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2018-03-28

細胞は思考するーブルースリプトン博士が到達しようとするその先は?

細胞は賢い!そしてABO血液型も賢く働いている?


以前にもこのブログで簡単に紹介したことがある「思考のすごい力(原題:The Biology of Belief)」という、細胞生物学博士ブルース・リプトン氏の著書を再考察します。

リプトン博士の発見は、生物学における「セントラルドグマ(中心教義)」という概念(現在はこれが強く言われることは少なくなった)を、ある意味覆すことになるものでした。セントラルドグマとは、遺伝子の情報伝達においての中核的な教義で、あらゆる生物の生成は「DNA→(mRNA)→たんぱく質」という一方向の順に情報が伝達されるという基本原理のことです。


そしてリプトン博士自身も、その日その時までは、「セントラルドグマ」に従って研究を進めていたし、生徒たちにもそのように指導をしていました。ところが、生徒たちに教えるためのノートをまとめている最中に、リプトン博士は、はたと気づきます。


「細胞は、DNAの命令に従っているわけではない!」


細胞生物学者である博士は、何年もの間細胞を観察していて、その働きの独立性や知性については充分知っていました。ところが、ある壁(細胞膜)があることで、その神秘を説明して次の展開に進むことができずにいたのです。しかしその瞬間、その鍵を探し当てます。まるで電光が射し込むように…博士の知性の扉が開く瞬間でした。1985年の出来事です。


その後リプトン博士は、医学生の教育現場から医学部研究室に戻りますが、彼は「セントラルドグマ」に異議を唱え始めます。それを他の生物学者らが嫌がったのは言うまでもありませんが…。博士は、何年もかけて「魔法の細胞膜」を説明する方法を改善しながら、"生命の秘密を解く鍵"について訴え続けることになります。

本書が本国で出版されたのは2005年ということは、博士の最初の"気づき"から既に20年もの月日が流れています。その間、博士の理論を裏付けるような研究発表が次々と行われ始めます。そしてヒトゲノム計画(DNAの解読)の終了が発表されたのが2003年。その時、マウスとヒトの遺伝子の数は同じ…つまり、遺伝子だけ調べても人間の複雑さは分からないということが明らかにされたわけですが、本書の発表はその数年後になって、やっとその時を得たということでしょうか。

リプトン博士がこの本を出版したあと、同様の研究者にこう言われたそうです。

「しかし君、これは特に新しい発見というわけではないのじゃないかね?」
細胞学者にとっては、細胞が外部の情報を受け取って内部に伝達しているということも、細胞の賢さも、遺伝子が全ての支配権を握っているのではないことも、既に周知のことなのでした。しかリプトン博士が彼らと違ったのは、その細胞の働きを単なる物質の働きと捉えるのではなく、それが"思考"していていると捉え、それがいったい何を物語ることになるかというところまで、発展させたところにあるのだと思います。

本書を読んで、教義に異を唱えたリプトン博士が味わったその数十年の経緯を見ていると、学者たちというのは、どうしても自分の専門分野を超えない範囲でしか見ない…というか、現状、見れないシステムになっている、というのがよく分かります。「セントラルドグマ」という教義が既に古くなったと分かっていながら、誰も(リプトン博士以外)それについて触れようとしなかったのは、たとえば細胞学者からすれば「細胞が情報の伝達をやり終えたあとのことは、DNAをいじくり回す人がやってくれ、私たちここまでだから…」という感じだからです。お互いの領分は侵さないという不可侵条約みたいなものが、暗黙に了解されているかのような雰囲気です。


ここで本題にもどると…

本書では、細胞ひとつひとつがまるで脳であるかのように、複雑さ極まりなく賢い様を、分かり易く説明しています。"遺伝子が支配していない"という説明では、たとえば細胞からDNAが収められている「核」を取り除いても、細胞はだいぶしばらくの間それまで通りの活動をします。もちろんいずれその細胞は死に至るのですが、それは核からの情報指令が失われたからではなく、再生し増殖する能力が失われたからです。つまり細胞が核にある遺伝子に再生要請をすることで、遺伝子ははじめて情報を生み出すからです。となれば、遺伝子は生命の中核を成す脳というより、むしろ生殖器のようなものである、と博士は冗談めかします。外界の情報を受け取って「これが必要」「それを送れ」と脳のように指令を出しているのは、細胞膜のたんぱく質の方なのです。

