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2022-06-13

血液型を活用する3つのポイント



能見正比古は、1971年に記念すべき「血液型でわかる相性」を出版した後、1973年に「血液型人間学」という2冊目の著書を出版しました。そしてこのタイトルの通り「血液型人間学」を新しい学問として世に提唱したのでした。その後は、「血液型活用学」「血液型愛情学」「血液型政治学」・・・など、各テーマに沿って主要な書籍を全部で12冊ほど世に送り出しました。

これらの書籍を熟読すれば、人生のさまざまな側面に応じた血液型活用法が、およそのところは理解できます。そしてもちろん、どう活用するかはその人の工夫次第なので、中には素晴らしい活用法を実践してきた方もいると思うのですが、多くは、その中身の濃さ程には、活用できていないという事実もあります。

あるいはこれは血液型人間学だけでなく、世にあるノウハウ本の全てに共通するかもしれないですが、頭で理解したのと同じようには、自分のリアルな生活に活かせないというのがあるようなのです。
そんなことで、ではどうしたら本当の意味で活用できるのだろうか?というのを私自身の経験も踏まえながら考えてみました。それには大きく3つのポイントがあります。

●ポイント1

人間を理解する姿勢

これは最も重要だけど最も難しいともいえます。そもそも血液型ありきではなく、人間ありきでの血液型なのですから、たとえ血液型の特徴だけ知り尽くしたところで、人間そのもに寄り添う気持ちがなければ使い道を誤る可能性もあります。

ただしここでの問題は、そもそも私たち人類が、どこまで自分たち人間のことを理解できているのか?というところもあります。
まあ、ですから、今の私たちに出来ることは、「理解しよう」「理解したい」という、人間に対する興味と関心を真摯に、純粋に向ける姿勢が大切なのだと思います。

●ポイント2

ディスカッションする

人間の行動や思考、あるいは心の動きについては、デリケートな面があり、なかなか自由な発言が出来ないという現状があります。
血液型についても、下手に口走ると誰かを傷つけるかも?うさんくさい(と信じている人も居るので)事に関心がある人だと思われるかも?というように、躊躇してしまうこともしばしばあります。

実は私はこれまで、「自分の中で静かに活用するのが賢い使い方です」と言ってきたのですが、むろん、それはひとつの側面では正しいのです。けれど、自分の中だけで納得してしまうと、間違った認識かどうかを確認することが出来なくなります。それが血液型特有の特徴なのか、その人固有の特徴なのか(また別の働きなのか)を見分ける微妙なラインも多く存在するからです。

するとやはり、意見を交換する場がどうしても必要になります。それは当然、血液型人間学を学びたいという同じ気持ちを持った人たちと交流するのが良いでしょう。そして血液型人間学の場合、他の人たちとディスカッションする中で、「あ、そうか!」と気づくことが実に多いのです。

●ポイント3

気長にじっくり学ぶ

ある程度、血液型で人間を観察し始めると、ちょっと分かったような気分になります。
「B型ってこうなのよ」「あ~、A型だと思ったわ、やっぱり」みたいな感じで。
おしていつの間にか、自分独自の枠組み(カテゴリー)を構築してしまうのです。人間の脳って、そういう風にできているんでしょうね。

ところが、8割がたはその枠に収まるかもしれませんが、収まらないこともままあります。
何年経っても、「あ、こういうA型さんもいるんだなあ…」というような場面に出くわすのです。

固定観念をつくらない為に、こうした人間に関する学びは永遠に終わらない、ということを悟る必要があります。それに「人間」という、流動的で変化に富んだ存在を対象にする場合、正解は無いようなものでもあります。気長に、柔軟に、学ぶ姿勢がとても大切なのです。



「血液型人間学」が、人類の連帯と、人間愛を育むための学びになりますよう、心から願います。

2019-03-25

B型の可能性を見せてくれたイチローに感謝

「ありがとう」イチローさん!

3月21日、東京ドームで行われたアスレチック戦を最後に、イチロー選手が引退表明をしました。

イチローはB型です。そのB型特性を、これ以上ないというくらい活かし、体現しているアスリートであったので、コラムやエッセイなどでも、あるいは取材の打ち合わせでも、B型の代表選手として、度々ご紹介してきました。

イチローは、多くのB型たちが目指すことの可能な、「至上もっとも素晴らしいB型モデル」です。「いや、イチローは特別だよ」「誰もできないことをやったからヒーローなんじゃないか」という声が聞こえてきそうですが、ここでいうのは「血液型人間学」的な、自己開発、自己進化の視点に立ってのことだと前置きしておきます。

ご本人に許可も得ずに勝手に分析させていただくのは恐縮ですが、今回の引退表明を機に、記憶に留めておきたいB型アスリート、B型ヒーローとして、あらためて記録しておかなければならないと思いました。


イチローの才能は、B型が共鳴し、A型が押し上げた

イチローがプロ入りしたのは1992年。(Wikipediaより
小学生の頃から父親とキャッチボールを始め、少年野球時代にはじまり、中学、高校と、その才能を開花させ、「エースで4番」の活躍をし、スカウトたちの目にも留まるようになっていきます。ところが自動車事故で肩を痛め、その時点から投手としての道は諦めざるを得なくなり、打者としてのプロ入りを目指したのだということです。

イチローは名古屋出身でもあるせいで、中日ドラゴンズに入団することを希望していたそうです。しかし残念ながら指名が入らず、オリックス・ブルーウェーブ(現在のオリックス・バッファローズ)にドラフト4位で入団します。入団当初はコーチとの意見の相違もあり、思うような結果は出ませんでした。また当時の監督の上田利治氏(O型)も、イチローは「線が細すぎる」として、さほど大きな期待を持っていなかったようです。確かに、長く活躍する選手になるには、身長だけでなく、肩や尻がガッチリしているという身体的要素が大きなポイントになったのでしょう。

