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2021-01-30

「自由」について"血液型"的に考えてみたら

日本はそもそも自由で平等の国


昨年の11月3日の大統領選を境に、今米国が大きく揺さぶられています。その振動は、世界中に広がっていくに違いないでしょう。日本では、他国のこととして関心を示さなかった人も多いかもしれないし、何よりも全てのメディアが、あるがままの事実を報道しなかったのは、貴重な経験を失ったようでとても残念なことでした。

それはそうとしても、ここでは米国大統領選の話をしたいのではなく、この出来事を眺めながら、改めて自由や平等、あるいは民主主義、共産主義などについて考える機会をもらえたので、4つのタイプの関わりを振り返ってみようと思います。

「自由は戦って勝ち取るものである」と言うのを、しばしば聞いたことがあります。ただ正直にいうと、日本人にとっては、あまりピンとこないところもあるのではないでしょうか。それは主に、支配者たちへの民衆による革命の歴史がある、西洋社会における概念だからです。

日本には、そうした歴史が見あたりません。なぜかしら?
私が思うに、日本はそもそも昔々から、当たり前のように、人々は自由で平等だったのではないでしょうか。それは違うと考える人もいるかもしれませんが、たとえば江戸時代の士農工商制度などについても、あくまでも社会秩序を保つための制度であり、差別による階級分けではなかったのです。武士たちが決して裕福でなかったことは、ひとつの証拠でもあります。お百姓さんが虐められている時代劇は作り話…(おすすめ著書「逝きし世の面影」

「万物に神が宿る」という古来からの価値観は、あらゆるものへの敬意を表しています。昭和天皇は独裁者のような言われ方をすることがあるけれど、「日本はそもそも民が主体の国である」と昭和天皇は仰っていて、終戦後、真新しい考えのように欧米式の民主主義が持ち込まれ、本来の日本の在り方を人々が忘れてしまうのではなかろうかと、心配していたのだそうです。

あるいは、聖徳太子の「十七条憲法」を読んでもそのように感じます。
この、我が国最初の、由緒ある憲法とは、そこでは人々が自由であることや平等であることには(当たり前なので)触れておらず、下の者は上の者によく従うこと、そうでなければ秩序と和が乱れるといい、「和」と「秩序」をことさら強調しています。一見、下の者が虐げられていると受け取ることもできますが、しかしよくよく読んでみれば、各々が、自分の役割を真心を込めて果たしなさいと、寛容に諭しているのです。

もちろん、長い年月の中では、幾らかの歪みを生じたであろうことも想像できます。現代の日本にも言えることですが、秩序やルールに厳しすぎるあまり、それが独り歩きすれば不自由さも生まれてくるでしょう。それでもやはり、日本人社会の底流には、自由と平等、民主の概念が、自然とあったと思うのです。

なので日本では、「自由と平等」を叫ぶ素地が薄いわけで、そういう日本人の私が、米国で再燃している「自由と平等」についての問題を、果たしてどこまで理解できてるか分かりません。とはいえ、ABO血液型の社会的影響を一考しておくため、整理してみようと試みます。


「自由は戦って勝ち取る」O・A社会


毎度、伝えているように、西洋社会はA型とO型の社会です。この2つのタイプの共通性は、集団性、社会性が強いことです。そして遺伝子的にもよく似たところがあるので、ある部分、親和性も高く、社会を形成するには、互いに同調し合いまとまり易いということがあります。(「O型になりたいA型が多い…」

それを踏まえた上で、O型の特徴的な性質をいえば、「個性主張を強く持つ」というのがあります。O型は、「自分・我」の存在を、常に確認していたいのです。もしもそれが抑圧され続けるなら、彼らは生きる価値を見出せないか、あるいは怒りに燃えるでしょう。

またA型は、表面は穏やかに見えても、本質的には気性の激しい性質を持ち、特に権力など力によってねじ伏せられることを嫌い、反発心を強めることがあります。

つまり両者は、人は一人では生きられない、仲間外れになるまい、とする、社会性の強さを持ち合わせ、通常レベルの圧政なら容認するのです。しかしそれが一定レベルを超える状況になるなら、きっかけさえあれば、いつでもそれに立ち向かう可能性を秘めているのです。

そういう人々の集合体の中で、逆に支配者側に立ってみるならどうでしょう。獅子たちを何とか眠らせておく、あらゆる方法を、あれこれ企むのではないでしょうか。もちろん、支配層にしたって、O型とA型が占めるわけで、その民衆心理も分かるというものなのです。

そうした支配層と民衆の切迫した関係は常にあり、そして革命が起こり、あるいはアメリカ大陸への開拓精神を呼び起こした、と言えそうです。


B型の多い国はなぜか締め付けが強い


では、B型族の多い、アジアの国々ではどうでしょう。
面白いことに、アジアの国には、社会主義や共産主義など、全体主義的な国家が意外に多いのです。またB型が非常に多いインドにおいては、社会主義ではないにしろ、カーストという厳格な階級制度をずいぶん永い間保持し、人々はそれを受け入れてきたのです。

B型が、4つのタイプの中で、最もマイペースで、最も自由を愛する人々という印象があるにも関わらず…。

何年か前、研究会でそれについて話し合ったとき、ひとりのB型が言いました。
「そうやって強く締め付けをしないと、B型はてんでバラバラになるから仕方ないんだよ」
そして彼は、こうも言いました。
「B型は、あまり穏やかすぎるとだらけるから。多少プレッシャーを与えた方がヤル気が出るの」

なるほど。B型ご本人が言うのだから、それは一理も二理もありそうだし、言われてみれば、極度のプレッシャーの中で俄然、力を発揮するB型アスリートたちを、数多く見てきたのも間違いないのです。

とはいえ、やはりO、A型社会から見れば、なぜ人々がそのような抑圧的なシステムに甘んじているのか、理解不能であるに違いありません。そして「独裁者が全て悪いのだ」という結論にも至るのでしょう。

ここで、もう少しB型性について深読みしてみようと思います。
B型は、確かにマイペースな性質で、O型やA型と比較すると、社会性があるとは言えないのが客観的事実です。しかし注目するのは、B型自身が、それについて強い意識を持っていないということなのです。B型は、社会のシステムがどうであれ、O型やA型ほどには関心がないのです。


B型流の自由のあり方って?


B型が自由を愛するという言い方は間違いではありませんが、より正確な表現をするなら、自由を追い求めるというより、縛られることへの嫌悪感のような感じで、そんな環境ではどうにも居心地が悪いらしいのです。また、別の側面から見ると、彼らは自分の好きなことさえやらせてもらえるなら、多少の抑圧は気にならないところもあるのです。

つまり、システムだとか、主義だとか、少し言い過ぎかもしれませんが…人権だとかも、ある程度、好きなことをさせてもらえる範囲であるなら、"知ったこっちゃない"というところがあるのです。(もちろん災難が自分に降りかからなければでしょうが。)要するに、社会とか組織とか、そういう概念を、鼻から持ち合わせていない種族、といえるかもしれません。

現在、「中国共産党 VS 米国」という対立構造があり、それはコロナウィルスをきっかけに「中国共産党 VS 世界各国」という風にも拡大してゆく気配があります。なぜ中国において共産主義がここまで根付いてしまったのでしょう。共産革命の主導的立場にあったソ連邦は、とうに崩壊してしまったというのに。

それには、いろいろ要因があるのでしょうが、一つには、天安門事件の酷い記憶を葬ると同時に、改革開放を急速に進めたからでもあるのではと思えます。たとえ一部分であろうが、経済的開放が行われたことによって、まあそれがB型であるなら、命と引き換えに政府に対抗するより、上手くやり抜ける工夫をして適当な自由を得る方が、B型はよほど得意なのです。中共政府はこれによって、実際はマイペースな人々が多い国内を、上手くなだめることに成功したのでしょう。彼らはとても賢かったと言えます。

余談となりますが、日本が中国との国交正常化を成立させたのは田中角栄でした。角栄さんもB型です。複雑な政治的背景は分かりませんが、田中角栄もまた、○○主義などの、そうしたことに対するこだわりが薄かったのかもしれません。少なくも当時は、何かと決めごとや契約を押し付けて来る米国より、実質的に利便性のあるお隣さんと関わる方が、国益になると考えたとしても不思議ではありません。

とはいえ、現在における中共の人権弾圧や言論弾圧の不自由さは、もはや国内事情を超えたレベルに達していて、人道的に許してはおけないところまで悪化しています。そうなれば、中国には、O型やA型の人々だって存在するわけですし、これから先はどうなっていくのか分からないことではあります。

ただとにかく、B型の多い社会では、全体主義や軍事政権など、多少強制力のあるシステムの方が、人々をまとめやすい面があったのだろう、と想像できるのです。そしてB型は、どんな環境の中でも、何とか工夫して、共生共存していくことができるという、他のタイプには見られない柔軟性も持ち合わせています。だとすると、社会制度に不備や不満があっても、命の危険を冒してまで頑張る必要がなくなるのです。

もちろんB型も、革命的なことに没頭することはあるかもしれません。おそらくそれは、そのB型が、何かとてつもなく大きなアイディアを思いついたときです。たとえば田中角栄の「日本列島改造論」のようなものとか…。しかし欧米社会に見られるような「自由を勝ち取る!」というようなスローガンには、案外、腰が重いのです。


そして新しい価値観が生まれるとしたら?

以上のことはあくまでも、今までの人間社会を観察した中での解説となります。しかし私は、今、米国で起きている揺さぶりは、何かもっと、大きな変革をもたらすものではなかろうかと予測しているのです。それがもし、単なる社会制度に対するものではなく、人間そのものの価値を見直すようなことにでもなれば、また違った側面から「自由」や「平等」を考えることができるかもしれません。


たとえば、これまでは、制度やシステムが先にあり、人々はそれに合わせて暮らしてきたようなものですが、仮にそれが、人間の自由な活動の方が先にある、という考え方になったとしたら、○○主義とか、○○党というようなものを、わざわざ組織する必要がなくなるかもしれません。

すると結局…
B型の生き方というのは、本来のあるべき姿なのかもしれないなとも、思えてしまいます。彼らのように、「自分の好きなことを自由にやらせてくれるなら、そんなの知ったこっちゃない」ということなのです。

そうなると、これまで「自由」を求めて懸命に戦っていたはずのO型やA型たちは、面食らうのかもしれません。どうやら、この先の未来は、B型に習うことがいろいろありそうです。

とにもかくにも、今年も混沌の中で始まっており、未来は見えにくいかもしれませんが、変わってゆかなければならないことは確かなようです。取り留めのない内容になりましたが、このテーマはまずはこの辺で、一旦終わりにしておきましょう。


2020-09-30

血液型視点で日本の集団意識を考えてみる

 コロナ禍で改めて見えた日本人の集団性


今年(2020年)早々に起こった新型コロナウィルスによる世界的パンデミック。まさかウィルスひとつがこれだけ世界中を騒がせ、あらゆる活動を停止させてしまうとは、想像もしなかったことです。

およそ6カ月が過ぎて、ようやくこのウィルスについて理解し始め、各国がだいぶ落ち着きを見せてきたこの頃ですが、冷静に振り返ってみると、日本国の感染状況というのは、世界の中ではずいぶんマシだったようです。

その理由は諸説あり、未だに議論は決着していないようですが、とにかく欧米諸国は多いところでは100万人あたり5~600人の死亡者が出ているというのに、日本は100万人あたり10人程度という少なさなのです。(アジア地域は日本と同じように死亡者数が少ないようです。)

そうした疑問はさておき、とにかく日本に限って言えば、実は大量の感染者を受け入れるなどの医療体制や、防疫に対する対応が、あまりにも整っておらず、医療崩壊の危険は常にあったそうです。そのためむやみにPCR検査を増やすことも避けてきましたし、また、一定期間の非常事態宣言を行ったとはいえ、他国のような強制力はほとんどなく、一貫して国民への自粛要請のみでした。

日本政府の対応は、遅すぎる、甘すぎるなど、批判も多くありましたが、にもかかわらず、この結果に抑えられていることに、欧米諸国などからはむしろ賞賛されているのです。それは、さまざまな災害時の時に見られた、日本人の民度の高さだとも言われています。まあ、褒められるのは喜ばしいことですが、この間の日本の状態を改めて振り返ってみようと思います。

確かに、政府の「要請」だけで日本国民は、充分に外出を避けて自粛していたように思います。そして、どこへ行っても外でも中でも、特に街なかは100%に近い人がマスクを着用していました。これにはさすがに呆れるほど驚きますが、実際のところ、そうするより仕方ないムードが国中に漂っているのです。

たとえばワタシなどは、人の少ない地域に住んでいるのもありますが、「外を歩くときまでマスクは不要」という考えで、マスクを常にしているわけではありません。しかし店などに入ろうというときには、入り口に「マスク着用」と書かれていれば尚更だし、周囲を見渡して小さな子どもたちまで健気にマスクをしている姿なんかを見ると、仕方ないなと、やおらポケットからマスクを取り出し、内心「ホントに必要?」なんて思いながらも、やはり協調する気持ちの方を優先させてしまいます。

普段「オレの勝手だろ」なんて感じで生きてる人でも、「自分がうつらないためでなく、人にうつさないためだ」なんて言われてしまうと、結構日本人は納得してしまうんですね。そういう利他的なところは、やはり日本人の良さなんだろうなと思ったりします。