そして、我々が生命を維持するのには、内側というよりも外側からの入力が重要であるとも言っています。「環境→細胞表面・細胞膜→核(DNA)→新たなたんぱく質の生成」という順路で生命維持は行われるのだと。
もちろんこれらは留まることなく循環している作業ですから、どれが鶏か卵かというところもあります。博士は、「セントラルドグマ」の古臭い概念を崩したいがために「遺伝子は生殖器のようだ」と言ったのですが、そもそも、どこに中心をおくとか、どこに支配権があるとかいう、一方向的な支配構造概念を、私たちは取り払わなければならないのかもしれません。

こうした考えに似た理論は、生物学者も遺伝学者も、既にいろいろな本に著しているとは思います。けれど同じ現象を観察して説明したとしても、その人の知性や視点によって捉え方は異なり、最初はその差はわずかに思えても、いずれ大きく離れていくことになります。これまでの科学はそんな微妙な分岐点を、あるところで見過ごしながら進んできたのではないかという気がします。


では、するとABO血液型は、この賢い細胞上で、どのような働きをしているのでしょうか?
博士は本書の中では、細胞膜やたんぱく質全般について話しているのであって、ひとつひとつの特徴的な働きや細胞表面についてまでは言及していません。しかし、細胞の膜とその外側における、むしろ環境からの入力をどう処理するかが、私たちの生命を維持したり、活動を制御したり、知性を発達させたりしているのだ、ということは明確に示しています。

何度もお伝えするように、ABO血液型は細胞の表面に乗っかっている糖鎖であり、レセプター(受容体)です。ガラクトース(B型に関与)やNアセチルガラクトサミン(A型に関与)などが、その代表的なものですが、これら糖鎖が外部の情報を細胞内へ受け渡す役割を担っているのです。外側の情報をどのように知覚しどのように受け渡すか、というその鍵は、糖鎖が握っている、ともいえるのです。リプトン博士の言うように、生物としての細胞が思考(信念)を持つならば、ABO血液型のそれぞれも、それぞれの受け取り方、それぞれの振る舞いの中で、何らかの信念形成に関与していると考えられます。


そして今後の研究と可能性

私はこの本を数年前に読みましたが、あらためて再読し、記事をここに再度残そうと思ったのは、昨年終わり頃から放映しているNHKスペシャル「人体」という番組を観たからでした。

この十数年、一方では(今の)科学の限界が言われ続けていました。

「もう充分研究したが、この先何を発見すればいい?人間の頭脳で検証できることは全部やったし、今分からないことはこれからも、人間には分からないのでは?」
ところが、意外なところからその壁を打ち破る方法が生み出されている、ということを、この番組を観て知ったのです。

MRIなどを観る際の画像処理技術が画期的に改善されたことで、今まで部分的にしか観れなかった血液循環の様子など、その範囲が大幅に拡大し、体内を流れる血液の中で実際に何が行われているのかという全体像が明らかになってきたのです。それは驚きでもあり感動でもある光景です。たんぱく質らやレセプターらは、ひとつの情報をキャッチするやいなや、光の速さ(実際、光って見える!)で指令を出し、それらは次々と連携してゆき、体内の総てが共同で連動し合っているという事実を目撃するのです。

こうなってくると、私は××の研究だけしていればいい、とは言えなくなってくることでしょう。もはや、血液の研究者も、脳の研究者も、免疫の研究者も、あらゆる分野の研究者たちが総動員しなければならなくなったのです。人間というのはこの目で見たものしか信じない…という愚かしい信念がありますが、人間による理性ではなく、画像技術が生物学界の不可侵条約を打ち破ったというのですから、少々皮肉でもあるような気がします。
考えてみれば、むしろそれに関わっていない私たち一般人の方が、「部分的な研究じゃなくて、お互い連携し合って研究すればもっとよく解るんじゃないの?」と、ずっと長い間思っていたかもしれません。

とにかく、この全体像を観測できるようになったことで解っていくことは、革命的な人体科学の進歩になるだろうということです。ご覧になった人も多いと思いますが、テレビでは視聴者の身近な関心事にうったえるため、まずは癌の治療法が画期的な解決に至るであろうという点を大きく取り上げていました。それは本当に、多くの人が安堵する、素晴らしいことです!

