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日本と韓国を想う(1)

韓国との素晴らしい思い出を胸にして



現在、韓国と日本の関係が非常に悪化しています。
これまでは国同士の政治的な問題の範疇だったので、日本の人々も一部の関心を持つ人以外は、あまり気にすることもありませんでした。
ですから経済的交流は変わらず盛んに行われていましたし、人々は韓国旅行や韓国ドラマを、心から楽しんでいたのです。

ところがここへ来て、徐々に雲行きが怪しくなってきました。この流れがいったい何の意味を持たせていくのだろうかと、普段は政治に関心の薄い私も、理解しておきたくなったのです。
それこそこの話題、このブログの「血液型人間学」とはあまり関係ないのですが、韓国とは、ABOセンターとして、また個人的にも、深い深い思い出があるのです。


韓国においては、血液型人間学の啓蒙活動を1997年頃から10年ほど行いました。きっかけは、あるひとりの韓国人女性(AB型)の手紙に始まります。

『私は、日本で"血液型結婚学"という本に出会い、とても感激しました。この本をぜひ韓国語にして出版したいと思います』

そして彼女は、本を出してくれる韓国の出版社を探し出しました。その出版社は女性社長、女性スタッフの小さな出版社でしたが、「血液型人間学」にすっかり惚れ込んでしまった彼女たちは、驚くべき情熱で次々と翻訳出版を成し遂げていったのです。
彼女たちの精力的なPRのおかげで、TVの特集番組や幼稚園での講演会など、さまざまな企画も行われ、私と能見俊賢は、度々韓国へ訪れることになったのでした。
私は能見俊賢の秘書として、やり取りの全てを行っていたし、女同士ということもあり、社長(B型)も室長(A型)も、スタッフとも、心友と思えるほどの深い友情関係を築くことができました。
私たちは、「人類平和のための血液型人間学」という、同じ目的を持った同志として、心を一つにしていたのでした。

しかしその後、残念なことが重なりました。
2006年、それはほとんどその一年の間に起こったことでしたが、最初に韓国出版社のA型室長のお母上が倒れ、親孝行の室長は仕事を辞めざるを得なくなりました。そして室長が抜けた痛手は大きく、その上、「血液型啓蒙」にあまりに力を注ぎ過ぎたことで経営が悪化し始め(申し訳ない)、活動を継続することがだんだん困難になってきたのです。そんな矢先、日本側では能見俊賢が急死しました。
私たちの"日韓共同啓蒙活動"は、この年を機に、一旦終了することになってしまったのです。

私は今、その当時のことを懐かしく、そして彼女たちへの深い感謝を思いながら、なぜ韓国と日本の関係が上手くいかないのかを、冷静な心で見つめたいと思います。
10年もの間、韓国の心友たちとともに、仕事の上でもハートの上でも、親密に交流した私は、韓国にも韓国民に対しても、何一つ悪い感情を持ってはいません。
だから私は、上辺だけの分析ではなく、韓国の人々の思いも理解しながら、そして私が思うことを正直に書きたいと考えています。

思い返せば、私たちが韓国で啓蒙活動に励んでいた頃というのは、金大中氏(A型)が大統領でした。彼が親日派であることは、金大中事件とともによく人々に知られていることです。
だからこそあの当時、私たちは仕事がしやすかったのでしょう。
その後の2003年、大統領選挙が行われたのですが、出版社の友たちは、誰が大統領になるかと非常にハラハラしていました。
誰が総理になっても人々の暮らしに大して変わりがない日本人の私にとっては、そこまで神経質になることを不思議に感じます。

「そんなに重要なことなのですか?」
そう私が聞くと、室長が言いました。
「韓国は、大統領が誰になるかで政策が大きく変わってしまいます。もし、親日派の大統領が選ばれなかったら、私たちはこのプロジェクトを続けることが出来なくなるかもしれないのです」
「なんとまあ!そういうことなのですね」

私は驚くとともに納得し、また、彼女たちの真摯な思いに改めて感謝したのでした。
運よく、とりあえずそれほど強硬政策をとらないだろうと思われていた盧武鉉(O型)が大統領となり、皆でほっとしたのを覚えています。
そんな彼女たちと接する中で、韓国人たちの政治動向に対する敏感さを、それとなく知ったのでした。

実は、私がいちばん最初に韓国を訪れた日、少々問題が起こりました。
手紙をくれた翻訳者の女性とレストランで食事をしていると、どこからか女が現れ、私にすごい形相で走り寄り、私を襲おうとしたのです。そして何か罵倒するよう言葉を言って去っていきました。
翻訳者の彼女はビックリして慌て、ホテルの人を呼ぼうとしたのですが、私が「ケガも何もないから大丈夫。話を続けましょう」と止めたので、周囲の人々にもほとんど気づかれずに事が済みました。

私は翻訳者の彼女にききました。
「今の女性は、何と言ったのですか?」
しかし彼女は、答えたがりません。
「あの人は、少し頭がおかしいのです。本当にすみませんでした」
そう言って、謝るばかりでした。

私はそのことを、旅の期間中はすっかり忘れていたのですが、日本に戻って思い返し、少し考えてみました。これから活動するにあたっては、さまざまな事に心して対応しなければならないと思ったからです。
「あの出来事はなぜ起こったのだろうか?」
「私に非は無かっただろうか?」

そうして考えてみるうちに、だんだん頭の整理ができてきました。
私が泊まったホテルはソウルでも観光客の訪れる地域ではなかったし、それほどの高級ホテルでもなかったので、日本人はひとりも見かけませんでした。そういう中にいて、私は彼女と日本語で、ペラペラとしゃべりまくっていたのです。
ホテルのレストランなので静かでもあるし、聞く人によっては耳障りな違和感があったかもしれないのです。女は少し頭がいかれているとはいえ、その違和感に刺激されて暴走したのかもしれません。

実際、振り返ってみれば、そのときの私の状態というのは、韓国で翻訳本が出るという喜びと、1年近くやりとりをしていた手紙の主と会える喜びで、多少興奮気味でもあり、また、研究の啓蒙という大義名分のもとで、少なからず傲慢さがあったに違いないのです。
私は浅はかな己を深く反省し、他国へ仕事をしにいく時の態度と心持ちを、ただしく改めなければならないことを理解したのでした。
そしてまた、韓国の人々の感受性の強さを、わずかに垣間見た気もしたのです。

そういうわけで、私は10年間の間に、さまざまな状況で、さまざまな立場、さまざまな年代の韓国人たちと出会い、交流しました。
その間、日本では韓国ドラマの「冬ソナ」が大ヒットし、日本全体も一種の韓国ブームとなっていったのでした。
しかしその頃も、学校での反日教育は、韓国人若者たちの日常の一部として行われていたはずです。それにもかかわらず日韓の人々の交流は盛んになりつつありました。
私は、最初の小さな事件以来、一度も不愉快な思いや反日の声を耳にすることはありませんでした。



(つづく)


日本人はどこからやってきたのか?

DNA解析と遺跡から薄っすらと見えてきた新事実


以前、日本人のゲノム解析で分かったことについて記事を書いたことがありますが、最近、それらの事実やこれまで発見されている遺跡などを整理して情報発信している研究者が注目を集めています。

◎以下の情報の多くは、長浜浩明(作家、古代史研究家)さんによるものです。


↓これまでの見解
日本人のルーツということでこれまでいわれてきたことは、紀元前14,000年頃に縄文時代があり、紀元前400年ごろに朝鮮半島から渡来人がやってきて、弥生文化を築いたというものでした。
朝鮮半島からの渡来人とは、主にモンゴル経由、朝鮮半島を経てやってきた漢民族系(支那人=日本の呼び方)の人々です。
そして弥生時代以前の縄文時代に住んでいた人々は、北方の大陸からと東南アジア方面からやってきた人々ではないかと予測されていました。

↓新しい見解
これまでは、朝鮮半島から渡来人がやってきたといってきたわけですが、実は民族の流れは朝鮮半島から渡って来たのではなく、逆に日本から朝鮮半島に渡っていたのだということが、明らかになってきたのです。

これについては、最初に朝鮮半島の歴史を眺める方がより理解しやすいようです。
まずは言葉では分かりにくいので、単純な表にしてみました。
(※資料元は韓国国立博物館)

さて、朝鮮史を眺めてみたところ、人が住んでいた証拠となる土器類が発見されているのは、紀元前5000年以降です。これらは日本でいえば縄文土器のことだそうです。それ以前は、旧石器時代以来、文化があった証拠となるものが何も見つかっておらず、おそらく旧石器時代にいたと思われる原始民族は、何らかの理由で絶滅したのではないかという見解なのです。