しかし、イチローの"光る才能"に、気が付く人物も現れました。
まずは、当時の2軍打撃コーチであった河村健一郎氏が、イチローの"振り子打法"の開発に二人三脚で取り組みました。河村コーチは同じB型です。B型同士なら、「おや」と関心さえ持てば、それまでのセオリーにあてはまらないことでも共鳴し、熱心になってくれたに違いありません。そしてその後、仰木彬氏が監督になります。仰木監督がイチローを高く評価し、よく使い、育てたという話は、既に人々に知られていますね。

注目したいのは仰木監督がA型だということです。A型とB型は、その対照性のせいで、お互いが認め合う工夫を意識してしないと、調子を合わせるのが難しいことが多くなります。そのため、上司部下の関係になったときなど、特にA型の方が上司になった場合には、A型的な一般常識、形式秩序の観点からはB型の言動がどうにも理解しづらいため、チグハグになりやすいのです。

ただしそうしたA型ですが、実はもうひとつの面があります。社会通念、秩序、ルール、セオリーなどを重視する一方で、その"カタチ"からの解放を内心願っているのもまた、A型なのです。つまりA型にとってみれば、その心の奥にある願望を、目の前で体現してくれているのがB型というわけです。ときに熟練したA型が、若きホープB型を、殊のほか高く評価し、殊のほか可愛がり、大きく育てていく例は、日本の過去にもよくあったことです。イチローと仰木監督は、まさにそんな関係にだったのではないでしょうか。


功績や見返りを意識しない「B型的純粋な意図」がイチローを飛躍させた

こうしてイチロー選手は、日本のプロ野球界において徐々に評価を高めていくことになります。たとえどんなに若くして才能や能力があったとしても、それが社会に評価されるよう適応させていくことができなければ、育つことも実になることもありません。多くのB型は、才能を持ちながら、ここでつまづくことがありそうです。

自分の力が相応に評価されない―。それをひがんで(あるいは諦めてか、シラケてか)、自分の楽しみのみに目を向けて過ごすB型たちは、数知れないはず…。

では、なぜイチローは、そのチャンスを手にすることが出来たのでしょうか。それは、ひとえに、イチローの、野球に対する純粋な想いだったのではないかと考えています。”野球に対する純粋な想い”と言ってしまうと、単なる"野球好き少年"とも受け取れますが、私はもう少し、彼の想いを、高みに上げて理解したいと思います。

イチローは、野球というプレーを通して、イチロー自身の全てをそこに投入し、表現し、体現しようとしたのでなかいか、と。

つまりイチローにとっての野球とは、ツールなのです。もし、野球以外の別のものに幼い頃触れていたら、その別のものが、「純粋な想いを体現するツール」になったかもしれません。イチローは、たまたま野球というツールを選択しました。自分自身を体現するツールが野球なら、そこに自分の意志や意図、自分のエッセンスを純粋に注ぎ込まなければなりません。周囲から、生意気だとか、変り者だとか、少々ケチをつけられたからといって、自分ではないものを作り上げたのでは、何の意味もなくなってしまうでしょう。イチローは、その核心のところを、絶対はずさずにいたに違いないのです。

B型のマイペースさ、自分の興味への純粋な意図は、それを可能にしてくれるはず。その、芯からぶれない純粋さは、必ずや共鳴、共振する人や出来事を、引き寄せていくだろうと思うのです。約束事の多い窮屈な社会において、そうしたことが少々苦手なイチローでしたが、彼の純粋さは、ひとつの壁を打ち破り、コーチや監督を味方にし、自分の土台作りに成功します。そして世界へ旅立つ切符を手にすることになるのでした。2000年の秋、マリナーズと契約を交わし、ここに日本人野手として、初のメジャーリーガーが誕生します。"日本人初めて物語"にB型がすこぶる多いことは、いろいろな場面で既に伝えてきましたね。

さて当時、私たち人間…特に日本人の性分からすると、どうしてもネガティブに傾きがちで、「大リーガーになれたことだけで充分で、活躍できるかとなるとどうかな」というムードが、大半を覆っていたのではないかと思います。私も、イチローがどんな選手でどんな人物かということについては、生前の師、能見俊賢から聞かされてやっと知った程度でしたが、野球好きでB型好き(?)の先生が、イチローのメジャー入りに大はしゃぎをしていたのを昨日のことのように思い出します。そして血液型人間学を通して人々を眺めてきた眼力で、世間の予測とは異なり、イチローが卓越したB型性を見せるであろう予感を、どこかで感じてもいたのでした。その後は、誰もがよく知るように、イチローは次々と記録を更新しながら、快進撃を続けていきました。

B型の「正直さ」が芯を歪ませない

B型の"不愛想"は、折に触れて伝えていますが、それがだいぶ彼らをソンな立場に追いやっていることは間違いありません。たかが、"愛想”ごとき、ではありますが。イチローも、そうした不愛想なB型たちの類にもれず、お世辞にもマスコミ受けが良かったとは言えませんでした。具体的にはこういうことで…。

スポーツ記者たちは、選手たちにいろいろな質問を投げかけるわけですが、そのほとんどは、ありきたりの、一般受けしやすそうな答えを期待しての質問なのです。そして選手としても、マスコミ対応はある意味ファンへのメッセージにもなるわけで、大概の選手は彼らの意図に合わせてあげて、中には非常に合わせるのが上手い人もいて、そうすると、「〇〇選手は礼儀正しくていいヤツ」なんてことになり、記事なんかもいい感じに書いてくれたりする、というカラクリなわけです。

ところがイチローは、いつだってカメラ向きの笑顔も、記者が期待する答えも、してはくれませんでした。彼は、本来のB型らしく、「正直な人」なのです。笑いたくないのに笑ったりしないし、本心ではないことを、口に出したりもできないのでしょう。そこには、無意味なことを期待する記者たちに対して、少々B型流のひねくれもあったかもしれませんし、B型的な照れ性もあったかもしれません。