そしてABO血液型について話を戻せば、この研究に対しても、部分的に調べていたのでは、おそらくいつまで経っても分からないだろうというのを、能見俊賢ともよく話していたことでした。血液学者が血液をどんなに調べても、免疫学者が免疫システムどんなに論じても、遺伝学者がDNAをどんなにいじくりまわしても、何も出てきやしないのです。彼らはいつも、「ABO血液型物質はそんなに重要な働きをしていない」としか言えず、「悪いけど、私たちにはもっとやらなければならない重要な研究がたくさんありますので…」と、鼻で笑って見過ごしてきたのでした。
ところが、こうして全体像が見えてくるようになれば、リプトン博士のように電光に目が覚め、そこに光をあてる学者が出てくる可能性も高くなります。

そしてまた、現在、糖鎖の研究が進み始めていることも、ABO血液型にとっての朗報です。糖鎖研究に関わる研究者たちは、この糖鎖の働きがいかに重要かということを解り始めているのです。おそらく「糖鎖」とインターネットで検索すれば、今はたくさんの情報が出てくると思います。数年前までは、ほとんど情報が無かったし、あってもサプリメント関連で取り上げているような位置づけでしかなかったのです。これについての研究者側の言い分は、細胞にはたんぱく質と糖鎖があるが、糖鎖は次々とその形を変えて複雑なため、観察するのも複製するのも、再現するのも困難だったということです。これもやはり、近年の観測技術の進歩によって次のステップに進めたということなのでしょう。


このようにして、ABO血液型について真に研究できる舞台が、徐々に整いつつあります。

そして、本当の研究が行われたとしたら、今度はその結果をどのように我々が活用するのか、そのことが最も重要なことかもしれません。そのとき訪れるであろう微妙な分岐点を、どうか見誤らないで欲しいと願うばかりです。

リプトン博士の本から話がだいぶそれましたが、リプトン博士の細胞の研究に対する期待もさることながら、私は個人的に…、リプトン博士の物の見方、捉え方に共鳴しています。ですから今後、ABO血液型についても何か示唆を与えてくれるのではないかと期待をふくらませているのです。

実のところ、現在リプトン博士は、研究現場からは退いているようです。おそらく、学会に属していたのでは自分の真の目指すことが出来ないということになったのでしょう。

リプトン博士は、細胞が環境の情報を受け取って独自に"思考している"ということが分かったことで、私たち人間は、その情報の受け取り方次第、その思考の仕方次第で、いかようにもなれる"すごい力"があるということを、生物学者という物理の科学者として理解したのでした。そして人間だけでなく細胞同士がうごめくこの世界は、それが今は目で見えなくても、全てが繋がっている共同体なのだということに焦点をあてるようになります。するとその先へ進むには、もっとスピリチュアル(精神性)な視点を広げなくてはならなくなります。その見方は、いまだに多くの人が避けている道でもありますが、リプトン博士は今、そうしたスピリチュアル的概念に背を向けていた世界に居た一生物学者として、ひと肌脱がなければならぬという思いで啓蒙活動に忙しくしているようです。

私も、ABO血液型遺伝子という物理的な働きにおいては、実証できる(現在の)科学的研究が成されるべきだと考えていますが、実際に私たち人間がこのABO血液型の知識と知恵を活用するためには、スピリチュアル的な概念を理解していかなければならないとも強く思っているのです。

それは私だけが独断でそう思っているのではありません。この研究の創始者、能見正比古も、「愛」をもってしてでなくてはこれを使うべからずと、何度も何度も訴えてきました。しかし能見正比古が、「愛」とか「人間の連帯意識」とか、そういう見えないもの、スピリチュアル的要素を多分に含む観念(能見正比古がスピリチュアルという言葉を意識したかどうかは別として)を土台にして人間を観察していたことを、多くの人は知らなかった(あるいは気に留めなかった)と思います。しかも困ったことに、そっちを強調すると「やっぱりまやかしだ」「トンデモ科学だ」「ただの占い」というふうに、違った方へ矛先が向かってしまうのです。能見正比古は、このどうしようもない思い違いに深く苦悩しながら、著書の最後のほんの隅っこに、その想いを綴っていたのでした。

私自身、そんな迷路のような行ったり来たりのあれこれを、長い間ずっと考えてきたわけですが、これからは、さすがに次のステージに進めるのではないかと希望を持っています。
そのためには、リプトン博士のように、科学とスピリットの橋渡しをするような、あるいは科学と精神性の統合をめざすような、そういう学者がどんどん現れることを楽しみにしているのです。そして、それぞれの血液型の、その血液型にしかない素晴らしい役割や思考、あるいは隠されたスピリットというのを、人々が理解する日を待ち望んでいます。



2017-08-12

O型になりたいA型が、こんなにも多いその理由

A型の人は、なぜに他の血液型になりたがるのか?


