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左右脳の使い方を知ると実現化パワーが増大する

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しくみを知らずに引き寄せの法則を使ってはいけない!
私たちの夢や思いを実現させる! それは『引き寄せの法則』という表現でここ最近までよく言われてきたものです。この概念は、2000年あたりから米国で燃焼し始め、それから何年かして日本に上陸したのではないかと思います。
これは特に新しい発見という訳ではないのです。 私たちは、日々の生活の中で、似たようなことをたくさん経験しています。 「あ〜、イヤだ」って思ってたら、お腹が痛くなっちゃった、とか 起こらないで欲しいなぁ…ということに限って、起こってしまったりとか。
私は中学生のとき、あるネガテイブな自分の考えがそのまま目の前に現れたのを見て、恐れを抱き、「これからは決して悪い事を想像したりしない!」と自分に言い聞かせたのでした。 それからというもの、よく大人達が言うような…「そんな事するとバチがあたるから」、などの脅し文句のたぐいも「そう信じなければいいのだ」という信念でことごとく無視してきました。それが果たして私の人格形成上、良かったかどうかは別として、私があまり周囲の動向やその渦に巻き込まれずに、ノーテンキにこれた理由かな?とも思っているのです。
これは私が若い時に気がついた、一種の『引き寄せの法則』なのだと思います。まあこんなふうに、それぞれのやり方で、私たちは既に、引き寄せの法則を実行していたのではないかと思うのです。 ただそれは、ある面やみくもで、そのしくみを理解出来ていたわけではないのでしょう。 そのため、私たちはそれを、どちらかというとネガテイブな方向に使っていたことの方が多いのです。 それを事を分けて説明し、このしくみが宇宙の法則のようにあらゆるところで働いているのだと伝えているのが、今言われる『引き寄せの法則』です。
私が大人になって、そのしくみについての知恵に最初に触れたのは、ナポレオン・ヒルの「成功哲学」という本だったと思います。 アメリカ旅行に行ったとき知人に会い、そこに居合わせた留学中の日本人男性が、その教義にハマっているといい、興味を持ったのでさっそく本を探してみたのです。
その頃、やたらにそうした類の本に関心が向き、他にもいろいろなものを読んでいましたが、私のお気に入りはジョセフ・マーフィーの「眠りながら成功する」という本でした。(原題は「The Power of Your Subconsci…

【科学ニュース】日本人のゲノムを解析したらどこにもない日本人特有の特徴が見 つかった!

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ゲノムでも解った日本の特異性はいったい何を示すのか?
「日本の特異性について最近よく考えるのです」ということを、いくつかの記事で書いてきました。
(ラベル「日本人」

歴史も地理もひどく苦手な私は、生まれた国でありながら日本についてはむしろ無知無学と言ってもいいくらいなんですが、「血液型人間学」ということに関わったおかげで、”日本の人々”については考えさせられる機会がしばしばあります。
ただ、私が日本について考える動機というのは、他と少々異なっているかもしれません。

・なぜ日本で血液型の研究が早くから始まったのだろう?
・なぜ日本中にこんなに血液型が浸透したのだろう?
・日本の血液型分布(4:3:2:1)が特別なのには意味があるのだろうか?
・日本の人々は血液型の事実を受け入れてながら認めないのはなぜだろう?
・・・etc
という具合に、血液型がらみになるからです。

この研究は、新種の分野ということもあり、またそれを、能見正比古が”フィールドワーキング”という信念でもって大衆に広めた、というのがあり、実にさまざまな扱いが為されてきて、個々には、実に心温まる扱われ方もあるのですが、まあ、日本社会全体...という観点からは、「ひどい扱われ方だなあ…」というのが多いわけです。しかも困ったことに、「こんなもの要らない」と相手にされないなら、それはそれで仕方ないですが、それでいて、興味シンシンのところもあり、あちこちから変な茶々が入ったりするので、何だかんだ、厄介なのです。
それで、その度に、つくづく思うわけです。
「日本の人たちは、いったい、どうしたいんだろう?」

それに私は、海外でもこの研究を伝えていますので、日本と他国での、反応の違いというか、受入方の違いのようなものも、肌で感じたりしてきました。
それから、私がそう意識しなくても、国内外の取材人らに「日本人はなぜ血液型が好きなんですか」と度々聞かれたりするので、結局、考えざるを得なかったりもするのです。

そんな背景があった上に、最近の世界の変わりようの中で、相変わらず、ノホホンとしている日本の人々を眺めながら、私のレーダーがやけに”日本人”に向いていたわけですが、そこへもってきて、興味深いニュースが飛び込んできたので、「おや?」ということで記録しておこうと思います。

日本人のゲノムは西洋はもちろん他のアジアとも異なる…

自分の意思を表明しないという日本人的特性には、果たしてどんな意味があるの だろう

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Facebookの「いいね!」で分かったことがある
私は、Facebookというものを、日本に上陸した2010年の当初から使っています。
ずい分と、インターネット通なのかとと思われるかもしれないのですが、きっかけは、単に、その頃から啓蒙活動を始めていたインドネシアとのコンタクトをスムーズにするためでした。

