2017-05-13

能見正比古の「血液型人間学」が統計であるかないかということに、どれくらい意味を持たせるかというところの真実



能見正比古の「血液型人間学」は統計に支えられていたに違いはないが…

能見正比古という人物について、若い人のほとんどは知らないのでしょう。
ところが、60代以上の人々が集まる会合などに出席すると、「本を読んだ」「講演を聞いた」という人が、必ず何人かはいらっしゃるのです。
そんなとき、当時(40年前)、老若男女問わず、どれだけ日本の人々に強い印象を与えていたかというのを再確認します。

彼はもちろんタレントではないですから、有名人的な存在としてテレビでもてはやされたとか、そういうものではありません。
彼の本を読んで強く共感を得た人々が、とにかくたくさん居たわけです。
能見の分析や理論は、画期的でもあり、新鮮でもあり、驚きでもあったのですが、それはおそらく、ここ数年の、流行りの最新××科学とか、最新ナントカとか、そういうのとも全然違ったと思うし。…書きながら何か似たような現象がないかと探しながら、そういえば…前々回の記事で「記憶喪失現象」について書いたのですが、日本の人々が記憶の一部を取り戻したような感じ、なのかもしれません。
「そうそう、確かにそうだよ!」と、能見の、的を得た分析に、モヤモヤしていたところの霧が晴れた、みたいな感動ではなかったかと思うのです。

とはいえ、既に世の流れは思考の画一化に向かっており、科学や哲学の統一化というか、規格化というか、世界の知識は欧米諸国を中心に、そういう偏狭な方向に進み始めてもいたのです。
それで、能見の分析に純粋に共鳴する人たちも多くいたには違いないですが、中には、"統計"だから、ちゃんとデータを取っているから信用できる、と、"科学性"というところを支持する人たちも結構にいたようなのです。

そして能見もまた、東大工学部卒ということであったので、科学性であるとか、統計手法であるとかは、イヤというほど学んだろうし、本人自身がそういう客観的な物差しで証明しないと気が済まないという性分でもあったのです。だから彼はデータを集めに集めまくったし、何千何万というデータと睨めっこして、取り組んだのは間違いありませんでした。
そんなことで、「血液型人間学は統計学である」というのが、ひとり歩きした感も無きにしも非ずです。
けれど、ちょっと考えれば分かるでしょうが、統計学だけで、人間の行動が細かに分析できるはずはありません。

それでその後、能見の血液型人間学理論が高まるにつれ、批判的、反論的な意見が、特に学者らの中、とりわけ心理学者らを中心に現れるようになりました。
そして、「能見正比古のデータから意味のあるものは見つけられない」、「彼の統計はデタラメである」、というような意見を、彼らは発信し始めました。
中には、「そんなデータはとっていないし、嘘八百を述べている」、などと風聴する輩まで現れて(今もいるのですが)、それにはさすがに我々も呆れ果て、「日本全国民を、そんな"ホラ"でだませる肝っ玉があるなら、親父はとっくに政治家にでもなってたよ」などと、能見俊賢は苦笑いしていたものでした。

すると先日、たまたまこんなサイトを見つけました。
http://transact.seesaa.net/article/109878065.html
このサイトは、「能見正比古は統計なんかとっていない」とタイトルにあります。

私はタイトルだけ見たとき、「へえ、そうなんだ、どういうこと?」なんて、何だか他人事のように素朴な疑問が生まれたので、読んでみることにしました。こちらのサイト運営者は、能見の本を読んだけど、性格を分析するのに統計データをとったとは、とても思えないというような説明を書いておられました。

それはあま、そう思うのも仕方ないかもしれません。
そもそも、彼の本は論文ではないし、そういう審査を受けるべく書いたものではないですから、判定しようにもできないだろう、とも思います。
本の場合、それが一般書であれば尚のこと、著者の結論的見解を述べるのが普通だし、その過程を細かに示すことはページ量的にも不可能ですし、またその必要もないわけです。
ただし、熟読していけば、それについての説明も一応ちゃんとしてあるのですけど。それで能見は、疑問に思われるならいつでも問い合わせて下さい、とも念を押しているのですが、賛同した人が訪ねてきたことはたくさんあっても、反論する人が訪ねてきたことはほとんどない、というのが実のところなのです。