しかし一方で、自粛警察とか、マスク警察とか、過激な行為もありました。また、都会から離れた地方の地域においては、他県ナンバーの車を見つけると傷をつけたり、東京から家族が里帰りしているのが近所に知れると「帰れ!」と叫ばれたりして、万一、その地域で感染者にでもなったら、もうそこには住めないぐらいの雰囲気になるらしく、中には本当に引っ越してしまった家族もあったそうです。

これにはちょっと行き過ぎの感じがします。米国のようにデモや騒ぎが起こったり、中国武漢やイタリアのような医療崩壊の危機に陥ったりの騒動はほとんどありませんでしたし、メディアが不安を煽り続ける中でも、政府に対する不満がありながらも、全体的にはいたって静かに、みんなでマスクをつけて、手洗いをして…、淡々と、自粛が行われていたのでした。そういう中で、陰湿な面も、見え隠れしていたということです。

こうしたことの、プラス・マイナスを含めて、全て日本的な集団性というものかもしれません。それは良しにつけ悪しきにつけ、日本古くからの集団意識の特性といえるのだと思います。

日本は少し前まで、「村社会」とも言われていました。更に昔に遡れば、「村八分」というのが「制度」としてちゃんと存在した村々も結構あったのです。それは、変り者を仲間外れにして村中で"いじめる"という感情的で低俗なものではなく、村人たちが争いことをなくし、暮らしを安定させるに必要なルールとして、皆が合意の上で制度化させたものでした。

ですから、村のルールを破ったら、その者自身も、そこでは生きられなくなることを充分承知していたのです。それはかなり厳格なところがあって、どんな同情的な事情があろうとも、「これは村の決まりだから仕方ないんだ。気の毒だが出て行ってくれ」というふうに、追い出される他なかったとのことです。

それは、日本の自然環境下では必要だったからでしょう。そもそも日本には、「和」の思想があったからでもあるでしょう。そんないろんな要素が重なって、日本の集団的特性が、形成されたのだと思います。

日本の「血液型黄金比率」が凄いわけ

そういうなかで、ひとつの見方として持ち出したいのが、「血液型黄金比率」です。
日本の血液型分布は、【A型…38% O型…31% B型…22% AB型…9%】となっています。この数値を調査したのは80年ほど前の事ですし、小数点以下は変化している可能性があるので1~2%ぐらいの曖昧さがあるでしょう。とはいえ、A、O、B、ABの割合が、およそ【4:3:2:1】で構成されているのだと大ざっぱに言うことができます。そして実はこれ、世界でも他に無いのです。

能見俊賢(故)は、各血液型の特性や表現力などを「血液型パワー」として換算すると、最も多いA型を1とすれば、O型はその1.5倍、B型は2倍と見える。従って、実際の力の配分は、いずれも拮抗している、またAB型においても少ないとはいえ1割いることで充分AB型の特質を社会に表現できているのだとし、日本は非常にバランスのとれた血液型分布であると考えました。

また一方で、国家という大きな共同社会を構成する際、異なる特性を持つ各タイプが、整然と一定の割合ずつ存在し、しかもそれが社会性の強い順位(A、O、B…)に並んでいるというのも、これまたよくできたもので、日本の血液型分布は、まさに「黄金比率」といえるのです。

これは偶然か?それとも神の采配か?
しかし、この比率が、いったいいつから続いているのか、古代からのものなのか、歴史のどこかで大きな変動があったのか…。全く分かっておりません。そもそも、人類のABO血液型が、どのような経路と経緯で発生したのか、それさえ未だ謎に包まれたままなのです。

その議論はともかくとして、現在までの日本人という国民性が、世界の中でも特徴的な集団性を持っているというのは世界に知られていることで、そしてそれは、「血液型黄金比率」に関係しているかもしれないと考えているのです。

ABO血液型は、それぞれお互いが影響し合っているので単純には語れませんが、それでも数の多さがある程度、その集団性を特徴づけられるところがあります。

各タイプの集団性をまとめると
  • O型の集団性…敵に対する団結、力の結集。仲間意識。各自の自己主張が強くボス争い、派閥争いは起こりやすい。
  • A型の集団性…ルール、秩序を軸にした協調性、調和性。完全性、安定性を追求した組織づくり。堅固になる一方で型にはまりやすい。
  • B型の集団性…個の力が優先。よほど大きな目的がないと集団的な結束はおこりにくい。
  • AB型の集団性…集団性というよりバランス。集団における力のバランスを調整する存在として機能することが多い。

O型の集団は、明確な敵が存在するときに最も結束します。集団の意思やカラーが明確で主張も強くなります。現実的で実利を重用視する傾向もあります。また、A型の集団は、秩序正しくまとまりやすくなります。O型に比べると理想主義的な面が多くなります。

欧米諸国の多くは、これらO型とA型が8~9割を占めるので、OA社会と言ってよいでしょう。O型とA型は、数の多さからいっても、共に社会性や集団性を強く意識した行動になります。まとまり易さはありますが、思想や文化がある一方向に偏っていく傾向もあります。ヨーロッパ諸国の文明や文化が、わりと統一的で整然としているのは、その理由があると思います。

そして欧米諸国の中でも、O型がやや優勢のイギリスやアメリカは、O型色が強くにじみ出ており、ドイツや北欧などは、A型色が強くなっているのが見てとれます。

ではB型の多い集団はどうかというと、世界の中で、B型が数の上で最多を占める国というのはそう多くありません。世界のB型のほとんどは、ユーラシア大陸の遊牧民がルーツだとも考えられそうで、モンゴルやインド北部、中近東などの多民族国家に集まっています。それらの国ではB型率が3割前後と多くなり、次いでアジア諸国にB型は広がっています。

B型の集団性で考えるなら、彼らは本来、個の力を自由に発揮する方がよほど性に合っていて、国家や組織より遊牧生活を愛する人々なのです。集団性といっても部族単位ぐらいが最もまとまり易いというのが本当のところではないかと思います。

日本はどうでしょうか。
日本は数でいえばA型、O型の順で、この2タイプで7割になります。上の例でいうなら、ドイツや北欧型に近いのですが、日本の場合は、残りの3割にB型、AB型が存在します。AB型は、その性質から調整役で、集団では中立的存在になりそうですが、B型の2割は、多くはないけど少なくもない、意味のある存在になります。

たとえば、10人の会議が行われていて、意見が2つに割れてまとまらないとします。そこへどちらの意見に忖度するでもなく、全く異なる視点で新しいアイディアを提案する人が存在するとしたら、その行き詰った会議は新たな展開に進むことが可能になるでしょう。日本の2割のB型の存在というのは、そんな重要な役割を果たしているのだと思います。

そういう場面でのAB型の役割は、B型の斬新なアイディアをA型やO型が理解できるように翻訳するようなものです。そしてAB型は、それぞれの異なる意見のエッセンスを上手く調合し、よりバランスのとれた形に仕上げるのを得意とします。

これはある意味、4タイプの完璧な合議性であり、完璧な共同創生でもあるのです。各血液型は、その特性が集団において最も機能的に働くように配分されていて、それぞれが、それぞれの役割をあたかも知っているかのように、自然に循環し、完成された形に仕上がっていくのです。

この循環においては、誰も阻害されてはおらず、役割を果たせれば対立は起きにくくなります。いえ現実には、その過程においてはむしろ対立は起こるのですが、4つの血液型の循環性が、それを徐々に融合させてゆくのでしょう。


上の図は、血液型の相関図ですが、ある集団を見るとき、4つのタイプが適度に存在することではじめて循環します。各タイプの役割が上手く機能するためには、上図の矢印が示す相互作用も重要になるでしょう。(リード=おもり関係

こうして、日本の絶妙な血液型バランスは、日本の集団意識を形成する上で非常に大きな意味を持っているのです。これが、O型A型社会の欧米諸国とも、B型の多いアジア諸国とも異なる、日本特有の集団性を形成していると考えます。

これまで、日本は島国で、単一民族で、排他的だという識者たちが多かったように思います。しかし近年のさまざまな研究からは、日本は古代から、外からやってくる移民たちも、文化や宗教も、寛容なくらい受け入れてきたことが分ってきました。ところがそれらは、いつのまにか、日本流にアレンジされるなどして同化し、日本化されてしまったのだといいます。

もし日本に、陰の権力者がいるとするなら!?

ドイツのマルクス・ガブリエルという哲学者は、「日本はソフトな独裁国家のようだ」と分析しています。彼が何を言いたいかをまとめると、「日本という国は、秩序が完璧なほど保たれていて、何もかもが非常になめらかに機能している。その秩序を乱す者がいれば、それを正す役割やあるいは誰というでもなく、それを整える力が自然に働いている。それがソフトな独裁国家なのだ」とのことです。

また彼は、「日本文化は美意識が高くとても発達している。しかし悪い面もある。問題を起こしてはいけないなどの抑圧の力が、人々の精神性までも抑え込んでいる」というようなことも言っています。

確かに、見た目には、彼のいう通りなのです。しかし、ソフトであれ独裁国家というからには、何らかの権力者がそこにはいるはずです。ところが日本には、そんな存在はどこにもありません。そこが日本の摩訶不思議なところ。そのひとつの答えが、日本特有の「血液型黄金比率」による循環システムでは?ということなのです。

たとえば、欧米社会のようなOとAの社会では、集団は一方向へ向かいやすくなります。しかしそれが行きすぎると、あるところで流れをせき止める力が強く働きます。デモや革命はこうした働きによるものです。

あるいはB型の多い社会では、そもそも気ままに暮らしたい人々の、その奔放さを制御するために、全体主義を敷くことがあります。あるいは宗教による統一性を試みたり、あるいは民族同士の争いに始終することも多くなります。

ところが日本は、国民全体が、それこそ円(和)を描くような循環性を形成しているので、いろいろな事象は環の中に徐々に呑み込まれていきます。そして一旦、その循環に乗ると、そこから抜け出すのは案外難しいかもしれません。その環は、完成度が高く、神聖にさえ思えてしまうのです。

ドイツの哲学者がいうように、日本が一見、独裁国家に見えてしまうほど、どこかに陰の権力者がいるとしたら、その正体は、おそらくこの循環の環(日本流にいうなら調和です。)でしょう。あるいは、まるで全体主義国家のような強い集団性が見えるとしたら、それもまた、この循環の環が作用しているからです。

日本はよく、諸外国に比べて何事も決定されるのが非常に遅いと言われています。それは、この循環の環に上手く呑み込まれるまでに時間がかかるからではないでしょうか。さまざまな機関を調整するのに時間がかかり、ある程度の民意を得るのにも時間がかかるのです。ところが調整が終了すると、何もかもが迅速に動き出し、循環の環に完全に取り込まれてゆきます。

または、社会状況の変化によって、すぐに不必要になるものもあるし、いずれ古くなるものもあります。その場合、流れに乗って回転している環の中から、それを取り除くことも容易でなくなってしまうのです。近年、IT化の流れで世界の動きはどんどん速くなっていますが、日本がこの数十年の流れにすっかり乗り遅れているように感じるのは、そんな理由があるのかもしれません。

つまり、その"循環の環"というのは、結局のところ、日本人の"総意"ということではないでしょうか。国民は、政府や行政の批判をしたり、権力者が好き勝手にやっていると思いがちですが、日本の場合、他国に比べると、そうした権力の集中は思ったより強くないのです。それよりも循環の環(=総意)の方が、よほど強力なのです。権力者も含めて、全てがこの循環の環の中にいるからです。

このように、「血液型黄金比率」を考えながら日本の特殊な集団意識を見ていくと、以上のようなことが言えるのです。

それに、たとえ血液型のことを考えなくても、日本人の集団意識の特殊性は、多くの人が感じていることでしょう。そしてこれは、ある面では良く働き、ある面では悪く働いています。そのプラスとマイナスの両方を、我々日本人自身が、嫌というほど感じているかもしれません。

しかし私は、ひとつの希望を持っています。今まで私たちは、これらがあまりにも無意識に行われていたので、そうとは知らずに、成り行き任せに、循環の環(=総意)を形成していました。けれどこの事実を理解して、私たち日本人が、もっと意識的に循環の環を形成し、賢く利用したとしたらどうでしょう。間違いなく、プラスの作用を増大させることになるでしょう。それは、日本が次のステップへ飛躍する道ではないかと思います。


2020-09-20

神秘的な「Y染色体」が持つ意味と可能性

 Y染色体は何万年たっても薄まらない?


