして他の選手たちも、自分の持てるツールを最大限に活用しようと努力してきました。体の大きさや体力の違いも、最終的にはあまり問題ではないのです。
活躍する日本選手たちを眺めながら、感嘆のため息とともに改めてそう思うのでした。


2018-02-20

平昌オリンピックを血液型であれこれ~フィギュアスケート

これだけB型が勢ぞろいするにはやっぱりワケがある?

それにしても、羽生結弦選手の再生大復活劇は快挙でした。こんなにも人々を喜ばせて、気持ち良くしてくれるとは…。きっとこういう人をスーパースターと呼ぶのでしょう。

そして並んでその存在感を示してくれたのは、宇野昌磨選手です。
フィギュアで日本人が2人並んで表彰台に立つのは史上初だそうですが、2人並んで血液型がB型だというのも、ちょっと珍しい現象かもしれません。

「フィギュアスケート界はB型が多いの?」
それはここ数年、ずっと私の頭の中をめぐっていた問いでした。
男子だけではありません。その活躍がまだ記憶に新しい浅田真央さんも、そして現在、期待の大きい宮原知子選手もやはりB型なのです。

ここで、過去現在のフィギュアスケート選手の血液型を整理してみます。
以下はこれまでに国際大会においてメダルを受賞した選手の表です。

●40名のうち血液型判明者は30名
O型=9名(30%)
A型=8名(26.7%)
B型=10名(33%)
AB型=3名(10%)

●オリンピック出場者
O型=5名(メダル1名)
A型=5名(メダル1名)
B型=8名(メダル4名)
AB型=2名(メダル0名)
不明者=1名

不明者が10名いますので正確な数値を打ち出すことはできませんが、日本人平均(O≒31%,A≒39%,B≒21%,AB≒9%)と比較すれば、A型が少なく、B型が多いというのは歴然としています。
そしてオリンピック出場者のみで見ると、21名のうち8名(約4割)がB型で、更にはメダル獲得者6名のうち4名がB型なのです。
現在、フィギュアスケーターがどのくらいいるのかは分かりませんが、現状を見る限り、少なくも上位に上がってくる選手たちは、明らかにB型が多いということが言えそうです。

なぜだろう?
まず血液型特性から言えるのは、心身ともにある持ち味の柔軟性があげられます。
体の柔らかさというのは、小さい頃から訓練すれば、ある程度はどの血液型もかなうと思うし、もちろん訓練しなければB型でも硬い人はたくさんいるわけですが、同じ訓練をした場合、B型の体質はだいぶ柔軟性を発揮させることが出来るようなのです。
分かり易く「柔軟性」という表現をしたのですが、もっとピッタリする表現をするなら「しなやかさ」です。

浅田真央さんや羽生選手の動きを観ていると、芯があるのかないのか、時にくねくねし過ぎるようにさえ見えます。実のところ、ダンスとしては”キメ”があった方がカッコ良く見えるので、その点では氷上のダンサーと呼ばれた高橋大輔さんや、女子なら安藤美姫さんなど、ステップやキメが効くA型の方に軍配が上がりそうです。

しかし、それでもこのB型の「しなやかさ」は、ただ者ではないのです。体がしなやかであることが、どれだけ彼らのジャンプや回転を助けていることか知れないからです。
近年のフィギュアスケート競技は、技術力が益々向上していますが、中でも競うのはジャンプの高さや回転数。氷の上で、反動をつけながらジャンプして回転、そして一本のプレートに全体重を乗せて着地するのです。高く飛ぶほど膝や足首に負荷がかかるのですから、B型の鍛えられた”しなやかさ”は、選手にとって強力な味方になっているに違いないのです。

強みは他にもあります。
B型は、難しいことに挑戦するのが好きな人たちです。
「そんな事は絶対無理だろう」と言われると、「ヨシ、ならやってやろうじゃないか」と、ムラムラと燃えてくるという、ある意味…、ここではまったく良い意味での、アマノジャク性を発揮するという性分があるのです。
今回、大怪我をした羽生選手は、図らずも実にB型らしい発言をしてくれました。
「逆境は嫌いじゃない」
そうなんです。彼は、壁が立ちはだかった時、それをどうやって乗り越えるかを工夫したり、挑戦したりするのを、楽しめる人なのです。
羽生選手がフリーを滑り終えた後、右足首をそっと両手で包み込む姿がありました。
「頑張ってくれてありがとう」
自分の足にそういったのだそうです。
今回の出場は不可能と危ぶまれた大怪我からの、奇跡のような復活。こうした怪我の回復の早さもB型体質にはあり得ることで、やはり心身ともに持ち合わせているしなやかさあってのことではないかと思えます。