ところが、その頃のイチローは、米国でその実力を確実に評価され始めていて、そこまで活躍するとは予測していなかった日本人記者たちは、やや困惑ぎみだったのです。そんな、イチローに対するメディアのジレンマが、見て取れるような時期でした。彼らは、イチロー選手を、どのように扱って良いか分からなかったのかもしれません。

そんなある日、私としてはとてもラッキーな場面に、個人的に遭遇しました。彼が大リーガーとなって活躍を始めた数年後のオフシーズンのことです。深夜の都内の小さなレストランで、偶然彼を見かけました。時間はすでに夜中の1時頃。客は私たちのグループ3人と、イチローのグループ4~5人、他に一組ぐらいしかいませんでした。
「お、イチローだよ」
私の前に座った友人が目ざとく気づき、私の背後の方の席にイチローが居ることを教えてくれました。振り返ってみたいのはやまやまでしたが、せっかくのオフ団らんの席を邪魔してはいけないのだと思い、私たちは素知らぬフリをして食事を楽しんでいたのでした。

ところがありがたいことに、しばらくするとイチローは、トイレに席を立ち、私たちの横を通り抜けました。
トイレに行ったということは、帰ってくるわけだから、ここをまた通るよね。失礼のないように、素顔を少しだけ拝ませていただこうかな…一言、「応援してますよ」と声をかけようかな…。私はイチローの後ろ姿を見ながら、ミーハーなことを思い…いや、でもやっぱり失礼だろうか…う~ん、知らん顔したフリして横目で見ようか…。

そんなわけの分からないことを考えているうちに、向こうからイチローが、さわやかに歩いてきました。それは、とても自然で、自分が今やスーパースターになりつつあるという、特殊なムードを醸し出すものなどを、微塵も感じさせない、気さくな雰囲気で。本当にフツウに、しかしその爽やかさは、もはやフツウとはいえないのかもしれませんが、とにかく私はイチローと目が合い…というか、むしろ彼の方から、通りすがる人同士が自然に目くばせして笑顔を見せるような、そんな感じでこちらを見て笑顔を向けたのでした。私は、イチローと目と目があったその瞬間、咄嗟にこんなメッセージを送りました。
「あなたは必ずやり遂げる。あなたを信じているよ」
もちろんこれは、言葉に発したわけではなく、心で思っただけですが。

このときは、テレビで観る、ちょっとニヒルというかクールというか、まあ端的に言えば"不愛想"な印象を与えるイチローの姿でもないし、野球をプレーするときの彼でもありませんでした。親しい友人や家族と和やかに団らんしている、素面の彼と会う(見る?)ことができたのは、私が今後のイチロー選手を見つめる中で、たいへんありがたいことで、このときの、さわやかなイチローの方が、真の彼を表現しているのだと確信しました。(テレビカメラというのは、何か真実を別のものに変換する作用があるのではないだろうか?)

ああ、こんな彼なら大丈夫、あなたは大丈夫。私は清々しい空気でも吸ったような、とても良い気分になりました。

話が横道にズレましたが…とにかく、イチローに見られるように、一見ブアイソひねくれに感じるB型ですが、本質はハートに正直な人たちだと言えるのです。だからこそ、イチローは世界に出ても、やり抜けるのではないかと期待をしたのです。そしてようやく、マスコミや日本人ファンたちも、イチローへの目線を彼と同じ高さに合わせることができるようになり、誰もが認める新たなヒーロー誕生となっていったのでした。

『無限記録』に挑戦するのがB型の興味を長続きさせるコツ

イチローが、日本プロ野球時代の8年、そして大リーガーとして19年、合計27年の長きにわたり活躍できた理由には、『記録の更新』という、これも実にB型的な要素が挙げられます。
B型が、何か一つのことに興味関心とその集中力を、現代の社会構造の中で持ち続けるためには、"記録に挑戦する"ということが何より有効なのです。

人間とは、そこに何か限界を作ったとき、終わりを見てしまいます。けれど、『記録』というものを用いることによって、"限界を作らないルール”を設定することが可能になったのだと思います。それは他の誰かや、何かと競争するのではなく、あくまでも無限の領域に挑戦するようなものとなります。カタチに収めうようという力が働く社会の中で、それとの不調和に苦心するのがB型ですが、目標を、社会や周囲ではなく、『記録』というものに設定したとき、まわりの雑音に惑わされることが少なくなり、自分のやるべきことに熱意を傾けることができるのではないでしょうか。

そもそも、"永遠"や"無限"という概念に心が向きやすいB型にとって、記録を更新していくのは楽しくもあったのではと思います。どうぞ調べてみて下さい。これまで、さまざまな分野で、数々の記録を打ち出した人々には、B型がとても多いのです。

B型特有の柔軟性は大きな武器

また、イチローの柔軟な身体作りは、B型の資質をフルに活かしたものでもあります。B型体質の柔軟性については、フィギュアスケート選手についての記事でも書きましたが、それは身体だけに限らず、心や脳の働き方にも通じるところがあります。B型の人々は、この、他の血液型にはない、B型ならなではの柔軟性を、自分の生活や仕事に、大いに活かすことが武器になるのです。これこそが、B型の、体質に根差した能力といえます。

イチローは、それがB型的な自分の特性であることを、知ってか知らずか、徹底的に研究し、練習にも取り入れたと思われます。ある時、オバマ元大統領に、「記録を更新して活躍する秘訣」について尋ねられた際、「柔軟な筋肉です」とイチローは答えたのだそうです。彼がしっかりと、そこに意識を向けていたことがわかります。もちろん彼は、"血液型"ではなく、"筋肉"について学んだのだと思いますが。

イチローがイチローらしく、イチローとしてステキなのは、血液型だけが理由でないのはあたりまえのことで、イチローに関する資料を探したり、本を読んだりすれば、イチローの姿が、もっと詳しくわかるでしょうし、おそらくこれからも、イチローを知りたがる人々のために、たくさん記述されていくことでしょう。