最近開催しているワークショップやサロンなどでも度々テーマにしていたのですが、ずいぶん前からいろんなところで「生まれ変わったら何型になりたい?」というアンケートを取り続けています。

その回答結果で、いつも興味深いところは、「A型さんは他の血液型になりたい率が高い」というものです。

それはもう、本当に、第一にはA型の人々の向上心の表れとしかいいようがないのですが、別の側面から分析するなら、A型の性質が完璧主義的な故、足りない部分に焦点を合わせやすいということも挙げられるでしょうし、その完璧主義的性質のあまり、自分自身に疲れ果て、もうA型は懲り懲りと思う場合もあるでしょうし、あるいは案外、どの血液型よりも人に対する好奇心が最も旺盛なのかもしれない、などと、いろいろ考察できるわけなのです。

中でも更に興味深いのは、A型の人が自分以外の血液型を回答する場合、B型と答える人が最も多くなることです。
A型にとってB型というのは、全くもって対照的な性質を持っている相手なのです。
それを見て私は、益々、「A型の人たちって、本当に向上心が強いのだなあ」と、感心してしまうのです。

だって、じゃあもう一方のB型さんの方はどうかというと、A型と回答する人は一番少ないのですよ。
これじゃあまるで、A型の片思い?のようにも思えてしまう結果なのです。
まあこれは、こうしたところにさえ、A型とB型の対照性というのは表れているのだ、という、不思議さでもあるのですが、このA型とB型の興味深い相性関係については話しが深くなりすぎるので、ここではこれ以上触れないことにします。
とにかくA型の人々が、(他の血液型の人に比べて)別の血液型になりたがっている人が多いというのは、事実として言えることだと思います。

A型はB型に憧れるのに、実生活ではO型を目指すホントの理由とは?

それで引き続き、いろいろなところで話を聞いてみますと、なるほどと思うような別の事実があります。
あるB型の研究員メンバーと雑談していたら、彼がこんなことを言い出しました。
「友人のA型が、”オレをA型と言うな~オレはO型を目指しているんだ~!”と張り切ってますけどね。ボクのようになりたいというA型には、未だに会ったことがないですけどねえ(笑)」

これはまあ、笑い話のひとつなわけですが、確かにそういえば、A型の人は「ワタシ、O型に近いA型だと思うんですよね、母がO型のせいかな…」というようなことをよく言います。

どうも実質的な日常でのA型は、こちらの意見の方が多いようなんですよね。

ということはつまり、A型は、B型の性質には憧れるけど、あまりに自分と違い過ぎるB型になるのは難しいので、もしも目指すなら、O型を目指す、ということなのか?
とも思えますし、そしてまあ、いずれにしてもA型の人たちは、どうやら自分の細かいところを気にしすぎてしまう性質を無くしたい思いがあるらしく、それで大らかに思えるO型的な気質になりたい、というところなのかな。
などと、私は想像したりしていたのです。

けれど、それが物理的(科学的?)な理由による明らかな現象であることを、最近改めて確信したのです。
どういうことかといいますと、ABO遺伝子の構造によるものです。
多くの人はDNAの配列など、ほとんど興味はないと思うのですが、一応ここに、その塩基配列を紹介しておきます。



図でも分かるように、O型とA型の塩基配列というのは、とてもよく似ているのです。
位置が微妙に違うだけで、核酸の種類も順序も全く同じになります。

ところがそこで大きな違いがおこるのは、O型の場合はそれが活性しないような構造になっているからです。
これをフレームシフトを起こしていると言うらしいのですが、そのためO型の場合、持っていながら使わない(使えない)状態にあるということです。
そしてA型は、それが何事もなく活性しているので、その核酸よる生合成の威力が発揮されるというわけです。

つまり、A型の活性部分を無くしてしまうとO型になってしまう、ということでもあるのです。
そうだとするなら、”A型の人がO型になろうとする現象”は、あながち戯言でもなく、単なる”無いものねだり”というわけでもないところがあるのです。
あるA型に、自分の持っている「”余分なもの”を外してしまおう」という発想が起こったとしても、ぜんぜん不思議ではない気がするのです。
実際、それを実現化した姿をO型に見ているわけですし、何となく「O型になれそうだ」という気分になっても、DNA的には不可能ではない挑戦とも言えそうでして、A型の人たちはO型を見て、妙に共通するものを感じているのかもしれません。

ああ、A型さんたちは鋭い!