それで、話を中心に戻して言うと、何だか、統計とかデータとかいうことに、やたらこだわる人々が多いのだと改めて感じたので、じゃあ、能見は何をもってして、「統計的検証をした」とし、どのように分析を進めたのかを、ここに改めて説明しておこうかなと、思ったわけです。

まず最初に言っておくべきことは、能見は本に書いてある通りの数だけ、データを取りました。むしろ控え目に書いているぐらいです。
これについてはウソも改ざんもないですし、その、あまりに馬鹿げた憶測に対して、我々はあまり反論してこなかったので、能見親子の名誉のためにも、改めてここに明言しておきましょう。

以上を前置きして、血液型と人間性の関係を確証するに至る流れを説明していきます。

①まずは、血液型と人間との間に、何らかの関係性があるのか無いのかを、どんなデータからでも探し出してみようということになりました。

能見が注目したのは、業界や職業分野や、ある特殊な集団と血液型分布の関係です。
何らかの偏りが見られ、有意性があれば、それは統計的に何らかの関係性があるとして良いわけです。
それで能見は、100件以上の分野に有意性のある偏りを見つけました。
本来、何らかの関係性だけを示すのであれば、数件でも見つかれば良かったのですが、確かな事実を求めようとした彼は、それを100以上にも増やしてしまいまいた。
おそらく面白いくらい見つかるので、勢い余って突き進んだのではないか?とも思われますが…。
まあ、中にはその時代背景に影響されている分野もあります。
社会の状況は常に変化しているので、そこで活動する人間の様態も変化するのが当然です。その有意性は一時的なものであることもあり得るため、そうした流動性を考慮しても、100も見つければ、まあ充分だろう、ということだったのです。

この段階で、血液型と人間の活動には、何らかの関係性あるというのをまずは証明したわけです。

それで次の課題は何かというと
②具体的にどのような内容で関係しているのか?といのを精査してゆかねばなりません。

これは、単に分野ごとの血液型分布の偏りだけ見ても大したことは言えません。
歴史作家にA型が多いからと言って、A型の、何のどんな部分がそれに関係するのかは言うことができません。それで能見は、各血液型の性質を詳しく探るためにアンケートを取ることにしました。
さてしかし、このアンケートがやっかいです。
「あなたは歴史が好きですか?」と訊かれて、確かにA型の人は歴史好きが多いですが、それじゃあまりに芸がなさ過ぎるし、それに、自分で申告する好き嫌いが、どれだけ社会活動に反映されてるかとなると、少々疑問が残ります。
もっと、四方八方から攻めて吟味する必要があるわけです。
すると、様々な質問が生じてきます。(以下は実際に行った設問ではなく、私が書きながら思いついたものです。)
過去の記憶をよく覚えているか?
過去への郷愁は?
資料をコツコツ集めるのが苦にならないか?
緻密な思考性は?
想像力は?
などなど。

”歴史”というテーマにまつわるだけでも、数限りなく浮かんできます。
そして、質問の仕方には、いくつかの工夫がほどこされました。
アンケートは自己申告なので、事実が正しく回答されない恐れもあるため、なるべく、回答者が善悪などの固定観念に惑わされないような設問に置き換えて、自分のことを少しでも客観的に捉えて回答できるようにしました。それは大抵、事実を述べるしかないようなものや、行動のクセを探るような質問です。

そんな感じで、ある一つのデータを元にしただけでも、質問はどんどん広がっていくわけですが、その質問は、4型に対して同時に広がりを見せるのであって、たとえば、”A型は緻密”という性質を充てる過程においては、いくつもの質問を積み重ね、他のタイプとどこが異なるかを見つけ出さなければなりません。
何気ない質問や回答のなかに、ある血液型の意外な傾向が、ふと現れたりすることもあるので、「おや?これは何だろう」ということで、更に追求する幅が広がっていきます。
また、せっかくだから、一回のアンケートで出来るだけたくさんの設問に回答して頂きたいということで、回答する人が楽しんで飽きずにやれるよう、ときどき、特に意味もないユニークな設問なんかも入れておきます。
たとえば、「幽霊を信じる?」とか。
すると、そういうのに限って、期待していなかった偏りが見られたりすることも多いのです。
この、楽しんで回答できるという要素は、非常に大切なことだと思います。
それがよくあるような、”性格診断”のアンケートのように堅苦しいものだと、回答者は「これで自分が評価される」のような、ある種の緊張を感じながら回答することが多くなりがちですが、能見の作成したアンケートは、面白くて楽しいので、リラックスして行えたようです。
また、これは個人の診断ではなく、”血液型”の調査であるということで、自分もこの研究に協力し貢献しているという、回答者のポジティブな意識を促進したので、みなさん、非常に積極的に、そして誠実に答えて下さったのでした。