ある学者はこの資料を調べたとき、なぜ韓国に日本の縄文土器があるのだおるかと不思議に思ったそうなのですが、その後、長浜浩明氏の考えを知って納得したということです。
一方、日本の縄文時代は、紀元前14000年以上前から始まっていたことが分っています。
つまり、朝鮮から民族が渡ってきたと考えるより、日本から朝鮮に民族が渡っていたと考える方が、この表を説明することができるのです。

その他にもその裏付けがあり、縄文人の人骨も、朝鮮半島南方で発見されているのだそうです。(ほとんど発表されたことはないそうですが。)
また、朝鮮史は14世紀頃に始まり、その頃は南方に少しの倭人(日本縄文民族のこと)が住んでいたことも書かれています。
これは、日本から朝鮮に渡った縄文人たちが、北方からの漢民族たちに徐々に追いやられて南へ集まったと思われ、最終的には半島から追い払われてしまっただろうとのことです。

またそこに至る間には、朝鮮半島全土で漢民族とのゆるやかな混血が行われていたと予測されるわけで、そういう中で朝鮮半島は国の形成をしていくことになります。しかしその矢先に元王朝に攻められます。
そして大陸で起きたあらゆる戦争にはつきものだった悲劇が起こります。敗者の男子は皆殺し、女子は戦利品として強姦。女子の場合は妊娠して生き延びることも多くなります。

↓新たな証拠
こうした史実を裏付ける生物学的な事実も分かりました。
まず、女性によって遺伝するとされるミトコンドリアDNAを現在の韓国人で調べると、日本人と共通のものが存在するといいます。ところが、男性によって遺伝するとされるy染色体については、日本人と共通するそれがないのだそうです。
現在の韓国人女性は日本人(縄文人)の因子を持つ人がいるのに、韓国人男性は日本人の因子を持つ人がいない。なぜそのような不自然な現象になっているかを想像するなら、前述のような歴史上の出来事があったからだと考えられるのです。

上記にあげたことを日本史の視点で明瞭に整理するなら、日本には紀元前14000年以上前から縄文文化を残した人々が暮らしており、紀元前5000年ごろに日本のその一部の人々が朝鮮半島に渡って民族文化を形成しようとしていた。しかし北方漢民族の人々によって追いやられてしまった。ということになるのでしょう。

更には、沖縄で興味深い古代の遺跡が次々と発見されています。
それによると、旧石器時代といわれる27,000年前の人骨が発見され、また、約7000年前とされる縄文土器も発見されています。
この縄文土器は、本島の群馬県で発見されたものと同じ形質のものであり、つまり、その頃すでに、沖縄を含む日本列島では、広くひとつの文化が形成されていたであろうと推測できるのです。

沖縄については、日本本土とは異なる民族と思われてきたところがあるのですが、これについても生物学的見地から調べたところ、それが台湾などの南方とも、大陸からの科民族とも異なり、日本本土の人々と同じであることが分っています。
そして沖縄と対比してよく言われるのがアイヌ民族ですが、こちらは日本人とも沖縄人とも、あるいは大陸や南方とも異なる、まったく別の民族であることも明らかになりました。

ここで興味深いのは、日本本土の人々は、沖縄の人々のゲノムに比べると中国人や朝鮮民族にやや寄っていることろがあります。
これは、日本本土では後に他国から渡ってきた人々をそれなりに受け入れてきており、ゆるやかな混血が行われたからだろうとのことです。
そう考えると、沖縄の人々こそが、日本古来の縄文人の血統を強く残しているのかもしれないということになります。
これについては言語からもそうであって、沖縄の言語は日本古来の言語に、より近いのだそうです。
一方の現在に至る日本語は、中国から漢字が入ってきたことで随分様変わりしてしまったのです。

しかし、それでは日本人の文明が大陸や朝鮮半島からではないとすると?
私たち日本人は、どこからやってきたのでしょう?

以前の記事【科学ニュース】日本人のゲノムを解析したらどこにもない日本人特有の特徴が見 つかった!でも紹介しましたが、この日本人特有の特徴を持つ遺伝子というのは、おそらく縄文人の遺伝子に違いありません。しかし人類はアフリカを起点に拡散しながら渡ってきたと言ってるわけですよね?それなのに、日本人は、地球上のどの国の人々とも異なる遺伝子を持っているというのです。(アメリカインディアンと少し近いのだそうですが)
謎は深まるばかりです。
結局、「日本人はどこからやってきたのか?」という命題に答えることはまだできないようですね。


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ここで日本の血液型分布について再度紹介します。


この図があらわすところは、日本は関東を中心に東北へいくほどB型が多くなり、西南へいくほどA型が多くなるというものです。オレンジ色で囲ってあるところはXゾーンといって、どのタイプのゾーンでもない平均ラインの範囲内に位置するゾーンということになります。
沖縄はXゾーンですが、前に記述したように、沖縄は日本古代人の形質を純粋に残している可能性があります。西日本などは朝鮮半島と近かったため、その分大陸から渡ってきた人々との混血が進行したのではないかと想像できます。
だとすると、日本古来の元の血液型分布というのは、沖縄や東北に見られるようなXゾーン分布であった可能性が高くなります。つまりは基本分布ですね。

また、日本人とはまったく異なるゲノムを持つというアイヌの血液型分はこちらです。
           アイヌ民族 O型28% A型36% B型26% AB型10%

アイヌはAゾーンに入ります。B型もそれなりに多そうに見えるのですが、O型が少ないことで統計的なバランスではA型ゾーンになるのです。
アイヌ民族は狩猟民族ですが、北方から何らかの理由で逃れて北海道にたどり着いたのかもしれないとのことです。
一方縄文文化というのは狩猟文化だと思われてきたところがありますが、土器の分析から稲作の証拠が見つかっているので、狩猟民族ではなかった可能性が高くなっています。

他に加えるとすれば北海道のO型の多さです。あるいはシベリアなどの北方から渡ってきた人々の影響があるのかもしれません。シベリア地域の血液型分布はO型が非常に多いのです。
また北海道でも縄文土器が多数発掘されていることから、北海道は日本民族、アイヌ民族、その他の北方民族が入り混じっているのでしょう。


さて、以上が日本人のルーツに関する新しい情報のまとめです。
朝鮮半島との関係性において、これまで認識されてきたことと真逆のことが明らかになりました。また沖縄についても、これまで沖縄民族は言語も随分異なることもあって、日本人とは少し違う民族だと思われてきました。
実はこれらは、全く寝耳に水の真実というわけではなく、遺跡や資料などはずいぶん前から存在していて分かっていたわけですから、よく調べればある程度の推測はできたはずなのです。
ところが、それが学者たちの怠慢だったのか、あるいは他に政治的な理由があったのか、定かではないのですが、誰もそこに触れようとはしなかったといいます。そして今の今に至るまで、NHKのドキュメンタリー番組などにおいても、定説にしてきた「朝鮮半島からの渡来人が日本の弥生文明を築いた」と紹介しています。

う~ん。
「血液型人間学」があからさまに知識人とメディアから否定されてきた経緯に、ちょっと似てますね。

ただし、唸っている場合でもないのです。
今、世界中で、そしてこの日本でも、沖縄の問題や韓国や中国との問題がさまざまに懸念されてきます。
私たち全ての人類は、真実を知る必要があるのではないでしょうか。
真実を知った上でなら、最善の策を講じることができます。人々の心構えも決まるでしょう。

こうして今、DNA解析の成果によっても、ごまかしようのない事実が次々と明らかになってきました。
そろそろ、潮時じゃないのかな。
降参せ~い!(←誰にいってるのか?)

↑ブツブツ独り言が多くなってしまいましたが、このテーマに関連する韓国(朝鮮半島)についても次のブログで整理しておきたいと思います。



右脳が開くとハートも開く!?

七田式教育って?

