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2018-03-28

細胞は思考するーブルースリプトン博士が到達しようとするその先は?

細胞は賢い!そしてABO血液型も賢く働いている?


以前にもこのブログで簡単に紹介したことがある「思考のすごい力(原題:The Biology of Belief)」という、細胞生物学博士ブルース・リプトン氏の著書を再考察します。

リプトン博士の発見は、生物学における「セントラルドグマ(中心教義)」という概念(現在はこれが強く言われることは少なくなった)を、ある意味覆すことになるものでした。セントラルドグマとは、遺伝子の情報伝達においての中核的な教義で、あらゆる生物の生成は「DNA→(mRNA)→たんぱく質」という一方向の順に情報が伝達されるという基本原理のことです。


そしてリプトン博士自身も、その日その時までは、「セントラルドグマ」に従って研究を進めていたし、生徒たちにもそのように指導をしていました。ところが、生徒たちに教えるためのノートをまとめている最中に、リプトン博士は、はたと気づきます。


「細胞は、DNAの命令に従っているわけではない!」


細胞生物学者である博士は、何年もの間細胞を観察していて、その働きの独立性や知性については充分知っていました。ところが、ある壁(細胞膜)があることで、その神秘を説明して次の展開に進むことができずにいたのです。しかしその瞬間、その鍵を探し当てます。まるで電光が射し込むように…博士の知性の扉が開く瞬間でした。1985年の出来事です。


その後リプトン博士は、医学生の教育現場から医学部研究室に戻りますが、彼は「セントラルドグマ」に異議を唱え始めます。それを他の生物学者らが嫌がったのは言うまでもありませんが…。博士は、何年もかけて「魔法の細胞膜」を説明する方法を改善しながら、"生命の秘密を解く鍵"について訴え続けることになります。

本書が本国で出版されたのは2005年ということは、博士の最初の"気づき"から既に20年もの月日が流れています。その間、博士の理論を裏付けるような研究発表が次々と行われ始めます。そしてヒトゲノム計画(DNAの解読)の終了が発表されたのが2003年。その時、マウスとヒトの遺伝子の数は同じ…つまり、遺伝子だけ調べても人間の複雑さは分からないということが明らかにされたわけですが、本書の発表はその数年後になって、やっとその時を得たということでしょうか。

リプトン博士がこの本を出版したあと、同様の研究者にこう言われたそうです。

「しかし君、これは特に新しい発見というわけではないのじゃないかね?」
細胞学者にとっては、細胞が外部の情報を受け取って内部に伝達しているということも、細胞の賢さも、遺伝子が全ての支配権を握っているのではないことも、既に周知のことなのでした。しかリプトン博士が彼らと違ったのは、その細胞の働きを単なる物質の働きと捉えるのではなく、それが"思考"していていると捉え、それがいったい何を物語ることになるかというところまで、発展させたところにあるのだと思います。

本書を読んで、教義に異を唱えたリプトン博士が味わったその数十年の経緯を見ていると、学者たちというのは、どうしても自分の専門分野を超えない範囲でしか見ない…というか、現状、見れないシステムになっている、というのがよく分かります。「セントラルドグマ」という教義が既に古くなったと分かっていながら、誰も(リプトン博士以外)それについて触れようとしなかったのは、たとえば細胞学者からすれば「細胞が情報の伝達をやり終えたあとのことは、DNAをいじくり回す人がやってくれ、私たちここまでだから…」という感じだからです。お互いの領分は侵さないという不可侵条約みたいなものが、暗黙に了解されているかのような雰囲気です。


ここで本題にもどると…

本書では、細胞ひとつひとつがまるで脳であるかのように、複雑さ極まりなく賢い様を、分かり易く説明しています。"遺伝子が支配していない"という説明では、たとえば細胞からDNAが収められている「核」を取り除いても、細胞はだいぶしばらくの間それまで通りの活動をします。もちろんいずれその細胞は死に至るのですが、それは核からの情報指令が失われたからではなく、再生し増殖する能力が失われたからです。つまり細胞が核にある遺伝子に再生要請をすることで、遺伝子ははじめて情報を生み出すからです。となれば、遺伝子は生命の中核を成す脳というより、むしろ生殖器のようなものである、と博士は冗談めかします。外界の情報を受け取って「これが必要」「それを送れ」と脳のように指令を出しているのは、細胞膜のたんぱく質の方なのです。