当初、実名登録が必須のこのSNSが、日本に受け入れられるかどうかというところを問われていたようですが、取り敢えずそれなりに広がりは見せたようです。 いずれにしても、私は、そういうことにはあまり不安はなかったのですけどね。 どの道、ネットを利用する以上そのリスクは覚悟の上のはずだし、実名を明かす事に、何故それほど警戒するのか、私には不思議なくらいのことなのです。 かといって、私にとってこのツールはインドネシアの活動の様子がリアルタイムで見られる、というのが目的なわけだから、それ以上には、まったく使いこなしていなかったわけです。
ただ、ここ数年、いろいろ社会情勢の変化を感じるなかで、このツールの使い道を改めて考えてみたのです。 まず思ったのは、Facebookを、日本の人々はどんなふうに使いこなしているのだろう?果たして日本において、Facebookはどう機能しているのだろう? などというような事です。
たとえば、「日本人と外国人のFacebookの使い方の違い」という記事を見かけたことがありますし、「FacebookよりTwitterの方を日本人は好む。特に若い人は、、」というような記事もあったと記憶しています。
それで私は、Facebookへの自分の投稿にくれる「いいね!」の付き具合を眺めながら、いろいろと、考えを巡らせてみたのでした。
まあ、そもそも知り合いの数はごく少ないので、敢えて数字を披露するほどのことはないのですが、少ないながらも、私の投稿に「いいね!」が沢山くれるケースというのは… ・キレイな景色の写真を上げた時 ・美味しそうな食べ物の写真を上げた時 などです。

また、私の活動を報告するような投稿に対しても、その次ぐらいに多いように思います。 私の活動を”応援しているよ”という、友人たちからの、温かいエールの印です。
そして、最も少ないのは ・私が自分の意見を主張した時 ・政治や社会情勢に言及したとき ・何らかの、メッセージ性のある呼びかけをしたとき などで…

何ともAB型的なおっちょこちょいぶりを発揮しながらお参りに行きました!Part2

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数日前に書いた、伊豆山神社のお参りお道中の続き、ということで今日は「Part2」を載せたいと思います。
「続き」といいますのは、伊豆山神社には、もっと奥に”本宮”があるということが分かった次第で、まあ、いずれにしても前回は、あまりにも思いつきで行ったため、下調べもせず、また服装や靴の準備も不十分だったものですから、再挑戦しようと思っていたのです。
資料館の脇に、それらしき道があります。
結構な、道のりのようです。
説明を見る限り、1時間ほどかかります。
「修行のための道であったため、険しい道が続きますのでしっかりした服装で!」というような注意書きも。

大丈夫です!
今日は覚悟して参りましたよ。

トキは、朝の6:40分!
出発します!
わぁ~~
とはいえ、ほんとだわ。

このような感じの山道が、永遠と続くようです。
この時間ですから、人っ子一人おりません。

「あ、忘れた~~」
準備万全といいましたけど…
虫刺され防止スプレーが必要だったみた。
蚊がすごいです。

AB型は、O型に次いで蚊にさされやすいらしいのです。
私も本当に、蚊に好かれます。

フーッ
登って、登って…登って…
20分くらい歩いたのかナ…

小さな神社を祭ってあります。
すこ~し
休憩させてもらいました…

…が、長く留まっていると蚊にさされます。
とにかく、まだまだ、
どこまでも、登り続けるようです。

もしかして、半分くらいは来たのかしら?
という当たりに、石が
←こんな風に積みあがっていました。

みんなやっぱり、この辺りで
あーあー、まだなのかしら~
という感じで、一息つくのかな?

何も無い山道で、こうして、人が歩いた形跡を見つけると、ほっと、安心します。(アリガトウ)
それより私は
自分でも自信を持って方向音痴なので
(…というか、とにかくなぜか、人と違った方に進みたがる行動傾向にあるのです。←これは、AB型のせいではないんだと思うのだけど。)

ああーー、でも良かった。
こういう道しるべに出会ったということは
一応、行くべき道へ進んでいるということですよね。
もう少しなのかなあ…
でも、頭は空っぽだし、息は絶え絶えだし、携帯を取り出して、時間を見る気もしないし、もちろん写真を撮る気になんかに、ならない。
立ち止まると、蚊が集まってくるし、、、無心で歩き続けました。

ああ、もしかして
着いたのかもしれ…

何ともAB型的なおっちょこちょいぶりを発揮しながらお参りに行きました!Part1

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梅雨の晴れ間
伊豆山神社にお参りに行ってきました。

熱海に移り住んでおよそ1年。
散歩コースの途中にある来宮神社ぐらいしか行ったことがなかったのですが
熱海の人から「伊豆山神社という由緒ある神社があるよ」と聞いていたので
一度行ってみたかったのです。
そのオジサン曰く「すご~~い長い階段の参道だよ、大変だよ、バスで近くまで行った方がいいな」
私曰く「その参道を登るからイイんじゃないの?」

そんな会話が交わされてから、半年も経ってしまいました。

その日の早朝、「よし!バイクで行くぞ~」と思い立ち
私の相棒、原付バイクでGo!

