2017-07-25

左右脳の使い方を知ると実現化パワーが増大する


しくみを理解せずに引き寄せの法則を使ってはいけない!


あなたの夢や願いを実現させよう!

それは『引き寄せの法則』という表現でここ最近までよく言われてきたものです。この概念は、2000年あたりから米国で燃焼し始め、その後日本に上陸したのではないかと思います。

しかしこれは、特に新しい発見という訳ではないのです。私たちは、日々の生活の中で、似たようなことをたくさん経験しています。「あ〜、イヤだ」って思ってたら、お腹が痛くなっちゃった、とか、起こらないで欲しいなぁ…ということに限って、起こってしまったりとか。

私は中学生のとき、あるネガテイブな自分の考えがそのまま目の前に現れたのを見て、恐れを抱き、「これからは決して悪い事を想像したりしない!」と自分に言い聞かせたのでした。それからというもの、よく大人達が言うような…「そんな事するとバチがあたるから」、などの脅し文句のたぐいも「そう信じなければいいのだ」という信念でことごとく無視してきました。それが果たして私の人格形成上、良かったかどうかは別として、私があまり周囲の動向やその渦に巻き込まれずに、ノーテンキにこれた理由かな?とも思っているのです。

これは私が若い時に気がついた、一種の『引き寄せの法則』なのだと思います。まあこんなふうに、それぞれのやり方で、私たちは既に、引き寄せの法則を実行していたのではないかと思うのです。ただそれは、ある面やみくもで、そのしくみを理解出来ていたわけではないのでしょう。そのため、私たちはそれを、どちらかというとネガテイブな方向に使っていたことの方が多いのです。それを事を分けて説明し、このしくみが宇宙の法則のようにあらゆるところで働いているのだと伝えているのが、今言われる『引き寄せの法則』です。

私が大人になって、その知恵にあらためて触れたのは、ナポレオン・ヒルの「成功哲学」という本だったと記憶しています。アメリカ旅行に行ったとき知人に会い、そこに居合わせた留学中の日本人男性が、その教義にハマっているといい、興味を持ったのでさっそく本を探してみたのです。

その頃、他にもいろいろなものを読んでいましたが、私のお気に入りはジョセフ・マーフィーの「眠りながら成功する」という本でした。(原題は「The Power of Your Subconscious Mind」~潜在意識の力~)これを書いたのが牧師さんのせいか、私の心に響くような内容が多かったのです。(最近は「マーフィーの法則」という表現になっていると思います。)

とにかく、何か面白そうな事だと、直ぐに実践してみたくなる性分です。それで、もちろん、これについても実践したのは言うまでもありません。そして、なるほど、面白いくらいに物事が実現していくさまに、感動したり驚いたりしたのでした。ところが実践していく中で、次のようなことに身をもって気づかされ、これはものすごく、慎重に扱うべきだということを理解したのです。
  • この法則は真実の法則であるということ
  • 使い方を間違えると自分でも思わぬ方向へ物事が進むということ
  • 実現することとしないことがあるということ

私は、自分がまだこの原理を本当には理解していないという愚かさに気づき、この法則を安易に使うのを一旦やめたのでした。だって、もしも100%完璧に使いこなすことが出来る人が居たとしたら、地をも揺るがすことが出来てしまうのですよ。


血液型の脳特性を知って思考をコントロールしよう


とにかく、まずは”しくみ”を知ることは大切だということです。この法則の原理は、まだ私たち人間の科学では理解しきれていない神秘的な部分もあります。何しろ、”宇宙の法則”なのだから。けれどここでは、とりあえずこの物質界において理解できる部分に焦点をあてて、いくつかのポイントを挙げてみます。
  • 思考に迷いがあってはいけない
  • 明確に思い描けるような内容であるのがよい
  • あくまでも自分中心に作用する
  • 感情、思考、行動が一致していなければならない
  • このしくみを信じきっていなければならない

本来ヒトに備わっている能力なので、誰でも使え、既に使ってもいるのです。ところが意識的に使おうとした時には、知識と訓練が多少なりとも必要です。自転車に乗ったり泳ぎを覚えたりするのに似たようなところがあるのです。4番目と5番目あたりは重要で、知識と訓練が必要なのはこの辺りです。私たちは無意識に、「感情ー思考ー行動」の不一致を平気で行っているのです。