そして、我々が生命を維持するのには、内側というよりも外側からの入力が重要であるとも言っています。「環境→細胞表面・細胞膜→核(DNA)→新たなたんぱく質の生成」という順路で生命維持は行われるのだと。
もちろんこれらは留まることなく循環している作業ですから、どれが鶏か卵かというところもあります。博士は、「セントラルドグマ」の古臭い概念を崩したいがために「遺伝子は生殖器のようだ」と言ったのですが、そもそも、どこに中心をおくとか、どこに支配権があるとかいう、一方向的な支配構造概念を、私たちは取り払わなければならないのかもしれません。

こうした考えに似た理論は、生物学者も遺伝学者も、既にいろいろな本に著しているとは思います。けれど同じ現象を観察して説明したとしても、その人の知性や視点によって捉え方は異なり、最初はその差はわずかに思えても、いずれ大きく離れていくことになります。これまでの科学はそんな微妙な分岐点を、あるところで見過ごしながら進んできたのではないかという気がします。


では、するとABO血液型は、この賢い細胞上で、どのような働きをしているのでしょうか?
博士は本書の中では、細胞膜やたんぱく質全般について話しているのであって、ひとつひとつの特徴的な働きや細胞表面についてまでは言及していません。しかし、細胞の膜とその外側における、むしろ環境からの入力をどう処理するかが、私たちの生命を維持したり、活動を制御したり、知性を発達させたりしているのだ、ということは明確に示しています。

何度もお伝えするように、ABO血液型は細胞の表面に乗っかっている糖鎖であり、レセプター(受容体)です。ガラクトース(B型に関与)やNアセチルガラクトサミン(A型に関与)などが、その代表的なものですが、これら糖鎖が外部の情報を細胞内へ受け渡す役割を担っているのです。外側の情報をどのように知覚しどのように受け渡すか、というその鍵は、糖鎖が握っている、ともいえるのです。リプトン博士の言うように、生物としての細胞が思考(信念)を持つならば、ABO血液型のそれぞれも、それぞれの受け取り方、それぞれの振る舞いの中で、何らかの信念形成に関与していると考えられます。


そして今後の研究と可能性

私はこの本を数年前に読みましたが、あらためて再読し、記事をここに再度残そうと思ったのは、昨年終わり頃から放映しているNHKスペシャル「人体」という番組を観たからでした。

この十数年、一方では(今の)科学の限界が言われ続けていました。

「もう充分研究したが、この先何を発見すればいい?人間の頭脳で検証できることは全部やったし、今分からないことはこれからも、人間には分からないのでは?」
ところが、意外なところからその壁を打ち破る方法が生み出されている、ということを、この番組を観て知ったのです。

MRIなどを観る際の画像処理技術が画期的に改善されたことで、今まで部分的にしか観れなかった血液循環の様子など、その範囲が大幅に拡大し、体内を流れる血液の中で実際に何が行われているのかという全体像が明らかになってきたのです。それは驚きでもあり感動でもある光景です。たんぱく質らやレセプターらは、ひとつの情報をキャッチするやいなや、光の速さ(実際、光って見える!)で指令を出し、それらは次々と連携してゆき、体内の総てが共同で連動し合っているという事実を目撃するのです。

こうなってくると、私は××の研究だけしていればいい、とは言えなくなってくることでしょう。もはや、血液の研究者も、脳の研究者も、免疫の研究者も、あらゆる分野の研究者たちが総動員しなければならなくなったのです。人間というのはこの目で見たものしか信じない…という愚かしい信念がありますが、人間による理性ではなく、画像技術が生物学界の不可侵条約を打ち破ったというのですから、少々皮肉でもあるような気がします。
考えてみれば、むしろそれに関わっていない私たち一般人の方が、「部分的な研究じゃなくて、お互い連携し合って研究すればもっとよく解るんじゃないの?」と、ずっと長い間思っていたかもしれません。

とにかく、この全体像を観測できるようになったことで解っていくことは、革命的な人体科学の進歩になるだろうということです。ご覧になった人も多いと思いますが、テレビでは視聴者の身近な関心事にうったえるため、まずは癌の治療法が画期的な解決に至るであろうという点を大きく取り上げていました。それは本当に、多くの人が安堵する、素晴らしいことです!