このアンケート回答者について、問題を指摘されることがあります。
読者アンケートなどの、血液型に対して肯定的な回答者たちに行っても正しい結果が得られないというのです。
しかし「いや、ちょっと待って下さい」と言いたいのです。
能見が初期に行ったアンケートは、まだ血液型の内容が人々に知られていない時期だったのですよ。
それに、間違っても「あなたはマイペースですか?」などという直接的な質問をしないので、どの選択肢がどのタイプなのか、回答者に分からないことがほとんどです。
ですから、初期の行動傾向を探るアンケートにおいては、むしろ熱心で誠実に回答してくれる回答者の方が良かったといえるのではないでしょうか。結果的に、非常に信頼度が高く内容の濃いアンケート集計に成功したといえます。

アンケートに対する有意差検定というのは、ひとつひとつの設問に対して行うことになりますが、本でそれ紹介するときには、有意差がある無いに関わらず、本の話題の流れに合致する、ある程度の偏りや分かり易いものを選ぶことになります。
まあそうなると、紹介できるものはほんの一部で限られてきます。
すると、その他のデータは、全て能見のメモと頭の中に保存されたことになります。

そして能見はまた
③人間活動の観察と取材も同時に行い続けていました。

自分自身の周りの人間関係はもちろんでしょうが、知人からその知人を紹介してもらい、そのまた知人....。彼は人と会うことには、何のためらいもなく、図々しいくらいに訪ねて行っては、何でも聞いてきたのです。
能見の本は、芸能人や著名人の話が多くて何だかイヤラシイ、みたいな印象を持った人もいるらしいのですが、能見が放送作家という仕事をしていた関係で、そうした職業の知人友人が多かった、という事情もありました。
それにその方が、本を読む人も顔が浮かんでイメージしやすいだろう、とも考えたのです。

あるいは、そういう人々は特殊な世界だから特殊な傾向になるのであって、一般論に当てはまらないのでは?と考える人もおられるのですが、それは実際のところ、そうでもないのです。
何かの特性や本質を探ろうとするときには、抜きん出た特異な部分を見つけ出すことが早道なのです。
集合体の中で慣らされ平均化された8割の部分からは、あまり多くの真実は、もはや見いだせなくなってしまうからなのです。それより、その平均枠からはみ出した数パーセントの中に、物事の本質が見え隠れするのです。(この点については、先端物理学などの学者さんたちも言及しております。)
ですので、特殊な環境に置かれた人たちや、特殊な分野で活躍する人たちを観察することは、案外意味があるということになります。
ただ、ここが少々難しいのは、そうした特殊な部分というのは、データが少ないので統計的な処理が叶わなくなりがちです。
なので、ある血液型のある傾向を示唆する補完データとして、能見のメモに残すしかありません。

また
④幼児たちの観察記録も行いました。これが能見の分析に大きな貢献をしたのは間違いないでしょう。

子供たちは、大人に比べたら遥かに素直に、素の自分を表現しているのです。

こうして、能見のメモと能見の頭の中には、膨大なデータが記録されていくことになります。そして
⑤”能見正比古コンピューター”が、その網の目のように広がったデータを、処理していきました。

能見は、一つの特徴を見定めるのに、100ぐらいの質問やデータが関わっていると本にも書いています。
これらが能見正比古が行ったデータ収集やアンケート集計、観察、分析の概略となります。
このことから、結論的に何が言えるのかというと、能見が行った分析というのは、統計的な処理、データ結果が土台になっていたし、あるいは分析内容を示唆する大きな支えにもなっていたのは確かです。
ただし、だからといって彼の分析や理論について、逆に統計的検証をしようとしても、おそらくあまり正しい結果は得られないでしょう。収集した大量のデータを、どのように整理し、どのように性格行動に関連付けたか、また、その表現方法についても、能見の頭脳と感性で行われたものである、ということだからです。
実際、統計とはそういうものです。
統計の数値を眺めて、どう解釈しどう分析するかは、それを行う人次第なのです。そこにはその人の頭脳と感性が、大きく貢献(影響)することになります。