まあでも、A型の日々のストレスとか、ストイックな思いとかをはぶいて言うのなら、せっかく持っているA型的な武器(強み)を、まずは磨くのがいいとは思うのですけれど。
その完璧さ、その精密さ、その思慮深さなどは、確実に保持しながらも、その上で更に、それに伴うネガティブな部分というのを外すことができたなら、それはもう、怖いものなしなのです。さすれば、まったくもってA型最強!となるわけであります。

それにしても、DNAの配列を眺めただけでも、何かを物語っているのがABO血液型なわけです。
その何かが何なのかは、今のところ分かりませんが。
それが分かる日をとりあえず楽しみにして、私たちは、それぞれの道を究めてゆきましょう。

追伸:写真の意味は特にないんですよ。違うモノを愛する動物たちの姿が微笑ましいので画像をお借りしました。人間もみんな、異なる性質を理解しながらもっと仲良くすればいいのにな…。
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2017-07-20

【科学ニュース】日本人のゲノムを解析したらどこにもない日本人特有の特徴が見 つかった!

日本の特異性とはいったい何を示すのか?


「日本の特異性について最近よく考えるのです」ということを、過去の記事でも書きましたが、歴史も地理もひどく苦手なわたしは、生まれた国でありながら日本についてはむしろ、無知無学と言ってもいいくらいです。しかし「血液型人間学」ということに関わったおかげで、”日本の人々”については考えさせられる機会がしばしばあります。

ただし、わたしが日本について考える動機というのは、他と少々異なっているかもしれません。

・なぜ日本で血液型の研究が早くから始まったのだろう?
・なぜ日本中にこんなに血液型が浸透したのだろう?
・日本の血液型分布(4:3:2:1)が特別なのには意味があるのだろうか?
・日本の人々は血液型の事実を受け入れてながら認めないのはなぜだろう?
・・・etc
という具合に、血液型がらみになるからです。

この研究は、新種の分野ということもあり、またそれを、能見正比古が”フィールドワーキング”という考えで大衆に広めた、というのがあり、実にさまざまな扱いが為されてきました。もちろん個々には、とても心温まる扱われ方もあるのですが、まあ日本社会全体...という観点からは、「ひどい扱われ方だなあ…」というのが多いのです。しかも困ったことに、「こんなもの要らない!」と相手にされないなら、それはそれで仕方ないですが、それでいて、興味シンシンのところがあり、あちこちから変な茶々が入ったりするので、何だかんだ、厄介なのです。それで、その度に、つくづく思うわけです。

「日本の人たちは、いったい、どうしたいんだろう?」

それにわたしは、海外でもこの研究を伝えていますので、日本と他国での、反応の違いというか、受入方の違いのようなものも、肌で感じたりもしてきました。あるいは、ことさら意識したくなくても、国内外の取材人らに「日本人はなぜ血液型が好きなんですか」と、度々聞かれたりするので、結局考えざるを得なくなるのです。

そんな背景があった上に、最近の世界の変わりようの中で、相変わらず、ノホホンとしている日本の人々を眺めながら、わたしのレーダーがやけに”日本人”に向いていたわけです。そこへもってきて、興味深いニュースが飛び込んできたので、「おや?」と思ったので、記録しておこうと思います。

日本人のゲノムは西洋はもちろん他のアジアとも異なる!?

東北大学らが、日本人およそ3500人の全遺伝子情報を解析したそうで、すると、世界中の何処とも異なる日本人だけの特異性があるらしいと分かったと言うのです。

東北大学がプレスリリースに概要を掲載しています。
日本人 3,554 人分の全ゲノムリファレンスパネルを作成 

ここでまず興味深いのは、他国と異なると言っても、西洋の人たちのことなら当然とも思うのですが、アジアの国ともだいぶ異なるという点なのです。

(プレスリリースから一部画像をお借りしました)
ベージュ色の集まりが今回のデータで、東アジアのそれと座標上で比較しています。
明らかに、異なるフィールドにいるという感じです。

