2015-10-01

【研究の道のり①】血液型と気質のパイオニア古川竹二の無念

忘備録として

「血液型と性格」について、日本の社会では誤解や中傷が多々ありました。そのため、この研究がこれまでどのように行われてきたのか、どのように社会に浸透、拡散していったのかを、人々が正しく知る機会がなかったように思います。私の知る限りではありますが、研究側にいたものとして記録に残しておこうと思います。


血液型と気質(三省堂)
昭和7年1月30日初版発行
著者:古川竹二

血液型と人間の気質について、日本で最初に研究をしたのは古川竹二という教育心理学者(現在の御茶ノ水女子大)でした。
彼が研究に着手したのは昭和元年頃と思われます。
血液型の発見が1900~1901年ですから、それから20年ほど後のこととなります。

当初は、数十人の学生を対象に始まったようですが、8年後にこの本を出した時には、数百人~千人前後の調査数で行っています。(古川氏はわずか数十人のデータで分析したのだという誤報が流れていることがあります。)

研究の道のりは、非常に苦難であったことが、本の前書きを読むとよく分かります。
当時も他の学者らから、さまざまな誹謗中傷があったようです。

(以下は、上記写真の本のまえがきです。)

しかし、この本を出版する頃には、古川氏の研究賛同者も現れました。
また、当時、血液型と気質の関係について言及する学者は、古川氏以外、あるいは古川氏以前にもいたのだということも聞いています。
いずれにしても、研究成果をひとつの形で残したのが古川氏だったわけですが、パイオニア古川氏にとって最も強い支持者となってくれたのは、法医学の草分けと言われる古畑種基氏(東京大学医学部)でした。
古畑氏は、血液型の情報をいち早く日本に持ち込んだ張本人だとも言われており、ABO式血液型の日本全国分布図作成は、古畑氏を中心に行われていたのです。
古川氏にとって、非常に心強い味方ができました。

しかし、その安堵もつかの間で、支持していた古畑氏が突如として考えを覆しました。
理由は明らかです。
その頃、古畑氏の法医学に対する功績は非常に大きかったわけですが、彼は周囲から押し上げられるような形で、学会の頂点へ上り詰めようとする勢いでいたのでした。
すると、古畑氏にとっての非常に大事な時期であるがゆえ、「血液型で性格を云々~という、訳の分からない研究を支持するのはどうしたものか」と、周りから忠告を受けることになったのです。
実際、法医学会全体において、古川氏の研究に対する意見は2つに分かれていたと聞いています。

ここで、教育心理学の古川氏がなぜ法医学会なのか?と言うと、"血液型"という共通材料を扱うという点に加え、まだ日本の学問分野が(欧米諸国に比べて)発展途上だった当時、法医学会だけは大へん優れた成果を残しており、学会全体においても力を持っていた、という事情もあるからです。
とにかく、ABO式血液型の法医学的研究を日本で開花させた功績を持ち、次期トップとして押し上げられている古畑氏は、その対立を収めねばならない立場に立たされたというわけなのです。
そして古畑氏は、否定側に立つことを選択しました。
それは、鶴の一声となったのです。
その時、古川氏の研究内容は、ほとんど何の検証も行われなかったのだと、当時を知る者から伝わった話が残っていたのを聞いています。

古川氏は、即座に研究の取りやめを迫られました。
「やめなければ辞職してもらう」とまで言われたとも聞きます。
今のように簡単に独立したり職を探したりできる時代ではなく、それは一家を養う道を失うことに他ならず、諦めざるを得なかったのです。
彼は、血液型と人間の深い関わりを確信していたに違いないのです。いったいどれほど無念であったろうか。