ですので、ここを修正したり、コントロールしたりする必要があります。5番目の「信じきる」ということは大前提となる部分でもあります。この「信じる」ということに関しても、私たちの多くは正しく理解していないところがあり、間違った信念を持っていることが多いのです。

さてここでやっと血液型の話です。少し前の記事で、血液型と脳機能の関係について紹介しましたが、つまり、自分の血液型による特性を理解することで、これら思考のコントロールを効果的に行いましょうということなのです。また、信念体系においても、血液型による傾向から修正改善を手助けすることができます。

ひとつには右脳と左脳の使い方を知ること、もうひとつには自分の思考の癖や信念体系を見直すことがエクササイズのポイントとなります。たとえば、右脳左脳に関しては、一見すると右脳タイプが有利なのか?と思い違いする人が多いです。ところがそういうわけでもないのです。両脳を適切に使うことが必要です。

誰でも備わっている能力とは書きましたが、得意不得意はあります。理論理屈なんか知らなくても、スイスイ〜とやれてしまう人もいます。とはいえこの法則、しくみは至ってシンプルですが、奥は深い。

ブログ記事では具体的なところまで説明しきれず、いうほど簡単ではない部分もありますが、現段階では、血液型の脳特性が分かってきたことで、自分の思考の癖を理解しやすくなり、こうした法則にも応用することができそうだとお伝えしておきます。

血液型についても、引き寄せの法則についても、理解してから活用することをおすすめします。具体的な方法がお伝えできるよう、今後も研究を進めていきたいと思います。



2017-07-20

【科学ニュース】日本人のゲノムを解析したらどこにもない日本人特有の特徴が見 つかった!

日本の特異性とはいったい何を示すのか?


「日本の特異性について最近よく考えるのです」ということを、過去の記事でも書きましたが、歴史も地理もひどく苦手なわたしは、生まれた国でありながら日本についてはむしろ、無知無学と言ってもいいくらいです。しかし「血液型人間学」ということに関わったおかげで、”日本の人々”については考えさせられる機会がしばしばあります。

ただし、わたしが日本について考える動機というのは、他と少々異なっているかもしれません。

・なぜ日本で血液型の研究が早くから始まったのだろう?
・なぜ日本中にこんなに血液型が浸透したのだろう?
・日本の血液型分布(4:3:2:1)が特別なのには意味があるのだろうか?
・日本の人々は血液型の事実を受け入れてながら認めないのはなぜだろう?
・・・etc
という具合に、血液型がらみになるからです。

この研究は、新種の分野ということもあり、またそれを、能見正比古が”フィールドワーキング”という考えで大衆に広めた、というのがあり、実にさまざまな扱いが為されてきました。もちろん個々には、とても心温まる扱われ方もあるのですが、まあ日本社会全体...という観点からは、「ひどい扱われ方だなあ…」というのが多いのです。しかも困ったことに、「こんなもの要らない!」と相手にされないなら、それはそれで仕方ないですが、それでいて、興味シンシンのところがあり、あちこちから変な茶々が入ったりするので、何だかんだ、厄介なのです。それで、その度に、つくづく思うわけです。

「日本の人たちは、いったい、どうしたいんだろう?」

それにわたしは、海外でもこの研究を伝えていますので、日本と他国での、反応の違いというか、受入方の違いのようなものも、肌で感じたりもしてきました。あるいは、ことさら意識したくなくても、国内外の取材人らに「日本人はなぜ血液型が好きなんですか」と、度々聞かれたりするので、結局考えざるを得なくなるのです。

そんな背景があった上に、最近の世界の変わりようの中で、相変わらず、ノホホンとしている日本の人々を眺めながら、わたしのレーダーがやけに”日本人”に向いていたわけです。そこへもってきて、興味深いニュースが飛び込んできたので、「おや?」と思ったので、記録しておこうと思います。

日本人のゲノムは西洋はもちろん他のアジアとも異なる!?