アジアと言っても主に中国ですが、お隣の国ですから、もう少し近くてもよさそうなものです。これを聞いて、驚いた人もいるかもしれませんが、私のように、「ほら、やっぱりね!」と思った人も案外いるかもしれません。

以前、日本人は”記憶喪失に陥っているのかもしれない”ということを書いたのですが、今読み返すとかなり意味不明な文章で、読んでもらうには申し訳ないー。ここで要約すれば、「世の中があまりに違う形に変形していく中で、”日本魂”は封じ込められたのかもしれない」ということを書きたかったものなのです。

ですので、「ああ、やっぱり!」と、こうしたニュースを聞いて記憶を取り戻しかけていく日本人もいるかしらと、ちょっと期待しているのです。

また、それとは別に、日本の中でも多少の地域性が示されています。西日本、中部、東日本というふうに、きれな集合域を織りなすのが見て取れます。

そして、この日本地図の色分けが「あれ、確かどこかで見たことあるよ」というものだったので、下にここに並べてみることにします。
どこかで見たことあるというそれは、日本の血液型分布です。西日本、中部、東北という3つの区域で、ある程度はっきりした偏りを示しています。偏りと言っても数値的には数パーセントの事なのですが、それでも地域性といえるものとして、血液型学や民族学などの分野でしばしば取り上げられてきました。

この二つの図表は、妙に重なる感じがします。そしてこの集合域を最初の図表と重ねると、東北に行くほど他のアジアの人々から遠ざかるということになります。

それから、これに関連して、2年ほど前に縄文人のDNA解析が行われたというニュースも思い出しました。こちらにそのチームによる説明記事があります。(生命誌ジャーナル)

ここで、今回のニュースとは少し方向性がずれるかもしれないのですが、わたしの思うところを加えると、この縄文人のDNAというのは、福島の古墳から採取したものです。今回のDNA解析も東北大中心の研究だったせいもあり、東北人のサンプルが多いようです。つまり、「縄文人の特異なDNA」と、「東北へ進むにつれB型が多くなる」のと、今回の「他の国々とは異なる日本人のDNAの発見」という3つの事実は、微妙に関連性があるかもしれないというものです。

もちろん、これが何を意味するのか?というのは、まだよく分かりません。日本の歴史の縄文時代というのは、非常に謎に包まれています。縄文期から弥生期に変容した経緯も、未だによく分かりません。弥生人系の人々は朝鮮半島経由で大陸から渡ってきたと言われてきましたが、その辺りのことも不明な点が多くあります。(←最近のある見解では、弥生人系と縄文人系を明確に分ける証拠は、実はないのだとも言われていますが。)

それでは日本にもともと居たとされる縄文人はどこから来たのでしょう?どうやって発生したの?(←へんな表現ではありますが)縄文人のDNAは、南アメリカのインディアンとやや近いということも興味深いことです…やはり大昔には大陸があったのかも?…なんて。(そうです、アトランティスと並んで噂される幻の大陸、”ムー大陸”のことです。)

パズルのピースは、まだ揃っておりません。埋められないピースが多いのです。




2017-05-15

DNAの真実、それは血液型人間学の可能性を探る手がかりにもなる

















遺伝子(DNA)についての真実が、もっと解るようになった時、ABO血液型の働きもようやく解明されるだろう…ということを示唆する本について、こちらとこちらののページで紹介しました。

思い起こせばヒトゲノムが解読されたのが2003年。
当初は、ヒト遺伝子の9割はガラクタなのか?と思い違いされるほど、科学者たちも遺伝子について分からなかったのでした。
その後、残りの9割は、働いている1割の遺伝子をコントロールしているらしいということを突き止めました。
けれど、それが一体どのようなしくみでコントロールされているのかは、まだ理解されていません。
というのが、主流科学の現状だと思われます。
DNAについて、私たち人間はまだよく分かっていない…そういう中にはありますが、とても興味深い、「え!?」というような実験事実も、精鋭の科学者らによって報告されるようになっています。

◎DNAはテレポーテーションする

2008年にノーベル生理学賞・医学賞を受賞したルーク・モンタニエ博士は、2つの密閉された試験管を並べてこんな実験をしました。
一方にはバクテリアDNAの断片を入れ、他方の試験管には純粋な蒸留水を入れます。
そして2つの試験管を7Hzの電磁場の中に設置し、十数時間後に調べたら、滅菌した蒸留水を入れた方の試験管にDNAの断片がわずかに発生していたというのです。
(7Hzの磁場を発生させずに行った実験ではテレポーテーションは起こらなかったそうです。)
これはつまり、DNAが空気中(空間)を通して何らかの働きをした、と言えるわけです。
また、7Hzという電磁波にも意味がありそうです。