そしてABO血液型について話を戻せば、この研究に対しても、部分的に調べていたのでは、おそらくいつまで経っても分からないだろうというのを、能見俊賢ともよく話していたことでした。血液学者が血液をどんなに調べても、免疫学者が免疫システムどんなに論じても、遺伝学者がDNAをどんなにいじくりまわしても、何も出てきやしないのです。彼らはいつも、「ABO血液型物質はそんなに重要な働きをしていない」としか言えず、「悪いけど、私たちにはもっとやらなければならない重要な研究がたくさんありますので…」と、鼻で笑って見過ごしてきたのでした。
ところが、こうして全体像が見えてくるようになれば、リプトン博士のように電光に目が覚め、そこに光をあてる学者が出てくる可能性も高くなります。

そしてまた、現在、糖鎖の研究が進み始めていることも、ABO血液型にとっての朗報です。糖鎖研究に関わる研究者たちは、この糖鎖の働きがいかに重要かということを解り始めているのです。おそらく「糖鎖」とインターネットで検索すれば、今はたくさんの情報が出てくると思います。数年前までは、ほとんど情報が無かったし、あってもサプリメント関連で取り上げているような位置づけでしかなかったのです。これについての研究者側の言い分は、細胞にはたんぱく質と糖鎖があるが、糖鎖は次々とその形を変えて複雑なため、観察するのも複製するのも、再現するのも困難だったということです。これもやはり、近年の観測技術の進歩によって次のステップに進めたということなのでしょう。


このようにして、ABO血液型について真に研究できる舞台が、徐々に整いつつあります。

そして、本当の研究が行われたとしたら、今度はその結果をどのように我々が活用するのか、そのことが最も重要なことかもしれません。そのとき訪れるであろう微妙な分岐点を、どうか見誤らないで欲しいと願うばかりです。

リプトン博士の本から話がだいぶそれましたが、リプトン博士の細胞の研究に対する期待もさることながら、私は個人的に…、リプトン博士の物の見方、捉え方に共鳴しています。ですから今後、ABO血液型についても何か示唆を与えてくれるのではないかと期待をふくらませているのです。

実のところ、現在リプトン博士は、研究現場からは退いているようです。おそらく、学会に属していたのでは自分の真の目指すことが出来ないということになったのでしょう。

リプトン博士は、細胞が環境の情報を受け取って独自に"思考している"ということが分かったことで、私たち人間は、その情報の受け取り方次第、その思考の仕方次第で、いかようにもなれる"すごい力"があるということを、生物学者という物理の科学者として理解したのでした。そして人間だけでなく細胞同士がうごめくこの世界は、それが今は目で見えなくても、全てが繋がっている共同体なのだということに焦点をあてるようになります。するとその先へ進むには、もっとスピリチュアル(精神性)な視点を広げなくてはならなくなります。その見方は、いまだに多くの人が避けている道でもありますが、リプトン博士は今、そうしたスピリチュアル的概念に背を向けていた世界に居た一生物学者として、ひと肌脱がなければならぬという思いで啓蒙活動に忙しくしているようです。

私も、ABO血液型遺伝子という物理的な働きにおいては、実証できる(現在の)科学的研究が成されるべきだと考えていますが、実際に私たち人間がこのABO血液型の知識と知恵を活用するためには、スピリチュアル的な概念を理解していかなければならないとも強く思っているのです。