日本の皇室は、初代天皇とされる神武天皇御即位の皇紀2680年前から万世一系を維持してきました。ところが近年、皇位継承資格者が少なくなってきたことで女系天皇容認論がいわれるようになり、2004年には有識者会議が開かれ、皇位継承問題として今も論争が続いています。

この問題、ABO血液型とは関係ありませんが、万世一系とは生物学的にいうならY染色体のことでもあり、”DNA”を考える上では全く無縁なことでもない気がしたので、一旦整理しておこうと思ったのです。

今や、いろいろな方が語られているので、『Y染色体』の特殊性について知る人も多くなってきたと思います。これはヒトの23対46本の染色体のうち、男子を決定する遺伝子が座している染色体です。図にあるようにY染色体(対の短い方)は、対になるX染色体とはほとんど交わらないため、何世代たっても同じY染色体として受け継がれてゆくのです。一方のX染色体は、世代が代わる度に少しずつ交わりながら変化していくので元の染色体はどんどん薄まっていくのです。そのため、女性の時系列を調べるときにはミトコンドリアが使われます。

何でも最近のゲノム時系列の研究によると、現在のサラブレッドの95%が、1700年に生まれたダーレーアラビアンという一頭の種馬であることが判明したそうです。ただしサラブレッドの場合は、皇室の万世一系のように誇れることというより、遺伝子の多様性が低くなることへの懸念の方が取りざたされているようなのですが。

(上図は、Willで発信した竹内久美子さんの解説動画からお借りしました)



最終的には国民がどうありたいのかが問われる

話を皇位継承に戻すと、2680年もの間、このY染色体が受け継がれてきたと考えると、やはり万世一系によって日本の皇室が保たれ、それが国体を担う要となってきた意味は大きいのだと思います。

もちろん、神武天皇のDNAを調べることが出来ない今、100%正当性を証明することはもはや不可能です。研究者の中には、2度ほど皇位奪取された可能性があるという説を唱える人もいるようです。しかし知り得ようがないとはいえ、万一、百歩譲って、そういう史実があったとしても、それで万世一系を崩壊させて良いと考えるのはあまりに短絡的でしょう。

それに、そうはいってもまさかその時代、そこいらへんで畑仕事をしている農夫の子どもを連れてきたわけではなかろうし、その時の朝廷と全く縁もゆかりもない人物が天皇になったとは考えにくいわけです。

女系天皇を容認するということは、まさに、そういうことが起こってしまう恐れがあるということです。例えば、ワタシに息子がいたとして、仮に突然変異的に優秀な子だったとしてもいいですが、何らかのご縁で皇位継承者のどなたかと恋愛関係になり、結婚したとします。すると、ワタシの息子のY遺伝子が受け継がれてゆくようになるわけです。そして同時に、ワタシの父の系譜が以後、皇室となってしまうわけです。例えがあまりに酷くて申し訳ありませんが、極端にいえばそういうことで、それはいかがなものかと、誰もが思うことでしょう。

また、ゲノムだのY染色体だの、当時は知りようもなかったではないか。それなのに後からこじつけた論理で正当性を訴えるのはおかしいという方もいるようですが、そこはやはり、人間の歴史や知恵というものをあまり低く見てはいけないのであって、例えば薬草などの効用なんかも、その組成など科学的には知り得なかった時代でも、現代人以上に古代の人は解っていたという事実など、溢れるほど存在するのです。

実際に私たちは、近年代々の天皇陛下をご拝見していて、国民が尊敬するご人格と品格を、かくも期待する以上にお持ちになられていらっしゃることを充分承知しているのです。そこに真実が存在するのであって、そうだとすれば、あとは私たち国民が、天皇と国民という信頼関係の長い歴史をふまえて、何を基軸にしたいかということになるだろうと思います。

最終的には、国民がどうありたいのかであり、私たちひとりひとりの意思が問われることになのではないでしょうか。

遺伝子をあなどるなかれ

ここでまた遺伝子に話を戻すと、このY染色体について、ゲノムが解析された当初は、性別を決める遺伝子以外の意味は他に何もなくて、ガラクタ遺伝子の集まりのように考えられていました。ところがこれも最近、他にも重要な働きがあるかもしれないことが分ってきたというのです。

こうやって、何度も何度もガラクタ説をくつがえされると、結局私たちの身体には、必要のないものなどひとつもないのだと考える方が、ずっと真実に近いのではないかと確信してきます。それに、ある遺伝子はひとつの働きだけでなく、必要に応じて多様な働きをしている可能性もあるのです。

そして更に重要なことは、遺伝子は、あらゆることを記憶しているということです。単なる機械のパーツのように機能しているだけではないのです。何千年、何万年、それ以上にもっと古来の人類誕生のときから、移り変わる地球環境の中で、その土地で、その地域の文明と文化の中で、その民族で、その一族で、経験してきたあらゆることを、情報として蓄積しながら受け継がれているという考え方です。

遺伝子には、それぞれいろいろな役割があるわけで、たとえばABO遺伝子の場合は、外部とのコミュニケーションや免疫のしくみを担っている可能性があると考えられます。そしてY染色体に関する遺伝子を考えるなら、それはやはり、何かを継承するものを担っている可能性があります。Y染色体が薄まらないのには、人類の進化にとって何か重要な理由があると考えてみた方がいいとも思えます。

そうだと仮定するなら、皇室においてY遺伝子が永遠と受け継がれるということは、天皇とは何たるかを、歪みなく継承するために必須であるということになるでしょう。

今年春、大嘗祭が執り行われました。この神秘的な儀式は、ご即位される新天皇が、神武天皇以来代々の天皇らと、天照大御神らの神々と、お食事を共にし、その叡智を降ろしていただくというものです。そしてここに生きる天皇陛下も含めた我々は、肉体を持っています。それはつまり、天と地のさまざまな情報を入れ込む器のようなもの。器なら何でもいいということではないでしょう。天皇として脈々と受け継がれてきたY染色体には、神々の壮大な叡智を受け取るだけの秘められた何かがあるのだと信じる方が、ずっと自然ではないかと思います。

いずれも私の都合のよい解釈かもしれません。けれど、ABO血液型遺伝子について長年眺めてきた私としては、人間のいまだ解明されない可能性は、想像するよりはるかに大きいのではなかろうかと、常々感じているのです。

いつか…それが100年後か、千年後かは分かりませんが、日本や世界のしくみは少しずつ変わってゆくのでしょう。日本の国体も、永遠に続くものではないかもしれません。けれどそれは、一歩一歩確実に、その歩みを私たちの遺伝子に、しっかりと刻みながら進みたいと願うのです。その歩み方は、何万年後の人類の遺伝子に、受け継がれてゆくのですから。


2020-08-29

やっと解放されたB型安倍総理にお疲れ様

大へんお疲れさまでした!


昨日(8月28日)、安倍首相が辞任を表明されました。

数日前からその噂はあったものの、ご本人の体調のこととなれば誰にも事実を推し測ることはできず、むしろ「それはあり得ない」と否定する見解が多かったのですが、見事にあっさりくつがえされ、多くの国民が衝撃を受けることになりました。

特に、安倍総理や安倍政権を支持してきた人たちにとっては、「それはあり得ない」というより「それはあってはならない」という、希望的観測だったのかもしれません。

現状をみれば、そう思いたいのは無理もないことで、任期満了を残り一年に控え、オリンピック開催、拉致問題、憲法改正などの重要課題を残しているのに加え、コロナ終息への筋道と経済復活、緊迫する米中関係、強まる尖閣諸島の懸念、朝鮮半島の迷走、などなど、今年に入って日本を取り巻く環境は、益々不安定になるばかりです。

安倍支持者たちにしてみれば、「あと一年、政治生命をかけて一気に頑張れ!」という気持ちだったろうし、中には「いっそのこと4期やっちゃってもいいんじゃないの?」という声さえ上がっていたのですから。

普段、右だ左だの政治思想的なことを深く考えない私ですが、そんな私でも、さすがに近頃の諸問題には目が離せないところがあり、ここは何とか安倍総理に乗り切ってもらいたいと思っていたわけで、このニュースにはやはり驚き、「するとこの先、日本は…?」と、一抹の不安さえ、かすかに頭をよぎりました。しかし、そのあと始まった総理の記者会見を拝見しているうちに、残念な思いの一方で、「ああこれで、やっと解放されるんですね。本当にお疲れ様でした」というエールを送りたいような、一種、清々しい気分を、その様子から感じたのでした。

解放されてこそB型の本領発揮

安倍首相はB型です。

総理大臣というものは、それこそ不自由極まりない職務。発言も行動も、人間関係も、慎重に慎重を重ねなければならず、本来が、自由をこよなく愛するB型としては、人一倍ストレスが大きかったに違いありません。持病の潰瘍性大腸炎は、ストレスが最も悪化させる要因になるだろうと想像できるし、それを7年間もの長期政権の中でこらえてきたわけですから、このタイミングで思い切って解放されてもいいのじゃないかと、そんな風に思ったのです。

安倍晋三という方は、B型には珍しいくらい、実直、真面目な政治家のように思います。誤解のないように補足すれば、B型が真面目でないということではありません。しかしやはりその本質からすれば、ルールや秩序、常識などの枠組みから逸脱した柔軟性が大きな特徴であり、だからこそB型の良さが発揮されるのであって、多少の脱線には目をつぶって、凝り固まったものに変化を与え、解放させる役目がB型にはあるのです。

そうであるなら、総理という縛りの大きい立場を離れ、今後は一議員として政治活動をする方が、安倍晋三の本領を発揮できる可能性が高くなるのではないかと思うのです。実際、安倍総理は国内よりも海外での評価の方が格段に高く、「Abeは、世界歴代政治家リーダーの中でも超一流だ」と言われているのです。国内のさまざまなしがらみや圧力に対応するより、外へ出向いた方が力を発揮できるということなのかもしれません。

ホントはみんな、安倍総理が大好き?

それにしても、なぜ安倍総理は、野党やメディアから、そんなに批判を受けてきたのだろう…。ふと、考えてしまいます。そもそも彼らというのは、批判するのがその性質なのかもしれませんが、客観的に眺めると、「安倍おろし」が高じて「安倍イジメ」とも思えるくらいでした。長期政権になるにつれ、それは致し方ないことなのでしょうか。とにかく、野党勢力は何とか安倍を引きずり下ろしたいわけですが、安倍総理が案外、品行方正で、尻尾がなかなかつかめない。しかも思ったよりしぶとい。それで無理矢理いろんな案件を探し出してきたような感があります。

しかし、よくよく観察していると、もしかして、み~んな実は、安倍総理が大好きなんじゃないのかな?なんて、そんな気がしてくるのは私だけでしょうか。「好きだけど、やっぱり嫌い」みたいな、矛盾するけれど、それが人間の深層心理とも言えるのですから。

今、世界も日本も、大きく変わろうとしているのです。今回のコロナ騒動でも明らかになったように、こんなふうに世界が同時に騒めき動いたのは、第二次世界大戦以来ではないかと思います。変化の予兆は、既に数十年前から起こっていたわけですが、コロナ騒動は、その大変化を促すきっかけであるように感じます。そんなユニークな時代に立ったのが、安倍晋三であり、ドナルド・トランプであり、あるいは習近平であり、と、現在、世界各国のリーダーたちが、それぞれ修羅場をふんでいるのです。大変化は、決してすんなりとは進まないはず。人間も社会も、変わりたくない保守保身の不安感情と、変わって進化拡大したい期待感情との両方が、せめぎ合っているのです。

日本が変化する時には、おそらくB型的な、なにか起爆剤のようなものが必ず必要になると思われます。日本のようなA型的秩序正しい国民性においては、B型の変化を促進するパワーが不可欠になるからです。かと言って、明治維新の頃のように派手な改革はできないわけで、穏やかに収めつつ、時間をかけながら変化に対応するしかないのだとすれば、慎重さを身につけたB型安倍総理は、この時に適任だったといえそうです。政治家一族という環境と、そして第一次政権での失敗。それらの経験で政界の複雑さを知り尽くし、一方ではB型的な楽天性や柔軟性というその性質で、周囲の重圧を回避しながらも変化に対応していくという、なかなか尋常ではない役割を担ってきたのではと、今になれば、そう思えるのです。

時代の流れで出るべくして出たのが安倍総理だとするなら、誰もが、「変わりたくないけど変わりたい」という、期待と不安に揺れ動く矛先を、安倍総理に一心に向けてしまったのかもしれません。B型には、何かそんな、得体のしれぬ可能性のようなものを、人々に感じさせるオーラがあるのです。そんなふうに考えると、つまるところ、支持者も批判者も、みんな結局、いろんな意味で安倍総理が大好きなんじゃないのかな、と思ったのです。

なぜかお腹が弱いB型

とにもかくにも、重圧任務から解放された暁には、潰瘍性大腸炎というやっかいな病気から、少しでも早く回復されて、今後は総理大臣とは違う立場から、日本のためにやり残したことを思う存分やっていただければと思います。

ところで安倍総理、この難病と50年あまりも付き合ってきたとのことですが、悪化した時の症状を聞くと、とてもじゃないけど長時間の国会などの激務には耐えられないと想像できます。さすが「病気に強いB型、病気と共存できるB型」と、言わざるを得ません。

この病気に関するデータはありませんので安易なことはいえませんが、少しだけ言及しておきたいことがあります。これまでの我々の観察によるところでは、「どうもB型はお腹を壊しやすい…」という現象が、あるという事実です。感染免疫学の藤田絋一郎先生も、「B型はなぜかお腹が痛い…」という本の中で次のように触れていました。

B型血液型物質を持つ細菌には、サルモネラ菌や大腸菌がありますが、いずれも私たちの身近にいる細菌で、腹痛を引き起こすものですね。B型が他の血液型に比べてこれらの菌に感染しやすいということは、残念なことですが科学的に実証されています。(引用:「B型はなぜかお腹が痛い…」藤田絋一郎著/三五館)

ただし潰瘍性大腸炎の場合、一般の細菌感染とは区別されるものだとし、原因ははっきり分かっていないとのことですから、単純にB型と結びつけたいわけではありません。ですが、B型が、どこか腸内細菌と不調和を起こしやすい傾向が、少なからずあるやもしれない、ということは示唆しておいていいかと思います。病気と血液型の関係が、もっと研究されることで、より適切な薬の開発が可能になるかもしれないですよね。