当時はまだ、どの学問分野にしても、何もかもが、まったくの模索中であったはずなのです。それは現在も同じですが、何が正しく何が間違っているという決定を下すには、早すぎたはず。
実際、その愚かなる決定のおかげで、「血液型と性格の関係は学会で完全に否定された」という愚かなる噂が、学会中をめぐり、それ以後、血液型と性格を関連付けるような研究は全てタブー視されるようになっていったのです。
つまり「古川氏のようになってしまうぞ」という恐怖の幻想が、ずっと長く、現在に至るまで、学会にはびこるようになっていったということです。

もちろん、さまざまな当時の事情が、もっと他にもあったのかもしれません。今となっては、真実を確かめることはできませんが、古川氏の無念な気持ち、それだけは真実に違いないと思います。
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その後この研究に関しては、大学生たちのうわさ話程度に、断片的に人々の間に伝わるようになったと思われます。
そして、古川氏が教鞭をとっていた御茶ノ水女子大学には能見正比古の姉、幽香里さんも通学していました。幽香里さんが通っていたとき、既に古川氏は退職していたのかもしれず、古川氏の授業を受けた事実はありませんでしたが、学生たちのうわさ話は残っていたに違いありません。
そしてある日、幽香里さんは弟の能見正比古に、血液型のちょっとした話を聞かせることになります。能見正比古はまだ中学生でした。
しかし能見正比古は、その話をずっと気にして覚えていたのでした。
その後、能見正比古は、この研究を再発見することとなり、「血液型人間学」を提唱しました。古川研究の後、40年ほど経った1972年のことでした。
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古川竹二…A型(自身の本より)/古畑種元…B型(自身の本より)/能見正比古…B型




2014-06-10

2014W杯サッカー日本代表(取材補足)

代表選手にB型が少ないのはなぜだろう?

サッカーワールドカップまであと3日となりました。
先日、女性自身(光文社/6.24号,P179)さんから取材を受けたので、記事の内容にちょっとだけ補足しておこうと思います。


巷では、「今回の選手にB型が少ないのでは?」と言われているそうですが、たしかに数字で表すと、【O型/8名_34%、A型9名_39%、B型3名_13%、AB型3名_13%】となり、記事にもそのように書いてあると思いますが、チームワークを重視してメンバー構成を行うと、結果的にどうしてもB型が少なめになるのです。
ザッケローニ監督の性質や発言を聞いていると、日本チームの良さを引き出すにはチームワークだということを考えているのだろうと、私は想像しています。

だとすれば、B型の少なさは問題ではないし、そもそも大舞台に強いB型、そしてその勢いのパワーは、他のタイプの2~3倍あると思って良いのです。
ただし、B型の人数は少なくてよいのですが、技能と肝っ玉に特に優れたB型をキーマンに置いておくことはたいへん重要ではあります。
柿谷選手がそういう活躍をしてくれるとイイのですが…。

それで尚、B型の少なさがチームにマイナスな影響を与えることがあるとすると、O型の元気が少し抑えられる可能性があるということです。
O型とB型が組むことで、チームに勢いというか活気が増幅されるのです。
O型の元気にあおられてB型は気分を乗せていける。O型もB型の勢いに更に活気づく、という感じです。
逆にO型がA型と組むと、確実に仕事をこなしていけますが、少々パワーが抑えられる可能性はあります。

サッカーについては私自身が勉強不足で、選手一人一人のキャラクターについてあまり言及できなくて申し訳ないです。

[日本代表メンバーの血液型]
GK川島永嗣O型
西川周作AB型
権田修一A型
DF今野泰幸A型
伊野波雅彦B型
長友佑都O型
森重真人A型
内田篤人O型
吉田麻也O型
MF酒井宏樹A型
酒井高徳A型
遠藤保仁AB型
長谷部誠O型
青山敏弘B型
山口 蛍A型
FW大久保嘉人A型
岡崎慎司O型
本田圭佑AB型
香川真司A型
清武弘嗣O型
柿谷曜一朗B型
斎藤 学A型
大迫 勇也O型
監督 アルベルト・ザッケローニ不明

2012-11-19

「ABOキャッチフレーズ」の名付け親はアメリカ人


能見正比古氏の一番弟子だったのはMr.アンディというAB型のアメリカ人です。彼が、それぞれの血液型にキャッチフレーズをつけてくれたことがあります。


走り書きのメモが見つかったのでご紹介します !