それは私だけが独断でそう思っているのではありません。この研究の創始者、能見正比古も、「愛」をもってしてでなくてはこれを使うべからずと、何度も何度も訴えてきました。しかし能見正比古が、「愛」とか「人間の連帯意識」とか、そういう見えないもの、スピリチュアル的要素を多分に含む観念(能見正比古がスピリチュアルという言葉を意識したかどうかは別として)を土台にして人間を観察していたことを、多くの人は知らなかった(あるいは気に留めなかった)と思います。しかも困ったことに、そっちを強調すると「やっぱりまやかしだ」「トンデモ科学だ」「ただの占い」というふうに、違った方へ矛先が向かってしまうのです。能見正比古は、このどうしようもない思い違いに深く苦悩しながら、著書の最後のほんの隅っこに、その想いを綴っていたのでした。

私自身、そんな迷路のような行ったり来たりのあれこれを、長い間ずっと考えてきたわけですが、これからは、さすがに次のステージに進めるのではないかと希望を持っています。
そのためには、リプトン博士のように、科学とスピリットの橋渡しをするような、あるいは科学と精神性の統合をめざすような、そういう学者がどんどん現れることを楽しみにしているのです。そして、それぞれの血液型の、その血液型にしかない素晴らしい役割や思考、あるいは隠されたスピリットというのを、人々が理解する日を待ち望んでいます。



2017-05-14

意識と環境が細胞をコントロールしているという事実からわかるABO血液型遺伝子の働き

思考のすごい力

思考のすごい力/ブルース・リプトン著(西尾香苗訳)/PHP研究所

ABO血液型が、なぜ、どうして人間の性質にそこまで関係することになったのか?それを科学的(生物学的、生化学的にという意味。統計的には証明できている。)に納得されるよう説明することがなかなか出来ずにいたのです。そしていつまで経っても「たかが血液型なんかで…?」という反感が根強くあります。

人間は長い歴史の中で環境に適応して生き残ってきました。ABO血液型物質が、血液中だけでなく全身の細胞に存在しているなら、外界の情報を受け取りながらそれに適応反応し、何らかの形で行動にも影響を与える結果になったとしても何なら不思議ではないのです。

科学シロウトの私はそう考えますが…単純過ぎる?いやいや、専門家さんたちは難しく考え過ぎているんじゃないのかしら?実際、それぞれの血液型分布の偏る地域を見ると、その地域性が血液型の性質とよく一致する点が多く見つかるのです。もちろん能見正比古も著書の中で何度かその点に言及してきました。ところが、その辺については、ことごとく無視され続けてきたのです。

そんな白けた(わたしの気分的)状況に、息を吹き込んでくれたのがブルース・リプトン博士です。最先端細胞学博士のブルース・リプトン氏は、細胞が単なる物質的な生体反応の領域を超えた働きをしていることを突き止めてくれました。環境と意識は、細胞を通じて遺伝子のふるまいまで変えていくという事実。環境を受け取るのに重要な働きをするのは、細胞の内外にあるたんぱく質で、これらが情報を伝達したり、細胞核にある遺伝子にフィードバックしたりするといいます。

ABO物質は、細胞の表面に存在する糖鎖(たんぱく質の一種)。要するに、ABO物質はアンテナのようなもので、血液型による違いはアンテナの違いなのです。この本はABO血液型について触れているものではありませんが、ブルース・リプトン博士は本の中で自分の血液型について書いていました。A型だということです。


本書は、わたしたちの体が、外部にどのように反応し、どのようにコミュニケーションをとっているのか。これまでとはちがう思考で自分を見るきっかけにもなるかもしれません。

Thank you & Love


2021-05-11

ABO血液型は細胞のアンテナ


 ABOは糖鎖系血液型

血液型には何種類もの分類がありますが、大きくは、たんぱく質系と糖鎖系に分けられます。ABOシステムやPシステムなどが糖鎖系で、その血液型物質を構成する成分を糖鎖が担っています。糖鎖は、グルコースやガラクトースという単糖の連なりで出来ています。

『糖鎖』については、今までよく分からなかったのです。


なぜ分からなかったかというと、糖鎖は常に形を変化させて活動しているので特定することが難しく、研究が進まなかったからです。


話しが少しそれますが、現代科学の研究というのは、量子論などの理論化学を除くと、「研究できる分野」から研究されていく、ということを、一般の私たちも理解しておく必要があるかもしれません。どんなに重要な分野でも、研究の手法が分からないことは手つかずなのです。つまり、研究されないから重要でない、ということではないということです。

「そんなに重要なことなら、とっくに誰かが研究しているはずだ」という声を時々聞くのですが、そういうわけでもないのです。


DNAの解析が完了した2003年、人類は、何もかも手に入れられるかのごとく騒がれましたが、それによって解ったことは、

「人類は何も分かっていない」ということが解った!


