2015-11-20

B型は数がお好き?



B型が数が好き、といっても、だからB型は数学が得意!ということでもないのです。
彼らが惹かれるのは、数そのものより、『記号』なのだとも思われます。
もちろん、数に惹かれるなら、数を扱う分野を好きになる確率は高くなるでしょうね。
それら詳しい事は、今後の研究課題です。






(以下は、子どもの観察記録より、以前寄稿したコラムから抜粋したものです。)


私の幼なじみの友人の、B型の男の子、Sくんが3歳の頃の話です。
彼もやっぱり数が大好きなんです。
保育園では先生が子どもたちに絵本を読んでくれたりしますが、他の子は先生のお話や、絵本に描いてある絵を見てワイワイ楽しそうにしています。
ところが彼の場合、絵本の隅にふってあるページの数字に興味があるらしく「あっ、これ、に(2)だあ!」なんて、ひとりはしゃいで喜んでいるんだそうです。
「Sくんは、他の子と興味を持つとこが違うものねぇ…」
保母さんたちが苦笑いしているそうなのですが、でも、お母さんの方もB型なので、子どもの興味の向くままに、むしろそんな変わりモンぶりを面白がっています。

私も何度か彼に会いましたが、実にユニークな子で、彼の行動のそこかしこに見えるB型性には、改めて驚いたり感心したり!
あるとき、「いくつ?」って歳を聞いてみたんですが、「88才!」って、元気に答えてくれました。
もう一度聞くと今度は、「91才!」ですって。
どんどん増えていきます。
まだ100以上は数えられないそうだけど、そのうち天文学的な数字に発展していくんじゃないかと思います。
でも、お母さんの歳を聞いたら、何度聞いても「24才!」と答えるんです。
お母さんは私と同級生だから、そんなはずはないんですけどね。
私の友人、ここだけは、しっかり押さえたようです。

それから、こんなエピソードも聞きました。
ある日、彼女がSくんを叱ったそうです。
「そんな我侭言うなら、明日まで口きいてあげない!」
するとSくんは、必死に迫ったそうです。
「えー、明日までって、何時何分?ねえ、何時何分までなの!?」

Sくんの、最近の興味は『四字熟語』だそうです。
これも一種の記号なのでしょうか?

さてさて、Sくんの数へのこだわりは、今後どんな展開を見せるのでしょう?
とても楽しみです。

日本で真実が伝わらない理由

たまたま見かけ、気になった記事がありました
江原啓之さんのインタビューです。
江原さんは、今や誰もが知っている日本を代表するスピリチュアリストです。
その名前が日本中に知れ渡ったのは、テレビで一時、盛んに放映していたスピリチュアル番組に出演していたからだと思います。

江原さんの番組の内容のほとんどは、芸能人の先祖霊や守護霊や過去世などを霊視して、彼ら彼女らの問題を当ててみたりアドバイスしたりするものだったよう。
その記事のインタビューで江原さんは
「みなさんに、スピリチュアルとはどういうものか、そして見えないものを理解してもらう必要があったから」というようなことを言っていました。

霊の世界を信じている人も居るが、信じていない人も居る。
それは自分で感じることだから良い悪いではない。
そしてまた、別の人々もいる。
何となく感じる気がするし、信じたい気もするけど、その証しがないから決められない、という人たち。
実は、そういう人たちが大多数ではないでしょうか。

だから、まずはその証を見せることも必要なのだ。
江原さんも、そう思ったのでしょう。
番組側と江原さんの考えが一致して、それは始まったのだと思います。…少なくも制作の段階では。
そしてみごとに反響が。
視聴者は、なるほどと感心し、驚き、ちょっと感動し、涙する場面もあったりして。
すると視聴率は、もっと上がりました。

けれどそこから先は、江原さんと番組側の意図が、少しずつズレ始めたのではないかと思います。
番組側は、視聴率を追いながら、ただひたすら同じことを繰り返す。
視聴者が飽きるまで。
そしてそろそろ、もういいだろうという頃、これもお決まりの、どこからともなく批判の声が聞こえ始める。
――彼の力は本物なのか?
――どうせ金儲けだ、商売だろ?
江原さんは、自分が伝えたい本当の意図とズレていることに気付いてきたのでしょう。
視聴率も下降を見せ始め、そしていろんな理由を付け加えて、やがて番組は終了します。

