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脳の活動と血液型の関係~実験で分かったこと

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血液型は右と左に関係していたという実験事実! 脳機能と血液型との関係について、灰田宗孝博士(東海大学)と10年あまり実験を行ってきました。
先日、灰田先生がテレビ番組に協力して下さり、実験方法なども含めて紹介したことで関心を示す人が増えているようなので、ここでも簡単に説明しておくことにします。
現在も実験途中なので、あまり突っ込んだ詳しいことまで書けないので概略となります。

この実験では、光トポグラフィーという装置を使用して脳の活性を測ります。
脳が活性している部分はそれだけ血流が多くなるという、非常に分かり易いしくみです。

そして「血液型と左右脳の働きには関係がある」という仮説のもとで行っているのですが、そもそも最初からそういう仮説を立てていたわけではなく、何か関係があるんじゃないか?という曖昧な中で光トポを使って観測してみたところ、「あら?右と左の違いがあるみたい…」ということになったからなのです。


たとえば、その様子を画像で見るとこのような感じで、活性している部分が赤くなっています。

それで、結果はどうかというと、既にご存知の方もいらっしゃると思うし、あるいはそれを聞くと、「あ、やっぱりね、そう思ってたよ」と納得する方も多いだろう、という内容になっています。

まず、A型とB型は、明らかな左と右の対照性を示しました。

A型=左脳の活性量が多い。
B型=右脳の活性量が多い。

言わなくても当たり前のことですが、何もA型の人が、左ばっかり使っているわけではありませんし、B型の人が右しか使わないということでもありません。
とはいえこの実験では、A型は左を土台に、B型は右を土台にと、はっきり言えるぐらいの有意差を示しました。

右脳と左脳の働きについてはいろいろ言われますが、少し抽象的な面から大まかにいうと、右脳は主に外界の情報の全体像を捉えます。左脳はその情報を分類したり整理したり分析したりします。
この時点で、既に誰もが両脳を使うことになるのですが、左脳を多く使うということは、この分類したり分析したりする作業の方を盛んに行うということでもあります。
おそらく、A型の人たちは、脳内の整理整頓が上手なのだろうとも予測できますよね。

一方、右脳を多く使うということは、外界の新しい情報や発見を常に追っている感じがあります。そっちにエネルギーを費やす分、左脳の仕事である脳内整理は…

血液型にまつわる海外事情

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血液型に興味シンシンなのは日本人だけじゃないのです。
巷では、血液型について関心を持つのは日本だけだという噂がときどき流れるので、その辺について記載しておこうと思います。 それ以前に、日本人が海外の反応を気にし過ぎるきらいがあるということも、理解しておいた方がいいかもしれません。それについては、以前のページで触れています。
「血液型人間学」を能見正比古が、日本の人々に伝え始めたのは1971年ですが、その活動から10年ほど経った頃、他国からも取材や問い合わせがあるようになりました。 どんな国からどんな取材があったか、詳細を記載するのは少々難なので、とりあえず記憶にある限りをリストアップしてみます。(年代や順序は無関係) (各国メディアの取材) ・ドイツ~科学ニュース関連の雑誌など(数回) ・フランス~雑誌とテレビ(数回) ・米国~雑誌とテレビ(数回) ・ロシア~テレビ(数回) ・台湾~雑誌関係(日本発行女性誌の台湾版があるので多数) ・ブラジル~テレビ ・英国~雑誌 ・韓国~さまざまなメディア(活発な活動を行ったため多数)
欧米諸国の記事においては今のところ”日本の文化”として取り上げられることがほとんどですが、中で印象に残っているのは、ドイツの取材スタッフたちは個人的な強い関心を持つ人が多かったということです。フランスでは、古くから研究しているグループもあるようです。それらについては下の方で補足しますが、次に、能見親子の本が翻訳されている国を紹介します。 ・韓国(多数) ・米国(You are Your Blood Type)※能見の本を元にライターが新たに執筆。 ・インドネシア ・台湾 ・タイ ・中国
また、ネット普及のおかげで、さまざまな国の個人的な問い合わせがあります。どんな国から問合せがあったのか、記憶にある国を紹介します。 米国/フィンランド/オーストラリア/フランス/ブラジル/ルーマニア/メキシコ/韓国/中国/フィリピン/インドネシア/その他
ということで、こうしてあげたリストを眺めただけでも、他の国の人々が決して関心を持たない、というわけではないことが、何となく分かるかと思います。 私が問合せや海外からの訪問者、あるいは啓蒙している中で感じてきたところでは、欧米諸国ではドイツ人やフランス人の関心が特に高いように思いました。 北欧フィンランドの友人に聞いたのですが、ヨーロッパ諸国の…