というものだったのです。とにかく我々人間は、世界の5%ぐらいのことしか理解していなかったのです。そういう訳で、糖鎖についても長い間、きちんとした研究フィールドが提供されることが無かったのですが、ゲノム解析の後に、その重要性が解ってきたので、最近では研究者たちも力を注ぎ始めています。


どんな事が分かってきたかを、いくつか挙げてみます。


  • 糖鎖はアンテナのような働きをしている。

  • 細胞の表面に顔を出している糖鎖の先端が、細菌やウィルス、ホルモン情報などの様々な情報を受け取り、細胞内に伝達している。

  • 糖鎖は細胞同士の連携を行っている。

  • 細胞表面の糖鎖が触れ合い連絡し合うことで、細胞同士のネットワークが構築され細胞が正常に働く。

  • 身体の不具合、病気の原因は、ほぼ全て、細胞同士のネットワークが上手く働かないことから起こっている。

”糖鎖”で検索するといろいろ情報がありますが、いくつか目に留まったのを紹介しておきます。

分子科学研究所

ある農学博士のブログ弘前大学の研究(PDF) 


糖鎖については、サプリメントや薬品開発を行っている研究室が力を入れているようですが、とにかく可能性のある分野として期待が高まっています。


糖鎖の働きを考えると、おのずとABO血液型の働きや重要性も見えてくる気がします。しかし私も糖鎖に関して知識は深くないので、とにかく今の時点で最も分かり易いのは、『アンテナの役割』だということです。


そんなふうに大雑把すぎる説明をすると、学者さんたちに叱られるかもしれません。

「そんなに単純なものじゃない」って。

しかし一旦、シンプルに捉えてみることも大切だと思います。自然界の理は「単純であり、複雑である」という、フラクタルな現象が多いのですから。


”アンテナ”の性能の違いがABO血液型の性質の違いだ、と捉えることで、だいぶスッキリした状態で観察できるのではないでしょうか。


A型には可笑しいギャグでも、B型にとっては少しも面白く無いという現象があったとしても、キャッチするアンテナが違うのだから当然と言えば当然なわけです。これは、責めたり悲しんだりするような部類のものではないんですね。


細胞の働きの大切さについて、最先端細胞学博士のブルース・リプトン氏がユニークな見解を展開しています。

ブルース・リプトン(Bluce Lipton/英語版Wikipediaより)は、「人間の信念によって遺伝子やDNAを操作できるというアイデアを持つアメリカ発達生物学者」として知られています。 彼はベストセラー『The Biology of Belief』の著者であり、スタンフォード大学の医学部、元研究者です。


リプトン博士については、別の記事でも書きましたが、彼は今、学者を引退して意識開発、意識改革という、どちらかというとスピリチュアルな方向で啓蒙しているようです。


彼は顕微鏡で細胞をじっと見つめているとき、「細胞そのものが、DNAを動かしている!」ということに気が付いたのです。そして思考や意識がいかに大切かというところへ至ったとき、実験室からは離れることにした、ということのようです。

それでも、そもそも生粋の学者だし、A型でもありますし(本の中で書いています。)、自分で納得する理論を重視する姿勢は変わらないでしょう。現在、彼と共に行動しているのは、多くは科学系の人たちのようですが、尚且つ現代科学の枠組みを飛び越えて突き進んでいる方たちばかりです。

どうやら真実を求める人たちは、現在、そういう方向へ向かっている模様です。


私は、ABO血液型に関していえば、それは肉体に根ざしているところが大きいと考えています。ABO血液型の特徴が感情や言動にも表れているとするなら、それは肉体から派生する、二次的な働きのはず。ところが、二次的なものだというのに、血液型カラーはあまりに色濃く表出されているのです。