       

●O型さん Primordial [プライモジュアル]


最初の、根本的な、という意味です。
O型というのは、本当に人間の“根本”あるいは、“基”になる気質がストレートに備わっているようなのです。
血液型人間学を考える時も、まずO型を最初に見るようにしてみると、人間の行動の本質をとらえることができます。



●A型さん Advance with Anchor [アドバンス・ウィズ・アンカー]


錨を備えて前進する人、、、とでも訳すのかな?
A型の、殻を打ち破って前へ進もうとする気持と、それを制御する錨との綱引き、緊張感、あるいは、ジリジリと前進する、静かなる進軍という感じを表しているのでしょう。




●B型さん   De’ racine [デラシネ]


なぜかB型だけフランス語になっていますね。
でも『根なし草=デラシネ』というフランス的表現は最もB型らしいのかもしれません。



●AB型さん   Angel and Beast [エンジェル・アンド・ビースト]


そのまま訳してしまうと、天使と野獣になってしまうのですが、となりにDevil とも書いてあるので、きっと天使と悪魔という感じを表現しようと思ったのでしょう。ビーストも使い方によっては、『意地悪な人ね!』というような雰囲気で使うこともあるみたいなので、フレーズからしても、Angel and Beast の方がいいですね。
AB型の二面性を表現しています。
二面性というと「二重人格」と同じに思ってしまうことがありますが、深くは異なります。

(以下、能見正比古の著書より引用)
AB型は、悪魔と天使が共存しているようなところがあります。
社会的舞台の上でお付き合いをしているには、ほとんどはエンジェル側の面を見せるでしょうから、気づかれないことが多いかもしれません。しかし、ちょっと親しくなると、小悪魔ぶりをチラチラ見せることになるんです。
と、言っても、それほど恐れる悪魔ではありませんよね。AB型さんは、根は平和主義。ただ、普段が、それはそれは、ソツなく相手に合わせ、にこやかだから、その落差に周囲は驚く、ということだと思います。

皆さんも、面白いキャッチフレーズを思いついたら、どしどし教えてくださいね。





2012-08-10

なでしこジャパン!血液型で観る(ロンドンオリンピック)


おめでとう!銀メダル

ロンドンオリンピックの女子サッカー、アメリカとの決勝戦が終了しました。2:1でなでしこジャパンは敗けてしまいましたが、しっかりと銀メダルを勝ち取りました。2点を先制されても、諦めるようなムードを全く感じさせず、最初から最後まで精一杯のプレーをしてくれた選手たち、素晴らしかったです。ほんとうにありがとう!

サッカーに無知で的確な分析には自信がないですが、"血液型特性"という側面からのみ、勝手なことを書かせて頂こうと思います。

先発メンバーの血液型構成は(O型3名、A型4名、B型3名、AB型1名)でした。血液型的に見るなら、とても良い構成だったと思います。野球やサッカーなどのチーム競技では、チームワーク重視のプレイスタイルにする方が日本の場合は断然世界に立ち向かえると思うからです。それが体の小さな日本チームにとっての、唯一勝利への道のような気さえします。

すると、守って強いA型が少し多めの方がチームワークは成立しやすいです。ただ、それだけでは攻撃に弱くなってしまいます。そこで攻撃に強いO型やB型の、優秀な選手が必要になってくるでしょう。そして、こういう大舞台においては、B型がみごとに活躍するのです。実力のあるB型なら…という但し書きはもちろんつくのですが、B型は、舞台が大きいほど燃え、その上接戦になるほど燃え、実力以上の力を発揮することも少なくありません。