 ※画像はSichida Indonesia のサイトよりお借りしました。

5月のインドネシア啓蒙活動の旅において、日本の七田式教育がインドネシアにもあると聞いたので訪ねてみました。

『七田式教育』については、聞いたことがある方も多いと思います。
七田教育とは、故・七田眞氏が開発した右脳教育なのですが、主に幼児向けの教育として、現在は日本全国に教室を展開しています。

七田眞先生が、まだご活躍していらした2004年頃、あるご縁から当センターとも接点がありました。
当時は能見俊賢も生きており、ちょうど、東海大学の灰田宗孝博士と血液型と脳活動の実験研究を始めた頃でもあります。
つまり、七田眞先生の右脳教育と、血液型脳活動の関係は、情報交換し合うことで、互いの研究の助けになるのではないかと考えていたのです。

けれど残念なことに、能見俊賢も七田先生も、それから数年後にこの世を去ってしまい、コラボレーションは実現しませんでした。
ただ、そんなわけで、私も少なからず七田先生への親しみや七田式教育への興味を抱いていたので、七田式教育法についてあれこれと学んだことがあったのです。

実際、どんなことをするのかというと、"フラッシュカード"といって、言葉を書いてあるカードを早いスピードで次々と見せたり、歴史や地理などを歌にして覚えたり、英語やクラシック音楽を何倍速で聞いたり、あるいは言葉当てゲームや速読法など、いろいろな技法を使って楽しみながら右脳を活性させるというものです。

こうしたテクニック的な面だけ見ると、ちょっと変わってるけど単なる"英才教育"だろう、と思う人もいるかもしれませんが、七田式教育の場合、「うちの子は3歳の頃から英語や算数を習わせた」、というような、知識優先の一般的な英才教育とは少々異なります。

それは七田先生の書かれたご本を何冊か読めば分かるのですが、七田先生が何より大切にしていたのは、"心を育てる"ことにあったからです。
それにはさすがに、教える側の先生方の器量というところに、多少なりとも左右されそうでもありますから、島根で七田先生に直接学ぶことができた子どもたちは、とてもラッキーだったには違いありません。

とはいえ、こうした"右脳開発"ということ自体が、実は子どもの"心を育てる"ことに、大いに役立つだろうと私は考えています。
さて、右脳を開発することで、どうして心が育つのでしょう。
その辺りは、七田先生が本の中でも書かれていると思うのですが、私の解釈では、右脳と左脳のバランスが整うからだと理解しています。
また、それについては…ジル・ボルト・テイラー博士の体験にも裏付けされているので、興味があれば別のサイトで書いた記事をご覧ください。

現代人が、左脳に偏りすぎていることは、誰もが認めるところではないでしょうか。
ここで強調したいのは、右脳を優勢にすることばかりを推奨しているわけではなく、両脳の役割を理解してバランスをとる…違う表現をするなら、両脳の統合を図るということなのです。
一言では説明が不足かもしれませんが、簡単に言うとすれば
「ありのままを観て(右脳の観察)、正しく整理する(左脳)」
ということだと思います。
この右脳の大きな働きである"ありのままを観察する”ことを、今の教育は外してしまっているのです。ありのままの観察が為されないまま知識だけ詰め込んだら、偏った信念体系が構築されてしまう可能性が高くなります。
しかしありのままの観察ができたとしたら、子どもは大人が教えなくても、正しい判断や考察が自然にできるようになるのです。

七田式教育は、現在息子さんの七田厚氏が引き継がれておりますが、七田先生の念願でもあったという、海外への啓蒙も順調に行われているようです。
そんなことで、インドネシアの"ステキな学校"を見学する今回の旅で、インドネシアの七田式スクールにも取材に伺ったというわけなのです。

七田式教育 in INDONESIA

インドネシアの七田スクールは、首都ジャカルタ、日本人も多く住んでいるという高級住宅地域のモールにありました。
受講料の問題もありますし、特別な教育でもありますし、今のところは富裕層の家庭でないと入れないようですね。
優しそうな男性の学長さんから、スクールに通った実際の効果という点で、いくつか興味深いお話を聞きました。

ひとつには、幼い時期(2歳から受けられる)から始めた方がより効果が高いらしいということです。
2、3歳から始めた子たちは、4、5歳から始めた子たちと比較すると、とても落ち着いて授業を受けていて、自分が今何をやっているのかということを、非常に良く理解しているのだそうです。

また七田教育は、2~3歳の頃は特にそうなりますが、お母さん(お父さん)と一緒に受けるというのが基本にあります。
ところがインドネシアスクールは富裕層ばかりなので、そうした家庭ではメイドさんが連れてくることも多いらしく、すると、習得効果が少し下がるというのです。
お母さんと学ぶ方が格段に効果的なのだそうで、「そこのところはインドネシアスクールの問題点でもあります」と、学長さん。

そしてもうひとつは、子どもによって習得や理解の仕方、それにかかる時間など、当然ではありますが、個人差がありさまざまだということです。
「たとえば、直ぐに出来てしまう子もいますが、とても時間がかかる子も居ます。ところが、時間がとてもかかったその子が、ある時、全てを理解してしまうということもあるのです」とのこと。
(後者のタイプの子どもは、A型の可能性が高いですね。)

七田インドネシアスクールは、モールの一角のそれほど広くないスペースにありましたが、中に入ると、七田眞先生の笑顔のお写真と、直筆?の文字が書かれた額が飾ってあり、それを見て、何だかほのぼのとした気持ちになりました。
「七田先生、良かったですね。こうして世界中で、七田先生の心が浸透しているんですね」

七田教育もまた、未来の学校モデルにきっとなるだろうと思っています。
また、ABO血液型との関連については、まだ明確に言えることはありませんが、脳機能との関係から、いくらかの可能性は見えています。
個々の子どもに合わせた右脳教育法というのが可能になれば、更に進化するのではないかと予測しているのです。



(関連記事)
右脳左脳とABO血液型の関係について考察したレポート
ジル・ボルト・テイラー博士について書いた記事

O型の人間愛が人類を救う

"愛の人"O型の真の姿、インドネシアにあり



◎田んぼの中の学校~SALAM

昨年の秋のこと。
インドネシアを訪問した際に発見した素敵な学校については、このブログにも紹介しました。
そして学校のオーナー夫妻のご主人が書かれた本を頂戴したので、帰国すると私は、Google翻訳の力を借りて、頭が爆発しそうになりながらも何とか読み終えました。

本には、オーナー(TOTO氏)の学校に対する熱い思いと、洗練された理念、それから親御さんたち(ファシリテーターと呼びます)の素晴らしい体験談がつづられています。
オーナーの思想や学校理念は、子どもたちへの愛情だけではなく、それが未来の地域社会、未来の国家、未来の地球をも見据えているかのように、真理を貫いています。
本を読みながら、何度も何度も、天を仰いではため息をもらし、感激に浸る私でしたが、中で思わず唸り、拍手をしたくなった箇所があります。

子どもたちに"教える"という考え方は、そもそも間違いを犯す。
どうやって教えるというのか?子どもが頼んでもいないのに?

いや、ほんとうに、仰るとおりです。
"教える"という行為こそが、人間の最も傲慢なエゴかもしれません。

世の中には、高い理想を掲げた良い学校は、きっとたくさんあるのでしょう。
しかし、"教える"という行為を外した学校など、そうそう見当たらないのではないでしょうか。
それはもはや、"教"育ではなくなってしまいますし。(笑)
ですので、このSALAMという学校には、教える"先生"は存在しないのです。
先生の代わりに、ファシリテーター(支援者)と呼ばれる親御さんたちが中心のボランティアで運営されています。

それにしても、理想を掲げるだけではなく、それを実現できたとは、驚愕です。
TOTOさんに会わなければ!
会って話を聞き、この目でしかと確かめなければ!

本を読み終えた私は、そんな衝動にかられ、インドネシア・ジョグジャカルタへ再び行ってまいりました。

写真左の男性がTOTO氏です。

学校を訪ねて「TOTOさんには何時ごろにお会いできますか?」
と学長さんに聞くと
「いつでも会えますよ。だって、此処に住んでるんですから!笑」

そうでした。
オーナー夫妻は、ご自宅の敷地を少しずつ学校にしていったのです。
元々は、農業もされていたわけですが、幼稚園、次は小学校、次は中学校…高校と、各教室が増設されていき、今ではご夫婦の田んぼはすべて学校となってしまいました。

奥様との再会、そしてTOTOさんに会えて、私は大感激です。
まる2日間、じっくりお話を伺うことができました。

教えることを外したSALAMの考え方は、とてもシンプルです。
学校は、子どもが自らの自分らしさを発見するためにあるのです。そしてその自己発見を進めながら、子どもたちはさまざまなこと(必須科目)を自主的に学んでゆくのです。
 ―SALAMの学校内容については、何らかの形で別途詳しく紹介しようと考えております。

それにしても、TOTOさんの温かさがステキでした。
何も話さなくても、ずっと傍に居たいような、まるで暖炉の傍に居るような、そんな気分なのです。
学生たちは、学校の時間が終わっても、いつまでも帰りたくないそうで、私も同じ気分です。
「私もずっと此処に居たい。帰りたくありません。笑」

そして、前回のブログでお伝えした内容を訂正しなければなりません。
私の聞き間違いだったようで、オーナー夫妻はお二人ともA型だと記憶したのですが、TOTOさんご本人に伺ったところ、彼はO型でした。
つまりこのユニークな学校は、O型TOTO氏とA型奥様が、血液型「おもり関係」に即してタックを組み、夫唱婦随でおこなわれていたのです。そしてA型の学長がお二人の意思に深く共鳴し、忠実に運営を管理しているという感じのようです。