DNAの真実、それは血液型人間学の可能性を探る手がかりにもなる

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遺伝子(DNA)についての真実が、もっと解るようになった時、ABO血液型の働きもようやく解明されるだろう…ということを示唆する本について、こちらとこちらののページで紹介しました。

思い起こせばヒトゲノムが解読されたのが2003年。
当初は、ヒト遺伝子の9割はガラクタなのか?と思い違いされるほど、科学者たちも遺伝子について分からなかったのでした。
その後、残りの9割は、働いている1割の遺伝子をコントロールしているらしいということを突き止めました。
けれど、それが一体どのようなしくみでコントロールされているのかは、まだ理解されていません。
というのが、主流科学の現状だと思われます。
DNAについて、私たち人間はまだよく分かっていない…そういう中にはありますが、とても興味深い、「え!?」というような実験事実も、精鋭の科学者らによって報告されるようになっています。

◎DNAはテレポーテーションする

2008年にノーベル生理学賞・医学賞を受賞したルーク・モンタニエ博士は、2つの密閉された試験管を並べてこんな実験をしました。
一方にはバクテリアDNAの断片を入れ、他方の試験管には純粋な蒸留水を入れます。
そして2つの試験管を7Hzの電磁場の中に設置し、十数時間後に調べたら、滅菌した蒸留水を入れた方の試験管にDNAの断片がわずかに発生していたというのです。
(7Hzの磁場を発生させずに行った実験ではテレポーテーションは起こらなかったそうです。)
これはつまり、DNAが空気中(空間)を通して何らかの働きをした、と言えるわけです。
また、7Hzという電磁波にも意味がありそうです。

DNAについての「え!?」という報告は、他にもいくつかあります。
DNAはテレパシーで仲間を集める セルゲイ・レーイキン博士人類は光の存在であるという真実(DNAが光のフォントを蓄える) フリッツ・アルバート・ポップ博士DNAが光のフォントを吸収する「DNAファントム効果」 ピーター・ガリエフ博士 いずれもこれまでの常識とは少々肌合いの異なる報告であり、DNAには、まだ沢山の真実が隠されているらしい、ということを示唆するものばかりです。
そして、ブルース・リプトン博士が言うように、DNAを動かしている張本人は、情報をキャッチする細胞のアンテナなのです。
つまり、ABO血液型(細胞表面糖鎖)は細胞のアンテナ…

ある日魅力が再燃した 田中角栄さん

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そういえば、昨年は、田中角栄さんが燃焼していたようです。
それで、田中角栄さんについて、書こう書こうと思っていながら、結局、失念していました。(だから今書く)

それにしても、再燃したきっかけは何だったのだろう?(石原慎太郎氏が小説を書いたから?没後20年だったから?)
テレビも見ない新聞も見ないという、大バカもんの私は、もはや世のブームについていけないどころか知ろうとさえしないという、始末に負えない状態なわけだけれど、それでも街なかで"田中角栄"という文字を見たり耳にしたりすると、ピクンと食指が動きます。

田中角栄さんが総理として在籍していたのは1972年-1974年(政治活動は1947年~)ということだから、現在の若い人たちは、彼が表舞台に立っていた姿をほとんど知らないのでしょう。
じゃあ、私は良く知っているぐらいの年齢なのか?というと、いや、そうでもないのです。
小学校3年生か、4年生か…。
政治なんて、丸っきり分からないし、興味の欠けらもありませんでした。

そんな私でも、田中角栄さんの、甲高い…けど、親しみ深いあの声とか、漫才みたいな、あの口調とか、やあやあと手をあげて現れる姿とか、思い出すだけで今にも目の前に現れそうなくらい、懐かしいのです。
あの頃日本人は、みんな田中角栄さんが好きだった…というか、それはもちろん、全員が好きだったわけでもないのでしょうが、嫌いな人でさえ、興味深々だったには違いないのです。
日本中が、田中角栄のエネルギーに包まれていたような感じだったのでした。
「ああ、この人なら日本も大丈夫だ」とさえ、思わせていたような気がします。
だから、親父とか父とか、呼ばれていたのでしょう。
日本の政界、百年に一人現れるかどうかという、スーパーヒーロー的な人気を博した、実に稀な総理だったわけです。

さて、ここまで書いて、田中角栄殿の血液型は何型だと思うでしょうか。

はい、そう「B型」でした。

親分タイプのB型(B型の場合"親方”という雰囲気になるが)ってどんな感じだろう?と思ったら、田中角栄さんを想像するのが良いかもしれないです。

ところが、総理就任2年目には金脈問題で総辞職。そして間もなくロッキード事件(汚職事件)が明るみになります。
問題が起こった当時、毎日がそのニュースばかり。
「まったく何でそんな事に…?」