ナビで場所を確認すると所要時間は10分くらい。
すぐじゃん!
方向音痴だけど着けたゾ(途中道を一本間違えて戻ったけど…)

ここだわ!
ああ、確かに、由緒ありそうな雰囲気。

階段は170段と書いてありました。

「な~んだ、そんなに長くないじゃない」
オジサンの話を思い出した私は、安易にそう思いました。

*本殿前です。
写真を撮りたかったのですが、赤ちゃんを抱いたご夫婦が楽しそうに撮影されていたので遠慮しました。
私は近くですからいつでも来れます。

*茅の輪くぐり
くぐり方⇒こちらで参照
八の字に「左に回り→右に回り→左に回り」とくぐります。
心身を清めるのだそうです。
この八(8)(∞)の字まわりというのは
本当に意味があるんですよ。
円を描くことで時空のエネルギーに乗れるのです。

*光る石!
座ってなでなでしてみました。


*この高さから見える景色です。
気持ちがい~い

少しのんびり楽しみたいところですが、仕事もあるし(オンライサロンの準備をしなくちゃ!)、本日は帰ろうっと!

ということで、170段の階段をおります。

おーし、帰るぞ!
と駐車場に停めた私の相棒に声をかけ
エンジンをかけます。

……ぶ~~----ん...
……ぶ~~----ん...あれ?
……ぶ~~----ん...か、かからない!?
あららら。

まあ、実は初めてのことではありません。
相棒は、そろそろお年も召してきまして、ときどきそういうことがあるのです。
久しぶりの登り坂全開エンジンだったので、疲れちゃったんですね。
う~ん…と、下り坂を、エンジンなしで自転車のように転がす…という方法もある!
が…、あーだめ、だめ!
この場所でそれを試すのは、さすがにリスキーよ。
道はどっちを見て…

脳の活動と血液型の関係~実験で分かったこと

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血液型は右と左に関係していたという実験事実! 脳機能と血液型との関係について、灰田宗孝博士(東海大学)と10年あまり実験を行ってきました。
先日、灰田先生がテレビ番組に協力して下さり、実験方法なども含めて紹介したことで関心を示す人が増えているようなので、ここでも簡単に説明しておくことにします。
現在も実験途中なので、あまり突っ込んだ詳しいことまで書けないので概略となります。

この実験では、光トポグラフィーという装置を使用して脳の活性を測ります。
脳が活性している部分はそれだけ血流が多くなるという、非常に分かり易いしくみです。

そして「血液型と左右脳の働きには関係がある」という仮説のもとで行っているのですが、そもそも最初からそういう仮説を立てていたわけではなく、何か関係があるんじゃないか?という曖昧な中で光トポを使って観測してみたところ、「あら?右と左の違いがあるみたい…」ということになったからなのです。


たとえば、その様子を画像で見るとこのような感じで、活性している部分が赤くなっています。

それで、結果はどうかというと、既にご存知の方もいらっしゃると思うし、あるいはそれを聞くと、「あ、やっぱりね、そう思ってたよ」と納得する方も多いだろう、という内容になっています。

まず、A型とB型は、明らかな左と右の対照性を示しました。

A型=左脳の活性量が多い。
B型=右脳の活性量が多い。

言わなくても当たり前のことですが、何もA型の人が、左ばっかり使っているわけではありませんし、B型の人が右しか使わないということでもありません。
とはいえこの実験では、A型は左を土台に、B型は右を土台にと、はっきり言えるぐらいの有意差を示しました。

右脳と左脳の働きについてはいろいろ言われますが、少し抽象的な面から大まかにいうと、右脳は主に外界の情報の全体像を捉えます。左脳はその情報を分類したり整理したり分析したりします。
この時点で、既に誰もが両脳を使うことになるのですが、左脳を多く使うということは、この分類したり分析したりする作業の方を盛んに行うということでもあります。
おそらく、A型の人たちは、脳内の整理整頓が上手なのだろうとも予測できますよね。