そうだったのか。
この学校全体に広がる何ともいえない温かい空気感には、やはりO型が関わっていたのか!
私は理屈ではなく、納得してしまいました。

教室の壁には自由自在の落書き。子どもは描きたいんです!
研究発表をしていますが、ゴロゴロ寝転がって聞いている子も。それもOKです。「そんなんでいいの?」と思われるかもしれませんが、実はそれでいいのです。
以前、韓国のテレビ局と行動実験を行ったことがありますが、子どもたちの好きなスタイルで学んだ方が理解が増したという結果が出たのを思い出します。
SALAMに恋している子どもたちです。


◎母の愛でできた自閉症の学校

「イチカワさん、とても成功している自閉症の子どものための学校があると聞きましたよ。行きたいですか?」
私がインドネシア行を伝えると、ホリィさんがそう提案してくれました。
「もちろんです!ぜひ連れて行ってください!」

数年前にエヴァさんが、幼稚園づくりの夢を語りだした時、それは私にとっても長年の夢であり、しかしそんな大きな夢が叶えられるだろうかと、半ば諦めの気持ちも拭えなかったのですが、こうして学校を訪ねる機会が次々に訪れてくると、私たちは既に、そこへ向かっているのだという気がします。
それはまだ、陽炎のように輪郭もぼやけて見えるだけですが、私とエヴァさんとホリィさんのトライアングルは徐々に形成され、焦点が合ってくるのを感じています。

自閉症の子たちのための学校というのは、ジャカルタから車で2時間ほどの、セランという街にありました。
外観は、何だかとってもアーティスティックでステキです。


学長さんが学園について説明してくれていると、オーナーさんもやってきました。

インドネシアの私学校は、いずれもオーナーと学長という仕組みで運営されているようです。

学園オーナーはO型の女性で、学長はAB型の女性でした。
どちらも、ご自分のお子さんが自閉症で、「この子を何とか立派に育てたい」という母の強い思いから、お互いが共鳴し合って始まったのだそうです。

この学校には、87名もの、自閉症や聴覚障害、視覚障害の子どもたちがいると言います。
オーナーはおっしゃいます。
「この子たちは、他の子と何ら変わりはありません。ただ、彼らのリズムやペースが、普通の子とは少し違うだけなのです」

全くその通りだと、私も思います。
私が名刺代わりに血液型の本をお渡しすると、オーナーは大変興味を持ってくれたようです。
「血液型と自閉症の研究はしないのですか?」
と、熱心に質問して下さいました。

ぜひとも、ご一緒にやりたいです!

そして学園内を案内してくれたのですが、壁にはたくさんのカラフルでステキな絵が飾ってあります。
もちろん全て子どもたちが描いたものですが、多くはオーナーの息子さんの作品のようで、どうやらご子息は、山下清さながらの画伯のようですね。


そういえば…
日本の「ねむの木学園」を思い出します。

2階、3階へと進みながら、ホールがあるという最上階へ案内してくれ、中に入っていくと…。

何と、そこには子どもたち皆が、私たちを待っていてくれました。
これから、私たちのために、演奏や歌を披露して下さるのだそうです。

(写真最左の女性がオーナーです。)

写真の子どもたちが持つ楽器は、アンクルという竹でできたインドネシアの伝統的な楽器です。
舞台の前方にいる先生の合図に合わせて、子どもたちが音を奏でていきます。
演奏が始まると、自分の番を食い入るように待ち構え、ひとつひとつの音を丁寧に奏でる子どもたちの真剣な姿と、その音のあまりの美しさに、私は息が止まりました。そして目からは、涙が次から次へと溢れ出てきます。

「おいおい、いきなりこんなに泣いちゃったらさ~」
などと思いながらも、涙は勝手に溢れて止まりません。笑
しかしこの涙、自分で言うのも変ですが、すごくサラサラしていて水のような涙なんです。
人間って、本当に美しいものに触れると、清らかな涙が自然と出るものなのですね。
心が洗われるとは、まさにこういう感じを言うのかと、生まれて50年にして味わった、初体験です。

とにかくこの子たち、スゴイんです。
演奏や合唱という、数十名全員で協力し合って行うようなことを、自閉症の子たちがちゃんと出来るなんて思えないかもしれませんが、この子たちは出来るんです。(もちろん、練習に人一倍時間はかかるそうですが。)
でもスゴイと思ったのは、そういうことだけではなく、彼らの素直さとハートの優しさです。

私がご挨拶をさせていただくためにマイクを持つと、みなさん、とても静かに座っていて、私の言葉に集中しているのがひしひしと伝わってきます。
そして私が、「あなたたちの音楽が本当に美しいので感動して涙が溢れました」と伝えたら、彼らは一斉に「イエーイ」と言って喜び、拍手喝采してくれました。
反応がとても早くて感度がイイのです。
私が訪れたことをみんなで歓迎してくれていることを、肌で感じさせてくれています。
何でしょう!この一体感は!

学園の隣のスペースではカフェも運営していて、料理から接客サービスまで、全て学生たちがやっています。
とても美味しいお料理でした。

「彼らが全部やります。ただ、彼らはどうしてもお金のことが分らないので、お金のやりとりを教えるのに少し苦労しました。
それで彼らに分かるようなシステムを作ったので、今は大丈夫になりました」
と、AB型の学長さん。

なるほど、「"お金"について理解するのが困難なのは、私と同じだわ!」などと、またもや共感してしまう私です。

「本当に素晴らしいです。驚きで言葉がないくらいで、私はまた、必ず訪れたいと思います」
そう、オーナーと学長に言い残してきました。

2つの"奇跡の学校"の共通点とは!?

今回の旅、私は2つの、素晴らしい学校を訪れました。
どちらも、子どもたちが生き生きと通い、見事に成果もあげています。
もちろん、いずれの学校も公式の学校ではありませんが、インドネシアは日本に比べるとその点では柔軟性があり、自由なスタイルの学校も認めていて寛容でもあります。

そして面白いことに、この2つの学校の運営方針には、いくつかの共通点があるのです。

①教員免許を持った先生は居ない。
教員免許を持ったいわば"教師"と呼ばれる人だと、この2つの学校ではどうしても上手く適合できないのだそうです。
②教師の代わりに子どもたちを支援している大人たちはいるが、子どもが本当にやりたいことを自身で見つけるのをお手伝いするのが主な役目である。
③子どものタレント性や個性を何より第一優先にしている。
④授業料は親の収入によるなど、それぞれ事情に合わせて相談にも乗り、非常にフレキシブル。

そして更には、血液型的な共通点がありました。
いずれの学校も、O型オーナーです。

能見正比古は、O型について2つの大きな特徴を掲げました。
それは、O型の人間味溢れる愛の深さと、そのもう一方にある現実性です。
そしてO型は、そのどちらをも長所として生かすことができるが、どちらを強く出すかによって、そのO型への評価は分かれることになるだろうとも言っていました。
もちろん能見正比古は、"愛の人"の部分を強く出すことをお勧めしていたのです。

この2つの学校のそれぞれのオーナーは、"愛の人"を体現しています。しかし"愛"だけでは、この世知辛い現代社会の中で、親御さんたちを納得させて理想の学校を運営することなど到底難しいに違いありません。
そこには、O型の現実性が、大いに生かされているに違いないのでしょう。

今こうして日本に戻っても、私は2つの学校で感じた心地よさと温もりを忘れることができません。
O型の多いインドネシアという南国の地だからこそ、O型の真の姿である人間愛が、素直に生かされているのかもしれません。
しかし私は、これらの学校に、人間の目指すべき未来の姿を見たようにさえ思っています。そしてO型の生きる活力と、温かく素朴な人間愛、それなくして人間の明るい未来は、無いような気がしたのでした。


知識と引き換えに失うもの

素直すぎるO型が教えてくれたこと

ずいぶん前の事ですが、学校の課題のために血液型をテーマに調査したいと、ひとりの女子中学生が事務所に訪ねてきました。
とても可愛いA型の女子でしたが、A型さんらしい、しっかり者の印象です。
ひとりで調べてココにやって来るには、きっと勇気がいたでしょう…。後日同伴されてきたお母さまも、自分の娘の行動ぶりに驚いたのだと話していたのを思い出します。

そしてその子が、非常に興味深いアンケートをとってくれたのでした。
実はその女子中学生にとっては、期待したほどの大きな結果は得られなかったのですが、研究側の私にとっては、とても深い内容が含まれていたのです。

その内容の質問とは、「幽霊を信じますか?」です。
過去に同じ質問を、能見正比古が行ったことがあります。
回答結果の全てをここでは書きませんが、否定的な回答についてだけいうと、以下のようになっていました。

「あるはずがない、くだらない!」・・・多い順に⇒O、A、B、ABでした。
(逆に「ある」と思うのは、AB型、B型の順で多いということになります。)

以下のような事柄も補足とし加えておきますが、いずれも血液型の気質をよく現しています。
O型に特徴的だった回答・・・「自分が見れば信じる」
(見たもの触れたものを信じるという、O型の現実性や信念的思考性の表れ)
B型に特徴的だった回答・・・「無いとはいえない」
(B型の正確性にこだわり一部の可能性を残しておく科学的思考性の表れ)


中学生女子が行ってくれたアンケート結果も、ほぼ同じ結果となりました。
そして彼女は、小学生たちにも同じ質問をしてくれたのですが、その結果が興味深いものだったのです。

何と、学年が低くなるにつれ、O型の「信じる!」率が増えていき、低学年では、血液型中、最もそれが多くなっているのです。

さて、これはどういうことか?