そしてその後の研究もあります。
⑥能見正比古の研究調査の最終段階は、彼の分析を、人々に問う作業でした。

それにはできるだけ、多くの人々の目に留まるような形にする必要があります。本やメディアで…。すると、多くの読者たちからの反響があったのです。

そうして
⑦読者たちからフィードバックを受取り、更に内容を煮詰めていくという作業を繰り返えしました。

以上(①~⑦)が、能見が行った一連の、研究調査、分析作業でした。
私はとりあえず、こうして事実を述べましたが、ではこれを読んで、能見が提唱してきた「血液型人間学」を統計に基づいたものであると捉えるか、そうではないと捉えるかは、結局その人の考え方によるのかもしれません。

ただ私は、人々の多種多様な価値観や、考え方を尊重したいとは思いますが、よく調べられていない偽事実の情報が蔓延することには、異を唱えたいと思います。
それで私は、時おり思うのです。
残念ながら反論する方々の、ただひとりも、直接問い合わせて下さったことは、過去47年ないわけで、能見親子に訊いてくれれば、私に訊いてくれれば、同じ反論や反証をするにしても、だいぶ良質な内容になるのではないか、と思ったりするわけです。
まあ、そんなの大きなお世話、とも言われそうですが。

それにしてもあの当時、コンピューターなんて無い時代に、よくもまあ、3千枚、5千枚、というアンケート用紙と睨めっこして、データ整理をしたものだと、能見正比古(B型)の熱意と労力には、ひたすら驚愕いたします。今のコンピューター時代に能見正比古が生きていたとしたら、どれだけ喜んだことだろうかと、しみじみ思うのであります。

そして最後に、ことあるごとに書いているので、しつこいですが、能見正比古の人間に対する愛情がなければ、こうした繊細な分析は出来なかったということも、今一度、付け加えておきたいと思います。



2017-04-14

最後までしなやかな強さを見せた浅田真央さん、お疲れさまでした!


フィギアスケート選手の浅田真央さんが現役引退表明~

真央さんのスケートとの出会いは5歳の時。
特例で出場した全日本選手権で3回転ジャンプを披露したのが小学校6年生。
その4年後には女子ジュニア史上初のトリプルアクセルを成功させ、以来「天才少女」として日本中の注目を集め続けてきました。

真央さんの血液型はB型です。





彼女の演技の最大の魅力は、その"しなやかさ"
それはまさに、氷の上を自在に舞い踊る妖精のよう、でもありました。
「どうしてあんなにクネクネと、身体がしなやかに動くのかしら?」
まるでオルゴール人形のようにクルクル回る少女の姿に、観る人々は釘付けになりました。

むろん、真央さんの功績の全ては、彼女のフィギアスケートへの情熱と命がけの努力の賜物なのですが、この”しなやかさ”は天性のものであり、神様からのギフトなのかもしれません。
そして血液型的視点で言えば、B型の体質的な特徴が顕著に現れているのだとも言えるのです。

血液型の、表面的に現れる性格行動のかずかずは、その体質的な特徴が源水にあります。
B型の人々が、根っからの自由人に見えたり、柔軟思考であったり、と言われるのも、実はこの「しなやかな体質的特徴」が元になっているのです。
真央さんの後を受け継ぐように現れた氷の妖精と言えば、羽生結弦さん。彼もまたB型であると知れば、そこには共通する”しなやかさ”があると、誰もが分かるのではないでしょうか。

それにしても、引退記者会見のつまらない質問の数々には、ちょっとがっかり。
普段はテレビを観ない私も、真央さんの晴れ姿を観たいがためにスイッチオンしたのですが、相も変わらず…。結局、真央さんの真の言葉を聞くことはできませんでしたよね。
(記者の方たち、血液型のことを少し学んだなら、もうちょっと的を得た質問ができるのにナ…)

ま、とはいえ、真央さんのB型的な様子をちょこちょこ垣間見れる場面もありました。

質問「過去に戻るとしたら?何て声をかけてあげる?」
真央さん「う~ん、過去には戻れないので…思いつかないです」
エライ!これはもう、B型らしい正直さで、爽やかにかわしました。
そもそもB型の人々に過去を偲ばせるのは邪道です。
彼らは、今に生き、未来に生きるタチなのですから。(それに当の本人、過去はあまりよく覚えていないでしょうし)