考えを巡らせるうちに、鶏と卵の理論に陥りそうです。全てを理解するには、私たちがまだ分かっていない残り95%のことが分かるようにならなければ、難しいのかもしれません。それには、未知の世界、神秘の世界にもっと足を踏み入れていく必要があるのかもしれません。


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2021-11-30

量子の世界が始まるときABO血液型アンテナの働きも見えてくる


見えない世界を意識する時代へ


最近、ある本を読んで、"細胞のアンテナ"という意味について、改めて考えてみようと思いました。

その本とは、『思考が物質に変わる時』/ドーソン・チャーチ著/ダイヤモンド社(原題:Mind to Matter/Dawson Church)というものです。出版されたのは2018年(米国)で、日本語に翻訳出版されたのは2019年。

著者のドーソン・チャーチ氏は、神経外科医に学び、エネルギー療法の研究開発や、健康・心理などに関する本を出版し、どちらかといえばスピリチュアル方面で活動しています。”スピリチュアル”というと、その言葉だけで敬遠する人がいるのは知っていますが、もはやそうした見えないものを無視し続ける時代は、終わりを告げるかもしれないのです。

本書は、”エネルギー”や”フィールド”、”波動”など、物質的観点からは理解し難い現象や治療法について語っていて、多くのエビデンスも紹介されているのですが、それでも今のところ、『似非科学』というふうに分類されてしまうのだろう、とは思います。

ただし、ここで語られている多くの現象は、量子物理学的には否定できないものばかりです。現在、「量子コンピューター」というのをよく耳にすると思いますが、それは、ごく近い将来、今の私たちには想像もできないような技術が、私たちの生活に取り込まれるということです。量子の世界は、これまでの理論が通用しない世界です。たとえば、時間や空間に縛られない世界。

おそらくそれは、人々がインターネットやスマホを手にするようになった技術革命とは、レベルの異なる領域です。これまでのように、「それはコンピューターの中のことでしょう」「それはごくごく微小な世界のことでしょう」、「だから私たちには関係ない」とは、言っていられなくなるに違いありません。

そういう時代が間近に迫ってきているのを感じながら、ABO血液型について、再検討してみる必要があると思ったのです。ABO血液型は、細胞の表面にある糖物質で、『糖鎖』と呼ばれるもの。糖鎖が”細胞のアンテナ”だということは、今ではもう、細胞や糖鎖の研究をしている人たちの共通認識となっているようです。アンテナだとすれば、いったいどのような仕組みで情報をキャッチしているのだろうか?

本書によれば、人には磁場のようなエネルギーフィールドがあり、たとえば思考するだけで、その性質がある種のエネルギー情報として周囲に伝達されるといいます。それは数メートルにも及び、それだけでなく、数百キロも離れた誰かにさえ、そのエネルギーを送ることができるというのです。

今の私たちの意識では、にわかに信じがたいことではありますが、量子物理学の世界では、そうした事実が既に証明されてもいるのです。先ほども書いたように、量子の世界は時間と空間の制約を受けないのです。


ABO血液型アンテナは何をキャッチしているのか?

それはさておき、少なくも、そうであるなら、細胞表面に無数にあるアンテナが、何かを受信していると考えるのは突拍子もないことではないでしょう。そしてそれは、A型アンテナ、B型アンテナ、O型アンテナ、というふうに、異なる物質によるアンテナを持っているのです。

体の内部、胃や腸の中なら、糖鎖の受容体が体内に入ってきた物質に反応するので、物理的にそれが行われていることが分かります。では、体の表面ではどのようなことが起こっているのでしょう。目には見えない空間の、”何か”を受容している可能性はあるでしょうか。

数年前、ポーランドからメールが届きました。そのラボは抗体に関する研究を行っているとのことで、興味深い内容を教えてくれました。

それによると、O型の人が居る部屋に、A型の人が入室しただけで、O型の人のA型抗体が増加したというのです。そのラボでは、人の発汗を感知したのではないか?という結論を出していたようですが、しかし、目には見えないエネルギーフィールドというのを信じるなら、O型の人の細胞表面糖鎖が、A型物質から発散される特有のエネルギーを感知するのは不思議ではありません。