O型の性質はとても素直です。
ですから、教えられたことは素直に身に着くし、集団社会によく合わせるA型的な同調性とは違った意味で、社会システムに染まりやすいところがあります。社会構造に沿った信念体系を身に着けることは、O型にとっては生命存続のために必要不可欠なことなのです。

だとすれば、これまでの"科学信仰"一辺倒の社会にあっては、O型が幽霊を否定するのも無理の無いかことかもしれません。
「見たものしか信じない」というO型が多いのも、実像の世界しか認めない現代社会の中では、もっともな回答と言えそうです。

ところがそのO型が、幼少の頃は、見えないもの(幽霊)を一番信じていたという結果があったのです。
そう言えば、かつて京都の西陣保育園で「幽霊ごっこ」をした時に、最も怖がっていたのはO型の子たちだったという報告があったことを思い出しました。

知識がまだ無い、幼い頃のO型は、見えないもの、触れられないものも、感じ取ることができたのかもしれません。
もちろんこれは、幽霊を信じることが必要かどうかということとは、また別の話ではあります。

しかし、知識を得るに従って、その無防備な感受性は遠のくのかもしれません。
そして、いつか失う(忘れ去る)のかもしれません。
その失った・・・忘れ去られた部分に、何かとても重要なものがあるのでは?
そんなふうに、度々思う事があるのです。

すると社会や大人たちは、子どもを育てていく中で、何かを与える一方で何かを奪っているのではなかろうか。
そして私たち大人もまた、同じように子ども時代の成長過程を経ているのだとすれば、失ったものがあるのではないか。

子どもたちを観察することは、誠に興味深いことが多いのです。
それは私たちが失ってきた、何かを思い出させ、未来のための何かを教えてくれているに違いないのです。




細胞は思考するーブルースリプトン博士が到達しようとするその先は?

細胞は賢い!そしてABO血液型も賢く働いている?


以前にもこのブログで簡単に紹介したことがある「思考のすごい力(原題:The Biology of Belief)」という、細胞生物学博士ブルース・リプトン氏の著書を再考察します。

リプトン博士の発見は、生物学における「セントラルドグマ(中心教義)」という概念(現在はこれが強く言われることは少なくなった)を、ある意味覆すことになるものでした。セントラルドグマとは、遺伝子の情報伝達においての中核的な教義で、あらゆる生物の生成は「DNA→(mRNA)→たんぱく質」という一方向の順に情報が伝達されるという基本原理のことです。


そしてリプトン博士自身も、その日その時までは、「セントラルドグマ」に従って研究を進めていたし、生徒たちにもそのように指導をしていました。ところが、生徒たちに教えるためのノートをまとめている最中に、リプトン博士は、はたと気づきます。


「細胞は、DNAの命令に従っているわけではない!」


細胞生物学者である博士は、何年もの間細胞を観察していて、その働きの独立性や知性については充分知っていました。ところが、ある壁(細胞膜)があることで、その神秘を説明して次の展開に進むことができずにいたのです。しかしその瞬間、その鍵を探し当てます。まるで電光が射し込むように…博士の知性の扉が開く瞬間でした。1985年の出来事です。


その後リプトン博士は、医学生の教育現場から医学部研究室に戻りますが、彼は「セントラルドグマ」に異議を唱え始めます。それを他の生物学者らが嫌がったのは言うまでもありませんが…。博士は、何年もかけて「魔法の細胞膜」を説明する方法を改善しながら、"生命の秘密を解く鍵"について訴え続けることになります。

本書が本国で出版されたのは2005年ということは、博士の最初の"気づき"から既に20年もの月日が流れています。その間、博士の理論を裏付けるような研究発表が次々と行われ始めます。そしてヒトゲノム計画(DNAの解読)の終了が発表されたのが2003年。その時、マウスとヒトの遺伝子の数は同じ…つまり、遺伝子だけ調べても人間の複雑さは分からないということが明らかにされたわけですが、本書の発表はその数年後になって、やっとその時を得たということでしょうか。

リプトン博士がこの本を出版したあと、同様の研究者にこう言われたそうです。

「しかし君、これは特に新しい発見というわけではないのじゃないかね?」
細胞学者にとっては、細胞が外部の情報を受け取って内部に伝達しているということも、細胞の賢さも、遺伝子が全ての支配権を握っているのではないことも、既に周知のことなのでした。
しかリプトン博士が彼らと違ったのは、その細胞の働きを単なる物質の働きと捉えるのではなく、それが"思考"していていると捉え、それがいったい何を物語ることになるかというところまで、発展させたところにあるのだと思います。

本書を読んで、教義に異を唱えたリプトン博士が味わったその数十年の経緯を見ていると、学者たちというのは、どうしても自分の専門分野を超えない範囲でしか見ない…というか、現状、見れないシステムになっている、というのがよく分かります。「セントラルドグマ」という教義が既に古くなったと分かっていながら、誰も(リプトン博士以外)それについて触れようとしなかったのは、たとえば細胞学者からすれば「細胞が情報の伝達をやり終えたあとのことは、DNAをいじくり回す人がやってくれ、私たちここまでだから…」という感じだからです。お互いの領分は侵さないという不可侵条約みたいなものが、暗黙に了解されているかのような雰囲気です。


ここで本題にもどると…

本書では、細胞ひとつひとつがまるで脳であるかのように、複雑さ極まりなく賢い様を、分かり易く説明しています。
"遺伝子が支配していない"という説明では、たとえば細胞からDNAが収められている「核」を取り除いても、細胞はだいぶしばらくの間それまで通りの活動をします。もちろんいずれその細胞は死に至るのですが、それは核からの情報指令が失われたからではなく、再生し増殖する能力が失われたからです。つまり細胞が核にある遺伝子に再生要請をすることで、遺伝子ははじめて情報を生み出すからです。となれば、遺伝子は生命の中核を成す脳というより、むしろ生殖器のようなものである、と博士は冗談めかします。外界の情報を受け取って「これが必要」「それを送れ」と脳のように指令を出しているのは、細胞膜のたんぱく質の方なのです。

そして、我々が生命を維持するのには、内側というよりも外側からの入力が重要であるとも言っています。「環境→細胞表面・細胞膜→核(DNA)→新たなたんぱく質の生成」という順路で生命維持は行われるのだと。

もちろんこれらは留まることなく循環している作業ですから、どれが鶏か卵かというところもあります。博士は、「セントラルドグマ」の古臭い概念を崩したいがために「遺伝子は生殖器のようだ」と言ったのですが、そもそも、どこに中心をおくとか、どこに支配権があるとかいう、一方向的な支配構造概念を、私たちは取り払わなければならないということかもしれません。

こうした考えに似た理論は、生物学者も遺伝学者も、既にいろいろな本に著したりしているとは思います。けれど同じ現象を観察して説明したとしても、その人の知性や視点によって捉え方は異なり、最初はその差はわずかに思えても、いずれ大きく離れていくことになります。これまでの科学はそんな微妙な分岐点を、あるところで見過ごしながら進んできたのではないかという気がします。


では、するとABO血液型は、この賢い細胞上で、どのような働きをしているのでしょうか?