質問「生まれ変わったら?」
真央さん「…お菓子屋さんとか…」
過去への質問がはずれたと思いきや、今度は一気にぶっ飛んで、来世の質問でした。
彼女は今、「やりきった!」と、安堵と達成の、歓喜の瞬間を味わっている最中なのですから。
でも真央さんは嫌な顔もせずに、これまたB型らしく、ひょうひょうと答えておりました。

そして最後は、さすがに感極まる場面になりました。
けれど彼女は、「笑顔で記者会見を終わらす」と決めてきたそうなのです。
そこで彼女のとった行動…これもきっとB型ならではの柔軟性だと思うのですが。
涙をこらえて言葉につまると、落ち着いた動作で後ろを向き、しばし呼吸を整え、また向き直り、そんな場面が2度ほどありました。そうしてりっぱに、決めたことを守り通し、笑顔で無事、引退記者会見を終えたのでした。

いやいや、世界の大舞台を数々踏んできたとはいえ、こうした記者会見というのは、独特の異質なムードが漂っているものです。
それなのに、26歳にしてこの落ち着き。
B型の人が「肚が座っている」と周囲に思わせる場面、というのは、こういう感じのことだと思います。
彼らは、年齢や経験、立場などは意に介せず、周囲にも振り回されず、無駄に合わせることも無駄に力むこともなく、ただひょうひょうと、自分の思いを正直に表現できるのです。

私は、B型の強さは、そのしなやかさにあると思うのです。
芯が強く固ければ、ある時はポキッと折れてしまいます。
しなる、というのは、ナヨナヨと見えることもありますが、なかなかに折れることはなく、如何様にも形を変えたり、元に戻ることも出来るのです。
曲線でありながら、そこには見えざる芯がある、というような感じです。

とにもかくにも、こうして浅田真央さんの、人生の一舞台は、大歓声の中で幕を閉じました。
次の舞台も、そのしなやかさで、どんどん進んでいって下さい。
ファンのひとりとして陰ながら応援しております。

2017-02-11

私たちは単なる肉体ではないと認める時、血液型遺伝子の真実がやっ と解明されるかもしれない?






グレッグ・ブレイデン著
清水公美・翻訳
ダイアモンド社

DNAに書かれたメッセージとは?


私は個人的には、精神世界を信じてきた人間です。子どもの頃から、見えない(はずの)存在たちと、ご対面することもあったからです。そのせいか、密教ヨーガ、イエスや聖書、仏陀…、そういう教義に若い時から触れることもありました。

けれど、精神世界と「血液型人間学」を繋げて考えようとは、決して思っていませんでした。それは、全く関係ないと断定していたわけでなく、繋げようにも繋げ方が分からない、というのが正直なところだったのです。それに、近代社会において…つまりは世間が、そうした精神世界のものを怪しげに、あるいはあまりに面白半分に取り扱っていたというのも、仕事や研究とは遠ざけたいところがありました。事実、血液型の情報は、”血液型占い”という形で広がってしまったのです。

ただ、そういうと、まるで”占星術”や占星学者を否定しているかのように受け取る方もいるので、敢えて言うと、「それとこれは、あくまでも違う分野のことです」ということです。今の段階、つまり、「血液型人間学」という始めたばかりの、そして遺伝子自体に解っていないことが山ほどあるというのに、「お願いだからあちこちから茶々を入れないでおくれ!」というのが、能見正比古や俊賢、そして私の、切実な思いでありました。

ところが数年前、この本(ゴッド・コード/グレッグ・ブレイデン著)を手に取って読んだ時、私の頭は一瞬、お星さまだらけになりました。

おいおい、おやおや?何だか世界は、違う方向へ動き出しているのかしら?

これはやはりある種のショックであり、私の頭はしばし混乱していました。それがどういう感じかというと、たとえば、PCのOSを新しいのに変えるときのような、どこか捨てがたい郷愁と、何もかも刷新するんだというワクワクと、その両方が入り混じる感じでしょうか。

グレッグ博士は、DNAに書かれたコードはただの化学物質の羅列ではない、というのを突き止めたのでした。博士は、DNAに書かれた記号は化学物質を表すものでもあるが、言語でもあり、そこにはメッセージが含まれると言うのです。

そして、DNAコードの最初には、何と書いてあるのか・・・。

「神は永遠に私の中に」

と書いてあるのだと。

https://youtu.be/E6RQbQVelzE


なぜか分かりませんが…
そのくだりを読んだときには、なぜか涙が溢れて、何というか…「ああ私は、この時をずっと待っていたのだ」という気持ちになったのでした。

では、ABO遺伝子については?何て書かれてあるのでしょうか?