一方、右脳を多く使うということは、外界の新しい情報や発見を常に追っている感じがあります。そっちにエネルギーを費やす分、左脳の仕事である脳内整理は…

血液型にまつわる海外事情

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血液型に興味シンシンなのは日本人だけじゃないのです。
巷では、血液型について関心を持つのは日本だけだという噂がときどき流れるので、その辺について記載しておこうと思います。 それ以前に、日本人が海外の反応を気にし過ぎるきらいがあるということも、理解しておいた方がいいかもしれません。それについては、以前のページで触れています。
「血液型人間学」を能見正比古が、日本の人々に伝え始めたのは1971年ですが、その活動から10年ほど経った頃、他国からも取材や問い合わせがあるようになりました。 どんな国からどんな取材があったか、詳細を記載するのは少々難なので、とりあえず記憶にある限りをリストアップしてみます。(年代や順序は無関係) (各国メディアの取材) ・ドイツ~科学ニュース関連の雑誌など(数回) ・フランス~雑誌とテレビ(数回) ・米国~雑誌とテレビ(数回) ・ロシア~テレビ(数回) ・台湾~雑誌関係(日本発行女性誌の台湾版があるので多数) ・ブラジル~テレビ ・英国~雑誌 ・韓国~さまざまなメディア(活発な活動を行ったため多数)
欧米諸国の記事においては今のところ”日本の文化”として取り上げられることがほとんどですが、中で印象に残っているのは、ドイツの取材スタッフたちは個人的な強い関心を持つ人が多かったということです。フランスでは、古くから研究しているグループもあるようです。それらについては下の方で補足しますが、次に、能見親子の本が翻訳されている国を紹介します。 ・韓国(多数) ・米国(You are Your Blood Type)※能見の本を元にライターが新たに執筆。 ・インドネシア ・台湾 ・タイ ・中国
また、ネット普及のおかげで、さまざまな国の個人的な問い合わせがあります。どんな国から問合せがあったのか、記憶にある国を紹介します。 米国/フィンランド/オーストラリア/フランス/ブラジル/ルーマニア/メキシコ/韓国/中国/フィリピン/インドネシア/その他
ということで、こうしてあげたリストを眺めただけでも、他の国の人々が決して関心を持たない、というわけではないことが、何となく分かるかと思います。 私が問合せや海外からの訪問者、あるいは啓蒙している中で感じてきたところでは、欧米諸国ではドイツ人やフランス人の関心が特に高いように思いました。 北欧フィンランドの友人に聞いたのですが、ヨーロッパ諸国の…

DNAの真実、それは血液型人間学の可能性を探る手がかりにもなる

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遺伝子(DNA)についての真実が、もっと解るようになった時、ABO血液型の働きもようやく解明されるだろう…ということを示唆する本について、こちらとこちらののページで紹介しました。

思い起こせばヒトゲノムが解読されたのが2003年。
当初は、ヒト遺伝子の9割はガラクタなのか?と思い違いされるほど、科学者たちも遺伝子について分からなかったのでした。
その後、残りの9割は、働いている1割の遺伝子をコントロールしているらしいということを突き止めました。
けれど、それが一体どのようなしくみでコントロールされているのかは、まだ理解されていません。
というのが、主流科学の現状だと思われます。
DNAについて、私たち人間はまだよく分かっていない…そういう中にはありますが、とても興味深い、「え!?」というような実験事実も、精鋭の科学者らによって報告されるようになっています。

◎DNAはテレポーテーションする

2008年にノーベル生理学賞・医学賞を受賞したルーク・モンタニエ博士は、2つの密閉された試験管を並べてこんな実験をしました。
一方にはバクテリアDNAの断片を入れ、他方の試験管には純粋な蒸留水を入れます。
そして2つの試験管を7Hzの電磁場の中に設置し、十数時間後に調べたら、滅菌した蒸留水を入れた方の試験管にDNAの断片がわずかに発生していたというのです。
(7Hzの磁場を発生させずに行った実験ではテレポーテーションは起こらなかったそうです。)
これはつまり、DNAが空気中(空間)を通して何らかの働きをした、と言えるわけです。
また、7Hzという電磁波にも意味がありそうです。

DNAについての「え!?」という報告は、他にもいくつかあります。
DNAはテレパシーで仲間を集める セルゲイ・レーイキン博士人類は光の存在であるという真実(DNAが光のフォントを蓄える) フリッツ・アルバート・ポップ博士DNAが光のフォントを吸収する「DNAファントム効果」 ピーター・ガリエフ博士 いずれもこれまでの常識とは少々肌合いの異なる報告であり、DNAには、まだ沢山の真実が隠されているらしい、ということを示唆するものばかりです。
そして、ブルース・リプトン博士が言うように、DNAを動かしている張本人は、情報をキャッチする細胞のアンテナなのです。
つまり、ABO血液型(細胞表面糖鎖)は細胞のアンテナ…

ある日魅力が再燃した 田中角栄さん

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そういえば、昨年は、田中角栄さんが燃焼していたようです。
それで、田中角栄さんについて、書こう書こうと思っていながら、結局、失念していました。(だから今書く)

それにしても、再燃したきっかけは何だったのだろう?(石原慎太郎氏が小説を書いたから?没後20年だったから?)
テレビも見ない新聞も見ないという、大バカもんの私は、もはや世のブームについていけないどころか知ろうとさえしないという、始末に負えない状態なわけだけれど、それでも街なかで"田中角栄"という文字を見たり耳にしたりすると、ピクンと食指が動きます。

田中角栄さんが総理として在籍していたのは1972年-1974年(政治活動は1947年~)ということだから、現在の若い人たちは、彼が表舞台に立っていた姿をほとんど知らないのでしょう。
じゃあ、私は良く知っているぐらいの年齢なのか?というと、いや、そうでもないのです。
小学校3年生か、4年生か…。
政治なんて、丸っきり分からないし、興味の欠けらもありませんでした。