「美しい国、日本」を夢見て

私のしごく個人的なことですが、私が安倍総理から影響を受けた言葉があります。それは最初の政権でかかげた「美しい国、日本」というスローガンです。彼は、日本は美しい国であり、その日本の美しさを取り戻したいのだと発言しました。それを聞いた時、もちろん言いたいことが分らなくはなかったけれど、では、「日本の美しさとは、いったい何だろうか?」四季の豊かなこの日本の景色や風土を言うのだろうか?それとも、日本人らしい心を言うのだろうか?ぼんやりとはイメージできても、これこそがという核になるものが今ひとつ見いだせず、私の中でモヤモヤとした気持ちだけが残ったのでした。

戦後の教育によって、日本の誇りや日本人らしさは失われたと言われていますが、まさに戦後生まれの私にとっては、"日本の美しさ"などは過去のおとぎ話にも似た感があったのかもしれません。しかしそれからというもの、私の頭の片隅からその言葉が離れることはなかったように思います。安倍総理の言葉は、私が日本という国や日本人というものを、改めて見つめ直すきっかけとなったのでした。

それから14年あまりの月日が過ぎ、私もいい歳になり、そのせいも多分にあるでしょうが、「美しい国、日本」とは何ぞや?というところが、少しは分かってきたように思います。そもそも子どもの頃から変わり者の私は、あまり人々の中に溶け込むことができず、まして日本のような集団性の強い国では、暮らしにくいところがままあったわけで、日本を無条件で愛することが少々難しかったのも事実でした。しかし今は、日本に生まれた意味とか、世界における日本という国の役割とか、日本が大切にするべきこととか、日本の美しさとか、日本を慈しむことの諸々を、ようやく感じられるようになりました。これについて、安倍総理には、深く感謝の念を抱いております。

そう書きながら思い出したので、ついでに少々の悪態を申し上げます。昨日の記者会見を観ていて気になった、記者の方たちの質問や対応です。目の前で話されたのは、日本の総理大臣であり、現在、病と闘わなければならず、志半ばで辞任することは痛恨の極みであると国民に頭を下げています。前回の辞任の件もあり、批判を浴びるのは当然の覚悟で、しかし日本国の将来をよくよく考えたら、このタイミングしかないと決断されたのは、ある意味、非常に勇気がいることだったと想像できます。

ところが記者たちは、感謝や思いやりの言葉を添える人はほとんどおらず、相変わらずこの場に相応しくない質問ばかり繰り返していたのでした。それを聞いていて、これが美しい国の人たちなのだろうかと、心底がっかりしたのでした。もっと心のある質問や、日本の将来を本気で案じるような質問を投げかけたなら、安倍総理から、もっと意義のある話が聞けただろうに。多くの国民が、固唾をのんで観ているだろうこの会見で、国民の気持ちを代表して「長い間お疲れさまでした」と労ってくれたら、観ている人々はどんなに心が温まっただろうか…。

ああ、安倍総理の「美しい国、日本」が蘇るのは、果たしていつになることでしょうか。


2019-11-28

血液型的視点で韓国を語ってみる

私が想像する韓国の悲哀


日本と韓国の関係が悪化している最近の状況を眺めながら、少し前に韓国についての記事を投稿しましたので、この記事はその続きということになります。

あれから数カ月が過ぎましが、日韓は改善の様子が見えてきません。
それに、今となっては既に日韓の問題ではなく、韓国はいったいどこへ行っちゃうのだろう?と思えるほど、韓国は危機的状況に陥っているとのことです。

以前にも書いたように、過去に血液型人間学を啓蒙するにあたって、韓国の友人たちには並々ならぬ恩義を感じている私としては、やっぱり気になるところではあります。
そんなことで、最近は韓国に関する史実や情報を読みながら改めて考えているのですが、韓国…つまりこの場合、朝鮮半島と言った方が良いのでしょうが、朝鮮半島の歴史が、実に悲しいものであったということ、そして朝鮮の人々が、いかにそれに耐えながら、何とか生きてきたのだということを、理解した方がよいとも思っているのです。

「いやいや、ここまで反日攻撃されているのに、そんなのいらん!」と言いたい方々がたくさんいらっしゃるのは分かりますが、実際問題、隣接する国というだけではなく、日本には朝鮮半島の方々がたくさん住んでいらっしゃる。その中には日本にすっかり溶け込んで暮らしている2世、3世の方々も大勢いらっしゃるわけで、無視することも無かったことにすることも、もはやできないというのが現状でもあります。
ならば、相手のことを知る必要は、やはりあるだろうと考えます。
おことわりしておくことは、ここに書くことは、全て私個人の目線で感じたことで、主義主張を示すものではありません。

日韓の歴史の上で先に付け加えておきたいことがあります。
我々日本においては、弥生時代の文明が発達した時期には、朝鮮半島から知識や技術を持った人々がたくさん渡ってきた、というように伝えられていたところがありますが、これについては近年の多方面からの研究によって否定されつつあり、中国(当時は唐)との交流はあっても、朝鮮からの渡来はそれほど多くはなかったであろうとのこと。もちろん中華文化が朝鮮半島を経由して伝わってきたものは多くあったことでしょう。
この辺のことは、現在のところ朝鮮史の学者たちが容認しておらず、広く認識されるにはまだ時間が必要かもしれません。
いずれにしても日本と韓国について話すとき、民族的に似ているようでいて、国柄としてはかなり異なるということです。

とにかく、事実が解明されていない部分もまだ多くあり、およその外枠を見ることしかできないわけですが、朝鮮民族は、その地理的位置づけ、そして現中国の歴史の中で漢民族からモンゴル民族支配にとって代わった元王朝以降、モンゴル帝国の度重なる侵攻による荒廃や容赦ない制圧、ひいては2000年もの間、中国に従属せざるを得なかった中で、虐げられ、深く尊厳を傷つけられてしまった歴史に乗っているのかもしれないと思えることです。資料によれば、女子の4割を中国王朝へ献上し、氏族以外の人民は奴隷同然だったともあります。
そんな中で、朝鮮民族としての自主独立の道を進められたとは到底考えられません。その悲しみの歴史は、人々の中に深く潜在してしまったのではないでしょうか。
韓国は記憶から、長きにわたる悲惨な歴史を消去したいのでは?ところが一方で、中国に対する記憶は、今も昔も韓国にとって儒教の教えを戴いた「宗主国」であり続けるのかもしれません。それはそもそも、朝鮮半島の人々の祖が漢民族だとするなら自然なこととでもあるのでしょう。

韓国の失われた記憶?


日本では韓ドラが大流行しましたが、私の両親なども「日本のドラマより面白い」と毎日楽しみに観ていました。私も時々それに付き合わされてチラッと観たりしたわけですが、いつもだいたい似たようなストーリーが展開されます。面白いのは、主人公がしばしば"記憶喪失"になることです。通常の日常では、記憶喪失になることはそう滅多にあることではないのに、韓国ではそれが頻繁に起こるの?
「あ、また記憶喪失になっちゃった」なんて笑っていたのですが、深読みすると、もしかして、それというのは韓国史実に封印された負の感情を、現代社会においてドラマという形で再現しているのかも、とも思えてきました。
そしてはたと思い立ちました。日本に対する信じがたい妄想ストーリーが成立してしまうのも、実はこの"記憶喪失"によるものではないのかしら?

どのように客観的に見ても、当時、20万人もの女性が慰安婦として拉致され、日に100人もの相手をさせられ、あるいは男たちは強制連行され、賃金は一切支払われずに奴隷として働かされ、そして時には数千人、数万人が理由もなく虐殺されたなどということが、あろうはずがないのです。
しかもその数字の見積もりは毎回増えていき、ある時は30万にも40万にもなったりします。もはや実際の数などどうでもよく、その苦しみの感情がいかほどかを伝えたいだけのように感じられます。

しかし、韓国の歴史を鑑みれば、似たような残酷さを幾度も経験してきたというのも分かります。
もしかすると韓国民は、日韓併合時代の日本帝国に、それら全ての悲しみと憎しみの記憶を置き換えているのかもしれない。そんな気さえしてくるのです。
これを、人という一個人に置き換えたら、記憶喪失による一種の精神的な病ということにもなるのでしょう。
ただし、その潜在記憶を呼び覚ますきっかけを作ったのは、日本側にあったということも付け加えておきます。ある時、日本の不誠実な一部の人々やメディアが、偽りの情報を発信したことが起爆剤になったことは、既に知られているところです。
そして更に、こうした韓国民の潜在意識に巣くう悲哀の情念を利用して、富と権力を掌握しようとする組織が、裏で動いているということもまた、記しておかなければならないでしょう。

韓国の血液型分布が珍しいのはなぜ?


その国の国民性を見るときには、まずはその土地の風土や地政学的歴史を考える必要があります。また人種や民族による風習、宗教などもあることでしょう。
そうした環境要因が土台にあることを踏まえた上で、血液型がどのように影響しているかを考えることで、その国民性を更に深読みすることができるのです。
そしてこの場合、ある血液型に焦点をあてるというよりも、その分布による相互バランスが重要になってきます。つまり国民性とは集団意識からなるものであり、ひとつのタイプだけを取り上げてどうこうとは言いきれなということです。

韓国の血液型分布は、世界の中でとても珍しい分布になっております。

O型=27% A型=32% B型=30% AB型=11%

何が珍しいかというと、AB型はともかく、O型、A型、B型の3型が、これほど拮抗している国や地域はあまりないのです。(※データは1970年発表のもので調査地域による差異もあるため目安の数値と考えてください。)
すると、集団としてどういうことが起こりやすくなるかをあげてみます。

1)集団としての統合性が難しくなる?
通常、集団性を作る中心になるのはO型とA型ですが、O型というのはその集団の力関係によって流動的になります。A型が強ければO型はA型寄りになり、B型が強ければO型はB型寄りになるというものです。ところが韓国のようにA型とB型が拮抗している場合、O型はどっちつかずになる可能性があり、すると結局テンデンバラバラとなってしまいがちなのです。
2)争いごとが多くなる?
A型とB型が対照的な性質を持つため、それが同じ数だけいるとすれば行動の食い違いは生じやすくなります。どちらにも言い分があるため衝突はどうしても多くなりそうです。

例えば、マイペースな性質といわれるB型が非常に多いインドなどを見ると、O型 33%、A型 22%、B型 37%、AB 8% となっているのですが、O型が多数派のB型寄りになるせいで、B型色にO型の集団力が加わることになり、するとそれなりに、「O+B」による統合性が生じてくるのです。つまり、B型的な集団社会としての統合性です。
いうまでもなく、A型が多い場合の「A+O」集団のA型的統合性はより統一された集団意識を生みますが、これは日本や北欧諸国に見られる傾向といえます。

しかし、韓国の場合はそうした統合性が、やや難しそうに感じます。
過去の地政学的事情があったにせよ、民族や国家としてのアイデンティティー統一がなかなか果たせなかったのには、そんな血液型分布の影響もあったかもしれません。
そうだとすれば国家として民意を統一させるためには、何か別のよりどころが必要になります。そのため北朝鮮は独裁的共産体制を選び、韓国は日本という敵を置くことで民意を束ねる必要があったのかもしれません。

また世界中、O型率が最も多い国が8割を占めるというのに、O型が20%代というのも、これまた珍しい現象です。
O型が少ないということは、どういうことかと想像してみます。
まず、O型的な結束力が弱くなるという点があげられますが、それに加えて人間的大らかさのようなものも、発揮されにくくなる可能性があります。
アジア諸国の多くは、B型が多めにいることでどうしても集団としての協調性にやや欠ける面があるのですが、それでもO型が多く存在することで、O型がそれをカバーするような感じになり、またO型の大らかさでB型のプラス面がより多く表出するような気がします。これは私が、インドネシアで経験してきた実感です。

不思議なのは、なぜO型がそんなに少なくなってしまったのだろう?ということです。
現在の朝鮮半島のルーツをたどれば、中国大陸の漢民族やモンゴル民族の流民と言えそうなのですが、中国にしてもモンゴルにしても、B型は同じく多めでも、O型はそれよりもっと多くなっていて、ほとんどの地域が30~45%を占めているのです。
それなのに朝鮮半島では、O型がなぜか少なくなっています。
今のところ原因は分かりません。

何だか、韓国の気の毒な部分ばかりに焦点をあててしまっているかのようになってしまいました。
しかし日本人の多くの方々が、特にここ数十年、韓国文化に大いに親しみ、楽しんできたのも事実ですよね。
先日、面白い会話をしている韓国と日本の若者の動画を発見しました。
それは「韓国と日本のヤンキーの違いは何か?」というテーマです。
どうやらそこにはずい分違いがあるらしく、なんでも韓国のヤンキーたちは、おしゃれにカッコ良く決めたいというスタイルだけのことで、学校の勉強も真面目にするし、暴力的な行為なんかもほとんどしないのだそうです。
「え、じゃあ喧嘩はしないの?」
「いや、喧嘩はするよ。するけど韓国のヤンキーの喧嘩は悪口の言い合いだよ」
「え?」
(???…何それ?)
「だから、どっちがすごい悪口言うかで強さが決まるの」
(???)

