A型小泉純一郎とB型安倍晋三がとった対照的な選挙手法?
21世紀に入る頃、『世紀末論』のようなものが世界中で噂されていましたが、預言者たちのいうような"終わり"には実際はならず、がっかりしたような、ほっとしたような。けれど、21世紀に入ってしばらくした今、あらためて振り返ってみれば、やはり次の時代に入ったのは、間違いなさそうです。
例えば日本の政界を眺めれば、戦後から20世紀終わり頃までは、"派閥政治"というのを中心に政治は行われ、良くも悪くも、それはそれで日本の政界を安定させていました。ところが21世紀に入ると、小泉純一郎先頭に、あらゆる構造改革や派閥の解体が始まったのでした。
その時人々は、単に、積み重なった目の前の問題を解決するための、少々大胆な政策というぐらいにしか捉えることはできませんでしたが、今考えれば、それは日本丸が大きく舵を切る、方向転換だったといって良いのかもしれません。そしてそれは恐らく、世界各国の流れと共に起こったものでもあるのでしょう。
インターネットによる情報の拡大、株式市場などに見られる金融取引、グローバリズム。世界は(といっても欧米主導の先進国が中心ではありますが…)、あるひとつの方向に向かい始めました。そういう大きな変化の中で、さまざまな不安や懸念材料が沸き上がりましたが、それでも大きな川の流れが止められないのと同じように、行くところへ行くしかないのだろうと、人々は流されてきたように思います。
ところが今、その流れを遮るかのような出来事が次々に起こり、世界中のどこもかしこもが足踏みしている状態になっています。遮っているのは、多くは自然災害です。あるいは米国の9.11事件も、そのひとつだったのかもしれません。まるで、「そっちに行ってはいけない!」と、天が少々荒々しいやり方で警告しているかのように思えてならないのです。
日本の政治をみても、今までのやり方がもう機能しなくなったのは分かっても、じゃあどうすれば良いのかは、政治家たちにも分からないのでしょう。小手先の政策をいろいろこねくり回そうとしているのですが、どれも大した成果が得られたとは思えないし、逆に政策を断行すると、その効用より歪の方が大きくなっている気がします。もっと根本的何か…政治家がよく言う"抜本的な"というような構造的なものとも違う、日本人の生き方そのものを見直さなければならないような、そんな気さえしてきます。
言葉で表現するなら、今必要なのは、「変化」ではなく「変容」ではないかということです。(話題が血液型とは遠く離れて、何やら違う方向にいってしまいそう…)
…前回の記事で、中島岳志大学教授の政治見解に触れましたが、彼が面白いことを言っていたのでちょっと紹介します。
選挙にはいくつかの戦略的な手法があるのだそうです。
ひとつは小泉純一郎の行った方法で、政治や選挙に無関心な人々を引き込み、投票率を上げることで票を集めようとするものです。そのため、郵政改革を推し進めたい小泉純一郎は「自民党をぶっ壊す!」と言い放ち、古い体制の派閥政治を解体するといい、天下りを無くすといい、「郵政改革」を明確に掲げて関心を集め、多くの人々を選挙に向かわせたのだといいます。
そしてもうひとつは、投票率を上げないようにする手法で、それには、できるだけ政策や他党との論点を曖昧にして、人々を無関心のままにしておくのが良いのだそうです。この手法が功を奏するのは、今のように一党が数の上で圧勝していて野党はバラバラという状態で、すると組織票を集めれば十分だということになり、今回の参議院選挙は、まさにその典型だったのだといいます。
小泉元首相の時代というのは、バブルは崩壊し国民は意気消沈。派閥政治による問題や汚職問題も次々と表面化し、うんざりしていた国民は、小泉純一郎の改革が何かいい方向に変えてくれるのではないかと大きな期待を持ったのです。小泉純一郎は、大方は「なるようになれ」というA型的な開き直りで、一か八かの戦法に出たのではないかと思います。ところが、A型が開き直ったときというのは案外成功することが多いのです。A型の場合、めちゃくちゃなように見えても、やはり土台の部分は慎重に積み重ねているものがあるわけで、この時も、ある程度は国民の総意を得ていると感じとったからこそ大胆になれたのだという気がします。
一方、今回の参議院選挙の安倍政権の場合、現在行おうとしている消費税増税は国民が歓迎しているわけではなく、憲法改正にしても微妙すぎる問題なわけで、できれば曖昧にして、野党とも積極的に論争を戦わせず、国民の投票意欲を失わせるよう煙に巻いてしまう方がよかったということでしょうか。なるほど、そういう戦略もあるわけですね。B型は、策を弄するところが多分にありますが、今回その策略が成功したということなのでしょうか…。
それぞれのお2人、血液型に対してのみなさんのイメージとは少し違うように見えるかもしれません。しかし「血液型人間学」的には、まさに血液型どおりに行動しているお2人です。その時の政治情勢によって戦術は変わるとはいえ、おそらく、安倍晋三は小泉純一郎がおこなった時のようなやり方はしないだろうし、小泉純一郎も安倍晋三がとった戦法はとらないだろうなと、思うのであります。
それにしても、その状況に合わせて、それに適した役者がちゃんと居るとも思えるこの現象、つくづく、世の中は不思議なものだと感じます。