そんな私でも、田中角栄さんの、甲高い…けど、親しみ深いあの声とか、漫才みたいな、あの口調とか、やあやあと手をあげて現れる姿とか、思い出すだけで今にも目の前に現れそうなくらい、懐かしいのです。
あの頃日本人は、みんな田中角栄さんが好きだった…というか、それはもちろん、全員が好きだったわけでもないのでしょうが、嫌いな人でさえ、興味深々だったには違いないのです。
日本中が、田中角栄のエネルギーに包まれていたような感じだったのでした。
「ああ、この人なら日本も大丈夫だ」とさえ、思わせていたような気がします。
だから、親父とか父とか、呼ばれていたのでしょう。
日本の政界、百年に一人現れるかどうかという、スーパーヒーロー的な人気を博した、実に稀な総理だったわけです。

さて、ここまで書いて、田中角栄殿の血液型は何型だと思うでしょうか。

はい、そう「B型」でした。

親分タイプのB型(B型の場合"親方”という雰囲気になるが)ってどんな感じだろう?と思ったら、田中角栄さんを想像するのが良いかもしれないです。

ところが、総理就任2年目には金脈問題で総辞職。そして間もなくロッキード事件(汚職事件)が明るみになります。
問題が起こった当時、毎日がそのニュースばかり。
「まったく何でそんな事に…?」

神を信じたり信じなかったりする日本人の曖昧さと血液型人間学の微妙な関係

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記憶を喪失したとしか思えない”日本人の曖昧さ”
近頃、日本人について、つくづく考えています。
その国々によって、歴史や民族が異なるのだから、どの国もユニークなのはあたりまえと言えばあたりまえなのですが、それでも日本は、やはり他の国々とは質の異なる違いを、感じざるを得ない、と思うことがしばしばあるのです。
だからと言って「どんなところが?」と問い詰められると、誰も明確に答えられないという、それがまた、日本を異質にしている不思議さでもあります。

そのせいでしょうか。
日本人は、海外の国々からどのような見られているのかを、ことさら気にする傾向が強いように思うのです。
自分たちも自分たちのことがよく分からないので、外からはどんな風に見えているのか、知りたがるのかもしれません。

血液型の研究に携わってきた中でも、それをよくよく思い知らされることがあります。
先日も某テレビ局の取材を受けたとき、ディレクターが尋ねます。
「海外(欧米)では研究されていないんでしょうかね?」
これには、西洋主義、科学信仰の匂いもチラホラするのですが、とにかくこの質問は、耳にタコが出来るほど訊かれてきたので、私もそこには、もはや感情も失せており
「日本が唯一この研究の先進国です」と、あっさり言うしかないのです。
そしてまた、批判的なご意見としては、こんなこともよく言われます。
「血液型ナンカを話題にするのは日本人だけ」

もちろん私は、心の中では思っています。
…日本がこの研究にいち早く気づき、ここまで深めたことに、もっと誇りを持って欲しいのに、と。
日本の人々は、ああ、なぜに、こんなに自信がないのかしら?
そんなことを相も変わらず思いながら、最近読んだ本を思い出しました。

『逝きし世の面影』渡辺京二著
これは江戸末期から明治にかけて日本を訪れた欧米諸国の人たちが、当時の日本と日本人という民族を、どれほど賛美していたか、ということがつらつらと書かれている本です。

身体の大きさの違いもあるのでしょうが、当時の日本は、かわいらしい家並みと風景に、可愛いらしい人々が、それはそれは楽しそうに暮らす、まるでおとぎの国のようだったと、彼らは感嘆しているのです。

私もそれを読みながら、「へえ、そうなんだ」と、まるで他人事のように感心したのですが、この実感の沸かなさぶりを考えると、日本は変わり果ててしまったのと同…

意識と環境が細胞をコントロールしているという事実からわかるABO血液型遺伝子の働き

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思考のすごい力/ブルース・リプトン著(西尾香苗訳) PHP研究所
ABO血液型が、なぜ、どうして人間の性質にそこまで関係することになったのか? それを科学的(生物学的、生化学的にという意味。統計的には証明できている。)に納得されるよう説明することがなかなか出来ずにいたのです。 そしていつまで経っても「たかが血液型なんかで…?」という反感が根強くあったのでした。
人間は長い歴史の中で環境に適応して生き残ってきたのだし。 ABO血液型物質が、血液中だけでなく全身の細胞に存在しているなら、外界の情報を受け取りながらそれに適応反応し、何らかの形で行動にも影響を与える結果になったとしても何なら不思議ではないのです。 科学シロウトの私はそう考えますが…単純過ぎる? いやいや、専門家さんたちは難しく考え過ぎているんじゃないのかしら? 実際、それぞれの血液型分布の偏る地域を見ると、その地域性が血液型の性質とよく一致する点が多く見つかるのです。 もちろん能見正比古も著書の中で何度かその点に言及してきました。 ところが、その辺については、ことごとく無視され続けてきたのです。
そんな白けた(私の気分的)状況に、息を吹き込んでくれたのがブルース・リプトン博士。 最先端細胞学博士のブルース・リプトン氏は、細胞が単なる物質的な生体反応の領域を超えた働きをしていることを突き止めてくれました。 環境と意識は、細胞を通じて遺伝子のふるまいまで変えていくという事実。 環境を受け取るのに重要な働きをするのは、細胞の内外にあるたんぱく質で、これらが情報を伝達したり、細胞核にある遺伝子にフィードバックしたりするのです。 ABO物質は、細胞の表面に存在する糖鎖(たんぱく質の一種)。 要するに、ABO物質はアンテナのようなもので、血液型による違いはアンテナの違いなのです。
この本はABO血液型について書かれているものではありませんが、ブルース・リプトン博士は本の中で自分の血液型について触れていました。 A型だということです。



いまだに続く血液型ネガティヴキャンペーン〜その行方は?