え~そうなの?
つまり、どれだけ相手を撃沈させ、創造性がある(?)悪口を言うかで、喧嘩の強さが決まるのだそうです。
すると、それって…。韓国が日本にしかけているあの反日攻撃の口の悪さは、そういうことだったの!?
え?すると、負けないためには、どんどん悪口で言い返さなければならないってこと?
う~ん…、日本人にはちょっと無理そうです。

この、口の悪さ攻撃という点は、だいぶB型的な性質が感じられます。
A型とB型が数値では拮抗していても、表現的にはB型パワーの方がはるかに大きいですから、韓国の場合、表面的な印象ではB型色が強く表れるのです。
日本と韓国のやりとりは、まるでA型とB型のやりとりだと言っても過言ではないようです。AとB…それはもう食い違い始めたら留まることろが無いわけで、なかなか修正が難しいところがありますね。
しかし、上手くいっている時には、お互い、特にA型の方がB型を実に面白がって付き合うことが出来るのですが。
日本人がこれまで、韓国に度々訪れて行ったのも、「完璧なニセモノあるよ~」なんていう、あまりにバカバカしくてユニークな(B型的)客引きなんかが楽しくて楽しくて、仕方がなかったからなんですから。
また、同じ反日国といわれる中国よりも、韓国の報道をした方がTVやネットの視聴率はすこぶるいいのだそうで、その理由を視聴者に聞いてみると「いやね、中国の方は深刻な雰囲気になっちゃうけど、韓国はなんか面白いんだよね」ということだそうです。
たしかに、「え~うそ~、それやっちゃうんだ~」というような、呆れるのを通り越して笑っちゃうようなニュースを度々耳にしますよね。

そしてお互いこれから新たに進む


こうして血液型で眺めてみると、深刻な対立も少しは面白がって見ることができるわけです。大切なのは、お互いの性質を理解し容認することができるかどうか。すると気持ちの余裕が生まれて笑い話にも出来るというものです。

まあ今回を機に、日韓問題については我々日本人も考えなければならないことがあるのも確かなのです。
いくら戦後の日本では近代史教育がなされなかったとはいえ、多くの日本人のあまりの関心の薄さが、このような成り行きを増幅させてしまったというのも否めないのです。韓国の人々にその点で肩を持つところがあるとすれば、極端な反日教育を受けてきた韓国の人々は日本は何十万人も虐殺したと信じているわけですから、その日本人があまりにシラッとしているので何たることか!という面があるだろうと想像できるからです。
本当は、真正面から向き合い、違うものは違うんだと証拠を示して毅然と発言した方が良かったんですよね。

私自身は、韓国が(もちろん全部の韓国民ではありませんが)、日本を叩くに叩き、一部の団体が世界中に日本のブラックプロパガンダを行ってくれたおかげで、日本という国体について改めて考える機会を与えられ、目が覚めるきっかけにもなった気がします。
今となっては、むしろ「大切なことに気づかせてくれてありがとう」と、韓国の反日運動にお礼さえ言いたい気持ちになっています。

しかし、これからは違います。
日本も韓国も、それぞれの真実をしっかり見つめ直し、お互いの関わり方を正していかなければならない時が、ようやくやってきたのです。

戦後70年間、韓国では反日教育を受けた人々がほとんどです。今更彼らが事実を知るとなれば、その衝撃は実に大きく、分厚い壁を乗り越えねばならない試練となるかもしれません。
最近「反日種族主義」という本が韓国で出版され、数日前には日本語翻訳版も出ました。今後英語版も刊行される予定のようです。
私は、著者の学者たちの配信している動画レクチャーを全編観ていたので内容についても知っているのですが、韓国の人々にとってはとてもショッキングな内容です。
現在のところ、韓国でこの本は決してメディアに取り上げられることはなく、無視されているとのことですが、著者たちは酷い中傷や嫌がらせを受けているとも聞いています。
現韓国政府が、北側寄りの体制につき進もうとする中、この学者たちは、命を懸けて今の偽りの韓国社会を正そうとしているのです。
韓国でこの本は、10万部以上売れたと聞きますが、日本でも発売されたばかりというのに既にAmazonで売れ筋ランキング1位となっているようです。ようやく日本人の関心も高まっているのでしょう。

さてならば、日本はどうすれば良いのでしょう。
日本もまた、自分たち自身の手で、日本につい考えていく必要があるように思います。
日本人として日本に生まれたのには意味があり、またその役割もあるはず。
ひとりひとりが日本人として、自分の中心にしっかり立つことができるならば、周囲からどのような嵐が吹き荒れようが、揺らぐことなく進んでいけるように思うのです。
実は日本人もまた、韓国と似たように記憶喪失になってきたのです。しかし日本の場合は、何千年何万年にも渡って確かに存在していた日本の心を思い出せば良いだけです。そういう意味において日本は、韓国に比べ、はるかに恵まれているのは間違いないのです。


2019-10-02

日本と韓国を想う(2)

(1700年韓国古地図/Wikipedia)

韓国と日本のすれ違い


韓国の学校で使われている歴史教科書で、日本語に訳されているものがあるので、それを一度読んだことがあります。そこには、「強奪」や「略奪」という文字が羅列され、日本人の感覚からすれば、史実を客観的に示した文章とはほどとおく、可笑しくなってしまうほど、感情的な表現です。いや、もしかしたら、日本の教科書の方があまりに味気ないのかもしれません。読み物としてなら、韓国の教科書の方がはるかに面白いとも思ったくらいです。

例えば弥生時代の青銅器について、その教科書に書いてあった内容を正確には覚えていませんが、だいたいこんな感じです。
「我が朝鮮人のご先祖様たちが、野蛮な倭人は技術がないから親切に教えてあげたのに、倭人はそれをまるで自分たちが造ったものだと言いふらしている…このように彼らは略奪を繰り返すのだ…」

私たち日本人がこれを読んだら、ポカンとしてしまうに違いありません。
私たちの歴史の教科書では、「弥生時代に朝鮮半島から青銅器が入ってきた」というような、平坦でつまらない箇条書きでしか読んだことがないのだから。日本の教科書は、繊細な思春期の子どもたちの感情を奮い起こすような記述は皆無といってよく、逆に、何らかの感情を呼び覚ました方が人間性を養うのにいいのではないかという内容でさえ、左から右へと、空虚に読み進めてしまえるようなものばかりなのです。

この違いとは、いったい何だろうか?
教科書については日本でもよく言及されますが、青少年たちが、感受性の敏感なときにそこで何を知るかは、その後の思考形成に大きな影響があるのはたしかなことです。私たちが、国家を先導する政府発行の教科書を利用する限り、多かれ少なかれ必ず、そこには政府の意図が織り込まれると考えられます。それが例えば日本と韓国では、上記のように正反対の教科書を生み出しているのかもしれません。

そして私が思ったことは、今回、あらためて朝鮮の歴史と日本との関係を冷静に眺めてみたとき、それぞれの国には、やはりそれぞれの成り立ちと、そこで暮らす人々のそれぞれの進み方があるのだということです。
それらに無用に干渉し合うと、歪が起こるのかもしれない。それは人と人との関係でも、似たようなものかもしれませんが。


「日本人はどこからやってきたのか?」の記事に紹介したように、最近の科学的調査をもとにした研究によると、これまで遺跡や資料などで特定してきた史実に、DNA解析を考え合わせることで、より明らかな史実が見えてくるようになってきました。今後は、歴史認識を180度転換するような事実も明かされていく可能性があります。

その新しい見解を加えて朝鮮半島の歴史を追っていくと、BC.10000年以前には、それよりもっと過去に原始人がいた可能性を除くと、朝鮮半島に人が住んでいた形跡は今のところ見つかっていないとのことです。その後、BC.5000年頃、朝鮮半島の地に、最初に渡ったのはどうやら日本の縄文人だったわけで、そしてその後、南下してきた北方の漢民族がそれら縄文人と混血したか、あるいは漢民族と馴染めなかった縄文人たちは南方に追われていったのではと思われます。

日本はその後、日本国として国を統一していくわけですが、その過程では、朝鮮半島南部に形成されていた百済、新羅などとは親密に交流していた時期もあります。しかし新羅の造反によって朝鮮半島と日本は断交することになり、以後、朝鮮半島は、モンゴル帝国に攻められ、その支配下に置かれた80年を加えると140年あまりの間、朝鮮ではモンゴル帝国との戦いが続きました。おそらくこの時期ぐらいには、朝鮮における縄文の、特に男子の血統は途絶えてしまったかもしれません。そしてモンゴル帝国の衰退により解放された後、李王朝を築きます。

一方の日本は戦国期を経て江戸時代に入っていき、鎖国をすると外部との交流を遮断しました。朝鮮と日本はごく限られた交流となり、朝鮮の人々は、いつの日からか日本を野蛮な獣のような人々が住む島だと思うようになっていったようです。

時が流れ、世界の状況は変容していきました。東南アジア諸国のほとんどは、欧米諸国の国々に侵攻されて植民地化されるようになっていきます。最後に残った極東の日本にも、その脅威は迫ってきて、およそ300年続いた江戸時代の鎖国を終わらせるよう圧力がかけられるようになります。そしてやがて、第一次世界大戦、第二次世界大戦へと、世界中が巻き込まれる戦争時代へと突入していくことになります。

反日感情の発端はなんだったのだろうか?

簡単に言ってしまえば、日本の朝鮮に対する強い干渉、おせっかいということかもしれません。もちろん日本側にとっては、単なるおせっかいではなく、朝鮮王国独立の大義名分を掲げた軍事的戦略もあっての干渉です。そして、日本はそれら全てが、正義の名のもとで戦いを進めていったに違いないけれど、当時の朝鮮にしてみれば、王朝をどう守るかという概念しかなかったはずで、日本の正義など理解するゆとりがあったとは思えないのです。

それは、朝鮮半島という地理的位置づけを見ても一目瞭然で、中国大陸の端っこに位置する小さな半島は、大陸側から攻められれば逃げ場は海しかなく、海洋側から攻められれば、大陸側の中国に頼るしかないのです。それ故に、朝鮮は中国とだけ正式な交易をし、日本とは違った意味で鎖国体制を長くとり続けていたのでした。ある意味朝鮮は、中国の属国という状態でいても、良いとさえ思っていたくらいなのです。

それが突如、あれよあれよという間に周囲の状況が動き出したかと思えば、日本に開国や独立を促され、清に日本が勝利して大韓帝国となったかと思えば、今度は日韓併合へと向かってゆくのです。(朝鮮側から頼まれたとも言われていますが)日本は不条理なことはしなかったとはいえ、結局全てを日本流の基準にしてしまったわけですから、実質的には民族消滅という気分だったのかもしれません。

もちろん日本のこれらのやり方は、西欧諸国がアジア諸国を植民地化したのとは大きく違っており、明らかに一方的な搾取や支配ではありませんでした。そして日清戦争、大韓帝国成立、日韓併合、日露戦争へと進む中で、朝鮮には当時から、常に親日派と反日派が存在していたということでもあります。その両者の意図が複雑に絡み合いながら、日本と朝鮮の関係をつくっていったのだろうと予測できます。その構造が、今も脈々と受け継がれているということなのかもしれません。

当時の朝鮮は、けして国としてまとまっていたわけではありませんでした。
人々の暮らしは非常に貧しく、住まいや道路の整備もほとんど行われていないような貧相な状態だったのです。それでも彼らは朝鮮人という民族の誇りを形成してきたに違いなく、日韓併合によって国が様変わりしていくことは、少なからず人々のプライドを傷つけたのかもしれません。おそらく反日派の集団は、そうした人民たちの感情を取り込みながら民族主義を喚起させていったと想像します。そしてある面では、これら急速に起こる変化に、朝鮮の人々はついていくことができなかったのかもしれません。

日韓併合をすると日本は、すぐさま道路や建物の整備、教育の導入など、実に日本らしく、規律にのっとり、粛々と近代化を進めていきます。田畑とはげ山しかなかった村の様子は、十数年で見違えるようになってしまったのです。日本は、自分の本国と同じぐらいに、インフラから制度に至るまで、みごとに韓国の街を整えてしまいました。日本人の気質からして、現在韓国が叫ぶような略奪や搾取、暴力などは、行われなかったにちがいないのですが、戦時中のことでもあり、厳しい態度や厳しい規律はあっただろうと想像できます。何しろ、日本への古くからのイメージは「獣の住む野蛮な国」だったわけです。日本的な厳しさを、一種の暴力的なイメージに捉えていた可能性もあります。

カン太「なんだよ~オレたちの世界は変わり果てたよ」
ニホ太郎「いいじゃん、結果的にきれいになったんだから」
カン太「頼んだわけじゃないよ」
ニホ太郎「あのときは助けてくれって、頼んできたじゃん!」
カン太「いやそうは言ったかもしれないけど、ここまでやってとは言ってないのよ」
ニホ太郎「やるなら完璧にやらなきゃ意味ないでしょ!」
カン太「やりすぎなんだよ!」

日本は知っての通りA型国です。一方の韓国は各血液型分布が拮抗している珍しい国でもあるのですが、パワーバランスでいうなら、「B型+O型」パワーが優勢になる感じです。私はAB型ではありますが、B型弟との会話を思い出しました。弟の部屋があんまり乱れているので、見兼ねて片付けたときのことですが、ちょうど上のような会話が繰り広げられたのでした。最後に弟は言いました。

弟「オレの居場所が無くなった気分だ」
私「え~?こんなに座れるスペース作ってあげたのに~?」

まあこんな、くだらないことではないでしょうが、日本がやり過ぎてしまったというところも、少なからずあったのかもしれません。そして日本が負けて終戦となると、日韓併合によって日本の一部という位置づけになっていた朝鮮半島は、兼ねてから朝鮮半島を狙っていたソ連と、それを阻止したい米国によって2分されてしまうという、悲しい結果になってしまったのです。