終わった後、番組側は、「この企画は大成功だった!」「世の中にスピリチュアルブームを起こした!」、そう満足し、功績になり、彼らにとっては過去となります。
しかしその主役となった江原さんの方はどうてましょう?
もどかしく、後味が悪いはず。
「でも少なくも、霊性の世界を少しでもお見せすることができたんだ」と、納得するより他にないかも。

では、視聴者はどうだったのかな?
「いやぁ、すっかりスピリチュアルブームだったねぇ」
江原啓之は特殊な能力を持つ霊能者で、なかなか良いことも言う人。

テレビを観ても、それ以上のことは分かりようがない。
一部の信奉者は居るでしょうが、多くは、だんだん忘れていきます。

これはテレビが、特に日本のテレビがずっとやってきたお決まりのパターンです。
江原さんは、自分の思いの半分も視聴者に伝える事はできなかったでしょう。
毎週、1年も2年も番組を続け、全国の人々にメッセージを届けるチャンスがたくさんありながら!

江原さんは、もっといろいろな事を視聴者に伝えられたのではないのかな。
もしかしたら私たちの知らない、もっと、重要な知識や知恵を、彼は持っているかもしれない。
なぜ、番組は、それらを引き出そうとしないのかしら。
なぜ、そういう番組作りをしないのでしょう?
もしも、番組側が、もっともっと、江原さんの魅力を引き出そうとしたら、何かイイものを視聴者に伝えようとしたら、視聴者にインスピレーションを与えることができたら。

江原さんは、日本を代表するスピリチュアリストとして、もっと磨きをかけたかもしれない。
そして視聴者も、傍観するだけでない、自分の問題として、新たな知恵を身に付けたかもしれない。
そうやって、お互いが成長できたかもしれない。
なぜ、そうはならないのでしょう?

でも、誰も不思議に思わないみたい。
テレビの役割って、こんなものなのかな。

そういえばテレビ番組のヤラセ問題がある時表面化し、それを機に、テレビに対する批判や疑惑が増えました。
ところが、うやむやのまま真相は明かされないので、捏造でないものまで、視聴者に疑惑を与えることになったりもしています。
――どうせヤラセでしょ。

でも、それでも、疑いを持ちながらも、「テレビなんてそんなモンだろ」と言いながら、人々はリモコンを手から離そうとはしない。
誰も、何も、改善されずに、永遠と茶番劇は続く。

私には、全く信じられない。
見えない霊より、この今の現実の方が、よほど信じられない。

インタビューのやり取りに答える江原さんの、やるせなさが伝わってきました。
私は、「血液型人間学」という事を、ずっとやってきているから、江原さんの気持ちに共感してしまいます。
経緯も、成り行きも、まったくと言っていいほど同じ経験をしているのですから。

私はこうやって、テレビ批判ばかりしているけど、ほんとは、テレビだけの問題ではないのでしょう。
マスメディア全部がそうだし、それらを形成している人々もまた、それに慣れ、疑問を感じなくなって、結局日本全体として、そんな風に動いていきます。

テレビがもっと出来ることがあるはずだと、将来に期待します。

2015-11-17

AB型の二面性

太宰治と遠藤周作という作家がいた。
2人ともAB型だった。

2人には面白い共通点がある。
2人とも、全く違うテイストの本を書いたのだ。

たとえば、太宰治は、「走れメロス」のように教科書に載るような優等生作品を書いていると思うと
「饗応夫人」や「人間失格」など、逸脱した人間の哀しさ可笑しさを、えぐるような作品もある。

遠藤周作も、歴史書や宗教的テーマの純文学を書いた人と思えば
「ユーモア小説」や「おバカさん」など、洒脱な作品も数々ある。

私もAB型なので、気持ちがよく分かる。
自分の中には、常に両方の感性があり、どちらか片方では、どうにも表現しきれないのだ。
エッセイなどを書いている時も、一つのテーマに対して、考えが四方八方から沸いてきて
おっと、待てよ、これだと私の考えはどちらなのか分からなくなるじゃないかと、修正を余儀なくされる。
何とか一つの、一本筋の通った話にしなければと、考えあぐねることが多いのだ。

もちろん、太宰治氏や遠藤周作氏は、優れた作家なので私のような幼稚なことにはならないだろうが、作品を書きながら、どうしても自分の中にあるもう一つの感性を表現したいという衝動にかられたのではないだろうか。

とにかくAB型は、何につけ、バランスを取りたくなるなるのだ。
それでやっと、自分らしくなり、安心する。
やはりそこが、他の血液型から見たら分かりにくいところかもしれない。


2015-11-12

少年Aと呼ばれた人

それは、1997年に起こった。
酒鬼薔薇聖斗と名乗る14歳の少年がおこした「神戸連続児童殺傷事件」である。

2004年、彼は医療少年院を退院した。
今また、話題になったのは、彼が手記「絶歌」を出版したからである。
“元少年A”というHPには、自分のプロフィールを載せている。
血液型は『A型』とあった。

私は、最初に言っておくと、彼のA型性や犯罪性について書こうとしているわけではない。

犯罪は、どの血液型も犯す!