けれど血液型的に眺めれば、もうこれだけで充分なくらいに、その血液型的な功績と要素を見せてくれています。イチローは、B型の性質…たとえそれを本人が知らなくても、彼は自分の体質的特性を、見つけ出し、引き出し、鍛錬し、実現させた人です。そしてそれを可能にしたのは、自分らしさや自分の人生を、野球を通して実現させるのだと、覚悟を決め、それに純粋に向かったからに違いありません。

すべてのB型はイチローになれるはず

イチローの姿は、全ての人々が倣うことができます。それは、「自分と真摯に向き合い、己の特性をいかに引き出し訓練するか」ということであるし、加えて「出来る限りそれに対しての心と意図の、純度を高めること」でもあります。そして更に、世のB型たちに対しては、B型が"成功"(自分を実現させる)するための模範を、イチローが身をもって示してくれたのだと受け取ることができます。

私は取材や仕事で出会うB型たちによくこう言います。
「どのB型も、イチローのようになれるんですよ」
するとほとんどのB型は、驚きの表情を見せ、そして、「ほんとですか?」と、キラキラと瞳を輝やかせます。私は、世の多くのB型たちが、自分の力をどこか出し切れずに、モヤモヤとし、かといってやり方も分からず、仕方なく目の前にあるわずかな楽しみに埋没しているのだと感じています。イチローの話をしたときの彼らの目の輝きが、それを物語っているのです。

ここで、日本のプロ野球を少しでも知る人なら、忘れてはならないB型ヒーローについて触れておこうと思います。そう、あの、長嶋茂雄さんです。彼ももちろん、まるでB型を、そのまま絵にかいたような人物です。ところが長嶋茂雄の場合、誰もが模範にすることは出来そうにありません。「野球に対する"純粋さ"」という核心のエッセンスは、イチローと同じく、誰もが真似したいところですが、彼は、ただそれのみで突き進み、周囲を顧みるスキもなく、どんどんスターに押し上げられていってしまった人でした。

しかしそんな、時代の勢いに乗せられたにもかかわらず、長嶋茂雄は最初から最後までずっと"長嶋茂雄"を貫き通したのですから、それはまさしくB型でなければ不可能だったのですが、それを彼はは、無意識にやれてしまった人なのです。だから、誰にも真似できない、永遠のスーパースターなのでしょう。でもイチローは、長嶋さんとは少し違います。イチローの言動や取り組みは、そのどれもが、もっと意識的に行われているのです。つまり、だからどのB型も、意識的になりさえすれば、「イチローのようになれる」と、私は考えているのです。

とにかく、あなたのおかげで、B型性についてより多くを理解しました。その上、B型の大いなる可能性を見せてくれたことは、私にとっても多くのB型にとっても、実に深い意味のあることです。

ずいぶん前に何かの記事で読んだのですが、プロ野球選手として登録(申請?)するための手続きの中に、アンケートの記入があるそうで、そこには、「将来の夢は?」という質問があったのだとか。そこでイチロー選手は回答らんに何を書いたかというと、「森の管理人」だったのだそうです。将来のプロ野球選手へのアンケートなわけですから、普通に考えるなら「王さんのようなレジェンドになりたい」とか、「野球監督になりたい」とか、そんな回答が多くなりそうですよね。それなのに、突如として「森の管理人」って?(笑)

しかし私はこれを読んだとき、イチローが、ヒーローになることに憧れた野球少年ではなかったことを理解しました。彼は自分の挑戦すべき人生や自分の可能性に、野球という舞台を選択したのでしょう。それは夢というより、彼の成すべき役目、あるいは課題、あるいは使命であったのかもしれません。最後のファイナーレでも、記者会見でも、イチローは始終さわやかな笑顔だけで、涙は見せませんでした。それは"イチロー気質"であるのかもしれませんが、人が真に意識的に生き、真にやり抜くと、感慨にふけったりはしないものかもしれないなと、ふと思います。

そして、ほんとうの夢は、"森の管理人"なんですよね。あの日、地下室の小さなレストランで、私たちの横を森の中のそよ風のように通り抜けていったイチローを、今思い出します。
イチローさん、あらためて、ありがとう。


2008-08-05

A型 赤塚不二夫さんを偲んで


ギャグ漫画の草分けは型破りなA型さん

1998年の食道ガンに始まり、その後は脳内出血で倒れるなど、長いあいだ闘病生活を送られていたそう。
そんな最中でも、お客が面会に訪ねてきたら笑いを忘れず
そして、好きなお酒とたばこも、やめなかった。

「おそ松くん」に「天才バカボン」、「ひみつのアッコちゃん」・・・
数々の笑いやギャグ、おもしろカワイイ、ヘンテコキャラクターを次から次へと生み出し
お茶の間に温かい空気を運んでくれた。

子どもの頃、学校で嫌なことがあったり、親に叱られたり、毎日がつまらなかったり
そんな時、テレビをつけると
“これでいいのだあ~”
バカボンのパパがテレビの向こうではしゃいでいた。
沈んだ心もだんだん明るくなって
「まあいいや」と、思えたものです。

幼いあの頃、こういうTVアニメが無かったら
日々の言いようのない不安な心を、どうやって癒すことができたでしょうか…
そう思うと、感謝せずにはいられないくらい、偲ばれるのです。

赤塚不二夫さんはA型。
何でもギャグにしてしまった人。
破天荒だったり、お茶目だったり、だらしなかったり、いい加減だったり、生意気だったり
でもなぜか、愛嬌のある、型破りなキャラクターをたくさん世に送り出してくれました。
離婚した前妻に保証人になってもらって再婚をしたりもしたそうで
アルコール依存症になってもガンになってもお酒をたいそう浴びていたそうで
赤塚さん自身も、相当に型破りな人生を送っていたようです。

一見、A型らしからぬ行動に見えるかもしれません。
表面だけを眺めると、B型のイメージを抱く人もいるかも。
けれど、その時々のエピソードをよく聞いてみると、まさに、A型そのものだったと感じます。