カン太「日本が干渉しすぎなかったらこんなことにならなかったんじゃないの?」
ニホ太郎「いや、そしたらソ連に占領されて民族は崩壊されてただろ?」

ニホ太郎「ん?おいキミ、もしかして中国の属国のままいれば良かったってわけ?」
カン太「・・・♪」
ニホ太郎「・・・」(ガックリ)
カン太「っていうか、日本が負けなけりゃ良かったのさ!何で負けたのさ!」
ニホ太郎「・・・」(真っ青)

そういうわけで、韓国の反日感情の根っこを探っていけば、日本とは異なる韓国なりの歴史感や価値観、心情的な行き違いにたどり着くような気がします。いずれにしろ、これらの大戦の傷跡が、反日感情として潜伏しており、それが政治的に利用されながら、今のいまに至るということなのかもしれません。


日本人の特異性というのは、世界の人々がよく理解できないかもしれない。

終戦後、日本は敗戦国として"悪"のレッテルを貼られることになりました。実際、日本が軍備を整え世界に出ていかなければ、世界中を戦火に巻き込むことはなかったかもしれません。しかし、そのまま座していれば、日本はソ連やアメリカ、ヨーロッパ諸国に、いいように侵略されてしまったのも間違いのないこと。周囲の近隣諸国を見渡せば、全ては植民地化され、そこにいる国の人々は、労働者でしかなく、あらゆるものを奪われ続けていたのです。日本は開国を迫られ、その事実を突きつけられ、日本は、日本の地と日本人を、何としても守らなければならなかったのです。当時の日本に、選択の余地はなかった。日本の宣戦布告は、日本からすれば聖戦だった。中枢部の思惑はどうであれ、少なくも、日本の兵隊さんはそう信じていたのでした。

当時の日本の人々は、「天皇を中心とした古代から続くこの和の国を、絶対に死守しなければならない」という使命があることを、意識はしていなくても潜在的に理解していたのかもしれません。それは、「日本人のゲノムを解析したらどこにもない日本人特有の特徴が見つかった!」という報告を聞いた時、まさに明らかになりました。それは日本古代の縄文人が持つ特有の遺伝子であったということも示しています。

実際に、日本軍の戦い方やその姿勢というのは、他のどの国とも、全く違っていたのです。
日本と、日本以外の国々とでは、まるで次元が異なるかのようでもありました。当時、日本は中国をのぞく大半のアジアの国々を、占領下に置くことになっていきます。ところが不思議なことに、戦後、朝鮮の国以外では、日本を深く憎もうとするところは無いといって良いほどです。それどころか、感謝されたり尊敬されたりするくらいなのです。インド、インドネシア、マレーシア、タイ、台湾、フィリピン…。
「日本が一緒に戦ってくれたおかげで、長く続いたヨーロッパ支配から解放することができた!」

共に日本軍に加わって戦った、東南アジアの国のある兵士は、あまりに厳しい訓練に自殺したいほどだったといいます。「けれど自分たちが戦って国を取り戻すことができたことを誇りに思う。日本のおかげだ。感謝している」と振り返っています。日本軍の規律は非常に厳しく、民家の襲撃や強姦、搾取などは、あり得ないことでした。もちろん問題を起こした隊員が皆無ではなかったようですが、それが発覚すれば厳しく罰せられたのでした。そもそも、聖戦だと信じて疑わなかった日本兵士たちにとって、そういう恥をさらすことの方が難しかったのです。

ところが、他の国々ではそうではなかったのです。戦争においては勝ったものが略奪も強姦も、好きにして良いというのが普通で、そしてまた、それが戦争の常識でもあったのです。
長い間、そのようにして世界の争いは繰り広げられていたのでした。そういう常識をあたりまえに持っている人々に、果たして日本軍の行動が、どこまで理解できていたのでしょうか。欧米諸国の中にも、日本は侵略して世界を支配したかったのだと、今も思い込んでいる人たちが多くいます。朝鮮の人々もまた、日本人も略奪者だと考える人がいても不思議ではありません。彼らは過去に、モンゴル王国による侵略で無残な目に合い、戦争の残虐さを味わったことがありました。しかも獣の者たちが住むと信じ込んでいた国である日本の軍が、略奪も強姦も、強制連行もするに違いないと思っても不思議ではないかもしれません。

現在の韓国において、反日感情を持つ人々が言うこと、あるいは学校の教科書に書いてある「略奪」「強姦」などの言葉を聞いても、日本人にとってはポカ~ンとするだけです。ところが、略奪や強姦などあたりまえだと、戦とはそういうものだと信じている人々にとってみれば、そんな話があるのは当たり前で、むしろ無かったことの方がおかしい、ということになるのです。つまり…

世界基準で見れば、おかしいのは日本人の方なのです!

そうだとすれば、これまでの反日運動派のあり得ない言動も納得できます。韓国の人々を反日に向かわせるプロバカンダは、それほど難しくないのです。そして私が思うには、私たちは日本人のこの特異性を、充分理解しておいた方がいいかもしれないということです。

一方、アジアの中で朝鮮半島を除いた他の国々が日本に好意的なのは、日本との関係がそれとは異なったからでもあります。他の国々は、実際にヨーロッパの支配を受けている最中であり、日本軍が一緒に戦って彼らを撃退してくれたという図式になります。しかし朝鮮半島は、植民地化はされておらず、清(中国)の一部とう形になっていました。日本は、清の背後には欧米諸国がいること、そしてソ連が狙っているという情勢を知っていて、それを攻防したいための韓国への干渉とも言えました。韓国に対する日本の取り組み方は、他のアジア諸国に対するそれとはずいぶん異なるものだったのです。


今の韓国は北朝鮮と統一したいというその1点しか見ていないのだろうか?

それにしても、現在の成り行きには、摩訶不思議なことが多すぎます。どう考えても、日本と米国と仲たがいしても別にいいよ、という方向に突き進んでいるようなのです。文大統領は、どうしたいのか?彼は「北朝鮮と統一したい」との一念しかないのかもしれません。しかし、北朝鮮側は、どのように考えているのでしょう?
疑問が深まるばかりなのです。

そもそも反日派の考えの根本にあるのは、大韓民国になることを望んでいたわけでなく、北朝鮮と統一して社会主義国家を築くことだったのだとも聞いています。いつの日かそれを実現させるために、ことあるごとに反日運動をおこし、あからさまなまでのプロバカンダを継続させてきたというのが真相なのかもしれません。しかし、それよりも何よりも、韓国民のどのくらいの人々が、文政権の考えに同意しているのでしょうか?本当にそれが韓国の選ぶ道なら、それを止める理由は誰にもどこにもありません。


双方が真実を知ることが大事

今は、インターネットが普及したことで、各々の主張や意見を個人が発信することができます。韓国にはものすごくたくさんのユーチューバーがいるのだそうですが、日本を好きになったという韓国人の若者たちが、彼らなりのユニークなやり方で、日本人に向けて情報を発信しているのをしばしば見かけます。
「私も子どもの頃は反日の教育を受けたから、日本には良いイメージを持っていなかったけど、日本に来てみたら日本がとても好きになった。そして韓国には、そういう若い人たちがたくさんいる。それをなんとか伝えたい」

彼らの思いは、そのようなものです。私は、韓国の若者たちの純粋さや素朴さを知っています。だからこそ彼らは、プロバガンダにも簡単に染まってしまうのです。「真実を知る」ということは、少し勇気のいることでもあります。またそれは、他人が押し付けるものではないということも、分かっております。あなたが信じることが真実であり、それでいいのです。

そうはいっても…あの純粋な若者たちを騙し続けるのは心が痛んで仕方がありません。彼らには、本当のことを知る権利があるし、その上で選ぶ権利があるのです。

もちろん私たち日本人にしても、多かれ少なかれ、教育やメディアに洗脳をされつづけてきているのも事実です。それは韓国のように、あからさまではないかもしれませんが、それとなく、知らぬ間に…。また、それは日本と韓国だけでなく、世界中のほとんどの国々で、あたりまえのように行われてきていることです。主要メディアの情報だけを受け入れて知らぬ間に流されないよう、気をつけた方が良さそうです。

最近の韓国では、学者たち中心の親日派といわれる人々が、若者たちに客観的な事実を伝えようと、書籍を出したり講義をしたり、さまざまな活動をしているようです。そのひとりが、日本の雑誌のインタビューに答えていた記事を読んだことがあるのですが、その方はこんなことをいっていました。

「反日派の考え方は、悪に対して善は何でもしてよいというものなんです。だから日本を悪に仕立てたら、理不尽なことをしても全く問題ないと思っているのです」
そしてこうもいっていました。
「日本の朝日新聞やNHKテレビなどでは、ときどき反日派に温情をかけるような発言をしていますが、それは温かい気持ちからだとしても、やめてほしいのです」

いや、全くその通り。実際のところ、これまでも韓国の反日感情を呼び起こすようなきっかけをつくるのは、なぜか日本が発信元であることが多いのです。

これは韓国の問題なのです。彼らが自分たちのより良い道を進み、つくることを、そっと見守るしかありません。思うに、現在さまざまな国において、日本と韓国のようなお隣同士、似たような問題が浮上しているようです。私たちは今、国家においても自分自身においても、アイディンティティを見つめ直す必要に迫られているのかもしれません。自分たちの国である日本という国を、私たちがどのようにしたいのか、よくよく考えてみる、良い機会を与えられているようにも思います。
今は韓国議論よりも、日本の未来を議論するほうが、よほど重要ですよね!



2019-09-25

日本と韓国を想う(1)

韓国との素晴らしい思い出を胸にして



現在、韓国と日本の関係が非常に悪化しています。
これまでは国同士の政治的な問題の範疇だったので、日本の人々も一部の関心を持つ人以外は、あまり気にすることもありませんでした。ですから経済的交流は変わらず盛んに行われていましたし、人々は韓国旅行や韓国ドラマを、心から楽しんでいたのです。

ところがここへ来て、徐々に雲行きが怪しくなってきました。この流れがいったい何の意味を持たせていくのだろうかと、普段は政治に関心の薄い私も、理解しておこうかと思ったわけです。話題じたいは、このブログテーマ「血液型人間学」とはあまり関係ないのですが、韓国は、ABOセンターとして、また個人的にも、深い深い思い出があるのです。


韓国においては、血液型人間学の啓蒙活動を1997年頃から10年ほど行いました。きっかけは、あるひとりの韓国人女性(AB型)の手紙に始まります。

「私は、日本で"血液型結婚学"という本に出会い、とても感激しました。この本をぜひ韓国語にして出版したいと思います」

そんな便りを送ってきた彼女は、本を出してくれるソウルの出版社を探しました。その出版社は女性社長、女性スタッフの小さな出版社でした。実は当初、能見俊賢と私は、それほど多くを期待していませんでした。ところが「血液型人間学」にすっかり惚れ込んでしまった彼女たちは、驚くべき情熱で次々と翻訳出版を成し遂げていったのです。

彼女たちの精力的なPRのおかげで、TVの特集番組や幼稚園での講演会など、さまざまな企画が行われ、私と能見俊賢は、度々韓国へ訪れることになったのでした。私は能見俊賢の秘書として、やり取りの全てを行っていたし、女同士ということもあり、社長(B型)とも室長(A型)とも、他のスタッフとも、心友と思えるほどの深い友情関係を築くことになりました。
私たちは、「人類平和のための血液型人間学」という、同じ目的を持った同志として、心を一つにしていったのでした。

しかしその後、残念なことが重なりました。
2006年、それはほとんど半年ぐらいの間に起こったことでしたが、最初に韓国出版社のA型室長のお母上が倒れ、親孝行の室長は仕事を辞めざるを得なくなりました。そして室長が抜けた痛手は大きく、その上、「血液型啓蒙」にあまりに力を注ぎ過ぎたことで経営が悪化し始め(申し訳ない)、活動を継続することがだんだん困難になってきたのです。そんな矢先、日本側では能見俊賢が急死してしまいました。
私たちの"日韓共同啓蒙活動"は、この年を機に、一旦終了することになってしまったのです。

私は今、その当時のことを懐かしく、そして彼女たちへの深い感謝を思いながら、なぜ韓国と日本の関係が、上手くいかないのかを、冷静な心で見つめたいと思うのです。10年もの間、韓国の心友たちとともに、仕事の上でもハートの上でも、親密に交流した私は、韓国にも韓国民に対しても、何一つ悪い感情を持ってはいません。だから私は、上辺だけの分析ではなく、韓国の人々の思いも理解しながら、そして私が思うことを正直に書いておきたいのです。

思い返せば、私たちが韓国で啓蒙活動に励んでいた頃というのは、金大中氏(A型)が大統領でした。彼が親日派であることは、金大中事件とともによく人々に知られていることです。(※ただし一方で、教科書問題など、後に批判も多いようだが。)あの当時、比較的に私たちは仕事がしやすかったのでしょう。その後の2003年、大統領選挙が行われたのですが、出版社の友たちは、誰が大統領になるかと非常にハラハラしていました。誰が総理になっても人々の暮らしに大して変わりがない日本人の私にとっては、そこまで神経質になることを不思議に感じます。

「そんなに重要なことなのですか?」
そう聞くと、室長が言いました。
「韓国は、大統領が誰になるかで政策が大きく変わってしまいます。もし、親日派の大統領が選ばれなかったら、私たちはこのプロジェクトを続けることが出来なくなるかもしれないのです」
「なんとまあ!そういうことなのですね」