博士は本書の中では、細胞膜やたんぱく質全般について話しているのであって、ひとつひとつの特徴的な働きや細胞表面についてまでは言及していません。しかし、細胞の膜とその外側における、むしろ環境からの入力をどう処理するかが、私たちの生命を維持したり、活動を制御したり、知性を発達させたりしているのだ、ということは明確に示しています。
何度もお伝えするように、ABO血液型は細胞の表面に乗っかっている糖鎖であり、レセプター(受容体)です。ガラクトース(B型に関与)やNアセチルガラクトサミン(A型に関与)などが、その代表的なものですが、これら糖鎖が外部の情報を細胞内へ受け渡す役割を担っているのです。外側の情報をどのように知覚しどのように受け渡すか、というその鍵は、糖鎖が握っている、ともいえるのです。リプトン博士の言うように、生物としての細胞が思考(信念)を持つならば、ABO血液型のそれぞれも、それぞれの受け取り方、それぞれの振る舞いの中で、何らかの信念形成に関与していると考えられます。


そして今後の研究と可能性

私はこの本を数年前に読みましたが、あらためて再読し、記事をここに再度残そうと思ったのは、昨年終わり頃から放映しているNHKスペシャル「人体」という番組を観たからでした。

この十数年、一方では(今の)科学の限界が言われ続けていました。

「もう充分研究したが、この先何を発見すればいい?人間の頭脳で検証できることは全部やったし、今分からないことはこれからも、人間には分からないのでは?」
ところが、意外なところからその壁を打ち破る方法が生み出されている、ということを、この番組を観て知ったのです。
それは、MRIなどを観る際の画像処理技術が画期的に改善されたことで、今まで部分的にしか観れなかった血液循環の様子など、その範囲が大幅に拡大し、体内を流れる血液の中で実際に何が行われているのかという全体像が明らかになってきたのです。
それは驚きでもあり感動でもある光景です。たんぱく質らやレセプターらは、ひとつの情報をキャッチするやいなや、光の速さ(実際、光って見える!)で指令を出し、それらは次々と連携してゆき、体内の総てが共同で連動し合っているという事実を目撃するのです。

こうなってくると、私は××の研究だけしていればいい、とは言えなくなってくることでしょう。もはや、血液の研究者も、脳の研究者も、免疫の研究者も、あらゆる分野の研究者たちが総動員しなければならなくなったのです。人間というのはこの目で見たものしか信じない…という愚かしい信念がありますが、人間による理性ではなく、画像技術が生物学界の不可侵条約を打ち破ったというのですから、少々皮肉でもあるような気がします。

考えてみれば、むしろそれに関わっていない私たち一般人の方が、「部分的な研究じゃなくて、お互い連携し合って研究すればもっとよく解るんじゃないの?」と、ずっと長い間思っていたかもしれません。
とにかく、この全体像を観測できるようになったことで解っていくことは、革命的な人体科学の進歩になるだろうということです。ご覧になった人も多いと思いますが、テレビでは視聴者の身近な関心事にうったえるため、まずは癌の治療法が画期的な解決に至るであろうという点を大きく取り上げていました。それは本当に、多くの人が安堵する、素晴らしいことです!

そしてABO血液型について話を戻せば、この研究に対しても、部分的に調べていたのでは、おそらくいつまで経っても分からないだろうというのを、能見俊賢ともよく話していたことでした。血液学者が血液をどんなに調べても、免疫学者が免疫システムどんなに論じても、遺伝学者がDNAをどんなにいじくりまわしても、何も出てきやしないのです。彼らはいつも、「ABO血液型物質はそんなに重要な働きをしていない」としか言えず、「悪いけど、私たちにはもっとやらなければならない重要な研究がたくさんありますので…」と、鼻で笑って見過ごしてきたのでした。

ところが、こうして全体像が見えてくるようになれば、リプトン博士のように電光に目が覚め、そこに光をあてる学者が出てくる可能性も高くなります。

そしてまた、現在、糖鎖の研究が進み始めていることも、ABO血液型にとっての朗報です。糖鎖研究に関わる研究者たちは、この糖鎖の働きがいかに重要かということを解り始めているのです。おそらく「糖鎖」とインターネットで検索すれば、今はたくさんの情報が出てくると思います。数年前までは、ほとんど情報が無かったし、あってもサプリメント関連で取り上げているような位置づけでしかなかったのです。これについての研究者側の言い分は、細胞にはたんぱく質と糖鎖があるが、糖鎖は次々とその形を変えて複雑なため、観察するのも複製するのも、再現するのも困難だったということです。これもやはり、近年の観測技術の進歩によって次のステップに進めたということなのでしょう。


このようにして、ABO血液型について真に研究できる舞台が、徐々に整いつつあります。

そして、本当の研究が行われたとしたら、今度はその結果をどのように我々が活用するのか、そのことが最も重要なことかもしれません。そのとき訪れるであろう微妙な分岐点を、どうか見誤らないで欲しいと願うばかりです。

リプトン博士の本から話がだいぶそれましたが、リプトン博士の細胞の研究に対する期待もさることながら、私は個人的に…、リプトン博士の物の見方、捉え方に共鳴しています。ですから今後、ABO血液型についても何か示唆を与えてくれるのではないかと期待をふくらませているのです。

実のところ、現在リプトン博士は、研究現場からは退いているようです。おそらく、学会に属していたのでは自分の真の目指すことが出来ないということになったのでしょう。
リプトン博士は、細胞が環境の情報を受け取って独自に"思考している"ということが分かったことで、私たち人間は、その情報の受け取り方次第、その思考の仕方次第で、いかようにもなれる"すごい力"があるということを、生物学者という物理の科学者として理解したのでした。そして人間だけでなく細胞同士がうごめくこの世界は、それが今は目で見えなくても、全てが繋がっている共同体なのだということに焦点をあてるようになります。するとその先へ進むには、もっとスピリチュアル(精神性)な視点を広げなくてはならなくなります。その見方は、いまだに多くの人が避けている道でもありますが、リプトン博士は今、そうしたスピリチュアル的概念に背を向けていた世界に居た一生物学者として、ひと肌脱がなければならぬという思いで啓蒙活動に忙しくしているようです。

私も、ABO血液型遺伝子という物理的な働きにおいては、実証できる(現在の)科学的研究が成されるべきだと考えていますが、実際に私たち人間がこのABO血液型の知識と知恵を活用するためには、スピリチュアル的な概念を理解していかなければならないとも強く思っているのです。

それは私だけが独断でそう思っているのではありません。この研究の創始者、能見正比古も、「愛」をもってしてでなくてはこれを使うべからずと、何度も何度も訴えてきました。しかし能見正比古が、「愛」とか「人間の連帯意識」とか、そういう見えないもの、スピリチュアル的要素を多分に含む観念(能見正比古がスピリチュアルという言葉を意識したかどうかは別として)を土台にして人間を観察していたことを、多くの人は知らなかった(あるいは気に留めなかった)であろうと思います。しかも困ったことに、そっちを強調すると「やっぱりまやかしだ」「トンデモ科学だ」「ただの占い」というふうに、違った方へ矛先が向かってしまうのです。能見正比古は、このどうしようもない思い違いに深く苦悩しながら、著書の最後のほんの隅っこに、その想いを綴っていたのでした。

私自身、そんな迷路のような行ったり来たりのあれこれを、長い間ずっと考えてきたわけですが、これからは、さすがに次のステージに進めるのではないかと希望を持っています。

そのためには、リプトン博士のように、科学とスピリットの橋渡しをするような、あるいは科学と精神性の統合をめざすような、そういう学者がどんどん現れることを楽しみにしているのです。
そして、それぞれの血液型の、その血液型にしかない素晴らしい役割や思考、あるいは隠されたスピリットというのを、人々が理解する日を待ち望んでいます。

科学が先か?意識の進化が先か?


学生時代、学校の授業にすっかり魅力を感じなくなってしまった私は、居眠りするか、ボンヤリするか、そんなふうに毎日時間を持て余して過ごしていました。
そんな授業中のあるとき、相変わらず上の空の私の頭の中で、止めどもなく思考が巡りはじめ、こんなことを考えていたことがあります。

人類が、もしも違う選択をしていたなら、違う進化を遂げたかもしれないじゃない?
地球の状況は今と全然違う形になっていたかもしれないのよね。
人間の見た目だって、違う感じになってたかもしれないじゃない?
お金というものが無い世界になっていたかもしれないし、電話とかの通信手段だって、全然違う形になっていたかもしれないじゃない。
石油を掘り出すなんてことを、もしも誰も思いつかなかったとしたら?
それとは違うエネルギーを発見したかもしれないのよね。

そうよ。人間が何を選択するかってのは、すごく重要なことなのよ!