東北大学らが、日本人およそ3500人の全遺伝子情報を解析したそうで、すると、世界中の何処とも異なる日本人だけの特異性があるらしいと分かったと言うのです。

東北大学がプレスリリースに概要を掲載しています。
日本人 3,554 人分の全ゲノムリファレンスパネルを作成 

ここでまず興味深いのは、他国と異なると言っても、西洋の人たちのことなら当然とも思うのですが、アジアの国ともだいぶ異なるという点なのです。

(プレスリリースから一部画像をお借りしました)
ベージュ色の集まりが今回のデータで、東アジアのそれと座標上で比較しています。
明らかに、異なるフィールドにいるという感じです。

アジアと言っても主に中国ですが、お隣の国ですから、もう少し近くてもよさそうなものです。これを聞いて、驚いた人もいるかもしれませんが、私のように、「ほら、やっぱりね!」と思った人も案外いるかもしれません。

以前、日本人は”記憶喪失に陥っているのかもしれない”ということを書いたのですが、今読み返すとかなり意味不明な文章で、読んでもらうには申し訳ないー。ここで要約すれば、「世の中があまりに違う形に変形していく中で、”日本魂”は封じ込められたのかもしれない」ということを書きたかったものなのです。

ですので、「ああ、やっぱり!」と、こうしたニュースを聞いて記憶を取り戻しかけていく日本人もいるかしらと、ちょっと期待しているのです。

また、それとは別に、日本の中でも多少の地域性が示されています。西日本、中部、東日本というふうに、きれな集合域を織りなすのが見て取れます。

そして、この日本地図の色分けが「あれ、確かどこかで見たことあるよ」というものだったので、下にここに並べてみることにします。
どこかで見たことあるというそれは、日本の血液型分布です。西日本、中部、東北という3つの区域で、ある程度はっきりした偏りを示しています。偏りと言っても数値的には数パーセントの事なのですが、それでも地域性といえるものとして、血液型学や民族学などの分野でしばしば取り上げられてきました。

この二つの図表は、妙に重なる感じがします。そしてこの集合域を最初の図表と重ねると、東北に行くほど他のアジアの人々から遠ざかるということになります。

それから、これに関連して、2年ほど前に縄文人のDNA解析が行われたというニュースも思い出しました。こちらにそのチームによる説明記事があります。(生命誌ジャーナル)

ここで、今回のニュースとは少し方向性がずれるかもしれないのですが、わたしの思うところを加えると、この縄文人のDNAというのは、福島の古墳から採取したものです。今回のDNA解析も東北大中心の研究だったせいもあり、東北人のサンプルが多いようです。つまり、「縄文人の特異なDNA」と、「東北へ進むにつれB型が多くなる」のと、今回の「他の国々とは異なる日本人のDNAの発見」という3つの事実は、微妙に関連性があるかもしれないというものです。

もちろん、これが何を意味するのか?というのは、まだよく分かりません。日本の歴史の縄文時代というのは、非常に謎に包まれています。縄文期から弥生期に変容した経緯も、未だによく分かりません。弥生人系の人々は朝鮮半島経由で大陸から渡ってきたと言われてきましたが、その辺りのことも不明な点が多くあります。(←最近のある見解では、弥生人系と縄文人系を明確に分ける証拠は、実はないのだとも言われていますが。)

それでは日本にもともと居たとされる縄文人はどこから来たのでしょう?どうやって発生したの?(←へんな表現ではありますが)縄文人のDNAは、南アメリカのインディアンとやや近いということも興味深いことです…やはり大昔には大陸があったのかも?…なんて。(そうです、アトランティスと並んで噂される幻の大陸、”ムー大陸”のことです。)

パズルのピースは、まだ揃っておりません。埋められないピースが多いのです。




2017-07-16

自分の意思を表明しない日本人的特性には、果たしてどんな意味があるの だろう

Facebookの「いいね!」で分かったことがある


私は、Facebookというものを、日本に上陸した2010年の当初から使っています。ずい分と、インターネット通だと思われるかもしれないのですが、きっかけは単に、その頃から啓蒙活動を始めていたインドネシアとのコンタクトをスムーズにするためでした。