代表メンバーB型3名のうち、全員が主力メンバーとして決勝でスタメン入りしているところを見ると、さすが佐々木監督は、そういう性質を見抜いての選抜だったのかもしれません。GKにO型福元選手を置いたのも、正解。AB型海堀選手もW杯での実績はありますが、フランス戦での福元選手の気迫を見れば、やはりO型の闘争心は頼もしいです。

そして、澤選手という、AB型オールランドプレイヤー。澤選手の強みは、すばやい判断力と反射神経の鋭さ。これはイコールAB型の強みでもあり、前出の海堀GKの強みも同じだと思います。今回の澤選手は、つなぎ役として素晴らしい活躍をしました。運動センスのあるAB型なら、どのポジションも器用にこなすのですが、つなぎ役こそが、AB型性が最も良く活かされるのです。

近のサッカーでは、男子のプロ選手でもAB型の活躍が目立っている気がします。サッカーの試合展開も変化していると聞いているし、オールランドプレイヤーになれるAB型の性質、そしてつないでいく巧さなんかも評価されるのかもしれません。

いずれにしても血液型でチームワークを考えるのは、大変有効ではあります。ところが、最初から血液型でチームワーク構成をしようなどすると、巧くいかないことがあります。失敗の理由は、選手を見る前に血液型を見てしまうからなのです。

実は当たり前のことだけれど、まずは一人一人の選手の能力や気質をよく見て、戦略を立てるべきです。その観察眼が優れていると、不思議と今回のなでしこジャパンのような、理想的な血液型構成になっていることが多いものなのです。

(これは野球の例ですが、過去の成功例は王監督率いる2006年WBC、原監督率いる2009年WBCです。失敗例は、星の監督の北京五輪でした。)

根拠はあまりないけれど、思ったことがひとつありました。今回、B型宮間選手が新キャプテンでした。もちろん彼女は、キャプテンとしての役割を最高に果たしたと思います。でも、キャプテンの重荷が無かったら、プレイヤーとしてもっと活躍したかもしれない…

なんてことが、ちらっと頭をよぎりました。…だって、大舞台に強いB型なんだし、彼女の負けん気の強い悔し泣きの姿を見たものだから。


2008-08-05

A型 赤塚不二夫さんを偲んで


ギャグ漫画の草分けは型破りなA型さん

1998年の食道ガンに始まり、その後は脳内出血で倒れるなど、長いあいだ闘病生活を送られていたそう。
そんな最中でも、お客が面会に訪ねてきたら笑いを忘れず
そして、好きなお酒とたばこも、やめなかった。

「おそ松くん」に「天才バカボン」、「ひみつのアッコちゃん」・・・
数々の笑いやギャグ、おもしろカワイイ、ヘンテコキャラクターを次から次へと生み出し
お茶の間に温かい空気を運んでくれた。

子どもの頃、学校で嫌なことがあったり、親に叱られたり、毎日がつまらなかったり
そんな時、テレビをつけると
“これでいいのだあ~”
バカボンのパパがテレビの向こうではしゃいでいた。
沈んだ心もだんだん明るくなって
「まあいいや」と、思えたものです。

幼いあの頃、こういうTVアニメが無かったら
日々の言いようのない不安な心を、どうやって癒すことができたでしょうか…
そう思うと、感謝せずにはいられないくらい、偲ばれるのです。

赤塚不二夫さんはA型。
何でもギャグにしてしまった人。
破天荒だったり、お茶目だったり、だらしなかったり、いい加減だったり、生意気だったり
でもなぜか、愛嬌のある、型破りなキャラクターをたくさん世に送り出してくれました。
離婚した前妻に保証人になってもらって再婚をしたりもしたそうで
アルコール依存症になってもガンになってもお酒をたいそう浴びていたそうで
赤塚さん自身も、相当に型破りな人生を送っていたようです。

一見、A型らしからぬ行動に見えるかもしれません。
表面だけを眺めると、B型のイメージを抱く人もいるかも。
けれど、その時々のエピソードをよく聞いてみると、まさに、A型そのものだったと感じます。