数年前、ロボット工学博士と話す機会があり、その博士が私にこんな質問をしました。
「もしもロボットが何でも出来るとしたら、どんなことして欲しいですか?」
「うーん、掃除とか洗濯とか家事全般!」
「それはもちろん出来ますよ。他には?」
「そうですねえ、ああ、私の質問に何でも答えてくれる頭のいいロボットが欲しいですね。それが一番欲しいかな?」
「そんなのは最も簡単ですよ」
「へえ、、じゃあ、出来ないことってないんですか?」
「まあ、無いといってもいいかもしれませんね。もちろん、理論的にはですよ。実現させるにはそれなりの道のりがあります。それから、社会が何を求めるかによって、どの技術に力を向けるかというところで、開発の程度も違ってきますね」
「それは利益になるかとか、そういうことも絡んできますよね」
「まあそういうことですね」

目新しモノ好きな私は、ただただ感心するばかりだったのですが、ここ1、2年で、博士の言っていたことが早くも実現しそうなニュースを次々と聞くようになりました。

それはそれで、好奇心的には楽しみでもあるのですが、一方でふと考えさせられることもあります。
科学は本当にそこまで進化したのだろうか?という疑問です。そして、様々な疑念が沸き起こってきます。

たとえば脳のことは?
AIロボットはつまり、人間の脳に変わるものとして開発しているわけですけど、人間の脳について、人類はどこまで分かったのだろう?
シナプスについてホントに理解したの?
人間の身体についてはどうなの?
遺伝子の何が分かったというの?何十歳も若返る薬を開発しているというのを聞いたけど、それをどう使うつもり?
それより、いったいいつになったら癌の治療法が見つかるの?

たとえばね、宇宙旅行っていうけれど、それは私も行ってみたいですけど、そんなの人類が勝手に決めてもいいのかしら?
だって、行った先に誰か先住の者が住んでいたら許可を得るのが礼儀ですよね?
そもそも、火星に生命が居ないっていっていうのを私は信じていないし。
火星の隅から隅まで確認できたわけじゃないのでしょ?
ねえ、ほんとに大丈夫?

何だか、なにもかもが、ものすごく、アンバランスを感じてしまうのです。
本当の進化とは何だろう?
技術の進化だけではないはず。
心、精神の進化は?
私たち地球人は、いまだに戦争しよう、人殺ししようなんて言ってるのに!?
飢餓で死んでしまう人たちがたくさんいる世界ですよ!?

実は、理論上の量子論やAI技術など、一部の科学を除いて「科学」は頭打ちなのが実態。
一見、進歩したように見えるのは、それを技術で補っているからなのです。
医療も、脳科学も、遺伝子工学も、精密な顕微鏡ができたり、スーパーコンピューターができたりしたことで進んだように見えるだけ。
その中身といったら、戦後あたりから大きな進歩はないのです。
何かが欠けているから進歩できない、理解できないのです。

人間が、本気で人間の真実を理解したいと考えたとき。
心を、本気で進化させたいと考えたとき。
この地球と人々を、本気で幸せにしたいと考えたとき。
私たちがそのように、意識を進化させていくことができたなら
行き詰った「科学」は、飛躍的に進化するはず。

AB型的妄想モードに入った私は、憂いる人類の現状を振り払い、
ひたすら、未来の美しい地球を思い浮かべるのでした。

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写真は映画「美しき緑の星」からお借りしました。
PS:この映画を見て、あなたもぜひ「切断」を!!






自分の意思を表明しないという日本人的特性には、果たしてどんな意味があるの だろう

Facebookの「いいね!」で分かったことがある


私は、Facebookというものを、日本に上陸した2010年の当初から使っています。
ずい分と、インターネット通なのかとと思われるかもしれないのですが、きっかけは、単に、その頃から啓蒙活動を始めていたインドネシアとのコンタクトをスムーズにするためでした。

当初、実名登録が必須のこのSNSが、日本に受け入れられるかどうかというところを問われていたようですが、取り敢えずそれなりに広がりは見せたようです。
いずれにしても、私は、そういうことにはあまり不安はなかったのですけどね。
どの道、ネットを利用する以上そのリスクは覚悟の上のはずだし、実名を明かす事に、何故それほど警戒するのか、私には不思議なくらいのことなのです。
かといって、私にとってこのツールはインドネシアの活動の様子がリアルタイムで見られる、というのが目的なわけだから、それ以上には、まったく使いこなしていなかったわけです。

ただ、ここ数年、いろいろ社会情勢の変化を感じるなかで、このツールの使い道を改めて考えてみたのです。
まず思ったのは、Facebookを、日本の人々はどんなふうに使いこなしているのだろう?果たして日本において、Facebookはどう機能しているのだろう?
などというような事です。

たとえば、「日本人と外国人のFacebookの使い方の違い」という記事を見かけたことがありますし、「FacebookよりTwitterの方を日本人は好む。特に若い人は、、」というような記事もあったと記憶しています。

それで私は、Facebookへの自分の投稿にくれる「いいね!」の付き具合を眺めながら、いろいろと、考えを巡らせてみたのでした。

まあ、そもそも知り合いの数はごく少ないので、敢えて数字を披露するほどのことはないのですが、少ないながらも、私の投稿に「いいね!」が沢山くれるケースというのは…
・キレイな景色の写真を上げた時
・美味しそうな食べ物の写真を上げた時
などです。

また、私の活動を報告するような投稿に対しても、その次ぐらいに多いように思います。
私の活動を”応援しているよ”という、友人たちからの、温かいエールの印です。

そして、最も少ないのは
・私が自分の意見を主張した時
・政治や社会情勢に言及したとき
・何らかの、メッセージ性のある呼びかけをしたとき
などです。

そうなんです。面白いことに、私の意見的なものだったり、どこかメッセージ性のある投稿に対しては、まるで、その場から人々がスーッと消えたかのような...もしかしたら、私がその投稿ごと消えたがごとく、周囲からは見えなくなってしまった?のかもしれないのですが、とにかく、ことごとくスルーされてしまうのです。

先ほど、日本人と外国人では”Facebookの使い方が違う”という記事があると書きましたが、そこには、”日本人は自分の意見を発言する投稿が少ない”、というような事が書いてありました。

うーん、たしかにそうよね…こんなにウケが悪いんじゃあ、ね。
と、自分の投稿の分析をしながら、納得せざるをえないのです。

ここで、「そりゃ、単にアンタの投稿内容の質が悪いだけじゃない?」と、自分自身にツッコミを入れたい気も、しなくはないなですが、敢えてそれは無視して、やっぱり考えてしまいます。

何というか、今流の表現で言えば
空気読めよ!的なムードさえ感じてきます。
ここFacebookは、社交場であり、公共の場、なのかもしれません。(そう捉えている人が多そうですが)

まあ、そもそも空気に馴染むのが苦手な私が、これ以上深読みしても、どこまで的を射ているかわからないので、Facebook分析はこのくらいにしようと思うのですが、私は、私の日常でも、あるいは私の仕事を通しても、『日本人の意見を表明しない状況』というのをしばしば感じてきたので、いろいろと、芋づる式に思い出すこともあるのです。

日本人の奥ゆかしさには深い秘密があるのかもしれない!?

ある日私は、長年親しんでいたヨガのグルがインドから訪日するというので、その会場に喜び勇んで行きました。
このグルは、世界中に1億人もの支持者がいて、尊敬されるだけでなく、むしろ人々に”愛されているグル”という感じの方なのですが、日本では初めての講演ということで、関係者らも相当に頑張ったようで、1000人規模の会場を用意していました。
それなりに人も集まっています。
集まった方達は、ヨガに関心がある人と、その家族や知人というところでしょうか。
ヨガもグルも、インドが拠点なので、日本に滞在しているインド人らもたくさんおります。(2割ぐらい?)

そして、グルから平和な世界へ向けた講話があり、話のクライマックスに、会場の皆んなにこう呼びかけたのです。
「平和を愛し実現するという人は、手をあげて下さい!」

私は、即座に元気良く、まるで小学生みたいに「はい!」と思い切り手を挙げたわけですが、何とも白けたことに、私と似たような人は会場の2割ぐらいでしかなく、残りのうちの半分くらいの人が、恐る恐る、「ハ…ィ」と、いかにも遠慮ぶかげに反応していたのでした。
つまり、手を挙げなかった人も、4割くらい居たわけで、その上、元気よく手を上げた人というのは、結局ほとんどが、インド人たちのようでした。

「あれ?そうなの?」
と私が不審に思っていると、つかさずグルも、微笑みながら、穏やかな口調ではありましたが、こういいました。
「ここでは、全員に手を上げて欲しかったんですけど」

そうですよね!?
平和に賛同するかどうかの意思表明だけなんですから。
考え込む余地は無いと思うし、誰に責められることも、責任を問われることもないことなのです。
かといって、日本の人々は平和を望んでいる人が少ないとは、到底思えないのです。

私は、あの時の残念さというか、摩訶不思議さというか、もやもやした気分を今でもよく覚えています。
日本の人たちは、こんな時にも、自分の意思を表明することをためらうのか…。
私の感覚では、グルの講和の意図と、この会場の目的を考えたとき、賛同の意を表明しない方が、よほど空気が読めていない気がするのでした。

私は、『日本人の本当の気持ち』が表明されない、そんな歯がゆい経験を度々重ねながら、いつか、その根幹を追求し、日本人を見つめ直したいという思いが、ずっとありました。
それは日本人を、イタズラに非難したいわけではないのです。
それにここで「日本人」と表現しているのは、個々の人を指しているのではなくて、『日本人の集合意識』に言及しているのだということも言っておきます。

