血液型と気質のパイオニア 古川竹二

「血液型と性格」について、日本社会では誤解と中傷が多いのです。この研究がこれまでどのように行われてきたのか、どのように社会に浸透、拡散していったのか、出来る限り客観的に、記録に残していこうと思います。
現在、私は研究当事者であるがゆえ、時に感傷的であり、個人的な感情も含まれることをご理解下さい。内容の事実を拾って頂ければ幸いです。)



血液型と気質(三省堂)
昭和7年1月30日初版発行

著者:古川竹二








血液型と人の気質について日本で最初に研究をしたのは古川竹二という、教育心理学者(現在の御茶ノ水女子大)だった。
彼が研究に着手したのは、昭和元年頃と思われる。
血液型の発見が1900~1901年だから、それから20年ほど後のことだ。

当初は、数十人の学生を対象に始まり、8年後にこの本を出した時には、数百人~千人前後の調査数で行っている。

研究の道のりは、非常に苦難であったらしい。
当時も、他の学者たちから、さまざまな誹謗中傷があったようだ。


以下は、上記写真の本のまえがきである。


























しかし、この本を出版する頃には、古川氏の研究の賛同者も現れた。
それには、法医学の草分けと言われる、古畑種基氏(東京大学医学部)もいた。
ABO式血液型の日本全国分布図作成は、古畑氏が中心に行われたのだ。

古川氏にとっては非常に心強い味方ができた。
しかし、その安堵もつかの間、支持していた古畑氏は考えを覆した。

理由は明らかだ。
古畑氏の法医学に対する功績は非常に大きかったため、周囲からも押し上げられるような形で、学会の頂点へ上り詰めようとする勢いであった。
古畑氏にとってはその、大事な時期であるがゆえ、血液型で性格を云々~という、わけの分からない研究を支持するのはどうしたものかと、周りからの忠告を受けることになる。

方医学会全体において、古川氏の研究に対する意見は2つに分かれていたのである。
ABO式血液型研究を日本で開花させた古畑氏は、その対立を収めねばならなかったのだ。
古畑氏は、否定側を選択した。
それは、鶴の一声となった。

古川氏は、即座に研究の取りやめを迫られた。
彼は、血液型と人間の深い関わりを確信していたに違いないのだ。
どれだけ、無念であったろうか。

当時はまだ、どの学問分野もまったくの模索中であった。
それは現在も同じだが、何かが正しく、何かが間違っているという白黒を決定するのは無謀である。
しかも、人々の性格行動を研究するのに、法医学は専門外であろう。

さまざまな、当時の事情があったろうが、いずれにしても、古川氏と古畑氏に直接聞かなければ、真相は分からないことではあるのだが。

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(人物の血液型)
古川竹二…A型(自身の本より)
古畑種元…B型(自身の本より)

ichikawa