残念ながら、それはまだ明かされておりません。しかし、そう遠くない将来、人類は、もっと違う視点から遺伝子を見ることができるようになるのかもしれません。

ABO血液型の観察によって得られた行動特性は、今のところ、あくまでも肉体に根差した部分として取り扱っています。まずはその物質的な肉体の性質を知るということだけでも、大いに有用できるからです。それが人間の性質を知る手がかりであるというのには、変わりはありません。

そしていずれ、「肉体、意識、心、精神…」それら全てが、統合される日がやってくるのかもしれません。人類の未来を楽しみにいたしましょう。


2016-11-11

血液型に対する人々の反応

ABO血液型についての日本の皆さんの反応の仕方には、いくつかのパターンがあるようです。
①「やっぱり血液型って関係あるよね」と、素直に面白がってくれる人々。
②「関係あるのかもしれないけど、血液型で決めつけられるのは嫌なんだよね」という人々。
③「迷信でしょ。科学的に証明されていないでしょ」という、科学信仰の強い人々。
④そもそもそういう事に興味が無い人々。

おそらく、①と②で7割を占めるのだと思われます。
そして②の人々が案外多いのかもしれないな、と、最近感じています。
それは分かるけど、あんまり気にしたくないんだよね、という雰囲気でしょうか。

たとえば、血液型の特徴を少し話すと、「あぁ、やっぱりそうなんでしょう」と言って、そこにはどこか、ちょっとした閉塞感が伴う雰囲気を感じます。

血液型は変えられない

と考えるので、どこか自分のオリジリティーや可能性を狭められたような気になるのでしょうね。

しかし、そうではないのだと理解して欲しいのです。
確かに血液型は特異な状況がなければ変わりません。(臓器移植など)
しかし、血液型の遺伝子というのはあくまでも素材的な要素でしかないのです。それをどのように使いこなすかはあなた次第なのです。
私たちはよく料理にたとえて説明しますが、同じ材料でもいろんな料理ができるように、あるいは、同じ料理を作っても美味しくなったり不味くなったりするように。
貴方がどのように自分を料理にするかでさまざまな個性が出来上がるのです。
美味しい料理にしたければ、素材の性質をよく知っていた方がいいに決まっています。

そして更には、素材の事を知り尽くすことで、全く新しい料理を作れることさえあります。
日本京都のお寺に伝わる精進料理などは、野菜素材だけで肉の食感やボリュームたっぷりの見事な食膳を創り出しますね。

私たちの思考や行動、個性も、工夫次第で素材の性質を超えた能力を発揮することが可能なのです。
また、そうした無限の可能性に対応出来るだけの柔軟さが、それぞれの血液型遺伝子には備わっています。

いえこれは、血液型だけのことを言っているのではありません。
私たち人間は現在のところ、30〜40%ほどしか持てる能力を使っていないと言われています。
残りは全て、今後の進化の可能性なのです。
私たち人類は、今現在も進化の過程にある事を忘れないで欲しいのです。

昔、地球は平らだと信じられていたことはご存知でしょう。
当時、地球が平らだと信じていても生きていくのには困らなかっただろうと思います。
現に今も、地球が丸いことを意識する必要性はあまり無いと言ってもいいのですから。
でも、丸いという事実が判ったことで、私たちの科学技術や意識は進化しました。
知らないより知っていた方が、やっぱり良かったと思うのです。

血液型もおなじです。
血液型を知らなくても生きていくには困りません。
けれど知らないより知っている方が、ずっといいのだということなのです。

そして、進化を考える上で更に大事なことがあります。
私たちの世代で獲得したことは、次の世代にも受け継がれるということです。
私たちひとりひとりが、自分の能力を磨くことで、その性質は次世代に受け継がれていくのです。
そして、ひとりひとりが人類全体の進化に貢献する事になります。