そうして、その『日本人』の不思議な感性を、客観的に眺めてみるわけですが…
冷静に観察すれば、これらは、ある種の調和性というか、協調性の変形とも見えます。
周囲の状況をよく吟味してから一歩を踏み出すという、慎重さの表れのようでもあります。
またある種の、奥ゆかしさとも捉えることが出来ます。
そんなふうに見直していけば、決してネガティブな面だけというわけでもなさそうで、『自分の意思を表明しない状況』には、コインの表と裏のような面がありそうだと思えてくるのです。

まあとにかく、答えがありそうでなさそうな思いで月日を経ながら、ここ数年、いく種類かの本や文献に出逢いました。
それぞれには、日本という国の成り立ちにおいて、非常に重要な事柄が書いてあります。
一冊一冊について説明を加えると、とてつもなく長くなってしまうので内容にまでは触れませんが、いずれも、”日本の隠された部分”というのを垣間見ることができ、ある程度、現在の日本人の集団的性質を説明可能にするものではないかと思います。

この文献らは、いずれもこれまで、表に出ることはありませんでした。
かといって完全に隠されていたわけでもないのですが、意思を持って探さなければ見つからない類のものでした。
  • 竹内文書
  • カタカムナ文献
  • 日月神示
  • オイカイワタチ
私は、これらから、いくばくかの...というと頼りないけれど、自分なりの結論のようなものを出してみました。

私が思うに、どうやら、日本人の奥ゆかしさとか調和性とかは、日本という地に生まれ来る民に与えられた、一種特有の役割のためであったらしい、ということです。

ところが、世界が間違った方向へ進む中で、それは歪められ、捻じ曲がり、その役割を果たす場面は徐々に失われたのです。

それでも尚、その特性だけは永遠と、この地に、あるいは遺伝子に、保存されており、今の歪んだ社会のあらゆる場面においても表出されています。

ところがそれは、いずれ再び、生かされるかもしれないという可能性を秘めている、というものです。

これらの本について知っている方は、もしかしたら、それなりに賛同してくれるかもしれません。
知らない人でも、日本の特有さを一度でも考えたことがある方なら、それほど突飛な結論ではない、と思ってもらえるかもしれません。

そして思うのです。
変化の時を迎えている今、その、本来、日本人ならではの、使い方によっては素晴らしいともいえる特性を、生かす時が来ているのではないでしょうか。

では、こういう日本の集団的特性において、血液型との関係はどうかと考えますと、おそらく、全体的にはそれは関係なく起こっているようです。
人間社会というのは、より大きな集団的特性の方が最優先されるようにデザインされているのかもしれません。
一見すると、そういう奥ゆかしさ的な感じはA型性を想像する人もいるかもしれませんが、安易には語れないところもままあるのです。
集団意識としては、他の血液型も同意し同調しているに違いないからです。
集団的特性に対する血液型ごとの反応の違いというのは、日本人の集団的特性を理解した上で考えなければならないのだと思います。

このブログではそっちの方が肝心なのですが、それについては、別の機会に、別の場所で、書こうと思っています。

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関連記事
※日本や日本人をテーマに書いた過去の記事


日本人に真実が伝わらない理由

江原啓之氏のあるインタビューから

たまたま見かけ、気になった記事がありました
江原啓之氏のインタビューです。
江原氏は、今や誰もが知っている日本を代表するスピリチュアリストです。
その名前が日本中に知れ渡ったのは、テレビで一時、盛んに放映していたスピリチュアル番組に出演していたからなのでしょう。

テレビをほとんど観ない私は内容をよく知らないのですが、江原氏の出演番組のほとんどは、芸能人の先祖霊や守護霊や過去世などを霊視して、彼ら彼女らの問題を当ててみたり、アドバイスしたりするものだったようです。
それで、その記事のインタビューで江原さんは
「みなさんに、スピリチュアルとはどういうものか、そして見えないものを理解してもらう必要があったから」
というようなことを言っていました。

霊の世界を信じている人も居るけど、信じていない人も居る。
もちろんそれは自分で感じることだから、良い悪いではない。
そしてまた、よく分からないという人もいる。
何となく感じる気がするし、信じたい気もするけど、その証しがないから決められない、という人たち…。
実は、そういう人たちが大多数ではないだろうか、とも思います。

だから、「まずはその証を見せることも必要なのだ」
彼は、そう思ったようです。
番組側と江原氏の考えが一致して、それは始まったのだと思います。…少なくも制作の段階では。
そしてみごとな反響が…。
視聴者は、なるほどと感心し、驚き、感動したり、ときに涙する場面もあったりします。
すると視聴率は、もっと上がりました。

けれどそこから先、江原氏と番組側の意図が、少しずつズレ始めたのではないかと思います。
番組側は、視聴率を追いながら、ただひたすら同じことを繰り返す。
視聴者が飽きるまで。
そしてそろそろ、もういいだろうという頃、これもお決まりなのですが、どこからともなく批判の声が聞こえ始めるのです。
――彼の力は本物なのか?
――どうせ金儲けだ、商売だろ?
江原氏は、自分が伝えたい本当の意図とズレていることに気付いてきたのでしょう。
視聴率も下降を見せ始め、そしていろんな理由を付け加えて、やがて番組は終了しました。

終わった後、番組側は、「この企画は大成功だった!」「世の中にスピリチュアルブームを起こした!」、そう満足し、誰かの功績にもなったのでしょう。しかし、彼らにとっては、一時的にそれに関わっただけの、一過性の出来事でしかないでしょう。
けれどその立役者となった江原氏の方はどうでしょう?
もどかしく、どこか後味が悪いはず。
「でも少なくも、霊性の世界を少しでも人々にお見せすることができたんだ」と、納得するより他になかったかもしれません。

では一方、視聴者はどうだったのかな?
「いやぁ、すっかりスピリチュアルブームだったねぇ」
「江原啓之は特殊な能力を持つ霊能者で、なかなか良いことも言ってたよ」
テレビを何回観ても、それ以上のことは分かりようがなかったのでは?
一部の信奉者は残るかもしれませんが、多くはだんだん忘れていきます。

これはテレビが、特に日本のテレビがずっとやってきたお決まりのパターン。
江原氏は、自分の思いの半分も視聴者に伝える事はできなかったにちがいありません。
毎週、1年も2年も、番組を続けていながら。
全国の人々にメッセージを届けるチャンスが、たくさんありながら!

江原氏は、もっといろいろな事を視聴者に伝えられたのではないかな。
もしかしたら私たちの知らない、もっと重要な知識や知恵を、彼は持っていたかもしれない。
なぜ、番組は、それらを引き出そうとしないのかな。
なぜ、そういう番組作りをしないのかな。

もしも番組側が、もっともっと彼の魅力を引き出そうとしたら?何かもっとイイものを視聴者に伝えようとしたら?視聴者にインスピレーションを与えることができたら?
江原さんは、日本を代表するスピリチュアリストとして、更に磨きをかけたかもしれないのに。
そして視聴者も、傍観するだけでなく、自分の問題として、新たな知恵を身に付けたかもしれない。
そうやって、お互いが成長できたかもしれない。
なぜ、そうはならないのかな?

でも誰も、私ほどには不思議に思わないみたいです。
テレビの役割って、こんなもんだろと、さめているのかもしません。
あるいは、――どうせヤラセでしょ。なんて思っている人もいるかもしれません。

でも、そんなふうに疑いを持ちながら、「テレビなんてそんなモンだろ」と言いながら、人々はリモコンを手から離そうとしないのだから、それも不思議なのです。
誰も、何も、進化しないまま、永遠と茶番劇は続く―。(ようにしかワタシには見えない。)

私には、ほとんど信じられない。
見えない霊より、この現実の方が、よほど信じられない。

インタビューのやり取りに答える江原氏のやるせなさが、何となく伝わってきました。
私は「血液型人間学」という、"新種の試み"をずっとやってきているせいで、江原氏に共感できる部分が、多いのだろうと思います。
経緯も、成り行きも、よく似た経験をしているからです。

このブログは"血液型"がテーマなので、一応それに触れるなら、江原さんはAB型だと聞いています。
私が同じ血液型だから、彼の話を聞きながら共感しちゃったのかもしれませんね。

それにしても私は、事あるごとにマスメディア批判ばかりしているけど、実際はメディアだけの問題ではないのかもしれません。
それらを受け取る人々、そうした状況を形成している全部の人が、それに慣れ、疑問を感じなくなって、結局は日本人全体として、そんな風に動いているのかもしれません。

それでもいつか、そんなジレンマが変わっていくことを期待しているのです。



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