研究会メンバーのひとりは、幼稚園児の頃、すでに血液型の違いに対する感受性を持っていたといいます。もちろん誰からも血液型の話など聞いたことはなく、ただ単に幼稚園の仲間たちを眺めていて、「自分とは異なる種類の子たちがいる」と、直感的に感じ取ったというのです。能見正比古はその数年後に本を出し、中学生頃になってそれを読むことになり、そして自分が幼い頃感じた異質感にようやく納得したのだそうです。

子どもの感受性が大人の数倍強いことは、誰もが理解していることでしょう。同じ場、同じ状況、同じ体験をしていても、アンテナの受信機能が異なれば、異なる感じ方をするのはしごく当然のこと。しかし今のところ、「抗原・抗体」という視点でしか説明することはできないのかもしれません。

ポーランドの実験が事実だとするなら、O型(H型)抗原しかもたないO型の人は、A型物質とB型物質に反応するわけで、それらが体内に物理的に侵入しなくても感知し、抗体を作り始めたことになります。するとA型やB型、加えてAB型が存在する場に居るとき、O型の人の体内は、何とも忙しいことになっていると予測できます。


OとABの対照性と矛盾点

O型の人が、日常生活では他のタイプに比べてもずいぶんおっとりとしているのに、なぜか人間関係だけには細かい神経を使っているようだと、能見正比古は分析しました。その理由を、O型の力関係への敏感さ、あるいは敵か味方かという本能的な習性、というふうな説をたてていましたが、その大元の原因が『抗体・抗原』にあるのだとすれば、もっとシンプルに説明できそうです。

他のタイプと出会うと同時に、抗体を作り出すのだとすれば、それはつまり、体は警戒態勢に入っているといえます。それが自分に害を与えるものなのか、そうではないのか…。体は神経質にならざるを得ないのです。O型は、O型同士でいるとき、もっとも自然体でいられるのかもしれません。O型が多い国のO型たちを見ていると、喧嘩こそしているものの、笑い声の絶えない、常に大らかな雰囲気に包まれているのです。

だからといってO型同士でいるのが良いと言っているわけではありません。異なるものを受け入れることは、自分の成長やコミュニティの発展に必要不可欠だからです。人間は、お互いの相互作用があってこそ、意味のある人生を送れるに違いないのですから。

さて、もうひとつの例として、O型とは対照的なAB型について考えてみます。AB型は、A型抗原も、B型抗原も、そして量は少ないながらH型抗原も持っています。すると、異なるタイプと同じ場に居たとしても、体の中ではさして何も起こっていないことになります。

ところが、ここで相反する興味深い現象があります。O型は、人に警戒心を持つ一方で、仲間意識は非常に強く、仲間との親密な関係を求め、人に対して解放的でもあるのです。ところがAB型は、仲間づくりにはさして積極的ではなく、むしろ距離を置いた人間関係を好みます。しかしAB型は、他のどのタイプより公平性に秀でていて、多様性を受け入れる感性を持ち合わせてもいるのです。

この矛盾をどう説明すればよいのやら。無理やり理屈で説明することは可能かもしれませんが、今の段階では保留にしておきたいと思います。人間は、やはりもっと複雑なのです。ただし、こうした複雑性と矛盾性の中に、ある種の法則のようなものがあるのも確かなことだと、付け加えておきたく思います。

いずれにしても、このように、フィールドやエネルギーといった、今までは語ることをタブー視されていた視点からも、仮説を立てていくことができる時代に、今後は進んでいくのではないでしょうか。まだまだ人間の探究は続きます。


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2017-05-15

DNAの真実、それは血液型人間学の可能性を探る手がかりにもなる

















遺伝子(DNA)についての真実が、もっと解るようになった時、ABO血液型の働きもようやく解明されるだろう…ということを示唆する本について、こちらとこちらののページで紹介しました。