私は驚くとともに納得し、また、彼女たちの真摯な思いに、改めて感謝したのでした。
運よく、とりあえずそれほど強硬政策をとらないだろうと思われていた盧武鉉(O型)が大統領となり、皆でほっとしたのを覚えています。そんな彼女たちと接する中で、韓国人たちの政治動向に対する敏感さを、それとなく知ったのでした。

実は、私がいちばん最初に韓国を訪れた日、少々問題が起こりました。
手紙をくれた翻訳者の女性とレストランで食事をしていると、どこからか女が現れ、私にすごい形相で走り寄り、私を襲おうとしたのです。そして何か罵倒するよう言葉を言って去っていきました。翻訳者の彼女はビックリして慌て、ホテルの人を呼ぼうとしたのですが、私が「ケガも何もないから大丈夫。話を続けましょう」と止めたので、周囲の人々にもほとんど気づかれずに事が済みました。

私は翻訳者の彼女にききました。
「今の女性は、何と言ったのですか?」
しかし彼女は、答えたがりません。
「あの人は、少し頭がおかしいのです。本当にすみませんでした」
そう言って、謝るばかりでした。

私はそのことを、旅の期間中はすっかり忘れていたのですが、日本に戻って思い返し、少し考えてみました。これから活動するにあたっては、さまざまな事に心して対応しなければならないと思ったからです。
「あの出来事はなぜ起こったのだろうか?」「私に非は無かっただろうか?」

そうして考えてみるうちに、だんだん頭の整理ができてきました。
私が泊まったホテルはソウルでも観光客の訪れる地域ではなかったし、高級ホテルでもなかったので、日本人はひとりも見かけませんでした。そういう中にいて、私は彼女と日本語で、ペラペラとしゃべりまくっていたのです。ホテルのレストランなので静かでもあるし、聞く人によっては耳障りな違和感があったかもしれません。女は少し頭がいかれているとはいえ、その違和感に刺激されて暴走したのかも。

実際、振り返ってみれば、そのときの私の状態というのは、韓国で翻訳本が出るという喜びと、1年近くやりとりをしていた手紙の主と会える喜びで、多少興奮気味でもあり、また、研究の啓蒙という大義名分のもとで、少なからず傲慢さがあったに違いないのです。私は、浅はかな己を深く反省し、他国へ仕事をしにいく時の態度と心持ちを、ただしく改めなければならないことを理解したのでした。そして、韓国の人々の感受性の強さを、わずかに垣間見た気もしたのです。

そういうわけで、私は10年間の間に、さまざまな状況で、さまざまな立場、さまざまな年代の韓国人たちと出会い、交流しました。その間、日本では韓国ドラマの「冬ソナ」が大ヒットし、日本全体も一種の韓国ブームとなっていったのでした。しかしその頃も、すでに学校での反日教育は、韓国人若者たちの日常の一部として行われていたはずです。それにもかかわらず日韓の人々の交流は盛んになりつつありました。そして私は、最初の小さな事件以来、一度も不愉快な思いや反日の声を耳にすることはありませんでした。



(つづく)


2019-09-21

日本人はどこからやってきたのか?

DNA解析と遺跡から薄っすらと見えてきた新事実


以前、日本人のゲノム解析で分かったことについて記事を書いたことがありますが、最近、それらの事実やこれまで発見されている遺跡などを整理して情報発信している、ひとりの研究者が注目を集めています。

◎以下の情報の多くは、長浜浩明(作家、古代史研究家)さんによるものです。


↓これまでの見解
日本人のルーツということでこれまでいわれてきたことは、紀元前14,000年頃に縄文時代があり、紀元前400年ごろに朝鮮半島から渡来人がやってきて、弥生文化を築いたというものでした。朝鮮半島からの渡来人とは、主にモンゴル経由、朝鮮半島を経てやってきた漢民族系(支那人=日本の呼び方)の人々です。そして弥生時代以前の縄文時代に住んでいた人々は、北方の大陸からと東南アジア方面からやってきた人々ではないかと予測されていました。

↓新しい見解
これまでは、朝鮮半島から渡来人がやってきたといってきたわけですが、実は民族の流れは朝鮮半島から渡って来たのではなく、逆に日本から朝鮮半島に渡っていたのだということが、明らかになってきたのです。

これについては、最初に朝鮮半島の歴史を眺める方がより理解しやすいようです。
まずは言葉では分かりにくいので、単純な表にしてみました。
(※資料元は韓国国立博物館)

さて、朝鮮史を眺めてみたところ、人が住んでいた証拠となる土器類が発見されているのは、紀元前5000年以降です。これらは日本でいえば縄文土器のことだそうです。それ以前は、旧石器時代以来、文化があった証拠となるものが何も見つかっておらず、おそらく旧石器時代にいたと思われる原始民族は、何らかの理由で絶滅したのではないかという見解なのです。

ある日本の学者はこの資料を調べたとき、なぜ韓国に日本の縄文土器があるのだろうかと不思議に思ったそうなのですが、その後、長浜浩明氏の考えを知って納得したということです。一方、日本の縄文時代は、紀元前14000年以上前から始まっていたことが分っています。つまり、朝鮮から民族が渡ってきたと考えるより、日本から朝鮮に民族が渡っていたと考える方が、この表を説明することができるのです。

その他にもそれを裏付ける事実はあるそうで、たとえば縄文人の人骨も、朝鮮半島南方で発見されているのだとか。(ほとんど発表されたことはないそうですが。)また、朝鮮史は14世紀頃に始まり、その頃は南方に少しの倭人(日本縄文民族のこと?)が住んでいたことも書かれています。これは、日本から朝鮮に渡った縄文人たちが、北方からの漢民族たちに徐々に追いやられて南へ集まったと思われ、最終的には半島から追い払われてしまっただろうとのことです。

またそこに至る間には、朝鮮半島全土で漢民族とのゆるやかな混血が行われていたと予測されるわけで、そういう中で朝鮮半島は国の形成をしていくことになります。しかしその矢先に元王朝に攻められます。そして大陸で起きたあらゆる戦争にはつきものだった悲劇が起こります。敗者の男子は皆殺し、女子は戦利品として強姦、女子の場合は妊娠して生き延びることが多くなります。

↓新たな証拠
こうした史実を裏付ける生物学的な事実も分かりました。まず、女性によって遺伝するとされるミトコンドリアDNAを現在の韓国人で調べると、日本人と共通のものが存在するといいます。ところが、男性によって遺伝するとされるy染色体については、日本人と共通するそれがないのだそうです。現在の韓国人女性は日本人(縄文人)の因子を持つ人がいるのに、韓国人男性は日本人の因子を持つ人がいない。なぜそのような不自然な現象になっているかを想像するなら、前述のような歴史上の出来事があったからだと考えられるのです。

上記にあげたことを日本史の視点で整理するなら、日本には紀元前14000年以上前から縄文文化を残した人々が暮らしており、紀元前5000年ごろに日本のその一部の人々が朝鮮半島に渡って民族文化を形成しようとしていた。しかし北方漢民族の人々によって追いやられてしまった。ということになるのでしょうか。

更には、沖縄で興味深い古代の遺跡が次々と発見されています。それによると、旧石器時代といわれる27,000年前の人骨が発見され、また、約7000年前とされる縄文土器も発見されています。この縄文土器は、本島の群馬県で発見されたものと同じ形質のものであり、つまり、その頃すでに、沖縄を含む日本列島では、広くひとつの文化が形成されていたであろうと推測できるのです。

沖縄については、日本本土とは異なる民族と思われてきたところがあるのですが、これについても生物学的見地から調べたところ、それが台湾などの南方とも、大陸からの科民族とも異なり、日本本土の人々と同じであることが分っています。そして沖縄と対比してよく言われるのがアイヌ民族ですが、こちらは日本人とも沖縄人とも、あるいは大陸や南方とも異なるようです。(※ただし、縄文人特有の遺伝子においてはアイヌ民族が最も強く、次に沖縄、次に日本本土となるようです。この辺りは、アイヌや沖縄より、日本本土の方が混血が多いということかもしれません。)

ここで興味深いのは、日本本土の人々は、沖縄の人々のゲノムに比べると中国人や朝鮮民族にやや寄っていることろがあります。これは、日本本土では後に他国から渡ってきた人々をそれなりに受け入れてきており、ゆるやかな混血が行われたからだろうとのことです。そう考えると、沖縄の人々こそが、日本古来の縄文人の血統を強く残しているのかもしれないということになります。

これについては言語からもそうであって、沖縄の言語は日本古来の言語に、より近いのだそうです。一方の現在に至る日本語は、中国の漢字を取り入れたことで随分様変わりしてしまったのです。

しかし、それでは日本人の文明が大陸や朝鮮半島からではないとすると?現在の日本を日本たらしめ、日本人たらしめるものとは、どこからやってきたのでしょう?

以前の記事【科学ニュース】日本人のゲノムを解析したらどこにもない日本人特有の特徴が見 つかった!でも紹介しましたが、この日本人特有の特徴を持つ遺伝子というのは、おそらく縄文人の遺伝子に違いありません。しかし人類はアフリカを起点に拡散しながら渡ってきたと考えられているわけですよね?それなのに日本人は、地球上のどの国の人々とも異なる遺伝子を持っているというのです。(アメリカインディアンと少し近いのだそうですが)
謎は深まるばかりで、結局「日本人はどこからやってきたのか?」という命題に答えることは、まだできないようですね。


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ここで日本の血液型分布について再度紹介します。


この図があらわすところは、日本は関東を中心に東北へいくほどB型が多くなり、西南へいくほどA型が多くなるというものです。オレンジ色で囲ってあるところはXゾーンといって、どのタイプのゾーンでもない平均ラインの範囲内に位置するゾーンということになります。
沖縄はXゾーンですが、前に記述したように、沖縄は日本古代人の形質を純粋に残している可能性があります。西日本などは朝鮮半島と近かったため、その分大陸から渡ってきた人々との混血が進行したのではないかと想像できます。

だとすると、日本古来の元の血液型分布というのは、沖縄や東北に見られるようなXゾーン分布であった可能性が高くなります。つまりは基本分布ですね。また、日本人とは異なるゲノム(縄文人特有の遺伝子以外は異なるという意味だろうか?)を持つというアイヌの血液型分はこちらです。
           アイヌ民族 O型28% A型36% B型26% AB型10%

アイヌはAゾーンに入ります。B型もそれなりに多そうに見えるのですが、O型が少ないことで統計的なバランスではA型ゾーンになるのです。アイヌ民族は狩猟民族ですが、北方から何らかの理由で逃れて北海道にたどり着いたのかもしれないとのことです。

一方縄文文化というのは狩猟文化だと思われてきたところがありますが、土器の分析から稲作の証拠が見つかっているので、純粋な狩猟民族ではなかった可能性が高くなっています。

他に加えるとすれば北海道のO型の多さです。あるいはシベリアなどの北方から渡ってきた人々の影響があるのかもしれません。シベリア地域の血液型分布はO型が非常に多いです。また北海道でも縄文土器が多数発掘されていることから、北海道は日本民族、アイヌ民族、その他の北方民族が入り混じっているのでしょう。


さて、以上が日本人のルーツに関する新しい情報のまとめです。朝鮮半島との関係性において、これまで認識されてきたことと真逆のことが明らかになりました。また沖縄についても、これまで沖縄民族は言語も随分異なることもあって、日本人とは少し違う民族だと思われてきました。

実はこれらは、全く寝耳に水というわけではなく、遺跡や資料などはずいぶん前から存在していて分かっていたわけですから、よく調べればある程度の推測はできたはずなのです。ところが、それが学者たちの怠慢だったのか、あるいは他に政治的な理由があったのか。誰もそこに触れようとはしなかったといいます。そして今に至るまで、NHKのドキュメンタリー番組などにおいても、定説にしてきた「朝鮮半島からの渡来人が日本の弥生文明を築いた」と紹介しているようです。

しかしそろそろ、私たちは、真実を知る必要があるのではないでしょうか。こうして今、DNA解析の成果によっても、ごまかしようのない事実が次々と明らかになってきました。
そろそろ、潮時じゃないのかな。(←意味不明??)




2018-07-03

【2018 FIFA World Cup】決勝トーナメントの先に見えるもの

無念!ベルギーチームの迫力に抑え込まれた決勝トーナメント

日本時間、7月3日午前3時にキックオフ!
試合は後半、日本チームが立て続けに2点を先制します。
しかし、ベルギーチームがこのまま黙っているわけがありませんでした。その後は3点を返され、敗戦となってしまいました。
選手たち、どんなに悔しいことでしょう。しかしこの大会で、日本チームが確実に進化していることを、日本の人々に見せてくれたのは確かです。
日本選手たち、西野監督、ありがとうございました。そして心からお疲れ様です。

【2018 FIFA World Cup in Russia】観戦記録リンク
第一節 A型西野監督率いる"SAMURAI BLUE"
第二節 第2戦、血液型目線で選手を観察してみた
第三節 第3戦、親日国ポーランドの血液型分布は?