A型は、優等生で堅くて、常識人と思っている人が多い。
が、実はそれだけがA型の姿ではないのです。
確かに、社会において常識やルールを遵守しようとするのですが
そうした殻を、まとっているにすぎない自分自身から、抜け出したいと切望しているのもA型なのです。
もっと自由にならなければ!
こだわりを捨てなければ!
と、自分自身に、常に問いを投げかけているのがA型なのかもしれません。

A型がまとう殻は、何も生まれたときから付いているわけではなく。
産声をあげ、成長し、親や兄弟や、子供同士の関わりが増えるにつれ
そして、社会という目に見えない壁を感じるにつれ
A型遺伝子に深く組み込まれている“社会性”という特性が、作用し始めるのです。
だから育ちの環境いかんでは、そんな殻をまとう必要がなかったA型もいます。
そういうタイプのA型は、気の強さがやたら前面に出ている感じです。
けれど大半は、ある頃から堅固に殻をまとい、社会の壁に立ち向かう準備を始めるようです。
そして多くのA型は、その壁の厚さに人は無力であることを早々に感じ取り、上手く折り合いをつけていくのでしょう。

ところが、一部のA型に見られる傾向ですが
最後まで諦めず、1度はまとったその殻を、再度打ち破り続けるA型もいるのです。
能見正比古が、“破滅型のA”と名づけました。
(「破滅」というとネガティブに受け取られやすいので、最近は「型破り」と言い換えることにしています)

おそらく、赤塚さんはそういうA型だったのでしょう。
ある日、赤塚さんの娘さんが語っていたそうです。
「父は、実はすごい常識人だったんです。ルールを分かった上でそれをわざと壊しているんです」

たとえば、B型ならどうでしょう。
B型は最初から、ルールには無頓着。
だから、ルールがあるんだと教えられれば、案外素直に学んだりします。
でもA型は違う。信念で、型破りをあえてやっていきます。
食道ガンでも、アルコール依存症でも、たばこも酒もやめるわけにはいかない。
やめたら、自分が生きてきた筋道が通らなくなるんだし。

赤塚さんは、お酒を飲まないと照れて人と話せなかったのだそう。
真面目くさった自分の一面を、世間には見せたくなかったのもあるかもしれない。
ギャグの赤塚不二夫を、徹底して貫き通したかったのもあるのでしょう。

A型には、やけに周りを笑わせたがる、ギャグの名手がいます。
多くはサービス精神でそうするのですが、自分がリラックスしたいためでもあるのです。
赤塚さんの場合は、ギャグ漫画家という仕事を盾に、社会に型破りを宣言したけれど
立場上、そうは宣言できない「型破りA型」もいますよね。
そういう状況に置かれているA型は、心を許した信頼する間柄だけに
その破天荒ぶりをこっそり見せることになるようです。

ここ研究センターの、(故)能見俊賢がそういうA型さんでした。
「頭を空っぽに」が口癖で、赤塚さん顔負けのギャグで常に事務所に笑いをもたらし。
時折気が向くと、古典落語を聞かせてくれたのですが、プロも顔負け、天下一品の語り部でした。
常識を破る血圧の高さを自慢しては、それをネタに場を笑わせ、緊張する編集者を和ませたり。
こちらの先生は、病院の治療を受けることを、最後まで拒否しつづけました。
周囲の私たちも、そういう生き様を承知するしかありませんでした。

赤塚不二夫さんと能見俊賢のA型性が、ふと重なります。
もしかして、俊賢先生も
「これでいいのだあ」
最後の時には、そう言ったのかもしれない。

ああ、型破りな人たちが、ひとり、またひとりとこの世界を去っていく。
つまらないな世の中になるのかしら。
あっちでは病気なんて無いのだろうし、身軽になってギャグに精々磨きをかけたら
またこっちの世界に降りてくるかしら。

2021-05-20

自分軸で生きるために「血液型人間学」の意義を再認識してみよう


「血液型人間学」は役に立つのか?


現在、血液型のそれぞれの特性については、能見正比古が集中的に行った並々ならぬ努力によって、ある程度のところが分ったと言ってもよいと思っています。

とはいえ、それを学者たちに認めさせようとするとき、血液型と人間行動の因果関係における、生物科学的な決定的証拠となるようものが、まだ見つかっていないと言われればそうかもしれません。しかしそうしたことは、血液型に始まったことではないのです。私たちの”意識”にしたって、それがどのようなしくみで発生しているかは、いまだ現代科学で解き明かすことはできていないし、脳の働きについても、心臓が動くしくみについても、実は全てを分かっているわけではないのです。

人間が今の段階で出来ることは、少なくも現象として明らかになっていることを整理分類し、少しでも役立つものなら、人間の活動に役立てることでしょう。

こう説明すると、更には次のような質問がかえってくることがよくあります。
「血液型にそれぞれの特性があるというのは分かりましたよ。しかし実際のところ、どんなふうに役立つというのですか?」

それは、この血液型人間学に馴染んだことのない人にとっては、あたりまえの素朴な質問かもしれません。そういう方に、どのように分りやすく説明すればよいのか――。私自身が今一度、今の社会を鑑みながら整理しておきたいと思います。


分類することは悪なのか?


2000年の始め頃、血液型の話題がメディアを通して再び沸騰することがありました。すると、その流れを押しとどめようとする反発が、知識人たちを中心におこりました。このとき特徴的だったのは、血液型と人間行動の関係性についてはもはや全否定できないと分かったからなのか、論点はそこではなく、人間を『分類』することへの抵抗でした。国連では、「人間をいかなる方法(特にジャンダーなどの生まれながらに変えられないものに対して)でも分類してはならない」という人権法が設けられた頃でもありました。

そもそも、こうした基準などを制定することは、逆にやっかいな問題を引き起こしかねないというのは、現在の米国の状況を見ればわかります。米国バイデン大統領は就任直後、ジェンダーフリーに関わる法令を発しましたが、たとえば男女別のトイレはもはや必要ないし、肉体が男性であっても女性の心であるトランスジェンダーは、女性として女子のスポーツチームに参加できたりするというのです。果たしてそれは、社会にどのような影響を及ぼしていくのでしょうか。