当初、実名登録が必須のこのSNSが、日本に受け入れられるかどうかを問われていたようですが、警戒心の薄弱な私自身は、そういうことにあまり不安はなかったのですが、取り敢えず、それなりに広がりは見せたようです。

そして、ここ数年、いろいろ社会情勢の変化を感じるなかで、このツールの使い道を改めて考えてみました。まず思ったのは、Facebookを、日本の人々はどんなふうに使いこなしているのだろう?果たして日本において、Facebookはどう機能しているのだろう?というような事です。

たとえば、「日本人と外国人のFacebookの使い方の違い」という記事を見かけたことがあります。「FacebookよりTwitterの方を日本人は好む。」というような記事もあったと記憶しています。それで私は、Facebookへの自分の投稿にくれる「いいね!」の付き具合を眺めながら、いろいろと、考えを巡らせてみたのでした。

まあ、そもそも知り合いの数は少ないので、敢えて数字を披露するほどのことはないですが、少ないながらも、私の投稿に「いいね!」が沢山くれるケースというのは…キレイな景色の写真を上げた時、美味しそうな食べ物の写真を上げた時、などです。

私の活動を報告するような投稿は、その次ぐらいに多いように思います。私の活動を”応援しているよ”という、友人たちからの、温かいエールの印です。

そして、最も少ないのは、私が自分の意見を主張した時、政治や社会情勢に言及したとき、何らかのメッセージ性のある呼びかけをしたとき、などです。そいうときは、まるでその場から人々がスーッと消えたかのように...もしかしたら、私がその投稿ごと消えたかのごとく、周囲からは見えなくなってしまったように、とにかく、ことごとくスルーされてしまう。

日本人と外国人では”Facebookの使い方が違う”という記事には、”日本人は自分の意見を発言する投稿が少ない”、というような事が書いてありました。

うーん、たしかにそうね…こんなにウケが悪いんじゃあねと、自分の投稿の分析をしながら納得せざるをえません。「そりゃ、単にアンタの投稿内容が悪いだけじゃない?」と、自分自身にツッコミを入れたい気もしなくはないなですが、敢えてそれは無視してやっぱり考えてしまいます。何というか、今流の表現で言えば「空気読めよ!」的なムードさえ感じます。Facebookは社交場であり、公共の場と捉えれば、そういうものかもしれません。

これ以上深読みしても、どこまで的を射ているかわからないので、Facebook分析はこのくらいにして、しかし日常でも、あるいは仕事を通しても、『日本人の意見を表明しない状況』というのをしばしば感じてきたので、いろいろと芋づる式に思い出すです。

日本人の奥ゆかしさには深い秘密があるのかもしれない!?

ある日私は、長年親しんでいるヨガのグルが、インドから訪日するというのでその会場に喜び勇んで行きました。このグルは、世界中に1億人もの支持者がいて、尊敬されるだけでなく、人々にとても”愛されているグル”です。日本では初めての講演ということで、関係者らも相当に頑張ったようで、1000人規模の会場を用意していました。それなりに人も集まっています。集まった方達は、ヨガに関心がある人と、その家族や知人というところでしょうか。ヨガもグルもインドが拠点なので、日本に滞在しているインド人たちも2割ぐらいきています。

グルから平和な世界へ向けた講話があり、話のクライマックスに、会場の皆んなにこう呼びかけました。
「平和を愛し、実現するという人は、手をあげて下さい!」

私は即座に、元気良く、小学生のように「はい!」と手を挙げたのですが、何とも白けたことに、私と同じ人は会場の2割ぐらいです。そして残りのうち半分くらいの人が、恐る恐る「ハ…ィ」と、いかにも遠慮ぶかげに反応していたのでした。つまり、手を挙げなかった人も4割くらい居たわけです。元気よく手を挙げた人々というのは、結局ほとんどがインド人たちというわけです。

「あらまあ…そうなの?」と私が不審に思って周囲を観察していると、グルも微笑みながら、穏やかな口調ではありましたが、こういいました。

「ここでは、全員に手を上げて欲しかったんですけど・・・」
そりゃあ、そうですよね!?