【試合結果】🏆ベルギー(3) × ジャパン(2) JFA,JP公式サイト参照
GK 川島 永嗣(O)
DF 昌子 源(AB)
DF 長友 佑都(O)
DF 酒井 宏樹(A)
DF 吉田 麻也(O)
MF 柴崎 岳(B)
MF 原口 元気(O)  48分1点
MF 香川 真司(A)
MF 乾 貴士(A)   52分1点
MF 長谷部 誠(O) 
FW 大迫 勇也(O)

柴崎(B)➡山口蛍(A)/原口(O)➡本田圭佑(AB)

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W杯を観戦しながら見えてきたのは日本全体の課題だった

試合後の西野監督のインタビューは、なかなか言葉が見つからない様子でした。そして、「何かまだ足りないのかな…」と、ポツンと言いました。

試合は、前回のポーランドとのゆるやかな流れとは打って変わって、スピードと勢いのある展開になりました。しかし日本が先制したことで、ベルギーの本気度は増大し、その後は誰のミスだとかそういうものではなく、迫力負けという感じだったという印象です。

選手たちのインタビューなどを聞いていると、日本チームのひとつの課題は、"受け身にならずに攻撃する"というようなところにあったらしいのですが、これについては観戦している私たち日本人の多くも、常に、少なからず思っていることかもしれません。
これはサッカーに限らないのです。「コンビネーションやチームプレイには優れているが、受け身と守りになりやすく、攻撃力に弱い」というのが、日本チームの常なる特徴となっているのです。

実際、私は4試合を映像で観戦しましたが、日本チームは、自分たちのペースで試合を作っていくというより、相手チームのリズムやペースに合わせながら試合を展開させているというのを強く感じました。周囲の空気を読むこと、相手に合わせて自分の出方を臨機応変に選択することが、日本人は非常に得意な人々なのです。

これを血液型的に分析した場合、この能力は、一見、A型的な要素なのだろうか?とも思うのですが、確かにA型は得意ではありますが、A的要素を持つAB型はもちろん、そしてO型も、それと同じような機能を持ち合わせています。なかでB型だけは、本来その要素をあまり持っていないはずなのですが、そのB型さえも、日本社会で成長する中で、B型なりの空気の読み方を会得してしまうので、集団行動をするときには、やはり同調する人々の中に埋没してしまう傾向にあるのです。

つまり日本人とは、その根源にあるものは未だ分からないのですが、とにかく、どの血液型も一丸となって、同調したり協調したりするのが非常に得意な、というか、ポジティブな言い方をすれば、世界の中で稀にみるほどそれに優れた人々なのです。これは、誇りにすべき日本人の特徴であり、決して失ってはいけないものです。しかしこうした勝負の場面では、それが足枷となり、大きな矛盾を抱えることになります。

ですから、「日本らしい試合とは何ですか?」と問われたら、「チーム力だ!」と答えたいところでしょうが、チームワークを保持しながら、尚且つ自らのリズムで試合を進めていくという本当の意味でのチーム力とは、かなり高度な、ある意味矛盾する要素を同時に扱わなければならないという難しさがあるのです。私は今回、こんなにも頑張って前へ進んでいる代表選手たちを見させてもらいながら、日本人全体が抱える、ひとつの大きな課題を確認したような気がしています。

サッカーでは、自分のプレーをすることを「パフォーマンスを見せる」という言い方をするようです。
それは自分の役割を熟知し、鍛錬し、演出するということであり、自分の個性をどう表現するかということでもあります。日本のサッカー選手たちは、世界へ出ていく中で、どうやらそれが不得意なことだと思い知らされ、そのことを強く意識してきたのだと思います。選手たちはそこのところを、日々一生懸命努力しているに違いありません。

しかしそれというのは、後から取り繕って身に付けられる性質ではないことを理解する必要があるのではないでしょうか。彼らがサッカー選手として成功するため,試合に勝つために、どんなに自分色を演出しようと頑張っても、日本社会が、日本人の集合的な意識が、そういうものを受け入れなければ、それは決して磨かれないのだということを、私たちは認識しなければなりません。

そもそも"個性(キャラクター)"というものに対しての理解が、日本社会にあまり根付いていないことは、最初の大きな問題です。ここでそれについて深く追求しませんが、簡単にいうと、個性を発揮するには自分のことを熟知しなければできません。そして自分の能力、自分らしさ、そういうものを自分自身が理解するようになっていくと、"自信"というものがごく自然と生まれてきます。自信があるないをよく言いますが、本当の自信というのは、信念や脳で植え付けるものではなく、自分の真実が分かってくれば、おのずと持ち合わせていくものなのです。するとその人は、揺るぎない、ブレない、その人なりのマンパワーを自然に発揮できるようになります。

西野監督の「何かがまだ足りいない…何だろう?」という問いに、私がもし答えるのだとしたら、こうしたマンパワーが、今一つ足りないのではなかろうか、と思った次第です。そしてこれは、サッカー選手だけに課せられた課題ではないはず。日本社会として日本人全体が、今後取り組まなければならない、大きなテーマではないだろうかと、今大会で選手たちに、まざまざと見せられたのだと、私は受け取りました。

とはいえ、2点を先制してからのベルギーチームの反撃の迫力は見ごたえがありました。
ふと思ったのは、後半10分の選手交代で、O型やB型のパワーを投入していたら、どうだったのかな?と、血液型考察的には、時間を戻して試してみたい衝動にかられます。BとOが抜けてAとABに交代したわけですから、チーム全体としては守りの態勢になってしまった感があります。もちろん血液型を知らないとできないことかもしれませんが、「こうなったらイチかバチかだ!」ぐらいの勢いでOとBの攻撃態勢を作れたとしたら、ひょっとするとひょっとする奇跡が起きたかもしれません…よね。しかし、そんな無謀なことをA型監督はあまりやりませんよね。O型の監督だったらやったかもしれないな…。などと、独り言をつぶやいておりました。

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【2018 FIFA World Cup in Russia】観戦記録
第一節 A型西野監督率いる"SAMURAI BLUE"
第二節 第2戦、血液型目線で選手を観察してみた
第三節 第3戦、親日国ポーランドの血液型分布は?


2017-11-06

Terima Kashi ! インドネシア2017年(おまけのプロローグ)

インドネシアの適当さ加減が心地良いかも


(写真はカリマンタン島のサンボジャ自然保護地区に居るオラウータン。スタッフのお兄さんたちが名前を呼ぶと、「しょうがないな、サービスするか」という感じでノソノソと出来てきてくれます。とってもファニーな方たちです!)

インドネシアの1か月の旅が終わります。
1か月のあいだ、ひとりも日本人に会わずにインドネシアの人々の中に埋もれていると、自分が何人でも、そんなのはどうでもいい気になってきます。
そんな気分の中で、インドネシアを振り返り、そしてまた、日本を思いながらの感想です。
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日本人の公共の場におけるマナーの整い方は見事なものだと思います。
それはある状況では賞賛に値するものですが、しかしある状況では無意味で馬鹿げたものだと映ることもあります

たとえば休日のエスカレーターで、意味もなく1列に長い列を作り、歩く人のためのスペースをガランと空けているのを見たりすると、この無駄な空間は誰の為のものなんだろう?
...そもそも、急ぐ人は階段を上れ!と思っている私にとっては不思議としか言いようのない光景です。

あるいは最近、格安飛行機に乗る際に車椅子の人がデッキの階段を這って歩かされたと、航空会社にクレームを出し話題になったと聞きました。
日本のメディアや一般人の多くは、この航空会社を責め立てたというのですが、これもまた、私には不思議でならないことです。
どうか、それが起こった状況を想像してみて下さい。
周りの人々は、車椅子の彼が這ってデッキを上がるのをただ眺めていたのでしょうか?すぐにかけつけて彼を助ける人は居なかったのでしょうか?
もしも、周囲の人々がこの不運な状況を積極的に支援する雰囲気がそこにあったら、彼は航空会社の人手不足による不備に怒るより、むしろ人の温かさに感激する絶好の機会になったのではないでしょうか。
結局のところ、これは誰の役割、これはここの責任、というように、あまりにキッチリとし過ぎることが、人の優しさや温かさを封じ込めているのではなかろうかと、私は考えてしまうのです。

そんな日本の最近の風潮に、日頃からホトホト呆れていて、何とも言いがたい窮屈さを感じていたわけですが、インドネシアに滞在しながら、この国の適当さ加減が、なかなか心地良く感じるという場面が多々ありました。

(ジャカルタ・スカルノハッタ国際空港/このデッカイ風呂敷を積み上げたようなオブジェをよく見かけましたがこれは何なのかを聞くのは忘れてしまいました。何だろう?)
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空港というのは、どこの国でも大体同じようなシステムを導入しています。
搭乗口のゲートで待つこと数十分。機内の準備が整うと、乗客は飛行機に乗り込むわけですが、こんなとき、インドネシアの人々は列の途中からでも適当に、どんどん割り込んで入ってきます。
でも、誰も怒る人もおらず、何となく入れてあげて、何となく列を作り直しなが自然に進んでいきます。

これが日本だったらどうでしょう?多くの人は何てモラルが無いのだろう、と思うだろうし、そのうちには、「ちゃんと並べ!」なーんて、怒鳴りだす人が出てきそうです。
でも、考えてみれば、先に並んで先に入ったからといって、どうということはないのです。いずれは全員が乗れるわけですから、目くじら立てて怒るほどの事でもないのです。

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インドネシアの道路には信号が滅多にありません。
横断歩道はもちろん、人のための歩道というものも、無いも同然です。
じゃあ、それに比例してそんなに事故が多いのか?といったら、そこまで多いということもなさそうです。
街はどこも、たくさんの人と車とバイクで溢れていますが、皆んな、何となく、適当に譲り合いながら、ちゃんと上手く流れているのです。

日本の道路は信号が、これでもか、というほどたくさんあります。たまたまそこで人身事故などがあると、危ない道ということになり、新たな信号や横断歩道が次々と設置されるからです。
そのせいで、まるで人間が信号と標識に支配されているかのような状態になっているのかもしれません。
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(すこぶるワンパクな3歳の男の子。将来が楽しみなくらいですが、食堂でハードな遊びを開始。大工さんのつもりかティッシュの箱をスプーンでバンバンと店中に鳴り響くほど思いっきり叩き始めました~すると店の若い店主?30歳前後の男性が笑いながら言います。「OK!壊れるまで叩いていいよ」~なんとも大らかな発言。お兄さんは呆れて言ったのかもしれませんが…。)

インドネシアの人々は、子どもに対してとても大らかです。
インドネシアは中国やインドに次いで人口の多い国ですから、たくさんの子どもがいます。
今度のインドネシアの旅には、スタッフが3歳になる男の子を連れていました。
そしてこの子が大変なわんぱく坊主で、好き勝手に駆け回っては大人たちをハラハラさせるのです。
ところがインドネシアの人々は、この傍若無人で無邪気な子を、むしろ微笑ましい笑顔で見つめます。驚くことはあっても、怪訝な顔をする大人はひとりとして見かけませんでした。

コレが日本だったら?
おそらく親が、身の置き場がないほど白い目で見られるのは言うまでもないでしょう。
これに関して良いか悪いかは別の問題として、インドネシアの人々の、子どもを受け入れる寛容さにはちよっと驚かされるのです。

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インドネシアで買い物をすると、お釣りは結構適当です。
120ルピアが1円ぐらいなのですが、買い物をして、たとえば200ルピアや500ルピアのお釣りがお店に無くて店員さんが困っていそうな時など、「お釣り要らないよ」と言えば、「サンキュー」という感じでOKになります。
日本では、お客がそうしたくても、やはりそういう分けにはかないのです。たとえ1円たりとも間違いなく計算されていなければなりません。
1円とか2円のお釣りはできれば募金BOXに入れといてほしい私にとっては、それはむしろありがたいことでした。

管理の行き届いた社会は、一見スマートで過ごしやすそうに思えます。
けれど、物や、人の心まで、どんどんシステマチックに整備されて行く日本の姿を見るたびに、マザーテレサの言葉を思い出さずにはいられません。

「この国には愛が足りないのです」
1980年代、3度訪日したマザーテレサは、整備された環境、行き届いた教育、平和で安全に暮らす日本の人々に触れながら、そう言い残しました。

当時それを聞いた私は、大きなショックを受け、以来、その言葉は私の頭の片隅にいつもありました。
日本人は、そんなに愛に乏しい人々なのだろうか?
愛とは何?

そして、こうして、インドネシアという南国の、大らかともいえる適当さ加減に身を置きながら、思うのでした。
もしかしたら、日本の整い過ぎたシステムが、日本の人々の温かさを引き出す隙間を失くしているのかもしれないな、と。

では、そんな日本で暮らしている私たちはどうすればいいのだろう?
この、世界一管理の行き届いた日本という社会で、封じ込められている愛を、どうしたら解放できるのだろう。

日本人たちは、何とか愛を見つけ出そうとしているように見えます。
たとえささいな事でも、人の心のある行動はすぐに話題になり、感激され、おおいに喜ばれます。

けれど、もっと寛容で、もっと賢くならなければならない気がします。
便利で整った社会にあって、尚、愛が失われないという、理想の社会を目指したいものです。
それは、愛をわざわざ探し出さなくても、普通にそこにある。当たり前に、いつもそこにあるという社会です。
そんな世界を、日本が実現する日を思います。

まあね、だからといって、そう多くを期待せず、かといって諦めもせず…。南国の陽と人々のまあるい笑顔を浴びながら、まあまあ、適当にと、空を見上げたのでした。

(今回の旅行記の概要は以下に記録しています。)

補足データ)
社会的援助の国際比較調査結果
「困っている見知らぬ人の手助けを先月あなたはしましたか?」=日本人の比率は世界38カ国中最下位22.7%