とにかく世界は、21世紀に足を踏み入れたとたん、どうも的外れな方向へ向かっていたようです。我々が提唱する血液型人間学に対する強い批判というのも、おそらくこの流れに乗ったものだったということが、今振り返ると見えてくるのです。反論者のとある知識人は、「血液型というのは、生まれながら持っていて変えられないものでしょ。そういうのを言ったらだめなんだよ」と、まさに先の人権法に準拠するようなことを発言していました。

しかし、本当に、分類することは”悪”なのでしょうか。科学者なら、決してそうは言えないはず。科学とは、森羅万象のあらゆる現象を観察し、分類することから始まっていくからです。一見、雑多で混沌としている状態を、一旦分類し、整理することで、さまざまな知識や知恵を得てきたのです。「分類すること」は、我々人類が知の探究をする限り、必要不可欠なことです。

「分類」と「差別」は、本来は別々に扱いたいところです。しかし、あえてこの2つの行為を組み合わせてみるとするなら、それぞれをどう感じるでしょうか?

①「分類」しないで「差別」する
②「分類」して「差別」する
上の2つは、いずれにしても「差別」するわけで、それはやはりするべきでないと感じます。

③「分類」しない「差別」しない
おそらく人権法や血液型人間学に反発する知識人たちは、この考えなのでしょう。一見、よさそうにも思えますが、米国を例にしたように、それは混乱を促し、むしろ新たな分断を引き起こす要因になりはしないでしょうか。

④「分類」して「差別」しない
私たちは、これを推進していることになります。もしかしたら、「分類しても差別しない」という取り組みは、今の人類社会では、まだ少しハードルが高いのかもしれません。しかし、私たち人類が、今よりも成長し進化したいのであれば、これを目指すべきだと思うのです。

そして加えていうなら、③のケースは、私たちの思考を止め、進化を拒むことにはならないかと、今一度考える必要があるのではないでしょうか。

地球上の自然界は、実に多様性に富んだ世界ですが、そうした多様性の中には、ある一定の整列や秩序があることも分かります。それを発見したとき、人間はその美しさをより深く感じて感動してきました。ヒトもまた、ひとりひとり異なる個性の多様性の中にあって、自然の秩序に準じたいくつかの色があるのも事実なのです。


「許す」ことは「理解する」こと


「血液型人間学」を活用してくださる人たちに尋ねると、まず何が良かったかといえば、人との付き合いが楽になった、楽しくなったといいます。それは特に、夫婦などの日常を共にする密接な関係性で、効力を発揮するといいます。

私たち人間は、全て自分を通して外部を認識しています。つまり自分を基準にしか考えられないという大前提があります。もちろん大局的には、ある社会の教育や規範の中で育っていくので、そこで身に付く共通のモラルや認識というのがありますが、しかしそれさえも、自分の感受性で受け取っているものであり、それは兄弟姉妹や親子でさえ、ひとりひとり異なるのです。

私は子どもの頃、3つ離れた姉と本の貸し借りをして、その本に対する感想を言い合ったりしたのですが、同じ本を読んでいるというのに、こんなに受け止め方が違うものかと、子どもながらに不思議に思ったものでした。

そういうわけなので、私たちが人と接するとき、相手の言動に対してどうしても自分の価値判断で見てしまいがちになります。しかし、そこに『血液型』というフィルターのようなめがねを媒介させてみます。このフィルターは、対象を曇らせるような種類のものではなく、色弱者のためのサングラスのようなものです。

もともと人間力、人間観察に優れた人なら、血液型めがねなど必要ないのかもしれませんが、しかしながらそういう人物は少ないのです。凡人の私たちは、この媒介を通すことで、そこには自分とは異なる思考行動原理で活動する人々がいることに気づかされます。

私が「血液型人間学」を学び伝えながら確信したことは、人は、理解することで寛容になるということです。人間は、知らないこと、理解できないことに直面すると、一種の恐怖を覚えます。つまり恐怖心がさまざまな攻撃につながっていくのです。ところが、相手の不可解な言動の理由をちょっとでも理解することで、にわかに寛容になれるのです。

B型男性と結婚して数十年になるというA型女性は、B型の夫にだいぶ辟易していたのですが、彼女がB型性を理解した後にしみじみ言いました。
「私は彼を心から好きになることはないかもしれませんが、許すことはできるようになりました」

「許す」という行為は、「理解する」ことでもあるのです。

また、人間関係においては、トラブルや衝突が生じたときほど、役に立つといえます。普段、仲が良いと思っている相手でも、それは案外、表面的な面しか接していないことも多いのです。人間というのは自分を基準にしてしか外部を認識できないわけだから、相手に対しても、自分と共感する部分だけを見て納得していることがままあります。スムーズに進んでいるときはいいのですが、何かのきっかけで、自分には理解しがたい面を見せられることがあります。そんな時にトラブルが発生するのでしょう。そういうときこそ、「血液型人間学」の出番があるというものです。

ただし、この血液型めがねを通した見方というのが『理解する』ことに大きな効果があるのはたしかでも、かといって、そう簡単に血液型人間学の理論が身に付くかというと、実はそうではありません。正直にいうと、やはり、それなりの月日と実践経験が必要なのです。つまり、本を読んだだけでは、活用しきれないのです。

まあしかし、『理解』とまで及ばなくても、「人間を客観的に観察する」という行為なら、すぐにでも実践できるはずで、ほとんどの人が、その利を得るに違いありません。

人々が、なぜささいなことを発端に衝突し、ネガティブな方向へ向かってしまうのかといえば、それは、同じ環の中にどっぷり浸かってしまうからです。それは人間の思考の特徴でもあるのですが、ネガティブな思考はループする性質があるのです。"Negatibu"には、消極性、進化したくない、という意味が含まれているのですが、今ある状態を繰り返すことを良しとする思考でもあのです。