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先日、テレビ朝日のバラエティ番組で血液型の特集が放映されました。
当センターもこの番組が企画された最初に取材を受けました。 血液型をテレビの番組で取り上げるとき、大方の場合、一度はこちらに問い合わせがあります。もちろん、それでこちらの意図が通るか、与えられる情報があるかないか、あるいはその企画が実現するかしないかは、まだ分からないという段階です。 それでも何でも、正直に言うと、テレビからの問い合わせや取材は、仕事の中で最もストレスが大きいのです。
「どうか、どうか、少しでも事実を伝えるマシな番組になりますように...」 と、祈るような気持ちになってしまうわけです。 自分でも少々過敏すぎるかもしれないとも思うのですが、過去ウン十年、何十本もの番組に協力してきて、胸を撫で下ろしたのって数回くらい...しかもそういうのはたいてい地方テレビだった、というこれまでの実体があるものですから、まあ仕方ないところもあるのです。 あまりにもエネルギーを消耗するものだから、その後、その企画がどうなったのかというところを、あまり追及しないことにしています。 後は流れに任せてなるようになれという、投げやりというか、居直りというか、そんな気持ちでいるのです。
それで、結局どうなったかを知らずにいたのですが、どうやら企画が通り、放送されたようで、研究員やら友人ら、周囲の人々が観たよと報告してくれました。 そして、私の友はキッパリ言いました。 「え?何これ?って内容だっのよ」 私はほとんど察しがついたので「きっと中途半端な番組だったんでしょ?」と言うと 「そうなの、その通りよ。何が言いたかったのか分からないしさ、観て損したって感じよ」
ああまったく...。 テレビは相変わらずなのだなあと、またおんなじようにがっかりするハメになりました。
結局、何が上手くいかないのかというと、優柔不断な番組づくりをするからなのでしょう。 血液型のことはテーマにしたい。(視聴率もあがるんだし) けれど科学的裏付けを示さないと(今時のご時世)やれない。 という、2つの意図で行ったり来たりしながら、肯定したいような、批判したいような、変にあやふやな内容にするからなのです。 先ほど、地方テレビは胸をなで下ろす番組....と書きましたが、上質なものばかりでした。 理由は簡単で、地方テレビは、主要メディアに比べたら、ずっと素直に取り扱ってくれてきた…

能見正比古の「血液型人間学」が統計であるかないかということに、どれくらい意味を持たせるかというところの真実

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能見正比古の「血液型人間学」は統計に支えられていたに違いはないが…
能見正比古という人物について、若い人のほとんどは知らないのでしょう。 ところが、60代以上の人々が集まる会合などに出席すると、「本を読んだ」「講演を聞いた」という人が、必ず何人かはいらっしゃるのです。 そんなとき、当時(40年前)、老若男女問わず、どれだけ日本の人々に強い印象を与えていたかというのを再確認します。
彼はもちろんタレントではないのですから、有名人的な存在としてテレビでもてはやされたとか、そういうもんではありません。 彼の本を読んで強く共感を得た人々がとにかくたくさん居たわけです。 能見の分析や理論は、画期的でもあり、新鮮でもあり、驚きでもあったのですが、それはたぶん、ここ数年流行りの最新脳科学とか、最新ナントカとか、そういうのとも全然違ったと思うし、書きながら何か似たような現象がないかと探しながら、そういえば、前々回の記事で「記憶喪失現象」について書いたのですが、日本の人々が記憶の一部を取り戻したような感じなのかもしれません。 「そうそう、確かにそうだ!」と、能見の的を得た分析に、モヤモヤしていたところの霧が晴れた、みたいな感動ではなかったかと思うのです。
まあところが、既に世の流れは思考の画一化に向かっており、科学や哲学の統一化というか、規格化というか、世界の知識は欧米諸国を中心に、そういう偏狭な方向に進み始めていたのです。 それで、能見の分析に純粋に共鳴する人たちも多くいたのですが、中には統計だから、ちゃんとデータを取っているから信用できる、と、科学性というところを信頼して支持する人たちも結構いた模様です。
そして能見もまた、東大工学部卒ということでもあったので、科学性であるとか、統計手法であるとかは、嫌というほど学んでもいたし、本人自身が、そういう客観的な物差しでもって証明しないと気が済まないという性分でもあったので、彼はデータを集めに集めまくったし、何千何万というデータと睨めっこして取り組んだのは間違いありませんでした。 そんなことで、血液型人間学は統計学である、というのが一人歩きした感も無きにしも非ずと言えます。 けれど、ちょっと考えれば分かるでしょうが、統計学だけで、人間の行動が細かに分析できるはずは、ありません。
それでその後、能見の血液型人間学理論が高まるにつれ、批判的、反論的な意見が、特に…

最後までしなやかな強さを見せた浅田真央さん、お疲れさまでした!