神を信じたり信じなかったりする日本人の曖昧さと血液型人間学の微妙な関係

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記憶を喪失したとしか思えない”日本人の曖昧さ”
近頃、日本人について、つくづく考えています。
その国々によって、歴史や民族が異なるのだから、どの国もユニークなのはあたりまえと言えばあたりまえなのですが、それでも日本は、やはり他の国々とは質の異なる違いを、感じざるを得ない、と思うことがしばしばあるのです。
だからと言って「どんなところが?」と問い詰められると、誰も明確に答えられないという、それがまた、日本を異質にしている不思議さでもあります。

そのせいでしょうか。
日本人は、海外の国々からどのような見られているのかを、ことさら気にする傾向が強いように思うのです。
自分たちも自分たちのことがよく分からないので、外からはどんな風に見えているのか、知りたがるのかもしれません。

血液型の研究に携わってきた中でも、それをよくよく思い知らされることがあります。
先日も某テレビ局の取材を受けたとき、ディレクターが尋ねます。
「海外(欧米)では研究されていないんでしょうかね?」
これには、西洋主義、科学信仰の匂いもチラホラするのですが、とにかくこの質問は、耳にタコが出来るほど訊かれてきたので、私もそこには、もはや感情も失せており
「日本が唯一この研究の先進国です」と、あっさり言うしかないのです。
そしてまた、批判的なご意見としては、こんなこともよく言われます。
「血液型ナンカを話題にするのは日本人だけ」

もちろん私は、心の中では思っています。
…日本がこの研究にいち早く気づき、ここまで深めたことに、もっと誇りを持って欲しいのに、と。
日本の人々は、ああ、なぜに、こんなに自信がないのかしら?
そんなことを相も変わらず思いながら、最近読んだ本を思い出しました。

『逝きし世の面影』渡辺京二著
これは江戸末期から明治にかけて日本を訪れた欧米諸国の人たちが、当時の日本と日本人という民族を、どれほど賛美していたか、ということがつらつらと書かれている本です。

身体の大きさの違いもあるのでしょうが、当時の日本は、かわいらしい家並みと風景に、可愛いらしい人々が、それはそれは楽しそうに暮らす、まるでおとぎの国のようだったと、彼らは感嘆しているのです。

私もそれを読みながら、「へえ、そうなんだ」と、まるで他人事のように感心したのですが、この実感の沸かなさぶりを考えると、日本は変わり果ててしまったのと同…

意識と環境が細胞をコントロールしているという事実からわかるABO血液型遺伝子の働き

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思考のすごい力/ブルース・リプトン著(西尾香苗訳) PHP研究所
ABO血液型が、なぜ、どうして人間の性質にそこまで関係することになったのか? それを科学的(生物学的、生化学的にという意味。統計的には証明できている。)に納得されるよう説明することがなかなか出来ずにいたのです。 そしていつまで経っても「たかが血液型なんかで…?」という反感が根強くあったのでした。
人間は長い歴史の中で環境に適応して生き残ってきたのだし。 ABO血液型物質が、血液中だけでなく全身の細胞に存在しているなら、外界の情報を受け取りながらそれに適応反応し、何らかの形で行動にも影響を与える結果になったとしても何なら不思議ではないのです。 科学シロウトの私はそう考えますが…単純過ぎる? いやいや、専門家さんたちは難しく考え過ぎているんじゃないのかしら? 実際、それぞれの血液型分布の偏る地域を見ると、その地域性が血液型の性質とよく一致する点が多く見つかるのです。 もちろん能見正比古も著書の中で何度かその点に言及してきました。 ところが、その辺については、ことごとく無視され続けてきたのです。
そんな白けた(私の気分的)状況に、息を吹き込んでくれたのがブルース・リプトン博士。 最先端細胞学博士のブルース・リプトン氏は、細胞が単なる物質的な生体反応の領域を超えた働きをしていることを突き止めてくれました。 環境と意識は、細胞を通じて遺伝子のふるまいまで変えていくという事実。 環境を受け取るのに重要な働きをするのは、細胞の内外にあるたんぱく質で、これらが情報を伝達したり、細胞核にある遺伝子にフィードバックしたりするのです。 ABO物質は、細胞の表面に存在する糖鎖(たんぱく質の一種)。 要するに、ABO物質はアンテナのようなもので、血液型による違いはアンテナの違いなのです。
この本はABO血液型について書かれているものではありませんが、ブルース・リプトン博士は本の中で自分の血液型について触れていました。 A型だということです。



いまだに続く血液型ネガティヴキャンペーン〜その行方は?