その犯罪性を分析すれば、いろいろ言えるだろうが、たとえば心理学者が「○○症候群」などと分析するように、血液型で云々をいう事はいくらでもできるが、私はそんな事はしたくない。
でも私が、あえて書いておこうと思ったのは、ツールは何であれ、“人間を見つめる者”として、思う事があるからである。

本を出版したことに対して、世間の目は批判的だ。
遺族の方々の思いを考えれば、それはそうだろう。
そしてそんなムードが世の中に漂うとき、もう誰も、少年A氏を少しでも弁護するようなことは口にしなくなる。

少年Aは殺人者
今も更生していない非人間
遺族が気の毒

もはや情報の焦点は、そこにしかあてられない。
そこにはもう、議論をする余地は残されなくなる。
本当に、それでいいのだろうか?
この事件をきっかけに、私たちがもっと考えることは、他にないのだろうか?

私も、あの時の衝撃は記憶に残っている。
犯罪の少ない、平和な社会だと思い込んでいたこの日本で、現実に起こったことだとは思えなかった。
なぜ、それは起こったのだろう?
親の育て方のせい?
果たして、それだけなのだろうか?

多くの人(私を含めた一部かもしれないが)が、そういう疑問を持ちながら、しかし、その記憶は時間とともに遠ざかっていった。
「なぜ?」への解答は得られないままであった。

実際、この出版不況の中で、本は売れいている。
この事件について、少年Aという人について、知りたいと思う人々が、それだけ居るということだ。
出版に至った経緯も分からないし、本もまだ読んではいないが
私は世間の声に反して、勇気ある刊行だったと思う。

少年A氏はこの本のタイトルで、自身を透明人間のように比喩しているのかもしれないが
私は違った意味で、それがどんなに残酷なことでも、透明であるべきだと思っている。
つまり、事実を“明らかにする”必要があるのだ。
それは、少年A氏を擁護するのでも、もてはやすのでもない。

なぜ人は、本当のことを隠したがるのだろう?
なぜ親は、子供に本当のことを教えないのだろう?
なぜ政治家は、国民に本当のことを伝えないのだろう?

もしかしたら、100年前は、それでも良かったのかもしれない。
「良かった」といっても、社会にとって「都合が良かった」程度の“良かった”だとは思うが。
しかし、今は、違うのだ。
私たちは、本当のことが知りたいのだ、いや、知らなければならないのだ。

大事なことはすべて秘密にし、それは人権の問題であったり、ある種の思いやりだったのかもしれない。
しかし、覆い隠したこと、秘密にしたことが、あまりに多くなりすぎて
今の私たちはまるで、お化け屋敷に住んでいるような状態だ。
うす暗くて、周りには何があるかよく見えず、いつも不安と怖れを感じて生きている。
少年少女の犯罪の多くは、こうした不透明さからくるものだという気がする。

少年A氏は、自分自身のことを理解しようとし、よくよく見つめようとしている。
それは確かだと、一連の、彼の発言や犯行を眺めていて、私は思う。
彼は、自分の「存在のありか」を確かめたいのだ。
それは、「魂」の叫び、ではないかと、私には思える。

単なる「自己顕示欲の異常なまでの強さ」として、彼の異常性だとして、片づけていいのだろうか。
もちろん、多くの人にとってはそれの方がいいだろう。
社会の問題、まして自分の問題として取り扱うには、あまりに重過ぎるのだから。

私は、だけど思うのだ。
日々、さまざまな事件がおきている。
さまざまな出来事がおこっている。
その情報を私たちは、ネットやテレビを通して共有している。
しかしだ、その情報じたいが、不透明なままであったり、歪められているとしたら、まったく意味がない。
それくらいなら、無い方がマシである。