平和に賛同するかどうかの意思表明ですよ。考え込む余地は無いと思うし、誰に責められることも、責任を問われることもないのです。だからといって、日本の人々は平和を望んでいる人が少ない?とも思えないのです。

私は、あの時の残念さというか、摩訶不思議さというか、もやもやした気分を、今でもよく覚えています。日本の人たちはこんな時にも、自分の意思を表明することをためらうのでしょうか?私の感覚では、グルの今回の講和の意図とこの会場の目的を考えたとき、賛同の意を表明しない方が、よほど空気が読めていない気がするのでした。

私は、『日本人の本当の気持ち』が表明されない、そんな歯がゆい経験を度々重ねながら、いつか、その根幹を追求し、日本人を見つめ直したいという思いが、ずっとありました。もちろん日本人をイタズラに非難したいわけではないのです。それにここで「日本人」と表現しているのは、個々の人を指しているのではなく、『日本人の集合意識』です。

そしてこの、日本人の不思議な感性を客観的に眺めてみる。冷静に観察すれば、これらはある種の調和性というか、協調性の変形とも見えます。周囲の状況をよく吟味してから一歩を踏み出すという、慎重さの表れのようでもあります。またある種の、奥ゆかしさとも捉えることが出来ます。

そんなふうに見直していけば、決してネガティブな面だけというわけでもなさそうで、『自分の意思を表明しない状況』には、コインの表と裏のような面があるのかもしれません。

では、こういう日本の集団的特性において、血液型との関係はどうなのでしょう。一見すると、そういう奥ゆかしさ的な感じはA型性を想像するかもしれませんが、安易には語れないところもままあります。集団意識としては、他の血液型も同調しているに違いないからです。
集団的特性に対する血液型ごとの反応の違いは、日本人としての集団的特性を理解した上で考えなければならないのかもしれません。

結局、今のところ、考えても答えは見つかりそうにありません。

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2017-07-09

何ともAB型的なおっちょこちょいぶりを発揮しながらお参りに行きました!Part2


数日前に書いた、伊豆山神社のお参りお道中の続き、ということで今日は「Part2」を載せたいと思います。
「続き」といいますのは、伊豆山神社には、もっと奥に”本宮”があるということが分かった次第で、まあ、いずれにしても前回は、あまりにも思いつきで行ったため、下調べもせず、また服装や靴の準備も不十分だったものですから、再挑戦しようと思っていたのです。
資料館の脇に、それらしき道があります。
結構な、道のりのようです。
説明を見る限り、1時間ほどかかります。
「修行のための道であったため、険しい道が続きますのでしっかりした服装で!」というような注意書きも。

大丈夫です!
今日は覚悟して参りましたよ。

トキは、朝の6:40分!
出発します!
わぁ~~
とはいえ、ほんとだわ。

このような感じの山道が、永遠と続くようです。
この時間ですから、人っ子一人おりません。

「あ、忘れた~~」
準備万全といいましたけど…
虫刺され防止スプレーが必要だったみた。
蚊がすごいです。

AB型は、O型に次いで蚊にさされやすいらしいのです。
私も本当に、蚊に好かれます。

フーッ
登って、登って…登って…
20分くらい歩いたのかナ…

小さな神社を祭ってあります。
すこ~し
休憩させてもらいました…

…が、長く留まっていると蚊にさされます。
とにかく、まだまだ、
どこまでも、登り続けるようです。

もしかして、半分くらいは来たのかしら?
という当たりに、石が
←こんな風に積みあがっていました。

みんなやっぱり、この辺りで
あーあー、まだなのかしら~
という感じで、一息つくのかな?