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フィギアスケート選手の浅田真央さんが現役引退表明~ 真央さんのスケートとの出会いは5歳の時。
特例で出場した全日本選手権で3回転ジャンプを披露したのが小学校6年生。
その4年後には女子ジュニア史上初のトリプルアクセルを成功させ、以来「天才少女」として日本中の注目を集め続けてきました。

真央さんの血液型はB型です。





彼女の演技の最大の魅力は、その"しなやかさ"
それはまさに、氷の上を自在に舞い踊る妖精のよう、でもありました。
「どうしてあんなにクネクネと、身体がしなやかに動くのかしら?」
まるでオルゴール人形のようにクルクル回る少女の姿に、観る人々は釘付けになりました。

むろん、真央さんの功績の全ては、彼女のフィギアスケートへの情熱と命がけの努力の賜物なのですが、この”しなやかさ”は天性のものであり、神様からのギフトなのかもしれません。
そして血液型的視点で言えば、B型の体質的な特徴が顕著に現れているのだとも言えるのです。

血液型の、表面的に現れる性格行動のかずかずは、その体質的な特徴が源水にあります。
B型の人々が、根っからの自由人に見えたり、柔軟思考であったり、と言われるのも、実はこの「しなやかな体質的特徴」が元になっているのです。
真央さんの後を受け継ぐように現れた氷の妖精と言えば、羽生結弦さん。彼もまたB型であると知れば、そこには共通する”しなやかさ”があると、誰もが分かるのではないでしょうか。

それにしても、引退記者会見のつまらない質問の数々には、ちょっとがっかり。
普段はテレビを観ない私も、真央さんの晴れ姿を観たいがためにスイッチオンしたのですが、相も変わらず…。結局、真央さんの真の言葉を聞くことはできませんでしたよね。
(記者の方たち、血液型のことを少し学んだなら、もうちょっと的を得た質問ができるのにナ…)

ま、とはいえ、真央さんのB型的な様子をちょこちょこ垣間見れる場面もありました。

質問「過去に戻るとしたら?何て声をかけてあげる?」
真央さん「う~ん、過去には戻れないので…思いつかないです」
エライ!これはもう、B型らしい正直さで、爽やかにかわしました。
そもそもB型の人々に過去を偲ばせるのは邪道です。
彼らは、今に生き、未来に生きるタチなのですから。(それに当の本人、過去はあまりよく覚えていないでしょうし)

質問「生まれ変わ…

私たちは単なる肉体ではないということを認める時、血液型遺伝子の真実がやっ と解明されるかもしれない

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グレッグ・ブレイデン著
清水公美・翻訳
ダイアモンド社

私は個人的には、精神世界を信じてきた人間でした。
子どもの頃から、見えない(はずの)存在たちとご対面したりもしていて…
そのせいか、密教ヨーガ、イエスや聖書、仏陀…、そういう教義に若い時から関心があり。

けれど、精神世界と「血液型人間学」を繋げて考えようとは、決して思っていませんでした。
それは、全く関係なしと断定していたというわけでもないのですが、繋げようにも繋げ方が分からない、というのが正直なところだったのです。
それに、近代社会において…つまりは世間が、そうした精神世界のものを怪しげに、あるいはあまりに面白半分に取り扱っていた、というのも、遠ざけたい理由のひとつでした。
事実、血液型の情報は、”血液型占い”という形で日本社会に蔓延し続けていたのです。

ただ、そういうと、まるで”占星術”や占星学者を否定しているかのように受け取る方もいるので敢えて言うと
ただ単に、「それとこれは、あくまで違う分野のことでしょう?」と言ってきただけのことです。
今の段階、つまり、「血液型人間学」という始めたばかりの、そして遺伝子自体にまだ解っていないことが山ほどあるというこの初期段階で、頼むから違う方向から茶々を入れないでおくれ!というのが、能見正比古や俊賢、そして私の、切実な思いであったのです。

ところが数年前、この本(ゴッド・コード/グレッグ・ブレイデン著)を手に取って読んだ時、私の頭は一瞬、お星さまだらけになりました。
おいおい、おやおや?
何だか世界は、違う方向へ動き出しているのかしら?
これはやはりある種のショックであり、私の頭はしばし混乱していました。
それがどういう感じかというと。
たとえば、PCの、OSを新しいのに変えるときのような。
どこか捨てがたい郷愁と、何もかも刷新するんだというワクワクと、その両方が伴う感じでしょうか。

グレッグ博士は、DNAに書かれたコードはただの化学物質の羅列ではない、というのを突き止めたのでした。
博士は、DNAに書かれた記号は化学物質を表すものでもあり、言語でもあり、そこにはメッセージが含まれると言います。
そして、DNAコードの最初には「神は永遠に私の中に」と書いてあるのだと。
https://youtu.be/E6RQbQVelzE


なぜか分かりませんが… そのくだりを読ん…

血液型人間学セミナー導入ガイダンス

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血液型人間学セミナーのご案内にあたり
以下のリンク先で導入ガイダンス動画を更新しています!