DNAについての「え!?」という報告は、他にもいくつかあります。
いずれもこれまでの常識とは少々肌合いの異なる報告であり、DNAには、まだ沢山の真実が隠されているらしい、ということを示唆するものばかりです。
そして、ブルース・リプトン博士が言うように、DNAを動かしている張本人は、情報をキャッチする細胞のアンテナなのです。
つまり、ABO血液型(細胞表面糖鎖)は細胞のアンテナに他ならないという事実。
もの事はそう単純ではないかもしれませんが、[DNA-細胞-ABO血液型遺伝子]これら全体像が、ぼんやりではありますが、見えてきそうな気配がしています。

能見正比古が血液型の驚くべき調査報告をしてから45年。
私が血液型人間学に関わって数十年余り。
「何故だろう?」「何故、血液型が人間の行動にこんなに関わっているのだろう?」という「?」マークのおかげで、ぐっすり眠れない日々…(オイオイ、爆睡してるだろ!)
…とにかく、モヤモヤした気分がずっと付きまとっていた、というのが正直なところでした。
そしてある時点では、「まあ良い、それは100年後、やっと解るのかもしれないけれど、それは私の仕事ではない。今できることは、現在観察して見えている事実を認めることしかない」という、ある意味”諦め”のような境地でいた、という面も無きにしも非ずという感じでおりました。

ところがここ数年は、何やら面白いことになっているのかもしれない、という、そわそわした気分が続いています。
それは、血液型だけのことを言っているのではないのです。
生命の神秘に、ようやく光が当たりそうな予兆です。
それに、これらDNAの新事実を見ても感じることですが、人間の意識全体が、これまでとは違うフィールドへシフトしているらしい、というのを確認するようなことが、益々増えている気がするのです。

そして、DNA周辺の真相が理解され始めると、人間の可能性についても言及されるようになるだろうなと予測するのです。
それがどういうしくみかが分かれば、その働きを最大限に活かせるようになる…かもしれないのです。

でもまあ、周囲の人たちにそういう話をしても、案外反応が薄いのですよね。
私の説明が下手くそなのかもあるだろうけど。
そもそもやっかいなのは、DNAにまつわるこれらの報告は、どうやら量子論を理解しないと、何とも解せないという面があるようなのです。
私たちは今、3次元という物質世界で物事を捉えていますが、量子論では何と、12次元まで一気に飛んでいくようです。
たとえば、ある現象は観察者によって消えたり生じたりする、というような、何とも不思議な理論を展開させる世界です。
それでもそういう世界観も、一般の私たちも、いずれは理解できるようになっていくのではないでしょうか。

それで、思い出すのはSTAP細胞の小保方女史の一件です。
彼女はあの問題の後、再現を試みましたが失敗に終わりました。
何度も成功させたと発表していたはずなのに…?
そこには、量子的(クォンタム)な秘密が隠されているのかもしれませんね。
いつか小保方さんも、ぐっすり眠れる日が、訪れる…かもね。

2017-05-14

意識と環境が細胞をコントロールしているという事実からわかるABO血液型遺伝子の働き

思考のすごい力

思考のすごい力/ブルース・リプトン著(西尾香苗訳)/PHP研究所

ABO血液型が、なぜ、どうして人間の性質にそこまで関係することになったのか?それを科学的(生物学的、生化学的にという意味。統計的には証明できている。)に納得されるよう説明することがなかなか出来ずにいたのです。そしていつまで経っても「たかが血液型なんかで…?」という反感が根強くあります。

人間は長い歴史の中で環境に適応して生き残ってきました。ABO血液型物質が、血液中だけでなく全身の細胞に存在しているなら、外界の情報を受け取りながらそれに適応反応し、何らかの形で行動にも影響を与える結果になったとしても何なら不思議ではないのです。

科学シロウトの私はそう考えますが…単純過ぎる?いやいや、専門家さんたちは難しく考え過ぎているんじゃないのかしら?実際、それぞれの血液型分布の偏る地域を見ると、その地域性が血液型の性質とよく一致する点が多く見つかるのです。もちろん能見正比古も著書の中で何度かその点に言及してきました。ところが、その辺については、ことごとく無視され続けてきたのです。