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先日、テレビ朝日のバラエティ番組で血液型の特集が放映されました。
当センターもこの番組が企画された最初に取材を受けました。 血液型をテレビの番組で取り上げるとき、大方の場合、一度はこちらに問い合わせがあります。もちろん、それでこちらの意図が通るか、与えられる情報があるかないか、あるいはその企画が実現するかしないかは、まだ分からないという段階です。 それでも何でも、正直に言うと、テレビからの問い合わせや取材は、仕事の中で最もストレスが大きいのです。
「どうか、どうか、少しでも事実を伝えるマシな番組になりますように...」 と、祈るような気持ちになってしまうわけです。 自分でも少々過敏すぎるかもしれないとも思うのですが、過去ウン十年、何十本もの番組に協力してきて、胸を撫で下ろしたのって数回くらい...しかもそういうのはたいてい地方テレビだった、というこれまでの実体があるものですから、まあ仕方ないところもあるのです。 あまりにもエネルギーを消耗するものだから、その後、その企画がどうなったのかというところを、あまり追及しないことにしています。 後は流れに任せてなるようになれという、投げやりというか、居直りというか、そんな気持ちでいるのです。
それで、結局どうなったかを知らずにいたのですが、どうやら企画が通り、放送されたようで、研究員やら友人ら、周囲の人々が観たよと報告してくれました。 そして、私の友はキッパリ言いました。 「え?何これ?って内容だっのよ」 私はほとんど察しがついたので「きっと中途半端な番組だったんでしょ?」と言うと 「そうなの、その通りよ。何が言いたかったのか分からないしさ、観て損したって感じよ」
ああまったく...。 テレビは相変わらずなのだなあと、またおんなじようにがっかりするハメになりました。
結局、何が上手くいかないのかというと、優柔不断な番組づくりをするからなのでしょう。 血液型のことはテーマにしたい。(視聴率もあがるんだし) けれど科学的裏付けを示さないと(今時のご時世)やれない。 という、2つの意図で行ったり来たりしながら、肯定したいような、批判したいような、変にあやふやな内容にするからなのです。 先ほど、地方テレビは胸をなで下ろす番組....と書きましたが、上質なものばかりでした。 理由は簡単で、地方テレビは、主要メディアに比べたら、ずっと素直に取り扱ってくれてきた…

能見正比古の「血液型人間学」が統計であるかないかということに、どれくらい意味を持たせるかというところの真実

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能見正比古の「血液型人間学」は統計に支えられていたに違いはないが…
能見正比古という人物について、若い人のほとんどは知らないのでしょう。 ところが、60代以上の人々が集まる会合などに出席すると、「本を読んだ」「講演を聞いた」という人が、必ず何人かはいらっしゃるのです。 そんなとき、当時(40年前)、老若男女問わず、どれだけ日本の人々に強い印象を与えていたかというのを再確認します。
彼はもちろんタレントではないのですから、有名人的な存在としてテレビでもてはやされたとか、そういうもんではありません。 彼の本を読んで強く共感を得た人々がとにかくたくさん居たわけです。 能見の分析や理論は、画期的でもあり、新鮮でもあり、驚きでもあったのですが、それはたぶん、ここ数年流行りの最新脳科学とか、最新ナントカとか、そういうのとも全然違ったと思うし、書きながら何か似たような現象がないかと探しながら、そういえば、前々回の記事で「記憶喪失現象」について書いたのですが、日本の人々が記憶の一部を取り戻したような感じなのかもしれません。 「そうそう、確かにそうだ!」と、能見の的を得た分析に、モヤモヤしていたところの霧が晴れた、みたいな感動ではなかったかと思うのです。
まあところが、既に世の流れは思考の画一化に向かっており、科学や哲学の統一化というか、規格化というか、世界の知識は欧米諸国を中心に、そういう偏狭な方向に進み始めていたのです。 それで、能見の分析に純粋に共鳴する人たちも多くいたのですが、中には統計だから、ちゃんとデータを取っているから信用できる、と、科学性というところを信頼して支持する人たちも結構いた模様です。
そして能見もまた、東大工学部卒ということでもあったので、科学性であるとか、統計手法であるとかは、嫌というほど学んでもいたし、本人自身が、そういう客観的な物差しでもって証明しないと気が済まないという性分でもあったので、彼はデータを集めに集めまくったし、何千何万というデータと睨めっこして取り組んだのは間違いありませんでした。 そんなことで、血液型人間学は統計学である、というのが一人歩きした感も無きにしも非ずと言えます。 けれど、ちょっと考えれば分かるでしょうが、統計学だけで、人間の行動が細かに分析できるはずは、ありません。
それでその後、能見の血液型人間学理論が高まるにつれ、批判的、反論的な意見が、特に…