血液型人間学セミナー導入ガイダンス




能見正比古「血液型人間学」セミナー開催!

今春3月より血液型人間学セミナーを開催します!!

詳しくはこちらをご覧ください。
NOMIアカデミー/
近未来のために~能見正比古の「血液型人間学」セミナー


実は今まで、幾度かセミナー開催の計画を立ててきました。
ところが、どうしたことか…
その度に、アクシデントが起こり、やむを得ず断念してきたのです。
1度あることは2度ある、3度ある、とはよく言いますが、それが4度続いたときにはある結論に。

「ああそうか、まだ時期ではないということか」

それから3年の月日が経ち、そろそろ始めるぞ、という気持ちにやっとなったというわけです。
その決断を促してくれたのは、昨年秋に訪れたインドネシア・カリマンタン島のエファさん。
彼女(B型)が、ただひたすら無邪気に人々に伝え歩いてくれているのを見て、感化されたのです。
彼女がこのブログを読むことは無いでしょうけど、お礼を言いたい気持ちでいっぱいです。
そしてそろそろ、その時期がきた、とも思っているのです。

ここ数年の世界規模の変化を、感じている人がどれくらいいるかは分からないけれど、明らかに世界は新しく生まれ変わろうとしています。
おそらく新しい世界は、現在地球に生きる私たちの想像を遥かに超えるでしょう。

私たちの生活環境は変わるでしょう。
私たちの、この社会システムも変わるでしょう。
私たちの意識も変わるでしょう。
私たちの教育も変わるでしょう。
私たちの常識は、180度変わるでしょう。
この流れは「変化」というより「変容」なのです。

その兆しの証拠を、ここでは敢えて挙げないけれど、気づいている人はいると思います。
では、そうした新しい世界の中で、血液型人間学を学ぶ重要性は?それをどう活用するのか?
セミナーでは、まずはそのプロローグをお伝えしようと思います。
その先の本編は、参加者の皆さんとじっくり話し合っていきましょう。
このセミナーは、そうしたワークショップの場として進めていこうと考えています。

最初は、少しずつ人が集まって下さればいい。
そして、ひとり、もうひとりと、増えていったら嬉しい。
人間を学ぶ場を、じっくり、深く穏やかな愛の中で育てていきたいのです。皆で!




血液型に対する人々の反応

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ABO血液型についての日本の皆さんの反応の仕方には、いくつかのパターンがあるようです。
①「やっぱり血液型って関係あるよね」と、素直に面白がってくれる人々。
②「関係あるのかもしれないけど、血液型で決めつけられるのは嫌なんだよね」という人々。
③「迷信でしょ。科学的に証明されていないでしょ」という、科学信仰の強い人々。
④そもそもそういう事に興味が無い人々。

おそらく、①と②で7割を占めるのだと思われます。 そして②の人々が案外多いのかもしれないな、と、最近感じています。 それは分かるけど、あんまり気にしたくないんだよね、という雰囲気でしょうか。
たとえば、血液型の特徴を少し話すと、「あぁ、やっぱりそうなんでしょう」と言って、そこにはどこか、ちょっとした閉塞感が伴う雰囲気を感じます。
血液型は変えられない
と考えるので、どこか自分のオリジリティーや可能性を狭められたような気になるのでしょうね。
しかし、そうではないのだと理解して欲しいのです。 確かに血液型は特異な状況がなければ変わりません。(臓器移植など) しかし、血液型の遺伝子というのはあくまでも素材的な要素でしかないのです。それをどのように使いこなすかはあなた次第なのです。 私たちはよく料理にたとえて説明しますが、同じ材料でもいろんな料理ができるように、あるいは、同じ料理を作っても美味しくなったり不味くなったりするように。 貴方がどのように自分を料理にするかでさまざまな個性が出来上がるのです。 美味しい料理にしたければ、素材の性質をよく知っていた方がいいに決まっています。
そして更には、素材の事を知り尽くすことで、全く新しい料理を作れることさえあります。 日本京都のお寺に伝わる精進料理などは、野菜素材だけで肉の食感やボリュームたっぷりの見事な食膳を創り出しますね。
私たちの思考や行動、個性も、工夫次第で素材の性質を超えた能力を発揮することが可能なのです。 また、そうした無限の可能性に対応出来るだけの柔軟さが、それぞれの血液型遺伝子には備わっています。
いえこれは、血液型だけのことを言っているのではありません。 私たち人間は現在のところ、30〜40%ほどしか持てる能力を使っていないと言われています。 残りは全て、今後の進化の可能性なのです。 私たち人類は、今現在も進化の過程にある事を忘れないで欲しいのです。
昔、地球は平らだと信…