A型は、優等生で堅くて、常識人と思っている人が多い。
が、実はそれだけがA型の姿ではないのです。
確かに、社会において常識やルールを遵守しようとするのですが
そうした殻を、まとっているにすぎない自分自身から、抜け出したいと切望しているのもA型なのです。
もっと自由にならなければ!
こだわりを捨てなければ!
と、自分自身に、常に問いを投げかけているのがA型なのかもしれません。

A型がまとう殻は、何も生まれたときから付いているわけではなく。
産声をあげ、成長し、親や兄弟や、子供同士の関わりが増えるにつれ
そして、社会という目に見えない壁を感じるにつれ
A型遺伝子に深く組み込まれている“社会性”という特性が、作用し始めるのです。
だから育ちの環境いかんでは、そんな殻をまとう必要がなかったA型もいます。
そういうタイプのA型は、気の強さがやたら前面に出ている感じです。
けれど大半は、ある頃から堅固に殻をまとい、社会の壁に立ち向かう準備を始めるようです。
そして多くのA型は、その壁の厚さに人は無力であることを早々に感じ取り、上手く折り合いをつけていくのでしょう。

ところが、一部のA型に見られる傾向ですが
最後まで諦めず、1度はまとったその殻を、再度打ち破り続けるA型もいるのです。
能見正比古が、“破滅型のA”と名づけました。
(「破滅」というとネガティブに受け取られやすいので、最近は「型破り」と言い換えることにしています)

おそらく、赤塚さんはそういうA型だったのでしょう。
ある日、赤塚さんの娘さんが語っていたそうです。
「父は、実はすごい常識人だったんです。ルールを分かった上でそれをわざと壊しているんです」

たとえば、B型ならどうでしょう。
B型は最初から、ルールには無頓着。
だから、ルールがあるんだと教えられれば、案外素直に学んだりします。
でもA型は違う。信念で、型破りをあえてやっていきます。
食道ガンでも、アルコール依存症でも、たばこも酒もやめるわけにはいかない。
やめたら、自分が生きてきた筋道が通らなくなるんだし。

赤塚さんは、お酒を飲まないと照れて人と話せなかったのだそう。
真面目くさった自分の一面を、世間には見せたくなかったのもあるかもしれない。
ギャグの赤塚不二夫を、徹底して貫き通したかったのもあるのでしょう。

A型には、やけに周りを笑わせたがる、ギャグの名手がいます。
多くはサービス精神でそうするのですが、自分がリラックスしたいためでもあるのです。
赤塚さんの場合は、ギャグ漫画家という仕事を盾に、社会に型破りを宣言したけれど
立場上、そうは宣言できない「型破りA型」もいますよね。
そういう状況に置かれているA型は、心を許した信頼する間柄だけに
その破天荒ぶりをこっそり見せることになるようです。

ここ研究センターの、(故)能見俊賢がそういうA型さんでした。
「頭を空っぽに」が口癖で、赤塚さん顔負けのギャグで常に事務所に笑いをもたらし。
時折気が向くと、古典落語を聞かせてくれたのですが、プロも顔負け、天下一品の語り部でした。
常識を破る血圧の高さを自慢しては、それをネタに場を笑わせ、緊張する編集者を和ませたり。
こちらの先生は、病院の治療を受けることを、最後まで拒否しつづけました。
周囲の私たちも、そういう生き様を承知するしかありませんでした。

赤塚不二夫さんと能見俊賢のA型性が、ふと重なります。
もしかして、俊賢先生も
「これでいいのだあ」
最後の時には、そう言ったのかもしれない。

ああ、型破りな人たちが、ひとり、またひとりとこの世界を去っていく。
つまらないな世の中になるのかしら。
あっちでは病気なんて無いのだろうし、身軽になってギャグに精々磨きをかけたら
またこっちの世界に降りてくるかしら。