現代人の私たち人間は、自分が死んだら全て終わり。自分が居たって居なくたって、何も変わりもしないと、非常に自分を無力で取るに足らない存在だと信じています。
しかし、それは違います。
私たちは、ものすごくパワフルな存在であり、ひとりひとりが、無くてはならない重要な役割を持ってこの地球に生まれてきているのです。

自分を大切にして下さい。
自分を知るために、人間を理解するために、血液型の知識をぜひ、役立ててください。

2016-11-08

カリマンタン島(インドネシア)訪問~珍道中の記録 Part 4

2016,カリマンタンにて~血液型人間学のゼミを開催しました


今回のカリマンタン訪問では3か所でゼミをおこないました。始めに開催したのはサンガタという東カリマンタンの端にある市です。こちらでは市の大きなホールを使わせていただいたようで、260名ほども集まってくれました。聞きに来て下さった方々は、幼稚園の先生方やお母さまたちでした。


市庁舎のすぐ近くにある立派なホールです。写真に撮れませんでしたが、この日は日本の旗を掲げてくださっさんですよ。粋な計らいですね。歓迎して下さって、本当にありがたいです。




次に訪れたのはサマリンダというカリマンタンでは大きな市です。150名ほど集まって下さいました。



幼稚園の先生になるための勉強をしている学生さんたちの為、急遽、大学でもゼミをセッティングして下さいました。



みなさん、本当に熱心に聞いて下さいました。カリマンタンの皆様、本当に心から感謝を致します。
アフェさん、血液型人間学をこれからも伝えて下さい!もちろん私も応援します。
チームのイダさん、イセスさん、ダマリスさん、ありがとう。これからもよろしくね。
サンマリンダのエラさん、多大なご協力をありがとう。
ノラさん、ありがとうございます。
毎日あちこちへ車の運転をして下さったジャカさん、ありがとう。
バリグバパンのエラさん、ありがとう。
飛行機や宿泊先を提供して下さった社長さん、心から感謝します。

書ききれないほどたくさんの人々にお世話になりました。
ありがとう。
ありがとう。

TERIMAKASHI


追記;
日本では血液型のことを言うと、どうしてなのか…女性誌を中心に恋愛のことばかり目につくのですが、海外に紹介すると、皆さん関心を抱くのは、子育てが中心になっています。子どもたちに対するときに、すご~く役立つということに、日本の人々が気づかないのが残念です。

「血液型人間学」は日本で始まった、実に画期的な研究なのですが、日本の人々がその大切さや有用性を、よく理解していないという現実に、私は正直、ちょっぴり悲しい思いがあります。けれど、血液型というのは、そもそも日本人だけのためにあるわけでもなく、世界共通~人間はみな持っているのです。
だから私は、世界中、知りたいというとろ、聞きたいという人があるなら、地球の果てまで、これからも血液型人間学を伝えに行こうと思っています。


カリマンタン訪問記~おわり




カリマンタン島(インドネシア)訪問~珍道中の記録 Part 3

2016,カリマンタン~幼稚園訪問



カリマンタンはサンガタという市に到着して、いきなり市長に挨拶に行かされたかと思ったら、その日の午後には3箇所の幼稚園を訪問しました。

その後も含めると10カ所ほどの園を訪ねたのですが、どの園も、園長と先生方は厚く歓迎して下さり、しかも驚いたのは、皆さん血液型のバッジを胸に付けてくれているのです。
私が来ることになって、エファさんがわざわざ作ってくれたのだと思いますが、先生や園児たちが皆んなでそれを付けているのを見ると、研究者としては嬉しいかぎりで、こんな心のこもった歓迎はありません。そして、先生たちは皆さん声を揃えて言います。

「血液型のことをエファさんから教えてもらい、それからというもの子供たちと接するのが本当に楽しくなりました。それまでは疲れることが多かったのに、気持ちにゆとりが出来たんです」

何て素晴らしいのでしょう!!
私はちょっとウルウル〜

まあでも、そんな感激に浸る間も無く、次から次へとあちこち連れて行かれ、「さあ、何か話して下さい」って感じにいきなり振られ、事の全容をまだ理解していない私は、目の前にくり広げられている展開に、少々ポカンとしてしまっていたんですけどね。だから、今こうしてブログを書きながら改めて感激に浸っているところなのです。

園長先生方いわく、始めは皆さん、エファさんの血液型の話を信じなかったそうです。けれど、エファさんに何度も熱心に話されるうちに、だんだん理解するようになり、そして子供たちを観察すると、本当にその通りだと分かったのだと言います。