そんな白けた(わたしの気分的)状況に、息を吹き込んでくれたのがブルース・リプトン博士です。最先端細胞学博士のブルース・リプトン氏は、細胞が単なる物質的な生体反応の領域を超えた働きをしていることを突き止めてくれました。環境と意識は、細胞を通じて遺伝子のふるまいまで変えていくという事実。環境を受け取るのに重要な働きをするのは、細胞の内外にあるたんぱく質で、これらが情報を伝達したり、細胞核にある遺伝子にフィードバックしたりするといいます。

ABO物質は、細胞の表面に存在する糖鎖(たんぱく質の一種)。要するに、ABO物質はアンテナのようなもので、血液型による違いはアンテナの違いなのです。この本はABO血液型について触れているものではありませんが、ブルース・リプトン博士は本の中で自分の血液型について書いていました。A型だということです。


本書は、わたしたちの体が、外部にどのように反応し、どのようにコミュニケーションをとっているのか。これまでとはちがう思考で自分を見るきっかけにもなるかもしれません。

Thank you & Love


2017-02-11

私たちは単なる肉体ではないと認める時、血液型遺伝子の真実がやっ と解明されるかもしれない?






グレッグ・ブレイデン著
清水公美・翻訳
ダイアモンド社

DNAに書かれたメッセージとは?


私は個人的には、精神世界を信じてきた人間です。子どもの頃から、見えない(はずの)存在たちと、ご対面することもあったからです。そのせいか、密教ヨーガ、イエスや聖書、仏陀…、そういう教義に若い時から触れることもありました。

けれど、精神世界と「血液型人間学」を繋げて考えようとは、決して思っていませんでした。それは、全く関係ないと断定していたわけでなく、繋げようにも繋げ方が分からない、というのが正直なところだったのです。それに、近代社会において…つまりは世間が、そうした精神世界のものを怪しげに、あるいはあまりに面白半分に取り扱っていたというのも、仕事や研究とは遠ざけたいところがありました。事実、血液型の情報は、”血液型占い”という形で広がってしまったのです。

ただ、そういうと、まるで”占星術”や占星学者を否定しているかのように受け取る方もいるので、敢えて言うと、「それとこれは、あくまでも違う分野のことです」ということです。今の段階、つまり、「血液型人間学」という始めたばかりの、そして遺伝子自体に解っていないことが山ほどあるというのに、「お願いだからあちこちから茶々を入れないでおくれ!」というのが、能見正比古や俊賢、そして私の、切実な思いでありました。

ところが数年前、この本(ゴッド・コード/グレッグ・ブレイデン著)を手に取って読んだ時、私の頭は一瞬、お星さまだらけになりました。

おいおい、おやおや?何だか世界は、違う方向へ動き出しているのかしら?

これはやはりある種のショックであり、私の頭はしばし混乱していました。それがどういう感じかというと、たとえば、PCのOSを新しいのに変えるときのような、どこか捨てがたい郷愁と、何もかも刷新するんだというワクワクと、その両方が入り混じる感じでしょうか。

グレッグ博士は、DNAに書かれたコードはただの化学物質の羅列ではない、というのを突き止めたのでした。博士は、DNAに書かれた記号は化学物質を表すものでもあるが、言語でもあり、そこにはメッセージが含まれると言うのです。

そして、DNAコードの最初には、何と書いてあるのか・・・。

「神は永遠に私の中に」

と書いてあるのだと。

https://youtu.be/E6RQbQVelzE


なぜか分かりませんが…
そのくだりを読んだときには、なぜか涙が溢れて、何というか…「ああ私は、この時をずっと待っていたのだ」という気持ちになったのでした。

では、ABO遺伝子については?何て書かれてあるのでしょうか?

残念ながら、それはまだ明かされておりません。しかし、そう遠くない将来、人類は、もっと違う視点から遺伝子を見ることができるようになるのかもしれません。

ABO血液型の観察によって得られた行動特性は、今のところ、あくまでも肉体に根差した部分として取り扱っています。まずはその物質的な肉体の性質を知るということだけでも、大いに有用できるからです。それが人間の性質を知る手がかりであるというのには、変わりはありません。

そしていずれ、「肉体、意識、心、精神…」それら全てが、統合される日がやってくるのかもしれません。人類の未来を楽しみにいたしましょう。