思い起こせばヒトゲノムが解読されたのが2003年。
当初は、ヒト遺伝子の9割はガラクタなのか?と思い違いされるほど、科学者たちも遺伝子について分からなかったのでした。
その後、残りの9割は、働いている1割の遺伝子をコントロールしているらしいということを突き止めました。
けれど、それが一体どのようなしくみでコントロールされているのかは、まだ理解されていません。
というのが、主流科学の現状だと思われます。
DNAについて、私たち人間はまだよく分かっていない…そういう中にはありますが、とても興味深い、「え!?」というような実験事実も、精鋭の科学者らによって報告されるようになっています。

◎DNAはテレポーテーションする

2008年にノーベル生理学賞・医学賞を受賞したルーク・モンタニエ博士は、2つの密閉された試験管を並べてこんな実験をしました。
一方にはバクテリアDNAの断片を入れ、他方の試験管には純粋な蒸留水を入れます。
そして2つの試験管を7Hzの電磁場の中に設置し、十数時間後に調べたら、滅菌した蒸留水を入れた方の試験管にDNAの断片がわずかに発生していたというのです。
(7Hzの磁場を発生させずに行った実験ではテレポーテーションは起こらなかったそうです。)
これはつまり、DNAが空気中(空間)を通して何らかの働きをした、と言えるわけです。
また、7Hzという電磁波にも意味がありそうです。

DNAについての「え!?」という報告は、他にもいくつかあります。
いずれもこれまでの常識とは少々肌合いの異なる報告であり、DNAには、まだ沢山の真実が隠されているらしい、ということを示唆するものばかりです。
そして、ブルース・リプトン博士が言うように、DNAを動かしている張本人は、情報をキャッチする細胞のアンテナなのです。
つまり、ABO血液型(細胞表面糖鎖)は細胞のアンテナに他ならないという事実。
もの事はそう単純ではないかもしれませんが、[DNA-細胞-ABO血液型遺伝子]これら全体像が、ぼんやりではありますが、見えてきそうな気配がしています。

能見正比古が血液型の驚くべき調査報告をしてから45年。
私が血液型人間学に関わって数十年余り。
「何故だろう?」「何故、血液型が人間の行動にこんなに関わっているのだろう?」という「?」マークのおかげで、ぐっすり眠れない日々…(オイオイ、爆睡してるだろ!)
…とにかく、モヤモヤした気分がずっと付きまとっていた、というのが正直なところでした。
そしてある時点では、「まあ良い、それは100年後、やっと解るのかもしれないけれど、それは私の仕事ではない。今できることは、現在観察して見えている事実を認めることしかない」という、ある意味”諦め”のような境地でいた、という面も無きにしも非ずという感じでおりました。

ところがここ数年は、何やら面白いことになっているのかもしれない、という、そわそわした気分が続いています。
それは、血液型だけのことを言っているのではないのです。
生命の神秘に、ようやく光が当たりそうな予兆です。
それに、これらDNAの新事実を見ても感じることですが、人間の意識全体が、これまでとは違うフィールドへシフトしているらしい、というのを確認するようなことが、益々増えている気がするのです。

そして、DNA周辺の真相が理解され始めると、人間の可能性についても言及されるようになるだろうなと予測するのです。
それがどういうしくみかが分かれば、その働きを最大限に活かせるようになる…かもしれないのです。

でもまあ、周囲の人たちにそういう話をしても、案外反応が薄いのですよね。
私の説明が下手くそなのかもあるだろうけど。
そもそもやっかいなのは、DNAにまつわるこれらの報告は、どうやら量子論を理解しないと、何とも解せないという面があるようなのです。
私たちは今、3次元という物質世界で物事を捉えていますが、量子論では何と、12次元まで一気に飛んでいくようです。
たとえば、ある現象は観察者によって消えたり生じたりする、というような、何とも不思議な理論を展開させる世界です。
それでもそういう世界観も、一般の私たちも、いずれは理解できるようになっていくのではないでしょうか。

それで、思い出すのはSTAP細胞の小保方女史の一件です。
彼女はあの問題の後、再現を試みましたが失敗に終わりました。
何度も成功させたと発表していたはずなのに…?
そこには、量子的(クォンタム)な秘密が隠されているのかもしれませんね。
いつか小保方さんも、ぐっすり眠れる日が、訪れる…かもね。