人類のこの、科学や技術の進歩の意味は、暗闇に明かりを灯すものであるはずだ。
我々人類の、「知りたい」「理解したい」という熱意が、ここまで科学技術を進歩させたに相違ない。
世界中の人々と、瞬時に情報を共有できるという、情報通信の革命は
全てのことを明らかにするためであり、人々がそれを望んだから生まれた。

もうこれからは、何もかも、透明にするしかないのだ。
そしてやっと、本当の話ができる。
何がステキなことで、何が要らないことなのか。
私たちが何処へいきたいのか、何を選択するべきか、やっと本当に、話し合えるのではないだろうか。

2015-11-06

血液型と脳の関係

脳科学が進み、注目されるようになったことで、この十数年は脳に関係する情報が増えた。
しかし、進んだとは言っても、研究するフィールドが整ったということだ。
光トポと言われる、電極を頭にそえて血流の活性化を見たり
MRIなどで脳の状態を見たり、そうした機器が開発されるようになったからだ。
なので、研究成果はまだまだこれから、というところもあるが、興味深い見解もたくさん出ていて益々楽しみである。

脳と血液型について、専門家たちは以前関係性を強く否定していた。
ただその理由は、脳には血液が入れない(血液脳関門)からという単純な理由だった。
それでも、脳内にも8%程度ぐらいは血液型物質の存在も見つかっており皆無というわけではない。
また、脳下垂体などホルモン分泌に関係するヶ所では、血液型物質の影響が及ぼす可能性は充分ある。

私は、脳と血液型に関して、直接的ではなくても、間接的にはそれなりの影響を与えていると直観している。
いずれにしても、それが理解されていくのも、まだ暫く先の事になるだろうが。

困難な研究背景を指をくわえて待っていても仕方がない、ということで、ごく単純な実験を東海大学の脳研究の先生と行った。
それは、右脳と左脳の優位性についてだ。

実験の詳しい概要については省略するが、光トポを使って被験者にシンプルなイラストを眺めてもらい、脳の活性量を数値化した。
結果は、血液型の行動特性から予測した仮説とほぼ一致した。

A型・・・左脳優位(有意差あり)
B型・・・右脳優位(有意差あり)

O型とAB型については有意差ほどは表れなかったが以下のような傾向があった。
O型とAB型については、両方の脳がバランスよく活性したと言ってもいいかもしれない。

O型・・・やや右脳優位(有意差なし)
AB型・・・やや左脳優位(有意差なし)

注意したいのは、全体としてはどのタイプも両方の脳を使っているのであって、片側だけに極端に偏ることはあまりない。
〝あまりない″と書いたのは、被験者のごく数名に関しては、例えばB型の一人は、完全に右脳優位に動いていた者もいたからだ。

さて、この結果をどう捉えるか。
今後の研究の余地、可能性は充分に示唆できると思える。


2015-11-04

恋愛と血液型の深い深い関係

能見正比古は、血液型と人間の関係について、さまざまな角度から眺め、考察しました。
政治、ビジネス、子育て、夫婦の問題、男女の恋愛、人生について、スポーツ。
それは人間が関与する、あらゆる活動に関係性を認めることができるからです。

どの分野も役に立つ情報はたくさんあり、でも日本では男女の愛情関係が主体となって広がった感じがあります。

そういうムードがあるからなのか、血液型のことをいうと、「女性は好きだよね、そういうの」と、男性に言われることも多いです。

そうなの?男性は興味がないの?

もし本当に興味がないとすれば、それはつまり、男性っていうのは人間のことなんて興味がないよ、と言っているようなものなのだけど。
もちろん、それが自分たちの人間オンチを自慢しているのと同じだとは、言った本人も気付いていないですが。

男子たるもの、血液型に関心を持つのは恥ずかしいとでも?
能見正比古などは、血液型人間学に男の人生をかけたのだけどな。

私は、こうした偏見に満ちた冷やかしが嫌い。
本質を考えることもなく、何でも茶化して誤魔化してしまう人々の、中身のない会話。

でもそういう私も、男性たちが時々そんな風に言うのを聞いているものだから、企業関係の講演なんかに呼ばれたときには、やっぱりビジネスのことを聞きたいだろうと、仕事に役に立ちそうなことをあれこれ考えて話してしまうのです。

ところが、講演の後に食事会などに出席すると、男性陣から次々に出る質問は「いや、最近女房と上手くいってないんだよね〜A型なんだけどさ」
というようなたぐいのものばかり。