それにもうひとりのヒーロー宇野選手も、たいへんB型らしい活躍でした。初のオリンピックで、転んでも「笑っちゃって」と、へこたれないあの度胸は見事なものです。その上、ユニークな発言も連発してくれて、周囲を沸かせてくれました。

記者:メダルを誰に見せたいですか?
宇野選手:誰にも見せたくないです。
記者:×△;*×・・?

B型スポーツ選手にはよくあるエピソードです。記者はたいてい、ある答えを期待しながら質問しているわけですが、B型の人は、それをことごとく外してくるのです。他の血液型だと、内心イヤだな、と思っても、記者の聞きたいことに合わせて答えてしまうのですが、そういうことに頓着しない(したくない?)B型は、記者の思い通りにはいきません。
私はB型のそういう正直さを見ると、「もっとやってやれ」と小気味がいいのですが…。そういう噛み合わなさで取材陣に疎まれ、悪く書かれたB型スポーツ選手も過去には結構いるのです。ところが宇野選手の場合は、きっと、彼の人柄でしょう。何だか無邪気な子どもが素直に発言しているかのようで、珍回答もむしろ好評だったようです。

少し、時間を戻してみようと思います。これまでにオリンピックメダルを手にしたB型フィギュアスケーターと言えば、もうひとり、記憶に新しい浅田真央さんがいます。彼女もまた、B型的なしなやかさを存分に発揮したアスリートであり、それだけでなく、日本中から愛された人でもあり、日本のフィギュアスケート界にひとつの時代を作った功労者でした。

それから女子フィギュア界では、忘れてならない重要なB型メダル獲得者がいます。私の世代なら記憶に残っている人も多いかもしれませんが、あの”伝説の人”伊藤みどりさんです。伊藤みどりさんは、女子選手として世界で初めて3回転アクセルを成功させたのです。
世界の”初めて物語”を作るのは、既成概念にとらわれないB型が何といっても得意ですが、彼女は、それまで女子には無理だと思われてきた難しい技をやり遂げただけでなく、回転するときのそのジャンプが、ものすごく高いことでも注目を集めていました。今でもあの高さまで飛ぶ選手はいないかもしれません。

伊藤みどりさんは145㎝という小さな身体で、スケートリンクをピョンピョン跳ね回るものだから、海外の報道陣からは「ウサギちゃんみたいで可愛い」と親しまれていました。
彼女の出現が、世界女子フィギュアの技術レベルを一段押し上げたと言っても、過言ではないのです。

伊藤みどりさんのオリンピックメダル獲得にもドラマがありました。
アルベールヒルオリンピックに出場した伊藤みどりさんは、調子が決して良いとはいえず、シングルでは4位、フリーの演技でも3回転アクセルを一度は失敗して大きく転倒してしまったのです。しかし彼女は諦めませんでした。後半のわずか残り1分で再度挑戦し、誰よりも高く舞い上がり、みごとに成功させました。それが日本女子フィギュア、史上初のメダルした。

転倒してもすぐに立ち直り、果敢に再挑戦する姿は、今大会の宇野選手も見せてくれましたが、B型のこの、失敗を引きずらない立ち直りの早さというのも、スポーツ競技では重要な資質となっています。

4タイプに見る女子フィギアスケート

フィギュアスケート界は、まるでB型の独壇場のようにも思えますが、ここまでフィギュアスケートが盛り上がるには、それなりの軌跡がありました。フィギュア―スケート界で日本選手たちが活躍するようになったのは、いつの頃だったのか…。
記録によれば、最初のスターは戦前まで遡るらしいのですが、私の記憶にあるのは渡部絵美さんという、1970年代にオリンピック出場を果たした選手でした。