ですから、物事をよりポジティブな方向にシフトさせたいなら、その環の中から出る必要があります。血液型を通して観察することは、そうした人間関係のネガティブなループから一歩外へ出て、客観的な視点を持つことを助けることになります。


自分自身を知ることの意義


「血液型人間学」を人付き合いに生かすことは、興味さえ持てば、比較的簡単に取り組めることだと思います。それに、これまで何気なく眺めていた周囲の人々を、違った視点で見ることは、思った以上に面白く、人間の知的好奇心をくすぐるのです。

ところが、これを自分に当てはめようとしたとたん、そのフィルター機能が上手く働かなくなってしまうことがあります。自分の言動や思考の特徴を客観的に眺めることが、どれだけ難しいかということでもあるのでしょう。

それに、ABO血液型の場合、なぜ人々が素直に面白がるかというと、案外、表面に見えやすく分かりやすいからなのです。それはABO血液型の特徴が、ちょっとした言葉や行動のクセのようなところに表れたり、何か全体の雰囲気のようなところにそれを感じたりするからです。しかし、自分自身に対してそれを感じとるのは、無意識なだけに少々難しくなってしまうようです。私自身、これだけ長くこの分野に関わっていながら、やはり自分のこととなると、おろそかになっているのが事実です。

しかし本当は、自分自身を知ることにこそ、血液型人間学を活用する意義があります。自分がどのような人間で、何を求め、何が好きで、どんな強みがあり、どんな弱点を持っているのか、それらをよく知っていたとしたら、自分の能力の伸ばし方や弱点の乗り越え方を、適切に検討することができるし、自分の人生に対する取り組み方は、今より更に良いものになるに違いないからです。

私たちは、自分の肉体でありながら、自分のことをあまりに知らな過ぎたのではないだろうか。ならば今こそ、「血液型人間学」を自分のために活用することを、もっと真剣に考えなくてはならない。私がそう提案したい思いは、今の人間社会に押し寄せている、大きな変化のうねりを感じるたびに、沸々と大きくなっています。


これからの社会は自分軸で生きる


「変化」ということを、私はもう何年も前から、事あるごとに口にしたり何かに書いたりしてきました。事実、変化しているのですが、目に見えるそれは緩やかなのか、私が訴えるほどには、人々は感じていなかったかもしれません。けれど、今世界全体で起こっているパンデミックによって、いよい大きな波が迫りくるのを感じざるを得ないのです。

コロナ騒ぎで充分すぎるのに、これからまだ何か来るの?と思うかもしれませんが、コロナが終息するときこそが、社会が大きくチェンジするターニングポイントになるはずです。今、このウィルスによって、人々は行動を著しく制限されていますが、それは人々に、見極めの時間を与えられているようなものだと感じています。

この期間に私たちは、今までの社会がどれだけ欺瞞に満ちたものだったか、政治も行政もどれだけ機能不全に陥っているか、人々の思想や意識がどれだけ停滞しているか、グローバリゼーションとは何だったのか、メディアの在り方とは何か、など、実にさまざまな現状を、まるでスローモーションのように、見せられている気がします。

「このままいくとこっちに進んでいきますよ、いいのですか?」
という具合に、人類の集合意識に選択を促すかのように、まざまざと提示されているような、そんな気さえしています。

これまで築かれていた社会の枠組みは、一旦、見直さなければならない。そのように感じている人たちは少なからずいます。そういう人々が、一定以上の数に達しているとすれば、おそらくコロナ後の世界は、元どおりに戻ることはないのでしょう。

では、どう変わるのか。そもそもこれまでの社会は、外部に軸があったといっていいでしょう。人々は、できるだけ社会の枠組みに自分を合わせていくことで、安全で安心できる生活を送ることができました。ところが、もしもその枠組みが失われ、新たな社会を構築していくとするなら、今までおいていた軸をいったいどこにおけばいいのかとなります。

問題がおきても誰かがやってくれるだろう。ウィルスはじっと待っていれば消えてくれるだろう。そう思っていたが、どうやらそうでもないらしい。そのように考えを進めていったとき、自ずと見えて来る道とは?
私が見えている道とは、「軸を自分においた新しい生き方」です。

これまで、大半の人々が社会の枠組みに合わせている中で、自分軸で生きるという選択をするのは、何かと生きづらいものがありました。しかし、多くの人が自分軸で生きるようになるなら、それが社会の在り方となっていく可能性があります。

ただしそれは、自分という存在を改めて見直さなければならないことでもあり、決して楽ではないかもしれません。しかしそこには、ネガティブな無限ループから飛び出した、新たな可能性が大きく広がっているように思うのです。

そんな未来予測をしながら、「血液型人間学」の活用を、今一度、思うところであります。

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2022-03-13

ゲノム解析はABO血液型の真実に迫れるか?~『交雑する人類』より(Part2)


ABO血液型の地域差はなぜ起こったのか?


デイヴィット・ライク氏の著書、「交雑する人類」を紹介した記事の続きです。前回の記事では、5万年前までの超古代についてゲノム解析で分かったことを、書籍の前半を読みながらまとめました。

180万年前に「出アフリカ」をしたホモ・エレクトスや同類の旧人類たちは、地球全土に散らばっていき、そして各地で各々進化した形跡があり、そして5万年前、再度「出アフリカ」をしたホモ・サピエンス(現生人類)たち。更にはアフリカとユーラシアを行きつ戻りつしながら、各地の古代人たちと複雑に交雑し、現代人へと進化してきたらしいというものでした。

書籍の後半では、世界各地における人類の移動の形跡を追いながら、現代人へつながる進化の道のりを探る試みが紹介されています。しかしこの、世界中を網羅する壮大なプロジェクトは、始まったばかりです。新しい事実が発見されれば、次々と内容が塗り替えられていくでしょうともいっています。