だからそうでしょう。
男性も、人間のことがもう少し分かりたいと、心の奥底では思っているし、
分かったら、もう少し妻と上手くやれるんじゃないかとも思っているのです。

でもそういう事実を見ることはなく、血液型は女性が好きだと思い込んで、また、女性と言ったら恋愛だと思い込んで、本や雑誌は女性本位の恋愛論をテーマにしたがる。
ますます、血液型は女性と恋愛と深く結びつけられて、しかもそれは軽いお遊びだと、ねじ曲がったイメージが定着します。

これは、どれもがねじ曲がっている。
恋愛を軽く見るのも間違いだし
血液型を軽く見るのも間違いだから。

私たち人間の本当の探求は、一言で言えば愛なのです。
愛を理解し、愛を具現化したいが為に
さまざまな人生を送っているといってもいいかもしれない。
もちろん、愛とは広い意味の愛であり、男女の愛に限ったことではないでしょう。

でも、その中で男女の愛は、愛を知る入り口としてはとても分かりやすい。
男女の本当の愛情ともなれば、もっと深い夫婦のことになってくるだろうから、恋愛はそのまた序幕と言えるかもしれません。
もちろん、マザーテレサのように最初から人間愛に目覚めた聖者もいるでしのう。
でも、我々普通の人々にとっては、恋愛は愛に目覚めるための登竜門。

恋愛を軽んじてはいけない。
あなたと私の違いを認め、認めながらお互いひとつになろうとする、その過程を学ぶ貴重な体験なのです。

そして血液型は人間に関心があるか無いかのリトマス試験紙のようなもの。
もしもそこに、人間に関する情報が詰まっているのだとしたら?
無視するの?

血液型と恋愛、それは本当は、深い深いテーマ。
そして本来は男性も共に学ぶべきものなのです。

2015-11-02

フィンランドより




10月初旬、フィンランドで血液型の話をしてきた。

ことの始めは、30年も前になる。
フィンランド人のカイヤさんというB型の女性が、日本に住んでいたときに能見正比古の血液型人間学を知り、大変興味を持った。
そして、わざわざ能見正比古に会いにきてくれたのである。
(私はその時、まだ事務所にはいなかったが)

カイヤさんは、その時、この研究をいつか必ずフィンランドの人々にも伝えようと決意したという。
けれど、フィンランドで血液型を紹介するチャンスがなかなか見つからない。
そもそも、自分の血液型を知っている人があまりいない。

その後も、日本に来るときには、事務所を何度か訪ねてくれて、しかし能見正比古もいなくなり、後を継いだ能見俊賢もいなくなり、とうとう三代目の私になるまで、ずっとお付き合い頂いていることになる。
その間、血液型への思いを忘れずにいてくれるとは、本当に嬉しいことである。

そんな経緯があり、今度は私がフィンランドへ行って、そして血液型の話をしてこれたらいいのにね
という、ふとした思いが実現したのだ。
もちろん、カイヤさんが実現できるように、さまざまな手配をしてくれた。

2時間ほどの、カイヤさんの通訳を介してのレクチャーだったが、皆さん、熱心に聞いて下さったのでほっとした。
北欧も含めてヨーロッパはA型とO型が8割ほどを占めてしまうが、フィンランドは中ではB型族が多い方で、この会場にもB型やAB型がそれなりに来てくれていた。
半数弱くらいの方たちは血液型を知らないのは残念だが、仕方ない。

「欧米諸国の場合、まず献血運動を呼びかけるのが先かもしれませんね」
とカイヤさんと冗談を言って笑った。

もちろんフィンランドでは、「え?そんなことがあるの?」という話である。
血液型が人間の行動に関係あるなどという話、初めて聞いた方たちがほとんどだった。

けれど、面白いと思うのも、興味深々なのも、どの国へ行っても同じである。
そして、フィンランドの人々もやはり、血液型の特徴をみなさん持っている。

とても穏やかで笑顔の優しい図書館のA型会長さん。
勉強熱心なO型男性。
活発で仕切りやさんのA型女性。
とにかく楽しそうなB型さん。
やっぱりクールなAB型さん。
保育の熱い思いを語ってくれたO型さん。

カイヤさんがフィンランドの人々に血液型をもっともっと紹介できるようになるために
私も、もっと力を尽くそう。
またきっと、フィンランドを訪れよう。

そう思いながら、ヘルシンキ空港を後にした。


(フィンランドの血液型分布)
O型…33%
A型…43%
B型…17%
AB型…7%



開始前の会場にて(上下)