何も無い山道で、こうして、人が歩いた形跡を見つけると、ほっと、安心します。(アリガトウ)
それより私は
自分でも自信を持って方向音痴なので
(…というか、とにかくなぜか、人と違った方に進みたがる行動傾向にあるのです。←これは、AB型のせいではないんだと思うのだけど。)

ああーー、でも良かった。
こういう道しるべに出会ったということは
一応、行くべき道へ進んでいるということですよね。
もう少しなのかなあ…
でも、頭は空っぽだし、息は絶え絶えだし、携帯を取り出して、時間を見る気もしないし、もちろん写真を撮る気になんかに、ならない。
立ち止まると、蚊が集まってくるし、、、無心で歩き続けました。

ああ、もしかして
着いたのかもしれない?
「ここからは聖域です」
という小さな看板が…

そして向こうには入口らしき鳥居も見えます!!
わーぃ

心なし、足どりが早くなるワタシ



しかし、やはり喜びすぎるのは、誤りでした。
あー、ホントに、ワタシという人は、いかんせん、早とちり早飲み込みが多い!
いくつになっても改善されない悪癖~
どうやら、ここから、更に上に登るような雰囲気です。
留目の、最後の道のりか!
ようやく、今度こそ到着です!!
無事に、本宮に、たどり着くことができた。

伊豆山神社本宮は、静かに、ひっそりと佇んでおりました。


トキは、朝の8:00頃

太陽も高く顔を見せてくれました!

1時間も山道をハイキングしたのは…
もしかすると、中学生の時、以来かもしれません。

近くに富士山を頂く伊豆の山々は、何か、神聖な空気が漂っています。
今日は満月。
何もかもが満たされています。感謝ー

2017-07-03

何ともAB型的なおっちょこちょいぶりを発揮しながらお参りに行きました!Part1




梅雨の晴れ間
伊豆山神社にお参りに行ってきました。

熱海に移り住んでおよそ1年。
散歩コースの途中にある来宮神社ぐらいしか行ったことがなかったのですが
熱海の人から「伊豆山神社という由緒ある神社があるよ」と聞いていたので
一度行ってみたかったのです。
そのオジサン曰く「すご~~い長い階段の参道だよ、大変だよ、バスで近くまで行った方がいいな」
私曰く「その参道を登るからイイんじゃないの?」

そんな会話が交わされてから、半年も経ってしまいました。

その日の早朝、「よし!バイクで行くぞ~」と思い立ち
私の相棒、原付バイクでGo!

ナビで場所を確認すると所要時間は10分くらい。
すぐじゃん!
方向音痴だけど着けたゾ(途中道を一本間違えて戻ったけど…)

ここだわ!
ああ、確かに、由緒ありそうな雰囲気。

階段は170段と書いてありました。

「な~んだ、そんなに長くないじゃない」
オジサンの話を思い出した私は、安易にそう思いました。

*本殿前です。
写真を撮りたかったのですが、赤ちゃんを抱いたご夫婦が楽しそうに撮影されていたので遠慮しました。
私は近くですからいつでも来れます。

*茅の輪くぐり
くぐり方⇒こちらで参照
八の字に「左に回り→右に回り→左に回り」とくぐります。
心身を清めるのだそうです。
この八(8)(∞)の字まわりというのは
本当に意味があるんですよ。
円を描くことで時空のエネルギーに乗れるのです。

*光る石!
座ってなでなでしてみました。


*この高さから見える景色です。
気持ちがい~い

少しのんびり楽しみたいところですが、仕事もあるし(オンライサロンの準備をしなくちゃ!)、本日は帰ろうっと!

ということで、170段の階段をおります。

おーし、帰るぞ!
と駐車場に停めた私の相棒に声をかけ
エンジンをかけます。

……ぶ~~----ん...
……ぶ~~----ん...あれ?
……ぶ~~----ん...か、かからない!?
あららら。

まあ、実は初めてのことではありません。
相棒は、そろそろお年も召してきまして、ときどきそういうことがあるのです。
久しぶりの登り坂全開エンジンだったので、疲れちゃったんですね。
う~ん…と、下り坂を、エンジンなしで自転車のように転がす…という方法もある!
が…、あーだめ、だめ!
この場所でそれを試すのは、さすがにリスキーよ。
道はどっちを見ても狭く険しそうな上り下りが入り乱れており
万一かからなかった場合…どうすんの?

仕方ないので、1時間ほど時間をつぶして待ってみることに。
で、飲み物でも買おうかと、鳥居の向こう側を見渡すと…
あれ?
この、下に長く降りている階段は、何だ?

よく確かめると、この階段も参道らしい?