ここでのわたしの関心は、「では、ABO血液型は、どのような経緯で現在のような構成に至ったのだろうか?」ということです。以下からは、わたしの考察になります。

ABO血液型の比率は、世界の各地域によってずいぶん異なります。



分かり易くするために色分けしていますが、もちろん実際はこれほど明確なわけではありません。とはいえ、南半球にO型が多く、ヨーロッパと北米にA型が多く、東アジア全域と東南アジアにB型が多い、というふうに明らかな地域差があることは確かです。

それには、ウィルスや細菌による自然選択があっただろうというのが、原因のひとつとして考えられます。しかし、古代人の移動経路からも何か分からないだろうか?と思います。

以下は『人類は交雑する』で述べられている主要な移動ルートをひとつの地図にまとめたものです。



ABO血液型発生のシナリオ


予測できる範囲では、②の出アフリカ、そして③、④までのルートを見ると、その時点ではO型とA型だけだった可能性もあります。(ヨーロッパとオーストラリア、アメリカ大陸にはB型が非常に少ないため。)

いちばんの問いは、「B型が、どの時点で、どの地域で発生したのだろうか?」ということですが、最初は単純に、B型率の非常に多いインドやモンゴルなどが発生場所ではないかと考えていました。ところが、アフリカの、特に西アフリカの地域では、B型が結構多く見られます。アフリカ以外でB型が発生したとすれば、逆ルートでアフリカに流れていったことになります。果たしてそういうことはあるのだろうか?一旦出たものたちがまた戻るだろうか?と、そこで思考が停止していました。

ところが『交雑する人類』によれば、ユーラシアとアフリカを、古代人は何度か出たり入ったりしている可能性があるというのです。ならば、B型が、アフリカ外で発生した可能性もあるということになります。

実際、その方が説明しやすいのは、もし「全てはアフリカから始まった」としてしまうと、「なぜB型は、ヨーロッパとオーストラリアへ向かわなかったのだろうか?」という問いに上手く答えられないのです。ただし、この何万~何十万年という長い年月の間に、いったいどんな天変地異が起こったのか、あるいは絶滅に瀕するようなどんな疫病が流行ったのか、その間の空白が多すぎて、確かなことは何も言えません。とはいえ、ここで一旦整理してみます。

とりあえず、O型とA型はチンパンジーにも存在していて、現生人類はチンパンジーと共通祖先を持つとされていることを考えるなら、A型とO型は、初期の古代人も既に持っていたと考えられます。その後のシナリオとして考えられるのは以下のようなものでしょうか。

①最初にO型が、続いてA型が、古代アフリカに存在し、出アフリカからヨーロッパへ、オーストラリアへと散らばっていった。(時期は不明だが)ある時点で、インド、モンゴル、中近東のあたりでB型が発生した。そこで交雑が起こり、一部の古代人はアフリカへ帰還した。その際、西アフリカを中心にB型が広がっていった。また、最初のアメリカ人のルートは、ユーラシア人から分岐した古代人(2万年前ぐらい)であったが、そのときB型は、まだ存在しなかった可能性がある。

②最初にO型が、続いてA型が、古代アフリカに存在し、出アフリカからヨーロッパへ、オーストラリアへと散らばっていった。それからしばらくした後、やはりアフリカ(西アフリカ)でB型が発生した。そして再び出アフリカをしたが、その群れはユーラシアと東アジアルートへ進んだ。(ヨーロッパとオーストラリア、アメリカへは行かなかった。)※西アフリカ周辺のB型率はやや高く、西アフリカはB型の多いゴリラの生息地でもあります。あるいはゴリラとの共通祖先がB型を持っていて、現生人類とは別種の旧人類として進化していた可能性も考えられます。


話を書籍に戻すと、他にもいくつか興味深いことが、ゲノム解析によって分かったといいます。たとえば、上記の移動ルートを考えると、南米とユーラシアの間の方が共通性が高いはずの遺伝子が、なぜかオーストラリアとの方が共通性が高くなっているものがあるというのです。つまり、オーストラリアと南米を行き来するルートが存在したかもしれないというのです。するとこんなシナリオも考えられます。

→最初の出アフリカではO型を獲得している旧人類のみが全世界へ散らばった。(ユーラシア、ヨーロッパ、オーストラリア、東アジア、南アメリカ/オーストラリア経由)
→次の出アフリカで、A型を獲得している存在が加わり、ユーラシア、ヨーロッパ、オーストラリア、東アジア、北アメリカ/東アジア経由)※オーストラリア経由は何らかの状況変化で利用できなくなっていた。
→更に時間をおいて次の出アフリカで、B型を獲得した旧人類がユーラシア、東アジアへ向かった。


1万年前~5000年前ぐらいになると、各地域に散らばった人類祖先たちは、それぞれの場所に定住するようになり、古代文明の開化となっていきます。ABO血液型もそのあたりまでは、もっぱら病原菌や食物に対する免疫作用が主な働きだったのかもしれません。そして社会のしくみが構築されていく中で、体質、脳やホルモン、情緒など、行動や性格にまで影響するような働きに、その機能を拡大させていったのかもしれません。

しかし、深く考えるほど、更に迷路に入っていくような感じもあり、やはりまだ重要なピースがハマっていないのだとも感じてしまいます。全ゲノム解析プロジェクトは、まだ始まったばかりのうえ、今のところ、解析はできても、その遺伝子がどのように人間に作用するかまでは、ほとんど読み解くことができていないのだとも言っています。答えにたどりつくには、いましばらく待つしかないのでしょう。

最後のほうでライク教授は、ゲノム研究の問題点についても言及していました。現在もやはり、ゲノム解析に対する人々の抵抗感が、少なからずあるのだと。ある人たちは、ナチス時代のような非人道的な形で使われることを懸念し、ある人たちは、先祖のルーツが明かされることで民族や宗教の崩壊になるのではと懸念する…。

しかしライク教授は、それには充分な配慮と注意を払うべきだが、だからといって研究しないとなってしまったら、この研究によってもたらされるであろう、人類にとって有益な情報や恩恵を放棄することになってしまう。それでいいのだろうかと。まさに、ABO血液型について研究しているわたしたちも、ライク教授と同じことを思っているのです。

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