エファさん、スゴイです。

B型の人は、情熱を持ったことを人に伝え、理解させるのが上手なのです。まあ、上手...なんて表現は、的確ではないかもしれませんね。B型の純粋な情熱が、相手の心に伝わるのだと思います。
日本の皆さんのよく知っている、田中角栄さんや長島茂雄さんが、人の心を動かす素晴らしい説得術を持っていたことは語り継がれてきましたが、お二人ともB型です。

園児たちの様子はこちらです。子どもたち、どこの国へ行っても、本当にかわいいよ。今回は、皆と遊べなかったけど、次に来た時には一緒に遊んでね~

動画をちょっとだけご紹介します。
慌てて撮ったので、途中映像がひっくり返っていて、見づらくてスミマセン!




つづく




2016-11-06

カリマンタン島(インドネシア)訪問~珍道中の記録 Part 2


(写真はPikisiより)


エファさんは、そもそも看護士で、国際医療センターに勤務していました。ところが、今はその仕事を辞めてしまったのだと言います。なぜって、血液型人間学に心底、興味を持ってしまったので、その活動に専念するためです。

Wow! 何と素晴らしい!

彼女は何と、6年も前から、カリマンタンのあちこちの幼稚園に出向き、血液型を知っていると子供たちのしつけ教育にどれほど役立つかを熱心に語ってきたといいます。

インドネシアの人々は、8割ぐらいは自分の血液型を知っていますが、中には知らない人たちもいます。するとそこは看護士さんの強みで試験薬も手に入るため、血液型を調べてあげるのだそうです。これまで、およそ1500人ほど調べたといいます。

出向いた幼稚園の数は数え切れないほどだそうです。インドネシアは子供たちが、とにかくたくさんいるのです。だから幼稚園もたくさんあります。

彼女は、何と、売春宿にまで行って取材をしたのだとか。かつて能見正比古も、日本中、伝手があればどこまでも行き、血液型の取材を行いました。まるでカリマンタン島に、能見正比古が再来したみたいです。
私はこの事実を知り、感動、感激、驚きの、ごちゃ混ぜになったような気持です。まさか、そんな人が現れてくれるなんて!まるで夢のようです!

興味が向かった時のB型のパワーは、誰も真似ることができません。
凄いです。(私より、よっぽど仕事してるわ~~~)
彼女のパワフルさを、動画でちょっとご紹介しますね。





今回の旅行、実は私が強引に計画をしました。彼女は、旅費や経費などを今は出せないので、私が行くことを躊躇していたのです。しかし、私としては彼女に一度会って、状況を知る必要がありました。旅費はこちらで捻出するので安心するように伝え、一か月前にようやく合意して決まったことでした。

しかし私は、ここまで彼女が活発な活動をしていることを、全く知らなかったのです。今後の調査研究のための、事前の打ち合わせに行くぐらいの軽い気持ちでいたのでした。

ところが彼女としては、せっかく私が来るのだから、今後の彼女の活動のためにも、出来る限りこの機会を活用しなくてはならないと考えたようです。結局私はこの11日間の旅行で、3か所でゼミを行い、10か所の幼稚園と1か所の大学を訪問し、2つの市の役所を訪れ、市長や文部省長や、学長らに会いました。

当初から2か所でゼミを行うという話は聞いていましたが、私自身は彼女に会うのが目的だったので、もう少しのんびり旅行をイメージしていたのでした。しかし、まさかの展開になりました。
ものすご~~く、ハードスケジュール!まあしかし、もちろん有意義で充実した旅になりました。

実のところ、この、ハードスケジュールは密かに予測はしていました。2007年、インドネシアで翻訳本の出版PRのために初めてジャカルタを訪れた時も、8日間の滞在中、20か所ものところでゼミを行い、やはりその目まぐるしさにあっけに取られた記憶があります。その時の企画を担当したのは出版社の責任者、アンゴロ氏という男性の、やはりB型でした。そんな経験が以前にもあったので、インドネシアのやり方、B型のやり方を、少しは心得ていたのです。

いろいろと、日本とは、ずいぶん違います。そもそものお国柄の違いも無論ありますが、血液型の知識があると、その視点から人々の感性の違いを理解することが出来ます。国や文化、言葉の違うところに行く度に、血液型の驚くべき共通性を確認します。