私は「そっか!」
と、オジサンとの会話を再度思い出しました。
大変って、、、この階段のことを言ってたんだ。
ははは…

じゃ、私はあれですね
オジサンお勧めの、ショートカットをしたってわけですねwww(ナビはいろんな意味で、エライね~)
←ほれ、ちゃんと書いてあるじゃないサ

OK~
どのみち相棒を休ませる時間が必要なんだ。
よしゃ、降りて、そして登ってこようじゃないのさ!

参道を登る覚悟で、その為に、せった履いてきたんだから!(?)
それに、あのオジサンに万一会ったら
「行きましたよ!もちろん長い参道を登りましたよ!」
と言ってやらねばなりません。


そういうことで
降りて↓登る↑覚悟で階段を見下ろしますと…

う…
ぜんぜん先が見えない…
(先が見えない、っていうのは、AB型的には、とても辛いんです)


あれ~まだ?終わりが見えないじゃん!


どこまで続くのか…。



お、もしかして、このアングルが最後?
あの先に見えるのは道路?

そしてその先に海が~

見えた~
先が~

終わりの「先」が見えたら、急に元気になりました。(AB型だよ、あまりにも)

この後、この長~い階段を、登るんですけどねえ。
でも、先の見えない階段を下り続けるより
ぜーんぜん、苦にならないわけですよ...
(わぁ~~アタシったら、AB型全開じゃん!)

で、登り↑↑↑↑ましたよ。
途中息切れして、2度ほど立ち止まりましたけど。
下から、ひとり、おじさんが、スタスタ登ってきていました。
(元気いっぱいに…;)追い抜かれる勢いです。

猫ちゃんも一緒に登ってきたみたい…
あんた、涼しそうな顔してさ、息切れしてないの?
…猫が息切れしてるのはあんまり見たことない。

…しないの?


フ~~~~
登ったーーー



1時間ぐらいは経ったかなあ…

私は、相棒のエンジンをかけてみました!
…プス ……プス …
あーーあ、まだ、だめじゃん!!
どうするかなあ…

と考えあぐねているところ
後ろから女性が驚く声が…
「あらあら~大丈夫!!?」

振り返ると、男の人が倒れている?
老年の女性が慌てて駆け寄っています。
私も行ってみました。

あら?もしかして
さっき、私を追い越す勢いで、あの長ーーい参道の階段を登っていたおじさん?

どうやら立ちくらんで、倒れて、頭を打ったみたい…
「大丈夫、いや大丈夫!」とおじさん。
私とおばあちゃんで、「あ、あ、すぐに起き上がったらだめよぅ、、、」
騒ぎに気付いた近所の女性らもやってきて…
でも、救急車、、、までは要らないみたいな様子。
駅で友人たちと待ち合わせているので連れもいらっしゃるみたい。
その女性らが、親切に、ドライアイスを持ってきてくれて、念のためと近くの大きな病院の電話番号も渡してくれました。

おじさん曰く「いやあね、昨日のみ過ぎちゃってさ、この参道一気に登ってさ、アルコール飛ばそうと思ってさ」
私曰く「飛ばないでしょーーよ」

「ははは、アルコールじゃなくてさ、頭が飛んじゃったよ」

でしょうよ。

で、おじさんはタクシーに乗り
私もとりあえず相棒を置き去りにして、一旦バスで我が家に戻ることにしました。

その後、ひとりぼっちにしたら可愛そうなので、夕方相棒を迎えに、もう一度行きました。(バスで!!)
10時間も休ませてあげたんだからね~
絶対…とは言い切れませんが、私は相棒を信じています!

ハ~イ!
エンジンOK!
ようやく無事に一緒に戻ることが出来ました!

フ~~ッ
なんだか、変なリズムになっちゃた時のAB型に、ありそでなさそな、チグハグな一日でした。(うまく説明できませんが)

でも、相棒も、あの急坂を、頑張ってくれたのです。
おじさんの、ヘンテコなジョークも聞けましたし、たぶん、、頭の方も大丈夫でしょう。

そして、ココ、ご縁の神様に、「オンラインサロンで出会うだろう方たちに、一緒に光を送って下さい」と、お願いもできました。

まあ、ヨシ、としようか、ね。

(by Ichikawa)