フィギュアスケートとは、まさに、氷上のバレリーナ。当然のごとく、それはロシアやヨーロッパ諸国の手中にあり、日本人が世界の舞台に立てるなんて誰も想像していなかったのです。だから彼女の登場が、日本の人々を驚かせたのは言うまでもありません。
彼女の血液型はO型です。O型らしい、周りを明るくするような笑顔でクルクル踊る姿は、日本フィギュア界に、最初の明かりを灯したのでした。

そして渡部絵美さんの引退後を引き継ぐかのように現れたのが伊藤みどりさんでしたが、その後しばらく日本女子フィギュアスケート界は華やぎをなくしたように見えました。しかしそれは必要な潜伏期間。渡部絵美さんや伊藤みどりさんに憧れた少女たちが、徐々に育ち始めていたのです。2000年に入ると、次世代選手たちが次々と頭角を現し始めました。
現在の日本フィギュアスケート界の華やぎの、その口火を切ったのは荒川静香さん、O型でした。彼女は、2006年のトリノオリンピックで金メダルを獲得。オリンピックのフィギア史上においてアジア選手が金メダルを取るのは、彼女が初めてのことでした。

荒川静香さんの活躍した頃は、面白いことに4タイプの血液型選手が揃っていました。
O型の荒川静香さん筆頭に、村主章枝さんがAB型、そして少し後輩にはなりますが、安藤美姫さんA型、浅田真央さんB型です。しかも4人の演技は、血液型の特徴そのものがそれぞれ非常によく表れていたので、私にとっても素晴らしい観察の機会になったのです。

O型、荒川静香さんの演技は、大きくのびやかな演技で迫力がありました。
A型、安藤美姫さんの演技は、形をきめたキレがあり、優雅でもありました。
B型、浅田真央さんは、しなやかで流れるような美しさ、まさに氷の妖精という感じです。
そしてAB型、村主章枝さんの演技は、音楽によく調和した軽やかな滑りで、まるでダンスを楽しんでいるかのようでした。とまあ、こんな具合に…。

振り返れば、日本のフィギュアスケート界を進化させてきたのは、決してB型だけではなかったのでしょう。どの血液型も…、いえ、血液型によらず、多くのユニークな選手たちが、華やかな舞台裏でその身を削りながら、活躍してきたのでした。
しかしそうではあっても、今、B型たちが、自分の(B型的)能力を存分に出し切って、高度な技術にあくなき挑戦をしているのも事実なのです。

それでもB型が活躍する理由

フィギュアスケート界が、B型の活躍を歓迎している理由には、もうひとつプラスαがあるかもしれない、とも思っています。フィギュアスケートは、他のスポーツ競技と異なり、明確に順位を争うものではありません。選手たちは、60m×30mほどのスケートリンクの中で、およそ4~6分の間、滑り、回り、ジャンプし、音楽に乗ってダンスします。そして高い技を競い合うために、自分の最大の技量を出し切ろうとします。転倒するリスク、失敗するリスク、怪我をするリスクと常に隣り合わせにいます。そういうギリギリの、必死の自分になっている時は、選手たちの素の表情、素の姿を垣間見ることになり、その選手の一生懸命さの、生の姿を目のあたりにするのです。

そういう時、B型は、決して自分を着飾ろうとしません。
彼らはどんな場面でも、心を開放しておくことができるのです。
そして転んでもすぐ起き上がり、無心にまた挑戦しようとする。彼らの滑りや表情は、まるで無邪気な子どものようでもあり、観衆は、その姿を見るのがとても楽しくて気持ち良いのです。だから人々は、ワクワクして、彼らを応援したくなる。それはファンだけでなく、審査員だって同じではないかと思うのです。

伊藤みどり、浅田真央、羽生結弦、宇野昌磨…
彼らに共通する一番のことは、その無邪気なまでの取り組み方なのかもしれません。
人々は、彼らの飾らない無邪気さや無心さを愛し、挑戦する勇士に歓喜します。そしてB型は、人々の歓喜に歓喜し、その歓喜に共鳴し、素直に答えることができる人たちなのです。もちろんいろいろな重圧はあるでしょう。それでも、オリンピックという特別な世界舞台は、B型にとって、最高に愉快なショータイムとなり得るのです。
B型の、その才能と、人々の歓喜が共鳴したとき。
それはスーパースターが生まれる所以なり。
羽生選手は、まさにそんな場面を見せてくれたのでした。